みんなでお勉強

~1~


 救世主大隊の初任務から数夜が明けた。しばらくはポルタが開かない日々が続くことが確定された世界は、一先ずの安息を得ることとなった。それは救世主たちも変わらず、半ば休暇をとったような心境で朝を迎える。

 が、彼らに休暇はない。戦わなくても、またいずれ再び来る戦いの時のため、鍛練と学習を怠ることは許されない。クラウズを倒すことが仕事ならば、その準備のためにほほ毎日のように汗水を垂らし睡魔と闘う日々だ。一定の休日めいた時間もとれるが、とんだブラック企業である。

 しかし、弱音を吐くことがあってはならない。彼らは救世主。人々の希望そのものなのだ。その実態は常に英雄豪傑と自己犠牲、そして勧善懲悪の象徴でなくてはならない。

 それは戦闘に参加しない連隊所属の救世主たちも同じだ。各々が授かった能力を、それに適した環境で十二分に発揮することが求められる。新たな装具や魔法の研究・開発、過去の資料からクラウズの弱点や特徴を多角的に推察すること、ケントルムより支給される予算で必要な物資をやりくりすること、未だ戦線に復帰できないでいる兵士の治療――様々だ。

 この新世代の救世主としての側面が、戦闘に直接介入する大隊のメンバーに顕著に現れるということは、もはや言うまでもないだろう。現在の救世主の本分は即ち、戦うことなのだから。

  今日こんにちより救世主たちは、それぞれ自身に必要な技術を学ぶこととなる。誰一人として同じカリキュラムになり得ない、個々人の戦いのための科目を修得するのである。

 グレイは最優先科目として剣術を選択し、未だ現役の軍人であるウィルの元、共に直々に指導を受けていた。彼の他にも数十名もの救世主たちが、剣の技術を履修すべく集っている。戦闘において最も基本的な戦術と言って偽りない剣術――その需要はやはり圧倒的らしかった。指定された教室に集合した救世主たちは、始業の鐘が鳴るのを皮切りに、まずは剣を用いた白兵戦について、理論から徹底的に学ぶ必要があるとウィルに説かれた。


「もちろん座学一辺倒で物にできる類いの学問ではない。しかし、かといって自分の反射神経と勘のみで扱えるほど甘くもないのが剣の道だ。俺もエキスパートというわけではないから、外部から助っ人を臨時講師として手配している」


 ウィルの隣に並び立つ、高身長且つ筋肉質な体つきの、齢にして三十半ばといったところの男性が、彼の言を合図に一歩歩み出た。威風堂々としていて、自分に絶対の自信を持っているかのような佇まいである。


「この方はグラディウス騎士団の団長であるマタドレイク・ヴィッツヴァーンさんだ。知っている者もいるかもしれないが、グラディウス騎士団とはいかなる国家・組織にも属さない非政府団体だ。世界各所の治安が悪い地域に赴き、一般市民を犯罪や暴動、時には国家そのものから守っている。マタドレイクさんは、そのグラディウス騎士団を束ねる立ち位置に若くして配された逸材だ。剣の腕といったら彼だ。この世界に知らぬ者もいないだろう」


 紹介に預かったマタドレイクは、濃い眉毛の間にシワを寄せて、『よろしく』と地鳴りの如き重低音で言った。少し屈めた上体を起こすと、マタドレイクは鋭い眼つきで救世主たちを見回す。一人一人、品定めでもするように、まじまじと見つめる。

 グレイは、マタドレイクと眼が合った刹那、彼がそれまでとは明らかに異なる眼光を以て自分を見たことに気がついた。その更なる強力な眼光を見、彼の発する強大な圧力を感じることとなった。

 マタドレイクは救世主たちを一通り見回し終えると、先ほど煌めく刃のような瞳で見つめたグレイを指しながら、ウィルに何やら耳打ちする。


「グレイ――お前はスタジアムに行き、マタドレイクさんの個別講習を受けるんだ」


 マタドレイクはウィルの言を受けて頷くと、そのまま何も言わずに教室から出ていった。ざわざわ、と。救世主たちがそこかしこで何やら言い始めた。


「どういうことですか!? なんでそいつだけ特別扱いなんですか!?」


 誰かがそれなりの声量で問い質すと、ウィルは『贔屓ではない』と言って彼の懸念を否定する。


「今呼ばれたのは、未だ自分の能力の真の特性を見出だせていないと判断された者だ。俺は予めマタドレイクさんに、諸君の経歴や能力といった情報を開示していた。マタドレイクさんは事前に諸君の戦闘能力を把握していたんだ。そして今日、マタドレイクさんは諸君と直に会うことで、未だ不完全な能力の扱い方をしている者を矯正することを決定したんだ」

「ち、ちょっと待ってください!」


 ウィルの言葉に、グレイは堪らず立ち上がった。不完全、矯正――自分が他の救世主たちに劣っているような言い草が胸に突き刺さった。自分だけが、他とは違う。

 自分だけ、出遅れている……そんなのは嫌だった。


「なんで俺だけなんですか? 俺は誰よりも早く救世主になって、誰よりも先に戦ってたのに! 座学はどうなるんです!?」

「まずは落ち着け、グレイ」


 ウィルは兜の下から優しげな眼差しを向け、宥めるような穏やかな口調で言った。それでも感情の昂りの収まらなかったグレイだが、しかし平静を装う余裕を持つことは辛うじて出来た。

 今も尚ウィルとの間にある、揺るぎない信頼が生んだ心の安定なのかもしれなかった。


「自分の能力を100パーセント引き出せない事例は少なくない。それが、たまたまお前だっただけだ。そこに優劣は一切関係ない。ただ、今のまま理論を学び、実際に技術を習得するのは正しくない。自分の力を最大限に引き出せるようになれば、お前の戦闘能力は格段に増すだろう」


 教師としてとも、友人としてともとれるような叱咤激励の言葉に、グレイは喉まで出かけた反論の台詞を飲み込んだ。これは決して恥ではない。仮に恥だとしても、この局面を乗り越えさえすれば、その先には更なる力が待っているのだ。


「今日の科目日程が全て終了したら、2階のD教室に来るんだ。今回の講義の内容を教えよう」


 グレイはウィルの頼もしい一言を聞くと、ようやく納得してスタジアムへ向かった。教室を出る途中、他の救世主たちの好奇の眼差しが自分に向けられているのを感じてむず痒かった。元の世界でも似たようなことは多々あったが、やはり大勢の視線が自分に集約されることには慣れない。あの刹那が永遠にさえ感じられるような羞恥の瞬間は、甚だ御免ごめん

《こうむ》りたいものだ。

 廊下に出ても、マタドレイク氏の姿はない。グレイは彼が既にスタジアムに到着していてもおかしくないことに気がつくと、慌てて走り出した。他の教室で別の科目を学ぶレインやクロムら、同じ分隊の面々を何人か見かけ、グレイは尚更奮起する。みんな頑張っているんだ。一刻も早く遅れを取り戻し、追いつかなければ――否。追い越さなければ。

 ふと、グレイの足が止まった。今、自分がどうして力を身につけたいのか考え、そしてその答えに至った時、背筋に悪寒を感じたのだ。自分は今、本心からこの世界を守るために力を欲していたのだ。本来、自分は戦いには否定的だったはずだ。挫折や後悔を経験して、守りたいものを守るために戦いに臨む決意は、確かにした。だが、ここまではっきりと『救世主として』向上心を発揮させたのは……それを自覚したのは、初めてだった。

 まだ救世主となる前――レインに感じていた、明確な違和感。彼女自身も気づいていた、いわば真の救世主イーヴァスの洗脳のようなもの。それが今や、自分にも着実に作用してきているような気がした。

 けれども、迷ってはいられない。元の世界に帰る手立ては今以てないのだから、まだ戦うことしか出来ない。戦わなければ、また失ってしまう。それだけは我慢ならない。グレイは心にかかった霧を振り払うように再び駆け出した。

 息を荒げながらスタジアムに足を踏み入れると、マタドレイクが仁王立ちして待っていた。その面持ちは険しい。金剛力士のような表情だ。というかこの人、顔の骨格がえらく隆々としていないか。グレイはそんなことを思いながら、しかしそれは失礼だと律しつつ、頭を下げる。


「すみません、お待たせしてしまって……」


 言い終えない内に、マタドレイクはグレイの方へ歩き出した。その形相からして怒っているようにしか見えないのが、これまた恐い。のし、のし、と。巨木が大地を闊歩しているような重い足音が、一歩一歩、グレイの耳に響いた。地面も僅かながら振動しているかもしれない――いいや、違う。人間の歩行だけで地面が振動するわけがない。

 震えているのは、自分の脚だ。彼が自分に向かって歩いてくる。ただそれだけで、凄まじいプレッシャーを与えられる。鳥肌が立つ。冷や汗をかく。一人の人間と相対するだけで、これほど畏怖の念を覚えるものなのか。

 グレイは知らず知らずの内に身動きがとれなくなっていた。金縛りよろしく――グレイは生まれてこの方、一度も金縛りにあったことはないが――恐怖からくる生理的な震え以外に、身体の動作が全く行えない。なんだ、これは。なんなんだこれは。未曾有の事態に、グレイは棒立ちでパニックに陥る。

 そうこうしている内に (実際は何もしていないが) マタドレイクはグレイの目と鼻の先にまで迫っていた。間近でその凶器の域に達する鋭利な眼光に睨まれ、ちびってしまいそうだ。グレイは嵐の直中にいるような心境で、マタドレイクの動向を窺った。

 すると、マタドレイクは唐突に巨大な剣を出現させ、グレイめがけて振り下ろした。あまりに突拍子のない出来事に、グレイの硬直は瞬時に解かれ、防衛本能の赴くままにヤーグを握り、眼前で空を切る刃を受け止めた。が、マタドレイクの腕力は想像を絶するもので、彼の剣を受けたグレイの片腕が痺れる。渾身の力を込めることで、マタドレイクの刃はやっとこさヤーグと拮抗する。その刀身は瞬く間に深紅に染まった。ヤーグに蓄積された熱が、マタドレイクの一撃の壮絶さを物語る。

 しかし、グレイは彼の剣を受け止めつつ、気づいていた。マタドレイクは本気ではない。赤子と戯れるかのように、あからさまに手を抜いている。あからさまに手を抜かれて、この様だ。というより、マタドレイクは自分がギリギリ受け止められるよう力を『調整』したのだろう。何らかの意図があって、いきなり剣を向けた。


「……これがお前の剣、ヤーグか」


 マタドレイクは剣を消去させると共に言った。地鳴りの如き重低音で。グレイは安堵して腰を抜かしそうなところを何とか堪えて、代わりに一歩後退った。


「そして、これがお前の秘術・【業火】か」


 まるで既知であるかのように、マタドレイクはグレイの剣の特性を言ってのける。ウィルが講義を受ける救世主たちの情報を与えたというのは、どうやら真実のようだ。それを確信したグレイは、燃えるように熱い刀身を間近に汗を額から垂らしながら、マタドレイクに訊ねる。


「なんのために……こんなことを?」

「無論、お前の実力を最大限に引き出させるためだ」


 自宅の中庭で一家を何世代にも渡って見守り続けてきた老木の如き佇まいで、マタドレイクは答える。荘厳にして静寂。なんとも形容しがたい威圧感、プレッシャーの類い。先ほどまで嫌というほど感じられたそれは、今は彼の意図に従い鳴りを潜めている。


「俺に隠された能力っていうのは――」

「隠されたのではない。ただ認知されなかっただけだ。存在を誰にも知覚されなければ、それはいないのと同義だからな」


 続けて問うと、何やら哲学めいたことを説くマタドレイク。そういった思想に以前から興味を抱いていたグレイは、その一言だけで彼に下していた評価を易々と覆すこととなる。不器用なだけで実のところは良い人なのかもしれない、と。

 実際には哲学に精通する人物が必ずしも善人であるという根拠などないのだが。哲学における善人について言及するにはそれなりの知識と教養が要されるので、ここでの善人とは世間一般で言うところの善人ということにしておこう。


「お前の剣には別の特性――秘技・【炎天】が備わっている」

「【炎天】……それは一体、どんな能力なんですか? どうやったら扱えるようになるんですか?」

「抜かすなたわけ」

「はい?」

「それは自分自身で見出だすに決まっているだろう」

「え」

「その剣はお前の魂。魂とはお前自身。お前の魂のことはお前にしか知り得ない。能力自体の系統や種別などは歴史や文化の経過から概ね判明しているが、その剣が宿す能力が何かは、私には知る由もない。秘められた能力があるということを自覚さえしていなければ覚醒させようがないから、それを教えることによってきっかけを与えただけであって、ここから先は自力で解決しなければならない。自分で思考し、推察し、挑戦した果てに使いこなした能力こそ、お前が自らの魂より生み出した才能と言える」


 突拍子もない感じがして、グレイは言葉を失う。ここまで自信に満ち溢れていそうな雰囲気を醸し出しておいて、肝心なところで丸投げされた。例えるなら、衝撃的などんでん返しの結末を大々的にうたうサスペンス映画を観てみると、エンディングまで事の真相が完全に解明されることはなく、幾つか残された疑問点については観客が各々の視点で考察・補完してほしいと公式で言われた時のような、生産者の掌の上でまんまと転がり回されたような気分だった。

 理屈は通っているのだろうが、やはり無責任だ。というより理不尽だ。


「そ、そんな……自力で見つけろって、じゃあどうしてわざわざ外まで出てきたんです?」


 なにも他の救世主たちと別個にしなくとも、口頭で伝えて構わない内容だろう。グレイは意味が分からないままに、分からせられることさえなく、ここまで連れて来られたのだ。


「お前の秘められた能力を引き出すために決まってるだろうが」

「え? でも、それは俺が自分で開花させなきゃいけないって」

「机にかじりついたり、飯を食って寝る前に少し悩むだけで手に入るものではないのだぞ、自身の潜在能力というやつは。好き勝手にやらせて非効率な手法を採り、戦闘に支障が出るようでは本末転倒だ。手っ取り早く能力を覚醒できるよう、今日の授業では私が徹底的にお前を指導してやる」

「――大変恐れ多いことを伺うようですが、具体的にはどのような指導をしていただけるんですかね?」

「その剣はお前の魂。お前の魂には剣術の本質を理解・修得する器がある。剣とは即ち戦いのための武器。なればこそ、その本質も戦いの中で見つけ出す他にあるまい」


 グレイは苦笑し、昼時の晴天の下で冷や汗を拭った。どうやら、マタドレイク氏と自分が一対一で手合わせさせていただけるらしい。


~2~


 レインはとある教室の席に腰かけていた。先日ウィルより配付された教科書を読み、彼女なりに予備知識を身に付けんと、小難しい説明文や単語の羅列を可能な限り記憶していく。また、着目するのは自身が今使える魔法の系統に限定し、能率を高める。ページをめくる度に、先の弓術の講義で酷使した指が鈍く痛んだ。生活や学習に支障はきたさないが、気にはなってしまう程度の鈍痛だ。

 魔法にも由緒ある歴史があり、それを経て現代の人々は魔法の技術と密接な関係になった。様々な種類の魔法が生み出され、魔法によって様々な不可能が可能となった。無から有を創り出し、有に命を吹き込み、そして命に魂を宿す。どれもレインたちが元いた世界の文明が未だ到達し得ていない次元の現象だ。

 レインはそんな魔法の内、複数を最初から扱える。魔弓ニアが誕生した時より秘めていた魔法だ。しかしそれらに一貫性はなく、一つ一つが全く異なる系統の魔法だ。炎を放つ魔法、風を切り裂く魔法、毒の霧を散布する魔法――救世主が受ける授業として、これらを複合した学問は厳密には存在せず、広義的に見て適切な科目を選択したのだった。それがこの教室にて開かれる『系統外魔法』の講義である。

 レインは系統外魔法の教科書を、暇にかまけて読み耽っていた。自分はおろか元の世界の誰も知らない事象が所狭しと記述されている。見開き一ページ、びっしりと。それが辞書のような分厚さを誇る本の、ほぼ全ページに渡って書き下ろされているのだ。普段から特別に勉強をしてきたわけではない彼女だが、この知識欲と好奇心を駆られる一冊に、素晴らしき魅力を感じたのだった。

 書物を読み進めていると、炎の魔法に関する項目に行き着いた。これに該当する『カスタム・ファイア』は最も得意とする魔法であるが故、彼女の集中の度合いも倍加した。

 途中、『鉄に熱を伝導させる魔法』なる記述を目にして、レインはふとグレイのことを思った。彼は今、何をしているのだろう。どんな授業を受けて、何を感じているのだろう。

 グレイの武器――ヤーグは秘剣という、少なからず魔法の側面を有しているものだったはずだが、どうやら彼が魔学の科目をあまり重要視していないらしいことを、レインは本人から直接聞き及んでいた。人の進路にとやかく言うのは筋違いもいいところなのだが、しかしレインは気が気でならなかった。心配というか、不安というか。自分のことではないのに、胸の奥がざわめく感触を覚える。今の今まで、頭の中から抜け落ちていたことなのに、意識し始めてからは止まらない。

 教科書を読むどころでなくなったレインの耳に、その時、教室の戸を開ける音が飛び込んだ。背の高い男性が、救世主たちの目の届く位置へ歩いていく。その顔に、レインは見覚えがあった。

 というか、かなり見知った仲の人物だった。


「じゃあ早速始めよう。系統外魔法の授業だ。僕はこの講義を担当するレッジ・ノウ・スケンティア。呼び方は好きにしてくれて構わない」


 本職は某国の研究機関の一員で――と身の上を語るレッジだったが、レインの頭にはその内容がまるで入ってこない。


「一応、救世主連隊所属の救世主の配属先に勤めているんだ。支援部隊の研究科のね。同僚の仕事先の社員ってところか。立場上は外部の人間だけれど、そこそこの頻度でこの学院に足を運ぶことになるから、何かあったら遠慮なく声をかけてくれ」


 ウィルの時もそうだったが、彼らの口からはこの件に関して何も説明を受けていない。レインはもちろん、グレイもだ。レインは衝撃のあまり理解の追いつかない思考を整理し、懸命にレッジの言葉に耳を傾けた。


「さて、この系統外魔法は些か特殊な学問でね。現在、世界的に権威のある研究機関が公式に定義付けた魔法系統のいずれにも当てはまらない、あるいは多数の系統が複合された魔法を扱う人のために設けられた、つまりイレギュラーな分野なんだよ。ぶっちゃけ分野ですらないと言っても過言じゃない」


 レッジは黒板に巨大な正方形と、その中に幾つもの円を描いた。更にチョークの色を変えて複数の円に重なる円と、正方形の外側に別の円を描いてみせた。


「でも、それはデメリットでも欠点でもない。これが君たちの有するメリットであり美点なんだ。どの系統にも属さない、未知数の可能性を秘めた魔法……戦闘においては、他の誰にも出来ないことをもやってのけられるかもしれない。最近では系統外魔法が世界的に重要視され始めていて、凄腕の系統外魔法使いなんかは破格の価値で軍部に雇用されているんだ」


 現実味を帯びた話題に移り変わると、救世主たちの眼の色が変わった。レインも、自身に秘められし可能性を示唆され、俄然やる気が湧いてくる。

 いよいよレッジが授業を始めると、救世主たちにとって有意義な時間が流れた。系統外魔法とは、要するにいかなる系統の魔法で用いる教育の理論が通用しないということだ。教育の現場で一般的に採用される型や方式が通じない。あるいは一部だけ通じて、他の部分は別の系統の魔法の理論を複合させなければならない。

 しかし、レッジはそもそも、彼らに理論を教えようとはしなかった。どの系統にも属さないか、幾つもの系統と重複する魔法なんだから、論じたところで物量が増すだけだ、と。


「あくまで僕個人の思想だけど、系統外魔法を使う者に最も必要とされるのは独創性――オリジナリティーだ。複数の系統の魔法を使えるなら、その複数の魔法を、さながらオーケストラのように調和させてコンビネーションさせることも出来るし。どの系統にも属さない魔法を使えるなら、誰も想像だにしないような戦法を編み出そう。しかも、魔法は基礎からきっちり学べば新しいものも習得できる。君たちの想像力次第で戦略は生まれ、戦略に必要な魔法は後から学べる。突き詰めていけば、幅広い戦い方や攻略の困難な戦い方が可能になる」


 レッジは一人一人が使う魔法を事前に把握しており、各々の魔法の利点を適格に指摘した。数名のグループを作ると談義させ、救世主同士が互いの可能性を引き出し合う構図を組み立てた。

 レインも他の救世主たちと相談や意見交換を重ね、新たな発想を得ていく。また、武器から系統外魔法を放つ事例が非常に稀であることを言及され、彼女は自分の特異性を実感することとなった。


「次回からはスタジアムを借りて、発想を実現させる授業を行おうと思う。自分が生み出した戦法を実践するんだ。各自、メモをとるなどして今日のインスピレーションを忘れないように」


 役立つ上に楽しい授業として、レッジの系統外魔法の講義は大好評となった。授業が終わった後も話し合いを続ける者も少なくなかった。レインもこのまま一同が解散するのを惜しんだが、荷物をまとめて教室を去ろうとするレッジを見て、慌ててグループを抜け出した。


「待ってよ、レッジさん!」


 レインは自分でも驚くくらいの声音で呼び止めた。廊下を行き交う救世主や教職員の何人かが、何事かと足を止めて振り向いた。


「ここは学校で、僕は先生だよ? その呼び方はどうなんだい?」


 レッジは振り返ると冗談っぽく言って微笑んだ。


「私、何も聞いてません」

「ああ、だって何も言ってないからね」

「どうして!? ウィルさんもレッジさんも、どうして何も言ってくれなかったの!?」

「……場所を変えて話そう」


 レッジは着いてくるよう促して歩き始めた。レインは『もう!』と不機嫌そうにしながらも後に続いた。人気の少ない廊下の隅っこで立ち止まると、レッジは申し訳なさそうな面持ちでレインと相対した。


「僕らと君たちは、すごく特殊な関係にある。『特殊な』というか、『微妙な』かな。僕とウィルも、君たちとは友人として接したかった。この世界のことを教えたりして、世話を焼きたかった――でも君たちは救世主だ。たとえ仮初めだとしても、やっぱりその存在と役割は僕らとは一線を画する。加えて、ケントルムという世界最高の権力を持つ機関から直々に君たちの指導をするよう仰せつかった身だ。ここでは生徒と教師という間柄で、教師は私情を控えなければならない。君たちと友達として付き合えば、それは依怙贔屓えこひいきになってしまう。世界中の人々の希望たる救世主を育成するんだから、全員を平等に、対等に見なければならない」

「仕事とプライベートは別だから、私たちのことは知らないフリするってこと?」

「立場や見方の問題だよ。僕もウィルも、本当は君たちと仲良くしたいさ。君たちが救世主になる前みたいに、普通に喋ったりさ――だけど、それは許されないんだよ。友達としての関係より、生徒と教師として、救世主と軍部の下っ端としての関係が優先されるべきなんだ。僕たちが友達だったことに変わりはない。だから、どうか分かってくれ」

「……もう、友達じゃなくなっちゃったんですか?」

「いや……今でも友達だ。僕らと君たちは、これからも友達だ。ただ、どうしても上辺だけはつくろわなくちゃ。それが君たちに期待と信頼を寄せる大勢の人たちへのケジメってものだ」

「――分かりました。友達だけど、友達じゃないフリをします」


 レインは悲しそうな顔で言った。レッジは『ごめんね』と言い残し、その場を去った。彼も学院の教師と研究職との兼任で忙しくしており、決して自分を置き去りにしたわけではないことは分かっている。しかしレインは、それでもこれまでの自分たちの関係が崩落していってしまう感を否定できなかった。もう、今までのようにはいかない。状況は進行してしまったのだ。

 レインはしばらく立ち尽くすと、今度はウィルと会って話したくなった。彼もレッジと同じ気持ちであろうことは分かっている。だが、このどうしようもない気持ちを払拭したいという願望もあって、レインは走り出した。友達が、傍にいるのに失われていく実感が、嫌にリアルで怖くなったのだ。

 とりあえず、自分たちとウィルが拠点とする2階のD教室へ向かうレイン。戸を開けると、そこにはぽつんと一人で教室の前方に座るグレイの姿があった。カリカリ、と。エクゥスアヴィスの羽根を走らせる音が聞こえる。


「グレイ!」

「おっ、レイン。どうしたんだよ?」


 驚いたような喜んでいるような表情で応じたグレイは、席から立ち上がると尻の痛みを訴えた。


「ウィルに剣術の何たるかをみっちり叩き込まれたからな。小一時間は座りっぱなしだったよ」

「さっきまでいたの?」

「いや、だいぶ前に出ていったきり戻って来ない。用事があるらしいんだ。俺は一人で補習。初めてだよ補習なんて」


 おどけてみせるグレイ。レインは彼にレッジたちの事情を伝えるべきか否か悩み、数秒渋って黙りこくると、やがて言い辛そうに口を開いた。


「……私、レッジさんに聞いたんだ」

「ん? 何を?」

「その……なんで私たちの先生になること黙ってたか、とか。これからのこと、とか――」

「ああ、なんだ。それなら俺も聞いたよ」

「え!? そうなの!?」

「うん。さっきウィルから聞いた」


 なんだあ、と項垂れて、レインは一人だけ苦悩して自分がバカみたいだと思った。いや、となると問題は増えたことになる。レインはグレイに駆け寄って訊ねた。


「どう思った? 二人の事情を聞いて」

「え? どうって?」

「だから、なんか……寂しいとか悲しいとか、あるでしょ色々」

「うーん……特にないかな」

「え? ほんと?」

「だって友達面ができないだけで、友達じゃなくなったわけではないだろ? ウィルたちも苦渋の決断っぽいし、仕方ないと思うな……まあ、先生になるってこと黙ってたのは、ちょっとどうかと思ったけどさ」

「苦渋の決断って……ウィルさんが言ってたの?」

「まんま言ったわけじゃないけど、ニュアンス的にはそんな感じ。もうちょいストレートに言ってたな。いつかレッジが不器用って言ってたのが、今更ながら分かった気がする」

「なんて言ってたのよ、ウィルさんは?」

「『俺たちが友達であることに変わりはない』って、そう言ってたよ」


 聞いて、レインに思わずにやけた。レッジと言っていることがほぼほぼ同じだ――いや、一つだけ、決定的に違うところがある。


「レッジさんは、『友達ことに変わりはない』って言ってたなあ……だったって何よ、だったって。まるで、もう友達じゃないみたいじゃない」

「考えすぎだよ。俺たちは友達だよ、ちゃんと。ウィルやレッジだって、そう思ってる」

「なんで言い切れるの?」

「レイン……二人のことが信じられないのか?」

「そうじゃない! 私だって信じたい……でも、やっぱり友達なら友達として話したいよ」

「信じたいって思ってるなら、もう友達だろ」

「え?」


 唐突に『それっぽい』台詞を口にしたグレイに、レインは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。


「友達だって信じたいなら、もう友達じゃんか。そもそも、友達に定義なんてないんだしさ。それこそ魔法の系統とかみたいに。勝手に友達だって思いたいなら、もう友達なんだよ、きっと」

「……哲学だね」

「哲学じゃなくても、互いに信じ合ってれば、ちゃんと友達なんだからさ。今はそれで我慢するしかないってことなんだよ。ままならないんだからさ、現実は」


 本心を押し隠して、妥協点で漂う他にない。グレイは分かったような口ぶりでレインに説く。レインは、不思議とその言に説得力を感じていた――否。説得力があると思いたかった。その言葉の説得力を、信じたかったのだ。

 今までも、これからも友達であると、信じていたかったのだ。


「本心が一致してるなら、離れていても、他人のフリしてても、ずっと友達だ」

「……なんか、すごいね」


 レインは何気なく、ポロっと零れたような感想を口にした。


「そういう風に、目に見えないものに確信を持てるの、凄いと思うよ」

「俺とクロムも似たようなもんだったからな……」


 いや全然似てないか、と笑ってみせるグレイ。レインはその言葉の実が気になって訊ねた。


「それ、どういう意味?」

「ああ……いや、また今度でいいや」

「え、なんでよ? 教えてよ」

「いや、いい。小っ恥ずかしい」


 もう寮に戻るよ、とグレイは教室から出ていこうと荷物をまとめ出した。勿体ぶられたような気分になって腑に落ちないレインだったが、授業初日というだけあって疲労困憊で、意地になって問い質す気力もなかった。

 レインは、大きな欠伸を掻いてふらふらと歩き出すグレイの後を追った。二人は夕焼けに照らされた学舎を背に、疲れきった身体を寝床へと引きずっていった。


~3~


 照りつける太陽の真下――スコラ学院のスタジアムにて、鋭い銃声が轟いた。銃術の講義を受けている救世主たちが、今まさに弾丸を放った射手を凝視する。


「なに……?」


 銃術の講師を受け持つ、青少年と見紛うような外見の女性が呟く。これまで幾人もの使い手の射撃を、幾度となく拝見し採点してきた彼女の瞳には、その射手が百年に一人の逸材に見えた。

 百年に一人、と言えば些か程度が低いように思われるが、彼女が驚愕しているのは銃の腕前もそうだが、特筆すべき点はそこではなかった。銃手の界隈の最前線をひた走る猛者たちに比べれば、その才はむしろ平凡な部類に入る。

 しかし。彼女が半ば放心しながら呟いた言葉の真意は、その射手がこれまでの人生において一度も――実物の――銃を扱ったことがないという事実にあった。

 今しがた発揮された銃の腕こそ、才能としては凡人より数歩優れている程度のものだが、素人と呼べる段階でここまでの実力を有しているならば、あるいは将来は有望なのかもしれないと思われた。


「――おい。たしかクロムと言ったな」


 銃口より仄かに立ち上る硝煙

しょうえん

を眺めていた少年は、講師に呼ばれて振り返った。彼は今や、銃術を学ぶ救世主たちの注目の的だった。


「お前の銃の腕は相当なものだ。今後も更に鍛練を重ねていくことで、その才覚は遺憾なく増長され、戦場での戦果に繋がるはずだ。修行を怠るなよ」

「はあ……」


 言われなくとも分かっている、とでも思っているのか、クロムは気のない調子で応じた。彼の視線の先には、ちょうど救世主たちや各国の正規軍に支給されるキュアドリンクが入ったものと同じ大きさの小瓶が、さながらボウリングのピンのように10個、スタジアムの中央に配置されていた。


「いつの間に……」


 クロムが言いながら隣を見やると、自分を褒め称えた女性講師がニンマリと笑っていた。あの小瓶が彼女の仕業であるとクロムはすぐに分かった。先ほどまで、あの小瓶が置かれている場所には、自分が『一発で』撃ち抜き、割れた小瓶が10個、無秩序に散らばっていたはずなのだ。それが、要らぬ世話を焼く講師の無駄口にかまけている僅か数秒で消失し、新たに新品同様の小瓶が現れたのだった。


「私は空間魔法の心得もあってね――なんなら、銃の扱いと一緒に伝授してやろうか?」

「結構」

「む、そうか。まあ無理強いはしないが、学んでおいて損はない、とだけ言っておこうか。何せ、銃は全距離対応の優秀な武器である反面、弾数と弾丸の軌道の直線性という弱点も否めないからな。それを補う技術としては推奨されて然るべきだと、私は思っている」

「……なら検討しておきますよ、一応」


 講師との会話を一刻も早く終わらせたい気持ちもあって、クロムは根負けした体で適当に妥協した。今は誰かと話す時間があるなら銃を撃っていたい気分だった。どちらかというと射撃はこの場合はあくまで手段であって、クロムの願望が銃撃そのものであるわけではなく。ひたすらに戦闘の技術を磨き、クラウズを掃討する実力を高めたい一心だったのだ。

 その後もクロムは銃術の授業に打ち込んだ。鬱陶しい同僚の視線や、煩わしい女性講師のうんちくなどに耐えながら。他の救世主たちは畏敬の眼差しを送っては、やれ依怙贔屓だ、やれ傲岸無礼ごうがんぶれいだ、などと妬み嫉みの入り混じった陰口をこれでもかと囁いた。女性講師も『お前は銃の特性も面妖』だの『私が担当した中で最も伸び代に期待できる人材』だの、知った風な口をきいてくるものだから、クロムはいい加減うんざりしていた。

 いよいよ場の全員に鉛弾を撃ち込んでやろうかと業を煮やしていた時。どちらにとっての幸運かは知れないが、終業の鐘が学院に鳴り響いた。クロムは終始一貫していた能面のような表情を絶やすことなく、そのまま夕闇に染まりつつあるスタジアムを後にした。

 クロムは独り、2階のD教室へ続く階段を踏みしめたところで、ようやく大きな溜め息を零した。これが元の世界でも行われた、クロムの習慣である。他人には必要以上に干渉せず、干渉されないよう心がけ、しかしいざ余計な事柄が起きたならば、その場を無言でやり過ごした末に、不満や憤りの全てを一つの吐息に乗せて発散する。グレイを除けば誰も知り得ない、奇っ怪な習慣。習慣というよりはさがだろうか。ともかく、それはこれまで繰り返されてきた。ずっと。長い間。

 元々、人付き合いの得意な人物ではなく、むしろ人付き合いを好んで避ける傾向の強かったクロムだが。この世界に来るまでは、グレイだけが例外であった。自分の心の表裏を打ち明けられるのは、彼しかいないと思う時期さえあったほど。クロムとグレイの友情は強固で確たるものだった。

 そんな具合で揺るぎない信頼を寄せるグレイの近況を気にかけながら、クロムは独り階段を上り続ける。グレイは大丈夫だろうか。知らない連中ばかりが蠢くこの箱庭で、心身の安定を保てているのだろうか。

 また、グレイと面識がある様子の少女――レイン。彼女のことも、クロムは何故か気になっていた。他人には好んで干渉しようとしないクロム。それはグレイの友人であっても例外ではないはずだったのだが。どうしてか、レインのことは出会ったその日から、下手をすればグレイ以上に気にかけている存在だった。初めてレインと会話をした瞬間が、片時も頭から離れない。あの時の心臓の鼓動が、忘れられない。

 以降は彼女の幼馴染みたるグレイに、時折意味もなく冷たい態度をとってしまった覚えもある。幼馴染みの存在を自分に明かさなかったことで気に障ったフリをしたり、レインの服装のこだわりに気がついていなかったことを嫌味ったらしく指摘したり、いずれも普段の自分にはありえない、些細な事柄への言及だった。自分は本来、何事にも無関心なスタンスを貫いているはずなのに。

 追想するクロムは、突然なにかにぶつかった衝撃で我に返る。そこには今まであったはずの階段はなく、学舎の壁が立ち塞がっていた。いつの間にか2階を過ぎ、救世主たちが使用することの少ない4階まで来てしまったようだ。学舎はこの4階が最上階だ。いつの間にか階段の終点に辿り着いてしまっていたのだ。ここまで他者のことを思い耽るとは、とうとう焼きが回ったのか。年甲斐もなく、と言えるだけの年月を生きていないクロムは、自嘲気味に笑った。

 先ほどからの自分を馬鹿馬鹿しく思い、階段を降りて当初の目的地であった2階D教室へ向かおうとした時。ふと、クロムは何者かの気配を感じた。この、救世主が使うことのない廊下の突き当たりに。本来なら誰の気配がしようが気にも留めない性分であるはずのクロムだが、今回については別だった。その気配が、意図的に隠されているように感じたのだ。誰にも悟られぬように、極限まで薄められた気配……救世主や学院の関係者なら、そんなことをする必要はないはずだ。

 彼個人としてではなく、一人の救世主として気になり、クロムは階段に背を向け廊下を進んだ。いくらクラウズの脅威を前にケントルムが結託していても、この世界の歴史的背景を鑑みれば、この救世主部隊に対して敵意を抱く国家や組織があってもおかしくはないのだ。

 クロムは細心の注意を払いながら、足音を立てることなく突き当たりの壁にへばりついた。何やら、ひそひそと女性の話し声がする。内容までは聞き取れないが、その声音からして不穏な印象を受ける。クロムは片手に双銃の片割れを出現させ握りしめると、それを背中に隠すようにして突き当たりに飛び出た。


「何してる?」


 そこには美しい容姿の女性がいた。この学院の関係者かどうかは分からない。過去に出会いすれ違っていたとしても、クロムは人の顔と名前を記憶しない人間だ。当然、思い当たることは何もない。


「あら? クロムくんだよね♪ どうしたの?」


 媚びるような語調で女性は言った。先ほどまでとは明らかに声色を変えていることと、それから初対面であるはずの彼女に名前を知られていることもあって、クロムは一層の警戒心を抱く。


「あんた誰だ?」

「私? あ、そっか。初めましてなのか、君とは。ごめんね♪ みんなの顔と名前を覚えてるから、つい知ってる風な口振りになっちゃうの」


 女性は自身の頭を小突くような素振りをしながら笑った。そのあからさまな様子を見て、クロムは嫌悪感を露にする。


「私はエモ。この学院の非常勤講師ってところね。具体的には歴史学を教えているわ。常勤の先生の都合がつかなかった時、臨時に教壇に立つことになっているんだけれど、今のところ皆勤できてるらしいから、会う機会がなかったのよね♪」


 クロムの脳裏に、一人の老講師の顔が浮かんだ。あの独特の眠気を誘う授業の雰囲気と、退屈極まりないうんちくの数々を延々と聞かされたら、いくらクロムといえど彼の顔は記憶に刻み込まれた。


「あなた、グレイくんとレインちゃんと同じ分隊よね? 二人は元気?」

「……なんで二人のことを?」


 クロムは銃を握る手を強めた。彼の眼にはエモは胡散臭く見えた。


「あなたたちの隊長のウィルを通じて面識があるの♪ ウィルとは軍官学校からの付き合いでね……あ、彼は大丈夫? ウィルは不器用だから、あなたたちに粗相をしでかしてないか心配なのよね」

「……別に」

「そう、なら良かった! で、グレイくんとレインちゃんの近況を聞かせてもらいたいんだけど――その前に、まずは銃をしまってくれるかな? このままだと話し辛いから♪」


 クロムは眼を見開き、咄嗟に引き金に指をかけた。


「そんなに信じられないなら、今からケントルムに身柄を引き渡してもらっても構わないわ。私のことは教員名簿に記載されているから、ものの五分も経たずに解放されると思うけれど」

「……ここの教員なら、なんでこんなところでこそこそしてたんだ?」

「実家の母に電話してたのよ。教員が生徒の目と鼻の先で私情にかまけているところは見せたらいけないし、それに……私の地元は訛りが凄くてね。恥ずかしかったの♪ 知ってるでしょ? この世界には世界共通の公用語があるけど、地方は地方で独立した言語があること」


 クロムはしばらく沈黙を貫いたが、やがて大きく舌打ちすると、銃を消すのと同時にその場から立ち去った。彼女から感じる違和感は確かだったが、どうやらくだらない茶番に付き合わされただけなのかもしれない。

 クロムは悪態をつきながら階段を降りていった。エモのことが嫌いで嫌いで仕方なかった。他人には好意も敵意も見せない彼だったが、彼女に関しては、異常なまでに腹立たしく思った。数分にも満たない短い時間の会話であったのに、なぜこうも苛立つのか、クロム自身も分からなかった。


「なんなんだ、あの女!」


 声を押し殺して叫ぶと、クロムは辿り着いた2階の壁を思いきり蹴りつけた。


「おい、どうしたんだよクロム?」

「大丈夫ですか?」


 聞き慣れた声に振り返ると、グレイとレインが並び立っていた。ようやく見知った顔の二人に会えて、クロムは先ほどまでの憤りの一切を振り払うことができた。グレイと会えたことは嬉しいが、それよりもクロムはレインの声が聞けたことで心の安らぎを多く得た。


「何してるんだ? 二人で」

「俺がウィル――いや、隊長の補習を受け終わって復習してたところにレインが来てさ、これから寮に戻るところなんだ。で、お前こそ何してたんだよ」

「いや……どいつもこいつも面倒な奴ばかりだっからさ」

「変わらないな、お前は。そういう容赦なく他人を避ける性格、やっぱ直せないものなのか? 見てるこっちが気が気でないんだよ」

「――ところでお前、エモって女と知り合いか?」

「あ、ああ。知り合いっちゃ知り合いだよ。彼女に」

「エモさんに会ったの!?」


 クロムの問いに答えるグレイを遮るように、レインはずいと歩み寄った。凄まじい食いつきだ。クロムはレインの反応を間近で見て、少なくとも彼女とエモとが浅からぬ知人であることを理解した。エモの言葉が真実であると判明し、クロムは些か彼女への憎悪を取り戻す。彼女が嘘をついている存在――言い換えれば、彼女は嘘をついていなければならない存在であるという固定観念が、既にクロムの心中に形成されていた。故にエモが虚言は吐いていないということが、自分が裏切られたような感覚として捉えられ、同時にレインが彼女の登場に喜んでいるということも、クロムの憎悪を膨らませる一端となった。


「ああ……あいつは何者なんだ?」

「何者ってなんだよ。彼女は軍の隠密部隊の所属らしいんだ」

「隠密部隊?」

「ち、ちょっとグレイ……」


 クロムが聞き返すと、レインは『それは秘密だって言ってたじゃない』と、グレイに耳打ちした。対するグレイは、平気平気、と宥めるようにして微笑む。


「クロムは信頼できるからさ」


 そのグレイが発した、彼にとっては何気ないかもしれない台詞が、クロムの心に先ほどの比ではない安堵をもたらす。互いの絆を実感しつつ、しかしクロムはあくまで無表情で続けた。


「隠密部隊っていうのは、具体的に何をするんだ?」

「他国の陰謀を調査したりしているらしい。要はスパイだよ。クラウズや俺たち救世主が登場したことで、世界のバランスが色々と乱れたみたいなんだ。今はケントルムとか各地から集まった救世主とかで一定の均衡はとれてる状態らしいけど、それでも暗躍や不審な動きは増えてるって。いつの時代も――俺たちの元の世界でも――そういう闇はあるんだよ」


 グレイの話を聞き終え、今まで疑念に過ぎなかったクロムの心の取っ掛かりは、確信に変わった。

 エモ――彼女には何か秘密が隠されているに違いない。


~4~


 グレイとクロムと別れ、レインは女性寮の自室の戸を開けた。


「ただいま」

「おかえりー!」


 自身の帰宅を告げると、まずはチルドが彼女の胸に飛び込んでくる。その無邪気な様子は見ていて心が晴れるようだった。その幼い少女はレインのみならず、同室の女性たちの心を浄化する作用を含んでいた。

 総じて小動物のペットのような可愛らしさを連想する明るい女の子だ。


「遅かったじゃない」

「ごめんごめん、ちょっとそこでグレイに会ってね。話とかしてたら長くなっちゃって」

「あらあら、いいわねえ。彼氏さんとイチャイチャ?」

「ちょ、やめてよ。そんなんじゃないんだから」

「はいはい、分かりましたよー」


 次いでブルートがレインに話しかけた。その挑発するような口調は、もはや日常茶飯事というか、彼女は口を開けば挑発しているようなものだった。


「でも、ありがとう。心配してくれたんだよね」

「は、はあ!? べ、別に……そんなんじゃないんだから!」


 ただ、それは優しさの裏返しというか、引っくり返された優しさのようなもので、ブルートはそれを指摘されると決まって顔を赤らめ、口調が弱くなってしまう。分かりやすい性格だ。レインにとってブルートは、元の世界に存在した『ツンデレ』という性質の人物として認識されていた。ツンデレ自体が分かりやすい性格なのだから、この位置付けは必然と言えるのかもしれなかった。

 何にせよ、憎まれ口を叩くような彼女だが、しかしその実は不器用なだけの、心優しい少女だった。


「……むぅ、おかえり~」


 眠たそうな声音で言うのはグロウだ。少なくともレインは、寝ているか食べている彼女の姿しか見たことがない。風呂に入る姿も、チルドに引き摺られて嫌々ながらだったのを、一度だけ見たきりである。その割りに体臭は無に等しく、その生活習慣に眼を瞑れば良い人間なので、彼女を悪く思うルームメイトはいないのだが。

 ただレインとしては風呂に入らない日があるのだけはどうにかならないものかと、心から悩んでいる次第だった。同時にこの悩みが恐らく自分だけのものではなく、この部屋で生活する者たち全体の問題であり、いつかは寮室会議を以てこの事態の打開策を練らなくてはならないと、日頃から思案を重ねていた。どうやら最近は就寝時間の間際に、チルドが強行手段で定期的に風呂に入れているらしいのだが、それも現状、二日か三日おきといったところだ。

 チルドが小動物、ブルートがツンデレなら、グロウは猫といったところである――猫も小動物だが。


「むにゅ~……ごろごろ~」

「わー! あははははー!」


 グロウは起きて早々に床に伏せ、気だるそうに唸ると近くにいたチルドを抱き枕よろしく自分の布団に引き入れた。グロウはチルドを抱えて眠る毎日を過ごしている。チルドはグロウに抱えられ、彼女が寝静まるのを待ってからようやく眠る毎日を過ごしている。チルド本人が楽しそうにしているので黙認しているが、その他人を巻き込む寝相 (?) もまた、入浴の問題と一緒に解決しなくてはならない課題であるとレインは思っていた。この部屋のことで頭を悩ませることになるのは、大抵がグロウに関することだった。

 とても三十代前半の女性とは思えない。


「…………」


 スノウは相も変わらず沈黙を守っている――己を守るように、部屋の隅で膝を抱えて、俯いているだけだ。何も言わず、ただレインが帰ってきたことを知覚し、彼女と目が合うと途端に顔を伏せた。この癖は自室で生活を共にする全員に対しても同じで、絶えず何かに怯えるような姿勢を崩さない (歳下であるチルドにさえもだ) 。過去に何度もコンタクトを図ったのはレインだけではないのだが、誰に何を話しかけられても、スノウは決まって足下に視線を下ろし、黙するだけだった。

 どうやら分隊のメンバーの証言と、実際にレイン自身が見た光景からして、彼女はグレイにだけ自分の言葉を伝えられるらしいが。いくらバイト先の常連とは言っても、ここまで密接な仲になれるものなのだろうか。というかグレイはどうやってスノウの心を開くに至ったのか心底気になった。

 グレイにだけ、という点は、レインにとっては嬉しくないことだった。グレイに何かしら耳打ちするスノウの姿を見ては、レインは心に静かな炎を燃やした。

 青い炎を。


「今日はどうだった?」


 しかしスノウは同じ救世主……仲間である。レインはグレイと親しげというか、グレイにだけ見せる年頃の女の子らしさを持ったスノウを気にかけながらも、彼女とは他の同室の面々と等しく接した。

 何か心のわだかまりのようなものがあるのは否めないが、決して嫌いになどならない。救世主としてではなく、一人の人間として、スノウの心を開き友達になりたかった。もしかすると心の炎は、彼女との仲を深めようという確固たる意思――あいや意地としての意味合いが濃いものなもかもしれなかった。

 何よりレインとしては、誰とも関わりを持つまいとする消極的な彼女の生き方が危うく見え、気が気でないという感じだった。ある意味では、グロウのことを何とかしたいということと、心理的には非常に近い思いの種だ。


「チルドはねー、広場の噴水を凍らせたら先生に褒められた! すごいねーって!」


 グロウの腕から顔を覗かせる少女。レインは『良かったね』と微笑みながら、そろそろグロウが彼女を解放しないものかと思った。

 するとチルドの声で覚醒したのか、グロウが唸りながら上体を起こした。


「うちはスタジアムをね~……あれ、なんだっけ~? あの、ほら~……真っ二つ、みたいな~」

「――一刀両断?」

「そう、それ~……むにゃむにゃ」


 言葉を続けようとするグロウだが、力尽きたように枕に頭を落とした。チルドの顔が、重力に従う彼女の腕に押し潰される。場が凍りついた刹那。直後、チルドはじたばたしながら、わーきゃーと楽しそうに騒いでみせた。


「ブルートはどうなの?」

「あたし? あたしはアレよ……絶調好よ!」

「絶好調じゃなくて?」


 急に話題を振られて焦っている様子のブルートだった。


「褒められたの? 何して褒められたの?」

「そ、それは……アレよ、色々よ」


 興味津々といった雰囲気で訊ねるチルドに、たじろぐブルート。どうやらあまり答えたくない質問のようで、返答のしかたも曖昧だ。茶を濁そうという魂胆が見え見えだった。


「あたしは秀才だから、色んなことを褒められるの! 言っても言ってもキリがないくらいにね! 俗に言う『枚挙にまといがない』ってやつよ!」

「わー、すごーい! どれくらい秀才? どれくらいキリがないの?」

「え……あの……えっと……」


 正しくは『枚挙に暇がない』であると言及しようとしたレインだが、重ねて訊ねるチルドに追い詰められかけているブルートを見ると遠慮させられた。この調子では、あの虚勢は長くは保つまい。せめて暖かく見守ってやるのが彼女のためというものだ。情けは人の為ならず、とはよく言うではないか。

 あれ、たしかこのことわざ、正しくは異なる意味だった気がするなあ。レインはふと思い出した。この諺、本来は自分への見返りを目当てに情けをかける、という意味だったような。情けは相手のためにならない、ではなく、情けは自分のためにするものだ、というような。

 なんだか思い出したところで後味の悪いうんちくだなあ。


「……と、鳥のなり方が上手いとか……カンガルーの子供の再現性が凄い、とか……」

「鳥!? カンガルー!? すごいすごーい!他には他には?」

「…………」


 ついに黙りこくってしまったブルート。この間スノウに対して、黙っているなら台詞は発生せず、また台詞がないならいないも同然、といった旨の叱咤をしていた気がする。離れていてよくは聞こえなかったが。

 今その言葉をそっくりそのまま、スノウの眼前で彼女に返したとしたら、きっと嫌われてしまうだろうなあと、レインは思った。


「スノウちゃんは? 今日の授業、なにかあった?」


 いい加減ブルートが可哀想に思えて、話題を隅で縮こまる少女に振るレイン。


「…………」


 しかし答えは沈黙である。無口もここまで徹底されると、相互のコミュニケーションに支障をきたしてしまう。


「ちょっとあんた! あたしも言ったんだから言いなさいよ!」


 ブルートが八つ当たり気味に怒鳴った。スノウは携帯電話よろしく一瞬ブルッと震えると、途端に誰かを探すような素振りをした。

 誰かに助けを求めるように。


「グレイはいないよ」


 レインは彼女の心中を――というよりは思惑を察したように言う。スノウも図星を突かれたのか、再び膝を抱えて俯いた。


「今は私たちだけなの。私たち、あなたとお話したい。でも、私たちはあなたの何も分からない。私たちが怖くて話さないのか、恥ずかしいから話せないのか、分かってあげられない。あなたの口からあなたのことを聞きたい。嫌われてないなら、せめて笑ったり頷いたりしてほしいの」

「チルドも、みんなと仲良しがいい! お姉ちゃんともおしゃべりしたい!」


 レインは思いの丈をぶつけた。チルドが同調したこともあってか、スノウは頑なにつぐんでいた口を、少しだけ緩めた。だが、まだ声は出ない。言葉が喉の奥に詰まっているような、くぐもった吐息を吐くだけだ。


「レイン! こういうのは甘やかしたらダメなの。鍵のかかったドアはこじ開けなきゃダメ」

「ちょっと、ブルート! それじゃあ無理強いすることになるでしょ!? 私たちは仲間なの。互いに親身になって助け合わないと」

「だって……いくら説得したって、本人が話す気にならないと、どうにもならないじゃない! スノウにその意思がないなら、語りかけたって無駄よ」

「ブルート、それってどういう――」


 二人の主張が口論に発展しかけた、その時。むしろ口論に発展した、まさにその時だった。騒然とした一室の雰囲気を払拭するほどの声音が聞こえた。しかしそれは静かでか細い、囁くような声音だった。


「ご……ごめん……」


 誰もが静まる、可愛らしい声だった。スノウが震える両手を抑えて、懸命に絞り出した言葉だった。


「ごめん……なさい……」


 レインは微笑んでスノウの方を見、ブルートはバツが悪そうに空いているベッドの縁に腰かけた。


「かわいい声!」


 チルドが寝息をたてるグロウの間近で言うと、スノウは顔を赤くしてまた俯いた。このままでは首の骨が歪んでしまうのではないかと、レインは危惧した。グロウが『むにゃん~』と寝返りを打つと、チルドの姿は彼女の身体に覆い隠された。チルドの小さな悲鳴と歓声の入り混じった叫びが場を和ませる。


「謝ることないよ。ブルートも悪気があったわけじゃないんだよね?」

「えっ……な、なによ! 知った風な口きいて! ふん! あたしはこんな奴、知らないんだから!」

「ブルートもね、ずっとスノウちゃんと友達になりたがってたんだよ」

「あっ、それを言うなアホ!」

「アホはないでしょ、アホは」


 仲睦まじそうに言い合う二人 (チルドはグロウの身体の下で『うわー、むにゅむにゅー!』と叫んだ)をみ見て、スノウはもじもじと指先を弄くり出す。ブルートはその様子に気づくと、彼女に向き直った。


「あんたが悪いんだから……あたしだって、好き好んで話しかけたわけじゃないのに……」

「もしかしてブルート、スノウちゃんと友達になりたかったから、自己紹介の時わざと馴れ馴れしくしてたの? 裏目に出たみたいだけど」

「んなっ! そ……そんなわけないじゃない! 間抜けか!」

「さすがに間抜けではないわよ――さっきから口悪くない?」


 ついにはブルートまで顔を赤らめてしまった。顔を伏せてしまった。なんたることだ。もはや顔が見える状態なのは自分だけになってしまった。いよいよα分隊女性陣の団結の是非が問われかねない構図となってしまった感が否めない気がするレイン。


「わ、私……」


 そこに、スノウの可愛らしい声が響く。ブルートはハッとした顔を慌てて上げ、レインは未だ部屋の端っこに居座る彼女に、半歩ほど近寄った。

 スノウは恐る恐る、地雷原を越えるような慎重さで言った。


「私……友達に、なれますか?」


 レインは微笑んで答えた。


「もちろん」


 途端、ぱあっと雲間から出る陽の光のような笑顔をスノウは浮かべた。レインとブルートは、初めてスノウの素顔を――目元まで覆い隠すように伸ばされた前髪の向こうの、彼女の端麗な容姿を窺い知った。ブルートはレインと目配せすると、意を決したようにベッドの縁から立ち上がった。


「あたしとも友達になりなさいよ。元々、あたしが最初に友達になろうとしてたんだから」


 あくまで気丈に振る舞う彼女に、怯えるような視線を向けるスノウ。しかしブルートの誤魔化せていない優しさを、その照れ笑いから見出だしたスノウは、にこっと微笑み頷いた。


「じゃあチルドも友達?」


 少女はグロウの腕を持ち上げながら言う。スノウが戸惑いながら頷いたのを見ると、チルドは万歳をして『やったー!』と叫んだ。


「チルドも友達が増えたー!」


 直後、その純真無垢な笑顔は再びグロウの寝返りによって隠されることとなった――完全に。


「あんたそろそろいい加減にしなさいよ! 子供相手に!」


 ブルートは堪忍ならなくなったのか、グロウの身体をベッドから引き剥がしにかかった。『うぅ~』と唸る彼女に、一切の容赦も見せない。やがてブルートとグロウの闘争はチルドの争奪戦へ発展し、彼女は両者から引っ張られることとなった。しかしチルドは至って幸せそうで、腕を両側からブルートとグロウに綱引きよろしく引っ張られながら、快活に笑ってみせた。

 レインは仲裁に入ろうと身構えた。すると、ふとスノウの方へ視線が向く。彼女は三人のやり取りを見て、控えめに笑っていた。その姿はとても可愛らしかった。


「あなたは笑ってた方が可愛いよ」


 言ってみると、やはりスノウは恥ずかしがっている様子で、くるっと壁の方を向いてしまった。部屋の角ということもあって、その光景はなかなかにどんよりするものだった。


「よろしくね」


 レインは悪戯心いたずらごころと好奇心から無責任にそうしてしまった罪悪感に苛まれながら、スノウに歩み寄って手を差し伸べた。スノウは首だけで振り返ると、数秒レインの掌を見つめた後、今日一番の可愛らしい笑みを浮かべて、その手を握った。

 何から何まで怖がる女の子、スノウ――その真実は、どうやら普通の女の子と変わりないらしい。

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