快勝 ~完全無欠の救世主~
~1~
翌朝。昨晩よりスコラ学院での生活を開始した救世主一同は、起床すると寝ぼけ眼を擦りつつ、未だ思考を溶かし続ける睡魔と奮闘しながらも、支度を済ませ寮より学舎へと向かっていくのだった。それは無論、勉学に励むためである。子供は勿論、とうに成人になった者まで、一緒くたに各々の教室へ雪崩れ込む。
まあ、彼らの元の世界においては、それは別段、変わった光景というわけでもないのだが。三十路を過ぎて大学に入学し直す大人がいれば、子供が受けるような試験に老齢者が臨むといったことも十分ありえる世界なのだから。その目的が、ほんの少し特殊というだけで。
基本的に勉学というものは、たとえ何時なんどき勤しもうとも、それこそ老若男女に関わらず構わないのだから。半ばやるかやらないか、という問題では今やなく、遅いか早いかと言ってしまった方がいいかもしれない。
遅かれ早かれ、それが必要となることに気づく日は、悲しいかな、もはや確実に訪れるであろう世の中になっていたのだ。元の世界は。彼らの故郷は。
しかし、その価値観や常識、言うなれば概念とは逸脱した世界における彼らの学ぶべき知識とは、即ち戦いに必要な要素である。救世主――の代わり、代替――として、彼らは新たな素養を、この学び舎で培うこととなったのだった。
「どうした! みんな顔から生気が抜け落ちてるぞ! いいやむしろ抜け出ているぞ! その身心から、今まさに続々と着々と放出されているのが、もう目に見えているようだぞ! どうしたどうした! 男たるもの! 生き生きと生きねば意味がない! だくだくと流れ出る生気を! 活力を! 今こそ再び我が身に取り入れ、素晴らしき今日という日の朝を謳歌しようじゃあないか!」
「分かりましたから少し黙っていてください」
朝からやけにテンションの高いヘイルに、スリートは嫌々ながら諾々とした。αD2分隊男子寮室の面々の中では、ヘイルの次に寝起きの良い印象であると、少なくとも他の顔ぶれと比較すれば言えるだろうが、そんな彼だからこそ、ヘイルの異様なまでに活気溢れる叱咤には、決して無視できない鬱陶しさを感じたのだった。
「お前、今朝も灰色の服だな。そればっかか。同じ種類の着衣をいくつも持ってる類いの人間か」
「ああ、まあな。灰色好きだし。それに同じ種類の着衣をいくつも持ってる類いの、言ってみれば俺みたいな人間の中には、世間から天才と呼ばれる人たちが割りと多いからな。あと名前が名前だからキャラ付けしとかなきゃっていうのも、少なからず狙いとしてあるっちゃある――ていうか、クロムも昨日と似たような服じゃねえか。白と黒のハイブリッドじゃねえか」
「モノトーンって言えよ。なんだハイブリッドって」
「なんだよ、おい。一体お前は何を狙ってるんだよ? コントラストが激しくて眼がテカテカするわ」
「眼球をお肌みたいに言うなよ。それを言うならチカチカだろ……狙いも何も、まあ大体お前と同じだよ。白黒が好きだし、名前も名前だしな」
「え? お前、名前に白黒のイメージあったっけ?」
「俺の名前が【
「なんだそれ。分かり辛。分かり辛い上にしかも見え見えって、なんか悪意的っていうか、もはや悪趣味の領域だよな。俺を見習え俺を。【
「野球だったら歴史に名を残せるくらい、どストレートだよな」
「俺の自分を飾らない精神性ってやつが、要はここで体現されているわけよ」
「なんだその名前を使った自分免許」
「
「その人が生来持ってる天才性が服をワンパターン何十着も持っておく感性にリンクするわけで、別に同じ服を何十着も持ってる人が天才と呼ばれるわけじゃないぞ」
「だからって俺のことを端から端まで真似はするなよ。まず手始めに、その白黒のコスチュームからやめてもらおうか」
「いや、お前の灰色は白と黒の混色であって、俺は明確に白と黒とが両立して共存してるだけだから――どっちかっつーと、こっちの方がオシャレだろ」
グレイとクロムはというと、この世界に召喚される以前より浅からぬ親交があったこともあって、これまで数多交わしてきた会話を経て得た、互いのコミュニケーションの波長のようなものを読み取って、汲み取って、なんとか談笑と洒落込み睡魔を誤魔化していた。
ネルシスは分隊の最後尾で、ぶつくさ独り言を呟きながら、とぼとぼ彼らの後を着いていく形で学舎を目指している。昨日の夕方から晩にかけての減らず口が嘘であったかのような落丁っぷりったらなかった。おそらくは彼が分隊の中で最も寝覚めの悪い男と言って間違いはないだろう。
階段を昇るという苦行を耐えた後、彼らが辿り着いた2階D教室では、既に同じ分隊の所属であるところの女性五名が、早くも集結していた。
「おはよう」
「おはよう」
まずレインが発した挨拶の言葉に、グレイは応えた。そんな彼に被さるようにしてクロム、その後に全員が各々の口調で挨拶を交わす (スノウは声量が小さく、何を言っているのか聞き取れた者はグレイを除いていないが) 。
「レインはレインで派手な衣装だなあ」
「そ、そうかなあ? えへへ……」
頬を紅く染め、照れたように笑うレイン。女性というものは着ている服を褒められただけでここまで嬉しいものなのか、とグレイは彼女の色鮮やかな上下のフリルのついた着衣を眺めつつ思った。
「私、一応は着てる服に『虹』っていうテーマを持たせてるんだけどね」
「テーマとな。俺やクロムみたいなものか? キャラ付けの一環か?」
「キ、キャラ!? ……う、うん。まあ、そんな感じ」
「虹が好きなのか?」
「うん。それもあるし、私ってこの世界での名前が【
考えることは皆、どうやら同じらしかった。
「ああ、だろうと思った。いいセンスしてるって、最初から実は思ってたんだよ」
「え!? マジで!?」
本のページとページの間に挟まれる栞
しおり
よろしく、二人の間に割って入ったクロムが言うと、グレイは飛び上がるように叫んだ。
「てめえ女の子の前だからって格好つけた真似してっと殺すからな」
「マジだよ、マジ。つーかお前、幼馴染みの分際で、こんなことも初見で気づけなかったのかよ」
ぎくり。それを言われては堪らないグレイだった。なにせ、彼女のことを、最近まで忘れていたのだから。
この親友、的確に急所を突いてくる。
「むにゃあ~……柔らか~」
「きゃははー! わーいわーい!」
グレイたちが登場する前まで眠っていたらしいグロウは、レインをはじめとした分隊員らの挨拶を皮切りに覚醒し、けれどもまたすぐに快眠の境地へ至りたいのか、容姿端麗の少女であるチルドに枕としての存在価値を見出だしたようだった。
そして端から見れば被害者と言えるはずのチルドは、むしろ存外、割りとグロウに抱きつかれること事態は楽しんでいるように見受けられた。
「子猫ちゃんたち。仲良く戯れるのはいいが、抱きつくなら俺に、そして笑顔を向けるのも俺にしてくれないか?」
一見すると仲睦まじい歳の離れた姉妹というようにも見えるグロウとチルドのペアに、ネルシスはどこからともなく現れると言った。先ほどまでの不機嫌な態度が、まるで仮面でも被っていたかのように失せている。いや、仮面を被るなら今こそなのだが。
グロウは口元と眼を真一文字に固め、チルドは無邪気にきょとんとした表情を浮かべ、それぞれネルシスに対し首を傾げる。何を言っているんだこいつ、みたいな感じで。
「お! 元気を取り戻したか! ふむふむ、他人の行儀を見習うことで自分の短所を補おうとする姿勢は、決して悪くはないぞ!」
まさに先のネルシスの不機嫌な様子を見ていたヘイルは、そんなようなことを言いながら彼の肩をどすんと叩いた。少し痛そうに顔をしかめると同時に、ネルシスはヘイルに触れられた部分を
「やめろやめろ。男が触るな、汚ならしい」
「なに? ちゃんと昨日は風呂に入ったぞ?」
「そういう問題じゃあないんだよ。俺の身体は女が触るもの。そして女の身体は俺が触るものだ――基本的にはな」
「そうだったのか」
「分かったか、筋肉バカめ。ならとっとと一昨日でも一昨々日
さきおととい
でも行くんだな。イエスタデイ オア デイ ビフォア イエスタデイだ」
「ん?
というか英語を話したネルシスだったが、彼はイタリア人であるということを思い出して、グレイはなんだか騙されたような気分になった。
「よくもまあ一夜にして、これほどまで関係が進展するものですね」
「…………」
「…………」
そうした一連のやり取りが同時に展開される中、半ば取り残された感のあるスリートは、およそ同じ境遇にある他の二名――ブルートとスノウに言った。が、その他二名ともに、彼の言葉に対しては無言。ノーコメントである。
「……あの」
「…………」
「…………」
…………と、沈黙が続く。スリートはこれに我慢ならないようで、寄りかかっていた壁から離れると、キッと眼光を光らせて二人の女性を交互に見つめた。
「あの、何か返答したらどうなんですか?」
「……別に」
「…………」
と、結果はこんな感じであった。ブルートが辛うじて一言と呼べる単語を呟いただけに留まり、スノウは未だ一貫して無口である。
「あの……僕は仮にもあなたたちより歳上です。その僕が、こうしてあなたたちに譲歩しながらも応答を求めているのですから、少しは相応の応対をしたらどうです?」
「だって、一晩同じ部屋で過ごしただけの人となんであんなに仲良くなれるのかって話をしてる時に、一晩同じ部屋で過ごしてすらない私たちに同意を求めるのっておかしくない?」
「…………」
男性寮と女性寮。その隔たりによってこのスコラ学院では、昨晩から今朝にかけて同じ分隊の男女が出会うことはなかった。つまり同じ隊に属しているといえど男女の接点は、あの時の初顔合わせとその後に軽いミーティングを行った程度の、通常なら浅いものなのだった。
「私だって引いてるよ。ドン引きよ。普通、他人ってもっとよそよそしくしていい間柄のはずでしょ?」
「そりゃまあ、そうでしょうね」
「…………」
「僕としても、これからチームとして死地を共に行くわけですから、早くから親密になるのはとても良いことだと思いますけど、いざ目の前でこうして昨日まで互いに見ず知らずの他人同士だった人たちが一夜で打ち解け合っているのをまざまざと見せつけられると、少し気持ちが悪いですね」
「気持ちが悪いは言い過ぎだと思うけど、大体は同じ考えかな。うん。私も他人には他人として接したいと思うと思うし、相手も他人なら他人相応の対応をしたいと思うと思うのよね」
「…………」
「思うと思う――随分と曖昧な言い方ですね」
何を隠そうご自分のことでもあるでしょうに。スリートが指摘すると、ブルートは『うーん』と考えるような仕草をして黙する。
「私だって仲良くしたくないって言ってるわけじゃないわよ。アンタの言う通り、多分これから長い付き合いになるんだろうし、みんなが気さくならやりやすいけどさ。それでも、こう……距離感、は保っておきたいよ。私たち、本当なら会うべきじゃないんだから。元々、知り合うべきじゃなかったんだから」
「…………」
「…………」
「……って、少しは喋りなさいよ!」
ブルートは唐突に、それまで一言も言葉を発しなかったスノウに叫んだ。スノウはビクッと震えると、怯えるように両手を合わせ、口を尖らせているブルートに向き直る。
「なんでさっきからずっと『…………』しか言ってないのよ! 何も言ってないのよ!」
「少なくとも今のあなたの発言には、先ほど言っていた距離感がおよそ皆無であることを僕はとりあえず言っておきましょうか」
「…………」
「むきーっ!」
顔を伏せて尚も黙ったままのスノウに、ブルートは今にも頭から煙を吹いてしまいそうなほど顔を赤くする。
「何も言ってないのになんで台詞が発生するの!? なんで吹き出しが作られるの!? 余白と文字数が無駄なのよ! 何も言わなきゃいないのと同じでしょ!?」
「や、やめてあげなさい! それは言い過ぎですよ! 誰だって恥ずかしいことはあるでしょう! それが彼女にとっては喋ることなのでしょう! それを苛烈に、しかも気弱そうな女の子に責め立てるのはあまりに酷いです! 非道です!」
「何よそれ!? 私が悪者みたいじゃない! なんで私が怒られるの!? 文化祭の出し物で案を募る時、誰も何も言わなかったら怒るでしょ!? みんな意見を言ってるのに一人だけ沈黙を貫いてたらもっと怒るでしょ!? それと同じよ!」
「今は文化祭の出し物の話をしているわけではないでしょう!」
「そうよ! 他人の話よ! なんで他人と他人が半日でここまで仲良くなれるのかって話よ!――どうなの、スノウ! あなた、さっきまでの議題について一体どう思ってるの!?」
「…………」
責め立てられ、追い立てられた末にスノウは、グレイに助けを求める視線をやった。グレイはそれを鋭敏に察知し、レインないしはクロムとの談笑をひとまず中断させ、三人の元へ小走りで向かう。どうしました、と耳を傾けると、彼女はグレイの服の裾をつまみ、彼の耳元で何かしら囁いた。しばらくすると、グレイは合点の行かない表情でありながらも、とりあえずは彼女の言葉を聞き取ることができたらしく、それを口頭で二人に言うのであった。
「えーっと――曰く、彼女には俺がいるから大丈夫……? とのことです」
スノウは、うんうん、と激しく頷いた。拍手する動作も交えて (本当に両手を叩いてはいないので、音は鳴っていない。あくまで素振りである) 。スノウがしながら、声は出さずに『ありがとうございます』と口をぱくぱくさせて伝えると、グレイはにこやかに笑って戻っていった。
ブルートは始終を見届けると言った。
「――私たちにもそうすればいいじゃないの!」
「いや、これは彼にしか出来ない、もしくはスノウさんが彼にしか許していない役割なのではないですか?」
「だとすると、意外と積極的なのかもしれないわね、彼女……」
いよいよ手がつけられないと、落胆したような調子のブルートとスリートの両名。スノウは申し訳なさそうに頭を、ぺこり、と。緩やかに下げた。まるでコマ送りのようだ。
何から何まで控えめな女の子、スノウ――その深淵は、どうやら計り知れないらしい。
「席に着いてくれ」
がやがやと騒がしくない程度に賑やかな教室に、そんな一声が響き渡る。ウィルの到着により室内は静まり返り、各々、分隊ごとに指定された座席へ向かい、思い思いの席に着いたのだった。
「では、遅くなったが早速、始めよう」
始業を告げるベルが鳴ったらしかった。
~2~
ウィルは一同が着席したのを見計らい、荷台に載った巨大な箱から、分厚い本の束を教卓の上に持ち上げ始めた。始めよう、というのは、まずはそこからのようだ。グレイとレインは見かねて立ち上がり、ウィルを手伝った。次いでヘイルとスリート、チルド、ブルート、ネルシス――果ては他の分隊の救世主までもが、手に手に何かしらの教材と思しき、さながら辞書の如き厚さを誇る本の束を持ち上げた。教卓の上に積み上げた。
一通り積み終えると、ウィルは『ありがとう』と荒い息で言うと、救世主たちを席に戻した。
「これは教科書だ」
そして言う。これから救世主が学ぶ知識が詰まった、
「教科は主に武学、魔学、世界学、歴史学に大別される。武学では武具を用いて肉薄する白兵戦、魔学は魔法での近・中・遠距離戦を実践方式で体得する。世界学は各国の情勢や地形、地方で異なる気候などを、歴史学では過去に実在した救世主の逸話や伝説を学んでもらう。
日程は後で全員に配布した上で教室にも掲示するが、出欠席に関しては各自で好きにしてくれて構わない。言わずもがな、これは戦いのための勉学だ。必要か不要かは自分で判断するように。
また、武学は
魔学も火炎系統・流水系統・氷結系統・大地系統・変身系統――枚挙に暇がないほど多岐に渡る魔法を、望む者がいれば一つ一つ学習していくつもりだ。だが俺は魔法は不得手なので、こればかりは外部から信頼できる協力者を呼ぶので、彼に教わってくれ。諸君がどんな魔法を授かっているのかは既に把握しているので、まず第2中隊D小隊の当初の授業日程はそれに則したものとなる予定だが、もし別途で必要と思われる魔法を勉強したいなら声をかけてくれ。たとえば、今おそらくこの小隊に使える者がいないであろう『天体魔法』、これを学びたければ、俺が諸君ら個別ないしは全体に、これをカリキュラムに含んでいいものか問う。複数名が授業を望むなら採用され、他に該当者がいなくとも個別指導はさせてもらうから安心してくれ。
また武学と魔学に関しては、名前と共に授かった能力でなくとも、授業で一定の知識と技量を身につけた上で鍛練を重ねれば、大抵のものは会得できる。たとえば剣の才を授かった者が後から雷電系統の魔法を修得し使いこなすことも可能だし、風雲系統の魔法を授かった者が弓を扱うことも出来る。各自、自分に必要なスキルを錯誤するんだ」
では今から各教材を配布する、と言ってウィルは教卓に文字通り山積みされた教科書を再び持ち上げ、列の先頭の机にそれぞれ置いていった。何度も教卓と最前席とを往復する腹積もりなのだろう。これなら決して少なくない助け船があったことだし、最初から教卓でなくそうして机上に積み上げれば良かったのではないか、とグレイは思わざるを得ない。
が、そんなウィルの奮闘を打ち砕くかの如く、スコラ学院全体に、近隣住民からの苦情があっても止むなしと思われるような騒音が轟いた。騒音、というよりは、警報だろう。
『フェルメ・トゥルメ大草原の北西にポルタの発生が確認されました。大隊所属の救世主たちは、直ちに正門へ向かってください』
元の世界での校内放送よろしく、機械じみた音声が告げる。サイレンが鳴り響く中、ウィルは抱えている教科書の束を唸りながら最寄りの机に、どすんと置いた。その後ろ姿は、どこかうら悲しそうである。きっと兜の下では汗と共に涙も滲ませていることだろう。
「聞いたか! クラウズが現れる! 我々の出番だ! 先ほど言った通り、正門を潜れば自動的に目的地近辺の軍事施設に到着するはずだ! 出撃せよ! 常に隊列を乱さぬよう行動するんだ!」
聞くと、既に教室の外からは大勢が行き交う足音がする。そしてすぐにおよそ四十名もの人の波が、一斉に蠢き出した。グレイは半ばその波に逆らうようにしてウィルの元へ行く。
「ウィルも戦うのか?」
「言葉を慎め。ここでの俺と君は、いわば上司と部下だ。軍というものは階級序列に厳しい傾向がある。これからそういった関係性は切っても切れないものになるから、今のうちに慣れておかないとな……俺はこの小隊の指揮隊長として、連隊の作戦科と連携し皆に指示を送る。また状況に応じた対策の全般に関わるので、いつも通り通信には常に気を配っておけ」
ウィルの言った『いつも通り』が、スコラ学院に編入する以前からの救世主活動――レインと共にクラウズを撃退していた時を指していることは、グレイにとって理解するまでもないことだった。
「ありがとう、ウィルさ――指揮隊長。行こう、グレイ」
レインは通りすがりに言うと、既に約240名もの救世主でごった返している廊下へと飛び出していった。グレイは彼女の後ろ姿へ頷くと、クロムの肩を叩いて後に続いた。クロムもまたグレイを追い、正門へ向かう。次いでヘイル、スリート、チルド、ブルート、ネルシス、グロウ、そしてスノウと。教室から駆け出していく。
この世界の文化が由縁なのか、こういった事態を想定しての措置なのか、何が理由にせよグレイは学舎内の土足での利用の美点を、階段を駆け下りながら知ることとなった。出撃の度に、下駄箱で上履きと土足とを履き替えるとなると、混雑の具合は今の比ではないだろう。
外へ出ると、真昼の陽光がグレイの瞳を焼いた。眩しさのあまり眼をつむるが、その足は止めない。昨日、初めてこの学院の門前に立った時に見た正門の両脇の鉄柱が、何やら透明な壁というか、膜のようなものを眼前に形成している。ウィルの言によると、あそこを通れば目的地に到着するとのことだった。
「慌ただしいキャンパスライフだな」
クロムはグレイを追い越して言うと、透明な壁を突き抜けた。直後、彼の姿はその場にはなくなっていた。正門を通り抜けた救世主たちは、続々とその姿を消していく。別のどこかへ行って――転移
ワープ
してしまったのだろうか。走りながらグレイは、なるほど傍観者の視点では
瞬間、グレイは全身が薄い膜で覆われたような感触を覚えたのと同時に、見知らぬ倉庫のような場所にいた。周囲には大勢の救世主と軍人らしき服装の人々、そして無数のエクゥスアヴィスたちがいる。グレイは来た道を振り返ったが、そこに道はなく、学院の正門にあったのと同じような透明な壁がそびえているだけだ。そこから次々と救世主が現れてくる。端からすれば、何もないところから人が現れているように見えるので、かなり奇妙だ。
「救世主諸君! 分隊ごとに整列して待機!」
軍部の高官と思しき男性が、大の大人一人分ほどの大きさの貨物の上に立ち、グレイらを見渡せるようにして叫んだ。
「大隊所属の救世主諸君が全員集結したら、エクゥスアヴィスに乗り直ちに出撃する! 各々、出遅れないようにしろ!」
男性が言い終えない内に救世主たちが潜ってきた透明な壁が消滅していくのを、グレイは見届けた。この場に、その全員が揃ったということだろうか。しかし、再度『直ちに整列しろ!』という男性の怒号が轟き、救世主たちはきびきびと動き始めた。
「これより諸君らには、それぞれ一頭ずつエクゥスアヴィスが支給される。今回はこの生物に乗ってポルタの開門地点へ向かう。慣れた者も不慣れな者もいるだろう。各分隊、小隊、中隊の仲間同士でサポートするのだ。なお、この任務は救世主大隊の活動としては最初となるため、試験的な意味も含め、危機的状況となり介入止むなしと判断されるまでは、我々正規軍は一切手出しをしない。諸君ら新世代の救世主の実力の程を存分に知らしめてくれ」
黄色い未成熟の、馬とも鳥ともつかないような外形の生き物が檻より放たれていく。ぞろぞろと。エクゥスアヴィスたちは首輪の先に付けられた札のようなものを揺らして近づいてくる。
グレイは、数多いる救世主の群衆を尻目に、真っ先にこちらへ向かってくる一頭に気づいた。バタバタとはためかせる翼が、どこか彼もしくは彼女の高揚を表しているような気がする。
自分の眼前で停止したエクゥスアヴィスが差し出した頭を、グレイは撫でる。その首元の札には文字が刻まれている。その文字を――名前を見ることなく、グレイは呼んでみせた
「クルス、久しぶりだな……ってことは、ここはハオスの軍の施設か。なんやかんやで戻ってきたってことか」
初めて戦場へ向かったあの日以来、数々の戦いを共に切り抜けてきた、言うなれば相棒のようなエクゥスアヴィスだ。レインの方へ視線を移すと、やはり彼女も同じような再会を果たしたようだった。
「エイラ! エイラー! あはは!」
くすぐったそうにしながらも、愛おしそうに毛深い頭に頬擦りするレイン。見ていて心が洗われるような感覚に知らず知らず酔いしれていたグレイの耳に、
「では、これより出撃する! 先ほど諸君らが通り抜けた
グレイはここに辿り着いたのと同時に覚えた奇妙な感触のことを思い出す。全身に薄い膜が覆われたような感触……あれが透明な壁【ヴァント】が施した恩恵なのか。
「ではエクゥスアヴィスに騎乗せよ! これより出撃する!」
巨大な鉄扉が鎖を引きずるような音をたてて開かれた。外界から射し込む光に、グレイは刹那、眼をつむる。そしてすぐさま開かれた瞳には、晴れ渡る空と雄大な緑の景色が映った。
「いよいよだな、グレイ」
クロムは早くもエクゥスアヴィスの扱いに慣れたのか、揚々とグレイの隣に躍り出ると、その眼を鈍く輝かせた。
背に救世主を乗せたエクゥスアヴィスの大群が、その強靭な脚で力強く地を蹴った。
~3~
出撃して間もなく、ラジオの周波数を合わせるような音が頭の中でしたのをグレイは感じた。本部からの通信である。
『聞こえるか』
ウィルの声だ。グレイは周囲を見回し、レインやクロムら分隊の面々が全員、彼の指令を認識しているらしいことを確認する。
『現地に到着するまでに各分隊を二分し、班を編成しておくように。生活を共にするのは分隊だが、あくまで戦闘の基本単位は五人一組の班だ。個々の戦力を最大限に活かし、且つメンバーが良好で無駄のない連携を行うには最適な人数だろう。昨日の時点で既に各々の能力の概要は把握しているだろうから、想定できる事態に備え、万全の態勢を整えろ』
ウィルの声が途切れると、十人は徐々に距離を縮めていった。当初から分隊ごとで固まって行動することを念入りに指示されていた救世主たちだが、誰がどの分隊なのかが一目瞭然となるまでに接近していた。十人の団体が七十二あることが、彼らの先陣を切る正規軍の将校らが振り返ると、一目で分かってしまえた。
「俺から提案があるんだが」
開口一番はネルシスだ。風になびく髪が妙に彼を引き立てた。他の九人は、どうにも嫌な予感がしてならなかった。
「どうだろう、ここは武器を持った奴が突撃班、魔法を使う奴が援護班という分担は?」
何を言うかと思えば、割りと正論ではないか。グレイは虚を突かれたかのような感覚を覚えた。いや、というか当たり前のことを言っているだけだったのだが、なぜだろう。彼がまともだと、なんだか違和感の拭いきれない感がある気がしてならないグレイだった。
「却下に決まっているでしょう」
「そんな台詞に騙されるとでも思ったのかよ」
スリート、次いでクロムが反論の声をあげた。いやいや、いくら彼が嫌いだからって、感情論で正論をねじ伏せるのはいかがなものかと思うグレイ。しかし、一瞬考えれば、なるほど、スリートとクロムが――様子を見る限りブルートも、ひょっとしたらレインも気づいているようだ――見抜いたネルシスの思惑を、グレイもようやく察知するのだった。
この分隊において魔法を使うのは、ネルシスを除けば全員、女性なのである。
「なんて奴だ」
思わず口にしたグレイだった。一方、当のネルシスは知らん顔というよりはもはや開き直ったような表情で、真相に辿り着いた五人に微笑んだ。
「でも筋は通ってるんだ。俺を止めたいなら、もっと良い班編成の案を出すんだな」
馬鹿かと思えば予想外に策士なネルシス。悪知恵だけは働くらしい。こいつは女がいなきゃ何も出来ないのかよ、とグレイは呆れ果てたように内心で毒づく。あるいは、女がいれば何でも出来る、もしくは何でもやるのか。いずれにせよ面倒というか、極端な男である。
黙りこくるネルシス反抗勢力一同。草原にネルシスの歪な高笑いが木霊した。今にも血管を断ち切ってしまいそうなほどに顔を歪めるクロム。よほど彼の好き勝手を許すのが癪に障るらしい。単に彼が嫌いなだけかもしれないが。
「だったら! 俺が援護に回ればいいだろうが!」
奥歯を砕かんばかりに噛みしめながらクロムは言った。『何を言っているんだ』と更に声高に笑いかけたネルシスだが、刹那、その顔は先ほどまでとは一転、苦悶で歪むこととなった。
ニタリ、と。クロムは嫌な笑みを浮かべた。
「俺の武器、銃だから」
口をぱくぱくさせ、何とか対抗策を繰り出そうとするネルシスだが、しかし銃に近接戦闘は不向きと言えば不向きだ。いや、決して不可能ではないが、その特性から言って、やはりその真価が発揮されるのは中・遠距離からの射撃である。それも銃の種類によるが、おそらくクロムの銃はその限りなのだろう。
グレイには確信があった。クロムは絶対的な勝利を求める。博打や賭けには一切出ない。確実に勝てる見込みの高い手法でもって挑戦する、そんな奴である。クロムが、ましてや親の仇のように嫌悪している (さすがにそこまでではないだろうが) ネルシスを相手に勝負を吹っ掛けるともなれば、それは大層な自信を持って、確固たる勝利の方程式を見つけ出した上での行為だろう。
「が、ぎぎ、ぐ……」
終いには何を言っているのか分からないネルシスだが、ついに根負けしたのだろうか。いいだろう、と低い声で言うと、達観したような目付きでクロムを見据えた。
「今日のところは引き分けってことにしてやる」
「どう見ても俺の勝ちだろうが」
「名残惜しいが一人、お前の代わりに突撃班に加えることとしよう――」
「最初からそう言えば、こんな恥かくことはなかったんだよ」
まさに形勢逆転。今度はクロムが勝ち誇った笑みを浮かべるのだった。清々しい勝利。この上ない完全撃破。クラウズを倒しに行く道すがら、そのクラウズを倒すための算段を立てている最中に勝利の喜びを知ることとなったクロム。なんだかとても幸せそうな奴じゃあないか。
しかし。
「だが、いいのかな……?」
くくく、と。ネルシスは奈落より這い上がった魔帝の如き陰湿な調子でクロムに問いかけた。
「負け惜しみもいい加減にしろ、見苦しい。お前の敗北は決まったんだよ」
「ああ、それでいいさ、俺はな――だが、貴様は本当にいいのか?」
「だからなんだ!」
「貴様が俺と同じ班になるということは、即ち清廉潔白な一人のか弱い淑女を戦場のど真ん中に放り込むことと同義なんだぞ!」
班は五人一組――男性が二人なら、女性は三人。クロムの勝利は、同時にネルシスが毒牙にかけんと狙いを定めていた可憐な美女たちの内一人を、自らの代わりにまさしく突撃させる結果を生んでしまったのだ。
なんということだ。絶望したかのように
ネルシスは全てを見越してこの班編成という戦いの場を自ら切り拓いたのだろうか。抜け穴を決して作らぬ三段構えに、分隊共々、翻弄されていただけなのか。
いや違う。グレイはやはり確信していた。この局面、非常に大きな抜け穴があると見たり。頭に血が上っているのか、クロムも気づいていないらしい。ネルシスは場当たり的に、その場凌ぎの問答を垂れていたに過ぎないのだ。
だって。
「いやネルシスお前、最初からスノウを戦場に放り込むつもりだったんじゃん」
人のこと言えないじゃん、とグレイが言うと、瞬間、一人の少女がビクリと震えた。
スノウ――そう、彼女はチェーンウィップという武器を扱う。それを分隊の全員に伝えたのは、他の誰でもないグレイ自身である。ネルシスは端から、彼女を頭数として数えてはいなかった。その非人道的な事実を指摘したことによって、クロムの方に軍配が挙がることとなった。
「じゃあ結局、俺たちと同じ班になるのは誰なんだ?」
ヘイルが四人の女性たちを見つめて言った。
「チルドはどっちでもいいよ! みんなの役に立てるなら、前でも後ろでも!」
「う~……私もどっちでもいいや~……むにゃむにゃ」
「わ、私は……こんなキザ男と一緒は嫌だし、でもあんな化け物と至近距離も嫌だし――」
ブルートがどっちを取るか悩んでいる一方で、チルドとグロウは成り行きに任せるような意向のようだ。グロウに至っては、様子から察するに今の今まで眠っていたらしい。疾走する獣の背中の上で、だ。どれだけ睡魔に侵されているんだ、彼女は。グレイは気にせずにはいられなかったが、それ以上に関心を引いたのは、レインの動向だった。
レインは三人が立て続けにヘイルの問いに答える中、少し間を空けて言うのだった。
「私が突撃班に加わります」
ちらっと。グレイの方を見ながら。
「私の魔法、けっこう応用が利くから」
そんな台詞によって、今回の任務における班の編成が決定した。
閑話休題。いよいよ前方に赤い雲とポルタ、そして大量に涌き出るクラウズの軍勢が見えてきた。隊列の先頭を走る正規軍の一人が、救世主全員に静止するよう手で合図する。
エクゥスアヴィスから降りる救世主たち。戦場には後方からの迎撃のための簡易的な塔が設置されている。
グレイはクルスから降り、その羽を一枚抜き取ってから、毛深い頭を再び撫でた。
「何してんだ?」
クロムがやって来て、グレイはエクゥスアヴィスと行う儀式めいた行為について説明した。分隊の全員が、次第にグレイの話に耳を傾けていった。
「羽を抜き取ることが生還する誓いになるんだ」
その言を裏付けるように、レインは力強く頷いてみせる。各々が、それぞれここまで乗せてくれたエクゥスアヴィスの羽を、戸惑いながらも引き抜いていく。続いて頭を撫でられたエクゥスアヴィスたちは、嬉しそうに鳴いた。
『――到着したようだな、諸君』
ウィルの声が言った。
『遠慮は無用だ……全て殺せ!』
その一声を皮切りに、救世主たちはポルタより侵攻してくるクラウズの方へ歩き始めた。ゆっくりと。それぞれの歩幅、歩調で。開戦と同時に駆け出すのが常となっている正規軍の面々は、その光景にしばし驚愕する。
「曰く、僕たちは機動力に長けている上、身体も丈夫になっているようですしね」
「ああ! 遠慮は無用と言われたが、言われてしまっては、言うことはないな!」
ヘイルは天に向かって雄叫びをあげると、その手に槍を構えた。スリートは耳を塞いで不快そうにしながら、自らも先の鋭いトンファーのような武器を両手にそれぞれ顕現させる。それぞれトリプルスピア、リコイルトンファーという名の武器であったか。
「…………」
スノウは無言のままチェーンウィップを持つと、グレイの方を一瞬だけ見てすぐに顔を伏せた。グレイは気になりいつものように彼女に近寄った。
「どうかしましたか?」
グレイの笑顔を間近にして、スノウは少し背伸びをして彼の耳元で囁いた。
「が……がんばります……」
グレイはそんな彼女に目線を合わせ、『はい』と朗らかに応えた。すると、グレイは何者かに肩を小突かれ、振り返る。ネルシスが嫌悪感を臆面もなく表情に出し切り、グレイを睨んでいた。
「俺の前でイチャイチャするな、虫酸が走る」
「あれ、さっきまで彼女のこと眼中にないみたいな感じじゃなかったっけ?」
「彼女の声はとても魅力的だ。まるで夜空に煌めく星々のよう――」
途端にスノウがブルブル震え出したのを察知して、グレイは彼女をネルシスから引き離す。それを見たネルシスは舌打ちをすると、掌から噴水のように水を発生させた。溢れんばかりの水を波状に伸ばすと、八つ当たり気味にクラウズの群れの先頭へ放った。激突した水の勢いで一列のクラウズが一斉に転倒し、同時に救世主たちは異形の軍勢へと走り出した。全体が前衛と後衛に二分され、初手を打ったネルシスはクロムや三人の女性たちと近場の塔へ向かっていく。
グレイは出現させたヤーグを握り、目前のクラウズを斬り伏せた。刀身が仄かに赤くなっていく。剣を振り下ろす度、剣がクラウズの骨肉を断つ度、その斬れ味が鋭くなっていく。秘術【業火】の効力である。
赤々と燃えるように煌めく剣を構えると、グレイは二体のクラウズが自分を標的に定めていることに気づく。一対一は手慣れたものだが、一度に多を相手取るのは些か経験不足といったところだった。猿のような顔の斧を持ったクラウズと、狂った山羊のような顔で猛禽類
もうきんるい
のような爪を持つクラウズ。一挙に咆哮をあげ、グレイに突進した。
グレイは斧の一撃を避けつつ、山羊のようなクラウズの獰猛な爪を腕ごと断ち切った。丸太のような腕がずしんと地面に落下し、クラウズは喧しく叫ぶ。次いでグレイは斧を持ったクラウズの心臓を狙うが、片手で弾かれ剣を取り落としてしまった。瞬時に意識を剣に集中させ、その手に呼び戻す。間一髪で斧を持つ腕を斬り裂き、胴体も両断する。ヤーグの斬れ味も最高潮のようだ。驚いたような猿の顔が、たちまち赤い霧のようになって消えていく。
「カスタム・ファイア!」
背後からレインの声が聞こえ、グレイは咄嗟に振り向く。そこには山羊のクラウズが、もう片方の腕を今まさに振り下ろさんとしているところだった。レインの魔弓ニアから放たれた火球が、長く鋭い爪を諸とも焼き尽くしていた。
「大丈夫?」
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「気をつけてね。私たち経験は積んだけど、まだまだクラウズについては勉強不足なんだから」
「分かってる」
グレイは次なる標的を探す。レインはその後ろ姿を心配そうに見つめるが、やがて彼女も救世主の本分へ戻っていった。手近なクラウズに狙いを定め、片目を閉じて弦を絞る。レインが精神を鎮めると、周囲の空気が、さながら水面にできた渦の如く、レインの引き絞る弦に集約されていく。
「ウィンド・ブレード!」
レインが指を離すと、弓から風が刃のように放たれ、かまいたちの如くクラウズの皮膚を抉っていった。が、致命傷には程遠い、深い切り傷程度の損傷しか与えられない。
レインは幅広い種類の魔法に対応しているが、決定打に欠けるところが短所であった。今の彼女一人の力では、単体のクラウズを地道に傷つけていき、体力を磨耗
まもう
させることでようやく倒せる具合だ。牽制には持ってこいではあるが、それ以上の効果は望めない。
「エコロジー・デビル!」
レインは裂傷を負わせたクラウズに向けて、今度は緑色の閃光を射ち出す。閃光は標的へ直進すると共に気化していき、やがて煙のように拡散する。するとクラウズは途端に肩膝を着いて苦しみ出した。その血相はみるみる悪くなっていき (異形の怪物の健康状態など知る由もないが、レインは度重なる戦いを経験し、そう解釈することにしていた) 、やがて地面に突っ伏して動かなくなった。
「カスタム・ファイア」
彼女が再び唱えると、火球ではなく矢のような形状の炎が放たれる。魔法は一切身動きをしないクラウズの胸の中心を貫いた。クラウズの身体は霧となって消えていった。
一方、ヘイルはトリプルスピアを目につく敵を手当たり次第に、豪快に薙ぎ倒していく。時折、味方である救世主大隊の一人に危害が及びそうになっており、周囲の人間は見ていてハラハラしていた。
「もう少し安全な、そして出来れば安定した戦法を採ってほしいのですが」
スリートは馬面のクラウズの顔面を、トンファーの長い方の
「それに些か気になっていたのですが、あなたの武器はたしか、トリプルスピアと言いましたよね? 三又でもなければ、一体どこら辺がトリプルなんですか?」
「むむ! よくぞ気づいてくれた! さすがはスリートだ!」
「知り合って丸一日も経たないような人に『さすが』なんて言われる覚えはないのですが……」
「お前は見るからに『優等生』という顔だからな!」
「それを言うならあなたの方も見た目通りの性格をしていると思いますよ――人を見かけで判断するのは本来ならば避けているところですが、あなたは顕著すぎるほどですね」
「見ているがいい! 俺のトリプルスピア、その真骨頂を!」
ヘイルは威勢よく言って周囲を見回すと、ちょうど三体で固まったクラウズを見つけ、その集団へ向かって走り出した。
「うおおおおおおおおおおお!」
トリプルスピアを掲げて疾走するヘイル。彼の存在に勘づいたクラウズのトリオも、同じように一直線に駆け出す。縦一列になって突進してくるクラウズたちを見て、ヘイルはニヤリと笑った。
ヘイルは攻撃範囲に先頭のクラウズが侵入したのを見計らい、トリプルスピアを突き出した。素早い一閃である。その矛先はクラウズの屈強な腹部に深々と刺さり、貫通した。が、その後方からは二体のクラウズが尚も迫りつつある。今のままでは、トリプルスピアの長さが足らず、恐らく引き抜くのも困難だろう。
次の瞬間、トリプルスピアの先端部分が伸び、二番目のクラウズをも貫く。次いで三体目のクラウズも、再びその全長を水増しして串刺しにした。
「どうだ! ちょっとした団子三兄弟みたいだろ!」
「なんだか不謹慎なのでその喩
たと
えはやめてください」
「これがトリプルスピアの名前の由来だ!」
ヘイルは三体のクラウズが突き刺さった槍を軽々と持ち上げ、旗のように頭上に掲げて言った。
「この槍は通常の長さより三段階、伸縮することが可能なんだ! 槍という武器の長所である攻撃有効範囲の広さを、更に拡張することが出来る機能だ! 凄いだろう!」
「まあ、たしかにメリットが強化されるのは良いと思いますが……僕が言っているのは扱い方の乱暴さを直してほしいということであって」
スリートは言葉を続けなかった。ヘイル目掛けて、上空から大鷲の姿をしたクラウズが滑降してくるのを目撃したのだ。彼が天高く掲げた槍と、それに串刺しにされた三体のクラウズは、なるほど目立ち過ぎたのだ。当の本人が、それに気づく様子はない。
スリートは大きな溜め息を吐くと、血の付いた二丁のトンファーをくるりと回転させ、交差した。
「ソウルランチャー!」
スリートが呟いてリコイルトンファーを構えると、短い方の柄から四つの球体が出現し、彼の身体の前後左右に浮かんだ。そのまま両方のトンファーを上空のクラウズへ向けると、周りを漂う球体はトンファーが向けられた方向へゆっくりと移動した。球体の動きは非常に緩慢で、四つ同時に放たれたは良いものの、クラウズはその全てを掻い潜ってしまう。
ここでヘイルもようやく自分を見据える眼光に気づき、振り返った。が、今からでは間に合わない。万事休すかと思われた。しかし、スリートは余裕綽々である。四つの球体は、全て避けられてしまったというのにも関わらず。
スリートは口角をニイッ上げ、片手の指をパチン鳴らした。その瞬間。宙を漂う四つの球体が爆発し、クラウズを四散させた。近辺の上空を舞っていた数体のクラウズたちも、その衝撃に巻き込まれるか、あるいは翼を失ったりもした。
「――
「化け物の死に方を選ぶ筋合いはありません」
そんな会話を交わす二人を他所に、一対の翼が地上に落下する。上空を飛行していた数体のクラウズのうち一体のものだ。
スノウは突如、自分のすぐ傍に落ちてきた翼を見て、ヒッと息を呑んだ。その翼は、間もなく赤い霧となって消えた。
涙目になって後ずさるスノウだったが、しかし前方には既に彼女を標的としたクラウズが、醜い大口を開けて牙を覗かせている。喉の奥から込み上げてくる悲鳴を押し殺すように、唇を噛みしめるスノウ。戦いを拒む彼女の意思に反して、クラウズは狂ったように叫びながら向かってきた。
スノウはチェーンウィップを力いっぱい振るい、クラウズの肉体にぶつけた。鞭のようにしなやかな彼女の武器は、しかしクラウズの身体に青いアザを作っただけに留まり、その歩を止めるには至らなかった。クラウズはスノウに向かい、唾を撒き散らしながら猛進を続ける。スノウは恐怖に
元来、争いを好まないというか争いとは無縁というか、意識的に争いを避けてきたスノウであったが、別段クラウズの撃滅に執念を燃やすことは一切なく、実のところ成り行きで救世主となってしまったようなものだった。頼まれたら断れない。争いの芽が見え隠れする状況になると、相手の要求を飲まずにいられない。そんな彼女は今、自衛のために鞭を打っていた。命惜しさで、他者を攻撃していた。争いを嫌う。しかし、どうしても自らに火の粉が降りかかろうものなら、やむを得ないこともある。それを昨今の戦いの日々で経験し、既知していたスノウだが、やはり傷つけることにも傷つくことにも抵抗を見せる彼女は、未だクラウズに対して非情になりきれずにいた――救世主になりきれずにいた。
チェーンウィップの一撃はクラウズの肉体を腫れ上がらせることしか出来ず、その魔の手を食い止めることは、結局できそうにない。ついに喧しい咆哮を轟かせながら、クラウズはスノウの眼前に迫った。同時に成人三人分ほどもある巨大な鉄槌を振り上げ、スノウの視界から空が消えた。
スノウはもはや涙を流しながら、それでも諦めんと奮起する心の表れなのか、構わずチェーンウィップを振るった。今度は叩きつけるのではなく、クラウズの胴体に巻きつける。拘束するかのように、縛り上げる。が、その長さはクラウズの全身を封じるには到底足りず、怪物の動きはおよそ止まらない。
スノウは自身めがけて振り下ろされた鉄槌を転がって避けた。チェーンウィップを決して手放すことなく。クラウズの身体に巻きついた鞭を、
やがて、クラウズは幾度も振り上げてきた鉄槌を、頭上から取り落とした。鉄槌はクラウズの脳天を砕くことなく、その背後にドスンと落下する。見ると、クラウズの蓄えた骨肉で隆々としていたはずの肉体は、枯れ木の如く精気を失い、衰退していた。つい先ほどまでの威勢と比べれば、この有り様は無惨と言っていい。頬はこけ (ているように見える) 、痩せ細り、四肢は枝のようだ。一方、スノウはむしろ、おかしな話だが先ほどより疲労していないような様子で、尚もクラウズを縛るチェーンウィップを握りしめている。
自分の体重を支えられないのか、クラウズの細く弱った両脚はブルブル震えている。スノウは立ち上がって、健康そのものの身体で、疲れたような素振りなど一切することなく、クラウズに近づいた。スノウは魔法の類いを使えない。今のところ攻撃の手段はこのチェーンウィップのみだ。このクラウズから解かなければ、とどめを刺すことは出来ない。が、この手で殺生をするのは、通常なら彼女でなくとも憚れるものだ。しかし、スノウは救世主である。『通常』の人間ではなく、魂が使命を帯びている。その心中の葛藤は計り知れなかった。
辺りの救世主がクラウズの殲滅に燃えている最中。スノウは怯えながら弱々しいクラウズに歩み寄った。クラウズに――己に怯えて。
その時。深紅の刃がスノウの眼前でクラウズを斬り払った。クラウズが消滅すると、グレイの姿が彼女の眼に飛び込む。
「大丈夫ですか!」
駆け寄ってくるグレイを見て、スノウは両手をもじもじさせてうつむく。言動からして、自分に危機が及んだものと思い駆けつけたのだろうと、スノウは推測した。
「なんか遠目でただならない感じがしたんですけど、怪我とかないですか?」
グレイの心配するような眼差しに顔を覗き込まれ、スノウは耳を真っ赤に染まるのを感じた。戦場の真ん中で沈黙を貫き、あまつさえ親身になってくれる人物を困らせるような真似をしている自分を責めながら、しかしそれでも彼女は何も言えない。
「……それがチェーンウィップなんですね」
グレイはそんな彼女の心境を察したように、スノウが握る武器を指した。
「この前、俺に教えてくれましたよね」
グレイとしても、いつまでもこの状況が続くのは得策とは思えなかったので、何かしら彼女の行動の起点を作れればと発した一言だったが。スノウは返って緊張と焦りを増してしまい、顎が胸につくまで顔を伏せてしまった。
しまった、と。グレイは声にせず呟いた。
「……さ、さっきはなんか縛ってましたけど、やっぱりクラウズは恐いですよねぇ~……」
「…………」
「な、なんか手応え的にかなりちっちゃいクラウズだったらしいですけど、珍しいですよね。普通は図体ばっかでかいような連中なのに……」
「…………」
伊達に数ヶ月、接客をしてきたわけではない。グレイはスノウの口から情報を引き出す術を、アルバイトの経験から会得していた。彼女は質問をすると必ず答えてくれるのだ。他の店員が十分かけても聞き出せないことを、グレイはたった一つの質問をするだけで彼女から聞き出せたのだ。
まったく先輩といい後輩といい何をやっているんだ、と常々思うグレイだった。
スノウは少し間を空けると、ちょこんと背伸びをしてグレイの耳元で何かしら囁く。
「エナジーチェーン?」
彼女の可愛らしい声が言った単語を復唱すると、スノウはうんうんと激しく頷いた。抑えきれていない興奮も、隠しきれていない笑顔も見えて、これだから元の世界でのアルバイトは辞められなかったものだ、とグレイは感慨に耽るように思った。
曰く、スノウのチェーンウィップには相手の体力を吸い取り、自分の疲労を回復したり怪我を治癒することが出来るという。先ほどのクラウズは、このエナジーチェーンの効力により、スノウに蓄積された疲労の穴埋めとして自らの生命力を失ったということらしかった。
「凄いですね!」
グレイの本心から出た言葉だった。だがスノウはそれを聞くと、グレイと半歩距離を置き、キョロキョロと辺りを忙しなく、何かを探しているかのように見回した。グレイには、彼女のその行動に心当たりがあった。スノウは極限まで緊張や恥ずかしさが高まると、どこかに隠れようとする習性があるのだ。
すみません、と慌てて言ってスノウを落ち着かせながら、今も昔も変わらない彼女の生態を可愛らしく思うグレイだった。
『ポルタの閉門時刻だ。クラウズの撤退が始まる。最後まで気を緩めるなよ』
ウィルの声が聞こえ、グレイは面持ちを険しくする。スノウも再びチェーンウィップを握り直すと、まだ身体を震わせながらも、決意を表すかのように頷いてみせた。
「グレイ!」
声に振り返ると、レインが走ってきていた。通信を聞いてはるばる、わざわざこちらへ赴いたのだろう。グレイは彼女がそうする理由が思いつかなかったが、あまり深くは考えなかった。
「もう少しだって!」
「ああ。頑張ろう」
グレイは前線から離れた、飛行しているクラウズの迎撃にあたっている後衛班が配置されている塔の辺りを振り返った。クロムの姿を見つけたところで、ちょうど彼と目が合う。クロムは何やらジェスチャーをしていて、遠すぎてよくは見えなかったが、おそらくは親指を立てているのだろう。どこか笑っているような気もする。
グレイは半ば曖昧なクロムの身振りを真似て自身も親指を立てて見せると、レインやスノウを引き連れて再度、戦いの渦中へ飛び込んでいった。
~4~
救世主大隊としては初の任務となった今回の戦闘。万一の場合のために配備されていた正規軍が出る幕はなかった。ポルタ閉門以降は、残留したクラウズの撃退が迅速に行われ、その後も正式な戦闘の結果は早急に算出され、直ちに公表することとなった。
死傷者皆無。この報せは世界全土に広められ、次世代の救世主に向けられる期待の念は爆発的に増すこととなる。これまでの対クラウズ戦線の事情から言えば、死者はおろか負傷者すらもいない戦闘というのは異例中の異例である。どころか、これは世界の歴史においても前例のない偉業だった。この活躍は大きく報道され、後世には世界の変革について学ぶ学問において伝え残されることとなるだろうとさえ言われた。また、この事例は同時に軽装を主とした救世主部隊に試験的に採用された、特殊な系統の魔法による身体防護システム――ヴァントの功績が認められ、今後の救世主部隊の活動には勿論、世界各地の正規軍での実装も検討され、現在その技術は高額で売買されている。
かくして、グレイたち救世主大隊の実力は広く知れ渡ることとなり、連隊の活動の方針や体系は概ね現状のまま固定して進行しても問題ないという結論が、ケントルムの厳正な審議より正式に出された。
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