終節:濁流

 額から汗を流し、前かがみで必死に棺の蓋を押す一人の老人――ハリー。

 それを向かい側から、不敵な笑みで同じく棺の蓋を押す女――グレイス。

 歳離れた二人の老若が互いに出せる力をぶつけ合い、石棺を挟んではその均衡を保っていた。

「ぐっ……」

「ふふっ……」

 周囲に漂う熱意。それに感化されたかのように部屋の四隅から聞こえる濁流の音は更に強さを増し、そこにあるべきはずの音の全てを飲み込んでいた、

 その中に、紛れるようにして慌ただしい靴音が二つ駆け寄ってきた。

 一人は麻祁、足早に階段を下りると石蓋を押し合う二人の前で立ち止まった。後から続くもう一つの靴音の主であるジュニアは、足元を滑らせないように顔を下に向けては息を断続的に吐きながら、段差を一段ずつ下りていた。

「いったぁ……」

 石棺の少し離れた場所でエミリーが体を起こす。

 右手で頭を押え、眼鏡の位置を直しては顔を上げ、

「……何やってんのよ……バカ……」

視界に入った光景に自然と小言を吐いた。

 三人が静観する中、石棺を挟む二人は全くと言っていいほど何の動きも見せなかった。

 ただ濁流の流れる音だけが、ただ部屋中に響くだけで、ただ互いに歪んだ顔を見合わせるだけだった。

「いつまで見つめ合ってんのよ? さっさと開けなさいよ!」

 しびれを切らすエミリーの声が響く。それに対しグレイスは顔を逸らすことなく、ハリーに目を合わせたまま言葉を返した。

「だったらその嘘つき爺さんさっさと退かせてよ。私も開けたいけどさ、その爺さんがすっごく邪魔なの。このままだと一緒に吹き飛んで、本当に天国まで飛んでいっちゃうじゃない、ね?」

 ニヤニヤと嬉しそうに笑みを見せるグレイスに、エミリーは呆れた表情でため息を吐いた。 

「よく言うわよ……」

「ほお、なかなか面白い冗談じゃないか。俺を吹き飛ばす前にこの棺を吹き飛ばすんだろ? ええ? 加減も知らないこの馬鹿力が! これだから、小さいゴリラ脳はのう……」

「へぇー、じゃあなに? 私がゴリラならアンタは何よおじいちゃん? 下手な嘘つきで小柄な――あっ、下手な猿じゃない!? サルよサル! ゴリラ以下の猿! ――エミリー! こんなところに猿がいるわ! とてもしわくちゃでミイラ寸前よ!」

 反対側から聞こえてくる高い声に、ハリーは眉根を歪ませ奥歯を噛みしめた。

「小うるさい猿が……ジュニア! その喧しい猿を退かせろ! 話もまともに出来ない!」

 さらに腰を落とし、前に重心をずらしては両手を乗せた蓋の角に、ハリーが全体重を掛けた。

 その衝撃に気づいたグレイスもわずかに腰を落としては、蓋に重ねた両手に意識を合わせた。

「――っと! ちょっ! なに押してんのよ! コソドロ!!」

 ハリーの押す力に合わせ、グレイスも腰を落とし力を僅かに入れた。

「誰がコソドロだ! お前の方が盗人だろうが……!」

「くっ……加減が……そろそろ離れてよ……!」

 額から汗をたらし顔を歪める二人。その間で佇むジュニアはただ視線を交互に動かすだけだった。

「あ、あの、ど、どうすれば……」

 横で両腕を胸元で組み、言葉もなくただ眺める麻祁を余所に、エミリーはふとため息を吐いた後、両手を大きく叩き、天井に向かい上げた。

「ハイハイ!! ストップストォォーップ!! いい加減にしなさい二人とも!!」

 聞こえる濁流の音に空気の弾ける音と女の怒声が覆いかぶさる。

「はぁはぁはぁ……」

「ッチ……なに?」

 二人が両手を付けたまま顔を上げ、エミリーの方に向けた。

「ひどい! アンタたちのやってることは本当に酷い!! まるで玩具の取り合いを見ているようでほっんとーに情けないわ!! いったいいくつなのよ!! いい? ちゃんと契約で動く頭のある大人なら冷静になって話し合いで済ませて! いつまでこんなくだらない演劇を見せるつもり!? くだらない時間を過ごすつもりなら、さっさと話し合いで済ませて! さあ、どっちが大人でどっちが子供!?」

 まくしたてる言葉と眼鏡の奥にある狭まる瞳を前に、二人はエミリーから一度も視線を逸らすことなく両手を離し背を上げた。

「そうね。私も最初から話し合いで済ませるつもりだったの。でもこの爺さんが先走るばかりに私は無意識に棺を守ったわけ」

「ふん、よく言うわ。そこにあった二つ石棺を無神経に投げ捨てたバカはどこのどいつだ? 見てみろ! 歴史的価値ある二つの遺物が、今ではそこら辺に転がる石屑となって積まれているわ! ましてや確認もせず中にある貴重な物も捨ておって……お前は無意識にモノを壊すバカなんだよ! 何が守るためだ、このバカ嘘つきが!」

「はあ? 嘘つきがよく人に嘘つきなんて言えるわね? それに私も知らない初対面の人が、人に向かってバカとかちょっと失礼なんじゃない? だから嘘も平気で吐けるボケた爺さんなのよ! さっさと家に帰って葉っぱでも見ながら、朝までベンチに座ってりゃいいのよ! ボケた爺さんのホラ吹きじじいー」

「ふざけるな! そんな事やってるヒマなんてあるか! だいたいそういうお前はどうなんだ? どうせここまで来たのも正式な申請もせず、ただ興味本位でふらふらと入って来たようなもんだろ! 俺達から見ればお前らが盗人なんだよ。さっさと先に出て行け! ここの観光はまた数年後だ! もっと世間を知ったうえで、身長が伸びたら案内してやるわ!」

「はあ? なに偉そうなこと言ってんのよ! 私が最初に見つけたって言ってんでしょ!? 案内するのは私達の方よ! だいたいなんで許可なんていちいちいるのよ! そこら辺に落ちてる硬貨ですら誰かの許可得てサイフに入れてんの? だからボケてるって言ってんのよ! 見つけてこっそり隠すから後から言われるんでしょ? 正直に出せば、褒められる以外にないんだし、後の面倒事は勝手に任せればいいのよ。だいたい誰が持ち主なんてそもそもが分からないんだし、許可求めてる時点でおかしいと思わないの? 私より長く生きてるくせにそんなことも分からないとはね。え? いったいどうやって生きてきたの? もう一回お遊戯から初めてみる?」

「……ッチ、何も理解できてない無法もんが……。んなことはそこら辺の子供だって赤ちゃんの時から知っているわ! 申請の意味も分からん盗人が――もし何かあった時に円滑に話を進める為に事前に申請するんだよ! 俺達みたいなよそ者が勝手に他所の土地を荒らしていいわけないだろ! ――ああ、お前さんはその辺の知識が抜けているから仕方がないか。ほら、試しにそこら辺にある石ころ一つでも持って外に出てみろ、警備に見つかったら檻にぶち込まれて一か月以上不味い飯暮らしだぞ? あっ、お前さんは何も理解できないから、新しい住処をくれたと勘違いして大喜びするか、はっはっはっ!!」

「はあぁああー!!? 何がはははよ、このボケ老人が! 一生そこで笑ってなさい! もう話すだけ無駄よムダ!!」

 声を荒げるグレイスが石蓋に手を掛けた。

「はっあっ!! やめろ! 触れるな!」

 急ぎハリーも石蓋に手を乗せ、そして力強く押した。

「ッチ! 邪魔よ邪魔! これ以上邪魔するならどうなっても知らないわよ!」

「はんっ! やれるもんならやってみろ! 口先ばかりで俺が吹き飛んだから間違いなくお前は豚箱行きだぞ! ほらやれ! やってみろ! ほら!」

 煽るハリーに対面にいるグレイスはさらに声量を上げた。

 二人の間で両腕を胸元に組み、話を聞いていたエミリーは、そうね、と小さくつぶやいた後――叫んだ。

「っざけんじゃないわよ二人共!! どいつもこいつもただ騒ぎたいだけじゃない!! だったら私が開けてやるわ!!」

 駆け足の瞬間、エミリーは広げた両手を石蓋に置、胸元を寄せては力を入れた。

「なっ、何やってんのよエミリー!! その爺さんが先よ!」

「ふーふー! ジュニアー! ジュニアー!!」

 三人の大声が入り混じる中、一人残るジュニアは右から後ろへと顔を動かしたあと、石蓋の押すエミリーの背で視線を止めた。

 短い呼吸を繰り返し、石床を――踏んだ。

「ちょっ!!?」

 エミリーが声を上げる。ジュニアの手が、広げる両腕――腰に巻き付いた。

「なっ、なんなのよ急に!!」

 後ろに引かれるエミリーは上半身を激しく振り回し、左足を大きく上げては、後ろに向かい叩きつけた。

「ぎゃっ!!」

 叫び声が聞こえ、巻き付く腕が解かれる。

 エミリーは身を翻し、表情を歪ませるジュニアに向かい拳を振った。

 皮膚と骨のぶつかり合う音が二人に聞こえる。庇う腕と伸びる拳が衝突した。

 二回靴底を弾ませ、距離を空けたエミリーが視線をなお――ジュニアが腰に抱きついてきた。

「な、なにこいつ!!」

 ぐだぐだともつれ合い、二人の体が前後激しく入れ替わる。

 背中に向かいエミリーが何度も肘を振り下ろした。だがジュニアは顔を歪ませるだけで、決してその手を離さなかった。

 足元をふらつかせる二人の体は石棺に徐々に近づき、そしてジュニアの背が石棺に倒れた。

『あっ!!』

 老若の声が重なる。

『たあっ!!』

 続けて二人の顔が石蓋の上に倒れた。

 奥に押された石棺はその丈を大きく縮め、乗せられていた石蓋は太ももまで大きく下がっていた。

「うっうぅ……なんだ急に……」

 シワだらけの顔を上げたハリーは石蓋に乗せた手を震わせながら、その体をゆっくりと起こした。

「くぅ……いたた……」

 歪む顔を上げたグレイスは石蓋に置いた手を真っ直ぐ立たせ、その体を上げた。

 両足を地につけた二人は言葉もなく、ただ自身の足元に視線を落としていた。

「たああ……もう面倒ね……」

 うつ伏せに倒れるエミリーは悪態を付きながら、ズレた眼鏡の位置を直し、その場に座り込んだ。

「ううっ……ああ……」

 仰向けに寝るジュニアはうめき声を上げ、ごろりと体を転がすとまた喉から声を出し、そのまま起き上がる事はなかった。

 濁流の音が辺りを支配する。だが、それを先に打ち破ったのはグレイスだった。

「なんなのこれは……罠?」

 左右に視線を散らせた後、振り返り、石床に目を落とした。

 ハリーは石蓋に視線を合わせたまま言葉を返す。

「その可能性は低いだろう。もし罠なら今頃俺たちは真下に落ちてる。無事ということは罠である可能性が低いと言うことだ。棺が沈んだ理由は……まあ、雨水の排水路がこの下を通っているはずだから、床全体が浸食により沈みやすくなっていたのかもな」

「じゃ……あとは時間の次第かしら?」

 グレイスの目が石蓋を捉える。

 見下ろす二つの視線。突き刺す問いに石棺は沈黙を続けた。

「時間も何もこれは手が出せない。触ればどうなるか分からないからな。どうしても蓋を開けたいなら、まずはこの石床の下を調べないと話にならん」

「そう。じゃ道具が必要ってことね。私達はここで待ってるからお願いするわ」

 そう口にしたグレイスの顔をハリーが見る。

 金髪の頭毛から緑のジャケットから飛び出る白い両手に、石床を踏む二足の赤いスニーカ。左側ではもう一人の女が悪態をつきながら腰を上げ、さらにその奥に伸びる段上の一つには、部屋全体を明るく照らす懐中電灯が灯っていた。

「――お前達も戻るんだよ。今の話が理解できたならここに居る意味はないはずだ」

 ハリーの言葉にグレイスは顔を上げ、その目を見た。

「そう? あとから変な人が来たら困るじゃない。私が守るから安心して行って、って意味よ。わかる?」

「………」

 グレイスの顔をジッと見つめるハリーが、ふと息を吐いた。

「……どれだけ言ったところで無駄なようだな。――分かった。ならこうしよう。協定だ。お前も俺もどうしてもこいつを開けたい。だが、主権の問題で互いにいがみ合ってる。全く無駄な口争いでしかない。そこで、互いの妥協点を出し合ってそれで納得しないか? 俺達はここでの調査を邪魔されずしたい。お前達も同じだろ?」

 ハリーの問にグレイスは、ハッと鼻を上げた。

「一緒にしないでくれる? 私達は違うわ。そんな遺品やミイラなんて全く興味ないの。欲しいのは一番最初にそれを見つけたっていう証明、ただそれだけよ」

「証明? ……それはつまり……名前さえ何かに載ればいいってことか?」

「そうよ。それ以外になんの意味があるの? 時間をかけるよりも最も早く功績として名前が広がるんだから、それが一番手っ取り早いじゃない。だから私達が先に開けるの。それでいいでしょ?」

「ふむ……ならこの部屋と石棺はお前さんが先に見つけたことにしよう。ただしこの石棺や他の石棺、その中にある宝や歴史的に価値のあるものの保全、調査は俺達のところが請け持つことでいいな?」

 ハリーはグレイスの目を見つめ反応を待った。が、その答えはすぐに返ってきた。

「それでいいわよ。でもあんた達が嘘ついて、私達だけが嘘つき呼ばわりされるのも困るから、棺は絶対に今開けるわよ。それとここで見つけた物一つは貰っていくわ。一応証拠として誰かに見せておかないと口だけじゃ信じないしね」

「ああ、それでいいだろう。それと携帯があるならカメラで撮っておくといい。――あと、ここを出た後は俺達に少し付き合ってもらうぞ。今日一連の出来事はしっかり報告しておかないとここにいる全員が盗人になるからな。――そっちの雇い主は誰だ?」

「確か……アメリア……アメリア……なんだっけ?」

 両目を右に上げていたグレイスが、腰に手を当てて二人を眺めてるエミリーに顔を向けた。

「アメリア・フリーデルケ」

 独り言のように吐き出された言葉に、グレイスはハリーに向かい笑み浮かべ、その名を繰り返した。

「そうそう、アメリアフリーゲルテ」

「アメリアフリーゲルテ? 聞いたことがない……どこの輩だ……。――まあ、いい。その雇い主にはそっちから説明してくれ。これからは共同でここの調査すると。日を改めてから俺達も挨拶しておくから」

「いいわよ。そう伝えておくわ。――ねえ、それでいいよね?」

 グレイスからの問いに、エミリーはふと息を吐いた後、微かに頭を振り、霧のような小言を口にした。

「良いわけないでしょ、バカじゃないの?」

 目を合わせないエミリーの表情をグレイスは数秒間見続け、そしてハリーに向き直った。

「オッケーって」

「――そうか。まあ、それでいいなら……で、これを開ける話だが……」

 ハリーとグレイスが頭を下げた。

 仰向けで眠る石棺はただ二人を見上げている。

「このまま見たって勝手に開くわけないんだし、私が開けるわよ」

 ハリーはじっと眺めたまま額を掻いた。

 右に動き、石蓋に深く掘られた模様のある場所に近づく。

 視線を動かし、まずは石棺の頭が寄せる壁を見た。

 表面は滑らかであり、苔が僅かに生えている。

 足元へと目を落とし、落ちた石棺と床石の間を見る。

 そこには隙間などは出来ておらず、長方形の石はしっかりと収まっていた。

 石棺近くで数回足踏みし、弾くような音を響かす。

「んー、全く分からないな……」

 ひとり言を石棺に呟いた後、腰を落とした。

「開けよう。俺も押す」

「へえ? これぐらいなら一人で押せるけど?」

 ハリーは自然と細まる視線をグレイスに向けた。

「その馬鹿力なら出来るだろうが、何百ある石蓋をどう調節して開けるつもりだ? 力はあってもその腕も伸びるのか? 俺も押すから、少しずつズラしていくぞ。――いくら名を上げたところで、後から賠償にでもなったら馬鹿らしいからな」

「黙っときゃバレないわよ」

「はあ……マッドアリスが……」

「なに?」

 グレイスがハリーの方に顔を向けた。

「行くぞ!」

 ハリーは大きな掛け声を返すと、広げる両手に力を入れた。

「おーけー」

 グレイスはズルズルと奥へと動く石蓋の振動を広げた両手に感じながらも、力を前に入れ押し始めた。

 先程まで揃っていた蓋と棺の角は動き、徐々に隙間を作っていく。

 グレイスが前へ前へと体の軸を動かす度に、今度はその角と緑のフライトジャケットの体が重なりそこを埋めていく。

「おっ……おっ……」

 グレイスは真下を見つめたまま、興奮した猿のような声を途切れ途切れ吐く。

「なんだ! 何があるんだ!」

 ハリーも頭を真下に向け、必死に目を凝らす。

 頭と重なり合う石棺の中は暗く、未だ何も見えてはいなかった。

「おっ……おっ……おおっ!?」

 石蓋が石棺の天辺――中心辺りを過ぎたとき、興奮したさ……グレイスが倒れかける体を一気に上げた。

 突然重くなる感触にハリーも同じく腰を上げ、顔を向けた。

「なんだ! なにがあった!?」

 瞬間――段上にあった箱を段下に叩きつけるような衝撃音が轟いた。

 咄嗟に全ての背が無意識に天井へ伸びる。

 続けて上から勢いよく掌で叩きつけるような音が響き、石の崩れる音と同時に石棺が姿を消した。

「なっ!!?」

 両膝を床に付かせ、背筋を伸ばすハリーが頭を落とす。

 吹き上げる風切りの声に乗り、濁流の音と匂いがそこから巻き上がっていた。

 ハリー達の前にあった石棺のあった場所には四角形の空洞が開き、その名残としてか石蓋だけが繋ぎ止めるような形で掛け橋として残されていた。

「ば、ば、バカな!!」

 驚愕するハリーは両手を床に付かせ、穴の中を覗く。

 しかし、水と風の音が聞こえるだけで、その先は何も見えてこない。

 同じく穴の中を覗いていたグレイスは、無表情のまま立ち上がり、両膝を軽く払った。

「あーああ……」

 呆れたような声を出すエミリーと、口を閉ざすジュニアは二人に近づき視線を落とした。

「そ、そんな……こんな手の込んだ事まで……」

 ぷるぷると体を震わせるハリーに、グレイスは視線を合わせることなく言葉をかけた。

「あーあー、どうしてくれるのよ爺さん。貴重な文化財産がー」

「グググッ……!」

 ハリーは奥歯を噛み締め、眉根にシワを浮かべると、片手を膝につけては立ち上がった。

「お、俺のせいではないだろ! まさかあんな仕掛けがあるとは思わないだろ!」

「はあ? 仕掛け? 何言ってんのよジジイ! どこにそんな仕掛けがあったってのよ! あんた事前にあるかどうか調べたんじゃないの!? ええっ!? どうすんのよジジイ! 超、超、ちょーーー! 貴重な超超重要的な文化遺産が消失したのよ! 石打ちじゃ済まないわよ! その頭にある少ない髪の毛ハゲワシに食わせて、死ぬまで晒し首よ! どうするつもり!! ハゲ! ハゲハゲ、ハゲ!」

 二回、右足の靴底を石床に叩きつけるグレイスに、ハリーは肩を震わせながらも声を張って反論した。

「うっさいい!! まだ髪はあるわ!! 見てみろ! 大体、石棺が落ちたのは仕掛けだと言ってるだろうが!! 理解しろ!! アホ、アホアホ!!」

「はあ!? 人にアホとか言う前に、気付きなさいよ、ハゲが!! じゃ、どこにその仕掛けがあったか説明しなさいよ! 出来るんでしょハゲ!」

「くっ! 俺はハゲてないって言ってるだろ! ええ!? どうしても分からんのかクソガキが! いいか? 石棺はこの石床の隙間にピッタリハマっていたんだよ! それは理解できとるか? ――デキてますかー?」

 二回、人差し指でハリーが自身のこめかみを叩く。

「はあ? 出来てるに決まってるでしょ! うっさいわねー!」

「ほお、そりゃ良かった。また一からお前さんのために説明するかと思っていたわ。いやー助かったわ。下手した俺達はミイラになっていたかもしれないからな。いやー本当に良かった。現世に残った唯一の遺言が『何も理解できない金髪緑のフライトジャケット着たませたクソガキ』で終わるところだったわ! 危なかったー!」

「はああ?! 鬱陶しいわね! んな心配しなくてもどうせすぐ死ぬんだからさっさと続き言いなさいよ! 本当にミイラになるわよ!?」

「はっあん! お前さんが理解できるならそう掛からんわ! いいか? ここに隙間がない以上、それ以上は落ちることはないと思っていた物が、どうやって下に落ちたかというのは非常に単純な話なんだよ! いいか? その仕掛けは石棺にも床にも壁にもない! 蓋自体に付けられていたんだよ!」

「蓋?」

 グレイスの視線が穴の中央に動く。

 そこには橋のように寝かされた模様の掘られた長方形の石が寝ていた。

「あんな薄っぺらい石蓋にどうやってそんなもの仕掛けられるのよ! 適当なこと言ってんじゃないわよホラ吹きが!」

「出来るんだよ! お前さんには一生かけても分からんだろうがな!!」

「クググッ……」

 グレイスの眉間がさらに歪み、その濃さをより増していく。

「…………」

 口元を手で塞ぎ、ジッと石橋を眺めいたエミリー。

「もしかしてこれ、裏に棒みたいなもんがついてたんじゃない?」

 ふと呟いた言葉にハリーに目を見開かせた。

「ほお、よく気付いたな。さすがこんなマヌケと共にしてるだけあって、その相棒はちゃんと学が出来てる」

「何ぃ!? ――エミリー! 説明してよ! どういことよ!!」

 額のシワを見せるグレイスに、エミリーは額を合わせることなく答えた。

「単純な話で、あの石蓋の裏には棒か石……アルファベット大文字のティーの形をしたつかえ棒のようなものが蓋とは反対の方向に伸びていたのよ。つまり、蓋を回すことにより、側面に彫られた溝で収まり支えていた棒か石がその枠から外れてしまい、支えをなくした石棺だけが下に落ちるようになったって仕組み。――分かる?」

 胸元に両腕を重ねたエミリーがグレイスに目を向ける。

 見下ろすような視線にエミリーがもう一度、ハッキリと、そしてゆっくりと、言葉を発した。

「わかる?」

 グレイスは口元を歪ませた。静かに頭を下げ、そして、声と共に再び上げた。

「ふ……ふふふ、ふふふふ、ふははははっ!」

 突然何がおかしくなったのか、グレイスが大声で笑い始めた。

「はははっ! バッカねー! 本当にバカばっかりだわ! いい? 本当にそれが原因で石棺が落ちたと思ってんの? ねえ? よく思い出しなさいよ、特にそこの痴呆もんはね!」

 グレイスはハリーに視線を向けた。

「なに? 誰が痴呆だと? なら説明してみろ! お前の言い分をな!」

「はぁっん! よく聞いてなさいよ! いい? 棺とその上に乗っかっていた石蓋はちょうど同じ大きさだったのよ? あんたも棺と蓋の角と側面に手を添えて押したでしょ? もし、あんたの言うその仕掛けがあるとするなら、棺の大きさは蓋よりも小さくなければ下に落ちないんだから、押してる時に僅かにズレが出来て気付くはずよ! その違和感がないってことは、棺と蓋の外枠の幅は同じ幅だってことよ! どうやってその仕掛けが仕込まれた状態で、蓋と棺が落ちずにズラして時だけ都合よく下に落とせのか説明してみなさいよ! ――どう考えて見ても無理があるわ!」

 グレイスの言葉に口元を吊り上げたハリーは、小さく舌打ちをした後、足元にある模様の掘られた石橋を見続けるだけだった。

 その様子を誇らしげに見守るグレイスは、聞こえるような声を大きさで頻りに、ほら、ほら、早く、えっ? ほら、ねえ、ほらほら、と繰り返していた。

 ハリーは突然腰を落とし、石橋の端に両手を掛け、それを持ち上げようとした。

「なら、これをひっくり返せば答えが出るだろうが! 今やってやるわ! ぐぐぐぐっ!」

 目を血走らせ、歯を見せなが体を震わせる。

「おーおーおーおー」

 グレイスは上から覗き込むようにその様子を見届けながら、両手を小さく何度と叩いた。

「ジュニア! 反対側が持ち上げろ! ひっくり返すぞ! ジュニア!!」

「は、はい!」

 名前を呼ばれ、返事をしたジュニアはハリーとは反対側へと移動し、同じ姿で石橋の両角に手を掛けた。

「ぐっ……グググッ! こ、これは重すぎます……!!」

「情けないこと言うな! も、持ち上げるぐらい容易なことだろうが……!!」

 男二人が顔色を変え、必死に石橋を動かそうとしている姿に、女二人はどこか冷ややかにその様子をただ眺めているだけだった。

 二つの引き攣るような低い声が高く上がった時、石橋はふるふると震えながら、僅かに空へ浮いた。――が、すぐにそれは重力に耐えきれず、砕ける悲鳴を轟かせては体を真っ二つにさせ、暗闇の中へと消えていった。

「あーあー、あーあーあー!」

 グレイスが呆れたような感情の全くの籠もってない音を口から出す。

「はあ、はあ、はあ……く、くそっ……」

 顔中から汗を垂れ流すハリーは、両肩で息をしながら胸元を石床にくっつけ、穴から聞こえる水音を耳にしながらただ暗闇を眺めていた。

「全く幾つの文化遺産を壊すつもりよ。今度は確実に石屑になって流れていったのを見たわよ。――この目でね、あーあー、もったいなーい」

「ふーふー、勝手にほざいてろ、ふーふー」

「こうなったら、私が考える第二プランで行くしかないわね」

「第二プランだと……?」

 ハリーが体を起こし、その場に座り込んだ。

 同じジュニアも向かい側で座り、グレイスに顔を向けている。

「プラン二は、賭けと時間が掛かるけど、見つかる可能性も十分高いわ。この下を流れる水はどこに流されると思う?」

 グレイスからの問いに、ハリーは顔を下げ、すぐさま上げて答えた。

「――ヤーハか。近くにオアシスもあるから、そこから経由して主流の川と合流する可能性がある」

「そう。石棺自体は数百キロの重たさがあるから沈んだらそのままだけど、もしかしたらこれぐらいの雨水の勢いからある程度は押してくれる可能性あるからね。それに中身が入ってるのは濁流と共にオアシスの方へと流れていくから、運が悪ければ地中の中だけど、良ければオアシスからヤーハーに流れ着くかもしれないわ。――そこで! この雨水がどこに向かうかを調べるために携帯のジーピーエスを使うわ。――はい、携帯出して、ここは協力よ」

 グレイスは手を伸ばし、座り込む男達に向かい、手のひらを見せた。

 その行動――小さな白い手を見た二人は、再びグレイスに目を合せた。

「なんだその手は?」

「携帯出せって言ってんのよ?」

 声もなく腰を上げたハーリーは体を払うと、反対側にいるジュニア向かい言葉を発した。

「――帰るぞ」

「はあ? なに寝ぼけてんのよ! あんた達が全部落としたんだから責任ぐらい取りなさいよ。携帯出して協力すれば許すって言ってんのよ? 持ってるんでしょ携帯ぐらい! 出しなさいよ!」

 一人声を上げて騒ぐグレイスに、ハリーはしたうちをした。

「――ッチ……ふざけたことを……。携帯のジーピーエスを使って流れを追跡すると言うんだろ! この下は雨水が流れてるんだぞ! 防水性でもないものが、どうやって浸水に耐えれると思えるんだ! 俺たちの携帯は防水性じゃないんだぞ!」

「衣服に巻き付けて浸水しないようにすればいいでしょ! あんた達の着てる服使えば浸水を遅らせることは出来るはずだわ! あっ、そんなに携帯が気になるなら、一緒に流れればいいんだわ! 後で私達がちゃんと携帯と一緒に見つけてあげるから安心して流れなさいよ。それならあっという間にお家に帰れて、しかも起きずに早く着くわよ?」

「あっ、それちょっと面白いわね」

 グレイスの案に反応するエミリー。その二人を見ていたハリーは両肩を震わせ始めた。

「こいつら……。言わせておけば好き放題言いやがって! なら、お前さんにも巻き付けてやるから携帯を出せ! 二台もあれば確実だろうが!」

「はあ? なんで私が出さなきゃいけないのよ! 私は関係ないでしょ!?」

「元はと言えばお前がここまで拘らなければ――!!」

「そんな事は私に関け――!!」

 老人と少女の怒声が部屋中で飛び交う中、少しの後、二回の破裂音と声がそれを止めた。

「――はいっ!!」

 それは麻祁が両手を叩く音と声だった。

 突然の乱入者に声は止み、四人の視線が一つの場所に集まる。

 濁流の音が再び支配を取り戻す中、麻祁はいつもの口調で言葉を発した。

「妙な音がする」

 それぞれが瞬時に首を動かし、その言葉の答えを探し始め――そして……。

 石を吹き飛ばす破壊音と共に室内が揺れ始めた。

 五人が捉える。その音の原因、場所――それはグレイスの投げた石棺が石屑として積まれ、水路を埋めた場所。同時に濁流が一気に噴き出した音の原因。

 その勢いは狭い水路では耐えきれず、一面の壁に亀裂を走らせては、そこから雨水を溢れ出させていた。

 四人は目を見開かせ、即座に動く。

 階段を昇り、並んだ石棺の横を通り過ぎ、狭い通路を――。

 第二、第三と水は吹き出し、その産声を室内で轟かせる。

 揺れる地面に暗闇が辺りを包み、片手を支える石壁は――。

――――――――――――――――

「はあ、はあ、はあ……」

 上から降り注ぐ雨粒などもはや気にもせず、三人はテントの張ってあったキャンプ地へと戻ってきた。

 止められた一台の車の後部に立てられたテントに入り、中に置かれていた長椅子に崩れるようにして腰を落とした。

 ハリーとジュニアは両肩で激しく息を繰り返しながら、机に顔を伏せていた。

「さ、さすがに今回は駄目だと思ったが、よ、よく戻ってこれたな……はあ、はあ、はあ……グッ……心臓が破裂しそうだ……」

「ひい……ひい……ひい……」

 喉から出させる呼吸音が言葉として絶え間なく口から出ている二人の様子を、麻祁はただ黙って見ていた。

 ハリーが顔を上げ、左に動かす。

 机の端。ハリーと向かい側に座るジュニアに挟まれるようにして、麻祁はそこに立っていた。

 ハリーはさらに顔を上げた。

「はあ、はあ、はあ……覚えてるか?」

 その問いに、麻祁は一言返し首を振った。

「まったく」

「そうか……」

 再び顔を沈めるハリー。――ふと、机に硬い物が置かれる音がした。

 ハリーがその音に反応し、再び左――机の先端に顔を向けた。そこには一枚の硬貨が置かれていた。

「成果はこれだけ」

 置かれた硬貨に、ハリーは少しの間それを留めた後、顔を背けた。

「記念だ取っておけ」

 項垂れる二人を前に、麻祁は硬貨を手にし、そっとポケットに戻した。

――――――――――――――――

 叩きつける雨粒を容赦なくフロントのワイパーが吹き飛ばしていく。

 エミリーは割れたメガネを軽く上げ、両手に持つハンドルを微かに動かした。

 上から降り注ぐ雨粒は次々と後方へと流され、揺れる車内では仕事をするワイパーの声と叩きつける雨音が一つの歌手と楽器となり、リプレイ曲として流れ続けていた。

 エミリーがふと視線を左下に落とした。そこには椅子を倒し、胸元に両手を乗せ、無表情で天井を眺めているグレイスの姿があった。 

 エミリーはふと息を吐いた。

「まだ拗ねてんの? 生きてるだけマシと感謝しなさいよ」

「…………」

 グレイスは何も答えない。

「あんたのやった事は確かにバカで幼稚で考古学を舐めきった大犯罪なんだけど、自然で潰れたものは気にしても仕方ないわよ。どんな構造していたかなんてのは知らないけどさ、いつ浸食で壊されるかもしれない状態だったかもしれないんだし、私達のせいじゃないわよ。その点はちゃんと説明してあげるわ。――でも、ジャングルで起こした崩壊だけは絶対に違うわよ。死ぬまで覚えてなさいよ」

「…………」

 グレイスは何も答えない。

「それにしてもよく生きてたわね。絶対に死ぬかと思ったけど、運良く出られて本当に良かったわ。――あの三人は途中ではぐれたけど、運が良ければ生きてるでしょ。――あっ、そういえば助かったのもあれのおかげかもね。ほら、途中で見つけたアンク。持ってるんでしょ?」

 エミリーの言葉に、グレイスはフライトジャケットに付けられていたジッパーを下ろし、そこに手を入れ中から一つのアンクを取り出した。

 先端は丸く――輪っかが作られており、その下は十字架のような形になっていた。

 色は灰色であり、周囲には模様が彫られ、輪と十字架の間の場所には円型の穴が空いていた。

 大きさもちょうどグレイスの胸辺よりも少し小さめである。

 グレイスはまるで心臓にそれをハメるかのように、胸元で合せた。

 その様子を見たエミリーは微かに口元を上げた。

「いいわねいいわね。よく似合ってるわ。そのまま静かに死んでなさい。一生助かるわ」

「……これ、証拠として出しちゃだめかな?」

 グレイスからの案にエミリーは即座に断りを入れた。

「ダメに決まってんでしょ。雨水で落盤した、って説明するのに、そんなもん持って帰って見せたら、まだ隠してるんじゃないかと、盗人の疑いが掛けられるわよ? まだあの三人が死んだとは確定されてないんだし、必ず向こう側も調査に行くと事前に報告してるはずだから、色々とあとから辻褄が合わなくなったらどう説明するつもりよ? 余計な要素を加える必要はないわ。どうせ一から真下まで掘り起こすには今以上の資金まで必要になるんだし、このまま破棄に導かせるのが一番なのよ。それが歴史的文化遺産を守る最も最善の答えよ。そのアンクは命を助けられた幸運の土産として持って帰りなさい。――ホテルに先によるからね。着替えたら、次は説明よ。アンクは置いてくること」

「…………」

 グレイスは何も答えない。

 ぐらぐらと揺れる体に天井に貼られた白濁のニットが共振する。

 黒のクロスカントリー車が泥濘んだ土を巻き上げ雨を突っききる。

 照らすヘッドライトは車道などを映さず、そのまま無作為に走り去り、エンジン音を轟かせてはその後ろ姿を雨粒の中に溶け込ました。

――――――――――――

 長らく続いた雨の独奏会が終わりを見せる。

 白くなり淀んでいた景色は晴れ、広大な岩場の土地がその姿を現す。

 埋め尽くす曇天はすぐさま席を立ち、そしてオレンジの光が再び全てを覆い尽くした。 

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