八節:石棺

 水の音。それはよく豪雨の日に聞こえてくる、狭苦しい水路内で体を押し付け合う泥水達の悲鳴と同じ音だった。

「ふぅ……ひ……い……ろ……」

 何も無い暗闇に、短く息継ぎを繰り返すような音が新たに紛れ込む。

「……い……そう! ……くぅ……たいな……」

 音は次第に悪態をつく老人の声に変わり、今度はまばゆい光が闇を裂いた。

「はぁはぁ……ふぅ……やっとか……」

 這うようにして肩身の狭い通路から、水と共に膝元を濡らして現れたのはハリーだった。

 両肩を揺らしては、手に持つ明かりを前に差し、その先を足元に落とす。

「……おっと……」

 留まる光の輪に斜面が映る。

 その瞬間、先程から聞こえていた音がより鮮明に、より強くなった。

 迷いなく流れ出る水。今でも絶え間なくハリー足元を通り抜け、その先にある坂を下っては暗闇へと飲み込まれていた。

「……どうですか?」

 ハリーが出てきた穴からジュニアのか細い声が聞こえてくる。

 僅かに顔を向けた後、ハリーはそのまま流すようにして明かりと共に大きく左に動かした。

――段差のある少し広めの足場が映る。

 その段差から辿るようにして、壁から飛び出た僅かな岩場を光で捉えると、今度は壁に背を付け、滑り落ちないようにしてはその場所に足を置いた。

 両手を広げ、靴底と背中を擦らせながら段差に向かい少しずつ近寄っていく。

 目的の場所にたどり着くと、ハリーはぐるりと体を回し、辺りを見渡した。

 周りの状況を確認し、先ほど自分の居た場所に光を向け、そして声を飛ばす。

「足場を確保した。出たらすぐ足元は坂になってるから滑り落ちるなよ」

 映す穴から先に姿を見せたのは麻祁だった。

 立ち上がるや否や顔を下に向け、左にすっと動かすと、岩場を映す明かりを視界に捉えた。

 そのまま導かれるようにして麻祁はハリーの時と同じく壁に背を付けると、光の元に向かい足を進めた。

 次に姿を見せたのはジュニアだった。

 まるで母親に続くアナグマのように、懐中電灯を片手にのそのそと遅く這い出てくると、

「うわっ!?」

立ち上がった瞬間、情けない声をあげた。

 誰がどう見ても、今はとても不安です。と思える表情を浮かべ、自身の足下をずっと見つめていた。

「いくら見たところで先など見えてこないぞ!」

 飛ぶハリーの声に、ジュニアは明かりを忙しく動かし、壁沿いある狭い足場を見つけた。

 二人と同じく壁に背を付けてはそこを渡り始め、そしてもう一つの明かりがある場所へとたどり着く。

「ああ……びしょびしょだ……」

 自身の体に光を当てる。

 新緑に近い緑のツナギは、入ってきた時よりもその色彩をより濃くし、裾から絶え間なく落ちる水玉は足元で留まり、小さな池を作っていた。

「おい、そんな下らないものを照らしているよりもっと前を照らしてみろ。すぐに吹き飛ぶぞ」

 ハリーの声に、ジュニアは顔を左に向けた後、正面を見た。

「正面? えっ……これは……」

 すでに差してある明かりに被せるようにして、ジュニアが無意識に光を合わせた。

 二つの電灯で照らす天井の奥。その光に入っていたのは、ずらりと立ち並ぶ緑の石柱だった。

 その輝きはまるで人知れず隠れ住む蛍のように、光に照らされては自身の持つ色をより灯していた。

「宝石……?」

「ペリドットだ……。ここまでの量と大きさは今まで見たことがない……。それに見ろ、光を当てただけであれだけの輝きを出している。原石として売り出しても高値がつくだろう」

「どれぐらいの価値はつくと?」

 ハリーが一つ突き出た緑の石柱を差した。

「今、市場で出回ってるのは、あれを十分の一ぐらいの大きさで、さらに研磨した物だ。価値で言えばたかが数千ぐらいだから、それが研磨もせず原石で売れるとなると……」

 ぐるぐると天上を巡る光を止めるように、横から麻祁の声が聞こえた。

「毎朝パンケーキに蜂蜜と紅茶、それにハムベーコンとニュースペーパーが付く」

 ハリーの顔が麻祁のいる方へと向く。

「素晴らしい。これで朝の心配はせずに済む」

「……あ、あの、すみませんが一つ聞いてもいいですか……」

 どこか元気のないジュニアの声に、二人が視線を移した。

 一点をジッと見つめる顔から、その先に伸びる光、そして映る石物へと移していく。

 明かりがもう一つ加わり、視界がさらに広がった。

 そこに映されていたのは円形の壁に沿うようにして、段差ごとに敷き詰められたいくつもの石棺だった。

 流れ込む湿気のせいか、見世物として博物館に置いてあるような乾いた石の色はしておらず、所々に緑の苔を生やしては色をさらに薄暗くさせ、当てる光を僅かに跳ね返していた。

 何かを閉じるために乗せられている石蓋には模様など一切掘られておらず、質素な景観をしてる。

「こ、これって……あ、あの死体とかじゃないですよね……」

 額から汗を垂らすジュニアが、ハリーに問いかける。

 しかし、ハリーはすぐに答えない。明かりを奥へと伸ばし、上から下へと縦に三つ並べられた苔の生えた石棺を見た後、ようやく声を出した。

「こんな苔の生えた場所にわざわざ死者を埋葬する納棺師がいると? ……まあ、いても一体ぐらいで残りは空か宝物が入っていると見ていいだろう」

 ハリーが手前に並ぶ石棺の一つを照らした。

「宝物ですか? 宝石……」

 ジュニアの明かりが乱雑に飛び移る。ぐるりと何基かの石棺を映した後、同じく一番手前にある石棺で止めた。

 三人の視線がその石棺に集まる。

「どれ……一つ開けて確かめてみるか」

 手に持つ明かりを麻祁に渡し、ハリーは石棺の横に立つと、なんの装飾も模様もないただの石蓋の上に両腕を広げて置いた。

「い、いや、やめたほうが! 中から虫とかそういうのがあ……ああ……ああああ!!」

 小さな虫に穴だらけのミイラでも妄想しているのか、ハリーが石蓋をずらすたび、ジュニアは顔を引きつらせ叫び声を上げた。

 両肩を張り、後退りする男に反し、麻祁はライトを握りしめ、一歩前に出ては石棺の前に立った。

 少しずつ開く天蓋の隙間に光を差す。

 石が擦れ合い、斜め方向に大きく動いた所でその音は止んだ。

 麻祁が右手を石棺に入れては動かし、ハリーは溢れ出る光を顔面に浴びるように中を覗き込んだ。

「…………」

「…………」

 二人の間に言葉はない。

 開いた石棺を閉じることなく、麻祁がさらに上階にある石棺に向かい、石蓋を開け始めた。

 ジュニアが開かれた石棺の中を焦らすようにゆっくりと覗く。

「……空?」

 ぐるっと四方を明かりで照らし、何度か鼻で空気吸う。

 石棺の中は、外側を構成する石よりも乾いた灰色を強く放つだけでそれ以外は何も無かった。

 ジュニアの左横――上階から麻祁の声が飛ぶ。

「ここもなし」

「んー……」

 麻祁の報告にどこか虚ろな表情を浮かべるハリーが、暗闇で眠る他の石棺達に顔を向けた。

「先に盗人が入り込んで好き勝手楽しんだのかもな。まったく、これだから手癖の悪い奴らはどうしようもない」

「他のすべても空なんですかね? わざわざ盗むだけに、こんな場所に来ないと思うんですけど……」

「盗むやつに後悔という言葉が存在すると思うか? 金と聞けば目が眩み、目先にある鞭打ちなんて気にもしない。そんな奴らが心配するのは運び出す手段と分け前だけだ」

 ふん、と息巻くハリーの横で、ジュニアは、はぁ、とため息を吐いた。

 少し離れた場所からユラユラと揺れる光が二人に近づいてくる。

 ジュニアが明かりを差す。見える足から辿るようにして上に伝わすと、麻祁の顔が映った。

「途中まで全て見てみたが、中身はどれもない。あったのは棺の隅にあったこれだけ」

 二人の前に一枚の金貨が差し出された。

 ハリーが受け取り、横にいたジュニアが上から光を当てる。

 歪んだ円形に褪せない金色。中央には一頭の馬とそこに乗る人の姿が象られていた。

 馬は前足を高く上げ、勇ましくもその力強さを十分に表し、騎手も似たように天高く片手を掲げている。

 手に乗せていた金貨を返し、裏に向ける。――そこには、王冠のような装飾品にどこかの紋章が象られていた。

 昔から変わらないであろう輝きに、目をキラキラとさせるジュニアは一人興奮していた。

「すごい……すごいですよ! 金貨じゃないですか! これは相当値打ちが……」

 より良い答えを求めるようにジュニアがハリーに顔を向けるも、そこで見える表情は何処か浮かない様子だった。

 一呼吸置いたあと、ハリーが口を開く。

「確かに値打ちはあるだろうが、この手のものは幾らでも外で見える。これはこの土地の硬貨ではない」

 ふと息を吐いた後、金貨をグッと握りしめ、出来た拳を裏返し、麻祁に向けた。

 左手に落ちてきた金貨を受け取った麻祁は再び明かりを向けた。――勇ましく前足を上げる馬の姿が黄金色を返す。

「馬の姿があるだろう。この地域では昔、馬と言えば戦争に利用されるだけの生き物だったから、高値で取引される金貨にわざわざ馬を描いた物など見たことがない。むしろ騎手や、その王冠と紋章が描かれているのを見ると、自身の地位や家柄、戦争での勝利者を示している事から、明らかにここから数百キロと離れた北西の土地で使用されていた証だ。どこぞの盗人が前金代わりに貰ったものか、はたまたここから勝手に拝借した時にポケットから落としたモノだろう。価値はあっても、認知されてる歴史を覆す程の価値はない」

「調べてみれば変わるかもしれませんよ。もしかしたらここで製作されて、上流階級のみで流通していた物かもしれません。類似のものが無ければ僕達の発見が初めてに……」

「それなら良いが……まあ、可能性がないわけではないからな。一応、調べてはみるか……」

 視線を落とすハリーの姿に、ジュニアは明かりを地面に向けたままその横顔を眺めていた。

 少し間を空けた後、光を回し、再び辺りを照らす。

「あれ?」

 天井を差す明かりが下に落ち、階段の先――さらに奥を照らした時、ジュニアが声を出した。

「あれは……」

 伸びる人差し指に、麻祁とハリーの顔が動く。

 ぼんやりとした明かりに映っていたのは、3人の近くで並ぶ石棺の一つだった。

 麻祁が明かりを上げ、石棺の角を映す光と重ねる。

 よりハッキリと鮮明になる石の棺。その石蓋には何やら模様のようなモノが描かれていた。

「……棺? それにしてはなんだか……」

「模様が掘られているから、高貴の証か、はたまた盗みを働く賊を釣るための罠か、だな」

「罠? そんなものがあるんですが?」

「昔から聞いたことがあるだろう。高貴な身分のある棺を開けたら数日後にそいつが死んで、何とかの呪いだーって。あれは棺を開けた際、勝手に物品を持ち帰る欲深い奴が、後日、付着していたカビに肺をやられるんだよ。環境、気温によっては眠っていた菌が活性化する場合もあるからな。事前に調べもせず、欲望のまますぐに横流しする奴とかが、そういう理由で死んでる話なんぞ腐るほどある。それが罠――つまり、バチを当てる仕組みだ」

「それは知ってますが……その、罠って事はわざわざ盗られることを想定して仕掛けてるって事ですよね。そんな事を考える必要が昔にあったんですか? 今でならまだ分かりますが、一応、王ってものは存命していたわけですし……」

「お前は何も分かっとらんな。例え一国の王が全て所有し、管理していた所で毎回一人で確認には来れないだろ? だから、長期の間は盗み放題なんだよ。身内ですら自身の地位の為に殺人を平気で犯すやつもいる時代だ。当然、金なんてものは即決で欲求を満たせる道具なんだから、ある所が分かるなら、誰でも別のやつに情報を流して取りに来させる。例えばこの場所を警護している奴らとかな。それを想定して用心の為に仕掛けておくんだよ。毒には即効性がないから、必ず引き渡しの為には雇い主の手元に届く。そこから肺や皮膚から体内に染み込み、徐々に弱らせていくという――呪いの流れだ」

「……それじゃあの中は……」

「さあ、開けて見ないことには分からん。死体が入ってるかもしれないし、もし宝だったとしても、他の石棺と同じで中身は空で、既に持ち運んだやつは土になってるのかもな。……まあ、見てみるか……」

 ハリーはゆっくりとした足取りで、一歩前にある段差を映しては、一段ずつ下り始めた――その時だった。

「……て? なんか……感じの空間が……わよ」

 ふと僅か遠く、左の方から若い女の声が響いた。

「何がいい感じよ。雨水ドバドバ流れるこんな場所に何があるってのよ? 湿気に虫と苔しかいないわよ」

 壁の隙間からチラチラと覗き出す車のヘッドライトのような光に合わせ、もう一人別の女の声も響いた。

 ハリーが立ち止まる。三人の視線と二つの明かりは、小刻みに揺れる光に向けられた。

 黒色の角が無い段差奥にある、大人の背丈よりも縦長の穴。そこから現れたのは金髪に緑のフライトジャケットを着た――グレイスと、茶髪のメガネに黒の長袖姿の――エミリーだった。

 暗闇で逃走者を探すサーチライトのように、体を出した瞬間に瞳を刺してくる強い光に表情を歪めた。

「つ!? 眩しいわね」

 先頭のグレイスが目元を左手で覆い、返すようにして持つ明かりを右、左と交互に向けた。

 差す二つの光線が角度を落とすと、一瞬にして暗闇が上部から覆い広がる。

 グレイスの後ろから姿を覗かせていたエミリーが手に待つ電灯のスイッチを押した。

 眩い光が手元で発せられる。六つ組み込まれていた電球が一気に灯った。

 まるで室内にいるような明るさが全体を包み、互いの顔、視線までも認識できる。

 見える顔を改めて確認したグレイスは、ふん、と息を吐いた。

「なによ、誰かと思えばあんた達……」

 明かりと視線を階段の下に向ける。その瞬間、グレイスの眼がグッと開いた。

 瞳孔の中心に大きな石物が映されていた。石蓋には掘られた盛大な模様までもがハッキリとそこに収まっている。

 一歩グレイスが踏み出す――その時だった。

「――!? 動くな!」

 グレイスの明かりが素早く右に動き、ハリーを捉えた。

「…………」

 不意の事に、ハリーの喉元から声が漏れる。

 動きを止め、グレイスの差す明かりに顔を合わせた。

「なに一人慌ててるか知らないが、先にここに入ったのは俺達だぞ? 後からのそのそと亀のように入ってきた嬢さん達が、一人胸を張って声を上げるのは寝ぼけるにも程があるんじゃないか? ――もう少し目覚ましは早く鳴らすべきだったな」

 その言葉にグレイスは、ふん、と再び息を吐いた。

「寝ぼけてるのはアンタよ、おじぃいちゃんっ。先に部屋があると目を付けたのは私達が先よ。昨日、歩いてる時に通路の仕掛けに気付いたから、わざわざこんな日に来たのよ。……あんた達は何? その濡れた体は? 上から流れて来てたまたま辿り着いただけじゃない? それで『先に入った』とか、時計を持ったウサギでも追いかけて迷ったの?」

 グレイスの明かりがハリーの濡れたツナギの上でクルクルと回った。

 自身の体、そしてグレイスの乾いた緑のフライトジャケットに目を移した後、眉根を歪ませた。

「俺達も昨日見つけたからわざわざここに来たんだ。それに雨が降ったのは俺達のおかげでもあるんだぞ!」

「はあ? 大丈夫、おじいちゃん? 昨日、天気は見た? あめ。って言ってたでしょ? あめえって。見てない天気? ……ああ、テレビも携帯も見ない早寝だから祈るしかないわね。そりゃ、降ったらそう信じるわね、だから年寄りは騙されやすいのよ」

 ツン、と鼻を上げるグレイスに、ハリーは舌打ちをした。

「クソっ、言わせておけば……」

 ハリーは麻祁達が出会った像について話そうとしたが、それを頭で留めた。

 その言葉を口にした瞬間、目の前の小娘が一人の成人である人物を痴呆で妄想癖のあるただの年寄りと決定づける事になる。

 これ以上、あの教養と知性の欠片の見えない態度を大人しくさせなければならない。

 多く言葉を掛け合うだけでは、ただ無駄と徒労が増えるだけだ。

 そう考えたハリーハ大きく息を吸い、ゆっくり吐き出しては胸で脈動する血流を落ち着かせた。

「とりあえず、誰がこの場所に来ようと、お前達の雇い主が望んでいるような物はここにはない。欲しいのは金目の物か世間の目を引かせる物だろ? 見てみろ。どこを見ても光輝く山積みの金貨なければ宝もない、あるのは棺ばかりだ」

 ハリーが両手を平げ、明かりを左側で並ぶ石棺に向けた。

 グレイスとエミリーの顔が釣られるように向けられる。

 まるで室内灯と同じような明るさを出すライトのおかげで、幾つも並ぶ石棺の内、半分以上の蓋が開かれているのが遠目の二人でも確認できた。

「中は空だ。誰かが既に持ち帰ったらしい。ここに残されているものは何もない。全く残念な話だよ」

 声を落とし、自身の頭に乗せた右手をハリーが擦るように動かす。

 その姿をジッと見つめていた二人は、顔を合わせ何かを話し始めた。

 ハリーが上目で二人を見る。そして視線を僅かに天井に向けた。――エミリーの持つ明かりに反応し、薄暗くはあるものの石柱は緑色を放っていた。

 会話を終え、二人が顔を戻す。

 それに気付いたハリーは背筋を少し伸ばした。

「俺達もそろそろ引き上げるつもりだ。何もない場所を調べても仕方ないからな」

「…………」

 表情を変えないグレイスがハリーの顔を見つめる。

 ぎこちない笑顔を返すハリーに対し、グレイスは近くにある石棺を顔で差した。

「エミリー」

「……はいはい」

 ため息を吐き、エミリーが石棺に近づいた。

 明かりを石蓋の上に置き、端と端に両手を添えると力を入れた。

 石の擦る音に合わせ、蓋が右、左、右に動く。

 ズレる石蓋と石棺に隙間ができる。ライトを手に取り、上から光を差し込んだ。

「…………」

 言葉もなく、瞳をグルっと一回動かし、部屋全体を鮮明にする明かりを石蓋の上に置いては、声と共に振り向いた。

「――空よ」

 エミリーの言葉に、グレイスは顔色一つ変えず、ただ青い瞳で茶色に染まる目を見つめ返し、左に向くと同時に段差下にある石棺に明かりを当てた。

「じゃ、あそこに入ってるのは?」

 どの石棺よりも細かく掘られた模様に高さのある外枠。見た目は明らかに他の石棺とは違い、扇状となるこの空間の中心で眠るその姿は、まるで皆から囲まれ看取られているような、そんな雰囲気を漂わせていた。

「アレも空だ。他の棺が空なのに、あんな派手な格好をした棺を真っ先に開けない理由が無い。すでに確認済みだよ――俺達がな、な?」

 同意を示し合わすように、ハリーは麻祁達のいる方へと頭を向けた。

 麻祁は表情無く、ジュニアは声を一瞬詰まらせ、瞼を見開かせては、何度も、ええ、ええ、と小さく頷いた。

 ハリーがグレイスの方に顔を戻す。

 三人の表情を見比べていたグレイスは瞬きを一度した。

「――開ければいい話ね」

 靴底を段差に当て、一段、一段一段と下りていく。

 ハリーも身を返し、次の段差に片足を乗せ――左から石壁の崩れる音が聞こえ、風切りの音が耳元を掠めた。右側から爆音が轟いた。

 足が止まり、即座に首が動いた。そこに思考なく本能がそうさせた。

「ば、馬鹿な!?」

 山のように崩れ積もる石に隙間から溢れ出る水。

 ハリーの視線は打ち付けられた。まさにそれは異様な光景だった。

 先ほどまで体を濡らしながら必死に出てきた穴が、どこから湧いて出たのか石の屑により埋められていた。

 石と石の隙間からは、雨水が息苦しそうに身を細め、隙間から溢れ出ている。

 ハリーがグレイスの方に向く。目を見開かせた。女が片手で石棺を――。

 再び風切り音が鳴り、石の崩れる音が部屋中に響いた。

 ハリーは顔を逸らすことなく、グレイスを見続けたまま声を上げた。

「馬鹿野郎! 何やってるんだ! ここを壊す気かかお前は!? この気狂いが!」

 激しくなる声に、グレイスは春風にでも当たるようなスンとした表情のまま、段差を一段降りた。

「アンタが悪いのよ。私は言ったわ、動くな、ってね。聞こえなかった? だから、行動で示してるんでしょ? 動かなきゃ……」

 石棺に近付き、右手を側壁に打ち込んだ。

 石の砕ける音が鳴り、グレイスが腕を上げると軽々と石棺が浮き上がった。

「グレイス!!」

 後ろにいたエミリーが叫ぶ――同時にグレイスが片足を上げ、大きく振りかぶった。

 まるでボールを投げるように、軽々しくも鋭く放たれた石棺はだだの石塊としてハリーの横を通り過ぎ、山積みになった石の破片に再びぶつかった。

 砕ける音に幾つもの小石が飛び散り、壁に亀裂が走る。

「あんたさっきから何やってんのよ!! ここをぶっ壊す気!? やめなさいよ!!」

 エミリーがグレイスの肩を強く握りしめ、体を振り向かせた。

「はあ? アイツら悪いんでしょ? 嘘ばかりついてどうせ中身だってあるに決まってるわ。早く開けて見てみないと……」

 身を翻し、先を急ごうとするグレイスの腕をエミリーが掴まえる。

 ジャケットにシワが入るほど力強く掴まれる感触に、グレイスは眉間にシワを浮かべ、振り返ると同時に解いた。

「ちょっと離して! 何するのよ!」

「あんたまた壊すつもり!? いい加減にないと本当に居場所がなくな……」

 二人の耳に男の声が聞こえた。それは歓喜にも驚きにも満ちた、とにかく注目を集めるためのものだ。

 エミリーが咄嗟にその声に反応し顔を向ける。

 見つめる先、そこには明かりを壁に向け、ハリー達に叫ぶジュニアの姿があった。

 辿るようにして差す光を追い、崩れた壁を見る。

 指し示す場所、積もる石の破片に埋もれるようにして、幾つかの金や宝石が散らばっていた。

「はあぁっ!?」

 エミリーが無意識の中で息を大きく吸い込み、低くも高い音を喉から出した。

「なに?」

 目を見開かせるエミリーに、グレイスは不思議そうな表情を浮かべたあと、同じ方向に顔を向け、視線を細めた。

「何がどうしたのよ急に……」

 更に視線を細める。

「自分がやった事がわからないの!? あんたがさっきぶん投げた棺の中に宝石が入っていたのよ! 腕差し込んだとき気付かなかったの!?」

 頭から煙を吹き出す勢いで言葉を発するエミリーに、グレイスは呆れたように声を返した。

「そんなの知るわけないでしょ? あいつらが無いと言ったんだから気にもしないわよ。それより嘘が証明できたんだから、早く開けないと……」

 部屋の中心にある石棺に向かい、グレイスが段差を駆け下りていく。

 その後ろ姿を見ていたエミリーは顔を落とし、両肩を震わせては――叫んだ。

「グレェェース!!!」

 全身に風を纏い、段差を降りきったグレイスに追いついたエミリーはフライトジャケットの右肩を左手で掴むと、勢いよく引き込み、振り向かせた。

 グレイスが無意識に顔を向ける。最初に視界に入り込むエミリーの掛けた眼鏡。そして……。

――ぱちん

 エミリーがグレイスの左頬を叩いた。

 突き抜けるような声に、部屋中に響く皮膚の弾ける衝撃。その異様な音にハリー達は動きを止め、視線を一箇所に向けた。

 三人の見下ろす光景は、石棺の前で向き合う二人の姿だった。

 叩かれたグレイスはただ立ち尽くし、瞬時には何も返さない。

 叩いたエミリーは両肩と頭を落とし、それとほぼ同時に声を出した。

「ハァ、ハァ、いい加げ」

――ぱちん

 静かに頬の弾ける音が響く。

 その衝撃を語るように、顔を上げた瞬間エミリーの視界が突然左に動いていた。

 顔を正面に戻すと左頬を赤くするグレ――。

――ぱちん。

 顔を正面に戻すと左頬を赤くするエミ――。

――ぱちん。

――ぱちん。

――ぱちん、ぱちん、ぱちんぱちんぱちんぱちん。

 互いの胸ぐらをグッと捕まえ、二人がにらみ合う。

「痛いじゃないの! なにすんのよこのバカ!」

「あんたこそ馬鹿よ! やってることの意味を分かりなさいよバカバカ、バカ!」

「うグググぅっ!! バカバカアホバカ!!」

 見兼ねない口争いにバタバタと揉み合う二人の姿。

 それを明かりで当て、見下ろしていたジュニアは呟いた。

「ひ、ひどい……」

 段差にいたハリーもしばらくその光景を目にし、同じように呟いた。

「……バカしかおらんのか」

 くるくるとその場で回転を始める二人を余所に、ハリーはその横で静かに寝そべる石棺を思い出し、一度、揉み回る二人の動きを注視した後、段差を一気に駆け下りた。

 石棺の側面に立ち、蓋に描かれた模様を見回した後、先程降りてきた段差側の角に両手をつけた。

「さあさあ、中に何が……」

「早く離しなさいよ! バカ!」

「あんたがバカよ! 壊すことしかできない能無しが!」

 グレイスの背にエミリーが体を乗せ、腕を絡ませては、そのまま抑え込もうとする。

「ググッ……あっああー!!」

 エミリーを振りほどこうとグレイスが顔を上げた時、石蓋を開けようとするハリーの姿が目に入った。

「クグッ……グググ……!!」

 血が上り、熱くなる体を震わせるグレイスは絡みつくエミリーの右腕を掴むと、前に向かい力いっぱい放り投げた。

「えっえっ!? あがっアっ!!」

 背から地面に叩きつけられたエミリーが腰から低い声を出す。

「ハァ、ハァ、ハァっ!」

 急ぎグレイスがハリーの反対側にある棺よりも僅かに出ている石蓋の角を両手で押した。

 少しずつ動く石蓋に、僅かに覗き見える棺の中。

 額から汗を流すハリーの目がその暗闇へと吸い込まれようとしていた。

「ハ、ハハッ、見える……もうなっ!?」

 両手で押していた石蓋の角が、誰かの力と共に戻ってきた。

 先程まで覗き見えていた隙間が一瞬で閉じる――どころか、両手と体が更に強く押された。

 両足に力を入れ、突き出る石蓋を押し戻す。

 グッと顔を上げ、ハリーが向かいの角を見る。そこにはグレイスの顔があった。

「きさまぁ……」

 眉間にシワを寄せ、ハリーが奥歯を噛みしめる。

「嘘つきジジイは石打ちに舌抜きよ……」

 石蓋の角に両手を当てるグレイスが両頬を赤くしながら不敵な笑みを浮かべた。

 一基の石棺を挟み、老人と少女は一つの石蓋を開けるべく対峙した。

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