五節:通路

 狭苦しい通路の中で、四人は確かめるようにして、相手の顔を見つめ合っていた。

 張り巡る視線の中、それとは別にフライジャケットの背中では、一人こそこそとその目を伏せ、避けようとしている者もいた。

 西から射す明かり二つは、崩れた煉瓦の上に居る二人を照らす。

 金髪のミディアムヘアーのグレイスに、その後ろに隠れる茶髪のミディアムヘアーのエミリーの姿を――。

 東にいるその二人の内、一人は向かい側にいるツナギ姿でリュックを背負う三人――麻祁達に対し、同じく手に持つ明かり一つを差し向けていた。

 何ともいい難い雰囲気の中、先に言い出したのは、麻祁の前に居るハリーだった。

「これはこれは何とも可愛いらしいお嬢さん達ではないか? こんな岩だらけの中深くまで来て、何のようで? ――まさか、その似合わない姿で観光にでもしにきたのか? 可哀想だが――ここには動物を象った可愛いらしいヌイグルミもいなければ、素敵なドレスを着たお人形さん達もいないぞ? 記念撮影をしようにも写真で撮るほどの甘いデザートや素敵な景色も見れないし――それが分かったなら、さっさとママやパパの所へ帰った方がいいんじゃないのか? 今壊したその壁のことは目をつぶといてあげるから、さっさとお帰り」

 心配など微塵も見えないハリーの言葉に、視線を逸らすことなく見続けていた、顔に青アザを浮かべるグレイスがハッキリとした声で言葉を返した。

「なにさっきから一人喋ってんのよ、このジジイは? ボケてんの? ね?」

 後ろに振り返り、背中に隠れるエミリーへと呼び掛ける。

 ジジイと呼ばれた白髭を生やした爺さんはすぐさま声を上げた。

「なに!? 人がせっかく丁重に接してると言うのに、初対面でジジイだと!? やはり、お前ら見たいなはぐれ者には、年寄り一人を敬うことも出来んのだな! 少しぐらいは配慮という言葉を知らんか! これだから向こうの雇う連中は、品のない野蛮人しかおらんのだ! 今、お前達がやった事をもう忘れたのか!? 貴重な遺産になるかもしれない壁一枚をぶち壊したんだぞ! 足元に無残にも散らばってるそれだ、それ! さっきからドンドン、ドンドンと音が聞こえていたが、あれはお前が壁をぶち壊していたんだろ! もし衝撃でここ全体が崩れたらどうするつもりなんだ? 全く何を考えてるつもりだ!? ええっ?」

  一人興奮し、言葉をたくし上げていくハリーに対し、グレイスは一度も視線を落とすことなく言い返した。

「そう簡単に崩れるわけないでしょ。そうならない為にも、ちゃんとサーモグラフィで選んで来てんのよ! そういうあんた達はどうやってここまで来たのよ? まさか、一つ一つ煉瓦を退けてきたとか言うんじゃないんでしょうね? ばっかじゃないの? それでまた戻せば、はい、元通り! とかなるわけないでしょ? ――馬鹿じゃないの?」

「うくっくっ……なんて奴だ……!」

 ハリーの眉根に、深く深くシワが刻み込まれていく。

「――ね、ねえ……」

 グレイスの背中で顔を伏せていたエミリーが、二回グッとフライジャケットを引っ張った。

「なに?」

 グレイスが振り返り、明かりをエミリーに向ける。

 光の中心――そこに居たのは化け物を見ているかのように怯え、物陰に隠れ縮こまる、まるで小動物の雰囲気を思わせる青アザ残るメガネ顔だった。

 相手の動きを警戒するように、視線をジッと麻祁達の方へと向け、そしてか細い声で喋り始める。

「は、早く行きましょ。ここで話しても仕方ないわ……」

 差し向けてくる遠くの明かり一つが僅かに動く。――少し遅れてエミリーが咄嗟に顔を伏せた。

 その様子をただただ不思議そうに見つめていたグレイスが呆れるように言葉をかけた。

「…………ねえ、なんでさっきからそんなに腰下げて顔伏せてんの? お腹でも痛いの?」

「はぁっ? そんなわけないでしょ! ……あんた目の前で話してる人、誰だか分かって言ってんの? あれ同業者よ? どう考えても気軽に話さない方がいいわよ」

 チラチラと小まめに視線を動かすエミリーに、グレイスは差してくる明かりを見つめた後、ふとため息を吐いた。

「向こうからは話しかけてきたのよ。それに相手はこっちのことを観光者だと思ってるみたいだけど――」

「んなわけないでしょ……あんた、からかわれてんのよ。ああ言う連中とは、あまり話さない方がいいわよ。顔でも覚えられたら後がもう大変なんだから――」

「……エミリーってさ、前々からもそうだけど、そういうところほんと神経質だよね。そんなこと、気にしなくても大丈夫なんじゃない? 声すらどうせ明日には忘れているんだし、相手だってきっと会ったことすら覚えてないわよ」

「一緒にしないでよ! まったく適当なことがベラベラベラベラと――出てくる全員の頭があんたと同じじゃないのよ!? ……さあ、もう行くわよ。先に手柄取られてもいいの? ここで話せば話すだけ、時間も遅れるし、下手したら行動すら共にしなくちゃならなくなるのよ? 嫌でしょ、そんなの――」

 グレイスの腕を掴み、暗闇の先へとエミリーが誘う。

「はいはい」

 引かれるままにグレイスは先に続く通路へと姿を消した。

 その背中をずっとライトで照らしていたハリーが、ハッと大きく息を吐いた。

「まったくなんて小娘だ。口の聞き方が全然出来とらんな。いったいどこのバカ娘だあれは?」

「えっ? 知らないんですか?」

 唖然とした表情を浮かべるジュニアに対し、刻み込まれた眉根のシワを、ハリーはその広げる口へと向ける。

「なら、お前は知ってるのか?」

「え? ええ……っと、いえ知りません……」

「いちいち隣人の家族構成なんかに興味を持つ方が異常だろ。そんな事をしてる暇人ってのは、他人の恋愛事情を喜んで隠し撮りする三流記者か思春期時代の甘さが抜けないストーカーぐらいなもんだ」

 ハリーが二人の跡を追うように、前に延びる道を進み始めた。その背中に光を当てて続けていた麻祁達も、少し遅れて歩を進める。

 肩をすぼめてようやく二人が通れるぐらいの細い通路を言葉もなく三人は歩き続ける。

 その中、先を歩くハリーは常に左手を煉瓦の積まれた壁へと伸ばし、擦り当てていた。

 後方にいたジュニアがその様子を不思議に思い、真ん中にいる麻祁に小声で問いかけた。

「なぜ、さっきから壁を触っているんでしょうか? まさかさっきみたいに隠し通路があると思って触っているのでは……? どう見ます?」

 麻祁の視線が僅かに左へと動く。ジュニアの差す明かりはハリーの背を中心で捉えるも、その端際では壁へと向かい伸びる左腕も映していた。

「……たぶん探しているかと」

「でも、探すたって、さっき話していたあの女性の話ではサーモグラフィ……とかで隠し通路の場所が見えるって言ったじゃないですか。だったら、僕達よりも先に進んで行ったのならすでに隠し通路なんて見つけて――」

「――いるはずだから、こうやって馬鹿みたいに常に壁に手を着いて歩いている老人は、すでに痴呆でも入ってるんじゃないか。――と、でも言いたいのか?」

 前を進む、明かりに浮かんだ老人の背から突然声が飛んできた。

 その声調は怒りに満ちた様子でも無ければ、悲しみに沈む声でもない。ただいつもと変わりのない、いつもと同じものだった。

「えっ……いや……って、そこまでは言ってませんよ! ただ……別れ道もなければ、そうじゃないかな……ってだけで……」

「ふん、それぐらい分かっているわ。ただアイツらの後ろを着いていくだけでは何一つ面白味はないからな。こうやって擦る事で、もしかしたら見逃しているところがあるかもしれんだろ? あんな装置で細々と壁の一つ一つを照らしているなら、今頃奴等は通路に留まっているはずだ。――出会わないと言うことは、動きながらも雑に当ててるか、そもそも道具自体が高性能でないかだ。やはり、粗暴で単純な子猿共には、ああいう道具を持たせただけで、声を上げてはしゃぐんだろうな。キャッキャッ、キャッキャッって、上手くは使えんでも片手で楽しそうに振りましてな、はっはっはっ!」

 嬉しそうに一人声を上げて笑うハリーの後ろで、二人はただ無表情で続いていた。

「――まあ、そういうことだから、お前らも片手が空いてるなら、壁を擦ってみろ。どうせ左手なんて暇してるんだろ? 俺の身長では届かない場所もあるから、手伝ってくれると助かるんだが―― 」

 その言葉の後、ジュニアが明かりを壁に動かすと、そこには既に左手を擦り付ける腕があった。

 ジュニアはすぐに空いている左手を壁に当てた。

 上、真ん中、下と、それぞれが自身の身長に見合う箇所にて手を合わせ、ずるずると擦っていく。――麻祁が足を止めた。

 背中を差す光が麻祁の左手に被さる。

 向きを変え、積み上がる煉瓦とツナギを着た体を向かい合わせた。

 左右から二人の視線が一ヶ所に集まる。

 当てた左手の下から、ずりずりと煉瓦同士の削り合う音が鳴り、僅かに砂が零れ落ちた。

「おい、見てみろ! やはり思った通りだ! はははっ! あったじゃないか!」

 一人、口角をあげて笑みを浮かべるハリーの横で、麻祁は顔色一つ変えず、煉瓦を押し続けた。

 少しずつ動かし、飛び出た部分をジュニアが横から支えては、角度を変えてはゆっくり引き抜き、足元へと積み重ねていく。

「俺も手伝おう。――にしても、やはりただの機械音痴かオンボロの道具を使っていたんだろうな。まったくとんだ知識不足の小娘どもだ。あれでも必死で遺物を探そうとしているんだから、まあ、なかなか可愛いものじゃないか。――だが、もう少し社会のお勉強か歴史書でも読んでからここに来るべきだったな。読み聞かされているおとぎ話程度の知恵では、せいぜい絨毯の上で妄想にふけるか、古ぼけたランプを拾って擦るぐらいしか出来んだろうからな。あはっはっはっ!!」

 一人、楽しそうに声を出して笑う老人の横で、二人の若者は黙々と壁の穴を広げていった。

 人間一人分が通れそうなぐらいの大きさになった時、麻祁はその場から退いた。代わりにハリーがその前に塞がり、穴の先に光を差し入れた。

 グルグルと辺りを見渡す。中は外と同じように煉瓦が敷き詰められた通路となっており、足元の中央には同じように溝のようなものが掘られていた。

 ハリーが先に――続いて麻祁が――そして最後にジュニアが――。

 突然、足下が揺れた。岩の崩れ落ちるような轟音がほんの僅かな間だけ響き、辺りに砂を舞い散らせた。

 壁に手を着き、体の揺れを押さえていたハリーは小さな咳をした後、何事もなかったように足を進めた。

 最後尾にいたジュニアは、一人忙しく辺りに光を動かし、消え行く背に気づいた瞬間、すぐにその跡を追った。

 会話もなく、ただいつも通りに歩く前方二人に向かい、ジュニアが声を出した。

「今の揺れって……もしかして、あの落とし穴と似てませんでしたか? もしかしてあの二人が落ちたのかも……」

 頭の中に浮かべ、勝手に口にする妄言に対して、二人は何も返さず歩く中、少ししてからハリーが声を返した。

「壁をぶち壊すぐらいだから、落とし穴じゃなくても生き埋めにはなってるかもな。まさに自業自得ってやつだな」

「音も近くで鳴ったようですし……様子でも見に行った方が……」

「気になるなら一人でも行けばいい。アイツらが勝手にしでかした事なのに、俺達が世話することはない。気があるやつだけが向かえばいい」

「で、でももしかしたら何か見つけたかも! そうなると一応確認だけでもした方が――」

「しつこいぞ! それだけ気になるならお前だけが行けばいいだろ! 何故俺が行かなきゃならんのだ! 何か理由でもあるのか!?」

 噛みつくような勢いで、ハリーは振り返ると同時にガタガタと揺れる懐中電灯の明かりをジュニアに向けた。

 目を細め、右腕で顔を覆うジュニアが腰を下げる。

 一人興奮する老人と、一人怯える青年の間に挟まれていた一人の女性が呟いた。

「あの大きさなら、この近くで崩れた可能性は高い。生きてるかどうかを確認しに行くほどでもないが、もし近場で崩れたなら付近の被害状況なども含めて一緒に見れるかもしれない。もしかすると、まだ見つけてない隠し通路の壁も崩れている可能性もあるかも……」

 ジュニアの顔に射す明かりを下げぬまま、ハリーの表情がいつもと同じものに戻った。

 僅かな間の後、ふと振り返ると奥も見えぬ通路の先にその明かりを射した。

 伸びる光の先は吸い込まれるようにして暗闇に飲み込まれていく。

「……まあ、まだそれほど進んでもないから、少し戻ってみるか。――ジュニア、携帯を見ておけよ。もしもの時に通じてなければ、別の方法を考えないと行けないからな」

「は、はい!」

 ジュニアがツナギの小さなポケットに手を入れ、携帯を取り始めた。

「おい……おい!!」

 その動きをハリーがすぐに止める。

「は、はい?」

 額から汗を浮かべ、抜けたような表情を見せるジュニアに対し、ハリーは明かりをその後方へと差し向けた。

「お前がそこに留まっていたら、俺達はいつ戻れるんだ? すぐに動かないなら、このまま先に進むしかないぞ?」

 慌てるジュニアは急ぎ振り返り、ポケットに手を突っ込んだまま、通路を戻り始めた。

 急ぎ足で先へと消え行く光に、ハリーは悪態をつきながら、ふとため息を吐いた。

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