三節:煉瓦
暗闇の奥で、二つの明かりがゆらゆらと揺れ動く。
時が経つにつれ、それらは徐々に大きさ増し、そして姿を現した。
先頭を歩く若草色の小さなザックを背負ったハリーが、右手に持つ明かりを消し、続く麻祁は足を止めた。
左右に挟む壁画に首を振った後、すぐに歩を進める。
少し遅れて――今度はジュニアが姿を見せた。
肩で数回息を吐き、手に持つ明かりを消すと同時に、慌てた表情を浮かべ走り出す。
三人は壁画が飾る通路を歩いていた。
側面の壁から天井近く、角より少し下の辺りには拳ほど丸い穴が等間隔で幾つも空けられており、そこからは一線の光が射し込んでいた。
歪みのない光は対面にある壁画をそれぞれ映し、その間から溢れ出る明かりが、辺りの風景を鮮明に現していた。
一人、忙しく首を振り続けるジュニアの前にいた、カーキ色のザックを背負った麻祁が声を出す。
「昨日とは違い明るいな。ここまで光を取り込めるとは驚きだな」
ハリーは立ち止まることなく、前に伸びる通路に向かい笑みを浮かべた。
「ははっ、そうだろ。ここを照らしてる光は上層で見たあの光だ。あれは山の四方から降り注ぐ太陽光を一ヶ所に集め、それを配線のように洞窟内に散らせてるんだ。通す穴も拳ほどだから、分散も少なく、光量も減らずにスポットライトのように照らしてくれている。観光の際は電気代を気にすることもない。まさに利益のある自然エネルギーで大助かりってやつだな」
「太陽光か……それは興味深い話だな。こんな埃だらけの場所で、かつ数百年も時が経つというのに未だ光量を変えないとは信じられないな。見えない宝を探すよりも、その鏡一枚だけを持って帰れば、十分な研究価値があると思うんだが……」
「弱まる光をまた強める効果があるなら調べる価値はあるが……鏡よりもまずはこの場所の構造を解くのが先だな。分散を減らせる理由は鏡よりもその狭間にあるだろう。より障害物を少なくさせる仕掛けがなければ、どれだけ鏡を磨いたとしても光は通らない。どうしてあんな高い場所に設置出来たのか? そしてその穴は人工なのか、自然なのか? 調べることはまだまだ多く尽きん」
「私がひとつ仮説を唱えるなら、昔の人はゴムみたいに手が伸ばせた説を推すな。それなら、穴が人工的に作られようが、天然だろうが、勢いよく伸ばして容易に設置することが出来るし、どれだけ内部が複雑だろうが関係ない」
「それは面白い発想だな。――だが伸ばした後はどうするんだ? ゴムのように皮膚は伸ばせても、骨や筋肉、間接までも伸ばせないというのに、どうやって手先を自由に動かすと言うんだ?」
「水があるなら空気との圧で吸い上げたりできる。例えばその先が折れ曲がろうが、麺をすするように一息で吸い上げれば一瞬さ――何もすべての穴という穴に置かなくてもいいんだしね」
「ほぉ……ならまずはそこにある壁画の中から手の長い人物かそれらしい絵を見つけ出さないとな――ジュニア、何か見つけたか?」
「えっ!? え、えーっと……」
咄嗟に顔を上げたジュニアは、過ぎ行く壁画の一つ一つに目を通し始めた。
「い、いえ! 鳥とか変な頭の人達はいますが……」
「それならすでに確認してある。……ったくさっきからキョロキョロと……この場所は深く思えてまだ浅い所だ。今は明るくとも、奥に行けば光は消えてるはずだ。さすがにこれより下までは明かりは届かないだろうがな」
「えっ? それならどうするんですか? 何か灯りになるものを取ってこないと……暗闇の中で探索なんて出来るんですか?」
ジュニアの何気ない言葉に、前を歩く二人からの返事はなかった。――それよりも、空気が少しだけ変化を見せた。
何とも言い難い空気に気付いたジュニアは、口を閉じたまま揺れる二人の頭に視線を送り続けていた。
砂を踏みしめる音を鳴らし、三人は壁画の間を進んでいく。
道は徐々に徐々に狭まり、天から射し込む光は弱まりを見せ始めた。
左右を挟む壁画も数を減らし、そして、途絶えてから、しばらくして……暗闇が目の前を覆った。
足を止めたハリーは手に持つ懐中電灯を点け、前を照らした。――そこには下るための段差があった。
岩を削っただけの荒い作りで、踏む場所も僅かにあるだけの、手すりも滑り止めもない。
不安そうな表情をジュニアが浮かべる中、ハリーは空気中に漂う埃をじっと映していた。
四方に光を散らせた後、ハリーが段差を下り始めた。
次に麻祁が足を下ろし、そしてジュニアが――手に持つ電灯を点け、後に続く。
一歩踏み下ろす度に、目に入る二つの段差を頼りに、暗闇の中を潜り進んでいく。
ふと、段差が消え、平坦な直線の道が現れた。
足元や左右、天井の壁は上層と同じく、人の肩幅ぐらいある乾いたレンガが敷き詰められており――それ以外は何もなかった。
交わし合う言葉もなく三人は、先へと進む。
映る砂埃にジュニアが咳き込む。
先を行くハリーが足を止め、明かりを左に向けた。――そこには暗闇が覆う一つの入り口があった。
ドアもなく、ただレンガを積み上げることにより出来たそれは、誰がどう見ても何かの入り口だと思わせる作りをしていた。
何一つ違和感と呼べるものがない場所……ただそこには奇妙な雰囲気が漂っていた。
人はそれを目にした瞬間、本来なら全ての意識は釘を打ち付けられ、次に湧き出てくるのは冷静な判断ではなく、無垢なる探求心だけになる。
だが、今、目の前で立ち尽くす三人の中のうち、一人もそこへ踏み込もうとはしなかった。
本能が無意識に思考を止めていた。そこを隔てる為のドアが無いおかげで――。
ハリーはぐるりと明かりを回した。
敷き詰められた石床は目に映るも、それ以外の場所は暗闇しかない。
光がふと右へと動く。それを追うようにして二つの体ともう一つの明かりも動いた。
それぞれの視線が薄闇に浮かぶ通路へと差し向けられる。
言葉もなく、三人は足を進めた。
ジリジリと煉瓦を踏みめて数歩――明かりの中に、先ほどと同じような入り口が飛び込んできた。
ハリーは明かりを右側に向けるも直ぐに前へと戻した。
足を止めず、その横を通りすぎる。それから数歩――明かりは前に聳える煉瓦の壁により塞き止められた。
立ち止まる三人の思考がグッと左側へと寄せ付けれられる。
ハリーが明かりを向ける。そこには三つめの入り口があった。
中に光を射し込んでみるも、最初に覗いた入り口と同じように、敷き詰められた石床は映せても、奥の景色までは見えない。
ハリーは、ふんっ、と息を吐き、光を塞き止めた壁を上から下へと照らしながら、ペタペタと触り始めた。
「どこかに通路があるかもしれない……ここにはないようだ」
「なら残り三つだな。誰がどこに入る?」
「ライトは二つだが、一人何かあったときは困るだろう。三人で一つずつ調べるしかない。まずはそこからだな」
ハリーが真横にある入り口へと光を伸ばした。
「先に俺が行こう。ジュニア、後ろからしっかり照らしてくれよ」
ずりずりと少しずつ足を前へと動かし、一歩一歩、ハリーが闇の中を進んでいく。
続く麻祁達も同じように足元を引きずらせ、その歩幅を保った。
確かめるようにして、前を照らす明かりが常に揺れ動く。
ふと光の中に煉瓦の積まれた壁が飛び込んできた。
ペタペタと上から下へと触れた後、ハリーが声を出した。
「それじゃ、ここから別れよう。向こう側の壁を見てくれ」
そう言ってハリーは、僅かに明かりを左へと向け、照らし出される壁を丁寧に上から下へと擦りながら歩き出した。
「それじゃ右側を調べよう」
麻祁の声に、ジュニアは不意を食らったような返事をしたあと、明かりを右へと向け、二人で壁を触り始めた。
左右に別れた光がゆっくりと入り口に向かい距離を縮めていく。
二つ光が入り乱れた時、三人は通路へと出た。
「どうやらハズレのようだな」
影に浮かび出るハリーの横で、麻祁が闇へと向かい顔を向けた。
「まだ二つあるさ。意味のない部屋など労力の無駄だよ」
その言葉にハリーは一人頷き、歩を進めた。
「その通りだな。まだ二つある」
道を戻り始めた三人は次に立ち止まったのは、左手にある二つ目の入り口前だった。
ハリーが中に光を射し込むも、やはり奥までは見えない。
「次は私が行こう」
声と共に麻祁が右手を伸ばす。
その横にいたハリーが電灯を手渡した。
ゆっくりと足先を確かめるように、指に力を入れて一歩一歩踏みしめていく。
背中が奥へと消え行く中、ただ茫然と照らし続けているジュニアに向かい、ハリーが声をあげた。
「何をしてるんだ。それをこっちに渡して、早く後ろから着いていけ」
頼り無さそうな返事をしたあと、ジュニアは慌てた様子で手にある電灯をハリーに渡し、すぐさま消え行くカーキ色のザックへと駆け寄った。
麻祁が一番奥の壁に着く。そのまま後ろから来る明かりを待ち、また壁を触りながら二人で右から周り始めた。
最後尾にいたハリーも壁を触り、そして左から入り口へと向かい、足を進める。
二つの光は距離を縮め、そして通路へと出た。
「あと一つだな」
ハリーの視線が残り一つとなった入り口の方へと向けられる。
「それじゃお願い」
麻祁は右手に握る懐中電灯を、ジュニアへと差し出した。
「えっ!?」
明かりから見え隠れする麻祁の顔、そして電灯へと忙しく視点を切り替えるジュニアは恐る恐るそれを受け取った。
「あ、あの……これでその……先頭を……」
「さっきから何を見てたんだ。そこにある二つの目はただの石か?」
「後ろからは私が着いていく」
その言葉にジュニアは、
「はあ……」
と息を吐いた。
通路を戻り始め、数十秒と経たぬうちに三人の前にその入り口は現れた。
後方から照らす光は、見えない部屋を見通そうとさらに奥へと背伸びするも、先方にいる光はただ一人忙しく、ただその場で、ただ無意味げに蠢くだけだった。
まるでハエを追うようにして、ジュニアの首は右上から天辺、そして左上へと動き、自身の動かす光を瞳で追い続けていた。
それを横目で見つめていたハリーが声を出した。
「何をしてるんだ早くいけ」
「えっ!? は、はい」
声に背を押され、暗闇の中に足を一歩踏み入れる。
ざらつく砂粒の音を耳に、二歩目の左足をより前に出した。
吸う息に合わせ、明かりが小刻みに揺れ動き、吐く息と共に背と手に冷たく湿ったものが一瞬で涌き出る。
ただ一心に、明かりの中に飛び込んでくるものを願う。
差す明かりが一点で止まる。そこには煉瓦の積み上げられた壁が映っていた。
空いている左手を広げ、肩を伸ばす。
左足、右足、左あ――突然、光に映る壁と左腕が視線よりも上に移動した。
煉瓦の崩れる音と共にジュニアの体が宙に浮く。
見開く瞳に、背中に張り付く衣服がぐっと引かれた。
投げ飛ばされた体は砂埃を舞い上がらせ、煉瓦の上へと叩きつけられる。
辺りは揺れ動き、岩の崩れ行く音が轟く。
痛む体をジュニアは起こし、先ほど自分が居たはずの場所に目を向け
後ろから射す一線の光が、宙に舞う砂煙だけを映している。
轟音は止み、再び静けさが辺りを包み込んだ。
ただ呆然と座り込むジュニアの横で、麻祁もまたそこから動くことなく、ただ一人立ち尽くしていた。
明かりの中で舞う砂煙が、次第に薄れていく。
入り口付近にいたハリーが背負っていたザックを降ろし、中から黒色の外装をした小型の懐中電灯を取り出すと、それを麻祁に向かい、声と共に手渡した。
麻祁は光を点け、足下を照らしては前に進んだ。
少しの間のあと、ふと足を止め、煉瓦を照らしていた明かりの角度をさらに下へと向けた。
這うように立ち上がり、ズボンに絡み付く砂埃を軽く払ったジュニアは、自身の足下をじっと見続けている麻祁の横に立ち、同じく視線を落とした。
麻祁が照らしていたのは、まるで渓谷のように切り立った岩場――崖の一部だった。
確かめるように明かりが上下左右に揺れ動くも、絨毯のように広がる闇の底は見えず
、その深度を二人は知り得ることはできなかった。
何かに一人気付いたジュニアは突然顔を上げ、振り替えるや否や、近づいてくる明かりから溢れ出る僅かな光を頼りに、自分の座っていた場所、その周辺を見渡し、また振り返っては、崖の端から端へと首を動かし何かを探し始めた。
ハリーが麻祁の左側に着き、手に持つ懐中電灯の光を下へと射し込んだ。
「なにも見えないな」
光を動かし、向かい側の崖で止める。
映り出されたのは黒く荒い地肌と、その上でずらりと立ち塞がる煉瓦の壁だった。
「この下にはさすがに道はないな……。光も届かないし、なにより足場だった煉瓦が積もっている」
「だろうな」
ハリーが一言そう答え、明かりをジュニアへと向けた。
「落ちなくてよかったな。女神にでも感謝しておけよ」
一人先に廊下へと出ていくハリーに、ジュニアと麻祁はその後ろ姿を見ていた。
跡に続こうと麻祁が足を踏み出す――その時だった。
「あ、あの……助かりました……いろいろとすみません 」
頭を下げるジュニアに対し、麻祁は明かりを廊下に伸ばしたまま、
「行こう」
そう一声返し、足を進めた。
暗い通路の先をじっと見つめるハリーは、近付く二人の足音が止まるのを耳にした後、口を開いた。
「あと、可能性があるなら、この反対側の壁だけだな」
「部屋の間を調べるか」
ハリーと麻祁が足早と進む中、一人暗闇に残るジュニアはその光に向かい、とぼとぼと歩きだした。
二つの明かりが下から上へと隈無く駆け巡り、一つの左手が縦横に動き続ける。
一瞬、闇が遮るも、二人はすぐに次の壁を照らし、また触り始めた。
「ん?」
腰を落とすハリーが微かに声を出し、手を止めた。
一番下に置かれた煉瓦が僅かに動いた。
そのままハリーは腰を上げると、懐中電灯に照らした煉瓦を蹴り始めた。
真横にいた麻祁は距離を開け、ハリーの真正面にある壁を照らし続けている。
まるでボールを蹴るように、足の側面で蹴ること数回――ハリーの照らす明かりの中からそれは向きを変えた。
先ほどまで横向きで壁の一部だったのモノが、こちらに飛び出すように縦向きへと変わり、ただの煉瓦となっていた。
地べたに這いずるように体を倒し、煉瓦の左右に出来る空間から光を射し込む。
麻祁はその背中を照らし続け、そして前に向けた。
立ち上がるハリーが二人の方へと顔を向け、口を開く。
「当たりかもな。ここを崩す、手伝ってくれ」
麻祁は小さく声を返し、ジュニアを呼んでは懐中電灯を手渡した。
言葉もなく背を倒し、先ほどハリーが蹴飛ばした煉瓦に右腕を絡めると、それを左端へと寄せ始めた。
砂の擦り合う音と振動を耳に、小まめに角度を変えては、揺らすようにして器用に動かしていく。
右手で力強く煉瓦を左端に寄せ付けたあと、今度は右端にある煉瓦を揺らし始めた。
裏側から手を回し、ぐっと肩を引き寄せては、右、左と少しずつ手前に引き出していく。
ハリーは腰を屈め、開いた空間の上にある半身だけ浮いた煉瓦を下から支えていた。
麻祁は体を左に寄せ、自分の近くへと煉瓦をずらし、そして開いた空間の真ん中でそれを止めた。
立ち上がると同時にハリーも腰を伸ばし、二人で前に重なる煉瓦を見上げた。
一番上に積んである煉瓦の右端を麻祁が何度も叩き始める。
手元を照らしていたハリーがジュニアを呼び、徐々に飛び出てくる煉瓦の左端を指さし、それを掴むように指示をした。
ジュニアは急ぎ、懐中電灯を地面に置き、両手でその部分を掴む。
押される煉瓦は向きを変え、左の四つ角が全て明かりに映りこんだ時、ジュニアがそれを引いた。
ずりずりと接地面を削りながら、小まめに揺らしては手前にずらしていく。
全体の半分ぐらいが飛び出た時、麻祁が中心を両手で掴み、そのまま二人で引き抜いた。
声と共に麻祁は体の向きを器用に変え、ジュニアの対面に立つと、煉瓦の右側を支えた。
「そこへ」
声を顎を使い、ジュニアの左足付近を差す。
それに気付き、自身の左足へと視線を落としたジュニアは、はい、と返事をし、後ろへと下がった。
壁際に立ち、ゆっくりと膝を曲げては、手に抱える煉瓦を置いた。
休むまもなく二人はすぐに天辺の抜けた壁まで戻り、同じように次の煉瓦を取り除いていく。
残る膝辺りまでの煉瓦を移動させた時、照らす明かりは先の見えない通路を映していた。
肩を落とし、息を荒げては一人煉瓦に座るジュニアを横に、麻祁とハリーは光の輪を見つめていた。
掛け合う言葉もなく、ハリーが先に足を進め、その後ろを麻祁、そして困惑した表情見せるジュニアが大きく息を吐き、その跡を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます