二節:食事

 ツナギ姿の髭を生やした老人が前を行く。

 その後ろを続くようにして、麻祁たちもまた歩いていた。

 前を照らす一つの明かりを頼りに、狭く薄暗い通路をただ辿り、そして三人は小部屋へと出た。

「コホッコホッ……」

 最後尾にいた男が咳をし、改めて麻祁の頭横から中を覗き見る。

 そこに太陽などの自然光はなかった。

 真っ暗闇の場所で唯一確認できるのは、一筋の光に紛れる砂埃と、長方形に型を整え、ずらりと床に敷き詰められていた赤黄色の石だけだった。

 大きさにして、側面から大人四人が両手で持ち上げれるぐらいはある。

 老人は明かりを揺らし、そして部屋の横――上部中央の角で止めた。

 そこには松明などの灯りを挿して置く簡素なモノがあった。

「不思議なもんだろ? こんな何もない小部屋にわざわざ松明を掛けるモノがあるなんて」

「どこかに隠し部屋があると……でもどこに?」

「暗いからな。早々には分からんようになってる――ジュニア、少し手伝ってくれ」

「は、はい!」

 ジュニアと呼ばれた男は麻祁の横を通り抜け、老人の後ろへと着いた。

「これを持って、ほれ、その先を射していてくれ」

 老人が懐中電灯をジュニアへと差し出した。

 冴えない表情のままそれを受け取り、部屋の隅に光を当てた。

「違う違う、もっと右だ。そう、もう少し……そう、そこでいい。それじゃアルゲンディア。少しばかり手伝ってもらおうか」

 老人が光の中へと入り、そして薄闇へと右半身を隠した。

「これでも一応女性なんだが? 『紳士たるもの女性には優しく』そんな言葉を聞いたことがあるんだが」

 麻祁も同じく光の中へと入り、そして左半身だけを老人とは反対側の場所で隠した。

「『先行く者の雪跡を辿れ』と言う言葉もある。年よりの後に若い者が動かずしてどうして先が見えるものか。――それに、この中で若く手が空いてるのはお前しかおらんだろ」

 そう言われ、麻祁が明かりへと顔を向けた。

 光に浮かぶ細目に対し、ジュニアは目を見開かせ、首を左右に振った。

「ほら、ここを持て。隙間があるだろ 」

 老人の言葉に、麻祁は顔を落とした。

 斜めの方向から見える正方形の石肌。横と縦に並ぶどれもが、僅かな隙間もなく敷き詰められていた。

「その角度では見えないだろ。もっとこっちに来てみろ」

 言われるがまま麻祁は、部屋の奥にいる老人の前へと移動し、再び顔を落とした。

――そこに隙間が出来ていた。ちょうど石の側面に指四本が入るぐらいの大きさだった。

「行くぞ。――せーの!」

 腰を屈め、隙間に片指を入れた老人が声を上げた。

 麻祁も同じく腰を屈め、隙間に指を入れると同時に地面を踏みしめる。

 土の擦れ合う音を鳴らしながら、持ち上げられた角石はその横へと置かれた。

「ジュニア、明かりだ」

 呼ばれるままジュニアは光を揺らし、老人と麻祁の横――角石の前に立っては、明かりを下に向けた。

 そこにはちょうど、ジュニアの足元にある角石と同じ大きさの穴が空いていた。

 麻祁が視線と腰を落とし、中を覗く。

 飛び込む明かりの先は全て闇に吸い込まれ、視認できない。

 他に目につくものと言えば、先ほど置いた角石の下から僅かに見える黒色の岩肌だけだった。

 そこには左右大きく離して打ち込まれた二本の金具に、その一つ一つの身体にはワイヤーロープが結びつけられていた。

「梯子か?」

「ああ、今からこれを降りていくぞ。足下は暗いがそう深くはない。落ちても全身打撲で死にはせんよ。――先に行くか?」

 老人が僅かに口元を緩ませ、視線を上げた。

「ああ、だが降りる前にこの腰が立つかどうか……」

 その言葉に、老人は声を上げて笑った。

「はははっ! それなら仕方ないな。俺が先に行こう」

 我先にと老人は足を伸ばし、暗闇に隠れている梯子へと乗せた。

「おいジュニア! そこからだと足元がよく見えない。こっちから照らしてくれ!」

 老人の言葉に、ジュニアはせっせと空いた場所へと移動し、明かりの角度を変えた。

 光の中に、老人の後頭部とアルミ製の足場――ラングが映った。

 老人が、一歩、また一歩と降り始めた。

「よほどの太くなければ早々に転げ落ちたりはせんよ」

 ゆらゆらと揺れるワイヤーロープに、支える金具がぐらぐらと揺れる。

 二人は暗闇から目を逸らすことはなかった。

「着いたぞ」

 声と共にか細くも眩い光が、二人の目に飛び込んできた。

 それを合図に次は麻祁がラングに足を掛け、降り始めた。

 揺らぐ足元を踏みしめ、一歩、また一歩と片足を落としていく。

 静寂に金具の軋む音が強く響く。

 背を照らす明かりは足へと移動し、そして黒色の岩肌を映した。

 それを頼りに麻祁はラング、梯子から手を離し、そして光を追うようにして顔を上げた。

 眩い明かりが天から射し込んでくる。

「着いたぞ。次はお前だ!」

 老人の言葉に頭上の光は、左右に揺れ動き、そして止まった。――小さな声が微かに聞こえてくる。

「……は……すれ……いん…………」

「はあっ? 聞こえんぞ!」

「ライトはどうすればいいんですかっ!」

「ポケットか片手にでも握って来い! そんなことでどうやって物堀りが出来るんだ! 女ですら降りてきてるんだぞ!」

「……な……くちゃ……な」

 ぐちぐちと小言を呟く、ジュニアの周りで光が踊りを見せる。

 しばらくし、明かりは岩の側面を映したまま、麻祁達の方へと近づいてきた。

 鳥にも似たよう甲高い声と、人が驚いた時に放つ言葉を交えながら、金具の擦れ合う音をより大きく薄闇に響かせる。

 地に両足を着けたジュニアは、ライトを足下に向けてまま、肩で呼吸を繰り返していた。

「なんとまあ情けない男だ。それでよくこの仕事をしようと思ったものだ」

 老人は振り返り、か細い明かりを先へと向け、歩き始めた。

 次に麻祁が足を進め、最後のジュニアが前を行く足首を照らしながら、その後へと続いいた。

「こんな造りの場所は、他にも多くあるのか?」

 麻祁が首を左右、そして下へと向けた。荒く削られた岩肌がどこまでも続く。

「岩山を掘ってあるならどこでもな。ただ余計な労力や人がいるから、わざわざ手堀りしてまで通路なんぞ作ろうと思う奴は少ない。誰かの墓を立てるだけなら、天然の鍾乳洞や簡易的に掘った横穴に納めた方が早いからな」

「名のある権力者でも?」

「ふん。ここの奴等が好むのは、『自身の持つ支配力の誇示』だけだ。天然物よりも人工物を高く積ませてる方がより大きく見えるだろ? 市内の近くにある石積も、その歴史の現れだよ」

「それじゃ、ここは……」

 ふと、先を照らす明かりの揺れが止まった。

 その後ろを着いていた二人も足を止め、足下を照らしていた光が視線の先へと向けられた。

 目の前には、側面と同じ黒色の荒れた岩肌が立ち塞がっていた。

 中央を照らすか細い明かりの周りで、大きめの光が一つ、ぐるぐると辺りを照らし回っていた。

 それは、この先には道がない、という事を知らしめているものだった。

 麻祁は胸元で腕を組み、じっと光の輪を眺めている中、ふと老人が明かりの一つを左に動かした。

「ここからではなにも見えんが、ここに横道がある」

 老人が前に進み、そして左に体を向け、さらに歩を進めると共に姿を消した。

 残されたのは、老人の足元を照らしていた光の輪と、言葉もなく立ち尽くす黒色の岩壁だけだった。

 後ろで一人驚くジュニアを余所に、麻祁は老人と同じ道筋を辿り、そして――姿を消した。

 取り残されたジュニアが声を上げた。

「あ、麻祁さん!? 待ってくださいよ!」

 明かりを揺らしながら足早と前に進む。

 体を左へと向けた時、ジュニアの全てが止まった。――そこに道があった。

 明かりを散らし、両脇を確かめる。

 それは、先ほどまで辺りを囲んでいた黒色の荒い肌ではなく、滑らかに研がれ、壁として存在する石が両側を挟んでいた。

 ただひとり唖然とする中、遥か彼方から微かに聴こえる声と、僅かに見え隠れする光に気付いたジュニアがふと我に返り、急ぎ駆け寄った。

「――なものは数多くある。もっとも単純ででもっとも簡易的、それでいて何より無駄にならない。――まあ、そうそう騙される奴なんて指で数える程だろうがな」

 話す二人の後ろで、ジュニアは大きく息を吐いた後、麻祁の足元へと明かりを向けた。

「大岩が転がってきたり、落とし穴に針なんてものは? 一度は経験してみたいものなんだが……」

「はははっ! 横から槍もか? あったとしても、今はもうに疾うに朽ち果ててるだろうな。木は腐り、水は渇き、石は風化する。一度作動したものは誰かがその手で戻さなきゃいけない。未だ列車の中が人で溢れかえっている様な世の中じゃ、土台無理な話だがな」

「人が出入りしていない、まだ未踏の場所にもないのか?」

「あるにはあるが、そんな場所にわざわざ罠を仕掛けるバカなんていないだろ。掛けるために罠を置くのだから、必ず分かりやすい通り道に仕掛けるものさ。もし秘密の通路や宝物庫の中に仕掛けてみろ、解除するだけの手間を多く取られて、持ち運びだけですら余計な労力を使うことになる」

「そう、それは残念だ。せっかく良い経験が出来ると思ったんだが……」

「ふん、何を言ってるんだ。今も十分な経験をしているだろうが――この道だって本来は決して歩けない場所だからな」

 いつまで経っても変わらない景色が続く。

 闇と岩が囲む狭い通路。三人は列を組み、前は平坦な道を、後ろはそれを踏む足を、それぞれが照らし出していた。

「観光名所になれば通れるんじゃないのか? 隠し通路なんて珍しいし、宣伝目的では一番いいだろ?」

「時が経てばそうなるかもしれないが、状況次第ではそうはならんかもな。さっき上でも言ったが、俺はこの場所の役割としては貯水槽もあると考えてる。浸食の可能性も常にあると見ているから、いつ崩れてもおかしくない。現に、別の道ではそういう現象が起きてる所もあった。時間が経てば、いずれここもそうなる。――だから、今こうして歩けるのは幸せ者だぞ」

「――暗くなければね」

 三人はずるずると足音を鳴らしながら先を進む。

 照らす明かりに壁が映れば向きを変えて歩き、また足を止めたら、視線を変え膝を上げる。

 言葉もなく歩く中。ふと、老人が動きを止めた。――光の中に壁画が飛び込んでいた。

 長身で細身の人形に、頭にはウサギのような黒い耳を生やし、それらは長く列を組んでいた。

 中には一人だけ鳥頭のような者もいれば、犬の頭などもいる。

 手には道具を持ったり、何も持たずただ手を上げたりと様々な状況がそこには描かれていた。

 後ろにいたジュニアの光が左右に揺れる。

 光の輪が動いては止まる度に、同じような壁画が現れては消えを交互に繰り返す。

「ついに到着か。――で、お宝は?」

「宝はこの先に……あればいいんだがな――残念だが、そんなものはまだ見つかってないよ。これ以上先はまだ未踏地で誰も調べには行っとらん。近々見るつもりだ」

「それは楽しみ。――ここまで盛大に壁画が描かれてるんだ。宝の一つは期待したくなる」

「ははっ、そうだろそうだろ。穴堀りをしててこの情景に興奮せん奴はいないだろうな。――だが、色々と面倒な事もあってな……」

 老人の持つ明かりが二人へと向けられる。

 体と顔を照らした後、そのまま後ろにある通路へと差し出し、そして歩を進めた。

「さあ、そろそろ戻ろう。暗くなってきたし、腹も減ってきた。今寝床にしてるところには豪勢な食事があるんだろ? 毎日豆とパンばかりでは飽きてくる。老人の愚痴にもう少し付き合ってくれないか?」

 薄明かりにぼんやり消え行く小さな背に、麻祁とジュニアは顔を見合わせた後、その跡を追った。

――――――――――

「ん……んんっ……」

 髭を生やした老人が、切り取った肉を口の中へと放り込み、何度も噛みしめた。

 溢れ出す肉汁と合わさるソースを口からこぼれ出さないように唇を閉め、頬を動かしては、五口目を切り始める。

 向かいに座っていた麻祁が片手を挙げる。

 横から近づいてくる男に、麻祁は老人の横にある空のグラスを指差した後、小声で何かを伝えた。

 男は小さく頷いた後、その場を離れた。

「ふー、なかなか旨いな。あまり期待はしてなかったんだが……」

 老人は息を吐き、手に持つ食器を置いた。

 視線が赤みあるクロスの上――空になったグラスへと向けられる。

 片手を上げようとしたとき、横から先程の男が現れ、グラスに赤ワインを注ぎ始めた。

 満ちる度に揺れ動く波が、上から聞こえるピアノと管楽器の音色と合わさり、淑やかな雰囲気をより一層引き立たせていた。

 老人はグラスを軽く回した後、それを口へと当て、そして顔を左に向けた。

 一面ガラス張りの窓から見えるのは暗闇景色――それから遥か遠く、一人だけ目映い光の中で包まれて浮上する遺跡だった。

 老人はそれを瞳で捉えたまま、グラスを横に置いた。

「インゲーセプ。あれは何百年も前からあそこにある墓石だ。昔の王は自分達の栄光、繁栄、そして権威に見せつけるために、わざとああやって大きく造った。……それが今はどうだ? 中は盗掘者に荒らされ、死体は汽車の燃料。誰も居ないただの石積は、何も知らない観光客の為に、今ではさらし首の様にああして毎夜照らされ続けている。全く惨めな話だ」

「権力者故の性ってやつだな。誰かに塗り替えられ、晒されるからこそ歴史というものが生まれる。どんな形であれ、今も忘れられないだけでも幸せだと思うけどな」

「中々面白い皮肉だな。見せ方にも程があるが――良いことを聞いた。ジュニアよ、俺が死んだ時は墓の中に財宝があると吹いて回れ。観光費や墓荒らしの賠償金などで半生は楽して暮らせるかもしれないぞ」

 キツネ色に焼かれた手羽先を頬張り、骨から肉を嚙み千切ったジュニアは眉根を寄せ、老人を見た。

「ん……なに言ってるんですか……そんな罰当たりなこと……」

 残った肉に貪り付く姿を、老人と麻祁は横目で静かに見送り、そして視線を戻した。

「今調べてる遺跡にもその様な節が? 国のの都合で単なる良い資金源にされかけてるとか?」

「それは当然の事だ。何処を掘ろうが最後はどのみち、この国の所有物となる。俺達は単なる物好きの調査で来ている部外者だからな。研究費などを援助して貰い、ただ単にその埋もれた歴史を掘り起こす。後は、どう扱おうが権利は向こうにある。――それよりも厄介なことが起きている」

「――盗賊か墓荒らし?」

「ああ。正確には同業者での主権の争いだ。あの遺跡には内部に入るだけなら、至るところに穴がある。人工で作られた所から、天然の吹き抜けまでもありとあらゆる所にだ。ちょうどお前達と出会ったときに天井に空いてただろ? あれもその一つだ。あれは雨水の浸食によって出来たものだ」

「浸食だけであれほどの大きさが出来るのか?」

「あれはそう見えてるだけで、実際はこぶし二つ分ぐらいしか空いていない。後は遠近法と光の反射だ」

「カガミか」

「カガミって、あの……鏡ですか?」

 ジュニアの何気無い言葉に、老人は視線を細めた。

「あの鏡以外に何があるんだ?」

 突き刺すような問いに、ジュニアは目を泳がせた後、声を小さく返した。

「い、いえ……他には……」

「浸食で出来た穴に鏡を入れて、内部に光が行き渡るようにしているのか。なかなか上手く考えたものだな」

「ああ。それに鏡が設置されてる場所のほとんどは、上から降る雨水を極力避け、浸食などで角度が変わらないよう計算されて置いてあった。もちろん、季節によって自然光が差す場所も事細かく決められ、緻密に考えられている。――あと面白いことに、鏡自体に経年劣化がない。必ず起きるはずの自然現象だがそれが見えないのだからよく分からんものだよ」

「鏡も腐ったりするんですか? 経年劣化って――」

「鏡自体……ガラスそのものは劣化はし難いが、光を反射させる為に片面にはアルミニウムや銀が塗られてるんだ。それが年を取って劣化していくようになる」

「台所には立たないのか? アルミホイルとかあるだろ。あれをよく見ればわかる。鮮明には見えないが、顔や指が反射して見えるはずだ」

 ジュニアがテーブルへと視線を落とし、並ぶ食器を眺めた。――広がる白い皿のどれにもソースや食べ物の残りが散らばり、色を見せていた。

「最初期の鏡はガラスからの加工ではなく、青銅や水銀の反射を利用し、自身の姿を映していた。それからガラスが生まれ、そしてそれらを片面に塗ることで鏡が出来る」

「そんな事も知らんとはな。考古学の基礎だぞジュニア。小学校から始めるか?」

「小学校でそんなこと習いませんよ」

「ふん、だから遅れてるんだ。身近に接する物の不思議から伝えてやらねば、何を理解して触れたり発展できたりするんだ。それだから現代の社会格差は――」

「それはもう別の話ですよ。――それよりその穴がどうしたんですか? その……同業者かどうかの話って」

「あの遺跡は山を利用して作られたものだから、そこら中に穴が空いてある。つまり、入口も多くあってどこからでも出入りが自由になっているんだ。そこから別の業者が入って中を探っているという事だ」

「許可は? 無ければ盗人の罪を背負えるが――?」

「それが下りてるんだよ。一応国の方にも抗議をしたが、向こうの言い分では、『別の遺跡を見つけてそれを調査している。現段階ではそちらの場所とは相関関係はない』と返されたよ。一つの大きな山を両端から掘り起こしているんだ。相関関係がないなんってそんな馬鹿な話はないだろ。政府は多額の資金をその会社から得ているから融通しているんだ。まったく忌々しい拝金主義者ばかりだよ」

「それじゃその相関関係が証明さえすれば訴えも通るじゃ?」

「そう安直に考えれば何も難しくはないが、そう思うようにはならないから面倒な話なんだよ。トンネル堀りのように山を削岩していれば、行き当たりでいずれそうなるだろうが、俺達は同じ穴掘りでも調査だけをしている。岩壁を破壊するわけもなく、ただ出来ている穴を探っていくだけの仕事なんだから、そこに現れる同じネズミに対して被害もなく訴えで追い出すことは出来ない。あいつらもそれを見越しているのさ」

「……となると、追い出すのに最も効果的なのは『実績』になるか」

 麻祁の言葉に、老人は大きく頷いた。

「ああ、その通りだ。俺達の世界では『実績』こそが全てだと言ってもいい。好きに調査しているとは言え、大半の金を出してるのは資本主義の企業からになる。何一つ形に出来なければ次からはそれと同じように、俺達も形すら残らなくなるってわけだ。気軽に夢やロマンを説いてる奴もいるが、それだけではなんとも生き難い世界さ」

「なら早い者勝ちだが、あの遺跡で何か勝算みたいなものあると? さすがにただ壁に掘られた壁画や隠し通路、貯水槽の報告書を出しても成果にはならないだろ?」

「その通りだ。観光としては良いかもしれんが、大金にはならん。それを担当しているのが俺達だけなら別に気にはならんが、問題はもう別の誰かもいるということだ。形あるものを拾わなければならない」

「――なら死体か財宝でも?」

 その言葉に、老人は息を吐き、口角を上げた。

「ふふ、そうだな……あるかもしれんな。お前はどう思った?」

 老人からの問い掛けに、麻祁はすぐに答えた。

「財宝はあるかもしれないな。あんな場所に隠し通路を作る必要はないし、墓にしてもあの辺りでの生活跡なんてないんだろ? ミイラを埋葬するにしても湿気はあるし、何より運搬するには直通でなければ不便でしかない……あるなら死体よりも宝だ。――だが、もう無い可能性も十分ある」

「知ってる奴は身内ですら平気で盗んでいくからな。死んだ時点で権威などない。神として奉ろうが、信仰心がなければ墓石に眠るのは息もしないただの亡骸だ。――だが興味は湧いてくるだろ? そこに何があるのか目にするまでは――」

「ああ、気になる」

 その言葉に、老人がさらに笑みを浮かべた。

「はははっ、そうだろそうだろ。――でだ、多少無理を言うようだが、是非ともお前さんの力をまた貸してもらいたい。ホテル代などの滞在費は出す。途中で飽きて帰っても構わないから、相手よりも先に探してもらえないか?」

 麻祁がグラスにあるワインを口に含み、喉を通した。

「明後日に帰るつもりだったから、それまでの間なら――。滞在費はいらないし、それに見つけた時の報酬ももちろん要らないよ。ハリーさんの情報がなければここにも居なかったし、あの像とも出会えなかったから手伝わせてもらうよ」

 麻祁の答えにハリーと呼ばれた老人は笑顔を浮かべた。

「そうかそれは助かる。あの像はどうだった? なかなか珍しい物だっただろ?」

「擦って雨を降らせれるんだ。これから気象学なんてものは必要なくなるかもな」

「それなら、次は太陽の像でも見つけないとな。あの像に関しては何か分かった事は?」

「んー、なーんにも。部屋は薄暗いし、一回しか見てないから……まあ、これから時間をかけて探ってみるさ。情報助かったよ」

「これぐらい何の手間も掛からんさ。俺もただ小耳に挟んで知り合いを通じて見せてもらっただけだからな。もう少し分かってるなら説明もしてやれるが……な」

 ハリーがふと腰を上げた。

「それじゃ俺はそろそろ戻るよ。老人は夜に弱いんだ。眠くて仕方ないよ」

 そう告げた後、ハリーはその場を離れ、人々が食事と会話を楽しむ中へと紛れ込んだ。

 テーブルに寂しく残された皿とグラスを前に、二人は軽く言葉を交わした後、残りの料理を口に運んだ。

―――――――――――

 オレンジ色の液体がグラスで揺れる。

 フロート板のガラスに映る青アザの残るボブショットの女が、またグラスを軽く揺らした 。

 外に広がる暗闇の奥、そこには明々と灯る遺跡が一人聳えていた。女は眼鏡越しからその景色を遠目で見つめ、中にある液体を口へと流し込んだ。

 顔を戻すと、赤身のあるクロスの掛けられたテーブルと、その上に置かれた白の皿に山積みされたイチゴが瞳に入る。

 グラスを置き、その先の席へと視線を伸ばす。

 そこには同じく顔中に青アザを浮かべる金髪の女が腰を下ろしていた。

 その場に似合わない緑のフライトジャケットを身に付け、退屈そうに携帯を弄っていた。

 茶髪の女が雫の跳ねるイチゴのヘタを一つ掴み、口へと入れる。

 一度噛み、そして二度目でヘタを切り離すと、それを別の皿へと置いた。

「グレイス、食べないの? まだこんなにあるわよ?」

 茶髪の女が四つ目のイチゴを口にする。

 グレイスと呼ばれた金髪の女は体勢を変えることなく、画面を見続けたまま答えた。

「いらない。甘くないもん」

 頻りに指を動かすその姿に、茶髪の女はふん、と息を吐き、ちぎったヘタを皿にのせた。

「あんたがそのまま食べたいなんて注文したんでしょ。結局、一個だけしか食べてないし、どうすんのよこれ」

 ヘタを千切り、無造作に皿に置く。

「食べて」

 指を動かし、画面をスクロールさせる。

「一人でこんなに食べれるわけないでしょ? 頼んだ手前、申し訳ないし……。だから私は、生クリームと一緒がよかったのよ。――ったく……」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、ヘタを摘まむ指は一度も止まることなく、唇と皿の間を幾重にも往来した。

「じゃ生クリームだけでも頼む、エミリー?」

 まるで他人事のようにそう呟く指は、画面から一度も離れることなく、上下左右に往き来を繰り返した。

「何を今さら……もういいわよ」

 呆れたように、エミリーと呼ばれた茶髪の女はふと息を吐いた。

 眼鏡から覗かせる目尻と頭を傾け、イチゴを口に再び遺跡へと顔を向ける。

 相変わらず佇む遺跡は暗闇の中で場所も変えず、ただ一人明かりの中に浮かんでいた。

「…………」

 イチゴを一つ掴み、横目でグレイスをちらりと見た後、ガラスに向かい声を出した。

「あんたさ……さっきから携帯ばっかり見て何が楽しいの? それより、あれ見なよ。綺麗にライトアップされてるわよ」

 その言葉に、グレイスは視線をガラスへと僅かに上げ――そして携帯へと戻した。

「さっき入ってくる時に見たからいいよ。それに昼も見たし」

 素っ気ない返しに、エミリーは声もなくただただ口を動かし、じっとグレイスを見つめていた。――積もる緑の天辺が崩れ、白を埋める。

「――そっ、ならいいわ」

 人々の声にピアノと管楽器の音が辺りを包む。

 赤のクロスの間を白のシャツと黒のベストを着た複数の男性が通りすぎていく。

 ふと、グレイスが携帯を机に置いた。

「ねえ」

 呼ばれたエミリーはすぐに返事をした。

「なに?」

「それ空になってるよ、オレンジ。もう飲まないの?」

 言われるがままグラスに目を向ける。

 濁るガラスの底には、僅かに液体が残っていた。

 エミリーはじっとそれを見た後、今度は前にある皿へと向けた。――そこには大小のイチゴが二個、無造作に転がっていた。

 声も無くエミリーが右手を上げる。

「エミリー、ついでに私のもお願い」

 グレイスからの頼みに、

「えっ?」

エミリーの開いた口は閉じなかった。

 男性が横に着き注文を告げる中、グレイスが残った大粒のイチゴを口にする。

「はっ?」

 エミリーが眉間を歪めた。

 唇から外れたヘタが、残された小粒のイチゴの横へと添えられる。 

 それをじっと見つめるエミリー。

「どう? 美味しかった?」

 残された最後の一つを口へと運び、そしてヘタを引き千切った。

 エミリーからの問い掛けに、グレイスは画面から目を逸らず答えた。

「んー酸っぱい」

 空のグラスにオレンジジュースが注がれる。

 何もせずエミリーはただじっとグレイスの姿を眺めていた。

 しばらくして、オレンジジュースを一口飲み、そして呟いた。

「だったら、なんで食べたのよ」

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