一節:観光
スーツ姿の男性に、派手なドレスを着た女性。白のシャツに短パンを履いた男女。ベージュ色のワンピースに髭の生えた一人の男。
ホテルのロビーでは様々な言葉が飛び交い、そして多くの人々がそこにはいた。
天井では大型の羽根――シーリングファンが緩やかに回り、敷き詰められた鮮やかな赤と緑の絨毯やふ頭を見下ろしている。
長く広がる廊下には観葉植物が置かれ、その脇には幾つもの公衆電話が立ち並ぶ――その内の一つに、麻祁の姿があった。
貫頭衣仕立てのワンピース姿で耳に受話器を当て、目の前に並ぶボタンをじっと見つめていた。
ふと、その顔が上がる。
「――ひと通り終わったから明後日には帰る。…………確認はしたが――どうとも言えないるモノじゃない。部屋は薄暗かったし、触れないことには分からない。…………ああ、また帰ってから報告するよ」
受話器を置き、電話を切る。
飛び出すカードを手に、麻祁は廊下の先へと歩いていった。
立ち止まり話し込む人の脇を抜け、ドアのない広間へとたどり着く。
入り口の脇に立つ黒と白の服を着たボーイに話しかけ、中へと足を進める。
ずらりと広がる円卓に、掛けられた真っ白のテーブルクロス。上には透明のグラスや花が置かれ、人のいる席には焼きたてパンや色彩のある料理などが彩っていた。
砂漠が見渡せるガラス張りの真横にある円卓の一つ。そこに一人の男が座っていた。
カーキ色のジャケットに同色の長ズボン。籠に入れてある平らなパンを一つ掴み、二つに千切っては片方だけを手元に残し、中央に空いている穴へと机の上に散りばめられた具材を詰め込んでいた。
サンドイッチのようになったパンを口へと運び、美味しそうに食べ進めていく中、麻祁はその前に座り、同じようにパンを千切った。
男は麻祁の姿に気付き、口にあるものを飲み込んだ後、声を掛けた。
「おはようございます。昨夜はよくお眠りになられましたか?」
黄金色のポタージュをスプーンで掬い、唇に寄せた後、麻祁は声を返した。
「特別することもなかったから、よく寝れたよ 」
変わることのない表情に、男は一言だけ言葉を口にした。
「そうですか」
テーブルに並ぶ色彩が、徐々に片寄りを見せる。男がポタージュをスプーンで掬い、口へと運んだ。
「お帰りはいつですか?」
「明後日には帰る予定。そう急いでもなにもすることないしね」
「それではゆったり観光でも?」
「ここに来てから砂ばかり見てるから、別の何かがあれば見に行くけど……この近くに何か変わったものでも?」
「観光としては多くありますね。昔、ここを治めていた王様のお墓とか、教会に博物館など……でも、どれを見たところで、あの像と比べると目新しくはないと感じますね……あれは一体なんですか?」
顔色は変えずとも、不可思議そうに問い掛けてくる男に麻祁は、千切ったパンを一口入れ答えた。
「あれは雨を降らせる神様の一種。エキって言う神様だよ」
「エキですか……博物館で見たものとはまた違いますね」
「この土地特有の信仰に対する歴史の表れだな。広大な土地に住む多民族故に、様々な思想が独自に生まれ、そして、伝えられいく神も内容も時代背景で多種多様に変わったり滅びたりしたりで統一性を持たない。私もあの姿は見たことがない」
「なんの生き物に見えました? 私には人ですらない、ただの土の塊にしか見えなかったのですが――」
「私もそう思う。土の塊にしか見えなかった。持ち主はアプリシアと言ってはいたが……そう言われればそうも見える」
「アプリシアがエキとして祀られてるとは珍しいにも程がありますよ。それならエスカルゴなんて畏れ多くて誰も口にしなくなるでしょう」
男がふとホール中央へと視線を向けた。そこでは数人の男女が会話をしながら、それぞれの食事をしていた。
「だからあまり広まってないのかもな。まあ、私の国でもそういう話は聞いたことがある。信仰として祀ってはないが、アプリシアはアメフラシと言われて、その名の通り、雨を降らすと言われているよ」
「へぇ、雨を降らすんですか? それはその……やっぱり擦ったりで?」
「それで降るなら、今頃崇めてるよ。ただ雨季の頃に出やすいからそう言われてるだけで、あの像も似たような理由で置いてあると思う」
「それじゃ、その……擦ったり、祈ったりするだけで雨が降った理由は偶然って事ですか?」
「さあ、それは断言出来ないな。偶然にしては初めからその自信を見せてたし、もし降らずに言葉だけで済まされたとしても、信じないわけにはいかないだろ?」
「どうしてです?」
「ハリー爺さんからの提供だからな」
「……ああ……なるほど……」
男は一人納得したように頷いた。
「せっかく頂いた情報を無下に扱うわけにはいかないだろ」
「大丈夫ですよ、そんな気を使わなくても。ただの気紛れや思いつきで言っているようなものなんですから、当の本人は思ってるほど何も考えていませんよ」
「今ハリーさんどこに?」
「ここから数十キロ離れた場所にあるガゼと呼ばれる場所で作業をしています。――もし
良ければ行ってみますか? 大きな話はまた聞こえてきませんが……もしかしたら、何か見れるかもしれませんよ? すでに目にしてる物よりも、まだ目にしてない物を見た方が面白いかもしれませんし……案内しますよ」
「ああ、お願いするよ」
返事を機に二人は食事を終えた後、外に止めてあるジープに乗り込み、次の場所へと走り出した。
晴天の足下。渋滞からビル間を抜け、住宅街を進み、数台のバスが止まる巨大な遺物を横目にした後、車は小岩の散る赤い地肌を駆け抜けていた。
ナビを目に、男はただ、前にそびえる山へと目指しアクセルを踏み続ける。
隣に座る麻祁は退屈そうに首を横に向け、変わらない地平を眺めていた。
ふと、男の視線が右に動いた。遥か先、小さな影となる何かが見えた。
足が進むにつれ、次第にその形容が鮮明になる。
――麻祁の前、一台のジープを抜き去った。その中、一瞬だけだが、運転席のドアへともたれ掛かる人の姿も視認できた。
大きめのサングラスに黒のタンクトップ。腰には赤と黒のチェックのシャツを結びつけ、レギンスを履くボブショットの女だった。
景色はまた、代わり映えのない荒野に切り替わる。
しばらく麻祁は奥に広がる空を見続けた後、体勢を戻した。
「この辺りではよく見かけるのか? ――わざわざ車を止める物好きなんて」
「いえ、始めてみましたよ。何かのトラブルですかね」
「助けは?」
「関わらない方がいいですよ。携帯もあるでしょうし、いろいろ巻き込まれると後が大変です」
転がる小石を蹴り上げ、車は止まることなく前へと突き進んだ。
切り立った崖を登り、体を揺らしては、今度は坂道を下る。
緑が覆うオアシスを抜け、砂上を走り、そしてその遺跡は二人の前に現れた。
黒くそびえる大きな山。角の切り立つ岩肌で頭上に広がる空を隠し、その周辺にはアーチ状や不可思議な形でくっついた奇岩などが散りばめられていた。
車はその間を潜り抜け、さらに奥へと進む。
数十メートル走り、道の果て、数台のジープが集まる広場へと辿り着いた。
乱雑に止められた車体の間からは幾つもの大型のテントが覗き出し、その前では多数の人影が蠢いていた。
のそのそと車輪を動かすジープはその中の一台に紛れ込み、二人は外に出た。
乾いた風が砂を巻き上げ、足下を去り行く。
先に男がテントへ行き、しばらくして戻った後、今度は二人で奥へと進んだ。
行き交う人の間を――両脇にある白色の大型テントに挟まれ――奥へ、奥へとただ目指す。
次第に景色は変わり、切り立つ土壁が二人を呑み込んだ。
狭く歪んだ道を辿り――そして、その入り口は現れた。
背丈を超える巨体な面立ち。岩肌を削り作られた模様のある柱が、装飾の屋根を支え、さらにその上には二つの女性像が並べられていた。
左の像はふくよかな体を包むドレスのシワまでもハッキリとした姿で彫られ、右にいる像は顔から左半分が欠けてるも、その身に包む装飾品だけをありのままの形で残っていた。
長い年月の中、風化により所々が崩れ落ちてはいるものの、その場所を見守るモノとしての艶やかさと創造性は未だ輝きを放ち続けていた。
神妙な雰囲気の中、二人は言葉もなく、入り口前を走る溝を越え、中へと進む。
外から射し込む光が土壁の色を映し、漂う砂塵をより引き立てる。
少し肌寒い空気が辺りを包む。麻祁達はさらに通路の奥へと向かった。
途中、数人の作業員と出会った。黒の半袖シャツからジーパン姿など、まるで観光客のような軽装で壁にはられた透明のビニールシートを前に、雑談や脇には道具箱を置き、今の時間を過ごしていた。
狭く薄暗い通路を走る束になったコードを辿り、そして視界は大きく広がった。
入り口で見たような模様の描かれた柱が、そこには何本も立ち並んでいた。
麻祁がある違和感に気付き、顔を上げる。――周りの景色が強く鮮明に見えた。
その原因を探す。それはすぐに見つかった。――明かりは天井から降り注いでいた。
伸ばした右腕を眉に被せた麻祁が、さらに視線を細めた。
光はまるで太陽のように眩しかった。暖かく、そして何より煌めいて――。
「上からカエルでも降ってくるのかい? アルゲンディアよ」
前から男の声が聞こえた。麻祁が顔を戻すと、そこには白い髭を蓄えた一人の老人がいた。
歳に似合わず背筋をピシッと伸ばし、服装は色褪せたツナギを身に付けていた。
「光が珍しくてね。ここは洞窟内のはずだが……わざわざくりぬいたのか?」
「ははははっ、そんなわけないだろ。ここから天辺までどれだけの厚さがあると思ってるんだ? それにあんな高い場所まで掘り進めれるほどの足場なんてここには無いよ。仮にあったとしても、穴を掘る理由はなんだ? ここら一帯に降る雨は街だって沈めることがあるって言うのに、水浴びにしては大事じゃないか」
「表に溝があった。時期によってはほとんど降らない月もあるから、ここは貯水槽の一つだと思ったんだが……それに柱のようなものを多いし」
「ほう、よく見ているな。実は俺もそう思って調べていたところだ」
「なら、次は水道職員の募集でも?」
「集めたところでマトモな整備なんぞ一つもせんだろう。懐に入るものしか興味がない奴らばかりだ、余計な心配事が増えるだけで、何を持っていかれるか分かったもんじゃない。もし呼ぶなら――宝石商でも呼ぶさ」
その言葉に、麻祁の横にいた男が目を丸くさせた。
「な、なにか出たんですか!?」
口早となる男に白髭の老人は冷めたような口振りで答えた。
「なに一人興奮しているんだ。……まったく親父に似て、金の事になると――」
「ち、父の事は関係ないですよ! 今は……」
声を遮った後、男はどこか気まずそうに横にいる麻祁へと視線を送った。
「で、なにか目星でも?」
「まあ、色々とな。どうせする事もないからここに来たんだろ? どれ、案内でもしよう」
老人は一人、柱の奥に続く道へと向かい歩き始めた。
二人も後を追うようにして、その背を追った。
――――――――――
女性が二人、会話もなくその場所に座っていた。
ガラス張りのビルの一室。そこから見える砂漠や街並みを背に、置かれた長方形の質素な机とパイプ椅子の間に挟まれるようにして、二人はそこに居た。
一人は古めかしい緑のフライトジャケットを着こんだミディアムの金髪に、もう一人は赤と黒のチェックのシャツを着た茶髪のボブショットに眼鏡姿だ。――双方の顔には、痛々しくも青いアザが幾つも残されていた。
金髪の女は立てた左手に頬を乗せ、退屈そうに携帯を右手で弄り、茶髪の女は両腕を胸元で重ね、不機嫌そうに正面の壁をじっと見つめていた。
ドアが開き、一組の男女が入ってくる。
スーツ姿の男に、黒を基調としたラフな格好をした女だ。
座る二人を余所に、入ってきた男女は掛ける挨拶もなく、足早と向かい合うような形でその前に腰を下ろした。
二人の女は姿勢を変えない。先に口を開いたのは黒服の女だった。
「大変な下見だったようですね」
丁重な物言いに、茶髪の女は一言返した。
「ええ、全くよ」
鼻息を噴かせ、相変わらずの不機嫌さを見せる姿に、女は視線を送った後、横にいた男に声を掛けた。
男は机に置いた紙束を手に取り、立ち上がっては二人の前にそれぞれそれを置いた。
「先ほどは大変失礼致しました。何分、急速で雇った現地の人間でして……あまり外界については詳しくなく、大変な無礼を働いてしまったようです。誠に申し訳ございませんでした」
席から立ち上がった男女が、深々と頭を下げた。
それに対して茶髪の女は顔など変えず、ただその姿を見ているだけだった。
席に戻ると黒服の女が話を続けた。
「その資料は衛生から撮った遺跡全体の写真と、私達が現段階まで調べている内部調査の報告書となっています。――参考程度にお使いください」
茶髪の女が資料を手に取り読み始める。横にいた金髪の女は依然興味なく携帯の画面を見続けていた。
黒服の女が携帯の女へと顔を向け、そして僅かに口角を上げる。
「それにしてもまさか、あの有名な考古学者の父でもある、エドワードジェセスさんのご息女と出会えるなんて、とても光栄です。これまでお父様の築き上げた功績は、今の私達と明日をいただき、大変お世話になっております。このアメリアフリーデルケ、若齢ながらも必要なものがあれば何なりと仰ってくださいね」
見せる笑顔に、金髪の女は視線を――動かさなかった。
アメリアと名乗った女は僅かな間の後、茶髪の女へと顔を向けた。
「それではその……正式に手伝っていただける、という事でよろしいのでしょうか?」
問われる茶髪の女が、眼鏡から覗かせる瞳をアメリアに合わせた。
「ええ」
すぐさまアメリアが男に視線を送った。
それを合図に男は立ち上がり、今度はカードキー二つ取り出すと、二人の前にそれぞれ差し出した。
「私共にとってはとても心強いことです。そのカードはこの近くにあるホテルのキーとなっています。しばらくはそこでお休みください」
茶髪の女がカードを手に取り、表、裏、そして表へと返し、眺める。
「これはシングル?」
思わぬ問いにアメリアの視界が僅かに開いた。
言葉を出そうと、横にいた男と目を合わせ、そして答える。
「え、ええ……シングルが良いかと思いまして……ダブルの方が――」
「いえ、ツインの方が良かったんだけどね。空いてないならいいんだけど」
「すぐに用意してみます。――頼むわ」
アメリアの小声に男は小さく頷いた後、席を立ち、部屋を出ていった。
「今スタッフが部屋の空きを確認していますので、取れ次第、こちらに届けるように手配します。窮屈ではありますが、今しばらくの間こちらに居てください。何か必要なモノある時は外にスタッフを立たせていますのでいつでも申し付けを――それでは少しの間だけ私も席を外させていただきます。それでは、また――」
立ち上がり、深々と頭を下げたアメリアは部屋を後にした。
残された二人は依然として顔を合わせようとはしない。
「これで何とか寝る場所はできたわね。――で、本当に見つかるの? 何か感じた?」
横目で金髪の旋毛の見る。
「――いいや、なんにも」
返ってきた言葉に茶髪の女はふと息を吐いた。
「大丈夫なのホントに? 知んないわよ私は――アンタがどれだけ有名な父親の娘だとしても、何一つ成果が出なければ、ただ子バカとして終わるだけよ?」
「別にいいわよそれで――。あっちが勝手にやってるだけでしょ? だいたい、私はパパとは違うんだから、常に一緒にされてるこっちが迷惑だって言うの」
その答えに、茶髪の女はため息を吐いた。
「はあ……バカね、本当にバカ。誰のおかげで今もこうして寝るところがあると思ってんのよ? ……全くの親不孝もんだわ。いったいどうやって生きればこうなんのよ……」
一人呆れる茶髪の女は、クルリと椅子を半回転させ、窓の方へと体を向けた。
果てなく続く砂漠の先、そこには我が物顔で腰を下ろす、石の積み重なった遺跡が聳え建っていた。
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