終節:鐘と『いつか』の話

「――っと!? 速い速いぞこれ――はははっ!! ――は――リ――――」

 手にしたリモコンを頻りに押し、篠宮は放送番組を巡った。

『――邸における白骨化した三人の身元を調査したところ、うち二人は屋敷内での使用人として……』

 目にする文字を頻りに辿り、葉月は紙束の一枚を捲った。

 二人は表情も変えず、ただ一点だけをじっと見つめ、ただ手を動かしていた。

「あった」

 聞こえてくる声に、篠宮の首が自然と左側に向いた。

 顔を逸らし、黙々と片付けの作業をする銀髪の前に、一つのファイルが置かれていた。

 散々としていた景色が徐々に晴れ渡り、机の地肌が点々と見え行くなか、篠宮はそのファイルを手に取り、目を通し始めた。

『加茂名市で起きた死体消失に関しての報告書』

 太目に書かれた文字から、蟻のように小さくなる文字を辿り、徐々に徐々に下へと読み進めていく――ふと突然、文字が飛び上がった。

 篠宮は追うようにして視線を上げ、すぐに左へと向けた。

「まったくせっかちだな。なんの説明もなく勝手に読み進めていくなんて――そんな事じゃ一人孤立して、すぐに屠所の羊みたいになるぞ」

「としょのひつじ? なによそれ? めぇーめぇー鳴くの?」

 篠宮の問いに右側に座っていた葉月が言葉を入れた。

「屠所の羊とは、食肉用に連れていかれる羊の様子を表した言葉ですよ。つまり、死期が少しずつ迫ってくるって意味です」

「へぇー、でもそれって傍迷惑な話よね。他人のために自身の命を泣く泣く捨てるなんて、ただただ辛いだけじゃない」

「そう思うなら明日から肉は食べれないな。命の尊重するとは、とても良いことだ」

「……なに言ってのよ。食べるに決まってるでしょ? あくまで羊目線での感想を言ったまでよ。私の体はね、肉で構成されてるのよ。肉で埋めなきゃいったい何で埋めるって言うのよ?」

「大豆か胡桃か……タンパク質ならいくらでもあるが――」

「タンパク質ならそれで十分かもしれないけど、他の栄養素が全然足りないでしょ? 例えば鉄分とか……ね」

「鉄分なら大豆などにも含まれていますから、もし足りないと思ったなら近くに線路もありますし、それを舐めて補えばいいと思います」

「思いますじゃないわよ。人を鹿だと思ってんの?」

「いえいえ、人は人だと思ってますよ。もし足りなかった場合の話をしてるんです。……それよりも、植物だけでは必須アミノ酸の方が僅かしか取れないと思うので、そちらの方が問題になってきますね。――腸内にいる細菌を変えればその問題も解決するとは思いますが……どうします?」

「はっ? 私に聞かれても知らないわよ。なんで変えなきゃいけないのよ?」

「無理に変えなくても、穀物と豆類には多少含まれているようだから、熱を与えて汁ごと食べれば補える。……ただ、体質によって大きく異なってくるから無理はしないことだな。食べるバランス管理もしっかりしなければいけなくなるし」

「……へぇー、まあ色々大変なんでしょうけど――私は食うっつてんでしょ、さっきから! いつから菜食主義になるって言ったのよ!」

「そういう話ではなかったのですか? 私達はただ聞いていただけなので、そう思っていたのですが……?」

「独りよがりの思い込みにも度があるわよ。……あんた達と話していたら、本当に全ての物事がそう進みそうで恐ろしい時があるわ」

「恐ろしいとはなんとまあ――私達はあくまでもその人の事を思い、精一杯、良い方向へと向かうように話し合っているというのに……そう疑心にならなくても大丈夫なんですよ」

「大丈夫なわけないでしょ? その癖が悪いって言ってんのよさっきから。……わかってんの? あのね、真摯に聞いて答えてるように見せてるんでしょうけど、深く考えてないのは私には丸分かりなんだからね。そういう思わせ振りの態度が無駄に人を惑わせてるって言うのよ。その気にさせたりとか――本当に考えてるなら、そこまで深く関わらないのが普通なのよ。あんた達は、無駄に干渉し過ぎなの、むだにね」

 宙で揺れる篠宮の指先を、僅かに視界へと入れた葉月は、すぐに前へと戻した。

「しかし、話さなければ解らないことも多くありますよ――あっ、これ遅くなって申し訳ありません」

 葉月が机に残っていた最後のファイルを前へと差し伸ばした。

 二本の手が篠宮の目の前で、受け渡しを始める。

「より会話を交わらせれば、よりその人が知れて、多方面から多く考えられると思うのですが……それは無駄なのでしょうか?」

「事件を手早く解決するためには別にいいけど、相手が不信感を覚えたらそれまでじゃない? それに、もし話を聞いて情なんて移ったらどうすんのよ? 無駄ってのは、必要以上の干渉は絶対に何かの障害を産み出す可能性が高いから言ってるのよ。私なら一度話を聞いただけで大体の全容は分かるし、後の事は興味がないからどうでもいいけどね。そいつが次の日に飯を食おうが、どこから飛び降りようが関係ないんだもの。そう考えると、はなっから深く干渉するのは無駄ってことじゃない」

「それもそうですが……、私はそうすぐには気持ちを割り切れませんね。障害が起きようとも、会話することで知れたり、得るもの与えるものもあったりで……全てを理解する上では切っても切れないものだと思ってます。それに話すことで信頼を得て、協力などをいただけることもあるので、なにも悪いことばかりじゃないと思うんですけどね」

「情報は重要だからな。特に現地で暮らす人の情報は大きく役に立つ時がある。親しくなっても損することはない。――ただ、篠宮の言うとおり、そこに私情が加わったり、逆に知り得なかった情報を与えるとなると、こちらの足枷にもなる。それなら最初から親しくならない方が、より遠くから物事が見えるようになり、円滑に進めれるかもしれない。……まあ、どちらにしても、その場の状況とその人の性質の問題だから、一長一短で方針としては決めがたいがな」

「そんな曖昧な様子じゃ、どんな結果であれ苦労しかないわね。決める時はズバッと決めるのよ。もし何かあった時はまたその時考えればいいのよ」

「さっぱりとした性格ですね。近くにいるとより苦労しそうですが――」

「がさつなだけだよ」

「なっ!? 誰が『がさつ』よ! これでも色々と考えて判断してるのよ!」

「――そういえば、以前から一つ聞きたかったことがあったのですがよろしいですか?」

 葉月からの問い掛けに、篠宮が顔を合わせた。

「なによ?」

「さっき資料を読んでいて思い出したのですが、以前迷い込んだ『杉山邸』の事なんですが……」

「杉山邸?」

「目ん玉くり貫いたやつ……」

「あーあ――」

「ピアノのあるホールで名前を聞いた後、迷わず瓶をぶつけたじゃないですか。どうして投げようと思ったのですか? 確かに名前は私達の知らない名前でしたが、話を聞く限りでは投げるほどの事でもなかったと思うのですが……?」

「それは単純な話で――」

「『がさつ』だからだろ?」

「違うわよ! あれは単純な話で、あの屋敷のほとんどは防音室になっていたからよ。周りの音は聞こえないのに、鐘の音だけが聞こえるなんておかしな話でしょ?」

「それはそうですが、どの場所に居たなんて明確にはされていませんよね。もし窓のある部屋なら閉じきっていたとしても、振動で聞こえてくると思うのですが……」

「そりゃ多少は聞こえてはくるでしょうね。でも、ハッキリとした音色は聞こえないはずよ。あの時の質問で、明確に二つ答えが返ってきたのよ? 『澄みきった鐘の音』と『別の部屋にいた』って。他の場所に居た三人にも鐘の質問をしたけど、バーは音色が聞こえず、書庫は音すら覚えてなかったって答えたのよ? それなら、一つしかないでしょ」

「邸内の一部を解体して図面など調べたが、客間やホール、バーなど人が集まる室内の全てには防音対策が取られていた。実際に試してないから断定は出来ないが、そのような作りになっている事から、『上から聞こえてくる鐘の音を抑える為』とも考えられる。篠宮の言い分もあながち外れではないな」

「でしょ? だから助かったのよ。私の冷静な判断がなかったら今頃目ん玉くり抜いてるところよ」

 立てた右手人差し指を自身の右目に差した篠宮は、その指先をくるくると回し始めた。

「私には、一生そのような判断は出来かねますね……」

「そう? 出来なきゃ終わるだけよ。いざって時は直感を信じないとね。意外となるようになるわよ」

「はあ……さっぱりとした性格ですね」

「がさつなだけだよ」

 二人の前に紙束が置かれた。

「その『がさつ』がみんなを助けたのよ。朝になるまで助けに来なかった臆病者よりかは! マシだと思うんだけどね」

「原因も分からずノコノコ出向くやつが、いったい誰の助けになると思ってるんだ? 臆病だからこそ慎重に情報を集めて、そのあと向かうんだ。目標が絞れたのは私のおかげでもあるな」

「現場にいなかったくせに何言ってんのよ。あくまでも名前は判断する基準の一つで、根本は音色の話で判断したんだから、私のおかげよ。あと、葉月も色々としてくれたから、この件は私と葉月の手柄ね。あんたは何もしてないの」

「後処理はしたから同等だよ。それと、土の上で寝転んでいた三人を助けれたのは、私がいたからだ。あのまま放置していたら今頃獣の餌になって、胃袋の中で眠り続けているかもしれないんだぞ? 結果全て私のおかげ。私が外にいたから今こうして話できているわけだし」

「そうすぐに食われるわけないでしょ。――まあ、はやく見つけてくれたのは助かったけど……、一度聴いてみればいいのよ。復元すれば好きなだけ聴けるんだし」

「直してもいいが、同じことが起きるかどうかは分からないからな。酷く破損した状態で全ての破片が集まってるとも言えないし……」

「大きめの弾丸で撃ちましたからね。形ある状態で残せば良かったのですが……」

「そんな贅沢言える状態でもなかったでしょ。壊せば解決するかどうかも分からないってのに――」

「形あるものはいつかは壊れる。その瞬間に壊れたなら、それが物の天命だったって事だな。――修復はしばらく預けておこうか。逆らえばどんな災いが下るか分からないし」

「何が災いよ、ただ壊れただけじゃない。……いちいち大袈裟なのよ。あれは天命じゃくて、ただの事故。経年劣化以外は寿命でもなんでもないの。ただ不運だった――それだけの事よ。今も運が良かったら、鳴り続けていたかもしれないわね」

「私達を受け入れたばかりに……いえ、ある人を受け入れたばかりに不幸に……」

「……誰のこと言ってんのよ。まさか私じゃないでしょうね? 捉える視線が全く違うでしょ。私がいたから良かったのよ。つまり私が幸運の女神」

「人から見れば運を吸われるんだから、貧乏神だな」

「貧乏神。いいですね、貧乏神とか。神様ですよ、神様。幸運を持つただの能力よりも、凄い力ですよ。良かったですね」

「良いわけないでしょ? どこかいいのよ? ……人のことだと思って好き勝手言って……。まあいいわ、分かった。それなら、その役、私は買うわ。だから、二人は今すぐにでも何か貢ぎ物しなさい。これでも一応神様なんだからね」

「貢いで何か得になることでもあるのでしょうか?」

「一生付きまとってあげるわ、嬉しいでしょ? もし祓ったりしたら一生怨みでつきまとうからね」

「それはただ迷惑なだけだな。等価交換にすらなっていない」

「私がついてくるだけでも価値があるってのに、なに寝ぼけたこと言ってんのよ。――高いのよ? これでも――」

「準備費に多く掛かるからだろ。削減すれば経費も減らせる。まあ、次の依頼は市内になるから、そう大した準備入らないだろうけどな」

「しないぃ? だったら龍麻連れていきなさいよ。――そういえばどこ行ったのよ、あいつ――」

「友達と遊びに出掛けてる。篠宮達と次の依頼を話し合うと言ったら、今日は帰らないと言ってたな」

「逃げたわね、あいつ……卑怯者だわ」

「人手が多くても邪魔になるだけだからな。それに市内と言っても他県だし、そんなに大きな街と言う程でもない。少し小さめの田舎街だよ」

「そんな場所に何しにいくのよ? ……そういえば資料があったわね。確か……加茂名市での死体消失とか――」

 篠宮が手元に置いてあった資料を手に取り、目を通し始めた。

 左右にいる二人もそれを手に取り、文字を読み取っていく。

「……こんな依頼、警察に任せなさいよ。もし伝えて何もしてくれなきゃ、そいつらグルよ」

「動くにも時間と証明がいるからな。それに検証には別の部署もあるしで……誰かに期待して待つよりは、私達が動いた方が早いってことだな」

「なら、報酬はつり上げね。一からの調査じゃ時間が掛かるわ。――それに準備も」

「場所の調査はすでにしてあるから、後は怪しい場所を片っ端から当たるだけで、そう時間は掛からないよ。今回は市内だから、ドカドカ銃を撃つわけにもいかないし、あまり準備費は掛からない、とても楽な仕事ってわけ」

「なら、なおさら龍麻を呼べばいいでしょ。報酬も少なそうだし適任だわ」

「平日に行くつもりだから、色々と面倒事が多いんだよ。そうすぐに学校を休めるわけじゃないしな。利便がよくても、どこか不便もあるのさ」

「ふーん。じゃ、やっぱ報酬はつり上げね。貰えるとき貰えないと損よね」

「出ましたいつもの姉様泣かせ」

「ひーん、つらいよー。金ばかりせびられるよー」

「当然じゃない。何があるか分からないんだから、貰わなきゃやってられないわよ。あんたもちゃんと貰いなさいよ? いらなきゃ私が貰うけど――」

「私は……いただいてますけど、あまり多くは望みませんね……」

「言うとき言わなきゃ全くの損よ。伝えるのはタダなんだし、なんでも気持ちは伝えないと」

「一方的に伝えられる方はただ迷惑しか感じないけどな」

 その瞬間、篠宮の全てが弛んだ。

「――へー、そう。あ、そうなの。その気持ちよく分かったわ。なるほどね、そうそう」

 一人小刻みに頭を振るう篠宮。

「見てください姉様。すごく納得されていますよ」

 その様子を葉月が視線で差す。

「ああ、伝えれば伝わるものだな」

 交わす二人の間で、資料を持つ手はただ一人ずっと、ぶつぶつと呟き続けていた。

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