五節:ゆびわとさるの話
あるがまま居座る二人は、それぞれの視点である場所を眺めていた。
一人は天井を見つめ、もう一人はテレビを――その瞳には何もない。
突然、玄関から鍵を開ける音が鳴った。続けざまにラッチ音が響き、床板を踏む音、そして台所を仕切る襖がガラリと開いた。
天井を眺める視線と、それを見下ろす新たな瞳が交わる。
眺める視線をそのままに、見下ろす視線はふと横へと逸れ、押し入れへと向かった。
開く襖に長く伸びた銀髪を中板の上に乗せ、しばらくして閉じる。
「遅くなった」
そう一言。すんとした面差しに太太しい体――緑のザックと共に二人の前にそれを下ろした。
突き刺すような二つの視線が一人に注がれる。その内の一つ――葉月が最初に声を出した。
「お疲れさまでした。食事の方は?」
机の下で足を伸ばし、体幹の両端に腕を張り立てた状態で言葉を返す。
「まだ。――まだ?」
見つめる二人に向かい首を振り問いかける姿に、葉月が腰をあげた。
「今から用意してきます」
ラグを踏みしめ、篠宮の横を通りすぎる葉月は襖の先にある台所へと姿を消した。
「助かるよ」
冷蔵庫の開け閉めから、コンロが捻り、水分の跳ねる音へと空気が切り替わる。
居間に残る二人の間に言葉はない。ただ一人――篠宮だけが視線を合わせ続けていた。
垂れる銀髪の背が右へと動く。伸ばした手でザックを引き寄せた。
「資料は食事の後で?」
側面にあるジッパーを下げ、中から数十枚の紙を取り出すと左側にそれを置き始めた。
次々と紙を取り出しては、次々と積み重ねていく動きを始終見守っていた篠宮は、ふと息を吐いた。
「よくそんな平然としてられるわね。これでもまだ待たされてる人が目の前にいるんだけど?」
立てた右手に頬を乗せ、感情もない視線をただただ送る中、資料とザックを行き来する手は止まる気配など一つも見せなかった。
「用事があって遅くなったから、文句があるなら椚に直接言うんだな。内心、私も焦る気持ちが一杯だったんだよ」
「嘘臭い……んなもん言えるわけないでしょ? だいたいなんて言うの? 喜んで参考にするわよ」
「簡潔的に言えばいい。『二人の時間を邪魔しないで!』とか」
「なにそれ――ただ不愉快になるだけじゃない。例えモウロクしても絶っ対ぃに私は口にしないわよ」
「それは冷たいな」
「お待たせしました」
二人の間に葉月の声が紛れた。
両手に持つ皿を二人の前に颯爽と置き、また台所へと消えた。
篠宮が不可思議そうに中を覗き込む。
幅広くも底のある皿の中には、黒の箸二本と、細く刻まれた三つ具材達が明瞭な色艶で彩っていた。
深碧の胡瓜に金糸雀の卵。鳥の子の胸肉に小麦の麺が網膜の細胞を刺激した。
篠宮が顔を上げた時、右側から机の叩く音が聞こえた。
ふと向ける視線の先には、鮮やかな皿を前に箸を持ち、今食わん、と両手を合わせる葉月の姿があった。
「いただきます」
掛け声の後、伸びる箸を前に篠宮は視線を左へと振った。
――細く切られた胡瓜達が唇の中へと消え行く。
篠宮は改めて自身の前にある箸をつかみ、麺の中へと差し込んだ。
一度、高く宙へと伸ばし、すぐさま具材へと覆い被せる。
二度、底から引き出し、見隠れする具材へと混ぜ合わせる。
三度、上げては、艶やかなる色をかき回し、それを唇まで運んだ。
音を上げ、すすり込む。頬を数回動かしながら、じっと皿の中を凝視する。
「……ぬるいわね」
胡瓜の飛び出た麺を掬い、また口へと運んだ。
「その方が食べやすいと思いまして――冷たい方がよろしかったですか?」
――胡瓜、卵、胸肉と、並ぶ具材を少量だけ麺に集め、それを一気に口へと運ぶ。
「いや、ちょうどいいけど……」
「体温より低いものは体にも悪いからな。食べるしてもこれぐらいの温度の方が食べやすくて、何より体調も変わらずに済む」
――具材のない麺をかき混ぜ、それを一口すすった。
「ふーん……まあ、いいけど」
麺の隙間から覗き見える具材を隠すように、篠宮は二回かき混ぜた後、口へと入れた。
頬を黙々と動かす中、左右の耳には麺をすする音だけが聞こえていた。
――――――――――――
「………………」
あるがまま寝転ぶ篠宮は、ただ呆然と天井を眺めていた。
白の明かりに白の天板――瞳の中に留まるモノは何もなかった。
つむじの先に見える台所からは、激しく噴き出す水音だけが聞こえてくる。
光に音。包み込む日常の中に、篠宮の瞼は少し、また少しと重さを増していった。
暗闇が視界を包む――音が鳴った。
篠宮が目を開ける――再び音が鳴った。それは腹の上から聞こえてきた。
首を前に傾け、視線を向け――また鳴った。
篠宮が腕を伸ばし、机の端から覗き見える紙片を掴み、引きずり落とした。
釣られ落ちる紙束の一つが懸命な羽ばたきを見せるも、それは力無く、腹の上へと沈んだ。
のし掛かる紙束など気にも止めず、手にした資料を読み進めていく。
「ねえ」
並ぶ文字に言葉を掛ける。が、返事を待たずして、すぐに声を被せた。
「あの指輪、まだ持ってんの?」
文末まで目を下ろした資料を机に放り投げ、同じく腹の上に乗ったモノも放り上げた。
僅かに紙片を羽ばたかせ、音を上げては先に着いた紙束の上へと無惨に被さった。
「珍しい品だからね。大切にしないと」
聞こえる声に、篠宮は体を起こし、視線を左へと動かした。
銀髪の眼前を覆い隠す紙束の一枚がめくれ――また一枚とめくれた。
「んなもん大切にしたって、何の役にも立たないわよ。あれで世界の一つや二つが救えるなら苦労しないわよ」
「世界は救えぬとも救済は出来るかも。魂とかの――」
「救済? なにそれ? じゃあ始めから皆、地獄行きは確定だったってことなの? 私はそんな罪、背負った覚えはないんだけど」
「背負ったかどうかまでは知らないが、救済と言う言葉には、死後、『現世で迷わせない』という意味もある。ある地域の言い伝えでは、この世に生まれた生き物の全てには、既に何かしらの罪を抱いてるという教えがあるし、生きていれば必ず、一度や二度悪いことは必ず無意識に行っているはずだからな。もう既に私達の手には地獄行きのチケットを手にしてるはずさ。一枚二枚、三枚とな」
「そんなにいらないわよ。持ってどうするつもりよ? 往復でもするの? どうせ片道なんだから一枚で十分よ。なんで複数枚持つ必要があんのよ」
「連続乗車、特急、寝台、それにグリーン車とか――」
言葉の都度、親指から一本ずつ折れ始める。
「馬鹿馬鹿しい。一枚で十分よ一枚で――ってよりも、そもそもそんなもんがあるわけないでしょ? そう考えるなら虫や動物はどうすんのよ。乗車券の認識すらないのよ? 体に巻き付けて、貨物室に行くつもり?」
「最近は、発券がなくてもカードや携帯でも可能だから、埋め込み用のチップかもしれないな。事前に体に仕込んでおけば通るだけ認識されるから、チケットを知らなくてもいけると思う」
「それなら遥か昔はどうなのよ。そんなものが出来る前の時代はどうやって仕分けたって言うの? 石斧持って、走りまわっていた時代とかあったでしょ?」
「その時代なら、植物の葉か樹皮を活用していたかもしれないな。昔はまだ生き物がどういう形態で生きていくかを試していた段階でもあるから、生き物の体に特定の葉か樹皮を巻き付けてそれで判別を……もしくは数とかで――」
「アメーバやミジンコにも?」
「切り刻んで直接、ちょこちょこっと」
「消化されるだけじゃない、何言ってのよ」
「――何の話をされているんですか?」
篠宮の後ろから声と共に葉月が現れた。ラグを踏み、右側の机とベッドの間に腰を落とす。
「地獄での交通手段と仕分け方法よ」
「へえーそんなものがあるんですか? 是非その場所へ行った時のためにも知識として授かりたいのですが――」
篠宮がグッと瞳を寄せた。向けれる銀髪のつむじには動きなどなく、ただ声だけが返ってきた。
「篠宮に伝えてある。教授なら篠宮に任せた」
その言葉に、篠宮の眉根が寄った。
「はっ? なんで私がそんな役にしなきゃいけないのよ? あんた一人がべらべらと喋ってたんでしょ? その口で言いなさいよ」
「私が説明した所で意味はないだろ。相手がより理解しやすくなるには、それを理解した人の言葉でないと。私の口から出る言葉は、所詮、私だけが理解している言葉なんだ。聞いて理解した人が嚙み砕きながら話してくれた方が絶対に分かりやすくなる……とまあ、私が勝手に思い込んでいるだけなんだけど……、その話を聞いた人が全く理解出来てないのなら、どうしようもない話なんだけど、ね?」
動かす口からぺらぺらと吐き出される言葉を前に、篠宮は顔を逸らさなかった。
重ねた両手首に両肘を机に合わせ、少し前かがみのまま、眉も動かさず、じっと見返すだけだった。
少しの間を空けた後、葉月の方へと顔を向けた。
「――聞きたい?」
葉月はすぐに答えた。
「はい」
「――ふん。まあいいわ、単純なもんよ。簡潔に言うなら、どうやら私達は生まれた時からすでに罪を背負っていたらしくって、死ぬ時には全員地獄行きのチケットを持ってるそうよ。それを避けるために、必要になるのが指輪らしいわ」
「指輪? 指輪ですか? なんの指輪ですか?」
「ほら、前に学校の食堂で見たでしょ? 袋に入って臭い嗅がされたやつ。木で出来た指輪よ」
「……ああ、あれですか? あれがどうして天国に行けるようになると?」
「あの中に入っている植物塩基で人はコロっと行けるみたいよ」
「……植物塩基? ……あの……その……植物塩基とはいったい……?」
「アルカロイドだな。植物性の――」
「ああ、なるほど。で、それを着ければ天国へ行けるという事ですか?」
「そうらしいわよ。はなしによれば、ね。それが魂の救済になるんだって」
「救済ですか? 中に覚醒剤が入ってる時点で信用できませんが――」
「私も同意見よ。でもそれが叶うって人が真横にいるんだから、どうしようもないわよ」
「仮定の話で誰も叶うとは言ってないが……もし身近な人で好意的に着けてくれる人がいるなら、それの確証も得られるんだけど――」
「……着けて、首が飛んでなんで分かるのよ? 『ああ、あの人は救済された』って感じるの?」
「そう思えるから『救済』って言葉があるんだよ。見た側もその想いが伝わるし、何より気持ちが安らかになるから、悪いことはないって事だよ」
「見てる側はいいけど、死んだそいつの気持ちは浮かばれないでしょ そんなの相手が勝手に思ってることじゃない」
「不意じゃなく、本人が好意で着けるから問題はないんだろう。その間際であろうとも、後悔などは何処にもないはずさ」
「ふーん――便利な言葉ね。私には永遠に触れる事も無い言葉だわ」
「こちらから触れずとも向こうからは一方的にすり寄ってくるかもしれないな。『魂の救済よー』って」
「迷惑な話よ。『まだ早い』って蹴散らすしかないわね」
「それだと地獄行きのチケットが増えるかもしれないぞ? 『人の善意を蔑ろにした』って」
「気持ちも察せず、自分勝手な事を先にしてるんだから相手の過失よ、私は無罪放免ってやつ」
「その地獄行きのチケットが増えるとどうなるんですか? 行く場所とかが変わるんですか?」
「そこに行くまでの交通手段が変わるんですって。バカな話でしょ? 特急になったり、グリーン車になったりするんですって」
「へえー、じゃ十枚貯まると何になるんですか?」
葉月を見ていた篠宮の後頭部が左へと動いた。
「十枚程度じゃフリーのグリーン席。十五枚で指定のグリーン席」
「へえーそれは良いですね」
「はあ? 何が良いのよ。結局地獄に行くってのに良い席も悪い席もないでしょ」
「二十枚で特急。三十枚でジェット機」
「へえーそれは速いですね」
「早く着いても良いことなんてないわよ」
「ちなみに篠宮は既に二枚以上のチケットはは取得しているからグリーン車確定だな」
「はあ? なんで私が二枚以上確定なのよ。何したっての?」
「さっき私が置いた資料を二回とも粗末に扱ったからそれで二枚」
「へえーそれは良かったですね。二枚も頂けるなんて」
「嬉しわけないでしょ!? 欲しけりゃいくらでもあげるわよ!」
「いえいえ、いりませんいりません。気持ちだけはいただきますけど」
「私もいらないな。何一つ価値はないし」
「元々あんたから言い始めたのに何言ってんのよ。バカじゃない? こんなくだらない話、いくらしても無駄よ無駄。どうせみんな同じ場所に落ちるんだからいつまでも一緒よ」
「私はかまいませんよ、姉様と一緒ならどこまでも」
「のんきでいいわね。私は自由にさせてもらうわ……って、そんな話はいいから、いつになったら次の内容言うのよ? さっきからがさがさと紙やファイルを出すだけで……こんなに広げてどうするつもり?」
目の前にある資料の一つを、篠宮が気怠そうに持ち上げた。
葉月も目の前にあった資料の一つを手に取り、中を開ける。
「まとめた資料がどこかにあったはずなんだけど……他のと混じってしまってどれか分らなくて……今それを探しているところ」
「まとめて一緒に持ってくるからそうなるのよ。なんで分けなかったの?」
「向こうで仕分けるのにも時間が掛かるからこっちでやろうと一緒に持ってきた。ほら、待たせてる人もいるしね」
「何が、ねよ。当然のことでしょ。……にしても、結構あるわね……私は手伝わないわよ。まだ内容も聞いてないんだし、探せったってこんな量、面倒だわ。頑張って探しなさいよね」
「そんな事言わずに手伝ってくれたら助かるんだけど……券の数も減るしさ」
「嫌よ。こんな文字だらけのもの――それに似たような内容も多いでしょ? いちいち読んでたら日が明けるわ」
「…………」
まじまじと資料を見ていた葉月が、突然、篠宮に声を掛けた。
「この写真に映ってるお猿さん、見たことありませんか?」
差し出された資料を手に取り、篠宮が目を通す。
「んー? ……知らないわね。どこで見たの?」
「先週研究所で見ましたが……最近研究所には?」
「一昨日行ったけど何処にも居なかったわよ。これいるの?」
写真のある場所を開いたまま差し出すと、銀髪の後頭部はそれを片手に取り、読み始めた。
「んー? …………」
資料を囲う青の背表紙を二人が見守る中、それを閉じると、すぐさま顔を左へと落とし、ザックを探り始めた。
少しの間の後、中から別の資料取り出すと、またそれを眼前で開け、話出した。
「その猿は以前受けた依頼で回収して来たモノだよ。本当はその場に置いておくはずだったんだけど……そのままの流れで連れて帰ってきた」
「へえーそれはまた可哀想にね。また新たな被験体が増えたってわけだ」
「酷いことを言うなぁ……。私だって本当は連れて帰りたくなかったんだよ。でも、その場所に置いとくわけにも行かなかったから、渋々連れて帰ってきたんだよ。これぞ不可抗力ってやつ」
「不可抗力ね……。半分が大嘘なんだろうけど……、で、どんな内容の依頼で拾って来たのよ。猿を使った実験なんて相当ロクでもないんでしょ?」
「気になる? 気になるなら、そこの資料で――」
「面倒だから直接聞くわ。ほら、さっき言ってたでしょ。『他人に説明するには、聞いた人が噛み砕いて説明した方がいい』って。ほら、私が聞いて葉月織に伝えるから、早く言いなさいよ」
「葉月も今聞いてると思うが……簡単に言えば猿を喋らせる研究してたんだよ。依頼者はそれが好きじゃないから、データの破壊を頼んできた。で、その途中の流れで拾ったってわけ」
「猿を喋らせる実験ね……。そんなものを見て喜ぶのは下種ぐらいなもんでしょうけど…それって儲かるの? なんか批判はありそうな感じだけど――」
「さあ? 出来る前に事故は起きたし、研究していたデータのほとんどは吹き飛んだから、今頃どうなっているやら……。まあ、まだ研究する意欲が残っているなら、完成するその日を楽しみに待つしかないな」
「……別にそんなの期待していないわよ」
「そのお猿さんは被験体として扱われていたのですか?」
「外で拾ったから分からない。多分実験用に連れてきたとは思うが、外傷は見られなかったから途中で上手く逃げ出せたんだろう。手話での会話も出来るし、居た人全ての良心が無い訳でもないから、誰かがどこかで匿っていたんだろうね」
「いい話ね。私、泣けてきちゃうわ」
「……まったくの大嘘に聞こえるが……まあ、研究所にいるから、もし立ち寄った時は挨拶してみるといいよ。手話で話をしてくれるから」
「私が見た時も、確かに手を頻りに動かしていましたね。こちらをじっと見て両手を――こう動かしていました。手話とは思いましたが……そうでしたか」
「じゃ、もしこれから動物とかの依頼が来た時には、通訳の心配はしなくていいわね。手話で会話が出来るんだし」
「こちらと会話が出来ても、向こうと会話出来るとは限らないだろ。同じ種族でさえ話が噛み合わなかったりするんだからな」
「今の言葉、よく分かるわ。私もよくそういう場面に出くわすもの。ついさっきもそういう事があったのよ」
「それは何かと大変だな。相手の性格もあるが、もし通じないと感じたなら話し方や距離を変えた方がいいかもしれないな」
「すっごく無責任で人を待たしても何とも思わない、ファイルも整理できない人物よ。そんな人とこれからも接して行くには、どうしていけばいいと思う?」
「んー、……それは凄く難しい問題だな。聞くだけでも要領の悪い人物だと取れるから、そういう人を見てイライラするなら付き合わないのが一番だと思うけど……それでも付き合っていかなきゃいけないんだろ?」
「ええ、大変だけどね」
「それならまずは、その人の事をより理解しないとダメだな。なぜこの人は遅れきても平然としているのだろうか、とか、なぜこの人はファイルをしっかり纏めないのだろうか、とか、その目線に立てばその人の行動がより理解できて、別の見方になってくるかもしれないな」
「見方変えても、その性格に変わりはないでしょ? 『三つ子の魂』って知ってる? 一度備わった本質は、そうコロコロと変わるもんじゃないのよ?」
「性格は変わりようないが、そうなる原因が判明すると、印象そのものが変化するだろ。例えば、その無責任で無自覚な雑然とした人は、そうなった理由が『他者からの影響を受けてそうなっていた』らどうする? 他人の頼みを断れないその『優しい人』は、全ての用事を終わらせた後、『待たせまい』と急いで駆け付け、その反動で動悸が激しくなり、平常を取り戻すため喋れなくなっていたかもしれないんだぞ。ファイルの整理にしても、一つがなかなか纏まらないから、どんど貯まってきて『仕方なく』一緒にしてたかもしれない。そう見ると大分印象も変わってくるだろ?」
「ぜんぜん」
「私もよくそう思われることが多々あるよ。私がどれだけやっても、人の気持ちは目で見えるものじゃないから、必ず入れ違いが起きて一方的に攻め立てられたりしてさ……近くにいるんだよ。面倒事は全て人任せで汗水流して用意しても何とも思わない、ファイルすら目を通してくれない人がさ。悲しいよー」
両手で顔を覆い、垂れる銀髪の先が指先に被さる。
「コイツ、ふざけてるわよ。どうする?」
伸ばした人差し指を向けたまま、葉月の方へと怪訝な表情を見せつけた。
開いたファイルから視線を逸らさない葉月は、言葉だけを返す。
「同じ気持ちになればいいと思いますよ。そうすればその意図が読めるかも」
僅かに視線を落とした後、篠宮は両手で顔を塞いだ。
しばらくして、両手を下ろす。
左右から聞こえるプラスチックと紙の擦れる音に、左隅からは男女の哄笑が湧き上がった。
凝視したまま篠宮は動かない。
乱れて広がる紙束とファイルを前に、ただそれをじっと眺めていた。
――新たなファイルがまた被さる。篠宮はそれを手に取り、中を開いた。
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