三節:自動車道の話

『――開業した八年前から毎年三月になると……』

 女性の淑やかな声と共に、ツバメの飛ぶ姿が画面を横切った。

 続く声に合わせ、映る軒下へと向かったツバメは、巣で鳴く我が子と出会い、口移しで餌を与えていた。

 和やかな曲に映像が切り替わり、座る女性の姿が映る。

 スーツ姿の口元から語られる言葉に文字が浮かび、今度は街にある一件のパン屋が現れた。

 白半袖のコックシャツを着た男性が生地をこね、綺麗に形成した後、オーブンにそれを入れ膨らませ始める。

 扉に付いたハンドルを持ち、開け、中からふくっらとした小麦色のパンを取り出した。

 生地に沈ませた左右の親指をゆっくりと開けていき、中から熱を――。

 止まることなく流れ続ける映像を前に、二人は決して顔を上げることはなかった。

 どれだけ女性が原稿を読もうと――、どれだけ興味を注ぐ映像を流そうも――、二人の視線はただ目の前に広がるファイルだけを捉えていた。

 声が景色を替え、映像が言葉を切り変える。

 ふと、葉月が顔を上げ、テレビに視線を向けた。

 じっと画面を見つめながら、突然声を出す。

「この場所、行きませんでしたか?」

 葉月の声に今度は篠宮が顔を上げた。

 交わす言葉も表情もない二人は、ただテレビに映された道を眺めていた。

 映像が切り替わり、空から撮されていた道が目の前に伸びる。互いに潰れ合った二台の車に、橙色の救助服を着た数人がそこに集まっていた。

 画面下にある文字に、二人の視線が合わさる。

『灯越自動車道で二人死亡』

 場面は切り替わり、スーツ姿の女性が現れ、また別の映像へと切り替わった。

「知らない」

 まるで催眠術でも解かれたように、見ていた頭をふと下げた篠宮は、またファイルを読み始めた。

 残された葉月は、テレビに向けられた篠宮のつむじをじっと見つめ、再び問いかけた。

「覚えありませんか? 資料では姉様と共に向かったとあるのですが――」

 その言葉に篠宮は頭を上げない。

「記憶にないわねそんな場所。大体なんの用事でいくのよ、そんなとこ」

「猪に追われた。とありますが――」

 篠宮が言葉もなく顔を上げ、葉月に向けた。

 声も無く、瞳だけを交わし合い、僅かな間のあと顔を戻した。

「思い出した思い出した、とても下らない内容だったわ。覚えていてもなに一つ得になんないから忘れてたわ」

「道路を埋め尽くす程の猪に追われたのに、全く記憶に残ってないんですか? 忘れる方が不思議だと思えるのですが」

「覚えたって価値はないでしょ? 猪に追われたのよ? 何の得があるっての? 私はね、覚えるならもっと素敵な出来事だけを記憶しておきたいの。素敵な風景に素敵な出逢いとかね」

「どれも似つかわしくないものばかりですね。……どうでしたか追われた感想は? 音とか凄いですか? あと臭いとか?」

「音も臭いも何もしなかったわよ、耳栓してたし――車に乗ってたし……ってか、そのファイルちょっと読ませて、どんなこと書いてるの?」

 葉月が前にあるファイルを開けたまま、篠宮の前へと差し出し、ペラペラと紙を捲ると、一番最初のページまで戻した。

 篠宮が左肘を前に突き出し、退屈そうな表情でそれを読み始める。

 一枚、二枚、三枚――。数十枚捲った後、資料を閉じ、葉月へと返す。

「その後の調査結果がほとんどね。麻祁式がバーベキューしようとしていた事なんて書いてないじゃない。このファイルに、真実なんてものはないわ」

「へぇー、バーベキューしたんですか? 楽しかったですか?」

 その言葉に篠宮は眉根を寄せた。

「楽しいわけないでしょ? アホよアホ。誰があんなところでバーベキューなんてわざわざするのよ。原因不明の行方不明現場よ? 楽しくバーベキューなんて発想がぶっとんでるわ」

「えっ、でもせっかく準備したのにせめてやってみない事には……」

「麻祁式が勝手に始めようとしたんだから知らないわよ。 後からワケ聞いたら、『その原因を集めやすくしようと思って』とか言うし、どう思う? 頭おかしいでしょ」

「まあ、聞くぶんには……でも、悪くはないと思いますよ? それで集まるのでしたら、すぐに解決は出来ますし――」

「はぁーん! やっぱそっち派なのね。言った私が馬鹿だったわ。あのね、もしそんなこと短絡的にやってみなさい――種類も数も分からないのに、急に出てきたらどうするつもりよ? ただでさえ周りは狭いし、逃げ道もないしで、それで的確に撃てなんて言われても無理な話よ」

「そこは信頼関係じゃありませんか? 今までの経歴を見ても優秀なのですから、例え無理な状況でもきっと貴方ならやり遂げてくれると、頼っていたんですよ」

「ほんとにそうかしら? ぜんぜん怪しいわね」

 視線を細め見てくる篠宮に、葉月は態度を変えることなく言葉を返した。

「まあ、私は姉様自身ではありませんので分かりませんが――」

「適当なことばっかり……どいもこいつもって感じね」

「でもバーベキュー……ではなく、火を焚くと言う考え方は悪くないと思いますよ。夜になった場合、少しでも明るくするために光ではなく火を選んだのも、遠くから撃つ方への配慮、目印にと思ってのことかもしれません」

「そんな配慮しなくてもいいわよ。こっちはちゃんと夜間用のスコープぐらいは用意してるんだから――誰よ、スコープ無しで暗闇数キロ先の目標を撃つ狙撃者って……そんな奴がまともな仕事出来るとは思ってんの? 目玉どうなってるの?」

 額隔つ髪の間を篠宮が掻きむしった。その様子を横目で見た葉月が言葉を返した。

「互い様だと思いますけどね。撃つための目標としてではなく、撃つ時への状況を知らせるためかもしれませんよ? 焚いておけば突然現れた目標に対し何かしらの行動が影として映りますし、時には火としての武器にもなります。基本襲撃者は明かりを恐れる為、第一目標としての囮としてそちらに目を向けさせれることにもなりますので、その時を考えれば、『良い的』ってやつです。悪いことはないと思うのですが――」

「実際にその場に居なかったから、そう何でも言えるのよ。結果無事だったからよかったものの、あんな数が夜一斉に襲撃してきたらどうなってたと思う? 絶対に助からなかったわよ。一回見ればいいのよ、道路一面に迫り来る猪の群れを――。ほんとやらなくてよかったわ」

 両手を伸ばし、まるで波を割くように、篠宮がゆっくりと腕の間を広げていく。

「それほど凄かったんですか?」

「すごいすごい。よくあんな数がいたなーって思うぐらい凄い光景よ。今度山の依頼が来たら行ってみるといいわ。普段経験できないことが体験できるから、一度猪に追われてみなさい、案外楽しいわよ」

「全然気乗りはしませんね。請けても同じものが見れるとは思えませんし……、そう言えば撃ったんですよね? 追いかけてくる猪に向かって――? 資料にも遺体の回収とありましたし……」

「撃ったわよ。こう、トラックの荷台に乗って、ばん! ってね」

「何匹撃ったか覚えてますか?」

「はっ? んなもん覚えてるわけないでしょ? 沢山よたくさん。一匹でも二匹でもない、たくさんよ沢山」

 強く自信を見せつけてくる篠宮の言葉に、葉月はふと息を吐いた。

「そうですか。資料によれば、後に回収された猪の数は指で数えれる程しかいなかったはずなのに、本当に撃ったのですか? もしそうでしたら資料との整合性が全く取れてないことになるんですよね……追いかけられていた事も忘れていたし……本当に沢山いたのかも疑わしい……もしかして本当は一匹や二匹とか――」

「バッカねー。あのね、どれだけ記憶が欠如していようが、撃った事には間違いはないの。確実に引き金は弾いたし、確実に眉間を貫いて多くの死体も作ったわよ」

「そうですか。じゃ、可能性としては脳ミソそのものに問題があった。――っと言うことでもいいですね。それなら話は合いますし」

 葉月が一方的結論で終わらせようとした時、どこか納得のできない篠宮がさらに話を伸ばし始めた。

「はっ? ちょっと待ってよ何それ? なに勝手な決めつけで、勝手に終らせようとしてんのよ。誰の脳ミソに問題があるってのよ。私は覚えてるって言ってるでしょ?」

「でも書かれている内容と食い違う部分が見受けられますし、何より記憶自身が非常に曖昧に思えます。埋め尽くす程の猪の群れを撃ったなら、流れ弾や巻き込みを入れても、死体の数は四、五体では済まないと思いますよ。その記憶が確かなら、資料の方が誤報を記載していることになります」

「そんな事いちいち知らないわよ。私が見たのはそれなんだから、調査した奴が悪いのよ。名前見てやるわ、貸して!」

 葉月の前にあるファイルを一人、勝手に、奪い取るようにして手に取った篠宮は穴を開ける勢いで、書かれた文字の一つ一つに目を通し始めた。

 腰を曲げ、頭をギリギリまで近づけて読むその姿を、横で見ていた葉月はふと息を吐いた。

「無駄ですよ無駄。どれだけ必死に探したところで、どうしようもありませんよ。報告書の構成はご存じでしょ? あらゆる分野から少しでも関わりのある情報を集めて一つにしたものなんですから、名前などを記載した原本は別のファイルに閉じられてますよ、きっと。……それなら、白毛の猪はどうです? それなら記憶とファイル、両方の内容にも一致すると思いますよ」

「しろげ? しろげしろげしろげしろげ……」

 文字に目線を合わせたまま、まるで呪文のように同じ言葉を篠宮が繰り返す。

「しろげ……すぅーしろげね……」

 顔を上げ、両目を片手で覆った後、歯の隙間から息を吸い込んだ。

「ああーなんだっけな白毛、うああー思い出せないー」

 両目尻にシワを作り、悔しそうな表情を篠宮が浮かべた。

「さすがにこれを覚えていないのなら、擁護のしようがありません。――祟りじゃありませんか? 近くに祠もあったようですし、何よりその白毛を撃ったのは、貴方ですよ」

「へっ、私? 私が撃ったの? んあー思い出せないわね。本当にそんなこと書いてあったの?」

「書いていましたよ。『十二点七の弾薬が頭部付近に直撃し、銃創を与えた』――と。そんな大きな弾、普段から持ち歩いてるのは貴方しかいませんからね。それに、その前から撃っていたなら、そうでしょ」

「んー、それはそれとして……じゃ、祟りはどこから来たのよ?」

「資料によれば周辺地域の再調査で、祠についての昔話が多く聞かれたみたいです。その場所は昔、人よりも大きな生き物がが住んでいたみたいで、近隣の村などの作物を荒らしたり、山道を歩く人たちを襲ったりで非常に迷惑だったみたいですね。それで少しでも被害を抑えるために、祠を建てて貢ぎ物をしていたようです」

「………………」

「………………」

 二人の視線と言葉が留まる。

 先にその空気を動かしてのは篠宮だった。

「……で、祟りはどこにあるのよ」

「えっ? ですので、その祠と大きな生き物って事で、白毛の猪がそうなのかと」

「なによそれ、全く繋がりが無いじゃない。完全なこじつけよこじつけ。そう信じる方が馬鹿みたいだわ」

「可能性は可能性ですから。現に猪を撃った記憶は微かにあっても、全てを思い出していないのですから、十分あり得ると思いますよ。その記憶障害は白毛を撃った時の後遺症の一つ。それで話は合いますし」

「無理矢理合わせられても困るわ。勝手な思い込みじゃない。……まさか、毛が白いからイコール神様みたいな考え方してるの? それで祟り?」

「ええ、まあ――」

「はぁーはぁっはぁっはぁーん。なによそれ、お子ちゃまじゃあるまし、そんなの信じてるわけ? 白毛の理由はアルビノの一つよ。ほら遺伝子疾患の――それで真っ白になってるってこと。そう考えるとどこに祟り要素があるってのよ? 毒素を吹き出すわけじゃ、あるまいし」

「それはそうですが、昔から言い伝えで、白色の動物は珍しく、神の使いや吉凶の前触れとしての信仰が今も伝わっていることから、『必ずしもなにかしらの事例が起きた』とも考えられますので、そうないがしろには出来ません。現在でも、因果関係は解明されていないので、当然、『祟れてはいない』『いる』の結論を出すのは、人の勝手な思い込みの一つだと私は思うんですけど」

「ほえーそんなこと言うんだ。おっけーおっけー、じゃ、記憶にはないけど私がその白毛――あんたの言う神様を撃ったとしましょ。それで、罰か知んないけど、祟れてその瞬間の記憶が失われたと。で、結局何になるの? 話はこれで終わりじゃない?」

「ええ、そうですよ。話はそれで終わりです。すべて綺麗に纏まったと思いますよ、私は――」

 肯定的な葉月の言葉に、視線を合わせていた篠宮は一瞬机に落とした後、再び上げた。

「待って、なんかぜっぜん納得いかないんだけど、なんで? だいたい何の話をしてたっけ?」

「この場所へ来たことある? から始まって、覚えてないが続き、今は白毛の猪を撃ったからこそ、じゃその祟り? って流れですよ」

「そうよね、で、それで終わり?」

「はい、一応は終わりですが――」

「んー、なんかねー」

「まあ、資料に間違いはありませんから、もし祟りが嫌でしたら、脳ミソの方に何かしらの不都合か起きたと考えるしかありませんね。私はどちらでも構いませんが」

「何よそれ、結局どっちもどっちじゃない。なんか他ないの?」

「ありません。それなら、いっそ祟りの方にしてみるといいかもしれませんね。そうすれば、これから起きる全ての不幸を祟りの一因だとして押し付けることが出来ます。非常に心も軽くなりますよ」

「なるわけないでしょただの気休めじゃない。ってより、自分に言い聞かせてんだから結局は背負うのは自分じゃない、なんの解決になるのよ」

「仕方ありません。どのみち罪もない生き物の命を奪ったのですから、罰は罰ですよ」

「罰ですって? 先に襲ったのはあっちよ。何人死んでると思ってんの?」

「でも、その撃ち殺した対象が直接手を掛けたかどうかなんて分かりませんよね。数も多かったみたいですし、指示するにも言葉なんて喋れませんから証明も出来ません。可哀想なことをしましたね」

「はぁん、なに言ってんのよ。見てないから知らないと思うけど、奥から走ってくる時のアイツらの顔を見た? 完全に殺す気だったのよ? 追いかけられるこっちの身にもなってみなさいよ、どっちが可哀想だと思う?」

「えー、まあ……、その場にいなかった私の口からは非常に決めかねないのですが……選ぶとするなら猪の方ですかね。資料でも祠とか、近くで工事とかの記載もあったので、それが原因だとすると納得できますし……」

「祠に何かしたのは麻祁式よ! 私じゃないわ! あーー思い出したー! そうよ麻祁よ、麻祁式! アイツが祟られるべきよ!」

 目を開き、篠宮が声をあげる。

「全部私に降りかかってくるんだから! そう言えば聞いた? アイツが刀を盗んだ話」

「刀ですか?」

「今名前と高速で思い出したんだけど、アイツ、以前、高速で刀を奪う仕事請けていたのよ。その時、朝から早く起こされて、『トラックのタイヤを撃ち抜くから銃貸せ』なんて意味不明なこと言ってきたから渋々貸したのよ。そしたら結局使わず仕舞いで帰って来て、朝ノックで起こされたと思ったらなんて言ってきたと思う? 『これ、はい、ありがとう』なんて、くうー!」

「いいじゃないですか、使わずに返してくれたなら……何も損せず、悪いようには思えませんが――」

「バカね。銃ってのは撃たなきゃ意味がないものなのよ。撃って撃って撃ちまくってこそ価値ってもんが出てくるの。そうでしょ? 撃ち始めてやっと成果や結果が出るのにどうやってそれを確認するのよ。私が聞きたかったのは『感想』よ。それで次の先行きが決まるってのに」

「……すごく興味も湧かない話ですが、そうですか。まあ、姉様には姉様なりの考え方もありますから、仕方ありませんよ」

「仕方ないって……全部アイツのせいなのよ!? アイツが近くにいたせいで、私達が不幸になるんだわ! 祟られるなら一人だけにしてもらいたい、そうでしょ! それが無理なら私が祟る! そう祟るわ! ねえ、何か利便性のある呪術式みたいなものはないかしら? こう、願うだけで簡単には叶うみたいな」

「ありませんよそんなもの。あるならすでに広まって、皆さん実行されてますよ。でも、いいんですか? 姉様が居なければ高額な依頼も入ってこないって言うのに、報酬などの交渉はどうするつもりですか?」

「それは……困るわね……。まあ、腐らないだけ残して、依頼だけを請けれるように出来ないかしら」

「そんな器用なこと出来ませんよ」

「んー悩むわね……クシュン!」

 突然篠宮が顔をしかめ、鼻をすすった。

 横では葉月がその様子をグッと眺めている。

「もしかして祟りですか?」

「バカね、そんなハズないで……クシュン!!」

 再び鳴る音を横に、葉月は表情を変える事もなく、ただジッと鼻をすするその顔を見ていた。

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