一節:カマキリとクモの話

 下準備を終えた葉月が居間に戻った。

 ふと足元に見える篠宮の背を避け、ベッドの上へと腰を落とした。

 横に着く葉月に対し、篠宮は気にする様子など見せず、ただ食い入るように手元にあるファイルをただ一心に読みふけっていた。

「何を読まれているのですか? 熱心に――」

 葉月からの問いに篠宮はすぐには答えなかった。少し間を空けた後、独り言のように声を返した。

「この近くで人が殺されたみたいなこと書いてあるけど……そんなことあったの?」

 葉月に顔を合わせないまま、篠宮が一枚、紙をめくった。

「ありましたよ。テレビや新聞などでも大きく騒がれていたのに知りませんでしたか?」

 葉月が机にあるリモコンを手に取り、選局を押した。

 篠宮は紙を見つめたまま全ての動きを止め…………そして目と口を再び動かした。

「記憶にないわ」

「健忘症ですか。色々と大変ですね」

 机にリモコンが置かれる。

「記憶にないものはどうしようもないでしょ? まあ、それはいいとして、それよりも、この事件の犯人聞いた? これ本当なの?」

 先程まで読んでいたファイルを机の右端に置いた後、篠宮はザックに手を伸ばし、今度は別のファイルを中から取り出した。

 置かれたファイルを前に葉月は手を伸ばすことなく話を続けた。

「ええ事実ですよ。報告書に絵空事なんて描いても仕方ありませんしね」

「にしても、ありえないわよ、『カマキリ』って――なに、カマキリって? 初めて読んだ人からすりゃ何かの精神疾患の一つに思われるわ」

「姉様の口から直接お聞きしましたから間違いありませんよ。それに、事細かく分析結果や経過報告も載せられているはずですから、それを読んでもなお、疑いを持つならそれは狭量ってやつですね」

「言うわね。こんな報告書を真面目に書いて提出する神経こそどうかと思うけどね……まあ、大事にならなくてよかったわ。『人食いカマキリ出没!』なんて大きく見出しに出されたら、他所からなんて言われることやら」

「人の評判も恐ろしいですが、それよりも恐いのは昆虫特有の繁殖力ですよ。そのまま放置して大量に湧かれたらどうします? 危うく私達までお手伝いしなければいけなかったかもしれないんですよ」

「私は絶対に断るから別にいいけど――、人並みの大きさならそれほど警戒しなくてもいいんじゃない? 大きければ大きいほど母胎に負担が掛かるんだし、生まれる数も頻度も減るはずだから、繁殖力は人並みに落ちるでしょ」

「でも数は多く居たみたいですよ。姉様も大変だったと」

「あー、あいつは虚言癖があるから全てを真に受けちゃ駄目よ。ここに書いてある通りに読めば、確認されてるだけでも八体だけなんだし、後の周辺調査でも他の個体は確認されていないだから、やっば繁殖力なんてないのよ」

「そう油断していると後で痛い目を受けるんですよ。こんな小さな昆虫だったものが人ぐらいの大きさになって襲ってくるわけなんですから、常識内の考慮なんて何の役にも立ちませんよ」

 少し広げ作った親指と人差し指の間を、葉月は篠宮へと向けた。

「そう言ったって結局はその常識の範囲内ってやつで報告書を書いて提出するんだから、それこそ無駄な考慮ってもんよ。このカマキリだって、巨大化した理由としては高濃度の酸素が影響してるとか、外骨格がどうこう色々書いてるけど、どれも科学的証明ばかりで、非自然的な推測なんて見られないわ」

「それはそうですよ。報告書っては、老若男女問わず誰が読んでも理解出来るよう、分かりやすく書いたものなんですから、ただ字を読むだけでそう捉えるようなっているものなんですよ。もしその書面の中に『巨大カマキリの誕生理由として宇宙からの飛来物、未確認飛行物体から……』みたいな言葉が書き記されていたらどう思います?」

「鼻で笑ってそれ以上読まない」

「そうでしょ? そうならならない為にも、あくまで自然的な観点で、そして確証へと近付くよう硬めの表現で書かれている訳なのです。もしかするとこれをまとめた方も内心は宇宙から来た物だと思っているかもしれませんよ」

「じゃ、何型に乗って来たと思う?」

 篠宮の問いに葉月は人差し指を立て、答えた。

「そうですね。天光公園の周りの状況と大きさを考えれば……少し小さめの円盤型かもしれませんね。夜に公園の中央に着いて、そこからそのカマキリが降りてきたんですよ、きっと」

 どこか得意気に語るその姿に、篠宮はふと呆れたように息をファイルに吹きかけた。

「そう単純な話ならどれだけ楽なことか。そこまで行くと次の調査は私達が宇宙旅行に行けるようになってからかしら? そんな悠長なこと考えていたら、いつまで経っても収拾はつかないわよ? 婆さんになってもおんなじ事を調べ続ける気?」

「いいえ、そこまでは……なら、もし次、出会ったときには直接聞くしかありませんね。どうやら、喋るみたいですし、出身地から年齢、ついでにご職業までも聞きましょうかね」

「喋れるって事、麻祁式の口から直接聞いたの? それも嘘よ。ファイルによれば、喋るたってペチャクチャ気軽に世間話してくる感じじゃないのよ? 『背にある羽を擦り合わせて出来る音が人の声に似ている』ってだけで、どうやって会話できるのよ」

「それなら、んー、また送り込んできてくれる事を祈るしかありませんね」

「なにめんどくさいこと祈ってんのよ。無駄な仕事を増やさないでもらいたいわ。大体、あの公園に放したのもどっかの馬鹿な研究員よ。実地試験とかなんかの名目でそう言うこと平気でやるのよ」

「回収もせずに放置ですか?」

「放し飼いの方が成果としては多く取れるでしょ? 行動経緯や周りの状況とかも含めて。回収は情報だけあればいいんだし、実物なんて処理する方が大変なんだから。警察やそこら辺の物好きにさせておけば楽でいいのよ」

「でも、大騒ぎになったら困ると思いません? ましてや人を殺したりするなら尚更……」

「殺人は話題になるかもしれないけど、その犯人が『カマキリ』なんて言ったらどれだけ人が信じるか私なら見物ね。さすがに警察の方が情報を抑えるし、もし世間に出たとしてもテレビでは特集なんて組まないと思うわ、馬鹿らしすぎて――。そうなると……案外、あの胡散臭いオカルト雑誌とかの方が有能かもしれないわね」

「宇宙人説も有能ですか?」

「それは論の外の外よ。評価するなら完全なうわ言ね」

「そうですか。私には平和的な方向へと進む為に、とても有能な説に思えたのですが」

「ただただ混迷するだけよ、話が――。まあでも、やってることは結局、宇宙人と変わりがないから、似てると言えば似てるようなもんね。環境保全とかそんなまともな理由じゃないんだし」

「目指す先は人へ――ですか?」

「まあ、そうなるでしょうね。生物兵器を作ったところで限度があるんだし、最も安定し、最も生産性のある材料と言えば人が一番都合がいいわ。行き着く先は遺伝子操作よ」

「それならもう既に行動に移してるかもしれませんね」

「へぇー、最近なんかそういうことあったの?」

 ファイルから視線を逸らす事なく篠宮は、また紙を一枚めくった。

「最近ではありませんが、以前そういう話を聞きまして――今読まれているファイルはまだカマキリの事に関してですか?」

 篠宮が目を合わす。手元にあるファイルを葉月へと差し出した。

「違うわよ。なんか蜘蛛の話」

 ファイルを手に取った葉月が、上から下へと並ぶ文字列の一つ一つに目を通し始めた。一枚、また一枚と次々と紙をめくっていく。

 それを他所に、篠宮は葉月の前にあるリモコンを手に取り、流れる声を変えた。

「ちょうどこの辺りですね。最後まで読まれました?」

 ファイルを開けた状態で篠宮の前へと置く。その紙にはまだ幼い女の子の写真、それと小さく切り取られた新聞の記事が載せられていた。

「読んでる途中であんたが持っていったんでしょ。……この記事なら見たわよ、女の子が行方不明になったって話。今、蜘蛛から出る糸について読んでたのよ」

 ファイルの右端を掴み、篠宮が別のページを開ける。そこには数多の文字に埋もれるようにして、数種類のグラフも載せられていた。

「それならもう内容に関しては、ご理解していただけてますね」

「ええ、ご理解してるわよ。その子の頭の中でその虫が巣食うって、自分好みの環境に変えてた、って話でしょ? ――で、それがどう人と遺伝子操作に関係があるの?」

 ファイルに視線を合わせたままの篠宮が、紙を一枚めくった。

「カマキリの場合、個体そのものが独自に行動する様子が見られたのですが、この蜘蛛に関しては、人の身体を媒体とし、集団行動をしていたようです。そうなると、人に対する予備実験をしているように思えませんか? 生成された糸も生き物の神経系と似たような作りにもなっていたみたいですし……もう何かが始まってるのかもしれませんよ」

 声を低く落とし、まるで怪談話を語るように話す葉月に、篠宮は細めた視線を向けた後、顔を戻し、ふと息を吐いた。

「実際に使用許可が出るにしても、どれだけ時間を掛けて、その検証結果を出さないといけないと思ってるの? バカみたいに何でもかんでもすぐに承認を出しているようなら、間違いなく作った本人達が滅ぶだけね。好き好んでそんな事をやる奴等は、まともな組織じゃないわ。きっと、ただの物好きが集まった狂人のサークルグループよ」

「幾つかの検証を終えて、すでに最終段階に近づいてるかもしれませんよ。人を使った……鉱夫での模擬実験とかまでに――」

「――で、制御できずに結局放置したと? 最終段階なのに? ファイルによれば事件発生からの閉山の後、再び開いたのは五年後ぐらいになるのよ? その間、餌不足で外にまで巣を広げてるってのに、処理する方がより面倒になってんじゃない。密かに山燃やす計画立てたって、結局は誰かの目に大きく入るわけだし、線密に土地を購入や隔離した所で殲滅できるとは限らないんだから、時間が経てば経つほど無駄な経費が膨らむだけよ。物を創るってのは、後片付けが出来てまでが全てよ。そこまで計画に入れてないなら、いつかそれなりの報いが返ってくるわね」

「因果応報ってやつですか。でもカマキリの時は放置した方がより情報は取れると……」

「時と場所が重要なのよ、時とば、しょ、がね。自分達がどこの範囲まで抱え込めるのか、って事が大事なのよ。住宅街に囲まれた公園みたいな場所なら、閉鎖も容易ですぐに対応出来るけど、山の一つ二つ、ましてや暗く入り組んだ全ての坑道内までも全て閉鎖して管理しろ、なんて言われても出来ないでしょ?」

「出来ませんね。出来たとしてもさらに時間はかかります」

「それにいちばんの問題は繁殖力よ。どうやらこの蜘蛛には生殖機能があるらしいから、それを五年間も放置してたら……、そりゃ処置する方はさすがに手を振るわよ。そうなると、この蜘蛛のケースに関しては、そういう関連性で結びつけるには難しいって事ね。もしそうだとしたら、それを許可した所がただのアホじゃない」

「それもそうですが……でも帰り道に盗人が現れたらしいですよ」

「盗人?」

 篠宮が葉月に顔を合わせた。

「なに盗人って……まさか別業者?」

「はい。それも刀を持っていたようです」

「なにそれ、ただの銃刀法違反じゃない、警察に言いなさいよ」

「外に出たらすぐ目の前にいたんですから無理ですよ。それにその方はもうすでに亡くなってますから、判事では裁けませんしね」

「麻祁式と出逢ったのが運の尽きね。私なら途中で逃げ出すけど……それにしても珍しいわね横取りなんて……まだやる人いたんだ」

「楽に報酬が手に入りますからね。特に情報回収だけの依頼の時はそれなりに――。奪い取るのに、リスクなんてありませんからね。もし、見つかったとしても、ただ逃げればいいだけなんですし――最近そういう経験はありませんでした?」

 葉月からの問いに篠宮が首を横に振った。

「ないない。気になることがあったらすぐに依頼主に連絡して聞くし、基本単独で動くから、そうないわよ。大体、その襲ってきたやつ刀持ってたんでしょ? いくら報酬の横取りしたいからって、そんな刀を平然と持ち出すやつなんて、よほどの危険人物よ。人ヤル気満々じゃない」

「ええ、ですので姉様は、依頼主である鉱山の管理会社の内情を調べたらしいです」

「依頼主が別の人に出したの? アホねそれは、すぐ足がつくじゃない」

「ええ、ですのですぐ見つかった……っと言うよりも、事前にその情報が漏洩したみたいで、襲撃されるよりも前にその事に気付き、対処出来たみたいです。ちなみにその情報を伝えてきたのは、その人を紹介した仲介人みたいなのですが――」

「仲介人? ああ、それがあいつらの常套手段よ。それで小銭を稼いでるの、陰湿なやり方ね」

「雇った依頼主の言い分では、『全てが初めての事なので、少しでも確実に済ませる為に雇った』っと言う事らしいですよ」

「嘘が見え見えよね。それで騙せると思ってるのかしら? 不安だからって全く別の場所から人を雇うかしら普通? 絶対に何か別の理由があるはずね」

「そう見えますよね。今もその事に関して、色々と調べているみたいなのですが、私の想像では、姉様に後処理をさせて、そのあと全てを消そうと雇ったんじゃないか、って思うんですけど……そう考えると全てが辻褄が合うと思いませんか?」

「思うけど……でも、そのこじつけ方は、どこかの三文記事の陰謀論と変わりがないわね。なにか確証がない限り、断定は出来ないわ。……まあ、その説には私も乗るけどね」

 最後の一枚を読み終えた篠宮はファイルを掴み、ザックに戻すと、また別の青いファイルを取り出し、読み始めた。

「じゃ、この説をぜひ姉様に伝えましょ。第一提唱者の功績は譲りますから」

「いらないわよそんなもん。功績どころか、バカにされるのがオチじゃない。言うなら一人で言いなさい。私は読むに忙しいの」

 テレビから聞こえる男女の笑い声に、葉月の瞳が動いた。

 視線を戻し、再び篠宮を捉える。食い入るようにファイルに目を通すその姿に、葉月はふと息を吐いた後、小さく呟いた。

「残念ですね……」

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