終節:鐘楼

 降りしきる雨粒達が割れた窓から飛び入り、廊下をひどく濡らしていた。

 走る篠宮が腰より高くあるその窓へと近づき、外を眺める。

 手に持つ明かりで、奥に生え並ぶ木々を照らす。しかし、雨と暗闇が先を防ぎ、その姿は見えなかった。

 次に光を下げ、地面に当てた。

 生え繁り揃う芝生の中には、黒くなった布切れや割れたガラス片などが散らばっており、隠れるようにしてその身を埋めていた。

「逃げた? ――ッチ……」

 篠宮が濡れる体で舌打ちをし、その場から離れようとする、その時だった。

 突然、動きを止めた。左耳に当たる雨音も気にも留めず、正面にあるドアを見つめたまま、何かを探すようにただ瞳を動かし続けていた。

 右から聞こえる足音に、篠宮が振り返り、雨粒から遠ざかると、近付く二人に声をかけた。

「今、音、聞こえなかった?」

 その言葉にランプ二つを持ち運ぶ葉月が頷いた。

「はい、聞こえました。鐘の音、それとピアノ音が……」

「ピアノはもう使えないはずよね、何で鳴るのよ……龍麻はなんか聞いた?」

 篠宮が葉月の後ろへと視線を向ける。そこには死人のように顔を白くさせ、両肩を震わせる龍麻の姿があった。

 頻りに動かす瞳は誰とも合わず、何か別のモノを必死に見つけ出そうとしていた。

 その様子を見る二人――篠宮が龍麻の前まで行き、頬を思いっきり叩いた。

 皮膚の弾ける音に合わせ龍麻の顔が大きく右に動いた。

 不意な出来事に目を見開かせ、言葉もなくただ篠宮の目を見返す。

 その表情に篠宮は胸ぐらを掴み、龍麻の顔をぐっと引き寄せた。

「よく聞きなさい。今あんたがどんな音を聞いてるかは知んないけど、その痛みと私の声は本物よ。ワケのわかんないモノに一人ビクビクされちゃ困るわ」

 掴む右手が解き、篠宮が離れた。

 よれる胸元をそのままに、龍麻が小さな声で返事をした。

「私の声も忘れては困りますね」

 葉月が横から入り込む。

「それで――今はどんな音が聞こえますか?」

 問い掛けられた龍麻は頭を抱えるよう額に右手を当て、視点を足下に合わせたまま答えた。

「羽ばたく音がどこか遠くか近くで聞こえて……それとピアノの音がずっと……ああー!」

 唐突に声をあげ、その場に身を崩した。両膝を曲げ、両手で絨毯を押さえ付けている。

「どうしたの次は?」

 怯えた様子で一人身体を震わせる異様な光景に、明かりを向けたままの篠宮は平然とその背を見下ろしていた。

「じ、地震だ! 揺れてる! 揺れてるって!」

 額から汗を流し、大声で叫ぶ龍麻を前に二人は顔を見合わせた後、呆れるように息を吐いた。

「揺れてないわよ、あんたの気のせいよ」

 龍麻の横に付き、身体を起こそうと腕に手を回す。その動作に気づいた葉月も、同じく横に付き、腕に手を回した。

「揺れてないのか!? 鐘の音だってこんなに大きく聞こえて!」

 一人喚き、視線すら二人に向けない龍麻の態度に、篠宮の表情が更に険しくなった。

「鬱陶しいわこいつ。ちょっと待って三発叩く」

 中腰で立たせた後、正面に立った篠宮は同じ視線に腰を合わせ、右肩を掴み、三発頬をひっぱたいた。

 手のひらが右頬を弾き、手の甲が左頬を叩き、そして再び手のひらが右頬を弾く。

「つっー!! 何すんだよ!!」

 頬を赤くさせ、真っ直ぐした瞳を合わせてくる龍麻に、篠宮はその顔を確認した後、横へと移り、右腕に左手を回した。

「それだけ元気ならまだ大丈夫よ。ほら力を入れて、さっさと行くわよ!」

 掛け声と共に、挟む二人に力が入る。勢いで上がる体を一瞬ふらつかせるも、龍麻は両足で絨毯を踏みしめ、体勢を保った。

「まだ揺れてる?」

 聞こえる声に、辺りを見渡すよう首を左右に動かした龍麻は篠宮を見た。

「いや……うっ……」

 突然、目元を手で押さえ、顔を伏せた。

「時間がないわ、行きましょ。目はまだ見える?」

 篠宮の問いに龍麻は目を押さえたまま顔をあげ答えた。

「いや……目が痛い。歩けるが前は――ぐっ……」

 苦痛を抑え込むように、喉から出るくぐもった声に葉月は手にしていたランプの一つを足元に起き、龍麻の手を握った。

「私が後ろから連れていきます。――駆け足で行きますが、無理でも合わせてください」

 龍麻が首を振る。

「今から鐘を壊しにいくわ、プランビーよ。それがダメなら窓から外へ」

 篠宮が明かりを廊下の先へと向け、走り出した。

「プランシーですね。行きますよ」

 壁にもたれる龍麻に声を掛け、手を引きながら葉月はその後を追い始めた。

 揺らめく明かりに、揺れる灯り。二つの光が矢継ぎ早に、ドア、廊下、壁を映し出していく。

「鐘の壊す方法はどうします? 何か道具でも?」

 後ろを付く葉月が前に届くよう声をあげた。篠宮は止まることも、振り返ることもなく、正面を向いたまま答える。

「ライフル弾がまだあるならそれで十分よ。耳栓あるし、撃てるのはあんただけなんだから任せるわ」

 階段に足を付け、踊り場で篠宮が立ち止まる。振り返り、明かりを一段目に向けた。

 後から来る葉月が龍麻の耳元で囁き、手すりに手を這わせると、一段ずつ明かりに合わせ、上り始めた。

「今持ち合わせている弾で鐘なんて壊せるのでしょうか? 直接当てても崩せますかね?」

 二人が踊り場までたどり着き、段差を踏みしめる。

「十二ミリよ? 薄い鉄板なら数枚は抜けるってのに、鐘一つ砕けない事はないわ。変わった合金が混ざってなければね」

 二人の足が二階の絨毯を踏む。その瞬間、目を押さえた龍麻が足を崩した。

 両膝を付け、右手で身体を支えながら、喉の奥から絞り出すような声を漏らしていた。

「厳しそうね、まだ歩ける?」

 上から聞こえる篠宮の声に、龍麻は奥歯を噛み締めると、ゆっくりと腰をあげた。横に付く葉月が背に手を回し身体を支える。

「目が痛い……奥の方からズキズキ……ぐっ……ふー、ふー、それに音も……耳元で羽とピアノが……うぅ……」

 苛立ちを抑えてるのか、一言口にする度に乱れた呼吸を大きく整え、押さえる右目尻の肉を爪先で押し潰していた。

「まずいわね。もう時間がないわ。次は私よ」

 篠宮が廊下に明かり射し向け、歩き出す。

「もう少しですよ」

 葉月は龍麻に呼び掛け後、支えるよう腰に手を回し、明かりを追った。

「うっ――!?」

 突然、篠宮が声と共に足元を崩した。

 後ろから駆け寄る葉月がその背中を見下ろす。片手を絨毯に押し付け、顔を上げない。

 少しの間の後、転げる懐中電灯を拾い腰をあげた。

 葉月が顔を覗き見る。そこには額から汗を垂らし、目を見開かせて前を向く篠宮がいた。

 一変した雰囲気に葉月はハッキリとした口調で問いかけた。

「揺れましたか?」

 篠宮は視線を合わさず答えた。

「――ええ、かなりね。鐘の音も聞いたわ、気分の悪くなる音よ」

「今は?」

「今は大丈夫。ただ後ろからしつこく聞こえるわ羽音、それとピアノの音がね、まだ微かだけど……。――後ろ何も居ないわよね?」

 眉ひとつ動かさない篠宮の姿に、葉月は不思議に思うも、振り返り、確認した。

 左手に持つランプの灯りを廊下の奥へと差し向ける。――暗く先は見えない。

「何も来ていません。――何も見えませんが」

 葉月の言葉に篠宮はふと息を吐いた。

「それならいいわ、気のせいね。……ふぅー、行きましょ、すごく気分が悪いわ」

 篠宮が再び走り出す。揺れ行く明かりを前に、葉月はもう一度後ろを見た後、龍麻の身体を押さえ、足を進めた。

 壁のない手すりだけの吹き抜けに三人がたどり着く。

 続く廊下の先を目指し、細い道を走り抜け、現れたドアに手を伸ばした。

 先に足を入れたのは篠宮だった。狭苦しい僅かな空間の中で、懐中電灯をぐるりと振り回し、前にある階段を照らし出した。

 後から遅れてくる葉月が上る足音を聞き、うめく龍麻の手を引いた。

「階段を上ります。先に行ってください」

 片手を付き、すがるようにして進む龍麻の尻を、葉月は下から支え上げ、一段、また一段と着実に体を進めていった。

 葉月の顔が階層から覗き出す。ランプを置き、辺りを見渡す。

 耳に入る歯車の回る音――葉月の視線がある場所で止まった。

 うずくまる龍麻をそのままに、転がる懐中電灯の元へと駆け寄る。そこには、両膝を付かせ、両手で目を覆い肩を震わせる篠宮の姿があった。

 怯えるように丸くなる背を前に、見下ろす葉月が声を何処と無く声を出した。

「限界そうですね」

 上がらない頭の近くにランプを置き、懐中電灯を手に取ると改めて辺りに目を向けた。

 光に入ったのは大小様々な歯車が付けられた楕円形の機械と、その横で上に伸びる梯子、隅には木材やロープの群れがたむろっていた。

 葉月の肩が突然跳ねる。届く声に本能が明かりを射し向けた。

 喉元を潰すような叫声を鳴らし、目元を押さえる龍麻が顔を上げ、そして――床へと叩きつけた。

 一度ではなく、何度も、何度も叩きつける。

 目を見開かせる葉月はすぐにたむろう木材へと向かい、ロープを手に取ると龍麻の元へと駆け寄った。

 覆う両手を取り払おうと腕を掴む。だが、溶接された鉄骨のように、力で引き剥がす事はできなかった。

 葉月が歯を噛みしめ、眉間にシワを浮かべた。

 うずくまる龍麻の腹に拳を無理やり入れ、力の抜けた右腕を瞬時に背へと回した。

 右手を押し付けたまま、今度は左の横腹に拳を入れ、緩んだ左腕を引き抜き、同じく背に回した。

 両手首をロープで縛り付けた後、結び目を持ち、篠宮の近くまでその体を引きずり運ぶ。

 ふと篠宮が顔をあげた。目元から手を震わせ退かせると、狭まる視線で辺りを見渡した。――ぼやけた視界に葉月の姿が入る。

「気分はいかがです?」

 一人わめく声の横から、ぼそり聞こえる声に向かい篠宮が手を伸ばした。床を伝い、体を引きずらせる。

「最低な気分よ……寒いし、地面は揺れてるし、鐘もうるさいぐっ……」

 目元を押さえようと一瞬右手が迫る。しかし、篠宮はそれを抑え、震える手を葉月へと差し出した。

「私はここまでね……喧しいのは私が押さえておくわ……上に向かって」

 葉月が腕を握り、龍麻の背に乗せる。篠宮は手を這わせ、縛る両手に胸元を重ねると、叫ぶうなじを両腕で押さえた。

「さっきからうっさいのよあんた……これで静かになるでしょ……?」

 篠宮が足下に視線を向けた。太ももに硬い感触が何度も触れてきた。

 左手で後頭部を押さえ付け、体を少し下へとずらすと、龍麻のズボンを漁り始めた。

 尻から太ももへと手を動かし、そして筒状の物をポケットから取り出す。

 それを直視する事なく、篠宮は今まで以上に声を出した。

「葉月織! 葉月織!」

 梯子に足を掛けようとした時だった。篠宮の声に気付いた葉月がすぐに駆けつけた。

「どうしました!?」

 葉月が明かりを射す。篠宮の右手が不自然に自身の背へと回されていた。小刻みに揺れる拳の中には、筒状の黒い物体が包み込まれていた。

 葉月がそれを受け取り、明かりに入れる。それは閃光弾だった。

「そ、それもあげるわ。効果は一瞬の気や……す……ね……」

 絞り出すような声のあと、篠宮はそれ以降喋ることも動くこともなかった。

 顔を埋め重なり合う二人に、葉月は明かりを射した後、梯子へと向かい、足を掛けた。

 暗闇に、一線の明かりが立ち上ぼり、ゆらゆらと揺らめく。

 一本調子の鉄音は乱れる事なく闇の中で、常しえに鳴き続けていた。

 右手右足、左手左足、一呼吸置くこともなく、葉月が上を目指す。

 後ろのポケットに刺してある懐中電灯は、先の事など映してはくれない。指と手に伝わる梯子側面の感触と踏みしめて感じる鉄の音、それだけが頼りだった。

 上も下も後ろも横もない、ただ前を見続け、ただ手足を動かす。

 はっ!? っと葉月が息を呑む。急ぎ体を梯子に寄せ付け、腕を絡めた。

――揺れた、大きく揺れた。

 しがみつく梯子から振り落とすように、建物全体が何度も揺れ動き、頭上にある鐘が鳴動した。

 葉月が目を瞑り、声を圧し殺す。しかし、三つの音が騒音となり、辺りの空気を掻き乱してきた。

 一つは鐘、一つは旋律、そしてもう一つは何かの羽ばたく音。それぞれ混じることなく、それぞれがその存在を知らしめてくる。

 葉月は耐える。凍てつくような寒さが突然襲う。震える手に、絡める指から汗が吹き出す。だが、頑なにそれを放すことはなかった。

 幾程の時が過ぎただろうか。鐘の音は止み、揺れは収まった。

――未だ聞こえる二つの音。葉月は目を開け、濡れた右手で梯子側面を掴むと、足を一段高くあげた。

 再び、暗闇から一本調子の鉄音が響く。

 右手右足、左――指から踏み桟の感触が消えた。

 体を一段上げ、葉月が右手を突き出した。

 確かめるようにゆっくりと腕を下ろし、そして触れる。――硬い鉄の感触から、ざらつきのある木の感触へと――。

 右手を押し付け、這い上がるようにして、急ぎ体を滑り込ませた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 汗ばむ頬にへばりつく埃など払わず、葉月は呼吸を整えたあと、体を起こし、後ろポケットにある懐中電灯を取り出した。

 明かりが壁を映す。左右に光を振り、そして天辺を照らす。

 薄闇の狭間からこちらを覗き込むように、西鐘の分銅が微かに見えた。

 懐中電灯を左手に移し、空いた右手でズボンのポケットを漁る。

 弾丸二つを取り出し、明かりを部屋の左隅に向ける。そこには斜めに掛けられた階段があった。

 葉月はそれに駆け寄り、這いつくばるように手を掛け、登りだした。

 床から顔が覗き出る。次に光線の出る左腕が現れ、右腕、身体、足が出た。

「うっ……!」

 突然目をつぶり、上半身を揺らめかせた。

 握る右手で目元を押さ、その場で堪える。眉間にシワを浮かべ、瞼を上げた。

 正面を照らす、ぼやけた光が徐々に広がりを――人がいる。

 葉月が声を漏らし、再び目元を押さえた。

 暗闇がまた眼前を包み込む。耳元では変わらず旋律と羽ばたきが聞こえ、頭の中では先程見えた映像が焼けつくフィルムのように何度も繰り返し繰り返し現れていた。

 焼け爛れた人の足。皮膚は赤黒く変色し、靴など履かない素足のままで、明暗の狭間で立っていた。

――新たな音が耳に加わる。それは床板を踏みしめる時に聞こえる木の叫び声だった。

 最初は微かに、そして小さく、次第に大きさを増していき、その存在を現していく。

 葉月が右手を動かし、弾丸を構える――が、気の迷いが動きを止めた。

 対象を目視しようにも、痛みが常に意識を捕らえ続け、全ての行動を阻害する。

「……鬱陶しい」

 小さな舌打ちをし、葉月は部屋の隅へと下がった。

 握りしめていた弾丸をポケットに解き放ち、肌色のスポンジを二つを取り出すと、それを両耳に入れた。

 音が聞こえる。空気の震えと鍵盤の旋律だけが――。

 ポケットから弾丸一つを取り出し、目をかっぴらき――放った。

 空気が震え木が鳴いた。舞う埃の中、遅れて火薬の叫びが轟いた。

 騒音が途絶え、歯車の音色が微かに耳へと届く。

 葉月が正面を見据える。左手に持つ明かりが雨風通る穴の先を捉えていた。

 視線を動かし辺りを確かめた後、歯車の回る機械の横に階段を見つけ、すぐに手を掛けた。

 吹き抜けの通路に体が出る。晴れた視界で光を上げる。――そこに鐘はあった。

 鈍い青茶色の肌に大きく開いた口の中には、声を出す為の分銅――舌がぶら下がっていた。

 葉月が弾丸を取り出し、中指と人差し指に挟むと、その手を大きく左耳の後ろへと回した。

 狙いをつけ、放っ――。

「えっ!?」

 突如足下が揺れ、よろめく体は両膝から崩れた。

 共鳴するように鐘が舌を鳴らし、喉を唸らせる。

「うっ……うぅ……」

 鈍く跳ねる鐘の音が耳栓を突き抜け、頭の中で鳴り響く。

――羽音、――旋律、目の奥が痛む。思考は掻き乱され、吐き気が襲った。

 すぐさまその要因を取り除こうと葉月が両指を瞼にのせた。

 「ああー! ああああっーー!」

 声を張り上げ、頭を床板に叩きつけた。一回、二回、額に赤みが帯び腫れあがる。

 三回。顔を一気に引き上げ、腰を立たせた。

 左ポケットに無理やり手をねじ込み、筒状の物体を取り出すと、右手でピンを抜き放り投げた。

 カメラのフラッシュにも似た閃光が飛び散り、甲高い一線の金属音が走った。

――全ての音が消え、揺れが止まる。

 ふらつく体を立たせた葉月は肩で息を吐きながら、右ポケットから弾丸を取り出し、暗闇に向かい放った。

 一発目は轟音と共に空を切り裂き、二発目は轟音と共に青銅を砕く低い悲鳴を打ち鳴らした。

 足下が揺らめき、体が吹き抜けへと吸い込まれそうになる。

 床板を突き抜ける音が下から響く。その音に鐘は泣いた。裂けた口から舌を垂れ出し、ただ泣いていた。

 葉月は片方の耳栓を外し、声を聞く。

 頭上で啼泣する鐘に向かい、三発目を構えた。

 ぼやける眼前に向かい、葉月は右腕を振った。

 火薬の破裂音が振動を伝え、声を止ます。

 葉月は吹き抜けにある手すりへと体を崩し、そのまま床板へと倒れた。

―――――――――――――――

「……ん!? 居たぞ……おーい! こっちだー! こっちにいたぞー!!」

 青いつなぎ姿の男が片手を上げ、横に続く道へと向かい声を張った。

 しばらくして同じ姿をした数人の男が足早と集まり、トタン屋根の中を一斉に覗き混んだ。

 皆、不可思議そうな表情を浮かべ、グッと押し黙る。――そこに篠宮と龍麻の姿があった。

 二人は狭苦し空間の中で一つに重なり合い、うつ伏せに倒れていた。

 頬と衣服には、昨夜の雨でぬかるんだ土がべっとりとこびり付き、ひどく乱れ、ひどく汚れきっていた。

 男が一人、篠宮に近づき、垂れる左手首に指を当て確認を始める。

「こっちにもいましたー!」 

 突然、後ろから小さな叫び声が聞こえた。外にいた何人かの男がその場所へと向かい走り出す。

 たどり着いたのは道からずれた雑木林だった。

 風が吹き、揺れる樹葉の下で、葉月が一人、ぬかるんだ土の上でうつ伏せに倒れていた。

 衣服は篠宮達と同じく乱れており、伸ばす右手の先には、懐中電灯がひとり、その体を土に埋めていた。

 ふと、背で立ち止まる足音に男が気づく。膝を上げ、振り返った。

 互いに交わす言葉もなく男は場所を譲り、別の男が葉月に近付いた。

 膝を曲げ、葉月の手首に指を当て、確かめる。

 後ろからその様子を男達が見守る。――内、一人が小さく呟いた。

「……いったい何があったんですかね?」

 その問いに、答える者など誰ひとりいなかった。

――――――――――――――

 銀髪を揺らしながら、麻祁は廊下を歩いていた。

 長い月日の間、窓を開けてなかったせいか、漂う空気はどこかかび臭く、足元に敷き詰めてある絨毯には埃が溜まり、赤い布地を白く変色させていた。

 ドアを開き、部屋を抜け、再び廊下に出る。少し歩き、そして二階へと続く階段を見つけた。

 踏み板に足を乗せ、朝日射し込む踊り場を背に、二階に出る。

 左右別れる道を見渡し、左を選ぶ。

 先を進むとそこには、玄関を見下ろせる吹き抜けの廊下が現れた。

 足を止めず、麻祁が視線を落とす。

 手すりから覗く景色、それは開かれたままの姿で無惨に放置されるドアの姿だった。

 だらしなく開く大口からは、今もつなぎ姿の男女が忙しく動き、出入りを繰り返していた。

 麻祁が顔を戻す。ふと通路の奥にドアを見つけた。――ノブに手を掛け、中に入る。

 瞬時に視線が捕らわれた。動く事を忘れたように、麻祁がじっとそれを見続ける。――目の前に巨大な穴が空いていた。

 扉近くの床板以外、全てが崩れ落ち、上へ行くための術など、そこには何も残されていなかった。

 右手でドア側面を掴み、穴を見下ろす。

 木屑の破片が多く見える。それに紛れるようにして青銅の破片も幾つか散らばり、その姿を僅かに覗かせていた。

 麻祁は足を戻し、今度は顔を上げた。

 大きな吹き抜けとなった天井からは一筋の陽射しが差し込み、漂う埃などを露にしていた。

 顔を戻した麻祁は正面を見据えたままその場に留まった。

 言葉もなく、眉一つも動かさない。しばらくして部屋を抜け、ドアを閉めた。

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