八節:カマかけ
伸びる一つの明かりを頼りに、三人は廊下を歩いていた。
前を行く篠宮は布付きの瓶一つと懐中電灯を手に持ち、横に付く葉月は二つのランプをそれぞれ両手に握り締め、辺りに灯油の臭いを漂わせていた。
二人の後ろからは、消火器を右手に一人――ずるずる、――ぼそぼそと、ただ続く龍麻の姿があった。
葉月が僅かに視線を振り向かせ、龍麻の様子を窺う。
――顔を伏せ、自身の足元ばかりを見ていた。
表情を確認する為、視線を少しずらしてみる。――が、左手で揺れる灯りにより、生まれた影が目元を隠し、そこから伝わるはずの雰囲気を捉えることができなかった。
以前よりも変わり行く、まるで魂の抜けたその姿に、葉月は視線を戻し小さく呟いた。
「……静かですね」
――火が揺れ、影が動く。
「時間がくれば、どうせ祭りみたいに騒ぎ始めるわよ喧しく。……その灯りだけで、到底防ぎきれるとは思えないわ」
篠宮の言葉に、葉月は自身の右手に掴むオイルランプへと視線を動かした。
絨毯を踏みしめる度、灯火が、その身を震わせている。
「……一時……凌ぎですか。 でも、オイルランプ……光自身に何か意味があると思います。山峰さんを運んだ時、狂ったように叫び続けていた人が突然眠るように静かになりました。あれはオイルランプの灯りが影響して、それで静かになったと思います」
その一つの答えに篠宮がすぐに声を返した。
「なら、この懐中電灯はどう? 灯りでそうなるなら、これも変わりはないでしょ?」
手に持つライトを篠宮が軽く振った。カチカチと音の鳴る光は上下に揺れ、絨毯と壁を交互に映し出した。
「効果がどれ程あるかは分かりませんが……山峰さんが暗闇で叫び始めた時、光を当てたら、まるで避けるようにすぐに走りませんでしたか? 今改めて考えるとそう思えて来るのですが……」
葉月からの問いに、篠宮は視線を合わせることなく、ただ前に伸びる明かりを見つめたまま答えた。
「そう言われればそう思えるけど……私にはただその場から逃げ去る為に走ったように見えたわ。叫んでる言葉も、何か来る、ってずっと言ってたし、それに懐中電灯も一瞬外しても、すぐに向け直したからその点はどうなのよ? まさか特定の場所とか顔とかにずっと向けなきゃダメとかあるわけ?」
「それは……どうなのでしょうか……」
言葉を詰まらせ途切れる会話に、篠宮が新たな可能性を出してきた。
「それじゃ熱とか火はどう? ランプと電灯じゃ光源の種類が違うんだから、電灯がダメでランプがいける理由としては十分にあるんじゃない? 灯油の臭いとかはどうやら関係なさそうなんだしさ」
「バーに置いてあったのはパラフィン……オイルでしたね、確か。ガラスには煤が付いているようには見えませんでしたし、香りを楽しむ場所で灯油は考え難いですし」
「なら火ね。明かりだけならこっちの方が強いんだし――次試すなら、ちょうど後ろに人がいるから協力してもらえばいいわ。暴れだしたら押さえつけて顔面照射よ」
「私が押さえつけるんですか? なら両足を潰した方が上手く出来そうですね――何か持ってます?」
「ナイフならあるけど貸さないわよ」
「それなら何かぶつけるしかありませんね」
光射すドアの前に、三人が足を止めた。
一呼吸置いた後、ノブを捻り、流れるように中へと入っていく。
並ぶ背表紙を前に、射す光はなぞる様にして右へと動き、視線と共に棚から漏れる灯りで止まった。
ライトを消し、三人が火元へと近づく。
ぼんやりと浮かぶ灯りの中、初老の男性が机に向かい、本を読みふけっていた。
側につく篠宮の気配に男が反応する。
「ああ……君達か。どうしたんだい、もう夜も遅いってのに? 眠れないのかい?」
柔らかくも穏やかな口調でそう言葉を掛けてくれる男に、篠宮は素っ気のない態度で声を返した。
「ええ、色々と悩みごとがあって、なにか本でも読まさせてもらおうかと思って」
「本? あー……」
男が顔を振り向かせ、暗闇の中にある棚へと視線を散らせた。
「ここにあるものは自由に読んでもいいけど、たぶん面白くないものばかりだよ。文字だらけの堅苦しい内容のものばかりだしね」
男が顔を戻し、再び本を読み始める。それに対し、葉月がすぐに言葉を入れた。
「今、お読みになっているものは、なにか古典書みたいなものなんですか?」
机に広げられた書物に三人の目が集まる。ランプの火に灯されたページには、小さな文字がびっしりと詰め込まれていた。
男が力のない笑みを見せ、手に触れてる書物について答えた。
「そうだよ。ここの館主に頼まれてからさ、もうずっと調べっぱなしだよ。もう、文字は飽きてきたね」
ふと頁に息を浴びせた後、その一枚をぺらりと捲った。
「見ましたよ仮面とか像とか、いろいろ集められてますね。あれも全てお調べになられたのですか?」
「ああ全部調べてるよ、ここに持って来る物の全てをね。よくあれだけ意味の分からない物を拾ってくるよね。ほんとに変わってるよ」
男が口元を緩めた。
「ああそれで……それで今、ここでお読みになられているのですね。ご苦労様です」
篠宮の後ろにいた葉月が小さくお辞儀をした。その姿に男は、いやいや、と気まずそうに笑顔を返した。
「僕も何だかんだで興味あるから、良い暇つぶしになってるよ」
「――今お調べになられているものはなんですか?」
葉月の言葉に、男は机にある書物へと顔を向けたあと、答えた。
「今調べてるの北大陸のメリアって場所で見つかった――鐘についてだよ」
――二人の視線が一瞬見開く。
「鐘……ですか?」
「初めは採掘場から見つかって、そのまま教会で使われていたらしいんだけど、すぐに取り外されてずっと保管されていたみたいなんだ。たまたま立ち寄って持って帰ってきたみたいなんだけど……」
「調査の方はどうですか? 何か分かったことは?」
「今読んでる本の中には、まだそう言った事は書かれてないね。他の本はまだ調べてないから、それを見れば何か書かれてるかもしれないけど」
「そうですか……」
「その鐘を取り付けたのは昨日みたいだけど、鐘は音は聞いた? バーにいた大工から聞いてどんな音か気になってるんだけど」
「……確か夕方には昏鐘で鳴ってたけど……どんな音だったかな……」
遠くの方を見つめるように、男は正面の壁に顔を向け、そこから動きを止めた。
数秒待ってみるも、その口からは新たな言葉などは出てこなかった。その間を埋めるようにして、篠宮が声を出した。
「そう、色々とありがとう。――と失礼だけど、よければ名前、教えてもらってもいいかしら? 声かける時になんて声掛けていいかわからないし……」
「僕の名前? 別にいいけど……僕の名前は――井上忠志だよ」
「井上さんね。私は麻宮って言うの。それじゃ何か暇つぶしに借りていくわね」
背を暗闇へと消す篠宮の横で、出遅れて残る二人に向かい井上が声を掛けた。
「二人も何か読みたいものがあるなら好きに見ていいからね。暇ならいつでも来なよ」
葉月が礼をし、後ろにいた龍麻も小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。気兼ねなく読ませていただきますね」
葉月が笑みを見せたあと、二人は部屋を後にした。
ドアの前には篠宮が立ち、携帯を片手にどこかに電話を掛けていた。
少しのあいだ喋った後、二人に気付き、懐中電灯をその体に射した。
「あと一人ね」
「はい。その後はどうします? 姉様の情報を待ちますか?」
「待たなくても勝手にボロを出すと思うけどね」
「――カマかけでも?」
「――掛ける鎌がどこにあるのよ。こっちは手ぶらよ。ライトでも当てる?」
伸びる明かりを左右に振り、左で止めるとそのまま足を進めた。
「必要とあれば」
葉月は後に続き、口を閉じたままの龍麻もただその背に付いていくだけだった。
「光か熱に弱いなら効果が出るかもしれないけど、ただ眩しがるだけなら無駄の無駄ね。それならこのライトを直接ぶつけた方が効果が出るんじゃない?」
「なら私はランプをぶつけますね。そう簡単には表に出さないと思いますけど」
「出す必要がないから出さないわけで、出して支障がないなら喜んで出してくるわよ。ってか、相手がまずヒトかどうかも分かんないんだし、どう出るかなんて全くの謎ね」
「獣のように襲ってくると? 人の皮を被って?」
「ウソつき狼ならまだマシよ。変なぐにゃぐにゃしたのが出たらどうするの? 私は両手を上げるわ」
三人が階段を降り、一階の床に足をつけた。
「それは嫌ですね。燃やすしかありません」
「その為の火炎瓶なんだけど……少し不安だわ。上手く割れるか心配だし」
篠宮が扉を開け、葉月達は部屋を潜り、龍麻が最後に廊下へと出た。
「厚めなのですか?」
「触れた感じはそうでもないけど、下が絨毯だから、衝撃で割れるかどうかね。床かアスファルトなら良かったんだけど」
「もし割れなかった時は私が割りましょうか?」
「――出来るの?」
「――さあ、強く願えば」
篠宮が留めてあるピンを抜き、前髪を右へとずらした。
再びピンで前髪を留め、右目を隠すと、現れた赤い左目で正面のドアを捉えた。
「まあ、期待しておくわ」
ノブを握り、ドアを開ける。
三人の前に暗闇が広がった。旋律となった鍵盤の音が耳元に届く。
篠宮が明かりを向け、ピアノを捉える。そこには屋根と側板の間に挟まる女性の姿があった。
目を瞑り、当てられた光も気にせず、旋律を奏で続けている。
口を閉じたままの三人が距離を詰める。――が、
「何か用事かしら?」
その足を女が止めた。
流れる音の中、篠宮が声を張り上げた。
「少し気になることがあって、それで話を聞こうかと!」
「話? 何を?」
女が指を止め、ぐっと明かりに視線を向けた。
円形の中心に映る顔を前に、篠宮は態度を変えず言葉を続けた。
「名前を教えてもらおうと思ってね」
「名前? どうして?」
「とても素晴らしい演奏だったから名前を聞いて、私の父にも教えたいのよ。ダメかしら?」
女はすぐに声を返さず、数秒の間を置いたあと答えた。
「――上田智子よ。文字までは書かなくていいわよね」
「上田智子……さんね、わかったわ」
篠宮が頷くように頭を下げ、一歩退いた。
上田はその様子を気にすることもなく、指先に鍵盤を合わせ、旋律を奏でようとする。――が、
「あと、もう一つ聞いてもいいかしら?」
その動きを篠宮の声が止めた。
「なんですか?」
上田が顔をあげ、篠宮を見る。
「今朝、新しく鐘が取り付けられたって話を聞いたんだけど、音は聞いた? バーに居た大工の話では、とても印象的な音色だって言ってたんだけど?」
「……鐘の音なら聞きましたよ。澄みきった音でよく辺りに響いてました。――皆さんももう少し早く来られましたら、お聞きできたのに残念でしたね」
「次聞けるのはいつになるかしら?」
「朝になりますね。暁鐘で鳴らすはずですから」
「――朝は来るのかしら?」
上田の目が篠宮の顔を捉えた。
「どういう意味かしら?」
「いや、どうも眠れなくて。外はずっと雨だし、周りも静からだから、まるで時間が止まったみたいで、このまま陽が出ないんじゃないかって」
上田の口元が僅かにあがった。
「……面白い方ですね。もしよろしければ何かお弾きしましょうか? 時間も忘れて、ゆったりできますよ?」
「気持ちはありがたいけど、いいわ。次いくところがあるし。そういえば、鐘が鳴ってた時もずっとピアノを弾いてたの?」
「いえ、別の部屋に居ましたよ。暁鐘が鳴り終わった頃にこの部屋へと――」
――上田の目が見開いた。
篠宮の射す明かりに紛れ、火の灯る何かがぐるぐると回りながら飛んできた。
すぐさま右腕を突き出し、顔を隠す。次の瞬間――叫び声と共に炎が飛び散り、全身を包み込んだ。
椅子が倒れ鍵盤が歪な旋律を鳴らし激しく燃え盛る。
「龍麻! 消化!」
篠宮が声を張り上げた。
「えっ!? ああ――!」
突然の事に目を丸くさせていた龍麻は急ぎ返事をし、火元へと駆け寄った。
ランプを絨毯に置き、消火器のピンを抜くと燃え広がる炎へと向かい消化液を吹き掛けた。
ホースから突き出る水鉄砲のように、尖る音に合わせ火を抑え込んでいく 。
後ろにいる二人はその場から動くことなく、ただじっとその様子を見続けていた。
龍麻がホースをピアノの側板から鍵盤、そして絨毯へ移動させた――その時だった。
「うあッ!!」
突然声をあげ、尻から倒れた。
篠宮が龍麻の足元に明かりを向ける。そこには、立ち籠る煙の中で、すがるようにして手を伸ばす上田の姿があった。
赤く爛れた細い腕に、長いドレスは煤のように燃え尽き、そこから見える皮膚は黒色に変化していた。
右手にホースを握ったまま龍麻は目を見開き、動かな――、
「撃ちますッ!!」
葉月が声を上げた。
無意識に篠宮の顔が右へと向く。
視界に葉月を捉えた。左手にランプを二つ重ね持ち、空いた右腕を大きく左耳近くへと回していた。人差し指と中指の間には口紅にも似たライフル弾が挟み込まれている。
篠宮が明かりを伸ばしたままの右腕を耳に当てた次の瞬間――裂けるような衝撃音と共に弾丸が放たれた。
静音を割き、即座にピアノの側板を砕いた。
震える空気に龍麻の肩が跳ね上がる。自然と瞳が前を見る。――上田の姿がない。
離れた場所から、何かが倒れる音が耳に届いた。龍麻が振り向くと、そこにはあらぬ方向に光を射す懐中電灯が倒れていた。
葉月の持つランプがドアへと向かい伸ばされる。
絨毯を踏み荒らす音と共に、ドアの開く音が鳴った。
「私が追うわッ!!」
微かに灯る明かりの中で動く影に合わせ、篠宮が声が轟いた。
這う光線が宙に浮き、ガタガタとドアに向かい揺れる。絨毯を踏む音――同時、廊下の方から窓ガラスの割れる音が響いた。
車窓に映る景色のように、変わり行く状況に龍麻は一人置いていかれるも、舞う煙を振り払い、部屋に真ん中に立つランプへと駆け寄った。
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