七節:頭薬
篠宮が大きく息を吐いた。
未だ荒れる心臓を整えるよう深い呼吸を繰り返し、瞳はただ前を捉えていた。
――光が揺れ、影が上がる。
暗闇から現れたのは葉月だった。胸元に両腕を組み、深刻な面持ちで自身の足元を見つめていた。
篠宮は一度息を吐いた後、ふらつく体を立ち上がらせ、床を踏みしめた。
「どう様子は?」
横から聞こえる声に、葉月が顔を向け、すぐに戻す。
「眠っています。さっきの事が嘘のように」
篠宮が同じ場所に視線を落とす。そこには仰向けで眠る山峰の姿があった。
僅かに開いた右手を胸に乗せ、光と影の狭間にその身を浮かべていた。見せる穏やかな表情と聞こえぬ吐息からは、そこに眠っている、よりも、そこに寝かされている、ように見え、眉から瞼にかけて走る赤い傷跡がその瞬間の凄絶さをより物語っていた。
山峰の安否を確認した篠宮は、カウンターへと向かい足を進めた。中には目を見開かせ三人を見るバーテンダーがいた。
カウンター前に着いた篠宮が声を掛ける。
「突然ごめんなさいね。水……いただけるかしら」
不意の言葉に少しの間が空く。――その意味を理解した男がすぐさま自身の前にグラスを置いた。
冷凍庫から取り出した氷を軽快に砕き、出来た球体でグラスを揺らす。中に水を注ぎ入れ、オレンジの灯りと絡み合わせた。
篠宮はそれを手に取り、喉の奥へと注ぎ込んだ後、カウンターに音を響かせた。
「ありがとう――あと名前も聞いていいかしら?」
――――――――――――――――
一点の明かりが通り過ぎる。
右から左――下へと降り、今度は左から右へと、棚の間を舐めるように光は移動し、そこにある物の一つ一つを照らし出していた。
射す明かりを追うようにして、また別の光がその背中を照らす。浮かび上がる葉月を捉えていたのは龍麻、篠宮の二人だった。
掛ける言葉も交わす言葉もなく、ただ見え隠れする光をただ追い続ける。
「ありました」
聞こえる声に、二人はすぐにその場所へと駆け寄った。
葉月の前――明かりが捉えていたのは複数のオイルランプだった。
無色のガラスに透る光が、無機質で冷たく、その寡黙な身体を強く浮かび上がらせていた。
篠宮が手にしていた瓶を棚に置き、辺りを照らし何かを探し始めた。
ランプの並ぶ列から下へと移動し、そして右端で幾つかのペットボトルを見つける。
満ちる無色透明の液体を持ち上げ、蓋を開けた。――独特な臭いが鼻を刺す。
篠宮がランプの一つに触れ、台であるオイルタンクの給油口にその液体を注ぎ始めた。
挟む二人はその様子をじっと眺めるも、右にいた龍麻が思う疑問を口にした。
「これ灯油だよな……。これで点くのか?」
その問いに葉月が視線を逸らす事なく答えた。
「点火には少し時間が掛かりますが、間違いなく点きますよ」
――灯油の入ったランプを葉月が別のランプと入れ替え、篠宮がまたオイルタンクに注ぎ始める。
「どれぐらい掛かるんだ? まさか十分ぐらいとか……?」
「さあ? だいたいその程度は見ておいた方がいいですね」
――ランプを入れ替え、三度灯油を注ぎ入れる。
「大丈夫なのかよ……」
「心配しなくても、私達が点く頃にはあんたが先に目をくり抜いてるから大丈夫よ」
――ランプを入れ替え、灯油を注ぎ入れ……。
「…………」
龍麻が篠宮の顔をじっと見る。僅かな間の後、
「え、なんで?」
その答えを問い掛けた。
「順番だからよ。私達の予想ではね」
「順番?」
「あくまで憶測で確証はありませんが、先に亡くなられた中倉さんとその次に自傷行為に及んだ山峰さんの共通点……と言うよりも、なぜその行為に及んだのか? を考えたところ、情報が非常に少なかった為、全く見当がつきませんでした」
「……で、なんで俺だと?」
「私が山峰さんと出会った時、少しお話したのですが、どうやら先にこの屋敷に入ったのは中倉さんらしいのです。そのことを踏まえて考慮した一つの可能性がそうなりました」
「……つまり入った順番って事かよ? えっ、そんな単純な事で決まるのか?」
「それを決める奴に直接聞いてみることね。あくまでも可能性だから知んないわよ。それよりこれ持って」
明かり射し示す二つのランプを龍麻が手に取り、残り二つのうち一つを葉月、もう一つと棚に置いた瓶を篠宮が重ね持ち、そして三人は部屋を抜けた。
雨粒の鳴る廊下を歩く中、後ろに続いてた龍麻が次の目的地を二人に聞いた。
「次はどこに?」
篠宮が廊下の先に向かい答える。
「厨房」
「厨房?」
思わぬ答えに龍麻が無意識に聞き返す。それに対し、篠宮はたった一言だけ声を返した。
「そう厨房」
三人は廊下から部屋に入り、隣にある食堂を抜け厨房へと入った。
並ぶシンクの端に二人がランプを置く。それを見た龍麻も同じく両手に下げていたランプを置いた。
暗い厨房、二つの明かりだけが頼りの中で、まず最初に口を開いたのは篠宮だった。
「じゃあ、砂糖お願い」
葉月は返事をすると、そそくさと奥へと歩き、戸棚を開け探し始めた。
篠宮は手にしていた瓶を置き、蓋を開けた後、葉月と同じく奥へと向かい、何かを探し始めた。
一人の残された龍麻は暗闇の中で動く光を目で追いかけ、帰ってきた篠宮に向かい声を掛けた。
「何を作ってるんだ?」
見つけてきた漏斗<<じょうご>>を瓶の口に刺し、持つライトを台に置くと、篠宮はズボンのポケットから三つのマッチ箱を取り出した。
無為に伸びる明かりの中で箱を開け、四十以上あるマッチ棒を台の上に纏めて置くと、残り二つの箱からも同じように中身の全てを取り出した。
「今から火炎瓶作るのよ。暇ならちょっと手伝って」
横一列に散らばるマッチ棒の一つ一つから頭薬だけを折り、次々と漏斗に入れていく。
「火炎瓶? どうするんだよそんなもん?」
胸を曇らせたままの龍麻は篠宮の横へと付き、真似る様に目の前に散るマッチ棒から頭薬だけを折り始めた。
「武器にするのよ。銃も使えないし、どうやって戦うつもりよ。素手で殴りにいくつもり?」
――透明の瓶に幾つもの小さな赤い球体がゆらゆらと落ち行く。
「いや素手では……って、そんな心配よりもさすがに火炎瓶なんてヤバイだろ……まさか人にはぶつけないよな?」
――瓶の底に赤い球体が集い重なりあう。
「間違った人にぶつけなきゃいいのよ。ちゃんと情報を精査して、んで、目的を見つけたらそいつにぶつけるのよ」
――葉月が砂糖の入った袋を篠宮の側に置いた後、またその場を離れた。
「見つけるたってどうやって? 名前を一人ずつ聞いていけば分かるものなのか?」
――首の折れた軸木を二人が無造作に積み上げていく。
「二人までは分かったから、後はホールにいる女性と二階にいる男よ」
――後ろを通り行く葉月が龍麻の隣に消火器を置いた。
「二人の名前を聞いてそれで判断を? ……でも名前なんて聞いて何の参考にするんだ?」
――ポケットから取り出された一枚の布が瓶の横へと添えられる。
「姉様の話では、五十年前ぐらいこの場所で失踪事件があったらしいです。その失踪者の名前を照らし合わせるんですよ。マッチの予備は?」
葉月の問いに篠宮は、軸木の横に置いてあった六本のマッチを視線で差した。
「ちゃんと分けてあるわよ」
「そうですか」
「失踪者ってつまりそれは……」
龍麻の手、口、目が止まる。向けられる視線に二人は指を止めない。
「そういうこと。つじつまなんて考えても無駄よ。今はとにかくどうするかを考えるのよ」
「なので、原因となる人物を特定して片付ける事になりました」
「それで解決するのかよ……? それならそのまま窓から出ていった方がいいんじゃ……」
「中倉って人がわざわざ窓から出ていったのに、また帰ってきた理由はどう考えるわけ?」
「えっ、それは……迷子とか?」
「窓割って出ていった人物が道に迷ったから帰ってくるなんてどういう神経してんのよ。それに怪我一つ無しで帰ってきたのよ? 外は暗闇の山ん中で、しかも長時間走り回ってたかもしれないのに」
「それなら……あとは……」
「確かに可能性としては無いこともない無いわ。でも、もっと単純で非現実的な可能性もあるでしょ。あんたも薄々は分かってんじゃないの?」
篠宮の言葉に龍麻はぐっと口を閉じた。まるでその答えを自身の口から出さないように――。
代わりに篠宮が言葉を続けた。
「だから考えても無駄なのよ。無理に考えても頭が混乱してそこに留まるだけ。もし否定したいなら好きに行動に移して。喜んで見送ってあげるわ。まだその方が助けを呼べる可能性もあるかもしれないしね。プランシーで採用してあげる」
「……プランエービーがあるのかよ」
「今やってるのがプランエー、ダメなら次はプランビー」
「……なんだよそれ」
「とにかく元凶は必ずいるはずですから、まずは話を聞いてそれから相手の行動次第で対処していきます。不自然な所がなければ、次はその原因を探ることですね」
「……出れるのかよ……本とう……に……」
龍麻が突然手を止めた。
気付いた篠宮が声を掛ける。
「どうしたのよ?」
まるで食事中のハムスターが全思考を停止させたように、目を見開かせたままの龍麻はその呼び掛けにはすぐに答えなかった。
数秒の間を空け、今その身に起きている状況を話し始めた。
「今……音聞こえなかったか……?」
「音?」
二人の視線が龍麻に向けられる。
「何の音です?」
「なんか、ばさばさって、大きな羽根音みたいな。ほら、映画とかで翼が羽ばたくような感じの……それに地面も揺れて…………気のせいなのか……俺だけが……」
一人ぶつぶつとうわ言のように話し続ける姿に、篠宮は避けてあったマッチ棒を一本手にし、一つのオイルランプに火を灯すとそれを龍麻の傍に寄せた。
新たに揺らめく灯りの中、気を紛らわせるよう篠宮が龍麻に声を掛けた。
「どうまだ聞こえる?」
頭薬を千切りながら、うつ向き、そして龍麻が答える。
「いや……今は…………」
――止まる空気に、
「時間の問題ね」
篠宮はそっと呟き、マッチの一本をへし折った。
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