六節:暗闇

 光を当て続ける。――男は動く気配を見せない。

 虫のように顔を伏せ、背を丸めたままのその姿を、葉月はただ見ているだけだった。

 ふと横から衣服を壁に擦り合わせる音が聞こえる。

 明かりを向けてみると、そこには体を立ち上がらせる篠宮の姿があった。

 右手で左目を覆い、背に回すもう片方の手を壁に這わせ、ふらつく体勢を保とうとしている。

 葉月は射す明かりを篠宮の足元に向け、言葉を掛けた。

「大丈夫ですか?」

 一呼吸の間の後、暗闇から声が返ってくる。

「……ええ……心配かけたわね。……大丈夫よ」

 篠宮の足、膝が光の中に入ってくる。

 葉月はすぐに明かりを横へとずらし、男に向けた。

 変わらず背を丸める姿に篠宮が声を出した。

「ねぇ、聞こえた?」

「え?」

 突然の問いに葉月が不思議そうな表情の浮かべる。それに対し篠宮は視線を合わせる事なく言葉を続けた。

「ピアノの音、それと羽根音」

 まるで独り言を呟くような声調に、葉月は一瞬右下に視線を動かしたあと言葉を返した。

「いいえ。何も」

 篠宮がその間をすぐに埋めた。

「――そう、ならいいわ。調べましょ」

 光の中へと入っていく篠宮の後を、葉月は続き、男の背をより大きく照らし出した。

 二人の前に伏せる男。体に張り付くチェックの青シャツは未だ湿り気を帯び、濡れた髪から滴り落ちる水は周囲の絨毯を黒く沈めていた。

「顔を見ます?」

 葉月からの案を、篠宮はすぐに断った。

「嫌よ。誰が得するのよ」

 腰を屈め、男のズボンや体を触り始める。

「免許証の一つや二つは携帯してるでしょ。鞄は持ってないようだし」

「中倉さんでしょうか? 山峰さんのお友達の……」

「さあ、どうでしょうね。リュックは背負ってないし、わざわざ帰ってくるとはねっ……あったわ」

 ズボンのポケットから出し難そうに取り出した手には、正方形の小さな財布が掴まれていた。

 篠宮は立ち上がり、光に財布を当て、中を開ける。

 二つ折りの片方には数枚の札が、もう片方には複数枚のカードが刺さっていた。

 篠宮は財布から全て抜き出し、その一枚一枚を確認しながら、机へと置き始めた。

「中倉、中倉、中倉、中倉――」

 保険証、通院カード、ポイントカード……そこに書かれてある名前を置くたびに呟く。

「中倉……全部中倉圭司ね」

 扇状に並べられた八枚のカードが静かに光を跳ね返す。

 斜めから明かりを射していた葉月が口を開いた。

「中倉圭司さんと言えば私達が探している捜索願いの対象者ですよね。……この人なのでしょうか……」

 再び射す明かりの中から、葉月が名前の部分だけを確認していく。そこには証明するための顔写真などは貼られていなかった。

「保険証はあるから歳を照らせばわかるんじゃない? 裏にも丁寧に住所は書かれてるし、顔なんて見なくてもいいわよ。見る? 目は無いし血まみれよきっと?」

 篠宮の言葉に葉月は首を横に振った。

「いえ、見ません」

「麻祁式に詳しく聞いた方がいいわね」

 篠宮がポケットから携帯を取り出し、電源をつける。

「……電話来てるわね。終わったのかしら……」

 足元で丸くなる男の背を見た後、机にある保険証を手に取った篠宮は、葉月の方へと振り向いた。

「移動しましょ。ここは悪いわ」

 顔をドアへと向ける篠宮に、葉月は返事をし、二人は部屋を出た。

 左右振った光から、別のドアを見つけるとその中に入る。

 室内は先程と同じような様式になっており、真ん中には長机が置かれていた。

 篠宮はドアを閉めると、手にしていた携帯に番号を現し、光の当たる机の場所に重ね置いた。

「一人で聞くよりみんなでね」

「よろしいんですか? 声、聞こえますよ」

 左右の壁に明かりを揺らす動作に、篠宮は動じる事なく答えた。

「聞こえないからいいのよ」

『はい』

 携帯から聞こえてくる声に、篠宮は片手を机に立てて置き、揚々と話し始めた。

「えらく遅い電話ね。あまりの遅さに忘れてたわ」

『……はい』

――脈動のない声。

「何がどう調べたらこんなに遅くなるのよ?

ええ? 情報としては最悪ね」

『……はい』

――それは揺らがない。

「――だからなんでさっきから同じ言葉なのよ!! もっとなんか言いなさいよ!! ええ!?」

 耐えきれず沸き上がる声に、電話からの言葉はやはり一言だけだった。

『……はい』

「はあぁーあぁっ!!?」

 一人、声を裏返し叫ぶ篠宮の横から葉月が言葉を入れた。

「姉様、横からすみません。今しがた中倉圭司さんという方がお亡くなりになりました。ご自身で両目を抜かれて」

『確認は?』

「顔の方は直接見ていません。しかし、その瞬間は見ました」

「私も見たから証言するわ。生年月日も押さえてあるから照合して、言うわよ、千九百……」

 保険証を片手に篠宮が生年月日――裏返し、

「住所は……」

記入されている情報を伝えた。

 少しの間の後、電話から声が返ってきた。

『……間違いない。捜索願いの対象者だ』

「そう。ならついでに連れもいたわ。山峰彩って言うらしいわ」

『山峰彩……その名前は聞いたことがない。対象者の何と?』

「友達と言ってました」

『友達か……。途中で合流したのかもしれないな』

「なにか電話とかはない? 山峰彩は両親に電話したらしいわよ」

『そんな話は聞いてない。あればちゃんと伝えてくるはずだから連絡などはなかったはずだ。その山峰って人から、両親の電話番号は聞けるか?』

「はい、聞けば教えてくれると思います」

『番号が分かればこちらから連絡してみる。で、中倉が自害した理由に関して何か気付いたことは?』

 その問いに二人はすぐに答えなかった。

 少しの間の後、葉月が口を開いた。

「わかりません、突然の事だったので……どうやら中倉さんは以前から目の痛みを気にしていたらしく、あと、寒いとか、何かの羽ばたきの音が聞こえるとか言ってたようです」

――篠宮が顔を上げ、少しの間の後、携帯へと戻した。

 『持病があるとは思えないが……友達の山峰には何か異常は見られるか?』

――葉月は携帯から視点を逸らしたあと、すぐに戻した。

「何か……そういえば山峰さん、どこか寒そうにしていました。それと龍麻もです」

『二人の近くにいるのに寒さを感じないのなら、必ずどこかで接点があったはずだ。龍麻と山峰から話を聞き、共通点を見つけた方がいい。あと、それ以外に変わったことは何かあったか?』

「いえ、それ以外に何も。二階に奇妙な像はありましたが……」

『その写真ならすでに送ってある。ただ時間が時間だけに早急な報告は望めないとみていい。それ以外に何かあるか? 無ければこちらの調査結果を話していくが――いいか?』

 電話からの問いに葉月は篠宮の目を見たあと、はい、と答えた。

『まずはその屋敷についてだが――』

 二人の視線が食い入るように画面へと向けられる。

『こちらの調べ通りなら、その屋敷は私のいるところから約三キロの所にある杉山邸と呼ばれる場所らしい』

「三キロ? 案外近いじゃない。迎えに来なさいよ」

 篠宮からの要求に電話の声はすぐに断りを入れた。

『いやだ。雨は降ってるし、また車を出すにも迷惑が掛かる。近くの役場までが精一杯だ』

「目の前で目くり抜いた人がいるってのに何言ってんのよ。ならいつ来てくれるの? まさか明日とか言わないわよね」

『状況が分かり次第すぐだな。そもそもそこで起きてることが今回の件とどう関係があるかは分からない以上、二次災害が怖い。もし私が目を抜きそうになったら次は誰に電話すればいいんだ?』

 電話からの問いに篠宮は鼻を鳴らした。

「椚正義にでもお願いすることね」

『――すぐに迎えに来てくれるならな。とにかく、そっちの状況はそっちで出来るだけ解明してくれなければ、こちらは動けない』

「その為にも、精査した情報が頼りって事よ。で、この杉山邸……だっけ? なんでここまでデカいのよ、何やってたの?」

『以前は貿易業を営んでいたようで、木材や鉱石を輸出して資金を得ていたようだ。稼いだ金は近隣の植林や雇用などに使用して、それなりに身なりも着飾っていたらしい。その証として、屋敷の表には小さな庭園があって、人形の彫像が置いてあったと聞いたが目にしたか?』

 篠宮の視線に気付いた葉月は目を合わせた後、携帯に顔を戻した。

「いえ、雨も降って暗かったので……鉄製の門は見ましたが……そういえば、名前、どうでしたか? 石山に関してです」

『石山? ああ、部屋で見た書類の名前か。調べてみたが今の所有者の名前ではなかった。偽名の可能性も考えられるが――』

「偽名ですか……」

「何か他に目印はないの? そんなに大きな場所なら名家どうこう威張って、家紋の一つや二つぐらい飾ってあるでしょ? 送ってきてくれれば探すわよ」

『家紋など今から調べるとなるとさらに遡って人の手を借りることになる。……それにすでに屋敷の持ち主は変わってるから、家紋どころか内装自体を変えてるかもしれないな』

『なら、構造はどうよ? ここまでデカいんなら、いちいちぶっ壊せるわけないんだし、外から見ても変わったとこなんて沢山あるでしょ。庭じゃなくて、窓とか、玄関とか。こんな山奥に一人目立って突っ立てるんだし」

『一番栄えていた場所だからな。端から見ても目立つだろうが――そういえば鐘があると言ってたな。杉山邸も昔は鐘を鳴らしていたようだ。時報としてな』

「ならそれね。ついでに昨日換えたばかりだから、ちょうど新品よ」

『換えたばかり? 誰が?』

 電話の声が疑心を見せる。

「業者に決まってるでしょ? バーで酔い潰れていた大工がいたのよ」

『大工? バーテンダー以外に人がいるのか?』

「はい。邸宅内に私達を除き四人います。二人はバーにいて、残りの二人はホールと二階の書庫にいます」

「もう片方は初老の男と若い女よ」

『――人相や雰囲気は互いに似てるか?』

「あまり話してないからハッキリとは言えないけど、似てはないわよ。どうしたの? 家族かどうか聞いてるの?」

 電話から声が返ってこない。僅かな間の後、再び聞こえはじめた。

『もしその四人に血縁関係がなければ、面倒事はさらに増えるかもな』

 その声に篠宮が眉根にシワを寄せた。

「どういう意味よそれ」

『実はその屋敷、二年以上前から空き家になっていて誰も住んでいないようなんだ』

「えっ?」

 目を丸くさせる葉月の横で、篠宮はさらに視線を細めた。

「え、なに? じゃ空き家だって言うの、ここが? じゃなんで人がいるのよ? まさか幽霊だとでも言うんじゃないでしょうね?」

『聞いた当初はそのバーテンダーは管理人だと考えていたが――管理するにも人が多い。なによりその大工が気になる」

「どう気になるのよ?」

『役所の話では二年前ぐらいから屋敷を出入りしている人を見ていないそうだ。管理にしても、その近隣に任せてる話はないし、どこかで委託したとしても、車などが頻繁に出入りした気配もない……それでも人はいるから、何か理由があって誰かを住まわせたと考えてはいたが……四人は多い、ましてや他人ならな』

「ここまでデカいと一人で管理するのも大変なんでしょ。だから、役どころも色々あって大工は屋敷の整備にバーテンダーは気晴らしで、後の二人は……まあ適当に。ほら、何かの税金対策とか、そういった理由で」

『なら鐘を換える理由はなんだ? 所有者が変わってからは鐘の音を耳にしたのは一度きりで、それ以降は鳴らしていないという話だ。なぜ、今になってわざわざ換える理由があるんだ?』

「また鳴らす気にでもなったんじゃない? よく言うでしょ、『人と天気は変わりやすい』って」

「聞いたことありませんよ」

 篠宮が細めた視線を葉月に向けた。

「そう?」

『それはそれで良いかもしれないが、実は大工に引っ掛かった理由はそれ以外にもある』

「なによ?」

『実はその屋敷、杉山がまだ所有していた時に失踪があったんだ』

「失踪? いなくなったの? ――まさか大工とか言うんじゃないでしょうね!?」

『そのまさかだ。詳しい調書は警察にあるから目に通してないが、役場にあった新聞では、その屋敷を受け持っていた大工の一人と連絡が取れなくなったらしく、失踪する数日前にはその屋敷で鐘を取り付ける仕事を請け負っていたようだ』

 その言葉に、篠宮が疑心を声に絡ませた。

「かねぇ?」

『ああ、作業終了の報告を受けたが、当の本人は戻ってこなかったようで、そればかりかいるはずの使用人にも連絡が取れなかったらしい』

「記事は持ってるの? 見せてほしいんだけど」

『カメラに撮ってあるから後で送る』

「ちなみにその失踪者の中に、バーテン、なんていないでしょうね?」

『職業と名前が明確に記載されていたのは大工だけで、使用人の方は名前だけだった。中尾良雄、それが大工の名で、もう一人の使用人の名は川野陽一だ』

「他の人はどうしたのよ? その二人だけっていうの?」

『他については聞き込み中とあったが、新聞では新たな失踪者についてはこれ以上出てこなかった。当時、詳しい人物からも話を聞いてみたが、近隣から手伝いで行ってた人の全員とは連絡が取れたみたいだし、外部から来ていた人物だけが対象だと思われる』

「余所者だけね……。なんか怪しいわね。その周りが嘘ついてるんじゃない? 臭うわよ」

『そう思えるが、最初に気付いたのは近隣にいた女中の人で、夕方の交代から朝までいるはずの男がいなかったらしく、全ての出入り口にも鍵が掛かっていたから、出払っていた主人の杉山に一応連絡を入れたらしい。その後、帰宅した杉山が警察に連絡して、それで大工などの関連が繋がった、という流れだ。失踪者の明確な数に関しては警察の方が詳しく調査しているだろうから、それを見るまではどうこう言えないな』

「連絡入れたからって被疑者から外されるわけないわよ。恨みの線だって十分あるわ。ほら、外部の人しかいなくならなかったんでしょ? なら、賃金の独り占めで、そいつらを殺してる可能性もあるわね」

『で、大工も殺ったと? 大工の金まで奪ってどうするつもりだ? その後が過ごし難くなるだけだぞ?』

「そこまで考えてないんでしょ? その失踪が起きたのが夜の間とかなら、殺るとき暗くて誰が誰かとか判らなかったかもね」

『……まあ、どのみち、その屋敷を売り払った杉山は場所を変えて、今は息子に事業を継がせてるみたいだし、今さらどうこうは問い詰めれないからな。こちらで分かってる事と言えば以上だ。他に何かあるなら聞くが?』

「よーくわかったわよ。とにかくここにいる連中は怪しいってことね。その様子じゃ、今の持ち主にも連絡はできてないみたいだし」

『買った人の連絡先までは役場の記録としては残ってないからな。不動産に聞かないと――』

「はいはい、わかったわよ。とりあえず、山峰彩から両親の電話番号を聞いておくわ。あと、他の人達の名前も聞いておく」

『わかった』

 通話が切れた後、篠宮は画面の消えた携帯に向かい独り言を呟いた。

「ほんっと役に立たないわね。なんの情報もないじゃない」

「仕方ありませんよ、夜も遅いですし、なにより何もない山の中なんですから」

「麻祁式御用達の情報網も案外抜け目があるのね」

――鳴る電子音。

 篠宮が携帯を手に取り、光る画面に親指を当てた。

「来たわ。結構古い新聞ね、えーと二と一と……日付は二十年も前のやつだわ」

 数回指を動かし、そのまま携帯を横にいる葉月へと手渡した。

「……確かに古い記事ですね。書かれてる内容も姉様が仰っていた通りです。どう見ますか?」

 差し出される携帯を受け取った篠宮は、それをポケットへと収めた。

「どうもなにも、とりあえず名前を聞いてみてからね。で、この記事と同じなら、他の共通点を見つけて、話を整合させてから、その後、原因を探ってそれで連絡か脱出よ」

「――もし、出ることが出来なかった場合は?」

 葉月の問いに篠宮は振り返り、ドアへと足を進めた。

「考えるだけ無駄よ、むーだ」

 葉月も後に続き、共に廊下へと出る。

「そんな先のとおーい話を真面目に考えた所で、まずは目の前の事を片付けていかなきゃただつまずくだけよ。――だいたい、予想は大方ついてんでしょ?」

 わずかに落ちる声調に葉月は、はい、と短く返し、二人は廊下を進んだ。

 部屋を抜け、ドアをくぐり、廊下を歩き、そして玄関へとたどり着く。

 暗闇の中に伸びる一点の光が目に入り込む。

 葉月はすぐに、その元へと明かりを射した。

「――っ!?」

 どこか間の抜けた顔が映り込む。

 小走りで寄ってくる龍麻に、二人は歩幅を縮めることなく距離を詰めた。

「どうだった?」

 龍麻からの問いに、篠宮は眉ひとつ動かすことなく答えた。

「全然ダメよ。すでに遅かったわ」

「遅かった? じゃやっぱ誰かに襲われて……」

「いえ、一人で目を抉ったんですよ」

「えっ? 一人で? なんで?」

「んなもん知るわけないでしょ? 気になるなら自分で聞きに行きなさいよ。私も知りたいわ」

 向けられていたライトの頭を掴んだ篠宮はそれを引き抜き、龍麻から奪い取った。

「あっ……」

 暗闇から聞こえる声を余所に、二人は足を進めた。

 射す二つの円が扉を捉える。ただじっと、物事ひとつ言わないそれは、その場所に居座り続けていた。

 交わる明かりが次第に大きさを増し、全体像より現す。篠宮は明かりを右へと向け――ふと足を止めた。

 光の中に飛び込んできたのは、体を震わせ座り込む山峰の姿だった。

 重ね立てた膝蓋骨に両手を乗せ、そこに目を当て顔を伏せている。外した眼鏡は額に掛かり、どこか宙を眺めていた。

「山峰さんどうしました!?」

 気付いた葉月が駆け寄り、声を掛ける。

「はづきさん……」

 山峰が頭を上げた。――その顔と声には生気がない。

「急に体が寒くなって……っ!! それに目も、痛くって……ふー、ふー……うぅ……」

 青くなる唇を震わせ、息を漏らすその姿に、瞳を合わせていた葉月はそっと頬を擦り、揺れる肩に手を置いた。

「大丈夫ですよ」

 笑顔を見せた後、腰を上げ、背にいる龍麻に問いかけた。

「なにがありました?」

 当たる二つの視線と明かりを前に、顔を左右に振った後、話を始めた。

「ここに着いた時は変わりなかったんだけど、待ってる間にどんどん体調がおかしくなって……急に寒いとか目が痛いとか、どうしていいか分からないからとりあえずそこに座って……」

「他に何か言ってませんでしたか? ――音が聞こえるとか?」

「いや、それ以外は……俺からは何も聞いてないし……そういえば、地震みたいなの感じなかった?」

「地震?」

 篠宮が眉が寄せる。

「なによ地震ってそんものなかったわよ」

「そう……そうか……なら気のせいかな。なんか揺れた気がしたんだけど……」

 どこか自信を失ったように声を落とす龍麻に、葉月はふと息を吐いた。

「……どうします? このままだとまた同じことになりますよ」

「……まいったわね。対処しようにも情報が少なすぎるわ……」

 深刻な面持ちで声を潜め話し合う二人に、龍麻は一人不可解な面持ちでそれを眺めていた。

「とにかく話だけで……」

「話ですか? 今の様すじゃ……」

「なあ」

 龍麻の声に二人の視線が、ぐっと動く。

「何を話してるんだ? 何が起きてるんだ?」

 一人困惑している姿に、篠宮が状勢を話す。

「このまま放っておくと、目を抜き出すって話よ」

「目……って、なんで? 何かされたのか!?」

「それが分からないから困ってるのよ。さっき中倉って人も同じ感じで目抜き出したんだから、だから心配してんのよ」

「中倉さんも目を抉る前にはひどく怯えた様子を見せてました。寒がっていた様子もあったみたいですし、状況的にも似ています」

「それじゃ……」

「時間の問題よ。遅かれ早かれ来るわ」

 三人の視線が暗闇に向けられる。静まる暗面からは唸るような声が微かに聞こえていた。

「あの様子じゃ長話をさせるのは厳しそうだし、……せめて電話番号だけでも聞けたらいいんだけど」

「私が聞いてみましょうか。もし難しいようならリュックの調査許可だけでもいただいてきます」

「リュック? リュックってあの人の? あるのリュックが?」

「はい。最初会った時に背負っていました。大事なものはなかったようなので、割れた窓の近くの部屋に置いてきましたが……そういえば、背負ってた物はどうされたんですか?」

 篠宮の背に目を向けた葉月が首を傾げた。そこにはあるべきはずだった黒の縦長バックは背負われてなかった。

「え? 今頃何言ってんのよ。あんな重たいもんずっと背負えるわけないから、あのバーに置いてきてるわよ。肩、壊れるしね」

「中身は大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。バラして運んでるから勝手に開けてもただの屑しか入ってないし、銃弾を見られた所でまさか本物とは思わないでしょ。拳銃ならまだしもライフル弾なんて重さ以外は端から見りゃ、ただのバカデカいオモチャよ」

 平然と話すその姿を葉月は同様の視線で見返していた。

「ま、そういう事でしたらとりあえず……話を聞いてきますね」

 再び山峰の元へと葉月が駆け寄る。

 変わらず肩を揺らし、喉を震わせる姿に、葉月は静かに腰を下げ、そして肩に手を置いた。

「山峰さん……」

「寒い……寒い……寒い……」

――山峰は顔を上げない。

 葉月が諦め、立ち上がろうと腰を上げる――その時だった。

「寒い……寒い……っ!?」

 突然顔を上げ、葉月に瞳を合わせてきた。

 血走る結膜に広がる瞳孔。別人となったその表情に驚いた葉月は、意識もなく瞬時に立ち上がると足を退いた。

 山峰からの言葉はない。真っ直ぐとした瞳を広げたまま葉月の足を見ている。

 それを前に取り囲む三人は何も言えず、ただ明かりを当て、ただ見ているだけしか出来なかった。

 山峰の瞳が右から左、左から右へとゆっくり動く。それはまるで何かを探すように――。

「いや……いや……いやいや嫌っ!!」 

 今度は矢継ぎ早に言葉を吐き、叫び始めた。

 両手で耳を防ぎ、頭を抱える。

「来ないで来ないで来ないでっ!!」

 叫喚と共に這うようにして立ち上がった山峰は額から落ちる眼鏡など気にせず、廊下に続くドアへと走り出した。

 葉月が声を張り上げ、闇に向かい叫ぶ。

「龍麻! 早く!!」

 二つの光から闇へ消えようとする山峰の体を龍麻は捕まえ、そのまま絨毯に押し倒した。

「来る来る来る来るっ!! 聞こえる聞こえる聞こえるっ!!」

 のし掛かる体を引き剥がすように、全身を暴れさせる山峰が絨毯に爪を突き立てた。

 同じ言葉を幾度も吐き出し、無我夢中に前へと擦り進む。

 二つの明かりが急ぎ山峰を捉える。明かりに照らされるその姿は、石に押し潰されたトカゲが必死にもがいているようだった。

「どうなってんだ!? なんでこんなにぃい……!!」

 背からずれ動いた龍麻は山峰の体にしがみ付いていた。喉元から左腕を回し、右肩で両手を組ませては、抱き着くような形で押さえつけていた。

 だが、その意に反し、体はずるずると暗闇へと差し伸びていく。

「来る来る!! あああああっー!!!!」

 突然、泣き声が入り混じったような絶叫が広間を走った。

「目が目がっ!! 痛い! 痛い! 痛いーっ!!」

 山峰が自身の目に両手を押し当てた。

「はっ!? ダメよ!!」

 気付いた篠宮が咄嗟に叫び駆け寄った。

 折れ曲がる指の関節に、伸びる爪が瞼へと突き立っていた。

 篠宮がすぐさま顎に手を入れ、顔を上げる。

「目がぁあーっ!! あああぁああーっ!!!」

 うつ伏せの体勢から、持ち上げられた声はより大きく轟いた。

 山峰の指が再び瞼に伸びる。だが、横から葉月が手を出し、腕ごと両手を絨毯へと叩きつけた。――全体重をその一点に乗せる。

「龍麻! これ以上は無理だわ! さっさと持ち上げていくわよ!!」

 声を上げる篠宮に、胴元にしがみ付いていた龍麻はすぐに聞き返した。

「運ぶってどこに!?」

「暗いって言ってんだからバーによ!!」

――叫ぶ声。悶える体。

「バー!? 大丈夫なのかよ!?」

「知らないわよ!! ここで見守るよりマシよ!! 消防搬送! 持ち上げるわせーの!!」

 篠宮がすかさず山峰の腹辺り腕を差し込み、そのまま上へと持ち上げた。

 僅かに出来た隙間から龍麻が上半身を無理やり突き入れ、右ひざ辺りに右腕を重ねた後、左手に力を入れ、腰を上げた。

 共に支え、立ち上がる篠宮は、自身の指に絡めていた山峰の手を龍麻が組み合わせていた右足へと差し出し、重ねて握らせた。

「このままバーへ行くわ! 葉月織は左手をお願い。絡ませて!」

 篠宮の言葉に、葉月は大きく返事をした。

「はい!!」

 明かりを持つ篠宮は葉月の足元に光を振り、落ちていたライトと眼鏡を拾った後、迷いもなく駆け出した。

 ドタドタと慌ただしく絨毯を踏みしめる三つの足音を掻き消すように、三人の頭近くでは常に叫び声が鳴き響いていた。

 射す明かりに縋る様に篠宮は光を追い続け、その後にいる二人は握る手に痛みを感じながらも、ただ一心に背を追い続けていた。

 篠宮の明かりが右側にあるドアの一つで留まる。

 ノブを回し、そして雪崩れこむように三人は中へと入った。

 オレンジの光が四人を包む。――叫び声が部屋を轟かせる。

 カウンターの中にいた男が目を見開かせた。

「着いた……」

 息を切らしながらも龍麻は肩に乗せていた山峰を気遣い、ゆっくりと膝を曲げては腰を下ろし、体を下ろす体勢に入った。横にいた葉月は床に付く足から尻へとしっかり支え、そのまま仰向けに寝かし、握りしめていた指を離し胸元へと置いた。

 ランプの灯りにより覗き見える山峰の顔は瞼辺りに爪痕はあるものの、先ほどとは違い表情は穏やかで、今しがたまでここで眠っているような雰囲気を見せていた。

 突然飛び込んできた三人は互いに言葉もなく、ただ息を荒げたまま、その場に座り込む。その様子をカウンターの中から見ていた男は、ただ呆然とした表情を浮かべていた。

―――――――――――

 ドアが開き、三人が出てきた。

 一人はライトを手に持ち、もう一人はライトと透明の小さな瓶を握りしめ、最後の一人は手ぶらだった。

 後ろに付く何も所持していない龍麻が篠宮に問いかけた。

「これからどうするんだ?」

 前を歩き明かりを射す葉月が声を返す。

「もう時間がありません。やるだけです」

 横に並び瓶を揺らす篠宮が息巻いた。

「絶対にぶっ殺す!! これは抗争よ!!」

 絨毯を踏み鳴らす三人は、その背を闇に溶け込ました。

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