四節:鍵
ドアハンドルを握りしめ、一度引いては前に押し、二度目引いてはまた前へと押した。
ガタガタと扉が揺れる。だが、ただ音を鳴らすだけで、決して開くことはない。
大きく揺すりながら、今度は罵声を浴びせかけた。
「どうなってんのよこのドア! ぶっ壊れてんじゃない!? ふざけんじゃないわよ!」
ガタガタと扉が身を震わせる。しかし、ただ声をあげるだけで、決して動くことはない。
「くそっ、どうなってんのよ本当に……」
今度は悪態をつきながら、篠宮は照らされているドアハンドルから手を離した。
「建付けの問題でしょうか?」
葉月の言葉に、篠宮が眉根を寄せた。
「どういう建築法使えば出る時だけ動かなくなるのよ。……まるで鍵でも閉められたようだわ」
四人の視線がドアハンドルへと向けられる。
螺旋を描く真鍮製のそれは、当てられた二つの光によりどこか冷たく照らし出されていた。
「仕方ないわ。他に出口がないか聞いてみましょ」
手に持つ明かりを右後ろにあるドアへと移し、篠宮が一人歩き始めた。
葉月の光に映る背を龍麻が急ぎ呼び止める。
「どこに行くんだよ!? 聞くって誰に!? 他に人がいるのか!?」
呼び掛けの声に篠宮は振り返ることなく、代わりに答えたのは葉月だった。
「ええいるみたいですよ。それにこちらにも」
葉月が背中を射す明かりを横にいる山峰へと向けた。
どこか不安な表情を浮かべる山峰の姿を見た龍麻は一瞬表情を固めるも、瞳を捉えたまますぐに頭を小さくさげた。
「ど、どうも……」
たどたどしく掛けられた挨拶に山峰は言葉を返した。
「はじめまして……」
二人が挨拶をし終えた後、葉月は消えゆく背中を追うために、明かりをドアへと向け歩き出した。
葉月の背を見ていた二人は再び見合った後、縋りつくようにしてその背中をすぐに追った。
敷き詰められた赤い絨毯に導かれるように、長い廊下を歩き、装飾品の飾られた机や椅子のある部屋を数か所通り抜け、そしてまた廊下へと出る。
窓に叩きつける雨音の耳に、三人は先頭を歩く明かりを頼りにコツコツと足音を響かせながら、ただ前へと付き進んでいた。
ふと明かりが廊下を逸れ、右側のドアへと向けられた。
三人が篠宮に追いつく。
ドアをじっと見ていた篠宮は廊下に響く足音が静まるのを確認した後、ノブを掴み開けた。
隙間から覗き出てきたのは淡く光るオレンジ色の光。
暗闇の廊下、そして四人を包み込むとそのまま中へと導いた。
カウンターの中にいる一人の男が四人に気付き笑顔を見せる。
「お帰りなさいませ」
暖かい雰囲気に三人が目を丸くさせる中、篠宮は平然とした態度で前にある背もたれ付きの椅子へと腰を下ろした。
「ただいま」
一人座るその背中を戸惑いながら見ている二人を他所に、今度は葉月が篠宮の横へと腰を下ろした。
二人座るその背中に、龍麻は急ぎ後ろのドアを閉めた後、山峰に向かい声を掛けた。
「と、とにかく座ろうか」
山峰は困った表情を見せながらも、はい、と呟き、二人は篠宮の右側――の椅子へと腰を下ろした。
男は何も言わず、ただ手にしているグラスを布で拭き続けている。
それぞれが自由に視考を駆け巡らせる中、篠宮が宙に向かい言葉を投げた。
「私はオレンジ」
男が手にしていたグラスを置き、
「かしこまりました」
小さく頭を下げた後、カウンターの下にある冷蔵庫からオレンジ色の瓶を取り出し、栓を抜いた。
逆さに並べられたグラスの一つを手に取り、中に注ぐ。
篠宮の前に置かれたグラス。中で漂う液体はランプの明かりに、より、いっそう煌びやかに光を放っていた。
間を挟む三人の視線がグラスから篠宮へと移る。
何一つ迷いもなくグラスを持った篠宮はそれを口へと運び、そして一気に流し込んだ。
喉元を数回動かし、軌跡の残るグラスをカウンターに置いた。
まじまじとその光景を見ていた葉月が、そっと篠宮に顔を寄せ囁いた。
「大丈夫なのですか?」
篠宮は視線を合わせることなく言葉を発した。
「注文は? なに?」
突然の問い掛けに、右側にいた二人は目を丸くさせながら篠宮の顔を見るも、左側にいる葉月はすぐさま顔を戻し、男に向かい言葉をかけた。
「ソフトドリンクは何が?」
男は果物の名前を一つ一つ丁重に並べ始めた。
言葉が止まった時、葉月がその中から一つを選び、続くようにして二人も果物を口にした。
「私はライチで」
「えーっと……じゃオレンジで」
「私は……ブドウで……」
男は小さな笑顔を見せた後、
「かしこまりました」
そう言って、腰を曲げ冷蔵庫を開けた。
三人が静かにその動きを見てる中、篠宮が話を切り出した。
「さっき玄関から外に出ようと思ったんだけど、ドアが開かなくて……玄関って立て付けが悪いの?」
男が笑みを浮かべた。グラスに液体が注がれていく。
「いいえ、かなりのご高齢ではありますがまだまだご活躍されてますよ」
「ご高齢……それじゃ相当古いってことなの? この場所が」
「はい」
満ちたグラスを三人の前に並べていく。
「先代から受け継がれ、ご年齢は……そうですね……古希か喜寿の辺りになるのではないでしょうか」
「こき?」
龍麻が呟くような声で聞き返した。
「古希と言うのは長寿を祝う節目での年齢の名前みたいなものですよ。還暦……つまり六十歳から始まり、古希は七十、喜寿は七十七となります」
葉月の回答に口を小さく開けたままの龍麻は何度も頷いた。
「へぇー」
「それじゃここに建ったのは大正ぐらいって事ね?」
「はい、私の知る限りでは。まだここに仕えて日の浅い若輩者ではありますが……」
「……で、玄関が開かなくなった理由はわかる?」
「そうですね……」
男は顔を伏せ、少しの間を置いた後、喋り始めた。
「もしかすると女中の方が鍵を掛けたのかもしれませんね 」
「女中がいるの? ここに?」
「お休みになられている場所はここから離れた所にあるのですが、昼間はいますよ。夜七時を過ぎると出入口に鍵を掛けてお帰りになられます」
篠宮がポケットから携帯を取り出し、カウンターの下で画面を確認した。表示されている時計の数字は七時三十四分を示していた。
「全員お帰りに? 一人か二人は常にいらっしゃらないのですか?」
「私以外には誰も。夜間は私がここにいますから何かあった場合はすぐに連絡が来るようになっていますし、もし何か急用ならば女中の方々にも連絡が行くと思います」
「内線があるのね……他に出入口はないかしら? 外に出たいんだけど」
「他の出入り口となれば、厨房や洗濯場の場所にもありますが……多分鍵が掛かっていますよ。もし玄関から外に出たいのであれば私の方から連絡しましょうか?」
男の言葉に篠宮は首を横に振り立ち上がった。
「大丈夫よ。そろそろ部屋に戻るわ」
背を向けドアへと向かう篠宮に、三人も立ち上がりその後に続いた。
並ぶ空のグラスを前に男は、
「いつでもお待ちしております」
深々とお辞儀をした。
――――――――――
ドアが閉まり二つの明かりが廊下に点る。
目の前にある窓には相変わらず雨粒が体をぶつけ、しがみつく術もなく垂れ落ちていた。
「とりあえず厨房に行くしかないわね」
そう言った後、篠宮が歩き始め、続いて葉月達も動いた。
扉を開け、暗い室内に明かりを揺らしながら足を進めていく。その中、葉月がある男について篠宮に問い掛けた。
「先程、バーの奥で寝ていられた方、あの方については何かお聞きになられましたか?」
正面を向いたまま、篠宮が答える。
「あの人は大工よ。仕事で泊まり込みしてて昨日終えたって。鐘の取り付けね 」
「鐘? この場所に鐘楼みたいなところがあるのですか?」
「この上にね。鐘楼……というより、ただ時計台に備え付けられているらしいわ。それを新しく変えたってわけ」
「なんのために……? 時報の代わりなのでしょうか?」
「そのようね。麻祁にも伝えてあるわ。良い目印になるでしょ、連絡はまだない?」
葉月が携帯を取り出し画面に横目をやる。
「はい……まだのようですね」
「遅すぎるわ。情報を集める人間がこれだけ時間掛けるようじゃクビね」
「正確に調べてるんですよ。後から調べ直すにしても時間は必要になりますし、何事も正確さが一番です」
「正確かどうかなのかは、現場の人がその場を直視して始めて証明されるのよ。確認する前に居なくなったらどうするのよ。こっちから電話してみるわ」
「しても無駄ですよ」
篠宮が携帯を取り出し、番号を出すと同時に耳元に押し付けた。
二人の会話を暗闇の中で聞いていた龍麻は横にいた山峰に小さな声である事を聞いた。
「さっきのバーで寝ている人みました?」
山峰が首を横に振った。
「いいえ見ませんでしたが……」
「そうですか……」
二人が揺れる明かりへと視線を戻す。
光はドアを抜け、さらに先のドアを照らしていた。
「情報がなきゃ動けないでしょ!? ……なに? いいから今知り得る限りのこと教えなさいよ! ……ちょ、待ちなさいよ! くそっ!!」
立ち止まった篠宮は苛立ちを肩で見せなが、携帯をポケットにしまいこんだ。
興奮が冷めないのか、一人ぶつぶつと罵詈雑言をまくし立ている。
「だから無駄だと。連絡を待たないと」
「ほっっんとぉ損したわ! どういう神経してるのかしら! 人一人の命が掛かってるのかもしれないのに相当イカれてるわね! ひどい話じゃない!?」
「適当な情報を伝えられるよりマシですよ。それに現場の空気は現場の人にしか分からないのですから仕方ありませんよ。繋がるだけマシってものです」
「繋がっても会話の応答がなきゃ話にならないわ。ああーはらがたつー!!」
明らかな苛立ちを先頭に、四人はクロスの掛けられた長方形のテーブルがある部屋へと入った。
室内は奥へと長く伸び、その真ん中には堂々とそのテーブルが居座っていた。
背もたれの付いた大きな椅子が左右を挟み、上に置かれた赤い花の刺さった花瓶を静かに見つめ合っている。
篠宮は迷うことなくその右側に見えるドアへと向かい足を進めた。
三人も後から続き、そしてドアを抜ける。
明かりに照らされていたのは鈍色のシンクが並ぶ厨房だった。
人の気配を見せないその空間は他の場所に比べどこか冷たく、そして湿っぽい臭いを漂わせていた。
大きな冷蔵庫の横を抜け、角を曲がる。前に現れたのは質素な体格で立ち塞がる一枚のドアだった。――雨粒の音が耳に届く。
篠宮がドアノブに光を当て、見つめた後、それを掴み、捻った。
前、後ろと力を入れ、音を鳴らすもそこに隙間を生み出すことはできなかった。
言葉に息を混じらせ吐く。
「やっぱダメね」
「一度確認したんでしょ? どうしてまたここに?」
葉月の問いに、篠宮は少し間を空けた後、答えた。
「鍵穴が付いているかどうかを改めてね。玄関のドアは鍵穴がなかったけど、このドアは内側から閉めるものだから付いてなきゃおかしいのよ。……やっぱり思い違いじゃないみたいね。あのバーテンダーは鍵が掛かっているって言ってたけど、鍵なんてついてないわここには」
二つの明かりがノブに重なり照らし出す。そこには鍵穴のようなものは付いていなかった。
三人が途方もなく前に立つドアを眺めている時、明かりの一つが上から下へと動いた。
再び上に戻った時、ドアの角を照らして止まった。
「ありましたよ鍵」
葉月の声に三人の視線が上へと動いた。
明かりに映りこんでいたのは銀色の四角い形をした物だった。ドアから横の壁へとその体を伸ばしている。
「こんなのあったかしら?」
「補助錠ってやつですね。鍵穴もありますし、この下にも同じものが」
明かりに合わせ視線が下へと動く。そこには上と同じく銀色の四角形の物が隅に貼り付いていた。
「面倒なもん付けてるわね。それじゃ横の洗濯場も同じね」
「やっぱ玄関開けてもらうように頼んだ方がいいんじゃないかな?」
龍麻からの提案を篠宮がすぐに蹴飛ばした。
「なに言ってんのよ、そと雨降ってんのよ? もし呼んで事故なんて起きた場合、誰が賠償金出すのよ。えぇ?」
手に持つ光を龍麻の顔に向ける。突然の閃光に顔をしかめ、手で目元を覆った。
「やめろって! 眩しいだろ!?」
「もし何かあっても客人なら賠償なんて請求されないと思いますが……、私達はただの侵入者ですからね。まだここの当主にもあってないのに、それは怖くて踏み込めませんものね」
「『迷子で仕方なく来ました』なんて説明しても、それとこれとは話が別って事よ。一応従業員が怪我したわけなんだし、保険が下りるならまだしも、別途で請求される可能性もあるのよ? 直接顔を見て、直接話さないことにはその人の人物像なんてあぶり出せないわ。とんでもない悪党ならどうするつもりよ、吹っ掛けられるわよ?」
二人の説明に言葉を無くした龍麻は、ただたじろうだけだった。
「さっさとドアぶち破って外に出たいけどそれも出来ないしね。――請求は麻祁に回そうかしら」
「返されるのがオチですよ。……そういえばすでに破壊された出口ならありますが」
「どこ?」
篠宮の視線に、葉月は右後ろにある角へと光を当てた。
三人の目が食器棚に集まる。
「ここから東に向かった廊下に割れた窓があります。そこからなら外へと出ることは可能ですよ」
「へぇー割ったの?」
篠宮の問いを葉月はすぐに否定した。
「私が割ったんじゃありませんよ。山峰さんのお友達が割ったみたいです」
山峰の体に篠宮が光を当てた。白のシャツに赤のジャケットが色を帯びる。
「へぇーなんで?」
「えっ……?」
何一つ迷いのない言葉に、山峰は戸惑いを見せ、開いた目を下へと伏せた。
言葉を詰まらせる中、横にいる葉月からは何もない。
数十秒待った後、山峰が話を始めた。
「その彼が突然寒いとか言い出して、それから窓を……」
「寒い? それだけで?」
「いえ、他にも大きな羽ばたきが聞こえるとか……目が痛いとか……それから様子がおかしくなって外へ……」
「お友達の中倉さんですよね。外に出て行かれた方は」
「中倉?」
山峰を見る篠宮の目が僅かに細くなった。すぐに葉月へとそれは向けられる。
「連絡はすでにしてありますよ」
葉月の言葉に篠宮は視線を戻し、食堂へと続くドアに光を向けた。
「まあ、謎ね。とにかくその割れた窓まで行ってみましょうか。様子見を兼ねて」
「先導いたしますよ」
「よろしく」
先行く二つの光に龍麻も後に続く。だが、前か横にいるはずの山峰の姿がなかった。
「ちょっと待って!」
前を行く二人を立ち止まらせ、光を自身の方へと向けさせた後、振り返った。
そこには寒そうに胸元で両腕を重ねる山峰の姿があった。
肩を震わせ、怯えた表情を浮かべている。
「どうしました?」
葉月の呼びかけに、山峰は肩を上げた。
「い、いえ……ちょっと寒気が……」
辺りをキョロキョロと見渡し、どこか落ち着きのない様子を見せる山峰に対し、
「さっきのバーで休んでいく?」
篠宮が声を掛けた。
「い、いえ大丈夫です」
断りの言葉を入れた後、山峰が光の元へと歩いていく。
その姿に三人は何も言わず、歩き始めた。
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