二節:雨宿り

 雨降る庭園に一人佇む銅像たち。こじんまりとしたその門扉の前に、三人は向かい合い話をしていた。

 肩に縦長のバッグを背負った篠宮は開いた大口を閉じることなく、空いた右手で何度も門扉を指さし、払うような仕草を見せていた。

 それに対し、向かい側にいた龍麻も同じく口を大きく開け、篠宮の後方へと懐中電灯の光を差し揺らしいた。

 間に挟まれていた葉月は一人口を開かず、ただ胸元に手を当てたまま睨むようにして、門扉をじっと見つめている。

 雨粒が重くなる度に、二人の開口と手振り、そして光線の動きは早くなり、篠宮は首を横に振ったと同時に走り出し、門扉に手を掛けた。

 開かれるそれに龍麻は驚きの表情を見せ、手を伸ばし篠宮の腕を掴もうと伸ばす。

 しかし、それが伸びきる前に扉は開かれ、篠宮は中へと入っていった。

 眉根を寄せ暗闇へと消えゆく篠宮の背を送った後、龍麻は後ろへと振り返った。

 求めるような視線に葉月は閉じた口を開くことなく、そのまま扉の奥へと足を進めていく。

 消えゆくもう一つの背中を龍麻は追いかけた。

 短い庭園を走り、そして三人は庇のある玄関へと辿り着いた。

 周りを取り囲む闇からは雨に当たる葉音だけが何処かしら聞こえてくる。

 先に扉の前へ辿り着いてた篠宮は呼吸を整えた後、曲げていた腰をあげ、そして声を出した。

「死ぬわ……このままだと間違いなく死ぬわよ……」

 誰かに向かい伝えるわけでもなく、ただ口から呟かれる言葉に後から現れた二人は何も答えず、荒れる息を正していた。

 しばらく雨音を耳にする中、

「寒い……もう限界よ」

顔を曇らせた篠宮が玄関の取っ手に手を掛け両扉の片方を開けた。

「ちょっ! 待てよ! いいのか!?」

 龍麻が急ぎ背中に向かい言葉を掛ける。

 言葉を無視し、首だけを扉の中に入れた篠宮。僅かな間の後、顔を出し、そして扉を閉めた。

 二人の前に向き直すと、篠宮は言葉の一つも出すことなく、ただ表情を伺うように視線を左右にちらつさせるだけだった。

 その不自然な様子に龍麻が気になり問いかけた。

「どうしたんだ? 中、何かあるのか?」

 その言葉に篠宮は葉月に視線を向けた。

「……ここの場所わかる?」

 葉月はすかさず携帯を取り出し、画面に地図を現した。

「先程の納屋から数十メートル進んだところですね」

「……この辺りにこんな屋敷があるなんて知ってた?」

「いえ。私が調べた限りでは」

「麻祁式に電話して聞いてくれる?」

「……わかりました」

 葉月は返事の後、麻祁の電話番号を開き、耳に当てた。

 その姿を篠宮は確かめることなく、それ以降、外を見つめたまま動くなかった。

 二人がそれぞれの動きを見せる中、一人残された龍麻は左右に視線を振り、葉月の横へと近づいた。

 正面に立つのは閉じられたドア。

 龍麻が葉月の横顔を見、そして取っ手に力を入れる。

 ゆっくりゆっくりと、木の軋むような音が重々しく耳元に響いてくる。

 頭一つ分ぐらいが入る隙間を作り、その中に顔を入れた。

「…………」

 言葉もなく、龍麻は顔を出すと扉を閉め、篠宮と同じ方向に体を向けた。

――雨音が列を細め、足踏みを揃える。

「……はい、ではお願いします。……はい」

 話を終えた葉月が電話を切り、携帯をポケットに入れた。

「で、なんて?」

 篠宮の問いに葉月が答える。

「姉様の方でも確認はしてなかったようです。現在調べてくれてると」

「そう、それならかなーり時間はかかるわね。――どうする?」

 委ねる視線に龍麻は目を合わせることなく、ただ静かに前を見ているだけだった。

 その様子を不思議に思った葉月が龍麻の後ろにある扉へと近づき開いた。

 顔を中に入れず、外から室内を窺う。

 僅かな間の後、扉を閉め、同じく体を外へと向けた。

――庇から流れ落ちる雨は滝となり、壁を作り出す。

「……暗いですね」

 呟かれる葉月の言葉に、篠宮は表情を変えず答えた。

「ええ、真っ暗よ」

――吹き込む滴が三人の体に触れる。

「不気味だわ。現在位置からこの辺りはどうなっているの?」

 篠宮と葉月が携帯を取り出し、地図を開く。

 左右に灯る明かりに、龍麻は何度も視線を振った。

 二つの画面に現れた全く同じ地図。逆三角形の印が示すその場所は、緑一色で染まっていた。

 互いに眉根を寄せ、携帯をしまう。

――跳ねる滴は足先へと落ち、石床に消える。

「麻祁の連絡を待つにしても、時間は見えてこないし、このまま雨の中を突っ走るにも環境は最悪。……リスクがあるとしても中で雨を凌ぐのも悪くないと思うんだけど?」

 篠宮の提案に、葉月は間を空けず頷いた。

「ええ、ここでいるよりはマシだと思います。でも、本当にその元凶がここだとしたらどうします?」

「――麻祁式から倍額請求する」

 胸元に腕を組み答える篠宮に、葉月は一度顔を落とした後、上げた。

「――なら決まりですね。私達で解決できるなら姉様の手を煩わせる事もありませんしね」

「そうと決まれば行動ね。それじゃ久柳龍麻、中調べてきて」

「お、俺!? なんで!?」

 突然のことに一人慌てる龍麻の肩を葉月が押した。

「やめろよ! 押すなよ!」

「私は先に姉様に電話をして今後の事を伝えます。ですので、後から合流します」

「私はその護衛」

「護衛!? なんだよその理由! 何が護衛だよ! 俺の護衛は一体誰がどうするんだよ!!」

「何言ってんのよ、その手にしっかり明かり持ってんじゃない。それで十分でしょ」

 龍麻の右手にある火の消えた懐中電灯を、篠宮が顎で指してきた。

「それがあれば暗闇でも怖くないでしょ」

「暗闇よりも何が出るかわからないから怖いんだろ!? 俺一人は絶対に嫌だぞ!」

「ったく、わがままね……。なら一緒に行ってあげるから。でも、それ持っているのはあんただけなんだから先行きなさいよね。私はこの荷物だけで動くのも精一杯なんだし」

「あ、ん……うん……」

 どこか頼りなさそうに返事をした後、龍麻は懐中電灯を灯した。

 照らす光の先に二人の冷ややかな顔が映りだされる。

 差す視線に返す言葉はなく、龍麻は扉に手を掛けた。

 木の軋む音をあげ、ゆっくりと開かれていく。

 覗く隙間から見える暗闇は光により晴れ、中の様子を二人の目に現していた。

 扉を開ききった時、龍麻は明かりを再度左右に振った。

 中の様子を一通り確認した後、再度確かめるように背中にいる篠宮へと振り返った。

 言葉もなくただ見ている姿に、龍麻は顔を戻し、そして前に踏み出す。

 右足、左足と体を中に入れていく。

 暗闇へと消え行く背中に、篠宮はその場から動くことなく取っ手に手を掛け、そっと扉を引いた。

 軋む音に狭まる隙間。閉じかけたその時、龍麻の指がグッと飛び出してきた。

 扉は勢いよく開かれ、今度は全身が現れる。

「なんで閉めるんだよ! 来るんじゃなかったのか!?」

「……ええ、必ず行くわよ」

「…………」

「…………」

 二人視線を合わせたまま、次の言葉はない。

「――わかったよ、行けばいいんでしょ、行けば。そんなに心配しなくても後からちゃんと行くわよ、ったく」

 内心諦めたかのようにふと息を吐いた後、篠宮が横にいる葉月へと視線を向けた。

 携帯に向かい話すその姿を目に入れながら、篠宮は暗闇に消えた。

「……ええ、はい。今二人が中に……はい、私も入ります。……はい、また何かあれば連絡します。……はい」

 最後の返事で通話を切った葉月は、携帯をしまう中、外の景色に目を向けた。

 降り続ける雨は音を激しく鳴らすだけで、その姿を見せない。

「……本当に嫌らしい雨ですね」

 呆れるように呟いた後、開かれていた扉へと向かい姿を消した。

―――――――――――

 扉の前で三人は集まり、龍麻の差す明かりの先を眺めていた。

 光はゆらゆらと動き部屋の隅々を映す。

 表の風貌とは違い、中はそう広くなかった。

 扉からすぐ近く、玄関の左右には先へと続くドアが備え付けられており、正面――奥には外を眺めるためのガラスが張られていた。

 天井にはこの場所を照らすシャンデリア――ではなく、どこでも見かける吊り下げ灯がポツリとぶら下がり、部屋の中腹には囲む手すりが見え、廊下があるのがわかる。

 光は篠宮の指示に従い、今度は側面の壁と向けられた。

 飾られる絵の横に一つのスイッチを見つける。

 葉月が近づきそれを押す。だが、反応はない。

 何度か繰り返した後、その指を離した。

「ダメですね」

「みんな就寝中かしら、それなら消えている理由もわかるんだけど」

「山の方は寝るのが早いって聞きますしね」

「――七時で寝るの?」

「――さあ?」

 葉月の答えに篠宮は息を鳴らした。

「どのみちここの主人と話をしないとね。すみませーん!!!」

 割れんばかりの突然の声に光が揺れた。

 響く声はすぐに静寂へと戻る。

 少しの間の後、

「すみませーんんんっ!!!」

更に篠宮が声を轟かせた。しかし、反応はない。

「どうなってんの? 客人なら普通駆け付けてくるでしょ」

「不審者だと思ってるかもしれませんよ。こんな暗闇で大声で叫ぶ人いませんし」

「へぇー、ならここで待っていた方が好都合ね。そしたら後で保護してくれるんだし、助かるわ」

「保護というよりも逮捕ですよ。事情聴取とか面倒ですよ」

「……なら、自分達で探すしかないわね。それぞれ別れてここの家主を探すわよ。龍麻、灯りを貸して」

 差し伸ばされる手に、龍麻は一瞬ためらうも懐中電灯を手渡した。

 篠宮が背負っていたバックを床に置き、ライト片手に中を探り始める。

「ここの人見つけてどうするんだよ? もしかしたら本当に寝てるかもしれないんだぞ?」

 不安そうに問いかけてく龍麻に対し、背を丸めたままの篠宮は平然と答えた。

「なら起こさずに三人ここで仲良く添い寝でもする?」

「俺は別にいいけ――」

「私は嫌です」

 背中から入る葉月の声に、龍麻が無意識に振り向いた。

「ここで寝るにしても翌朝見つかったら大変なことよ。それなら先に挨拶した方が何かと話は進められるわ。それに玄関の鍵を開けたまま寝てる、なんてバカなことある? 不用心にもほどがあるわ」

 篠宮はバックを閉じると立ち上がり、光の点いていた懐中電灯を龍麻に手渡すと、もう片手に握っていた懐中電灯の明かりを灯した。

 晴れやかな眩い光に龍麻が目を細める。

「これから別れて探索しましょ。鍵を掛けないならそれなりの理由があるし、誰かは起きてるはずだから見つかるはずよ」

 篠宮が左側のドアに懐中電灯を向ける。

「私はこっちを見るわ」

「それなら私は右側行きます。……その懐中電灯貸していただけますか?」

 出される細い手に龍麻は困惑するも、手にしていた懐中電灯を渡した。

「俺はどうすれば?」

「ここで留守番をして、玄関に鍵を掛けられないか見てて。とても重要な役目だから」

「え? でも、もし……」

「何かが来た時はその逆へと逃げれば大丈夫ですよ」

「逆って……」

 口を開けたまま龍麻が外の方へと振り返った。

 開かれた扉の向こうでは雨が鳴き続けていた。

「そんだけ心配なら武器の一つぐらい貸してあげるわよ。……ほら」

 再び開けたバックの中から、今度はピンの付いた小さな四角形の物を取り出し、龍麻へと手渡した。

「これは?」

「もし何か来た時はそのピンを抜いて足下に落としなさい。後は走って逃げれば大丈夫よ」

「大丈夫……」

 両手に包み込んだそれを龍麻はじっと見つめる。

「あのすみません」

 葉月が篠宮に声を掛ける。

「私にも幾つか分けてくれませんか? ――銃弾を」

 その言葉に篠宮は視線を動かした後、バックの中に光を照らし入れた。

「いいわよ。どうせこんな銃じゃ室内で振り回せないしね。武器は持ってないの?」

「一応は持ってはいますがあくまで護身用なので……もしもの時と思い……」

 二つ重なる明かりの中から、五つの銃弾が出された。どれも先端は鋭く、口径は長い。

「威力はあるけど音もうるさいわ。複数いる場合は面倒よ」

「その時はすぐに駆けつけてくれるんですよね」

 葉月の言葉に篠宮は小さく笑みを浮かべ、バックを閉じ、背中に掛けた。

「ええ、音が聞こえたらね、すぐにでも……それじゃ龍麻、後はよろしく。その場所をお願いね」

「逃げてもいいですけど、もし何か見たときは必ず顔を覚えていてくださいね」

 二つの光は左右に分かれ、そして消えた。

 一人残された龍麻は暗闇の中で、両手に持つ何かを確かめるように、ぐっと握りしめた。

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