一節:雨

 降り注ぐ豪雨。闇夜に広がる緑林達はそれを待ちわびたように一斉に声を上げた。

 駆ける息遣い。讃え歌う音の中、三人はそれを気に留める事もなく、その間を走り続けていた。

 ぬかるむ地面から泥が跳ね、三人が足跡を残していく。

 ばたばたと揺らめくライトは幹を照らし、そして納屋を現した。

 叫ぶトタン屋根の音が、助けを求めるように自身の居場所を辺りに知らしめる。

 二つある納屋の一つに三人が駆け込み、豪雨から逃れた。

 吹き出る汗が落ちる雨水と混じり、ポタポタと水たまりを作る。

 狭い空間にたち込む熱く重苦しい空気の中、自身の足元を見ていた篠宮がぼそりと呟いた。

「最悪だわ……」

 消えるトタンの音。

「ほんっと、最悪だわ……。だからタクシーで行こうって言ったのに……」

 僅かな静寂の後、篠宮が声を上げた。

「どこの誰よ!! バスで行こうって言った奴はッ!」

 一気に沸き立つトタンの嵐。ガタガタと揺れ動く壁を背に、篠宮の向かいに立っていた葉月は前髪に付いた滴を払った後、平然とした様子で言葉を返した。

「仕方ありません。今晩の宿泊先は山奥にあるものですから、もしタクシーで来たとしても途中で降りて歩かなければなりません。それなら出来るだけ近場までと思い、バスを選んだのでしょう」

「バスで途中まで来れるならタクシーだって来れるわよ! 大体、一日二回ってどういうことよ! 何度も乗り換えてやっとの思いで着いたと思ったら夕方にしか来ないし、しかも遅延よ!? 職務怠慢だわ!」

「バスが遅れることは日常的なことですよ。――それよりも、その不満をぶつけるなら今朝の気象予報士に言ったほうがいいかもしれません。まったく予報が違っていたのですから、これこそ職務怠慢だとは思いませんか?」

 葉月の頭に圧し掛かる髪からまっすぐ垂れ落ちる滴は止め処なく流れ続け、足元へと消え去っていく。

「予報士だからいくら言ったところで逃げられるわよ」

「それなら泣いて寝入るしかありませんね。バスに関しても会社に言った所で時間は返ってきませんし……それよりもっと身近な所から目を向けてそこから直すべきだと思います」

 葉月の言葉に篠宮がすっと息を吸い込んだ。

「……そうね、まずはこうなった原因から正さないとだめね」

 二人の声が止み、雨音だけが鳴り響く。

 切り替わる空気に入口前で外を見ていた龍麻が何かに気付き振り返った。

 雨音が囲む中、三人の間に言葉はない。

 龍麻が左右に首を振った後、自身を指差した。

「え? お、おれ?」

 その問いかけに二人からの言葉はない。

 突然のことに龍麻は見開いた目を閉じるのを忘れ、急ぎ言葉を返した。

「俺のせいじゃないだろ!? 元はと言えば麻祁の説明が……」

「姉様に責任を押し付けるとはずいぶんとひどい方ですね。先の段取りに関しては全てあなたに任せてるとお聞きしてましたよ」

「私も聞いたわ」

 すかさず入る篠宮の同意の言葉に、龍麻は押され、一瞬でその居場所を失った。

「うっ……んん……」

 言葉を無くし怯む中、唾を大きく飲み込んだ後、二人に向かい声をあげた。

「そ、それじゃ二人は何て聞いたんだよ!」

 それを機に話を始めたのは葉月だった。

――――――――――――

「えっ? 姉様は行かれないのですか?」

 眉根を寄せ声の落ちる葉月に対し、携帯から聞こえる声に変わりはなかった。

『ああ、私は先に現地にいって宿泊場所の確認をしないといけないからな。後からの合流になる』

「それなら私も一緒に同行しますわ。無理を言ってお願いしたのですから、出来る限りお手伝いします」

 耳に携帯を付けたまま、葉月がベッドへと腰を下ろした。

『その気持ちは嬉しいが、今回の依頼は中身が不透明だからな。事前に地域の様子を調べてもらうつもりだったが、どうやら先客がいたみたいだしな。先に私が行って直接確認するつもりだ。もし何か都合に悪いことがあれば中止に出来るし、何か道具が必要ならそれの調達も頼めるで、その意味合いでも後日来てくれた方が助かる』

 その言葉に葉月はふと息を吐いた。

「……わかりました。それでは後日そちらに伺います。予定に関しては全て龍麻の言う通りにすればよろしいのですね?」

『ああ、連絡とかは伝えておく。すまないな手伝ってもらって』

「いいえ」

 葉月の頬がほころぶ。

「私の方から無理を言ってお手伝いをお願いしたのですから、姉様の手をそれ以上煩わせるわけにはいきませんわ。私の方こそ、無理を聞いていただきありがとうございます」

 部屋の中央に置かれた机に向かい、葉月が会釈した。

『――それじゃまた連絡する』

 返事を待たずして通話は切れ、携帯からは話中音が流れた。

 葉月はどこか名残惜しそうに正面の壁に視線を向けた後、息を深く吐いた。

――――――――――――

 雨音は激しさを増し、周囲の音をかき消す。

 三人はその場から動くことなく、それぞれの視点で何も見えないその場所を見ていた。

 漂う空気は更に熱を帯び、龍麻の頬に水滴を走らせる。

 口元を拭った後、左に向けていた視線を今度は右へと向けた。

 篠宮が寄りかかっていた背を上げ、肩に掛けていたバックパックの位置を直した後、話を始めた。

――――――――――――

「はあ? 本気で言ってんの?」

 眉根を寄せ声を荒げる篠宮に対し、携帯から聞こえる声に変わりはなかった。

『空きがないから仕方ないだろ? 他の場所じゃ不安だし、手慣れている所でないともし何かあった時、連絡とかで困るからな。待つにも数週間かかるみたいだし、私達の足で事前調査するしかないわけだ』

「そう、それなら一人で勝手に行くのよね? 行くついでに全部終わらせて来てよ。それなら私も楽で助かるんだし」

 耳に携帯を当てたまま、葉月がグルグルと机を周った後、窓際にある椅子へと腰をかけた。

『冷たい事を言うね。一緒には来てくれないのか? もし私一人で行方不明になった時の心配とかは?』

 その言葉に篠宮はハッと息を吐いた。

「笑わせてくれるわ。一人向かって一人迷ってちゃ世話ないわよ。私が付いて行っても構わないけど、報酬は増やしてもらうわよ。当然、別手当もね」

『それはお高い。いや、今回は一人で行くよ。事前調査で今後の予定も立てないと行けないし、もし何か都合が悪ければ中止にすればいいんだしな』

「そう。それなら、終わった後に、連絡してきてよ。快く電話に出るわよ。結果どうあれ、費用はいただかないとね」

 窓から見える月明かりの景色を眺めながら窓枠に置いてある小型プレーヤーを端に寄せた後、その場所に右肘を立てた。

「で、決まった場合の連絡は? 出来るだけ早いほうがいいんだけど」

『数日前には連絡する。来てもらうのは当日にはなるが……龍麻と葉月も行くから、連絡は龍麻の方から伝えるように言っておく、二人の身近にいるからな』

「葉月も? なら葉月に伝えればいいんじゃない? 全部ちゃんとやってくれるわよ?」

『葉月は今受けている依頼がないからって、わざわざ手伝いを申し出てくれたんだ。それなのに連絡役なんて仕事を増やすわけにはいかないだろ? 龍麻なら急用で、もし連絡が取れなくても直接足を運んで伝えれるから、連絡役としては適任なんだ』

 その言葉に篠宮が頷いた。

「はっはぁーん、なるほどね。まあそういう所しか役に立たないしね。そういう事ならわかったわ。私は気長にその連絡ってやつを待てばいいのね」

 別れの言葉を交わした後、携帯から流れる話中音を篠宮が切った。

 窓に目を通し、しばらく外を眺めた後、小さく息を吐き、椅子から立ち上がった。

――――――――――――

 稲光が走り、轟音が地面を揺らした。

 龍麻の肩が一瞬上がり、後ろへと振り向かせる。

 一瞬の静けさの後、暗闇から聞こえてくるのは葉を叩き付ける雨音だけだった。

 呆然と外を眺めていた龍麻に、篠宮の声が飛ぶ。

「――で、あんたはなんて言われたのよ?」

「――えっ!?」

 再び上がる肩。龍麻は振り返り、少し間を空けた後、話を始めた。

――――――――――――

「えっ? 一人で?」

 龍麻の目が麻祁の背へと向けられる。

 伸びる上半身。開かれた押し入れに向かい、麻祁は中に置いてあるザックへと数種類の道具を入れていた。

「ああ、今回の依頼は事前調査が出来ないからな。請けた以上それなりの最低限の事は調べないといけない」

「それで一人で? でも、別に時間を置いてからみんなでいけば……」

「私もそうしたいが、そうも言っていられる段階ではないからな。期限はなくとも依頼者には信頼の為に進行状況を細かく報告しなければならない。そう長々と時間を掛け無言でいるようでは、ただ不安にさせるだけしかないからな。――だから私が行くんだ」

 詰め込みの作業を終えた後、麻祁は襖を閉め、テレビと向かい側の机の前に腰を下ろした。

 置かれたリモコンを手に取り、部屋の角に置かれたテレビの番組を切り替える。

「現場に直接出向き調査をして、そのまま依頼を受けれるかどうかを見てくる。状況によっては中止か続行か、のどちらかになるんだから、その時はちゃんと伝えるよ」

「……そりゃ中止になった方が助かるけど……、俺が心配してるのは、その……依頼内容でさ……」

 どこか言いにくそうに龍麻は視線を落とし、言葉を詰まらせた。

 麻祁はその様子を気にすることもなく、ただ視線を正面に向けたまま、代わりに口を開いた。

「――行方不明になるんじゃないかと?」

 その言葉に龍麻は顔を上げ、麻祁の目を見て頷いた。

「そんな心配しなくてもいい。それならむしろ皆で向かった場合どうなるんだ? 事前に調べもせず直接現場に行って、それで全員が行方不明になったら誰が助けてくれるんだ? 携帯が確実に繋がる保証なんてなんだぞ、家に置き手紙でもして気付いてもらう待つか?」

「んー……それはそうだけど……なら、先に伝えておくってのは? ほら、椚さんとかにさ」

「それは先に伝えておくが、実際に迷うとなると見つけてもらうのに二日以上はかかる可能性が出てくる。椚には椚の仕事があって、連絡も基本、何か欲しい時のみしか今までしてこなかったからな。迷った時には救難信号なんてそう気軽に送れるわけないんだし、相手が不審に思うのを待つしかない状態になる。そうなると私たちは自身の体を空から探しているかもしれないんだぞ? そんな事態は最悪だ。だから、その不審に最も早く気付いてくれる人が近場にいなければ困るってわけ。最初は私一人で行き、そして連絡役として椚や篠宮達にいつでもすぐ、直接会える人物を残しておく。龍麻、連絡役は任せる」

「俺? 俺が連絡するのか? そ、それなら篠宮に任せたほうがいいんじゃ……」

「篠宮は別件が入ると勝手に動く。もし遠出していた場合電話に出れないかもしれない。連絡は常に六時間おきにするつもりだからな。それなら最初からずっと同じ場所にいて、ずっと暇そうにしている奴に頼んだ方がいいというわけだ」

「それで俺か……」

「もしこちらに来てもらう事があるなら、それを全員に伝えてもらいたい。篠宮、葉月の二人に」

「葉月も来るのか!?」

 龍麻の声が一段と上がる。

「ああ。今受けている依頼がないからってわざわざ手伝いを申し出てくれたんだ。本当に助かるよ」

「本当にね……」

 ふと息を吐き、どこか上の空な様子を見せる龍麻がテレビに視線を合わせた。

 流れる情報番組では明日の天気についてを説明していた。

――――――――――――

「――で、それから六時間置きにメールをもらって、一昨日の夜、泊っている宿泊先までの道のりを教えてもらったんだ」

「それなら私のところにも来たわよ。地図で事前に確認もしたわ。重要なのはそこじゃないのよ、誰が一体このルートを考えたかって話よ」

「そ、それは……俺だけど……」

 その言葉に二人が同時にため息を吐く。

「やっぱりあんたじゃない……」

「いや、麻祁に聞いたらバスで来たって言うから!」

「姉様にすべて聞くより、まずは自分自身でも調べなければいけませんよ。例え相手が信用できる人だとしても、そこに行くまでは何があるかは分かりません。今朝の天気予報も見てきましたか?」

「いいや……」

 龍麻は視線を斜め左へ一度落とした後、首を横に振った。

「事前に調べるということはとても大事なことなんです。遊びに行くだけなら、そこまで丁寧にとは言いませんが、この仕事をやるからには信じられるのは自分の目で見て聞いた情報のみなのです。……今回の件に関しては貴方を責めているように聞こえますが、これも経験の一つです。姉様も多分、もしもの時の為に今回は貴方に任せたのだと思いますよ」

「………」

 龍麻の視線と肩が下に落ちる。

「まあこれ以上とやかく言っても仕方ないわね。時間のかからないタクシーを選ばなかったあんたのミスも大きいけど、何もわかってない人に任せた麻祁式も問題ありってことね。まだ雨と夜だけだから別にいいけど、これが生死にかかわることならあんたをぶん殴ってたわ」

「な、殴るって……」

「とにかくこれからどうするかを考えないといけません。濡れたままここで立って寝るわけにもいきませんし、姉様のいる場所までは近いはずですからそこまで行きましょ」

 そう言いながら葉月はズボンのポケットから携帯を取り出し、電話を掛け始めた。篠宮も同じく携帯を取り出し、画面を触れ何かを始める。

 暗闇に浮かぶ二人の顔を、真ん中にいる龍麻はただ首を振り見ていた。

「もしもし姉様。遅れて申し訳ありません。今そちらに向かっている途中なのですが、突然豪雨に襲われて今納屋に避難しています。……はい……はい」

「…………」

 篠宮が携帯を画面を動かす。

「ここで雨が上がるまで待っていたいですが、もう少しで辿り着くと思うでそちらに向かおうかと思います。……はい、危険なのは分かっていますが、三人いる事ですし、もし何かあっても大丈夫だと思います。……はい」

「…………」

 今度は親指と人差し指を広げ、画像を拡大させた。

 しばらく会話が続いた後、葉月は電話を切り、ポケット中にしまった。それを機に篠宮が携帯を見つめたまま、中央へと歩き出し立ち止まった。

 光る画面に集まる虫のように、二人も中央へと向かい携帯を覗き込む。

「今いるのはこの場所。で、麻祁がいる宿坊はここよ」

 画面に現れる緑に染まる地図から篠宮が右へと指を動かすと民家などの建物が現れた。

「……道からは逸れてますが、そう離れてはいませんね。このまま進み、川沿いの道路に出ればすぐですし」

「ええ、ただ問題は雨よ。一応道路までの道筋は開いたとしても、下はぬかるんでいるし、もし何かあった時は厄介だわ」

 降りしきる雨はその言葉に同調するように一段と激しさを増し、トタンを叩きつけた。

「最悪ここで寝泊まりもありますが、まだ時間はありますし、少し待ちましょ。気まぐれ雨のようなものですから、もしかすると止むからもしれません」

「本当に止むと思ってんの?」

 篠宮の疑いある視線に葉月は軽く首を傾け、さあ? と一言呟いた。

 その答えに篠宮は言葉を返すことなく、入り口へと顔を向け、外を眺めた。

 葉月、そして龍麻も釣られるように外を見る。

 降り行く雨は絶え間なく暗闇から音を上げ報せを伝えてくる。

 葉は揺らぎ、そして何時しかしとしと鳴き始めた。

 三人は顔を見合わせた後、納屋から急ぎ飛び出した。

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