三節:密林

 草木を掻き分け龍麻は前を走る。

 先ほどまで見えていた麻祁の背はもうない。

 目に入るのは周りを取り囲む背丈数分ぐらいの木々だけだ。

 見知らぬ土地で一人残された龍麻はただ前へと走るしかなかった。

 息を切らしながら考える頭の中は荷物の事よりも、なんとか麻祁の背が見えることを願い続けていた。

「はぁ、はぁ、はぁっ!!」

 呼吸が一段上がり、目が見開く。前に麻祁の姿があった。

 顔を上げ、一本の木を見つめている。

 龍麻は麻祁の横で止まり、両膝に手を置いた。

「はぁ、はぁ、み、見つけた……」

 汗に濡れる顔を上げ、大きく息を吐いた後、背を伸ばす。

「に、荷物は……?」

「あそこだ」

 麻祁が顔と視線で場所を示す。龍麻はそれを追うように顔を上げた。

 生い茂る葉から漏れる光。ゆらゆらと揺らめくその間に猿の影が見えた。

 耳を澄ませば上からもその小さく高い鳴き声が聞こえてくる。

「あの荷物を持って上がったのか? すごいな……」

「感心したいがこのままでは困る。なんとか回収しないと」

 胸元で両手を組んだままの麻祁はそう言うも、じっと上を見つめたまま動く気配を見せなかった。

 その姿を横で見ていた龍麻は、自然と開く口を閉じぬまま頭から足へと視線を走らせた。

「どうするつもりなんだよ? ってより、動かないのか?」

「動くったってあんな高い所……龍麻に登ってもらうかとは考えてはいたが……」

 麻祁が視線を変えることなくそう答える。

「登れるわけないだろ!? こんな木!」

 眉間を歪ませた龍麻が木の幹を指した。

 二人の前にある幹は他の木と比べると厚めであり、表面のゴツゴツとした見た目からもその感触を伝えてくるものだった。根本も大きく張っており、そこに何百年と滞在する老樹なのが見て取れる。

「これだけ荒い目があるなら登りやすいんだけどな……」

 麻祁がどこか残念そうな物言いをする。

「じゃ、登ればいいじゃんかよ。俺がその荷物持つから」

「私が登ってもいいが上だと自由に動けず、また逃げられたり、もし荷物を落とすと後に支障が出るから迂闊に手は出せない。せめて荷物のある場所だけでも分かればいいんだが……」

 その言葉に龍麻は顔を上げた。視界に入る木の枝、射し込む光と葉の影が重なりその場所を隠している。

「――登ってみる」

 そう言った後、麻祁は荷物を降ろし、龍麻に向かい差し伸ばして来た。

 龍麻がそれを片手で受け取る。――沈む腕。

 麻祁は地面から飛び出す太い根を器用に蹴っていき、幹へと足を掛けた。

「私が登って荷物を落とす、しっかり受け取れよ」

 手を伸ばし、足を動かす麻祁の体は少しずつ上へと登り始めた。

「受け取れってあんな重いものをか? 取れるのか?」

「取れるには取れる。が、確実に両腕は折れるかもしれないな」

「はあ? なんだよそれ! あぶねーじゃねぇーかよ!」

 互いに距離は離れ、聞こえてくる声は徐々に短くなる。

「運が良ければ……折れないさ」

 麻祁が葉の中に上半身を突っ込ませた。その様子を龍麻は木の真下から僅かに離れた場所で眺めていた。

「なんて言ったんだよ最後……」

 口を開けたまま、ガサガサと揺れ動く影をじっと見つめる。

 葉の擦れる音が激しさを増し、それに混じる様に一匹の猿が声を上げた。

 木から木へと横に大きな影が飛び移る。

 龍麻は急ぎその影の跡を追うように目を合わせた。――その時だった。

「あぶなっ!!!」

 重量のある沈む音と共に龍麻の足元で僅かに砂煙が舞い上がった。

 自然と龍麻の目がそれに向く。そこにあったのは緑色のザックだった。

 麻祁がするすると木から降りて来ると、両手を二回叩き、ザックを拾い上げた。

「取らなかったのか」

 平然と口から出される言葉に龍麻が右手を払い声を出す。

「取れるわけないだろ、そんな重たいもの! だいたい一体何が入ってんだよ、その中に!」

 龍麻の問いに、麻祁は表情一つ変えず、ザックを背中に通した。

「道具だよ道具、これから必要あるね」

 いつものように返ってくるいつもの答えに龍麻はため息を吐いた。

「いっつも大事な事は言わないけどよ……俺は危ないもの運ぶのとか嫌だぞ……」

「心配せずとも取り扱いはちゃんとしてるさ。それより横に並ぶ私だって危ないんだ。まきぞいなんてごめんだ」

「それは俺のセリフだって! いつでも爆発するような爆弾が横にいるようなもんだぞ? ……でこれからどうするんだ? あのわけのわからない人達とは離れたみたいだしさ」

 龍麻の問いに、麻祁は迷うことなく答えた。

「都合がいい。おかげでこちらが自由に行動できるようになったからな。後は、もしまた会った時に不自然な動きさえしなければいい」

「不自然って……どんな動きしたらダメなんだ? 同じ場所に行くってのに……」

「データ、データ言わなければいい。あくまでも仲間を捜すように、ほら怯えた表情でさ」

「怯えたって……そりゃあんな銃見せられたら誰でも怖くはなるけど……俺はそんな演技みたいな事なんて……ッ!!」

 突然、銃声が連続で鳴り響いた。一斉に鳥達が羽ばたき、猿の声が騒ぎたつ。

「な、なんの音だよ!? 撃ったのか、まさか!?」

 両肩を縮め、驚いた表情で辺りを見渡す龍麻の横で麻祁はその睨む様な視線をさらに細めた。

「なにを撃ったかだな……猿か」

「猿? なんで猿を……まさかさっきあったあの猿を?」

「あれは悪さなんてしないだろう。別の猿の可能性が高い」

「……どうするんだ? ここを離れる?」

 龍麻の問いに、麻祁は首を横に振った。

「いや、無理に動かないほうがいいだろう。大体の場所はさっきの銃声でわかるが、どういう状況かも分からないのに動いて誤認されては困る」

「じゃ、しばらくここに?」

「ああ、木の影に隠れてすこし待った方が利口だ。焦って建物に入っても鉢合わせになる可能性が高い。数分待ってから、先に銃声の合った方へと行って確かめる」

 そう言った後、麻祁が先ほど登った木の根元へと歩き、ザック外しては腰を下ろした。

 龍麻も慌ててその横へと並び、共に影へと身を潜める。

 それから二人の間には言葉などなく、麻祁は一人首を動かす龍麻の横で、取り出していた菓子箱をただ眺めていた。

―――――――――――

 土を踏みしめ麻祁が前を走る。

 その後ろから龍麻が懸命に麻祁の背を追いかけていた。

 先ほどまで聞こえていた猿や鳥の声はもうない。ただ土を蹴る二つの足音だけが耳元で鳴っていた。

 ふと麻祁が立ち止まった。龍麻もそれに合わせ立ち止まる。

 肩で数回呼吸を繰り返した後、顔を横にずらし、その前を見た。

「えっ……」

 龍麻も目が見開く。――迷彩服の男が一人倒れていた。

 頭から少し離れた場所にはキャップ付きの迷彩帽と赤い液体に浸る黒毛の猿がいた。

 麻祁は倒れている男に近づき、腰を下ろす。

 足から頭へと視線を動かし、真横に向いている顔に合わせる。

 開いた目に顎から涎を垂らす口元。後頭部の髪は赤黒く濡れ同化していた。――すでに生気などは見られない。

 麻祁は辺りを見渡した後、顔を上げ、すぐに下ろした。

 しばらく地面の土を眺めた後、今度は男の前にいる猿の死体へと近づく。

 同じく頭を下げていた龍麻はその理由など見つけられないまま顔を上げ、猿を調べている麻祁に気付いた。

「いったい何があったんだ? ……仲間割れ……じゃないよな? まさかその猿が何かしたのか?」

 龍麻の問いに、麻祁が立ち上がった。

「現状を見るなら猿に殺されたと見ていいだろう。頭から出血してるし、よく傷口を見てみない事にはハッキリと言えないが、銃創ではないだろう。仲間を撃つとは思えない」

 その答えに、龍麻が表情を歪ませた。

「でも、それじゃどうやって? その猿にそんなこと出来るのか?」

 再び問われた麻祁は男の足元から少し離れた場所を指した。

「そこに木の根が飛び出している」

 指し示すその先を龍麻が追いかけ捉える。そこにあったのは肥えた茶黒い地肌から飛び出す木の根だった。

「これは?」

「木の根。そこから生えてるんだけどね」

「いや、それは分かるんだけど……これがどうしたのかなって……」

「罠だよ。簡易的だけど」

「わな?」

 龍麻が再びその木の根を見た。飛び出す周囲の土は妙にへこんでおり、ふと少し離れた場所を見てみれば、同じような物が数か所あった。 

「猿が掘って仕掛けたって言うのかよ?」

「そう考えると何かと都合がいい……まあ、普通に考えてもあり得ない話だけど」

「なんのために罠を? 獲物を狩るためとかじゃないよな?」

「その可能性も捨てきれんだろう。どうやらこの島は他種族の猿も生息しているみたいだし、必要分の餌が無ければ喰らう可能性は十分ある」

「……共食いするっていうのかよ……」

「共食いったって、チンパンジーと猿は元々違うからな。ここに死んでいるのはチンパンジー。頭に妙な機械が付いてるし、被検体の一匹と見ていい」

 二人の視線が猿の死体へと向けられる。頭の部分をよく見てみると、左側頭部辺りにアンテナのような物が飛び出していた。

「あの手話をしてきたのは?」

「あれもチンパンジー。荷物を取っていったのは猿。尻に尻尾が生えているかどうかで判断するのが早い」

「……じゃ、このチンパンジーがこの人をやったと? ……なんでそんなことを……」

「この罠は他の猿を捕らえる為に作ったかもしれないが、人を殺す理由まではわからない。餌かもしれないし、もしかしたら復讐かもしれない。何かと嫌な事をされれば恨むものさ」

「…………」

 龍麻はそれ以上何も言う事はなく、ただ地面に寝転ぶ二つの死体を見ていた。

 その場から動こうと麻祁が向きを戻した時、突然、葉の揺れる音が辺りに広がった。

 二人が咄嗟に音の鳴る方へと顔を向ける。そこには一匹のチンパンジーがいた。

 つぶらな瞳に黒く短い毛。それはあの時手話を見せたチンパンジーだった。

 キョロキョロと辺りを伺うような挙動を見えながら近寄って来る姿に、麻祁も歩み寄り距離を詰めた。

 腰を下ろし、視線を合わせる。

 その瞬間、チンパンジーは半開きの両手に人差し指と小指を立て、甲の部分を表にした後、合わせた小指を離し、表、裏、と動かした。

 同じ動きを数回繰り返す姿を二人が見つめる。

「さっきから同じことを言ってるのか? ……確か人々だっけ」

「ああ、だが何を指しているかはわからない。本当に生存者がいるのか、もしかしたら自分の仲間かも。もしくは傭兵を指しているのか」

「――罠ということは?」

「選択の一つとしては入れてもいいかもしれないが、可能性としては低く見ていいだろう。頭にあの機械は付いてないし、何よりもしこの傭兵を誘導してきたと考慮しても仲間の死を前に再び姿を見せるとは――ん?」

 麻祁の体がぐっと前に動いた。右腕を見るとそこにはチンパンジーの長く伸びる左指が絡みついていた。

 何度か引かれた後、その手が離れ、今度は親指を立てるとそれを手前に引いた。反対側では高く上げていた右手をまるで呼ぶように上下ぶらぶらと動かしている。

 同じ動きを何度か繰り返した後、麻祁の右手を握ったままその横を通り過ぎる。

 麻祁は立ち上がりその後を目で追った。チンパンジーはキョロキョロと辺りを見渡しながら二人の後ろへと回り込んだ。

 それ以降は何かを示す動きはなく、ただ辺りを動き回っては、たまにこちらを伺うような素振りを見せるだけだった。

「また何か言ってるのか?」

「……どうやら着いて来いと言っている」

「えっ? 着いて来いって? ……大丈夫なのかよ……」

 龍麻が不信に満ちた表情をチンパンジーへと向けた。

 そんな気も知らずか、チンパンジーは両手をぶらつかせては地面の土を跳ね上げていた。

「丁寧に向こうに人がいると教えてくれてるんだ。わざわざ罠のある場所にそれで案内するとは思えない。……ここは二手に分かれよう。荷物を――」

 そう言うと麻祁がザックを下ろし始めた。龍麻も合わせるようにすぐにザックを背中から外し、地面へと置いた。

「分かれるって……麻祁はその人がいるところへいくのかよ?」

「いかないよ、行く用事がないからな。私は資料のある場所に直接行く」

 手際よく龍麻のザックから菓子箱を取り出すと、自身のザックへと詰め始めた。

 最後に居場所の無くなったツバ付きの帽子を自分の頭に被せ、立ち上がる。

「お前はあの猿に付いて行けばいい」

「ええ……大丈夫なのかよ……」

「この辺でうろうろしているよりかは安心だ。喋れないのにわざわざ付いて来いって言ってくるぐらいだし、何かの意図は必ずある。ほら、これでも被れば人だってのはバレない」

 ツバ付きの帽子を駄々をこねる龍麻の頭に被せた。

「こんなので隠せるわけないだろ?」

 龍麻がツバの部分を僅かに持ち上げて、覗くように麻祁を見る。

「そうか? 私には猿も人も同じように見えるけどな、むしろ猿の方が賢いと思うが……ほらザックも、もし向こうで何か見つけたなら回収を、当然そこに入る物をな」

 麻祁が龍麻の足元に置いてあったザックを手に取り、差し出した。

 龍麻はそれを受け取ると、渋々背中に掛ける。

「――猿の死体か?」

「それを入れるなら今ここにいるのでもいいが……これは後で私が回収しておく。帰りならバッグの中は空いているし、それより早く――」

 龍麻の右肩をポンと叩き、一匹待つチンパンジーへと向かい押し出した。

「――待っている。全ての作業が終えたら私も合流する」

「場所は大丈夫なのかよ? ここ結構広いんだろ?」

「進む方角さえ間違えてなければ大体の場所は特定できる。ここの地形は頭に入れているからな。もし心配なら十六時に船の場所に集合すればいい。時計あるんだろ?」

「ああ」

 龍麻がポケットに手を突っ込み、中からアナログ式の腕時計を取り出した。

「船着場までは地面を見ればいい。木の生えてない土の道、施設のない方へと目指して歩けばいつかはたどり着く」

「……本当かよ?」

「嘘だと思うなら密林の何かを歩けばいい。まあ、なんとかなるさ。それじゃな」

 そう言った後、麻祁は背を向け、駆け足で木々の中へと姿を消した。

 一人残された龍麻は不安そうな表情のまま一度ため息を吐き、後ろにいるチンパンジーの方へと振り返った。

 大人しくその場に座り込み、じっと見ているその姿に龍麻は右手を差し出した。

「じゃ、案内してもらおうかな」

 チンパンジーはその右手を掴んでは体を持ち上げると、案内するように龍麻の前を歩き出した。

 一匹と一人は覆い茂る密林の中へと姿を潜らせた。

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