二節:三人の迷彩

 獣の様な尖った目で男が麻祁を見ていた。

 手には重量のある小銃が構えられており、何も語る事のないその口を向けている。

 麻祁は抵抗することなく両手を上げていた。後ろにいる龍麻も同じく小銃を持った二人の男に挟まれ、両手を上げている。

 互いに掛ける言葉もなく、しばらく時間が過ぎる中、先にそれを裂いたのは麻祁の横にいた男だった。

「誰だ? 目的は?」

 男の言葉に麻祁はすぐに答えた。

「以前ここで働いていた作業員です。用事がありここに来ました」

 男の視線が一瞬、龍麻の方へと向けられる。

 背筋を伸ばし、上げた両手の先を小刻みに震わせている龍麻。男が視線を戻す。

「目的は?」

「ここを出る時、一緒に作業をしていた彼とはぐれてしまって……後で本社に確認したところ、わからない、と言われまして……それで気になって……」

「彼?」

「私の……その……付き合っていた人です」

 そう言った後、顔を伏せる麻祁に対し男は言葉の一つも掛けることなく、龍麻の左側にいる長身の男に顔を合わせた。

「エス確認を」

 エスと呼ばれた長身の男は小さく首を振った後、自身の後方に広がる葉群れの中へと潜り込んでいった。

 姿が消えたことを確認した男は、次に龍麻の方へと顔を向け問いかけた。

「君も同じ目的で?」

 その言葉に龍麻は何度もうなずいた。

「は、はい、同じ、同じです……」

 どこか呂律の回らない言葉に男の視線が少し狭まる。

 聞こえる葉音。エスが姿を現し、男の耳元に近づく。

「ダメだ。まだ返事はない」

 その言葉に男は呟くように返し、垂れる銀髪の横顔に視線を送った後、左手を上げた。

 それを落とすと同時に構えられていた銃口が一斉に下がる。

「すまなかった。怖い思いをさせて」

「いえ……」

「ここに人が来る話は聞いてなかったからな。悪いが何か証明になるようなものはあるか?」

 問い掛けに麻祁は顔を見合わせることなく答えた。

「身分証は持ち合わせてないです。食料と携帯以外は全て宿泊所に預けて来てますし」

「……荷物の中を見せてもらっても?」

「かまいませんが……」

 麻祁の目が迷彩の袖に包まれる小銃へと向けられる。

 男もその視線に気づき、自身の手元を見た後すぐに目を戻した。

「俺達は傭兵……民間の軍事会社で派遣されてここに来た。……ここの事態は知っているだろ?」

 その言葉に麻祁は、はい、と答え、僅かに頷いた。

「でも、あまり詳しくは……突然の警報音だったので……」

 視線をチラつかせ、どこか落ち着かない様子を麻祁が見せる。

「……ここでやっていたことについては何も知らないのか?」

「猿を使った何かだとは聞いています。でも、詳しくは……私は麻酔など薬品の管理をしていましたので……」

 男の視線が龍麻へと向けられる。それに気づいた麻祁は龍麻の方に体を傾けた。

「彼も同僚です。私が相談したらここに行こうって言ってくれて……数日は彼からの連絡を待っていたのですが……でも……」

「どうやってここまで?」

「飛行機で八島まで飛び、そこからフェリーで二回島を渡って、この島の近くにある島で船に乗せてもらいました。以前も物とか人をこちらの島まで運んでいたとお聞きしていたので……最初は断られたのですが無理をいって何とか連れてきてもらいました」

「……そうか。荷物の確認はいいか? 一方的で申し訳ないが、一応注意もしないといけないからな」

 男の言葉に麻祁は不思議そうな顔を見せた後、背中のザックを降ろし始めた。

「注意……ですか?」

「――それぞれ色々な目的があるからな」

 地面に置かれたザックを男が開く。

 中にはツバ付きの帽子とお茶の文字が入った液体入りのペットボトル、そしてスティック状のお菓子が描かれた長方形の箱と携帯が入っていた。

「……助かる。彼の荷物もいいかな?」

「私は構いませんが……」

 二人の視線が龍麻に刺さる。

 それに気づいた龍麻は首を縦に振り、背中のザックを降ろした。

 横に居たもう一人の迷彩帽の男がザックの中を確認する。

 ファスナーを開くと中には円形のチーズケーキが描かれた菓子箱があり、他に積まれた箱のどれもが菓子箱だった。

「チーズケーキのお菓子です」

 その言葉に男は軽く頷くと、麻祁の方へと体を向けた。

「菓子類ばかりだな」

「賞味期限が長く、即席で栄養のあるものを選んできました。……本当ならおにぎりや缶詰などを持って来ようかと思ったのですが、ここに来るまでに日にちが経ちますし、缶詰だと重さや開封の手間もあるので、とりあえずお腹の埋めれるものをと思いまして……」

「……わかった」

 男が他の二人に視線を送る。龍麻の近くにいた男たちが麻祁の元に集まってきた。

「今後について少し仲間と話し合いたい。時間はかまわないか?」

 男の問い掛けに麻祁は頷いた。

「ええ、大丈夫です。私達もいいですか?」

「ああ、それじゃまた後で――行こう」

 男が首を動かし右をさした後、二人を連れて奥へと歩いて行った。

 麻祁はその後ろ姿を見届けた後、龍麻の方へと近づく。

 二組は目に入る声の届かない場所まで距離を空けた。

 集まる迷彩服を遠目に二人の会話は龍麻の声から始まった。

「大丈夫なのかよあれ? 銃とか持ってるぞ? 民間の軍事会社とか言ってたしよ……」

「それで間違いない。本社が雇った傭兵だ」

「銃とかどこで調達するんだよ? 違法じゃないのか?」

「ここは海の真ん中だ。近くに別の国もあるし、入手方法なんていくらでもある、見つからなければいい」

「見つ……どうするんだよこれから」

「出会った以上、私達から今行動に移すのはきつい。あいつらと目標は同じだからな、目的は違えど」

「回収?」

「ああ、資料の回収で間違いない。まあ、話には聞いていたからな、それほど驚く事じゃない」

「俺は聞いてなかったぞ?」

「――そうだっけ?」

 横目をチラリと見せる麻祁に龍麻はふと息を吐いた。

「そうだよ……」

「まあ、何かあった時の陽動には使える。今頼れるなら頼ろう、その方がなにかと楽でいい」

「楽って……」

 不安の混じった二つの視線が、話し合う三人の男へと向けられた。

――――――――――

 迷彩帽の男が二人の様子を見ていた。

 僅かに動く口元から紡ぎ出される言葉を読み取ろうとしている。しかし――、

「どうするんだ?」

エスの言葉がそれを遮った。

 男の視線が自身を挟み会話をする二人の男へと向けられる。

「連絡が取れない今、とりあえず同行を願うしかないだろう。荷物の中もここまでのルートに関しても可能の範囲で不自然な所はない」

「確かにそうだが……もう少し調べてもいいかもしれないぜ。俺はあの荷物の中の箱の中身が気になる。何かの道具と入れ替えてる可能性があるしな。こんなところにあんな甘い物持って来るか普通? ピクニックじゃあるましよ。残ってる作業員に食わすとかいう理由ならもっと他にあるだろうよ」

「俺もそう思うが、これ以上深く聞くならこちらも手を見せなければならない。もしあいつらが本当にここの作業員なら、銃を持つ俺達の方が異常者に見えるからな。威圧して不信感を持たせたまま帰した所で後から変な噂を立てられちゃ、依頼主の耳に入った時なんて言えばいいんだ? その顔にわざわざ泥を塗りたくるかもしれない行動は絶対にできない」

「それなら相手が下手打つまで見続けるってのか、ケイ?」

 ケイと呼ばれた、がたいの良い男が頷く。

「それしかない。連絡はつかないんだろ? 本当に誰かを置き去りにしたかどうかさえ確認が取れるならすぐにあいつらの嘘を引き出すことができるが……」

「…………」

 エスが眉をひそめ、僅かに顔を逸らす。少しの間の後、

「……ああ、電波は通じるはずなんだがな……」

渋る様に答えた。

「そう急ぐことはない。このまま同行していれば必ず答えは出てくる。それにもしあいつらが俺達と同じ同業者か何かだとしても、銃があるなら先に足止めぐらいは出来る」

「誰がそれを――?」

「……俺がやろう。お前たちがわざわざ手を汚すこともないだろう。中央施設までついたらエーと共に目標に向かえばいい、後は俺が見張るから」

 言葉が飛び交う中、迷彩帽の男は再び麻祁達の方へと顔を向けた。

 こちらをじっと見ている二人の視線が目に入る。

「エー」

 エーと呼ばれた迷彩帽の男が肩を上げ返事をする。

「はい!」

 振り向くとそこにはエーを見下ろす二人の顔があった。

「俺達は前を行く。お前は後ろについてアイツらを見張るように――もし不自然な動きがあったなら、俺達に声を掛けに来い」

「はい!」

 曇りのない返事に対し、ケイは納得したように頷いた。

「足を進めよう。数時間で終わる仕事だ」

 男達の顔が二人に向けられる。

 真っ直ぐとこちらを見てくる視線を前に、三人は二人との距離を詰めた。

――――――――――

 五人の男女は縦に列を並び、日の跳ねる道を歩き続ける。

 間に言葉などはなく、ただゆらゆらとそれぞれが背中のバックパックを上下に揺らしていた。――唯一耳にするのはどこかで鳴く複数の猿の声だけ。

 龍麻がふと左側に顔を上げる。少し離れた場所、そこには白い建物の角がみえた。

 全体の大きさまでは分からないものの、緑と青に囲まれたその空間には似つかわしくない物なのは見て取れる。

「……あと少し」

 龍麻は小声でそうつぶやいた後、顔を麻祁の背へと戻した。

 しばらく揺れ動く中、ふと左側の密林から土を蹴り何かが飛び出す音が聞こえた。

 一瞬にして走る緊張。全員の身体が無意識に左に傾く。

 ケイの構える小銃が正面の植物から下の土へと動く。

 銃口がピタリとある場所で合わさり止まる。そこには一匹の猿がいた。

 黒く短い毛につぶらな瞳。身長は今並ぶどの人間よりも遥かに小さく、その年を現していた。

 猿はキョロキョロと前に並ぶ視線に目を散らせた後、ケイとエスに向かい両手を動かし始めた。

 半開きの両手に人差し指と小指を立て、甲の部分を表にして見せる。その後、小指同士を重ね合わせると、平、甲と交互に払うように横へと広げた。

 呆然とする二人を前に二回ほどそれを繰り返した後、今度は立てた両手をグッと握りしめ、両肘を下ろす。

 奇妙な仕草を繰り返し見せつけてくる猿に、二人の男は小銃を握りしめたまま、ただ立ち尽くしていた。

「なんだこいつ? なんか言ってるのか?」

 エスの言葉にケイは首を傾げた。

「さあな、手話っぽいが……」

 悩む二人を横に麻祁は少しだけ腰を屈め、猿の動きを見続けていた。

 その様子に気づいた龍麻が少しだけ腰を落とし、耳元で問い掛ける。

「なにか言ってるのか?」

 その言葉に麻祁は腰を上げた。

「手話ですね」

「手話だと? なんて言ってるんだ?」

 ケイの声で四人の視線が麻祁へと集まる。

「人々、いる、といってますね」

「人々、いる? 人々って……俺達のことか?」

 エスの問い掛けに麻祁は、わかりません、と答えた。

 麻祁は再び猿と目線が合うように腰を下ろすと、握った右指四本を右頬に当て、二回擦りつけた。

―誰。

 次に人差し指で自分を指し、水平の伸ばした指先で胸元を切るように動かした後、肩辺りで指を曲げ、それを止める。

――私達。

 その二つの動きを何度も繰り返す。猿はその意味を読み取るかのように、瞳をじっと指先に合わせ続けていた。

 麻祁が手を止め、少しの間だけ対応を見る。……だが、猿は瞳を動かすだけで両手は地面につけたままだった。

「なんて言ったんだ?」

 エスの問いに麻祁が答える。

「私達がその人々の事を指してるのか、を聞いてみました」

 その言葉にエスは猿を見た。

 先ほどとは違い両手を動かすことはなく、そのつぶらな瞳で様子を伺うように四人を見上げている。

「……伝わっているのか?」

「わかりません。……でも私達以外の人々となると、他の誰かがこの島に居るという事になります。……もしかしたら私達が探している人かも……」

「……場所は聞けるのか?」

「……やってみます」

 麻祁が伝える為に手を動かそうと前に差し出した、その時だった。

 猿が咄嗟にその指を掴んだ。

 合う瞳と瞳。一度瞬きした後、手が離れる。

 息を荒げる猿。半開きにした右手で口元を何度も払う仕草を見せる、や否や、今度は下ろしていた左の五指を立てたかと思うと、その上でまるで皮を剥く様に右手を上から下へと動かしはじめた。

 忙しくなる動きに麻祁が龍麻の名前を呼んだ。

「龍麻、バックの中から食べ物を」

「た、食べ物?」

 突然の要求に龍麻は一人慌ただしくバックを降ろし、中からチーズケーキが描かれている菓子箱を取り出した。

「はい」

 声と共に差し出される菓子箱を麻祁は受け取ると、それをそのまま猿に手渡す。

 猿はそれを受け取るとすぐに足元に置き、横にした左手の甲に右手の小指を当てるとそれを持ち上げる仕草を見せた。

 掛ける声もないまま再び箱を手に取った後、そそくさとその場を離れ密林へと姿を消した。

 訳も分からないまま一方的に過ぎていく光景。四人が呆然としたままその場に置かれる中、麻祁は腰を上げた。

「結局なんだったんだ?」

 ケイの疑問に麻祁がすぐに答えた。

「どうやら食べ物が欲しかったみたいですね」

「食べ物?」

「ええ、さっき動きはリンゴとか果物を表してました」

「それでお菓子を? ……誰かに渡すのかあの猿は……?」

「――さあ?」

 五人の視線が前に広がる密林へと向く。

 なんとも言い難い空気の中、ケイが声を出した。

「まあいい、それよりも前に――」

――猿の声に何かを地面に引きずる音。

「あああああーー!!!」

 突然龍麻が声をあげ、追いかけるようにエーの方に体を向けた。

 他の四人もすぐに龍麻の見ている先を追う。そこにはずるずると緑のザックを引きずる一匹の猿がいた。

 体より上に伸びる長い尻尾に茶色の毛。その身長に見合った早さで振り返る事もなくただ一途にザックを擦らせ、密林の方へと姿を紛れ込ませた。

「俺の荷物が!」

「すぐに背負わないからだろ!」

 麻祁がすぐさま猿の後を追いかける。

「――えっ?」

 その行動の早さに龍麻は一瞬気が抜けるも、迷うことなく密林へと姿を消した麻祁の背を追いかけた。

 まるで突風が吹き荒れては静まったかような始終の光景に、三人の男達は掛ける言葉を見失い、ただ見続けているだけでしかなかった。

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