一節:晴天の下

 風もない炎天の青空。

 作業着姿の龍麻が額から流れ出る汗を拭った。

「あっつ……」

 右手で扇ぎ、生暖かい風を送っては顔をあげる。

 視界に入るのは側面で高くそびえる熱帯植物から伸びる樹葉と、そこから覗き見える光しかなかった。

 ため息と共に扇いでいた手を下ろし、今度はうなだれる。

 少しばかりずれ動いた背中のザックを直し、顔を前に戻す。

 そこには同じ作業着姿の麻祁の姿があった。

 小柄な灰色の背中には、一回り大きめのザックがゆさゆさと揺れ動いていた。

 その後ろ姿を静かに見ていた龍麻が声を掛ける。

「なあ、まだなのか?」

 その言葉に、麻祁は立ち止まる事もなく、すぐに返答した。

「まだ」

 再び龍麻からため息が出る。

 奇妙な形をした植物に挟まれながら、砂利を踏む音を鳴らし二人は歩き続ける。

 何処ともなく鳥が鳴いた。甲高く尖った声に、龍麻が反応し振り向く。

 だが、目に入るのは横へ流れ行く幹だけで、そこに変化など起きてなかった。

 ただの生え並ぶ熱帯植物を見ている中、龍麻の頭にはふと数週間前の記憶が蘇っていた

――――――――

「おかえり」

 ベッドに寄り添い、携帯を弄っていた龍麻が顔を上げ、戻した。

 一瞬だけ向けた視線の先、そこにはザックを背負って帰宅した麻祁の姿があった。

 押し入れを開け、自分の寝室である上段にザックを置き、中を漁り始める。

「来月の十三日、少し用事がある」

 突然告げられる言葉に、龍麻は携帯を見つめたまま僅かに首を傾げた。

「来月? へぇー……来月……」

 打っていた文字を止め、ホーム画面からカレンダー見つけると、日付を動かし、麻祁の言った十三を探し始めた。

「十三、十三……三連休、ちょうど土曜日だな」

「ああ、学校も休みだしちょうどいいと思って。それ以外だと授業もあるし、なかなか休めないだろ?」

「たまに黙って休んでるくせに何言ってんだよ。……そういえば、学校にもちゃんと伝えてあるのか? 週に何日か休む時とかあるのに」

「ちゃんと伝えてるさ。もしもの時は椚が仮の保護者として出るようになってる」

「ふーん、なんて言ってるんだ? 病気じゃ……ないよな?」

 太腿から曲がる背へと送られる視線に、麻祁は押し入れから上半身を出し、銀色の髪を揺らした。

「病気でもいいが後々面倒な事になると困るから、親の都合だと言ってある。例えば久しぶりに帰ってきたとか、少しトラブルがあってその為に休むとか。今特別な環境にいるから、いくらでも言える」

「怪しまれたりしないのか?」

「なにを怪しむんだよ。私のやってる事を知ってるのはお前以外にいないってのに、休んでまで遊んでいるようにみえるか?」

 横目で龍麻を見た後、顔を戻す。

 その後ろ姿を見ていた龍麻は少しの間を置き、答えた。

「いや……ぜんぜん……」

「これでも清楚を売りにやってるんだ。周囲との関係も悪くはないし、成績だって平均の上は取っている。出席に関しても、規定の数さえ来ていれば何も問題はない」

「霧崎とかに毎回聞かれる俺は結構困ってるんだけどな……」

「適当に答えておけばいいよ。それに今回はちゃんと予定を立てての出発になっている。三連休だし気軽に休めるだろ?」

「気軽って……どうせ遊びに行くんじゃないんだろ? 変な内容のもんしか受けないし……大体どこに行くんだよ?」

「南の島にバカンスだ。最南端のな」

「最南端?」

「領海水域ギリギリに島がある。そこで妙な実験などをしているらしい」

「実験ってなんの?」

「――猿を喋らせる実験だよ」

 押し入れを閉めた後、麻祁が龍麻の左側に腰を下ろした。

「猿?」

「正確にはチンパンジーだな。人の遺伝子と数パーセントしか変わらないから、それを材に喋らす研究をしているようだ。まあ、数パーセントも違えば、それは生物上近からず遠からずなもんだから、いくら研究しても無駄だと思うけど」

「それをどうするんだ? まさかその猿……チンパンジーの回収って言うのか?」

「猿は目標に入ってない。目標は情報の損壊」

「損壊? 壊すってのか?」

「ああ、パソコンがあるらしいからそれを壊して記録そのものを消すのさ。――楽なもんだろ?」

 ほくそ笑むような表情を見せた後、麻祁がふと息を吐いた。

「資料の消滅? なんか珍しいな……回収とか多いのに……」

「くだらないものはさっさと燃やすにかぎる。正当な依頼だな」

「でも、もったいないとは思わないのかな? ……こういうのもあれだけど、なんかさ」

「――虐遇を与えたかもしれない実験がこの世の為だと?」

 怒るわけでもなく笑顔でもなく、ただいつも見せる表情での問いかけに龍麻の背が僅かに伸びた。

「いやその……それが良いってわけじゃないけどよ……」

 言葉を詰まらせ目を泳がせる龍麻に、麻祁はテレビに視線を戻した。

「まあ、そう思う気持ちは分かるよ。どんな内容のものであろうと、そこでやっていた事には膨大な時間と犠牲がつぎ込まれているんだ。そうみすみすと逃すのは惜しい。だから回収もする」

「回収って、壊すのが目的なのに……ああ、また勝手にもっていくのか」

「人聞きの悪いことを言う。あくまでも『追加報酬分』だよ。それに目標はちゃんと達成するんだ、非などない」

「バレた時に殺されるとかは考えないのか? 大事なもん勝手に取ってるんだしよ」

「その前に命の危険などいくらでもあるんだ、いちいちそんな事は考えない。それにちゃんとそういう事には適切な処理をしてある。よほどじゃないとバレることはない」

「本当かよ……なんか不安だよな」

「心配せずともこの家になんか攻めにこないよ。来るなら学校、しかもそれ相当の準備をしてくるはずだから時間はかかる。それまでに妙な動きがあるならある程度察知できる。……だいたい私達に頼むのだからそれなりの信頼は最初からある。誰かの紹介を伝っ


て来てるわけだから、わざわざその面を潰すような無粋な奴は『ただの阿保』だとしか言いようがないがな」

「なんか強気だな……一体どうやったらそんな考え方になるんだ?」

「慣れだよ慣れ。色々な経験がモノをいうのさ。まあ、今回の件に関しては、ちゃんと依頼主から許可は取ってある。心配せずとも報復はない」

「……なんでもいいが俺は巻き込まないでくれよ? 全然関係ないんだしさ」

「悪いが土日は付き合ってもらうぞ、その為に連休を取ったんだからな」

 その言葉に龍麻の見開いた目が麻祁へと向けられた。掛ける言葉を失い、一瞬だけ間が空くもすぐにそれを埋めた。

「……俺?」

 自身を人差し指でさす。その答えに、麻祁は視線も合わせず、首をわずかに縦に振った。

「ああ、一人しかいない」

「な、なんで俺が!?」

 机に両手を置き、食いつくように龍麻が顔を近づける。

「私一人で行ってもいいが今回の回収にはもしかすると『死体』の回収も関わってくるかもしれない。私は荷物でいっぱいだから、もう一人運んでくれる人がいるんだ」

「死体……? それって……猿か?」

「ああ、実験対象だからな、一応。まあ、無理にしようとは思わない。運よく落ちているのがいたらそれを拾うだけさ。心配しなくても害はない」

「害のあるなしの問題じゃなくてなんで俺が!? 他にいるだろ、葉月とか篠宮が!」

「葉月は予定があって、篠宮には断られた。今頼れるのは一人しかいない。まあ、無理にとは言わないさ。嫌なら一人留守番していればいい、一人ここでな……」

 含みを持たせたようなものの言い方に、龍麻が眉をひそめた。

「……なにかあるのかよ? なんか引っかかる言い方だな……」

「いつものように私がしばらく居なくなるだけさ。一人暗い部屋に帰ってきて、一人過ごすだけ。明日になれば明るい陽射しが部屋に射し込んでいつものように目覚めて起きる」

「…………」

 疑いのある視線を向けたまま龍麻は聞き続ける。しかし、その後の言葉を待ってみても、麻祁の口はそれ以上動く事はなかった。

 しばらく見続けた後、テレビに向ける。

 二人が流れる映像を視聴する中、龍麻の視線だけが机に落ちた。

――――――――

 白く光る地面を踏みしめる靴が細々こまごまと散る石を蹴り飛ばしていく。

 龍麻が顔を上げる。そこには同じ作業着の麻祁がいた。

 背には大きく膨らんだザックを背負い、それを隠すようにして長く垂れた銀髪がゆらゆらと揺れ動いている。

 少し離れ行く背に龍麻は足を速め、声をかけた。

「なあ、まだ着かないのか?」

 不安で歪める表情に、麻祁は振り返る事もせず背で答えた。

「まだ先だな。見えるならここから左側辺りに建物が見えてくるはずだ」

 視界が開かれ道が二つに分かれる。麻祁は迷うことなく右の道を選んだ。龍麻もすぐにその背を追う。

「……道はあってるのか? これ」

「あってる。事前に確認は済ませてるからな。迷うことはない」

「……目標は確か資料の回収だよな。その建物のどこにあるのかも知ってるのか?」

 龍麻の質問に麻祁は半ば呆れたように答えた。

「当たり前だろ? 何も知らずに見知らぬ土地に踏み込むなんて、どれだけ勇猛なトレジャーハンターなんだ? そんな場所に荷物を運ぶだけの同行者を連れても足手まといになるだけだ」

「……なんか酷い言い方だな……」

「罠とか獣の囮には使える」

「より酷い……」

 その後二人の間に言葉は無くなり、龍麻は自分の足元へと潜り抜けていく地面を見ていた。

 ふと猿の鳴き声が遠くから聞こえた。龍麻が反応し音の方へと振り向く。

 蔓の絡まる木々の間に目を通し、声を主を探す。だが、そこに姿などなかった。

「なあ」

 龍麻の呼びかけに、声は返ってこない。

「猿ってさあ、喋れるのか?」

「――喋れない」

「……だよな。普通は喋れないよな……」

 呟くようにそう言った後、口を閉じる。が、すぐに言葉を出した。

「じゃあ、どうやって喋るようにするんだ? なんかの機械とかつける?」

「付けるだろうな。後は脳に何かを埋め込むとか」

「脳に?」

「猿だけではなく他の動物が人の言葉を話せない理由としては口や喉などの構造の問題もあるが、そもそも脳自体がそういった機能を備えてないという話もある。結論はまだ出ていないけど」

「それじゃその……頭をいじって喉も変えれば喋れると?」

「どうだろうな。可能性としては全くないとは言い難い」

「それじゃ他の動物も出来るのか?」

「さあ。だが、犬とか喋れると思うか? あの大きな口で人の言葉なんて」

「うーん……」

 麻祁の言葉に龍麻が首を傾げ、言葉を詰まらせた。

「今回はたまたま人と近い生物が実験対象に選ばれただけだ。こんなくだらない事はこれを機に終わりになるだろう」

「本当に? もしかして他の人がするかもしれない、とかは?」

「ないだろうな。物好きの研究者なら自身の掲げる説を実証する為にするかもしれないが、そんなこと公にすれば批判されるのはわかってるから手は出さんだろう」

「ん? なら今回は誰がやってるんだ? なんかの科学者みたいなのがやってるんじゃ?」

「今回のケースはどこかの民間企業だ。支援者を募って個人でやってる」

「へぇー企業……なんのために?」

「……それがわかるならこんなくだらない依頼は受けない。誰が喋る猿の研究資料を取りに行くんだ? 半分興味本位で来てるようなものだ」

「…………」

 二人の間にそれからの言葉はなく、ただ前に伸びる道をただ歩き続けていた。

 挟む植物の群れが徐々にその数を増やし、二人を取り込んでいく。

 道もない場所へと踏み込み、歩くこと数分――ふと麻祁が足を止めた。

 首をわずかに左へと動かし、その方向をずっと見つめている。

 龍麻も視線を向ける。

 二人の前には鮮やかな色をした熱帯植物が広がっていた。

 様々な高さで葉が重なり合い、奥の景色は見えない。

 龍麻は僅かに覗き見える麻祁の横顔に目を向けた後、すぐに戻した。

 それから数十秒も経たずして、

「――龍麻」

麻祁が呼びかけてきた。

 龍麻は返事をせず距離を詰め、耳を傾ける。

「距離はわからないが、この先に人がいる。人数はわからない」

「人?」

「ああ、獣にしては等間隔の重たい音だ。ここには猿しかいない」

 その言葉に、龍麻は一度植物の壁に顔を向けた後、麻祁に戻した。

「どうするんだ?」

「目標は同じ場所だ。事前にそのことは聞いてある」

「聞いてあるって仲間なのか?」

「どうだろうな? 相手の行動次第だ」

「どういう意味だよそれ……」

「話すか共にして行動を見るかのどれかでしか判断はできない。もし出遭って何か聞かれた時は『ここの作業員』とだけ答えろ。後は私が話を進めるから」

 龍麻の返事を聞かずして、麻祁は背を向けると歩き出した。

 頭の整理がつかず茫然とする龍麻。奥へと進んで背を見ながら、

「一体なんなんだ……」

そう呟いた後、足を進めた。

 二人は葉と弦を踏みしめながら道の無い場所を歩く。しばらくし、目の前に横切る道を見つけた。

 靴底から聞こえる音が幾つもの小石を踏む音へと変わる。

 麻祁は左右に首を振った後、右の道へと身体の向きを変えた。――その時だった。

「止まれ」

 男の声が聞こえた。

 龍麻の視線が咄嗟に麻祁の左へと向けられる。そこには迷彩服をまとった男が立っていた。

 同時に草木をかき分ける音が両脇から聞こえ、今度は二人の男が龍麻を挟んだ。

 自然とあがっていく両手、龍麻の目が間で泳ぐ。

 視線の先、そこには黒く光る銃口が向けられていた。

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