第十一章

 二つ針が天辺をさし時間を示す。しかし、その部屋に眩い明かりなどはなかった。

 あるのは換気口から漏れる光に、吊るされた豆電球だけ。蒸しあがるコンクリートに囲まれた、鉄格子の檻を照らしていた。

 五つ並べられた檻の中には数匹の猿が歩き回り、それぞれ在るがままにその場所で過ごしている。

 突然、声を張り上げ一斉に叫び始める。それに合わせ、二人の男がその部屋に入って来た。

 緑の帽子に作業着を着こみ、口元をマスクで覆っている。

 二人の間には大きな青のポリバケツが担がれており、そこからは様々な果物が顔を出していた。

 男達は左端の鉄格子前にそれを運ぶと、バケツの中から果物を取り出し、次々と檻の中にある籠へと入れ始めた。

 集まる猿たちは求めるように声をあげ、手にしたモノからすぐにその場所を離れていく。

 一人の男が腰にぶら下げていた袋から木の実を取りだし、籠に入れた後、今度は隣の鉄格子へとバケツを運んだ。

 幾つもの小さな手が伸びる鉄格子を前に、慣れた手つきで果物、そして木の実を籠に入れていく。

 一人の男が作業をする中、もう一人の男がふと右端の檻へと近づいた。 

 騒ぐ声の中、一匹だけ声も出さず大人しくいる猿に視線を合わせる。

 バケツには目を向けず、鉄格子に手をかけ、迫る男の目をじっと見つめている。

 男は右手で拳を作ると、こめかみの辺りに当て、それを下ろし、軽くおじぎをしては、向い合せた人差し指を折り曲げる動作を見せた。

 猿も同様の仕草を返す。

 その返しに男は笑顔を見せると、上着裏から一冊の本を取り出し、その猿に渡した。

 猿は本を持ったままの、横にした左手の甲に右手の小指を当てると、それを持ち上げ、その場所を離れた。

 部屋の隅に寄ると、そこで座り、手にした本を開ける。

 その光景を眺める男。

「おい!」

 ふと左側から作業をしていた男が声をあげた。しかし、眺める男はその声を気にもせず、ただ頬を緩め本を見ている猿を見続けている。

「また渡したのか?」

 作業をしていた男がため息を吐いた後、男の横に立ち、横目でその猿を見た。

「これで何度目なんだ? どうせすぐに無くなるのに、渡すだけ無駄だよムダ」

 その言葉に、眺めていた男は立ち上がり、呆れてる男に顔を向けた。

「だって読むものがないと可哀想だろ? こんな所にずっと閉じ込められてさ」

 笑顔を見せるその表情に、男はまたため息を吐いた。

「あのな、それは俺達だっておんなじなんだよ。もう何か月になるんだこんな場所にいて。……毎日毎日掃除や運搬ばっかりで、俺達こそこの猿と変わりがねぇーよ」

「後数か月もすれば休暇の申請が取れるんだろ? それまでの辛抱だよ」

「辛抱ったって、もう俺は飽きてきたよ。給料は良くても、クソの掃除や食いもん運ぶばっかり、だいたい何やってんだ、あの場所で?」

 男が左側に顔を向ける。そこには鉄格子とコンクリートの壁しかなかった。

「さあな、うっすら聞いた話じゃ、なんか動物進化の研究ってのは聞いたけどな……詳しい事までは……」

「俺が聞いた話じゃ、なんかの実験って聞いたぜ? だからこんなに猿が要るってよ」

 払い伸びる左手に、数匹の猿が声を響かせ、手を伸ばす。

「何匹も何匹も、ったく、どっからこんな数捕まえてきたんだ? バッカみたいに?」

「近く島から持ってきてるんじゃないかな? ほら、ここって最南端にあるだろ? 近くに別の国もあるし、他所の場所なら幾らでもいる。生息域として種類も多いはずだし」

「わざわざヘリか船で運んできてるって言うのか? ご苦労なことだな、どこからそんな金が湧いてくるのか」

「さあ、それは俺にもわからないよ。でも、調べた感じ、この会社、あまり有名な所じゃないんだけどね。もしかすると、国から貰ってるのかもよ」

「それじゃ税金でやってるって事か? はっ、それだと尚更クソだな。こんな猿ばっかり集めて、一体何がしたいんだ? キーキーキーキー騒ぐだけでよ」

「まあ、給料が多いだけでもいいじゃないか。掃除と食事運ぶだけなんだし……それに、あと少しで場所の入れ替わりも来るんだし、あっちに行けば楽だよ」

「……ん、まあそれはそうだけど……。早く向こうへ行きたいよ。クーラーは効いてるし、何より汚くなくていい。仕事も楽だしな」

「それでも結局は掃除だぞ?」

「外と中じゃ大違いだよ。天国と地獄……っと、そろそろ時間だ。早く出ないと、後数十分もしたらここに来るぞ」

 時計に目を向けた男が慌ただしく量の減ったバケツの中から残りの果物を取り出し、籠へと入れ始めた。

 それを見ていた男も時計に視線を向けた後、その手伝いを始めた。

「そういえば、ここって猿を閉じ込める以外にも何かに使われてるって聞いたことある? 奥にあるドアには入れないし、あまり見て回れないしさ……」

「さあな、だが、聞いた話じゃ、よく施設から運び出された猿が、ここに運ばれてるらしいぜ?」

「猿?」

 男が檻の方へと視線を散らせる。鉄格子の猿達はそれぞれが自由に動き続け、時たま声をあげては互いを弄り合っていた。

「それじゃこの猿も施設から来た猿なのか?」

「俺が知るわけないだろ? 聞いた話なんだからよ」

 二人がバケツを持ち、隣の鉄格子の前まで運ぶ。

「他の話じゃ、毒ガスがあって始末しているとか、また別の実験をしてるとか、色々あるからどれがどれなのかなんてさっぱりだよ」

「…………」

 作業に急く男を余所に、もう一人の男は不安そうな表情を奥のドアに向けていた。

 ガラガラと木の実を注ぎ入れる音の後、男がバケツを手に取る。それに気づいた男もすぐに顔を戻し、取っ手を掴み、持ち上げた。

 バケツは檻の右端――ドアの前へと置かれる。

「なんにせよ、これで終わりだ。さ、俺達も昼飯だ昼飯」

 鉄格子から伸ばされる手を気にもせず、残った果物と木の実を籠へと入れていく。

 もう一人の男は、遠くで居座る猿を見ていた。

 開かれ向けられる表紙には『学ぶ手話』と書かれている。

 目尻を緩め見守るその表情に、果物を配り終えた男は上目で見た後、視線を戻した。

「月、数回の支給品の内、一つがあの猿に渡すとはな……勿体ないと思わないのか?」

「別にいいんだよ。もともと頼む物なんて少なかったんだし、見てみろよ、楽しそうに見てる」

 猿は表情を変えることなく、ページをめくって指をあて、本をなぞっていた。

「はっ、俺には全く分からないよ。楽しんでいるのか、喜んでるのかなんてな。本当に読めているのかありゃ?」

「さあ、どうだろう。でも挨拶や返事は返してくれるから、多分読めてるよ。他の人に聞いたら、なんかそれらしい仕草も見せるらしいし」

「へー、怪しいもんだけどな」

「まあ、俺に返してくれる答えはちゃんとした答えだよ。他は知らないけど」

「どうせ、楽しめるのも今だけさ。どうせまた別の猿に取り上げられるんだからよ」

 空になったバケツを男が軽々しく持ち上げ、入ってきた通路へと足を進めた。

 残された男は猿を見たまま、右手を出し、左右に振った。

 その挨拶を余所に、猿は本に見続けていた。

 外に出た二人を待っていたのは、蒸すような暑さと光、そして高低差のある熱帯植物だった。

 僅かに出来る陰に挟まれ、舗装も無い開かれた道を歩いて行く。

 遠く視線の先には、三階建ての大きな建物がそびえ立っていた。

 二人は何も喋らないまま道を右折する。ふと前から青の帽子と作業服を着た別の二人組が歩いてくるのが見えた。

 一人が前を歩き、その後ろにはもう一人。二人の間には台車に乗せられ布をかぶせられた大きな檻が引かれており、立ち止まる二人の横を過ぎていく。

 二つの視線が遠ざかる背へと向けられる。

 ガラガラと揺れる檻は左へと曲がり、その姿を消した。

 互いに口を開くことなく、顔を戻し後、二人は建物に向かい足を進めた。

――――――――――

 短い針が天辺をさし、長い針が右下さす。回る換気扇が射し込む日を途切れさせ、影を作る。

 コンクリートの室内に、揺れる音を上げながら一つの檻が運ばれてきた。

 緑の作業着を着た男たちに引かれる布が掛けられた台車の檻は、鉄格子で仕切られた猿の横を通り過ぎ、ドアの前へと辿り着く。

 鉄の音上げ、重々しく開かれるドア。それに誘われるように近くの檻から一匹の猿が近寄ってきた。

 右手に本を抱えたまま、左手で鉄格子を掴み、前にある台車を見る。

 ふと布がめくれ、中から手が出てくる。

 僅かにめくられていく布、そこから見えたのは喉元に傷をつけた猿の顔だった。

 台車に顔をつけ、鉄格子にいる猿を見る。

 つぶらな瞳で互いが視線を見合わせる中、動く台車に再び布が下がり、作業着の男達と共にドアの向こう側へと消えた。

 重々しく鳴り響くドアを見つめたまま本を持つ猿は、しばらく動かなかった。

――――――――――

 短い針が一と二の間をさす。止まる換気口からは、けたたましい警報音と、無機質な音声が鳴り響いていた。

『二時三十分、二時三十分、第六作業員の方は第二船着場に集合を――繰り返します、二時三十分、二時さ……』 

 薄汚れた緑の作業服を着た男が、息を荒げながら檻の前に現れた。

 騒ぐ檻を前に両手を膝の上に置き、肩で大きく息を繰り返した後、一呼吸し再び走り出す。

 ドア前の鉄格子に近づき、ポケットから何十に付けられた鍵束を取り出しては、一つずつ鍵穴に合わせ始めた。

 しかし、震える手が位置をずらし、何とか差し込みひねってみるも鍵は回らない。

 格子内から聞こえる喚声の中、金属のかち合う音を鳴らせながら、一人慌てた様子で鍵穴に何度も差し続けていた。

 猿の声が一際上がる。入り口からもう一人、今度は青の作業着姿の男が現れた。

 額から流れ出る汗を気にもとめず、周囲を見渡し、鍵を合わせる男の元へと駆け寄る。

「何やってんだ! もう来るぞ!!」

 肩を掴み制止させようとする男を気にもせず、もう一人の男は鍵を合わせ続けていた。

「もう少し、もう少しで――」

 カタカタと鍵は揺れるだけで、定まらない。

 その姿に、男は小さく舌打ちをした後、

「貸せ!」

鍵束を取り上げ、男を押し退けた。

 鍵の一つ一つに目を配り、そのうちの一つを手に取り、差し込んだ。

 解錠の音に、格子を掴み、思いっ切り横へと押す。

 喚いていた猿たちが一斉に飛び出し、入口へと走り去った。

「いくぞ!」

 男はそう言った後、額の汗を拭い、その流れに合わせその場を離れた。

 残された男は足元にいた一匹の猿に目を向けた。

 帽子の中のその顔を覗き見るように、じっと見上げるその姿に、男は右手を左右に軽く振った。

――さようなら。

 それに対し残った猿は、胸の前で横にした左手を出すと、その甲の上に右手の小指側を置き、そのまま上げた。

――ありがとう。

 交じる瞳と瞳、僅かばかり空気が止まる。

「何してんだ!! 早くしろって!!」

 戻ってきた怒声に瞳を合わせていた男は肩を震わせ、男の元へと走った。

「置いて行くぞ、ったく!!」

 男は小さく謝ると、二人は今だ叫び続ける警報音の中へと飛び出した。

――――――――――

 焼けるような日が海へと沈んでいく。

 その瞬間を賛美するように、埋め尽くす木々の間からは数多の動物たちが騒いでいた。

 それに紛れるように、ある大木の下で草木に埋もれた一人の男がいた。

 所々土にまみれ、破けた作業服。砂のついた頬を地面に当てつけ、荒い呼吸を繰り返す。

 定まらない瞳は揺れ動き、辺りに散る。

「はぁはぁはぁはぁ、はぁッ――」

 男が突然息を止めた。

 目の間に、一匹の猿が現れた。 

 左側頭部辺りには尖った針の様なものが飛び出ており、喉には緑の光を灯す正方形の機械が取り付けられていた。

 両手を地面につけ、辺りを見渡した後、大木の方へと顔を向ける。

 その視線に、男はそっと片手を伸ばし、口元を押えた。

 しばらくし、猿が顔を逸らす。

 灯った緑の光が赤へと代わり、猿が口を開く。

 発する音。それは荒くノイズの混じったものだった――。

「コロセ……コロセ……コロセ……」

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