終節:ゆびわ

『先行き苦労。終わらない苦言』

 肘付きの椅子に背を預ける椚が新聞をめくった。その前に並ぶ二つのソファーの左側には、一人退屈そうに携帯をいじる篠宮の姿があった。

 紙の擦れる音の中、動く親指は次々と文字を現していく。

 その中、ノブが回り、別の音が紛れた。

 開いたドアから姿を見せたのは、ザックを背負った麻祁だった。――三人は目を合わせない。

 背負ったザックを先に置き、麻祁が篠宮の向かいに腰を下ろした。

 チャックを開け、中からクリップで止められた二枚の紙を取り出し、机に置いた。

「はい、どうぞ」

 その言葉に、篠宮は上目で覗いた後、画面を一度スクロールさせてから電源を切り、携帯を机に置いた。

「今からそれを読めっていうの?」

 胸に両腕を重ね、不機嫌そうな表情を見せる篠宮に、麻祁は机の紙をさらに前に押した。

「気になる情報いろいろ書いてあるよ」

 迫る紙を前に、篠宮は細めた視線を逸らすことなく、それを手に取り、立ち上がった。

 ずかずかと歩き、椚の前に紙を置くと再びソファーへと戻り腰を下ろす。

「直接聞くわ。手元にないし」

 何もない机に向かい片手を軽く払う篠宮に対し、麻祁は苦痛の表情を浮かべ、右手を背中に回した。

「せ、背中が……痛い……」

 わざとらしい演技に篠宮が呆れたような表情を見せる。

「ばっかじゃないの? 二日で病院から出た人間がよく言うわ。あれから何週間経ってると思ってるの? もう二十四日よ! 二十四っか! 早く話しなさいよ!」

 振り上げた右手が音と共に机を揺らす。

「もう三週間は経ってるんだから、もういいんじゃないか? それまで無事だったわけなんだし」

「今後の保証がない事には安息や平穏はないわ。もう調べはついてるんでしょ? 話してもらうわよ」

「――怖い?」

 煽るような一言に、篠宮が確かに答える。

「ええ、存分に! 見たんでしょ、あんたもあれを」

 それに対し、麻祁は視線だけを篠宮に向けた後、どこか納得したような表情で小さく頷いた。

「ああ、見たよ」

「あれはいったいなに? 突然沸いたように現れた――あの黒い影は?」

 二人の視線が交わり、静音な空気となる。それを元に戻したのは、机に置かれた紙を見ていた椚だった。

「俺も気になるな。確かにここには『人影』という文字は書かれているが、明確ではない。ちょうど居る事だし聞かせてもらおうか」

 椚の言葉に、麻祁は視線を返すと、ザックから指輪の入った袋を取り出した。

 机に置かれた木目の指輪に二人の目が集まり、そして麻祁へと移る。

「今返ってきたばっかりだ。調べた結果、指輪の中には木の樹液が残っていて、そこから数種類のアルカロイドが検出された。その内の一つは未確認の成分だ」

「未確認? アルカロイドは天然の麻薬よね。で、それがあの黒い影とはどんな関係があるのよ? まさかその未確認で幻覚を見たとか言うんじゃないんでしょうね?」

「そのまま頭に描いている事で間違いはない。しかし、あれは幻であり、うつつかもしれない」

「――どういうことよ」

 不可思議そうに眉を歪める篠宮の前に、今度は厚みのある何冊かの本をザックから取り出し、置いた。

 積み重ねられた一番上の表紙に目を見る。そこには『古代人の知恵』と書かれていた。

「まずは歴史の勉強からだな。そこに積んである本の内容のほとんどは、南大陸にあるレトレプカと呼ばれる遺跡ついて書かれている」

「確か依頼者の誰かが掘りに行ったって話でしょ? ――物好きよね」

 呆れたような物言いに、麻祁は小さく息を吐いた。

「まあ、色んな人がいるからね。で、そこから掘り出されたのがこの指輪なんだが……この指輪は、推測になるがたぶん、数百年も前に作られた儀式用の道具だと思っている」

「儀式? なんの?」

「――死者の世界、魂との交流さ」

 その言葉に、篠宮が軽く鼻で笑った。

「よくある話ね。ありきたりだわ」

「その儀式の為に使用されたのがこの指輪であり、これ以外にも形は違えど似たような物がいくつか発掘されていたようだ。それがあの日、恵子さんの家の中で見たものがそうなる」

 篠宮の頭の中で家の中の映像が浮かび上がる。靴箱に置かれた謎の置物や階段に居座る石。

「あれは邦弘さんが発掘した物を送ったものだ。手紙やノートと共に送られてきたらしく、それを恵子さんがケースや押し入れに片付けていたようだ。後から智治がわざわざ取り出し置いた、という流れだな」

「発掘品をわざわざ家に送るの? 調査は?」

「そこまでは私は当事者じゃないから分からないよ。こっそり趣味で送ったのかもしれないし、後からこっちに帰った時に詳しく調べようかと思ったのかもしれない。もしかするとどこかに売るつもりだったのかも」

「ふーん。で、わざわざそんな物を家の中に置いた理由はなに――って、まさか……儀式の再現でもするつもりだったとか言うんじゃないんでしょうね?」

「そのまさかだろうな。部屋の中にはその袋の中と同じような臭いがした。しなかったか? ――枯れ葉を燃やしたような臭いが」

 その時の状況をを思い出すように、篠宮が一度目を閉じ、そして小さく頷いた。

「ええ、したわ。とても気分の悪くなる臭いがね」

「今回の事故は、智治が儀式の再現を行った為に起きた事だ。死人に証言はさせれないが、動機を証明させる物はしっかり残っている。邦彦さんのノート、それに儀式の事や、現在の発掘作業での調査内容が書かれていたよ」

「死者に会うためにね……。気持ちはわかるけど、無理なのは決まってるでしょうに、よくやろうと思ったわね」

「智治は中学の時から不登校だったようだ。高校ぐらいの歳になると、邦弘さんの後をついて、よく現場などに行って手伝っていたようだ。その証言は、近所や学校関係者、仕事での仲間にも聞いて、確証を得てる」

「不登校ね……んじゃ、家族愛ってやつ? 熱いわね、羨ましくはないけど」

「熱いと言えば、あの臭いの原因なんだが、あれは土と水が合わさったものを炙った時に発生したものだ。台所の鍋からその成分と元が検出されている」

「土? それも送ってきたもの?」

「ああ、庭の土を調べたが別物だった」

「……つまり、その土地はすでに汚染されていたって事ね。よく掘り起こしたわね、そんな所。許可したところは阿保なの?」

「許可した本人たちもよく知らなかったか、もし知ってても影響はないと考えたんだろう。なんせその土地の人間じゃないんだし」

「どういう意味よ」

「それに関しては椚がよく知っているが、どうやらその国は以前植民地支配を受けていたらしく、今になって返還されたらしい」

「仕切ってるのは?」

「当時の人間」

「はぁーん、なるほどね、それなら納得がいくわ。いつでも捨てれるような国だからどうなろうと知ったこっちゃないって話ね。責任なんて自分たちが辞めた後の後任に任せればいいわけだし、今頃困ってるのはその周辺の人間だけ、ホントいい迷惑だわ」

「まあ、真相についてはよくわからないが、そこの発掘許可を出した理由としては金銭での経済理由が濃厚と見ている」

「それで私達の所が一番初めって事ね。とんでもない代物を運んでくれたわね」

「本当に、まあ、でもおかげでこう不思議な体験ができるんだ、その点は感謝しないと。向こうで出来ることをわざわざ行かなくて済むんだし」

「能天気にもほどがあるわ。それで命が散ったら話にならないでしょうに、で、結局なに? あの時みた黒い影は幻覚って話なの?」

「そうそれが幻」

「じゃ、現ってのは?」

「これは憶測になる。確証はない」

「それはいいわね、好きな事が自由に言えて。どうぞ、なんでも聞くわよ」

「この指輪は儀式用に使われていた。で、中には麻薬の入った樹液が入っていて、さらにあの土地は同じような物質で汚染されていた。つまり私達が見たのは幻覚でもあり、もしかすると……」

「――死者っていうの? へーん、面白いわね。でも、それじゃ結局、幻って事になるんじゃない?」

「これを現に無理矢理結び付けていく。昔、あの土地には大きな木が生えていたらしい。それはその地域に残る伝承、昔話として残っている」

 麻祁の言葉に、篠宮の視線が指輪へと移った。同じ木目のある机、その上に置かれた色は、一際、浮いて見える。

「その話と言うのが儀式の話だ。地域の人からは神聖な場所として崇められたらしい。何か記念事がある度に、その木から作られた物を身に付けていたとか」

「どいつもこいつも中毒者の話しね。お気の毒だわ」

「ああ、ついでにその辺りにはアルカロイド系の植物も豊富にあったらしく、それを目に付けた他所の国の奴が、取引をして、自国に売さばいてたらしい」

「へぇー、じゃ今も昔もやってる事は変わらないわね。まあ、今の方が多少はマシかしら」

「違いはないよ。で、当初は見逃していたらしいが、徐々に中毒者が増えて、手に余った国はついに元を断つことにした」

「侵攻ね。で、植民地の流れか……」

「そう。それから植民地化されて、アルカロイドの輸出が制限されるようになった。一応、ある程度のものは焼却されたと言ってるが」

「焼却ね……、それじゃあの木も燃やされたって事かしら。……ふーん、なるほどね、面白い考えたするじゃない、そういう事、へぇー」

 全ての話が頭の中で繋がったのか、篠宮は一人納得し、少しだけ笑みを浮かべた後、言葉を続けた。

「だから汚染されたのね、その土地が――」

「ああ、アルカロイド物質を大量に含んだ木が燃えたことにより、土地の上にその灰が積もり、さらに年を重ね、新たな土が上から被さったことで、今こういう事になった、という流れだ」

「でも、燃えたら煙として空気中に散るんじゃないの? 灰にもその成分が残るものなのかしら?」

「残らないだろうな。ただ、この指輪も作られてから相当の年月は経っているも、中にある樹液はまだ生きて残っている。もしかすると灰になってもその成分は残っていたかもしれない。他にも、空気中に散った成分が他の植物に染み込み、根から土壌へと広がったか、その木の根自体が残っていた可能性もある。どれにしろ、その確証として、この場所で作業をしていた人達、そしてその臭いを嗅いだ私達の血液からもごく僅かながらその成分が検出されたのを確認している。椚に調べてもらった」

 篠宮が黙ったまま椚の方へと顔を向けた。それに答えるように椚が話を始める。

「当時発掘の作業をしていた人達の血液を調べた。ほんの僅かだが、確かにその成分は検出され、該当者が現れた。確認した所、服用している薬にもそんな成分は含まれていなかった。もちろん、この成分は人の体内から生成されるものではないため、彼らが特別だったというわけではない。ちなみ、その袋を中を吸った後の葉月や君、そして麻祁の血液を調べたところ、同じ成分が検出された。袋の中はその臭い――成分が詰まってるということになる」

 話の後、篠宮は顔を戻すと背をさらに沈め、肩を落した。

「このアルカロイドは今の時代――現世まで残った唯一の存在だ。どんな可能性を考思しても不思議じゃない」

「だから、死者を見る可能性もあると?」

「指輪の樹液には一時興奮を高める作用がある。その量によっては幻覚をも見せる。この指輪の内側には装着時の圧により、棘が飛び出す仕組みになっていた」

 麻祁が指輪を持ち上げ、篠宮に見せる。

 通す視線の輪の中。そこには棘の様なものなどは出ていなかった。

「研究室で死んだ生徒がこの指輪を付けていた。指輪外す際、付けられていた部分から爪先に抜けて一直線に引っかき傷が出来た。血がそこから滲み出ていたことからも、真新しい傷なのがわかる」

「大層な仕掛けね」

 麻祁が指輪を机に置き、話を続ける。

「まずは臭気による神経汚染から始まる。その量が例え僅かであろうとも、それに刺激された人間は更なる深みへ陥るため、より濃い成分――つまりこの指輪の樹液を無意識に求めるようになる。誘われ指に付けると、飛び出した棘が皮膚を貫き、中の樹液が血液へと流され全身を駆け巡りだす。その後はすぐに幻覚症状だ。そのとき見える景色が、死後、行けるはずの神聖な場所とされていのだろう」

「それじゃあの時、智治が一人笑っていたけど、あの時彼が見ていた景色はその、死後の世界ってわけ?」

「そうなる。聞いただろ? 『父さん』って言葉を」

「……ええ、確かに言ってたわ。私達の方を見てね」

「もしかすると実際に居たかもしれない。肉体は亡くなっても、魂は消えないと言われてるしな。信じる向こう側へ行った人達なのかも」

「へぇー……でも、それって指輪を付けて体内にその液を入れる事で見えるんでしょ? なんで私達も見えたのよ? おかしくない?」

「直接入ってはないが、より濃度の高い場所にいた事で意識が同調したのかもしれない。――所謂いわゆる、変性意識状態」

「それじゃ、あと少し遅かったら、私達も一緒に窓ガラスに突っ込んでいた……かもって事ね」

「私は寝ていたから、一人だけだな」

 その言葉に、篠宮が目を細めた。

「心配しなくても連れてってあげるわよ。寂しいでしょ一人残されたら?」

「いや、全然。手紙送ってきてくれたらいいよ」

「ペンが持てないわよ」

「持てるかもしれないぞ? 後に、検死の資料を見たところ、胸部から腹部にかけて数十箇所の刺し傷が見つかり、一部、胃や腸にまで穴が開いていたそうだ」

「気持ち悪い話ね。あの時背中からガラスに突っ込んだっていうのに」

「ああ、腕や背中の傷にはガラス片がびっしり付いていたのに、正面はそれに比べて数が少なかったから、不思議だと思っただろうな」

「理由は何であれ、おかげで私が実行犯だと疑われなくてよかったわ。調書は面倒だったけど、誰がどう見てもあれは謎の事故死よ。人為的には不、可、能」

 篠宮がソファーから立ち上がり、ドアの方へと足を進めた。その姿に、麻祁が言葉をかける。

「もういいのか? ――納得した?」

「したした、もう十分よ。どうやら、その謎の成分に近寄らなければこれ以上何もないみたいだしね。もう聞く事はないわ」

「樹液は? より分析して、弾丸にでも」

 その言葉に篠宮は麻祁を見た後、ドアノブに手をかけた。

「いらないわよ。制御できない毒なんて、危険なだけじゃない。さっさと海か火山に沈めることね」

 言葉と共にドアが開かれ、後に残されたのはカチっというラッチボルトの音だけだった。

 静まる室内で、椚が問いかける。

「……で、結局、その首が飛んだわけも、奇妙な刺し傷が出来たわけも、解明はされなかったって事か」

「永久の謎だよ。誰かが指輪を付けて、周囲から複数人で見るしかない」

「――あるのか、そんな場所が? 死者の望む楽園が、本当に……?」

「何かを信じて楽しみにするしかないな。……この液体が無くとも、その瞬間はいずれ来るんだ、遅かれ早かれな」

 机に置かれた袋を持ち上げ、浮いた輪に目を通す。

 指輪は向こう側のソファーと本棚をぼかし映していた。

 麻祁はそれをザックにしまうと同時に立ち上がった。

「この指輪は保管しておく。依頼主への説明はまた今度にする」

 ザックを持ち上げ、肩に通す。

「話した通り、駿河という人が頃合を見て連絡してくれるはずだ。彼以外に彼女精神状態は分からないからな。興味があるなら電話してくるさ」

「わかった。あったら伝える」

「ああ、頼む」

 僅かに見せるほくそ笑みを、すぐさま消し去るように麻祁は背を向け部屋を後にした。

 一人居座る椚は目の前にある紙を引き出しへと収め、新聞を手に取り、その一枚をめくった。

――――――――――――――――――――――

 正方形のロッカーが引き出される。

 外から覗かせたのは麻祁の顔だった。

 ザックから取り出した分厚いファイルを底に敷き、その上に袋入りの指輪を置く。

 閉められるロッカー。表に貼られた名札のところには『イーサンナナ』とアルファベットと数字が書かれていた。

 等間隔に吊るされた豆電球に照らされながら、倉庫の中を麻祁は歩く。――その窮屈に積み上げられ、幾重にも立ち並ぶスチールの中を、ただ一つの靴音を響かせながら。

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