一節:依頼主

「えっ?」

 思わず龍麻が聞き返した。手に持つ箸と茶碗の動きが止まる。

 それに対し麻祁は、上半身を押入れに入れたままで、言葉の一つも返さなかった。

 しばらく待つ……、顔すら見せない。龍麻が先程聞いた言葉をもう一度返した。

「学校を休むって……」

 麻祁が上半身を出し、ふと息をはく。

「ああ、朝から行かなければいけないところあるからな。夕方出ると夜になるし、相手に悪い」

「夜って……この近くじゃないのかよ。結構遠くの方?」

「四県向こうの方だな」

 麻祁が台所の方を指さす。

「四県!? それって……」

 龍麻もそれに釣られ指先の方へと顔を向ける。だが、目に入ったのは、その間を仕切る引き戸だった。

「東北だよ。話しがあるから向こうで待ち合わせをしているんだ。わざわざこちらに出向いてもらうのも大変だし、私が行けばゆっくりとその内容と家庭内環境を探れるだろ?」

「それはそうだけどよ……今回はどんな内容なんだ? わざわざそんな遠くまで行くって……」

「死んだ夫の死因を再調査。外国で事故にあったらしいんだが、納得ができないってことらしい」

「夫……死因……?」

「ああ、発掘の調査をしていたらしいんだが、そこで事故にあって死んだんだよ。――ただ、その事故がまた奇妙らしくてな」

 麻祁が床の上にザックを置き、書類や道具を詰め始めた。

「どんな事故なんだ?」

「首から上がすっ飛んでいたらしい」

「クビッ!!?」

 龍麻の箸が再び止まる。

「正確には頭だな。頭だけがすっ飛んで、辺り一面血まみれだとか」

「血まみれ……」

 龍麻の顔色が次第に変わっていく。視線を落とし、箸の先が自然と足へと向けられる。

 その隙に、麻祁が机の方へと体を向け、皿に乗せてある四切れある玉子焼きの一つを指に摘み、口へと入れた。

「詳しい状況は実際に見てないから分からないが、現場担当をした警察の話ではそうだったらしい」

「それで再調査を……でも、外国で起きた事なんだから、調べるもなにも……どうするんだよ、行くのか?」

「行けるわけないだろ? 依頼者から事前に粗方の情報は聞いていたから、その日に向こう側にいる知り合いに電話しておいた。事実確認のついでに資料も送ってもらえるようにな」

「知り合い!? 知り合いがいるのかよ!?」

 驚く龍麻を余所に、麻祁はザックから目を離さずに、伸ばした手で皿にある三切れある玉子焼きの一つを摘まんだ。

「なにも向こうで暮らす人の全てがその土地で生まれているわけではないからな。こっちにいる時に知り合った人だよ」

「知り合いって事は……あまりマトモじゃないって感じだな……」

「ひどいな捉え方だな。相手に失礼だぞ」

「関係性がって事だよ! どうせ普通の仕事とかで知り合ったんじゃないんだろ?」

「そいつは医師だよ。病気やケガで苦しんでいる人を助ける職業。な、普通の仕事だろ?」

「……そりゃ普通だけど……、その出会いとかさ、それこそなんか頭の吹き飛んだ死体とか何かのウィルスにかかった患者とか……そんなの見てもらってから、とかだろ?」

「いや、ただ病院に話しを聞きにいっただけで出会えたよ。今はあっちこっちに飛んで難病に悩む患者を見てるって話だ」

「そうなんだ……」

 龍麻が皿に乗せられた二切の玉子焼きの内、一つを箸で裂き、その半分を口に入れた。

「もう長い事いるから、それなりに知り合いもいるって事で引き受けてくれたんだよ」

 ザックの口を閉じた後、片手を伸ばし、一切れと半分だけ残る玉子焼きの一切れを摘み、開いた口の中へと入れた。

「今日の夜には戻ってくる」

「今日?」

「ああ、資料が届くはずだからな」

「資料は何処に?」

「椚の所に届くはずだ。だから帰ってきたら、向こうに寄ってからこっちに戻ってくるよ」

「……ああ」

 軽く頷いた後、龍麻がご飯をかき込んだ。口を頻りに動かしながら、最後の半切れ玉子焼きに箸を伸ばす。

「それじゃ、行ってくる」

 立ち上がると同時、麻祁が手を伸ばし、残った玉子焼きを口に入れた。

「あっ、オイッ!!」

 箸先すれすれで消えた玉子焼きに龍麻が声を出し、麻祁を見上げた。

「ほとんど食うなよ!! 俺の朝飯だろッ!?」

 その言葉に、見下ろしていた麻祁はモグモグと動かす口を止め、伸ばした親指と人差し指の二本を、少しだけ開けた唇に当てた。

「いるわけないだろ!! ってより、もうないだろそれ!」

「それじゃ行ってくる」

 言葉だけをそこに残し、引き戸を開け、ザックを背負った麻祁が居間から出て行く。

 引き戸が閉められ、玄関の開閉する音を耳にした後、一人残された龍麻は何も乗ってない皿を前に、深くため息をはいた。

 アパートの正面に刺し込む様に付けられた鉄製の階段を、麻祁が軽快に降りていく。

 身を返し、道路側へと向くと、そこには一台の個人タクシーが止められていた。

 運転席には山瀬の姿があった。――麻祁には気付いていない。

 背負ったザックを揺らしながら、車右側の後部座席へと近づく。――まだ気付かない。

 拳を作り、コンコンコン、と三回窓を叩く。

 山瀬の肩が一瞬だけ高く上がる。首を左右に激しく振り、その視線が右側のサイドミラーで止まった。

 麻祁がドアを開け、背負っていたザックを両手に移した後、共に車内へと入った。

 座るその姿を、バックミラーで山瀬がジッと見続ける。先に口を開いたのは麻祁だった。

「おはよう。時間通りだな」

「ああ、それは当たり前のことだからな……ってより、何処から来たんだよ? 全然見えなかったが……」

「ずっと後ろに乗っていたよ」

「えっ? 嘘?」

 その言葉に山瀬の眉が上がる。しかし、

「――って嘘だろそれ!? んなわけあるかよ!」

すぐさま麻祁の方へと振り返った。

「まあ、まあ後ろからだよ」

「……ったく」

 ふと、ため息を吐いた後、体勢を戻す。

「大体、なんでこんな所で待ち合わせなんだ? ……家でも借りてるのか、この辺で」

「別荘ってやつ。飯炊き付きのな」

「へぇ、飯付き……雇われてる奴は大変だな。俺ならすぐに逃げ出すけど」

「好きでその仕事をやっているんだからきっと幸せさ。――私は見ての通りおおらかだし」

「言ってる言ってる。言うだけは自由だよな。……で、今日はどこに行くんだ? ただ運んで降ろすだけでいいんだろ?」

「ああ、空港までお願いする」

「空港? ……えぇーっと、この近くの空港って言ったら……」

「浅見空港」

「浅見空港だな」

 二人の言葉が重なる。

 静まる場。僅かな間の後、

「まあ、それこしかないわな……」

山瀬がエンジンを掛け、車を走らせた。

 両脇をそれぞれの個性を見せる住宅の門が通りすぎていく。

「飛ぶのは何時だ? 今の時間なら……だいたい十時ぐらいからか?」

「いや、九時半」

「九時半か……って、九時半!?」

 山瀬が急ぎカーラジオに付けられた時計を確認した。現時刻は七時半と記されていた。

「おい! 時間ねぇーじゃねぇかよ! 朝は通勤とかでつかえるだよ! なんでもっと早く言わねぇーんだ!?」

「ペラペラ話してるのがいけない。もし遅れた場合に色々と生じるキャンセル料はどこから請求すればいい? まあ、ここしかないが」

 どこか余裕のある様子で足を組んでいた麻祁は、窓の横を流れる景色を眺めていた。

「なっ!? ば、バカな事言ってんじゃねぇーよ! なんで俺が受け持たなきゃいけねぇーんだ! 大体もっと早く出るとかあっただろ!?」

「朝弱いから」

「はぁ? なんだよそれ……」

 山瀬が呆れ言葉を失う。車内はしばらくの沈黙が続き、信号で止まった。

 前にある歩道を、数人の小学生が小さな旗を持つ女性に連れられ、渡っている。

 両手をハンドルに乗せた山瀬の視線が右から左へと動く。ふと、麻祁が山瀬の子供について問いてきた。

 信号が青に変わる。空港に着くまでの間、その話題で持ちきりだった。

――――――――――――――――――

 飛行機に乗って一時間半、空港に降りた麻祁は予約してあるタクシーに乗り、目的地の場所まで向かった。

 緑のない畑が両脇を流れ、次第に飲食店などの建物がポツポツと見え始めた。

 停滞する車に挟まれながら、横道へと外れ、住宅街へと進む。

 狭く急な坂道を上る途中、麻祁が声を掛け、タクシーを止めた。

 車から降り、辺りを見渡した後、視線がある一点で止まる。そこに二階建ての住宅があった。

 瓦屋根に白の壁、周りにある住宅と作りは似ている。

 門の横には『武田』と書かれた名札、そしてその下にはインターホンがあり、麻祁はボタンを押した。

 電子音のチャイムの音が鳴り、しばらくして女性の声が聞こえた。

「――はい」

 麻祁が顔を近づける。

「すみません。椚高等学校から来た者ですが」

「あっ、はい。今、開けます」

 インターホンが切れるに合わせ、麻祁が門を開け、玄関まで歩いた。

 扉の前に立つと同時に鍵が外れ、開かれる。

「あっ……」

 女性と目が合う。視線が上から下へと流れた後、すぐに麻祁の顔へと戻った。

「どうぞ……」

 その言葉に進められる様に、麻祁が家の中へと入っていった。

 女性は麻祁の事を見つつ、左の部屋へと姿を消す。

 麻祁はその後を追う為、靴に手を掛けた。

 その最中、視線を右から左へと動かし、辺りを窺った。

 靴箱、階段、廊下の奥にドアが三つ、そして、開かれたドア。

 床に足を乗せ、靴の向きを変えた後、左の部屋へと入る。

 中は居間となっていた。正面には白のカーテンが引かれた窓があり、その前には四足の机が置かれていた。

 部屋の左側はカウンターで仕切られた台所が設置されており、そこにあの女性の姿があった。

 忙しく動きながら、カウンターの上に用意してある湯飲みに何かを注ぎ、湯気を立たせている。

 麻祁の視線が右へと動く。中央にある四足の机の奥、そこにはソファーとテレビが置かれ、今は誰の姿も見えなかった。

「あっ、ごめんなさい。あのその椅子にどうぞ」

 僅かに視線だけを合わせた後、女性はすぐに背を向ける。麻祁は言われるがままに、背負っていたザックを机下の隅に置き、腰を下ろした。

 しばらくし、麻祁の前にお茶と女性が席につく。

 麻祁は一礼した後、お茶を一口つけ、話を始めた。

「それで、早速ですが、以前伺った話しについてお聞きしたいのですが……」

「はい、……えぇーっと……どこからお話しすればよろしいでしょうか?」

 どこか不安そうな表情をみせる女性に対し、麻祁から問いかける事にした。

「確かご相談の内容としては、御主人様の……えぇっと……確かお名前は、くにひこさんで?」

「はい、邦彦です」

「邦彦さんの死因に関して疑わしいところがあるとお聞きしたのですが、どの点にその違和感というものが?」

「……あの、その事なんですが……その……」

 どこか言いにくそうな表情を見せ、女性が顔を少しだけ落とした。

 麻祁は何も喋らず言葉を待つ。女性はチラチラと視線だけを何度か送った後、言葉を続けた。

「それについてなんですが……私ではなく、智治≪ともはる≫……息子の方が気になっていて……」

「息子さんが?」

「はい……あの事故があって以来ずっと部屋に籠りっきりで……主人の事故がどうも気がかりらしくずっと調べものを……」

「それで調べて欲しいと……」

「はい、息子には内緒にしているんです。私はそういうのはあまり分からないものですから……でも、帰って来てから様子が……少し変というか……」

「それで気になって依頼を?」

「はい、ああいう事があったので智治もショックが大きかったんだと思いますが……どうか納得いくような説明ができたらと……」

「どういった点で悩んでいるのでしょうか?」

「聞いた話だと、主人が死んだのは事故ではないと言うんです。――誰かに殺されたんだと」

「殺された?」

「はい、そう言ってました」

「でも、向こうの警察の判断では事故であると報告があったと聞きましたが」

「私もそう聞きました。後からその……主人に会いに行ったのですが……」

 女性が声と視線を落とす。

「……そうですか。それじゃもう邦彦さんは……その……」

「はい、もう納骨を……」

「……恵子けいこさんは何か疑問に感じる部分とかはありましたか?」

「私は……その……近くでは見ていなかったので何も……最後までちゃんとしていただきましたし……あっ、でも少し妙な物が……」

 席を立ち、居間を出て行く。しばらくし、再び席に着いた時にはジッパー付きの小さな袋を持っていた。

 麻祁の前にそれを差し出す。――中には指輪が入っていた。

 ビニール越しに見える輪。装飾品などはなく、シンプルな作りになっている。

 麻祁がジッパーの部分を持ち、袋を窓に掲げる。淡い黄褐色の地に黒褐色の木目が浮かぶ。

「これは?」

「主人が亡くなった後、身の回りの所持品は全てこちらへと送っていただきました。その時、その指輪が入ってまして……」

「見覚えが無く?」

「はい、主人はそういったものは身に着けたことがありません。……でも、警察のお話しでは、その時、指に着けていたとかで……事故とは関わりがなかったみたいなので、所持品として一緒に送られてきました」

「……開けてもいいですか?」

「はい……」

 恵子の返事を聞いた後、麻祁がジッパーを開いた。袋を開けた瞬間、閉じこもっていた臭いが一瞬鼻を掠める。

 中から指輪を出し、摘む様にしてそれを手に取った。

 開かれた空洞から机が覗き見える。

 麻祁はその穴に吸い込まれるように、じっと眺め続けていた。

「……あの、麻祁さん……?」

「……っ、すみません。この指輪、こちらで預かってもよろしいですか?」

「はい、かまいませんけど……」

「助かります」

 麻祁は指輪を再び袋の中に入れ、ジッパーを閉じた後、椅子の横に置いてあったザックの中へと入れた。

「話の大体の流れは分かりました。……ちなみに今、智治君はどちらに?」

「主人の部屋にいます」

「そうですか……少しお話というよりも、その邦彦さんのお部屋を見させていただいてもよろしいでしょうか?」

「えっ……あっ、はい……私はかまいません、けど……」

 少しだけ不安そうな表情を見せる恵子に麻祁が説明をする。

「智治君には私は邦彦さんの大学でのお友達とお伝えください。私の方からも少しだけ紹介はしますので。なにも智治君と直接その事に関して話すのではなく、ただお部屋の方だけを調べさて欲しいのです。ほんの僅かな時間でもいいので」

「……わかりました」

 その内容を了承した後、席を立ち、居間を出ていった。麻祁も後へと続く。

 玄関前の廊下から二階へと続く階段をのぼると、そこには三つの部屋があった。

 先を歩く恵子が、廊下一番奥の部屋へと進んでいく。

「この部屋です」

 小声で麻祁に向かいそう言った後、部屋のドアを数回軽く叩いた。

「智治、少しいいかしら?」

 部屋からドタドタと歩くような音が聞こえ、そして、ドアが開かれた。

 右から開かれたドアから、まず見えたのは智治自身の姿だった。

 髪は整えられ、服装にも乱れもない、どこにでもいる青年だった。

 落ち着いたその表情がドアを開けた瞬間、麻祁の姿が目に入ったのか、少し驚いたような表情へと変わった。が、すぐに元へと戻り、そしてドアの前にいた恵子へと向けられた。

「どうしたの母さん……」

 横目で麻祁を見る智治に説明を始める。

「この人はお父さんのお友達で、大学から来てくれたの」

「初めまして、智治君……だよね。私、麻祁っていいます」

 すっと、麻祁が右手を出した。流されるがままに智治はその手を掴んだ後、言葉を返した。

「あっ、初めまして……」

 笑顔を見せる麻祁を前に、智治は恥ずかしそうに視線を斜めへとずらす。

「お父さんの部屋、少し見させてもらってもいいかな? 以前の約束で見せてもらうはずの資料があると思うんだけど……」

「えっ……」

 麻祁の言葉に、智治は視線を落とした。言葉を待つも、何も話さない。

「ただ部屋の中を見せてもらうだけでいいから。そんなに物とか動かしたりはしないし、長居もしないしさ」

 その言葉に、智治が視線を戻し、

「どうぞ……」

ドアを開けたまま、部屋の中へと消えた。

 麻祁は恵子と視線を合わせた後、一人だけ後を追う。

 部屋の中は独特な雰囲気と臭いを漂わせていた。

 まず目に入ったのは、ガラスケースに入れられた出土品だった。中央にそれは置かれ、上から照らす明かりにより、少し重々しい感じを出している。

 その右の壁際には天井に届くぐらいの高さがある本棚が並べられ、そしてその向かい、部屋の左側には書物などが散乱する机が一つ置かれていた。

 入り口の右側には智治が立っており、麻祁をじっと見ている。

 辺りを軽く見渡した後、麻祁は迷わず机の方へと歩いた。

 前に立つ。机の周りには取り囲むようにして積み重ねられた書類や、誰かが書いた文献などが無造作に置かれていた。

 椅子の前に僅かに開かれる空間、そこに複数枚の書類が置かれていた。

 麻祁がその一枚を遠目で見た後、少しずらしその下の紙にも目を通す。

 無機質な文字の羅列を上から下へと目を流し見て、そして紙の右端に書かれた日付を擦った後、小さく呟いた。

「レトレプカ……二千二十年、六月一日……」

 振り返り、入り口の横で立っている智治の近くまで歩く。

「ありがとう、助かったよ」

 そう言葉を言い残した後、麻祁は部屋を後にし、恵子と共に下へと降りていった。

 智治は、その音が消えるまで部屋のドアを開けたままにしておき、その後、閉めた。

 居間まで戻った麻祁はザックの中から土産を取り出し、それを渡した。

「これあの、邦彦さんに……最後に線香もよろしいですか?」

「はい……こちらです」

 恵子に案内され、仏壇のある部屋へと移動する。

 麻祁は部屋に入り、仏壇前で一礼した後、線香を立て、手を合わせた。

 しばらくの静寂の後、恵子の方へと振り返る。

「依頼の内容はわかりました、後はこちらで調査しておきます」

「……お願いします」

「後、すみませんが、少し気になることも出てくるかもしれませんので、改めて携帯などの電話番号を教えていただけると助かります。もちろん、そちらで何か気になる点を思い出したりしたなら、電話していただいも構いませんので……よろしいですか?」

「はい、それじゃ私の携帯を……」

 すっと立ち上がり、部屋を後にする恵子の後ろを、麻祁は着いて歩いた。

 居間へと戻り、携帯の番号を聞いた後、玄関へと移動する。

「それじゃ私はこれで……」

 麻祁がふと視線を右の階段上へと向ける。

 入ってきた時と同じ状況で、そこには誰の姿もない。

 振り返った時、

「――っと」

何かを思い出したのか、突然向き直った。

「すみません、一つだけよろしいですか?」

「えっ? なんでしょうか?」

「あの……邦彦さんがその場所に向かった日付ってわかりますか?」

「えぇっと……主人は確か……十一月ぐらいに飛行機に乗ったかと……」

「二千十九年?」

「そうですね」

「智治君の部屋でそれに関してであろう資料を見たのですが、日付が六月一日になってました。所持品が送られてきた後は部屋に?」

「……いえ、私にはどれが必要な物なのかわかりませんので、全て物置にしまっています。たまに智治が中から出したりはしてるのは見ましたが……」

「そうですか……それじゃ邦彦さんが向こうでいる時、何かを送ってきたりとかした事は?」

「それは毎月ありました。向こうでも何事もなく暮らしていると言って、日記とか研究した成果とか、後たまによく分からない物とかも届いてました」

「それは全て部屋に?」

「はい、いつ帰ってきてもいいように、届いたものは全て整理しています」

「そうですか……わかりました……色々お話ありがとうございます。また何かわかったら連絡しますね」

 一礼し、麻祁が玄関を出る。

「すみません、お願いします」

 同じく頭を下げる恵子の姿を見た後、麻祁がドアを閉じた。

 門を開け、道路へと出た後、携帯をいじり始める。

 今度は椚の電話番号を出し、掛け始めた。

「……もしもし、話は聞いた。少し気になる事がある。悪いが連絡をとってくれないか? あって直接話したい。出来れば今日……そう、場所は三応大学の考古学研究所。時間があるなら今日の夕方に少し話があると……」

 そう話をしながら、麻祁が坂道を下り始めた。

―――――――――――――――――――――

 日が沈み、辺りが一層静まる。

 部屋に点けられた明かりだけを頼りに、智治は一人机の前に座っていた。

 散らばる書物に囲まれて、熱心に資料へと目を通す。

「レトレプカ……メリアレト……キリカレス……」

 指で文字を追い、そして、ぶつぶつと呟く。

 ある箇所にたどり着いた時、その動きを止めた。

「リカレテア……」

 席を立ち、棚に置かれた書物を漁り始めた。

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