七節:二つの証拠

 吉岡が廊下に出る。

 いつもと変わりのない通路、生徒が集まり、話をしている。――しかし、その耳に聞こえてくる内容は同じものだった。

 正面から騒々しく聞こえてくる言葉を全て背中へと流し、吉岡が右へと曲がる。

 階段へと足を踏み入れようとした時、ふと前から江藤優美が上がってきた。

「…………」

 下りる吉岡の姿に気付き、江藤が踊り場で足を止める。

 その姿に気に留める様子もなく、吉岡が横を通り過ぎようとした。

「――どういうことよ」

 一人響く江藤の声に、吉岡の背が止まった。

「知らない――ッ!?」

 よろめく体。直後、吉岡の背中が壁へと叩きつけられた。

 左肩を押さえる手に出来るしわ。目くじりを立てる江藤の視線が吉岡を捉える。

「ふざけんじゃないわよ、知らないわけないでしょ」

 江藤が一呼吸を空け、言葉を待つ。しかし、吉岡は口を開くことなく、ただじっとその瞳を見返し続けていた。

「これで二人なのよ? わかってる? 今まで何もなかったのに、どうして突然……それも美佳と朱莉が……呼ばれたんでしょ?」

 江藤の言葉に、吉岡が小さく頷いた。

「……ええ」

「なんて言うの?」

「何も知らないって答えるわよ。私だって本当に何も知らないんだから」

「…………」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、江藤の視線が左へと落ちる。離れる手に、吉岡はシワの出来た部分を伸ばした。

「もう行くわ。次の授業もあるし」

 何事もなかったかのように平然とし、階段を下りる吉岡の背を江藤は見続けた。

「――ッチ」

 小さな舌打ち。江藤が階段を上ろうとした時、ふと視線が止まる。そこには心配そうな表情で見る葉月の姿があった。

 江藤は辺りに目を軽く散らばめた後、すぐに近くへと駆け寄った。

「葉月さん。昨日は大丈夫だった……?」

 そっと右肩に添えられる手に葉月が小さく頷いた。

「はい……大丈夫です」

「途中で怖くなったの? 今朝、連絡があって心配したんだけど、もしかして無理矢理……何かしてきたとか……?」

「あ、いえ、そういうのはなかったのですが……ごめんなさい。……初めてなので……その……」

 言いづらそうに口ごもる葉月に、江藤は肩に乗せていた手を背中へと回し、包むように優しく擦り始めた。

「いえ、仕方ないわ。誰でもああいうのは怖いものよ。どうしていいのか分からないんだしね。私も無理に誘ったから……ごめんなさい」

「い、いえ。江藤さんが悪いんじゃ……でも、相手の方に……その……」

「ああ、気にしなくても大丈夫よ。向こうも気にしてないみたいだったし 、このまま気にして空気の悪いままじゃ、お互いに苦しいだけだしね。だから、何もかも気にしなくていいのよ。……ただ、もしまたその気になったらで、もいいから、いつでも声をかけてきて。都合だけはいつでもつけておくから。そういえば……」

 江藤は手で口元を覆いながら、葉月の耳元へと近づけた。

「お金はもらった?」

「えっ?」

 その言葉の後、江藤が顔を遠ざけた。

「は、はい」

 すぐさま葉月がそう答えると、江藤の顔が少しだけほころぶ。

「そう、今持ってきてるの?」

「はい、鞄の中に一応……」

「それじゃホームルームの後にしましょ。今回は初めてだし、ちょっと無理させちゃったから……最初に話した時より私は少なめでいいわ」

「えっ、いいんですか? 途中で帰っちゃったし……もし、何か迷惑をかけたのかもしれないのに……」

「いいのいいの。せっかくこうやってお話できてるんだし、昨日のことだけで私達がお別れなんて、なんか寂しいでしょ? だから、あまり気にしないで」

 軽く肩を数回叩き、笑顔を見せる江藤。葉月もそれに釣られるように自然と表情がやわらいだ。

「それじゃ、もうそろそろ時間だし戻った方がいいわよ」

 江藤が廊下へと足を進めようとした時、その背中を葉月が止めた。

「あ、あのそういえば……」

「……ん? どうしたの?」

「さきほど、吉岡さんとお話されてみたいでしたけど……その吉岡さんはどこに……? アルバイトの事について少し話したいことが……」

「アルバイト? ああ……アイリなら職員室かな」

「職員室ですか? ……何か用事でも?」

「さあ、なんだろうね。アイリは色々な子の面倒も見ているから、呼ばれる事も多いし、たぶん、後輩のバイトの事に関してかもしれないわね」

「そうなんですか。……それなら今は無理ですよね……」

「もう話は終わってるんじゃないかな? 一応行ってみたら?」

「は、はい、わかりました。行ってみます」

 軽くお辞儀をする葉月に対し、江藤が片手を上げ応え、二人は別れた。

 一階へと降り、蛍光灯だけが照らす緑の廊下をまっすぐと歩いていく。

 角を曲がり、目の前に職員室と書かれた札が目に入る。ふと、葉月が足を止めた。

 廊下の先に吉岡の姿があった。長髪の女子生徒と話をしている。

 葉月が目を細め、女子生徒の顔をじっと見る。

「……さきさか……まり」

 二人が会話を終え、それぞれ別れた時、葉月が吉岡に近づいた。

 先に声を掛けてきたのは吉岡の方だった。

「何してるの? 職員室に何か用事?」

 その言葉に葉月は首を横へと振った。

「いえ、アルバイトの事に関して、少しお話がありまして……」

「話? 何か問題でもあったの?」

「いえ、問題はないのですが……少し相談が……その……」

 どこか言い難そうに視線を落す葉月の姿に、吉岡は表情を変えることなくじっと見続け、そして口を開いた。

「……まあ、聞けば分かる話よね。いいわ、今は時間がないから、また後で聞くわ。昼休みにでもいい?」

「昼休み……ですか。あの……学校で話すのも、その……あれなので……申し訳ないのですが、放課後でもいいですか? もし時間があればですが……」

「放課後? 別にいいけど……遅くなってもいい? 私もバイトがあるし、九時以降ならいけるいけるけど」

「はい、大丈夫です。……あの、バイトの場所は? もし、その近くにレストランがあるなら、そこでお話したいのですが……」

「あー、んー、確かオアシスがあったかな? 駅から少し離れにあるカラオケ屋の近くなんだけど……場所教えようか?」

「助かります。それじゃ、九時過ぎにそこで……」

「もし遅れるようなら連絡するわ。それじゃ……また昼にでも」

「はい」

 吉岡が葉月に軽く片手を振った後、吉岡は背を向けた。

 一人残された葉月は、じっと吉岡の背中を見つめその姿が消えるまで待つ。角を曲がり消えた後、ふと、小さなため息を吐いた。

――――――――――――

 夜。広々とした駐車場には数台の車が疎らに止められていた。場内に置かれた街頭が寂しそうに点々とそれを照らす中、その横にある建物からは暖かな光が溢れ出している。

 角にはその場所を示す為の高く伸びる大きな看板が一つ。中央には葉の垂れ下がったウェルウィッチアの絵が書かれ、その下には緑の電球で灯された『オアシス』という文字が点灯を繰り返している。

 明かりに導かれるように一人の女子生徒が建物の扉に手を掛ける。――吉岡愛理。

 吉岡は二つ続くドアを開け、呼び出し音と共に中へと入る。

 目の前にはレジの置いてあるカウンターがあるも、そこに人の姿はなかった。

 少しの間の後、

「いらっしゃいませー」

声と共に青と緑の制服を着たウェイトレスが奥から出てきた。

「一名様ですか?」

 ウェイトレスの言葉に、吉岡は首を振った。

「いいえ、友達と待ち合わせで」

「待ち合わせ?」

 小さな復唱に、吉岡は小さく頷いた。

「ええ、いると思うけど……」

 左へと向き、テーブル席へと目を散らばせた後、首を戻し少し傾げる。

「かしこまりました。いらっしゃいませー」

 ウェイトレスは笑顔を返し、軽く頭を下げ応えた。

 吉岡はテーブル席へと移動し、一つ一つ確認をしていく。

 ふと、黒のセミロングが目に入る。

 急ぎその場所へと足を進めた時、自然と足が立ち止まった。

 私服姿の葉月の横に、銀髪の女――麻祁の姿があった。

 じっと立ち尽くす吉岡を余所に、麻祁は目を合わせる事はなく、前に置かれている飲み物へと口を付ける。

「あっ」

 吉岡の姿に気付いた葉月が小さく声を上げた後、軽く頭を下げた。それに対し、吉岡は横で座っている麻祁を見続けたまま、静かにその向かい側へと座った。

 周りに比べ、どこか重たいような空気がその席にずっしりと圧し掛かる。

 無言の中、先にそれを裂いたのは葉月だった。

「すみません、遅くにわざわざ……」

「いいえ、大丈夫よ。それより……」

――あなたは誰? の言葉よりも早く、突然別の言葉が割り込んできた。

「ご注文の方は何になされますか?」

「――えっ?」

 思わぬ声に吉岡の顔が自然と右側へと向く。そこには先程見たウェイトレスが笑顔で立っていた。

「注文は? 何か飲み物? 腹が空いているなら食事でもいいが……」

 ふと麻祁から差し出されるメニュー表を、吉岡は受け取らずに飲み物を頼む。

「オレンジを一つですね。……以上でよろしいですか?」

 注文の聞き返しに、吉岡は、はい、と小さく答える。その言葉の後、ウェイトレスは軽くお辞儀をしてそのまま奥へと消えて行った。

「いつのまに……」

「そこで立ち止まる前に、姿は見えていたからな。注文の一つはしないと」

「…………」

 麻祁の言葉に吉岡は何も答えず、ふつふつと湧き上がる疑心の目をただ向け続けていた。

 しばらくし、オレンジジュースが運ばれた。それを機に、麻祁が話し始める。

「色々と疑問はあるだろうけど、まずはここに来てもらった事に感謝する。ありがとう」

 瞳を捕らえるかのように真っ直ぐと視線を向けた麻祁が笑顔を見せる。吉岡はそれ対し、ふん、と軽く鼻を鳴らした。

「まずは一つの疑問から少しずつ答えていく。私が誰で、葉月との関係はなんなのか? 率直に言えば、私はある事件を調査していて、葉月には協力してもらっている関係だ」

「……事件?」

 思い当たる節があるのかないのか、吉岡は表情を変えずに小さく言葉を復唱する。

「知っていると思うが、豊中第一中での女子生徒の死亡事件についてだ」

「……それがどうしたのよ?」

 平然としている吉岡に、麻祁は言葉を続けた。

「現在もその犯人を捜索中なのだが……大体の目星がついた。……どうやら、豊中第一の生徒が強く関わっていると、私は考えている」

「…………」

「葉月にはその事件に関しての情報を集めてもらい、そして今、ここにいる次第だ」

「……警察なの?」

 吉岡の問い掛けに、麻祁は首を横に振った。

「いいや、ただの探偵みたいなものだ。警察とは関係がない」

「…………」

 吉岡の目が葉月の方へと向けられる。言葉は発せずとも、その視線から伝わり求めているモノは、先ほど麻祁に問い掛けの答えだと分かる。

 葉月はじっと瞳を見返したまま、答えた。

「麻祁さんの言うとおりです。私達は警察ではありませんが、事件の詳細を探るために情報を集めていました」

「なるほど……で、私に何の用? 私は一切関係はないんだけど?」

「私達も直接的な関係はないと思っている。……ただ、全くではないとも思っている」

「……どういう意味よ」

「最初の被害者である高橋朱莉、次に亡くなったの東美佳。この二人とは仲が良かったと見ているが……」

「ええ、よく話していたわよ。……でも、ただそれだけよ。別に恨む理由もないし、何もないわ。ただの友達ってだけで疑っているの?」

「いいや。話を聞きたいのはもう一人の方、江藤優美の方だ」

「…………」

 相変わらずの無言。しかし、吉岡の目じりが微かにあがった。

「――何か心当たりは?」

「……何も知らないわ」

「夜、外に出歩いているという目撃もあるんだが?」

「知らない」

「知らぬ男性と歩いているという――」

「――ッ」

 ダン! っと机が鳴り、グラスが跳ね上がる。

 叩き付けられた右腕より前にグッと頭を前に寄せ麻祁の顔を睨みつける。それに対し麻祁は何も応えない。

 奥歯を噛み締め、吉岡がその場から立ち上がり、席を離れようとした。

 葉月が咄嗟に呼びとめようと片手を伸ばす、その瞬間――。

「このまま帰ってもかまわない。だが、私達は確かめなければいけないことがある」

 麻祁の言葉が吉岡の動きを止めた。

「もし何かしらの成果を得られなければ、明日、私は学校へ出向いて話を聞いて回らなければならない。まあ、それでも気にならないのであれば、それでもいいんだが……」

「…………」

 麻祁の言葉に振り向いた背は何も答えず、ただ返ってきたのは小さな舌打ちだけだった。

 吉岡は麻祁の方へと向き直り、席へと戻る。

 胸元に両腕を組み、むすっとした表情を横へと向ける。

「……少し話題を変える。この男は知っているか?」

 ふと、麻祁が机の上に一枚の写真を置いた。

 吉岡の視線がそちらに向く。そこには一人の男が写っていた。

「…………」

 見覚えがないのか、吉岡は腕を組んだまま写真を凝視する。

「知りませんか……?」

 葉月の問い掛けに、吉岡は首を横へと振る。

「知らないわ。誰よこの人」

「そう、ならこれは……」

 置かれる一枚の写真。

 ふと吐かれるため息の後、吉岡の視線が写真へと向けられる。

「…………」

 無言。しかし、その視線は自然と吸い寄せられていた。

 麻祁が人差し指で写っている男の胸元へと指を置く。

「山本隆二」

「…………」

 出される名前に吉岡の視線が上目へと変わり、麻祁の顔を見る。それに対し、麻祁はその視線を見返したまま、言葉を待った。

 戻す視線の後、吉岡が口を開く。

「――知らないわ」

 視線を逸らし、水滴の浮いたグラスを手に取り、口へと付ける。

 その姿に、麻祁は何も反応を見せずに話を始めた。

「……吉岡愛理」

「…………」

 傾いたグラスから水滴が落ち、カランと氷が落ちる。

「私の友達にも名前に、あい、と付く人がいてな、そいつがまた結構変わっているんだ。人の名前を呼ぶ時は、普通なら苗字とか名前、愛称とかで呼ぶはずなんだけど、そいつはよりにもよってフルネームで呼ぶんだ。例えば、吉岡愛理とそのままで」

「…………」

「忙しい時でも、なにかある度にフルネームで呼ぶものだから、ある時、誰かが『どうして名前と苗字を一緒にして呼ぶのか?』と聞いたんだ。なんて答えたと思う?」

「……さあ」

「『それがあなたを示す確かなものでしょ?』だって」

「…………」

「名前はその人の存在を表すものだから、わざわざフルネームで呼び、自身の、あい、という名前も大切にしているらしい。よく、愛という名前は傍からしてみれば、その意味が重たいとか、名前負けしていると言われ、本人からも呼ばれた時、少し気恥ずかしい所もあったりで、重荷を感じる部分も出てくるが、私は率直な気持ちの表現でとてもいいと思う――吉岡愛理」

「…………」

「バイトをしていた理由は家庭内の事情からだと、葉月から聞いた。どんな環境かまでは調べてはいないが、その稼いだお金は自分のためだけに使ってないのは分かる。私達は責めるつもりで呼んだわけではない。真実を知るため、確証を得る為の助けが必要だから呼んだんだ。ここで何も得られなければ、必ずまた事件は起き、被害者が出る。誰一人、罪を背負うほどの事なんてしてないはずだ。罰せられるべきは自欲にとらわれ手を下したやつだけだ。他に罪はない」

「…………」

 吉岡が小さく鼻を鳴らした後、深くため息を吐いた。

 少しそっぽを向いていた体と顔、そして真っ直ぐな視線を麻祁の方へと向ける。

「――どこまで調べたの?」

「一応のことは全て」

「……それじゃ、どこから話せばいい?」

「この男の始まり、関係についてからお願いしたい」

「…………」

 吉岡が写真へと視線を向ける。数秒の間、静かにそれを見続けた後、話を始めた。

「出会ったのは私が二年になる前ぐらいの時よ。その時働いていたバイトの所で出会ったの。それが始まり」

「声を掛けてきたのは山本の方が先?」

「ええ、最初っから気持ち悪いやつで、ストーカーのようにずっと付けてきてたわ。毎日とは言わないけど、ほとんどの日、店に来ては話し掛けてくるのよ、気持ち悪いと思わない?」

「狙いは……」

 示唆する様な視線に吉岡は、ふとため息を吐いた。

「それ以外にないわ。いちおう、他の子にも話し掛けていたけど、帰りも私に話かけてきたから間違いないわ。で、数週間後にはそいつが言ってきたのよ。『食事にいかないか?』って」

「その時拒否はしましたか?」

「もちろん断ったわよ。気持ちわるすぎでしょ、毎日会いに来て、しかも食事はどうかなんて、誰もいくわけがないわ。……どうせ、それっぽい目的なのも分かるしね」

「でも、山本さんの話では一番付き合いの長いのは吉岡さんだと答えていました。……どうして、そのようになったのでしょうか?」

「……私が悪いのよ。全てね……」

「全て?」

「当時、まだバイトを始めた頃でありながらも、それなりに順調だったのよ。店長からの信頼も出来て、他の従業員やバイトの友達とも話しながらも仕事ができて、毎日が苦もなく助けられたわ。邪魔なのは、あの男だけだった」

「よほど通われていたらしいですね」

「ええ、それはもう、みんなが顔と名前を覚えるほどにね。当然私達の方も名前を覚えられたわ。とくに、私のはね」

「それで居づらくなったと?」

「……食事を断った後が問題だったのよ。諦めたのかと思ってたんだけど、それでもちょくちょく来てね、一応、お客サマの一人だから対応はしてたんだけど、長い間居座り続けるわ、他の子には話しかけるわで本当に迷惑だった」

「確かにそれは邪魔ですね」

「ええ、でしょ? で、店長が警察を呼ぼうかとも考えたけど、別にそれほど悪い事もしているわけでもないし、なによりそれに対して文句を言われたら、店の評判も落ちるかもしれないって事で、だんだん、職場内の雰囲気も少しだけ悪くなって……それで、私がそれに乗ったってわけ」

「食事の後にお金は? 誘った女性にはお金を渡していたみたいだが」

「二万円。最初の食事で渡してきたわ。もちろん、気味が悪いから受け取らなかったけど」

「その後は?」

「昨日の事は謝りたいと言ってまた来たわよ。お金はお礼のつもりで出したつもりだってね。それと、仕事が忙しくなったから店に来るのも少し遠のくって話もしていたわ」

「それでも関係を?」

「これで終わると思っていたんだけど、また次の週も来て、食事の誘い。確かに来るペースは落ちたけど、来る事には変わりないわ。放っておいても良かったんだけど、ずっと迷惑かけるわけにもいかないしね……」

「それでそのままの関係を続けたのか」

「正直、夜のご飯代も浮くし助かる部分もあったわ。……それに、山本自身、それほど悪い人間でもないわね。――気持ち悪いのは変わりないのよ。ただ、話していると楽しい時もあるし、色々な店も連れて行ってくれるで、そういう所は上手い人だったんだと思うわ」

「で、その後、江藤達とはどこで?」

「……ある時、山本が友達を誘ってみないか? って言ってきたのよ。最初は断ったんだけど、学校で色々話を聞いているとみんな生活が大変そうだし、それで……」

「バイトだけでは賄いきれないか」

「ええ、それぞれ理由があるからね。もちろん自分の為にお金を貯めている子もいたけど、両親の為にって子もいたから……それで、少しでも楽に浮かすために誘ったのよ」

「後で問題になるとは? 現に最初の頃はそっちの方面でも誘いをかけられると薄々感づいていたはずでは?」

「ええ、考えてはいたわ。でも、まさか私がいる時にそんな話を持ち出してくるわけがないし、もし後から言われたとしても、さいあく警察に言えばいいしね。それに、今までの食事代を返せって言われたなら、その分のお金も用意はできる準備はしていた。……でもね」

「そうはならなかった」

「何度か食事した時に、あいつ、こっそり他の子に目つけていたのよ。次第に私の所にくるペースが減って、そして全く来なくなった」

「その時にはすでに……江藤が」

「ええ、直接ハッキリとは聞いてないけど、一緒にいると薄々分かってくるものね。他の子も同じように……」

 吉岡がギッと唇を噛み締める。

「止めようとは?」

「……したけど、どう声を掛けていいのか分からなかったのよ。私から誘ったんだし、それに知るのも少し怖くてね……。でも、後から別の後輩に相談されたときはやっぱり……てね」

「殺された他の二人も?」

「ええ、美佳は優美の紹介で始まったっぽいわね。三年になった頃から、他の子を誘い出して、その分のお金は貰っていたみたいだけど。……でも妙なのよね」

「妙?」

「朱莉って……その……」

「最初に殺された子だな」

「朱莉はそんな事はやっているという話は聞いてないわ。バイトをその時までは一度も休んだことないのよ。お金の使い方も荒くはないし、トラブルに巻きこまれるような事はやってないと思うわ」

「殺される前に何か変わった動きや、何か話しは?」

「……そういえば、彼氏が出来たって言ってたわね。おかげで最近帰りに話す機会がなくなったんだけど……」

「なるほど……」

「……あまり疑いたくはないけど、優美がやった……わけじゃないわよね?」

「ああ、それは気にしなくてもいい。江藤は何もやっていない。殺害された時にはバイトをしている、その証言は取れている」

「そう……よかった。他の子は?」

「それに関してはまだハッキリとは言えない。ただ江藤や他の子がやっている事に関係はしているから、関わりはある可能性が高い。――江藤と関わりのある後輩を知っている?」

「ええ、何人かは……」

「できるだけ教えて欲しい。どこかで繋がりがわかれば、見つけやすい」

「わかったわ。明日、後輩から写真があるなら借りてくる。一年は少し難しいかもしれないけど、二年なら大丈夫ね」

「ありがとう、助かる。……とりあえず聞きたいことは……これだけかな」

「そう……」

 全てを出しきったかのように、吉岡は大きくため息をついた後、肩の力を落してソファーへと背を倒した。

「なんだか疲れたわ」

「せっかく来てもらったのに申し訳ないな。まるで責めているようで」

「……いいのよ、黙って見ていた私も悪かったし。話せてなんだか楽になれたわ」

 ふと吉岡が鞄に入れていた携帯を取り出し、ディスプレイに目を向ける。

「……もうこんな時間。そろそろ帰らないと……話はもうないのよね?」

「ああ、聞きたい事はそれだけだ。後は写真を……また来週辺りここで待ち合わせでもいい?」

「あー、来週はシフトがどうなるか分からないからちょっと厳しいかな……。葉月さんは明日も学校に?」

「えっ、あっ、はい」

「なら、写真とか借りれたなら葉月さんに渡しておくわ。また聞きたいことだけあったらその時で」

「わかった」

「それじゃ私は先に失礼するわ。…………」

 立ち上がった吉岡の視線が机の端に置かれた伝票へと向けられる。が、すぐに麻祁がそれを手元へと引き寄せた。

「これは私が、情報料として……」

「そう、それじゃね」

 席から離れた吉岡が外へと出る。

 中とは違い、辺りは暗く、虫の声が密やかに鳴き続けている。

 暖かい風になびく髪。吉岡は咄嗟に顔の横へと手を回し、髪を押さえた。

「吉岡さん!」

 突然呼ばれる名前に、吉岡が降り返る。そこには葉月の姿があった。

「葉月……」

「今日は助かりました。ありがとうございます」

 葉月は吉岡の近くまで駆け寄り、頭を下げた。

「その……すみません、何か利用したような感じになって」

「……いいのよ。私も話せてよかったし……でも、学校とかは大丈夫なの? その……生徒じゃないんでしょ?」

「それなら大丈夫です。生徒じゃなくても、年齢そのものは誤魔化してませんから、ちゃんとした高校生です。……学年は少し違いますけど」

「そうなの……ふーん。まあ、あまり気にしないわ、あまり聞くとわけがわからなくなりそうだし。写真とかはちゃんと集めておくわ」

「ありがとうございます。……それとアルバイトの方もありがとうございました。おかげで助かりました」

「アルバイト? ……ああ」

「吉岡さんに相談してよかったです」

「そう、それは良かったわ。……でもバイトもやめるんでしょ?」

「……はい、もう店長とは話を……」

「それならいいわ。突然やめるんじゃなければ……それじゃまた明日」

「はい……」

 片手を軽く振りながら、吉岡は別れた。

 一瞬だけ車のライトにより照らされる姿を、葉月はただじっと見続けている。

「もう話はいいのか?」

 ふと後ろから麻祁の声が聞こえる。

「はい、もう大丈夫です、お礼はいいました」

 葉月は振り返り、麻祁の方へと近づいた。

「後は写真などが集まれば、物的と人的証拠は揃うな」

「その言い方ですと、犯人の目星はついているのですか?」

「ああ、もう完璧にな。っというより、自ら姿を見せている。ほら、この写真」

「これは……?」

 麻祁から手渡される一枚の写真。しかし、辺りが暗いため見えない。

「……見えませんね」

「そこにちょうどいい大きな明かりがある」

 右手を伸ばし、指差したのはファミレスだった。

「ふふ、助かりますね」

 二人はファミレスの窓まで歩き、そして写真を確認する。

「これは……」

 驚く葉月。

「知ってる? あまり鮮明には写ってないけど……」

「知ってます、見たことあります。でも……」

「その答えを確信へと近づけるには、吉岡の持ってくる情報が必要だ。後、少しばかり遡って探らないとな」

「さかのぼる……ですか?」

「ああ、長く掛かった調査もこれで終わりだ。後は、その間に何もおきない事を祈るだけだ。……っと、あいつの手伝いも必要になってくるかもな」

「久柳ですか。……できますかね」

「案外やる時はやるんだぞ。一緒にいればわかってくるだろ?」

「ふっ、そうですね。頼りましょ」

 二人は話しながら帰路につく。

 遥か頭上では、今だ看板のランプがチカチカと灯っていた。

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