六節:証明の証言

 一つの明りがぽつりと溢れ出ている駐在所。

 ガラス張りの入り口から覗く中の様子は、一人椅子に座る警察官の姿があった。

 男は机に置かれている紙をじっと見つめ、その場から動かない。

 時計の針とペンだけがコツコツと響く中、

「――ッ!」

突然一人の男が入ってきた。

 慌しくなる空気に、警察官は立ち上がり、男へと近づく。しかし、その姿を目にした時、その足を止めた。

 机の前ではぁ、はぁ、と息を荒らす男。その姿は上半身裸の下着姿のままだった。

 唖然としている警察と目を合わす男。

 荒げる息のまま、大声で叫んだ。

「た、助けてくれっ!!」

――――――――――――

 ほんのり暖かめのゆったりとした雰囲気。淡い光に包まれるその一室に葉月と山本の姿があった。

 部屋の中央にはベッド。帽子を被った山本は忙しく動き、葉月はその端に座っていた。

「…………」 

 左目尻にほくろのある視線を、どこか不安そうに下へと落し、何も言わずにいる。

「…………ッ!?」

 膝に重ねていた手の上に、ふと別の手が覆った。

 葉月が顔を上げるとそこには、少しだけ表情を緩めて見つめてくる山本の顔があった。

 手から伝わってくるほんのりと暖かい温度。少しの間の後、声をかける。

「……大丈夫?」

 重ねた手を動かすことなく、言葉を待つ。

「……はい。少し緊張して……」

 少し強張った表情に、山本はふと笑みを浮かべた後、立ち上がった。

「初めてだからね。……ひとりだし、怖いのも当然だよ」

「…………」

 葉月は何も答えずに再び顔を下へと向ける。

「嫌なら無理しなくていいからね。帰っても何も言わないから」

「…………」

 何も言葉を返さない葉月に、山本は横目でその様子を見ながら忙しく部屋を動き回っていた。

「……っと、俺は先に湯入れてるね」

 ふと部屋の右にある浴室へと姿を消す山本。

 しばらくし、勢いよく水の跳ねる音が部屋中に響き始める。

 浴槽から出てきた山本の視線がベッドへと向けれる。そこには今だ不安そうに座る葉月の姿があった。心配そうに視線を下げた後、山本がその横へと座った。

 少しだけ体が弾み、沈む。

 横に座った山本は何も言わず、ただ前を見つめ、葉月は視線を落したままで、その間に言葉はない。

 ふと、ベッドに添えられていた葉月の手に突然、手が重なった。

「――!?」

 上がる両肩。重なり合う手と視線。触れ合う瞳と瞳に、映る姿。

 音一つない空間。互いは引き寄せられるように、顔を近づけ、そして唇を――。

「あっ!」

 葉月が突然、声を上げた。

 山本は驚き、顔を少しだけ下げる。互いに目を見開かせたまま、葉月が呟いた。

「お風呂……」

「風呂……? ああ!」

 いつしか部屋中には、湯のあふれ出る音が埋め尽くしていた。

 山本は急ぎ立ち上がり、湯を止めに浴槽へと走る。

 その姿が消えた事を確認すると、葉月はふとため息を吐いた後、ポケットの中から小さな機械を取り出した。

 手で包めばすっぽりと隠せるような小さな四角形。端にあるボタンを親指で押すと、ふと、中央にあるディスプレイに零の数字が浮かび上がった。

 零一、零二、零三………。

「…………っ!?」

 浴槽から出てくる音に、葉月はビクっと両肩を上げると、すぐにそれをポケットへとしまう。

 濡れた手をタオルで拭きながら山本が声をかける。

「助かったよ。もう少し遅かったら、海になっていた」

 笑顔で話す山本に、自然と笑顔が浮かべる葉月。

「っと……お風呂入ったから……どうしようか?」

 山本の言葉に、笑顔を浮かべていた葉月は恥ずかしそうに顎を下げ、目を伏せた。

「それじゃ俺から入ろうかな……。その後で葉月さんも……。もし嫌ならそのまま帰ってもいいから、何も気にしなくていいよ。あっ、これ先に……」

 山本が棚の上に置いてあった鞄へと近づいた。中からサイフを取り出しては数枚の札を出し、そしてそれを封筒へと入れた。

 葉月の足元へと近づくと、腰と下げ、目線を上げては封筒を手の上に置く。

「これ、食事のお礼。今日は楽しかったよ」

 再び立ち上がり、浴室へと向かい歩き始めた。

「本当に気にしなくていいから、いつでも帰っていいよ」

 立ち止まることなく消える姿を、葉月は見続ける。

 ドアが閉まり、しばらくしてシャワーの打ちつける音が響く。

 少しの間の後、葉月が体を浴室の方へと向け、そして口を開いた。

「……あの、本当にごめんなさい、私……」

 細く途切れるような声に、水の打ちつける音が小さくなる。

「……無理しなくていいよ。初めてだしね、帰った子は葉月ちゃんだけじゃないから気にしないで」

「……他の方もいらっしゃるんですか? その……帰った方って」

「いるよ。やっぱ緊張しちゃってね。こういうのは、ほら、初めてだと緊張するのは当然だしね。だから、別に帰ったって何も言わないよ。むしろ、その後、妙な空気になると俺の方こそ申し訳ないってなっちゃうから、だから気にしないでほしいんだ。また一緒に喋ったりしたいし、いろいろ聞きたいしさ」

「あの……もしかして、江藤さんも……」

「江藤さん? ゆうちゃんは……帰らなかったかな」

「吉岡さんは……?」

「吉岡……愛里、あいちゃんの事かな。あいちゃんはご飯だけだよ。今もたまにご飯に誘ったりするよ、一番付き合いは長いしね」

「長いって……そうなんですか? いつからの一緒に食事などを……?」

「ああ、んー、確かあいちゃんが一年か二年の時かな、今三年だよね?」

「はい」

「それぐらい前からかな。あいちゃんがバイトしている時に知り合って、そこからかな。最初は断られたんだけど、それからしばらくして別の場所で出会ってさ。いろいろ話を聞いていたら、家が大変みたいで……。だから、何か困った事があったら相談役としていろいろ話を聞いていたんだよ。その後で、ゆうちゃんや他の子も紹介してくれたかな」

「吉岡さんが江藤さんを紹介……ですか?」

「そうだよ。ゆうちゃんも他の子も、あいちゃんと同じように家が大変って事を聞いてね。……葉月ちゃんも確かそうじゃないの? ゆうちゃんが言ってたけど……」

「あっ、はい……。両親がその……」

 小さくなる声。少しばかり気まずくなる雰囲気に、シャワーの打ちつける音が少しだけ増える。

「もし何か困った事があったらいつでも言ってね。いつでも話ぐらいは聞くから」

「……ごめんなさい」

「謝ることないよ。別に悪いことしたわけじゃないんだし、あまり深く考えなくていいから、いつでも何か困った事があったら連絡してくれればそれでいいよ」

「…………」

 再び訪れる沈黙。浴室からゴソゴソと動く音を耳にしながら、少しの間を空けた後、葉月が口を開いた。

「……あの、一つだけ聞いてもいいですか?」

「えっ? なに?」

「たかはし……高橋朱莉さんって御存知ですか?」

「たかはしあかり? ――ああ、この前の……」

 名前を口にした時、山本の声が少しだけ落ちる。

「御存知ですか?」

「ああ、知ってるよ。その時はニュースでいっぱい流れていたしね。始めてだよ、近くの街であんな殺人なんて……ほんと物騒だよね。……そういえば、今はあの話はあまり見なくなったんだけど、犯人は捕まったのかな。……って捕まっていたら、今頃また流れるか」

「そのそれで……あの……そのとき被害にあわれた高橋さんって……聞いた話だと吉岡さんとよく話していたって……わ、私もよくは知らないんですけど……そういった話し、吉岡さんからは何か聞いてませんか? 私心配で……」

「ん~、あいちゃんからは直接聞いてないかな……」

「他の方からは……?」

「ほか……? ん~、こちらからはあまり連絡しないしな……そういえば、ゆうちゃんが何か言っていた気がしたかな」 

「江藤さんが?」

「ああ、詳しくは聞いてないけど、確かあまりいい感じの事は言ってなかったな。『自分だけ独り占め』とか『勝手に』とか。一応聞き返してみたけど、すぐに濁されたよ」

「……そうですか。あの……高橋さんと直接お話した事は……?」

「ないよ、見たことはあるけどね。確かあいちゃんと食事した時に一度だけ一緒に来た事があったな。話し掛けても何も言わないし、大人しい子だったよ。……あんな子がかわいそうにね……」

「そうですね……」

 葉月が視線を下げ、何かを考え始める。その瞬間、鞄にしまっていた携帯が鳴り始めた。

 机に置いてある鞄に近づき中から携帯を取り出しては名前を確認する。

「姉様……?」

 ディスプレイに映ったメールのマーク。中を開け、その内容を読んだ後、葉月は立ち上がった。

「――っ!?」

 自然と開く目。疑うかのようにじっと画面を見つめたままその場で立ち尽くす。

「……っと、出るよ」

 浴室から上半身裸のタオルだけを巻きつけた山本が出てくる。しかし、葉月の視線はただ画面を見つめるだけだった。

「葉月ちゃん……」

 ただならぬ光景に山本が手を掛けようとした瞬間――。

「ご、ごめんなさい! 急に用事が!」

 葉月が外へと飛び出していった。

 ドアの激しく閉まる音に、残される山本。

 一人呆然といる中、ため息と共に濡れた頭を掻いた。

――――――――――――

 ドアの閉まる音と同時にドタドタと靴を脱ぐ音が聞こえる。

 ガラっと引き戸が勢いよく開くと、そこには葉月の姿があった。

 テレビの音が混じる居間に座る二人の視線が上へと注がれる。

「おかえり」

 何気なく出る麻祁の言葉に、葉月は何も答えないまま机の左側に座った。

「おいおい、戸は閉めろって」

 龍麻が戸を閉めようと後ろに向き左手を延ばす。――だが届かない。

「くそっ!」

 体を床に寝かせ、何とか背を延ばし手をかけようとする。それを余所に、葉月はじっと麻祁の目を見つめていた。

「姉様……」

 どこか夢のように呼ぶ言葉に、麻祁は何も言わずに携帯を机の上に置いた。

 画面に映り出される写真、葉月はそれを手にとる。

「……まさか」

 唖然とする中、目が写真へと打ちつけられる。

 そこに映り出されていたのは、顔面を何かで潰され血まみれとなった一人の死体だった。

「――東美佳、の遺体だ」

 麻祁の言葉に、葉月の視線がぐっと上がる。

「確認は取れているのですか?」

「解剖はすでに済んである。親にも確認ずみだ。死んだのは今から二、三時間前だ」

「……私が食事をしている時ですね」

「殺された場所は豊中駅の近くの路上。散歩中の人が見つけて通報をしたようだ」

「よく東美佳と分かりましたね。……顔が無いというのに――」

「髪は残っているからな。それに鞄の中にバイトの許可書が入っていた」

「それじゃアルバイトをする為に夜に出歩いていたと?」

「表ではそういう事で一応の目を付けているが、私達の持っている情報と照らし合わせるなら別の『アルバイト』だったかもな。それに少しだけ変わった情報も入っている」

「変わった?」

「東美佳が殺されたのと関わりがあるかどうか分からないが、その辺りにある交番所に一人の男が飛び込んできたらしい、上半身裸の下着姿で――」

「っ!? それってまさか……」

「遺体発見の後、変わった報告が入っていたのを聞きつけて、急いで東美佳と関わりがあるかどうか直接本人に問いてみたが、全くのだんまりだよ。助けてくれと飛び込んで来たくせに、何も喋らないとはな」

「助けてくれとはどういう事でしょうか? その男も殺されかけた、という事でしょうか?」

「演技じゃなければそうなる。誰かに襲われたのは確かだろう。当時、男には返り血のようなものは付いてなかったらしいし。何も言わないのは、やましい事をしていたからに間違いはない」

「それじゃ東美佳と会っていた可能性が……?」

「可能生としてはある。今防犯カメラのチェックをしに回っているが、多分一緒にいる所も映っているだろうな」

「もしその男が東美佳と一緒にいて、それで殺されかけるとなると……それじゃ東美佳は一体誰に……?」

「そこが問題だ。まあ、カメラに一緒に映っていればいいんだが、それだけじゃな……そっちはどうだった?」

 麻祁の言葉に、葉月はすぐさまポケットから小さな四角形の機械を取り出した。

 横にあるボタンを押すと、葉月と山本の会話が始まる。

「情報は得ました。あまり確信には付けませんが、証明としては十分だと思います」

 葉月の持つ機械を麻祁が受け取り、耳へと近づける。

「えっ? 行ってきたの!?」

 横に寝ていた龍麻がぐっと体を起こす。

 目を開いて驚く様子に、葉月は少しだけ口元を緩めた。

「ええ、非常に楽しいひと時でしたよ」

「た、楽しいって……」

 少しだけ不安な表情を浮かべる龍麻に、葉月が顔を近づけた。

「あら、心配してくださっているんですか?」

「だ、誰がっ!」

「助けならいつでも来てくださいね。私の代わりに刺されてくれるなら、すぐに犯人も見つけやすくなりますし。そうだ、今度何かあった時は一緒に行動しましょう。それがいいです」

「や、やめろよ! 何で俺が代わりにならなきゃいけないんだよ!」

「それが頼りになる男と言うものなんですよ。今日あった山本さんって方も非常に優しい方でしたよ」

「……確かにそう思わされる男だな」

 会話を聞き終えた麻祁が機械を机の上に置いた。

「これなら次会うのも悪くはない」

「ええ、ですが所詮は互いに利用し合うだけの間柄。後腐れがない分、マシだとは思いますが、何か問題が起きれば捨てあう関係です」

「……会話の内容から、やはり江藤と吉岡に何かがありそうだな。特に江藤が関わっているか……」

「はい。ハッキリとはしませんが、会話の内容からも関わっていると思います。……どうしますか?」

 胸元で両手を組み、視線を落す麻祁。少しの沈黙の後、

「吉岡を落そう」

顔をあげた。

「明日、東美佳の事がニュースで出るはずだ。葉月は学校内でどういう変化があるかを」

「分かりました。聞けるだけの事は聞いておきます」

「私は他に情報が出てないかを聞いておく。午後からは吉岡の行動次第で直接聞き出す」

「直接聞くって、大丈夫なのか? もしその人が犯人なら……」

 不安そうな表情を浮かべ聞いてくる龍麻に、麻祁は目を合わせることなく答える。

「心配しなくてもハッタリをかけるだけだよ。その場で犯人かどうかを問いただすんじゃない。私達が欲しいのはあくまでも証明という証言だけだ。それに吉岡は問題ない」

「問題ない? どうしてそんな事が……」

「自分から生み出した問題なら、誰もが抱え悔やむはずさ。――人なら余計に」

「――人?」

 龍麻が一人首を傾げる。しばらく言葉を待つも、それ以上は何も返ってくることはなかった。

 ふとテレビから笑い声が聞こえ、三人の視線がそこに集まる。そこでは笑顔で話をしながら、笑い声を響かせる人の姿があった。

 

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