五節:ショートケーキ

「……あれ?」

 龍麻の目の前にショートケーキが現れた。

 白の箱に窮屈そうに詰められたそれは、チーズやチョコ、イチゴなど四種類ある。

「これは?」

 龍麻が左に座っている葉月に問い掛けた。

「ケーキです」

 当然であるがままのような答え。

「いや、あの……それは見れば分かるけど……」

「姉様は何に見えます?」

 葉月が向かい側に座っていた麻祁へと問い掛けた。

 麻祁はテレビの方へと顔を向けたまま、頻りにチャンネルを切り替えては、問いに答える。

「ケーキ」

「ですよね」

 麻祁の答えに葉月は笑顔を見せた後、皿を取るために立ち上がった。

「……そりゃケーキだけどよ……」

 箱から答えを求めるように、龍麻がじっと見つめる。

 ふと、麻祁が箱を少しだけ左へと動かした。

 向きが変わり、箱の右下に貼られていたシールが目に入る。

「フェリークス?」

「そうですよ」

 書かれていた文字を自然と読み上げた龍麻に対し、片手に皿を持って戻ってきた葉月が答えた。

「御存知ですか?」

「いや……知らないな。この辺りにそんなケーキ屋あったかな……」

 記憶の片隅から場所を探り当てようとする龍麻を余所に、机の上に皿とフォークが置かれる。

「豊中駅の近くにあるケーキ屋だな」

「さすが姉様、よく御存知で」

 麻祁がイチゴ、葉月がチョコを手に取り、皿へと移した後、巻かれていたフィルムを手際よく外し始めた。

 龍麻も慌ててチーズを箱から出し、皿へと移した後、フィルムへと手をかける。

「ケーキなんて……久しぶりだな」

「あまり食べないのですか?」

「誕生日の時以外は食べない……ってより、買わないな。……そういう所って、なんか入りづらいし」

「そうですか? 最近じゃスイーツ男子と言うのがいるみたいで、食べに来ている男性の方も結構多かったですよ」

「へぇ……そうなんだ……」

 龍麻がチーズケーキの先端近くにフォークを入れ、二つの内一つを口へと入れた。

「それにしても突然ケーキとか……近くに寄ったから?」

「バイト終わりに頂いたものです」

「へぇ……へっ? バイト?」

 鳩が豆鉄砲でも食ったのか、龍麻は動きを止め、問い掛けるように葉月の方へと視線を向けた。

 それに対し、葉月は平然としたまま、ケーキを小分けにしては口へと運ぶ。

「そうですよ。知りませんでした?」

「……いや、ぜんぜん」

「吉岡愛理との仲を深めるためにバイトに入ってもらっているんだよ」

「もう四週間になりますよ。気付きませんでした?」

 葉月の言葉に龍麻は首を横に振った。

「……で、進展の方はどうなっている?」

 麻祁の問いに、葉月はフォークを皿に置き、まっすぐと瞳を向けたまま答えた。

「吉岡さんとの間には、それほどの進展はありません。ただ、挨拶や昼休みなどにバイトに関してのお話などはよくしていますので、後少しでもう少し奥まで聞き出せるかもしれません。それと……別の方との進展は大きくありました江藤優美です」

「江藤優美?」

 龍麻が首を傾げる。

「ええ、吉岡さんと一緒のグループに属している人です。昼休みによく集まって話しているのを見ましたし、今も時々お話をしたりします」

「で、江藤がなにを?」

「ある話を持ち掛けてきました」

――――――――――――

 四時間目の授業終了のチャイムが鳴り、号令の後、生徒達が廊下へと飛び出して行く。

 葉月も昼食を取る為に廊下を歩いていた、その中――。

「葉月さん」

 突然後ろから声を掛けられた。

 後ろへ振り返るとそこには、前髪をピンで止めている江藤優美の姿があった。

「あの……なんでしょうか?」

 困ったような表情を見せる葉月に、江藤は、ごめんごめんと軽く謝った後、言葉を続けた。

「葉月さんって今、駅前のフェーリクスで働いてるんでしょ? よっしーから聞いたんだけど……」

「はい、吉岡さんが紹介してくれて、そこでお手伝いしています」

「もう三週間ぐらい経つんだっけ?」

「はい」

 その言葉に、江藤は他の音を遮るように口元に手を当て、顔を少しだけ葉月へと近づけた。

「ねぇ、もうお金って貰った?」

 落ちる声に葉月は視線を横に揺らした後、江藤へと戻した。

「はい……」

「そっか。……葉月さんってバイト何時間ぐらいだっけ?」

「最近は週五日の四、五時間ぐらいです」

「へぇ、結構長いね。それで……その、やっぱ結構少なかったんでしょ? バイト代って」

「少ない……でしょうか? 初めてだったので、そういうのは分からないんですけど……」

「いくらぐらいだったの……?」

 再び近づく顔と作られる手の壁に、葉月は引くことも出来ずに、合わせるようにして耳元に顔を近づけた。

「…………」

「ああ、そっか……ほんと大変だよね」

 教えられた金額に、江藤はうんうん、と一人頷きながら顔を離した。その姿に葉月が不安そうな表情を見せる。

「あの……やはり少ないのでしょうか?」

「あー、んー……少なくはないんだけど、時間掛けているわりには少ないかなーって……」

「そうですか……」

 少しだけ肩を落す葉月。江藤はその姿を横目でチラリと見た後、口元を少しだけ上げた。

「バイトってそんなものよ。高校生だからって、下に見られているのよ。……でさ……ここだけの話なんだけど、実はオススメのバイトがあるんだけど……知りたい?」

「オススメですか?」

「葉月さんって、ちゃんとやってそうだし、多分向いていると思うんだよねー。それに、今のバイトよりも短い時間で稼げるし、なんなら、そのバイトもしながら一緒に出来るのよ」

「一緒にですか? ……なんですかそれって?」

「ふふっ、気になる?」

 もったいつけるように笑みを浮かべる江藤に、葉月は一度だけゆっくりと首を縦に振った。

「なら、葉月さんに特別に教えてあげるんだけど……あのね……」

 耳元へと江藤が顔を近づける。伝えられるその言葉に、葉月は目を見開かせ――。

――――――――――――

「……で、教えてもらった軽く稼げるバイトというのがこれです」

 葉月が半袖シャツの胸元に付けられたポケットから、一枚の小さな紙切れを取り出した。

 机の上に広げられたそこには、十一桁の携帯の番号が書かれていた。

「携帯?」

「はい、しかも男性の」

「男!?」

 葉月の言葉に龍麻が驚く。

「はい、ごく一般的な社会人の方です」

「接触は?」

「すでに四回ほど。一緒に写真も撮っています、よく姉様の知る方でしたよ」

 取り出した携帯の画面を人差し指で器用に押し、ある一つの写真を映し出した後、机の上へと置いた。

 そこに居たのは三十前半、年相応の姿をした男と笑顔を浮かべて横にならぶ葉月だった。

「山本隆二か」

 麻祁は携帯を手に取ると、指を動かして他の写真にも目を通し始める。

「やまもとりゅうじ? って、紹介されたバイトってなにするんだよ? まさか……」

 頭の中で駆け巡る妄想に龍麻が一人慌てるも、葉月は平然としたまま答えた。

「ただの食事だけですよ」

「しょ、食事?」

「ええ、食事に誘われてお話して、後、少しばかりのお小遣いを貰うだけです」

「それだけ……?」

「それだけですけど……他に何か期待しているんですか? ん?」

 葉月が突然、龍麻の方へ顔を寄せた。

 どこか意地悪そうに向けられた涙ぼくろに、龍麻の背が少しだけ後ろに下がり、言葉を詰まらせる。

「いや……あの……」

 おでこから自然と汗が湧き、頬を伝う。

 龍麻のその戸惑う姿に、葉月は目元と口元を微かに上げた後、体勢を戻した。

「外見は誠実そうに見せていますが、やはり内心はイヤらしいものですね。これでは姉様の身も危ぶまれます」

「だ、誰がこいつなんかと!」

 沸騰したやかんのように、龍麻がピーピーと声を上げ、麻祁を何度も指差した。

「突然必死になるなんて、そう証明しているものですわ。姉様、十二分に気をつけてくださいね。私がここにいる限りは安全ですから」

「俺がそんなことするわけないだろ!? 大体、俺は撃たれたんだぞ、こいつに! 初めて出会ってすぐに! 普通撃つか!?」

「当然の対応だと思います。夜中の公園、しかも女性一人ですよ? そこによく訳も分からない身元不明の不審者がいたなら、当然の行動です。私は逆に聞きたいですね、どうしてここに貴方が存在しているのかを……姉様が無事で良かった」

 合わせた両手を頬に擦り寄せ、キラキラとした視線を送る葉月に、龍麻はふと、ため息をつき、肩を大きく落した。

「俺の身が危ないな……」

「……で、関係は今、どこまで進んでいる?」

 麻祁が携帯を置き、前へとずらした。葉月はそれを受け取り答える。

「まだ食事の段階ですが、そういう雰囲気はチラチラと見せているので、もし必要ならば更に先へと進めます。……捜査の方はどうなっていますか?」

 麻祁がわざとらしくため息をついた。

「これがてんで。一応、関係者の身辺調査は全て終えている。もちろん、関わった生徒やそこに写っている男などに関係性も全てだ。……だが、確証たるものはまだ見つけていないよ。これといった動きも見せてないし、街の監視カメラの映像も一応は残ってはいるが、そうそう都合のいい所は映っていない」

「……それでは私が動きましょうか。賭けにはなりますが、もしかすると高橋朱莉に関する情報が聞き出せるかもしれませんですし……」

「高橋朱莉って確か殺された……それじゃ、その男が犯人? もし関わりがあるとしたなら……」

 龍麻の言葉に、葉月は首を横に振った。

「確証はないとはいえ、犯人としての線はかなり薄いと思います」

「どうして?」

「妙に警戒心の強い男ですからね。連絡一つするにしても、こちらからの証拠はほぼ残しません」

「どういった連絡方法で今は?」

「まず繋がりになる人を探します。つまり、江藤優美がそうなりますね。あくまでも連絡だけの関係を作り、互いが必要とした時のみ連絡をし合っているみたいです。その後は、お金が欲しそうな子など見つけては話しかけ、連絡先や直接会うという流れですね」

「連絡先を教えてもらっているなら、携帯の……ほら、履歴とかに残るんじゃないのか? 登録とかしているわけだし」

「登録はしません。しないでくれ、と言われました。もし、何かあった時に証拠を残さないためだと思います。着信としての電話番号は残りますが、通話は残っていないため、間違い電話などで話を通そうとしているのだと思われます。なので、最初以降はこちら側からは電話番号を送るだけで連絡が出来ず、江藤優美を通してという事になります」

「枝役の江藤優美が得する事は?」

「実際に目で見てはいないので、断定はできませんが、多分紹介料として何割かは貰っていると思います。後、山本と食事をした際、お小遣いとしてお金をいただくのですが、その二、三割ほどを紹介してくれた人物――江藤優美に渡すという約束ができています」

「二、三割のお金?」

「ええ、単純な話をすれば、一万円いただけるとしたら、二、三千円を江藤優美に渡すという事ですね。こちらも紹介料としてだと思います」

「金額が大きければ大きいほど、手元に入るって事か」

「その通りです」

 麻祁の言葉に、葉月が頷いた。

「そういう流れで、江藤優美はお金を稼いでいると思われます」

「それじゃ、他の女子生徒にもそういう紹介みたいな事をしているかもしれないって事か……」

「可能性としてはあるでしょうね。豊中高ではバイトをしている生徒は沢山います。その中で、吉岡愛理達とのグループと関わりのある生徒が何人かいてもおかしくはありません。ごくたまにではありますが、先生の方から相談する時もあるぐらいですからね、信頼性が高いのだと思います」

「誰かに告げ口みたいなのをされる心配とかはないのか……。人が多いと、何かと問題がありそうな気がするんだけど……」

「その可能性も出てくるでしょうけど、お金を払っている方もバカではないので、それなりの予防線は張ってますよ。電話番号や仲介の枝を作ったりで、……それに、もし何かしらの被害が出ても多分、公になることはほぼないと思います」

「なんで? もし誰かに言ったらそれだけで……」

「信頼性というものが出来ているからな」

 答えた麻祁に、二人の顔が向く。

「男を紹介するのは枝となった人物だ。それが他人なら恐怖を感じたりもするが、よく知る人物、知人ならば、まずそちらに相談するだろうな」

「親には直接言わないのか? もし、その男や紹介してくれた同級生にも、不信を感じたなら、俺なら親に言うと思うけど……」

「そういう人は何人かはいるだろうけど、紹介する人物はさすがに選んでいると考えてもいい」

「……両親がいない人?」

「ああ、もしくは、両親との間に何かしらの障害が出来ているかだ、そうなれば、相談できる人は限られてくるし、自然と上下関係というものが出来ている。葉月も設定上では、家庭内が困窮状態で両親が共働きとなっている。性格も真面目だからこそバイトをして家庭を助けようとしているんだ、そんな状態で何かが起きて不安になった場合、相談するとしたら誰にするか? 両親にはこれ以上の迷惑を掛けたくない、自身が良い事をしていると思えない。そう考えると、当然言えるはずもないから、その悩みを自分で塞ぎこんでおくか、もしくは近く場で最も優しく接してくれた人物――江藤優美に相談するしかないというわけだ」

「そういう事で、何かがあっても表沙汰になる事は少ないんですよ。単独でやっているなら警察にでも駆け込むでしょうけど、そこまで精神の高い子なら誰にも頼らずに勝手にやってると思いますしね」

「山本と江藤の繋がりが分かったからには、さらに探る必要がある。殺された高橋朱莉も同じグループに属していたんだ。絶対に何かしらの繋がりはある。……次に会う予定は?」

 麻祁の視線が葉月へと向けられる。それに対し、答えるようにして葉月もまっすぐと瞳を向けた。

「連絡をつければいつでも可能だと思います。……ただ、日に関してはあちらの都合にもなりますので、その手の話を持ち掛かけて、行動を移すにしても二週間は掛かるかもしれません」

「時間は気にしなくていい、もしその間にまた何かが起きれば何かしらの動きを見せるかもしれないし……葉月は山本から聞き出せる情報を」

「はい」

「私はもう一度身辺の繋がりと新しい情報がないかどうかを聞いてくる」

「……俺は?」

 忙しく動き始める二つの空気。その間に挟まれ、一人遠く感じていた龍麻が声を出す。二人の視線が龍麻へと向けられ、そして同時に口を開いた。

「皿洗い」

「お皿洗い」

 ぐっと差し出される二つの皿と、クリームの付いたフィルターとフォーク。

 龍麻はふとため息をつき、三つ重ねた後、立ち上がった。

「聞くんじゃなかった……」

 両肩を落し、静かに場所を立つ龍麻。

「ああ、それと……」

 背を向けたと同時に麻祁に呼びかけられた。

 振り返ると、そこには机に置かれたケーキの箱を指差す麻祁の姿があった。

「これも冷蔵庫に、これ一番重要」

「まさに今すべき行動ですね」

 相を打ち合う二人の姿に、龍麻は横目で見た後、くるりと自分の座っていた場所へと腰をおろし、重ねていた皿を机においた。

 箱の中に残っていた、たった一つのケーキを掴み出し、フィルターを外した後、そのまま直接ケーキの先端にかぶり付く。

 口元にクリームを付けながら、一人黙々と食べる龍麻を余所に、二人は近くに出来たショッピングモールの事を話していた。

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