四節:パトロン
暖かな朝日が射し込み、鳥がさえずる校門を何十人もの生徒が通り行く。
友達と話しながら歩く者や、軽快に自転車を走らせる者。別々の場所から現れては、校舎へ向かい集まる。
その中に吉岡愛理の姿があった。
ウェーブのかかった髪を揺らしながら、一人校門を抜ける。
「おはようございまーす」
突然後ろから声がかかる。振り返るとそこには、吉田ゆりがいた。
互いに挨拶した後、ゆりが吉岡の横へと並んだ。
「バイトの方はどう?」
吉岡の問い掛けに、ゆりが笑顔を浮かべ答える。
「今のところは順調です。先輩方も優しい人達ばっかりで助かります」
その言葉に、吉岡の顔を少しだけ伏せ、頬を緩ませた。
「そう、それはよかった。もし、何かあった時はいつでも言ってね。また紹介するから」
「はい、ありがとうございます!」
二人の足が玄関前へと近づく。――その時だった。
「おはようございます」
後ろから女子生徒の声が聞こえた。
二人が振り返るとそこには、葉月の姿があった。
涙ほくろのある左目元を細め、笑顔を見せるその姿に、吉岡はキョトンとした表情を浮かべるも、横にいたゆりがすぐに挨拶を返した。
「あ、おはようございます」
頭を軽く下げるゆりに対し、葉月も頭を下げ、同じ言葉を返す。
「あれからアルバイトには間に合いましたか? 無理行って引きとめてしまって……」
「あっ、はい、大丈夫でした。それより、葉月さんの方こそ間に合いましたか?」
「間に合いましたよ。ゆりさんのおかげで助かりました、ありがとう」
「あっ、いえ……。私もちょうど買うものがあったし……よかったです」
交わし始まる二人の会話。一人残された吉岡はただ静かにその光景を眺めていた。
止む気配を見せない場に、吉岡は言葉を入れ、その場所から離れようとする。
「……それじゃ、私は先に――」
去ろうとする吉岡の背中を、葉月が追うように視線だけを向けた。その様子に、ゆりは気付き、すぐに吉岡を呼び止めた。
「あ、あのすみません!」
呼ばれた吉岡が振り返る。
「ん? なに?」
「実は……あの……」
吉岡の見据えるような視線に、ゆりは少しだけ顔を伏せ、言葉を詰まらせた。代わるようにして、葉月が口を開く。
「吉岡さんにお願いしたい事があるんです。私から」
「お願い?」
吉岡の視線が葉月へと向けられる。
「昨日ゆりさんから色々とお聞きしたのですが、アルバイトに関して紹介などをしていただけるみたいで……。私にもどこか教えていただきたいのですが……」
「バイト? なんで?」
ぐっと責め寄るような雰囲気を出す吉岡。ゆりが急ぎ言葉を割り込ませた。
「あ、あの! 葉月さん、両親が一緒に働いているらしくって、その手助けをしたいらしいんです。それで、バイトとかの事で悩んでいる事があるらしくって、それで……その相談を……」
「ゆりさんには無理を言ってお願いをしてもらったんです。わたし自ら言えばよかったのですが……」
しんみりとなる空気に、顔を伏せる二人。その姿に、吉岡は何も言わないまましばらく見続け、そして……、
「分かったわ。紹介してあげる」
ふと、息を漏らした。
吉岡の返事に二人は顔を上げた。ゆりは笑みを見せ、葉月はもう一度深く頭を下げる。
「ありがとう吉岡さん。本当に助かります」
頭を下げる葉月の姿に、吉岡は安堵したような表情を薄く見せ、再び息を漏らした。
「そこまで頭を下げられると私も困るわ。……それに、まだ紹介したわけじゃないんだし。葉月さん……だっけ?」
「はい」
「紹介は一応してあげるけど……それに関して色々聞くこともあるから、その後でもいい?」
「はい、何でも聞いてください」
「それじゃ放課後に……そうね、校門前でまた会いましょ。いい?」
「わかりました」
葉月が小さく頭を下げると、吉岡は片手を振りながら二人に別れをいい、先に校舎へと歩き出した。
二人がその後ろ姿を見届けた後、歩き出す。
「ゆりさんありがとう。本当に助かったわ」
「いえいえ、私なんか……もし吉岡先輩がいいって言ってくれなかったら、私だけじゃどうしようも出来ないし……」
「先に言ってもらえただけでも十分助かったわ。また今度何かおごるわね」
「えっ!? ほんとですか!? それじゃ、今度新しく出来たカフェに行きませんか? あそこのケーキが結構いいって話なんですよ」
「ケーキ……いいですね。それじゃもしアルバイトが決まったら、それのお祝いで行きましょ」
「はい!」
二人の表情に自然と笑顔が浮かぶ。
今だ途切れる事がない人の流れに、二人は話をしながら溶け込んでいった。
――――――――――――
スーツを着た三十半ばの男がガラスのドアを開ける。同時に鳴る電子音のチャイム。
「いらっしゃいませー」
レジの前に居た青と緑の制服を着たウェイトレスが声を出し、男を迎え入れた。
「一名様ですか? おタバコはお吸いになられますか?」
「いや、連れが先にいるんだ」
男が黒のファイルを持つ右手で奥を指す。
「かしこまりましたー」
その言葉にウェイトレスは軽くお辞儀をし、厨房の方へと姿を消した。男は人の居なくなったレジの横を通り過ぎ、辺りを見渡し始める。
向かえ合わせのソファーに座る何十もの人の中から、待ち人を探す。
男の視線がある一点で止まる。それは、ソファーに一人だけ座る銀髪の女子生徒の姿だった。
見つけるや否や、男は迷わずその席まで行き、その向かい側へと座った。
「待たせた」
手にしていたファイルを自身の右側へと置く。男より先に座っていたのは、麻祁だった。
「ああ、待ちに待った」
麻祁は右手に持っていたスプーンで高く積もられたパフェのクリームを掬い、口へと運んだ。
「何か頼むものは?」
「ああ、そうだな」
男は机の右隅に置かれていたチャイムを押した。
数十秒も経たないうちに、一人のウェイトレスが席の前へと歩いてきた。
「御注文は?」
「烏龍茶で」
「他のものは? もう昼飯時じゃないのか?」
「奥さんが弁当を作ってくれていたからそれで済ませたよ。烏龍茶で」
「烏龍茶が一つですね。以上でよろしいですか?」
「ああ」
男の返事に、ウェイトレスは軽く頭を下げた後、奥へと下がった。
「で、情報は集まった?」
突然切り出す麻祁の言葉に、男はああ、と頷くと、右側に置いてあったファイルを開き、数枚の紙を取り出した。
「少しだが進展はあった。お前の情報のおかげだな」
パフェの横へと置かれる紙を麻祁は左手で拾い、読み始める。
「山本隆二。ロクでもない野郎だ」
「数年前に条例違反。……だが、捕まってはいないようだな」
「担当からの話によれば、女子生徒の方から訴えがあったらしいが……」
「烏龍茶です」
横から突然聞こえるウェイトレスの声に、男は言葉を止めた。
机に置かれたグラスを手に取り、ウェイトレスに片手を上げる。
数秒待ち、ウェイトレスが伝票を置き、離れた後、男は言葉を続けた。
「だが、十分な証拠がなく、あくまでも任意での調書のみで終わってる。そのままブチ込んでもよかったらしいが、その生徒も生徒で証言に曖昧な所が出てきたらしい」
「なら、実際にはやってはない可能性も?」
「いや、あいつは確実にやってるんだと。届けを受けた後、色々調べてみたらしいんだが、他校の生徒との接触も何回かあったらしい」
「それなら証拠は手に余るほど出てくるだろ? 監視カメラにでも映っていれば言い逃れは出来難いだろし、何より携帯の履歴には接触した足跡が残されているはずだ」
「それがかなり用心深いらしく、まず携帯なんてものは使わないようだ。その届けを出した女子生徒の話によれば、出会いはネットからではなく、直接での声かけ……つまりナンパだと」
「ああ……なるほど」
「調査をしてみて分かったが、山本は目についた女子生徒を見つけると、その学校を調べてから帰宅後の外出を狙って声掛けをしているようだ。断られればそのまま次を探して、また見つかれば声を掛ける……よく暇のある男だ」
「それで足跡を残さないと……。だが、それだけではあまり数は取れないんじゃないのか? そんな不審人物にほいほい付いて行くとは考え難いが」
「山本は非常に口の上手い男だ。それにそのタイミングを見る目もある。声を掛けると言っても何も路上でところ構わず、というわけではないみたいだな。何かのきっかけを作ってそこから入り込んでいるらしい。……それにタチが悪い事に、きっかけを作った後、その女子生徒からお金の欲しい生徒を聞き出して、誘い出してもいるみたいだ。まるでばい菌のようなやつだよ」
「それで輪を広げていくわけか。カメラに関しても警戒は強そうだな」
「ああ、なるべく目の無い場所を選んでる。おかげでそういう瞬間を押さえようとしても証拠が無いし、その前後関係も確かなものが出て来ないから困っていたみたいだ」
「……なら、吉田との関係性の証明も難しそうだな」
麻祁の言葉に、男はふと、ため息をつき、肩を落した。
「……全くその通りだ。尾行や周辺の聞き込みなどもしてみたが、これと行って確証の得られるものは手に入らなかったし、最近吉田ゆりとは食事やカラオケ以外の場所には立ち寄ってない。一応、補導という形で捕まえて任意で聴取を取ろうとも考えたが、あまり深く関わると本件にまで影響が出る可能性があるから、それは控えたよ」
「賢明な判断だな。今、吉田に関しては内部の方まで調査を進めている。もう少しで何か別のモノが掴めるかもしれない」
「そうか、頼りにしている。こちらも何か新たな情報が入ったらすぐに知らせる。一応その渡した資料には、山本が関わったとされる生徒の名前と学校、それと住所が書きこんである。数は少ないが、もし何かの参考にいるなら使ってくれ。それと、現段階での調査報告の方もそこに書いてある。気になる部分があったら、いつでも連絡を」
「ああ、分かった。情報に感謝する」
麻祁は手にしていた資料を置いた後、パフェの底に沈んだ残りをスプーンで掬い取り、それを口に入れた。
僅かにクリームがこびり付いた入れ物の横に、烏龍茶が置かれる。
「俺からの奢りだ。手はつけてないからな」
そう言いながら男は立ち上がり、机の左端に置かれていた伝票を手に取った。
「他に注文はないのか? 俺が支払っておくよ」
「もう行くのか? 忙しい身は辛いな」
「俺だってゆっくりしていたいが、立場ってものがあるからな。こんなところで、どこかの女子生徒とメシを食っていただなんて、知人に見られて噂されたら大変だろ?」
「それは困るな。カメラにもばっちり残ってるし」
「それじゃな」
男は伝票をヒラヒラと漂わせた後、レジへと向かい歩き出した。
「また」
一人残された麻祁は口にしていた烏龍茶を机に置いた。
色のない残された氷が冷たい音を出し、少しだけ崩れる。
「パトロンね……」
――――――――――――
日の傾くオレンジ色の景色の中、校門の前に一人待つ葉月の姿があった。
合わせた両手で鞄を持ち、正面に広がる景色だけを見続けている。
校門からは部活が終わり帰路につく生徒がチラホラと出て行く。
「お待たせ」
その中から、吉岡が現れた。
「ごめんなさいね。少し用事があって……先に言っておくべきだったわ」
「いえいえ、大丈夫です」
「……それじゃ行きましょうか」
吉岡の言葉の後、二人が歩き出す。
それに遅れるようにして、一人の女子生徒が校門前へと近づいていた。
部活が終わり、一人歩く女子生徒――江藤優美だった。
右肩に掛けていた大型のバックを少しだけずらし、前髪を止めているピンの位置を直す。
ふと、優美の目に二人の姿が入る。
どこかへ案内をするかのように先を歩く吉岡と、それに続く葉月。二人は校門を通り過ぎ、左への方へと消えて行く。
優美は足を止め、その光景を眺めた後、うっすらと笑みを浮かべた。
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