四節:弓道部

「弓道部……弓道部……確かこの辺りだよな……」

 校舎から外へ出て、木々に囲まれた場所を龍麻が一人歩く。

 麻祁と別れた後、ザックを背負いながら一人校舎をウロウロとしていたのだが、結局場所が分からず、横を過ぎて行く菖蒲高の生徒に聞き、今は校舎の東側にいた。

 辺りにはジャージ姿やそれぞれの部活に合った服装で運動をする菖蒲高の生徒が点々としており、その中を、龍麻は出来るだけ見つからないように、顔を少しだけ伏せ、腰を屈めながら目的地を目指していた。

 頭の中では先ほど説明してもらった弓道部までの道を示す目印となる物が浮かんでいるも、生徒が目に入るたびに、その説明してくれた男子生徒の不審そうな顔が頭に割り込んでくる。

 辺りをキョロキョロしながら、歩くこと数メートル。

「ああ、あった」

 弓道部と書かれた板を見つけ、思わず声を出した。

 辺りを見渡すと、建物の周りでは白い胴着に黒の袴姿の女子生徒が体を動かし体操をしている。

 龍麻は気付かれないように、コソコソとまるで泥棒のように中へと入っていった。

 土間にならぶ靴。そこから先は少し広めの空間があり、色々な道具が置いてある。

 目の先にある開かれた引き戸からは、真っ直ぐと伸びる通路のような部屋が見え、そこには胴着に袴姿の何人もの女子生徒が、弓を構え立っていた。

 合図を掛ける様な声もなく、張った弦を一気に離し、カッと弾く音だけを響かす。

 まるで川のせせらぎのように、静寂で流麗な動きに龍麻は魅せられいてた。

 少しの間の後、自分の立場に気付き、首を軽く振っては立っている女子生徒の中から栞の姿を探そうと首を伸ばす。……しかし、そこには見えなかった。

 更に体を横へと動かし、その場所に他の女子生徒がいないかを探そうとした、その時――。

「あれ? 君は?」

 突然、左の方から女性の声がした。

 急ぎそちらに顔を向けると、そこにはジャージ姿の先生らしき人がいた。

「あ、あの……あの」

 咄嗟の事に、龍麻は返す言葉を見失い、一人慌て出す。その姿に、ジャージ姿の女性が更に近づいてきた。

 上から下へと視線を動かせた後、口を開く。

「君は……ここの生徒じゃないね。何の用事? ……ってより、他校の生徒は入れないことになってるんだけど……」

「す、すみません……俺、久柳栞の弟で……その、忘れ物を届けに……」

「久柳栞……?」

 通路の方へと体を振り向かせた後、引き戸の所まで近づき、顔を覗かせながら名前を呼んだ。

「栞? ちょっとちょっと……」

 手招きをして呼ぶジャージの女性に、部屋の右側の奥で正座していた胴着の袴姿の女子生徒が立ち上がった。

「はい?」

 後ろで結んだ髪を揺らしながら、女性の元へと近づく。

「はい、なんでしょうか……?」

「栞、ちょっとあの人……」

 女性が声を落し、不審そうな表情を浮かべながら、土間で立っている龍麻を指差した。その指先を見た栞は、思わず叫びそうになり急いで口元を押さえた。

「あっ……」

「知り合いなの? 弟とか言ってるけど……」

「は、はい。弟です……田辺先生、あの……」

 申し訳なさそうな表情と、何かを言いづらそうにしている姿に、田辺と呼びれたジャージ姿の女性が、いいわよ、と答えた。

 その言葉に栞は笑みを浮かべ、感謝の言葉と、深くお辞儀をした後、小走りで龍麻の元まで駆け足で近づいた。

「兄さん! どうしてここに!?」

 馴染みのある声で呼ばれる呼称。聞き慣れたその言葉に、龍麻は安堵の表情を見せる。

「栞……いたんだ……」

「い、いますよ。弓道部ですし……それより、どうしてここに?」

「ああ、ああ……これを……」

 思い出したかのように、龍麻はポケットに入れていた色あせた蝶のヘアゴムを取り出し、栞の前に広げて見せた。

「これは……」

 栞はそれを受け取り、少しの間だけそれを見る。そして、ギュッと握り締めた。

「ありがとうございます……無くしたものかと思い、困っていました。……見つかって良かった……」

「家に忘れていたから……」

 龍麻の目が栞の髪へと向く。それに気付いた栞が少しだけ横へと向き、ちょうど結び目部分を龍麻に見せた。

「これは先輩から借りたものです」

「そうなんだ……悪いことしたな……せっかく、昨日も家に寄ってくれたのに……」

「いえ、渡しもうっかりして寝てましたし……でも……」

 栞の声が徐々に落ち始め、そしてどこか言い難そうに龍麻から視線を逸らした。

 その様子に気付いた龍麻は、慌てて麻祁の事を説明しようと口を開く。

「ああ、あれは――」

「栞、ちょっと!」

 突然、栞の後ろから女性の声が割り込んできた。

 二人の視線が後ろへと向く。そこには田辺先生がいた。

「ここで話すのもなんだから、中に入って話をしなさい」

「え、でも……」

「あ、俺も忘れ物を渡せたので、すぐに出ます」

「出なくていいわよ。もう少ししたら一年生が戻ってくるから、いま外に出ると目立つし、そこに居ても邪魔になるの。……栞、もう何本か引いたんでしょ?」

「はい。先に引かさせていただきました」

「それなら休憩でいいわ。……奥で弟さんと話してなさい。もう少しで終わりだし、人が少なくなった時に一緒に帰りなさい。その背中で目立ってるリュックも部活の帰りだと思うでしょうし」

「ありがとうございます! 助かります!」

 栞が田辺先生に深くお辞儀し、それに釣られるように龍麻も頭を下げた。

「すみません……」

「その代わり弓道に興味があったら入ってみてね。どこの高校かしら?」

「天渡三枝です」

「天渡三枝か……確か弓道部はなかったかしら……まあ、いいわ。興味が湧いたらそれで……栞説明してあげてね」

 そう言った後、田辺先生が奥へと向かい、他の生徒に龍麻と栞の事に関して簡単に説明を始めた。

「それじゃ行きましょ兄さん。もう少しで一年生が帰ってきますから、奥に座る場所もあるのでそこに」

 ヘアゴムを胴着のポケットに入れた後、龍麻の手を握り締め、奥へと導くように引き始めた。

「ああ……」

 少し慌てながらも龍麻は靴を脱ぎ、手を引かれるまま、奥の部屋へと移動し、左端の開けた空間に二人で座りこんだ。

 他の女子生徒の目が少しだけ龍麻に向けられるも、気にした様子も見せず、再びそれぞれの空気で弓を引き始める。

 目の行き場を失い、辺りをキョロキョロとする龍麻に、正座で横に座る栞が話しかけた。

「すみません、このような場所で……弓道部には部室のような部屋がないので……」

「俺の方も悪かったよ、突然来て……。……ここは邪魔にならないよな?」

「ええ、大丈夫です」

「そっか……それなら良かった。……栞はもう練習はいいのか?」

 心配するような問い掛けに、栞は軽く頷く。

「私はもう引きましたから、次は一年生が外から帰ってきて引くはずです」

「そうなんだ。……そういえば、弓道って思ったよりもゆったりとした動きで撃つんだな。もっと早く撃ったりするかと思ったんけど……構えたらすぐにとか」

「ふふ、そうですね。私は幼い時から教わっていたので知っていましたが、初めて見たり、入部して来た人は驚かれたりします。よくテレビとかで目にしているのは弓道ではなく、アーチェリーに近いですからね」

「アーチェリー? 同じ弓じゃないのか?」

「使う道具としては同じ……というより似てはいますが、弓道とアーチェリーでは付ける道具やルールなど比べてみれば、大きな違いがあります。……そうですね、弓道は的を中(あ)て、アーチェリーは的を射る、ですかね」

「どちらも同じ意味じゃないのか? 当てると射るじゃ……」

「兄さんの言うとおり、どちらも的中させるという目的は同じなのですが、弓道の場合は、ただ的に矢を中てればいいのです。アーチェリーは出来るだけ中央に近い場所に中てる。どちらも集中力を重要としますが、弓道の場合は弓自体に補助具のような物が付いてない為、引く際には手首で調整したりと、自分の思った場所に矢尻を中てる事が目標になります。……ちょっと待っててください」

 栞が立ち上がり、立て掛けている幾つもの弓の中から一つを取り出し、龍麻の元へと戻ってきた。

「これが私の弓です」

 龍麻の前に出された一張の弓。細い体にピンっと張った弦が、上下非対称の僅かな括れを更に強調させている。

 差し出された弓を手にした時、龍麻はその見た目よりの重たさに少し驚いた。

「……っと、結構重たいな、これ……」

「ふふ、そうですね。見た目は細くて軽そうに見えますが、長さもありますので大体十キロぐらいはありますね。ああ、それには注意してください!」

 龍麻が弦に触れようとした瞬間、横に座った栞が急いで止めた。

 龍麻が急ぎ手を離し、再び両手で弓を握り締める。

「え、何かあるのか?」

「い、いえ、弦を引く際には、弓かけと呼ばれる手袋のようなものが必要になります。それにあまり弦を引き過ぎると、もし頬や耳などに当たった場合は、その部分が酷く腫れるのでとても危険なんです」

「ええっ……それは怖いな……」

「弓道は構えがとても大事です。射法八節というものがあるように、射るまでのその一つ一つが動作が重要なものになっています。ですので、弓道には集中力が必要で、難しいとされていますね」

「へぇー……そうなんだ……」 

 二人の視線が目の前で弓を引く女子生徒に向けられる。静かな空間の中で、弦を引く音だけが響いていた。

 その中でふと、栞が龍麻の方へと顔を向けた。

 栞は龍麻の曇り一つもない表情に真っ直ぐとした目線で見ているその姿に、少しだけ顔を下げ、どこか言い難そうに言葉を慎重に選びながら口を開いた。

「あ、あの……もし……その……よろしかったら……時間がある時にでも家で……その、弓の使い方を……その……」

 たどたどしくも出る言葉に、龍麻がすぐに反応する。

「弓? ああ……そうだな……ちょっと興味があるかな……」

「そ、そうですか!? あの、それならもし良かったら家にも道具はありますし、時間があるなら、あの、ぜひ私と……」

「家って……栞のはあるけど、俺のはないだろ? 剣道ならあると思うけど……弓道は買わなきゃだめじゃないのか?」

「父さんのがあります。多分合うとは思いますが、一度聞いてみますね。父さんも兄さんがするとなったら、弓も貸してくれると思いますし、もし無ければ一緒に買いにいっても……」

「ああ、それならそれでいいかな……。でも日曜日は忙しいんじゃないのか? 部活とかあって」

「いつもはありません。練習試合とか特別な事が無い限りは日曜日は学校へは行きませんので、その時は大丈夫です」

「それなら日曜日にしようかな……お金は麻祁に聞けばいいし……もし買うならいくらぐらい?」

「そうですね……大体――」

 二人が笑顔で話す中、弓道部の外からはジャージ姿の女子生徒が数人帰ってきた。

「戻りましたー」

 女子生徒の一人が靴を脱ぎ、土間から広場へと移動した時、奥に座っている龍麻に気付いた。

 いつもと違う思わぬ来訪者に驚いた女子生徒が近くにいた田辺先生へと声をかける。

「先生、先生! 誰ですあの人……」

「ん? ああ、あれ栞の弟らしいよ」

「弟ですか……?」

 疑いのあるような視線を二人に向ける。

 それを知らずに奥に座っていた龍麻と栞は、笑い声を笑顔を浮かべながら話を続けていた。

「はぁ……なんか栞先輩、いつもと違いますね……あんなに笑ってるの見た事ないです」

「そう? ああー、そう言われれば……まあ、栞は普段は落ち着いてるからね。弟が来て嬉しいのよ。それよりほら、着替えて。そろそろ交代よ」

「は、はい、わかりました」

 女子生徒は急ぎ、左側の部屋へと行き着替えを始める。

 その後ろ姿を見送った後、田辺先生が龍麻の方へと視線を向け、そして部室の入り口を閉めた。

――――――――――――

 校舎から外へ出て、建物に挟まれた通路を麻祁が一人歩く。

 龍麻と別れた後、先に一人で校舎をウロウロとしていたのだが、結局大したものは見つからず、校舎内の間取りなどを確認した後、外へと出ていた。

 麻祁が調べた限り、菖蒲高は、一つの校舎の周りを体育館や運動場、競技別の施設が囲っている構図になっており、それぞれの場所へはいくつもの通路が繋がっている為、土足でも移動が可能になっていた。

 龍麻が向かっている弓道部は校舎から右側、東の方向にあり、その間には別の競技施設や男女別のトイレなどが設置され、当然その近くでは練習などをしている部活の生徒もいた。

 麻祁はメガネにスーツ姿のまま、次は校舎の近くにある体育館の様子を見るために向かっていた。

 ジャージ姿の一人の男子生徒が麻祁の横を走り抜ける。

「おい!」

 突然後ろから聞こえる声。振り返るよりも早く、後ろから伸びてきた手が、麻祁の右手首を掴む。

「…………」

 手が離されると同時に、麻祁がゆっくりと振り返る。そこには熊が威嚇するように肩を広げ立つ、三島の姿があった。

「少し話があるんだが?」

 睨みあい、互いにぶつけ合う二つの視線。異様な空気が流れ始める中、通り過ぎたはずの男子生徒が、その瞬間を隠れるように見ていた。

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