七節:白毛

  中央を区切られた片側二車線の道路を一台のバンが、悲鳴をあげるようにエンジン音を高鳴らせて前へと進む。

 左右を流れる緑が徐々に薄くなり、そして道は一つになった。

 そこから少しだけ進むと何もない広場が現れ、車その中心で動きを止める。

 後部のドアが開き、麻祁が先に降りる。

 続けて龍麻が降りる中、麻祁は後部へと回り、バックドアを開けた。

 のそのそと遅れて麻祁の横へと並ぶ龍麻が、荷台で座ったまま動かない篠宮の姿に気付いた。

 向けられた視線に気にした様子もなく、黙々と一人銃を組み立てる篠宮を余所に、麻祁は道路の右側にある山をジッと見つめ、そして荷台へと顔を向けた。

「遅いな」

 麻祁の言葉に、篠宮は手を止めず、カチャカチャと音を立てては、バラバラだった黒のパーツを銃へと組み上げていく。

「うるわいわね。さっさと行きたければ行けばいいでしょ? 心配しなくても、山に入る前に試し撃ちで背中を狙ってあげるわ」

「おい、聞いたか? 今確実に殺人予告をしたぞ、もし撃ったら通報してくれ」

 念を押すように人差し指を突きたて龍麻にそう言った後、麻祁は背中を向けて以前入った場所と同じ所を目指し歩き出した。

 その後姿を見ていた龍麻がある事に気付き、急ぎ荷台へと目を向ける。

 そこには一人だけ寂しく残されたザックの姿があった。

「あっ――」

 声を出し、麻祁に呼びかけようとした瞬間、

「必要ないわよ」

篠宮がそれを止めた。

「持っていかなくて大丈夫なのか? もしあのイノシシの大群に襲われたら……」

「その心配がないから、持って行かなかったんでしょ? 持っていく事を忘れる程のうっかりを起こすようなタイプじゃないわよ。それにもし襲われたって、何一つ心配することないわ。一応護身用としてナイフか拳銃を持っているだろうし、何よりそこらへんの石や棒きれを使ってでも相手を殺そうとする人物よ、逆に相手が怯えて、命乞いするわ。その点は一緒にいたんだから理解できるでしょ?」

「それは……そうだけど……」

 龍麻が不安そうな表情を麻祁に向ける。しかし、すでにそこには誰の背もいなかった。

「――はい、ぼーっと景色眺めてるヒマがあるなら、これ持って!」

 篠宮が折りたたまれた一枚の白い大きな紙を龍麻に渡した。

「何これ?」

 受け取った四角形の紙を両手で大きく広げる。その中央には赤い丸が描かれていた。

「的よ。調整が必要だから」

「調整っても……どこに……」

 龍麻が不思議そうに広げた紙を見た後、辺りを見渡す。

 何もない場所。風もなく、ただ照らす太陽がジリジリと灰色の地面を焼く。

「どこにこれを?」

「…………」

 何も答えず黙々と作業をしていた篠宮が、ふと龍麻の後ろを指差した。

「それを持って、立って。出来るだけ両手いっぱいに広げて、頭より上へ」

「上……? って、俺!?」

「心配しなくても大丈夫よ、一発目から当たりはしないから。それに頭より上に広げておけば当たりはしないわ。私の腕知ってるでしょ?」

「で、でも――」

「早くしないと、来るわよ?」

 ジロっと睨むような視線に、龍麻の片足が一歩下がった。

「調整もしないまま、またあいつ等に襲われでもしたら、今度こそ終わりよ。前回は何とかなったけど、今回も無事……なんてことは誰も確約してくれないわ。自分の身は自分で守るもの。ほら、分かったらさっさと行く! 時間はない!」

 少しばかり声を張り上げ、右手を払う。

 その動作に、龍麻は眉間を歪ませるも、駆け足で奥へと向かった。

「……従順は大罪ね」

 天井に当たりそうになる銃口を横へと倒し、バッグから数発の弾丸と弾倉を取り出す。

 銃弾を手に取り、弾倉へと一発ずつ詰め始める。

 残り空きは二つ、散らばる弾丸から先端の色が違う二発の弾丸を手に取り、弾倉へと入れた後、それを銃へと取り付けた。

 散らばる弾丸を片手でかき集め、大きく開かれていたバッグの口へと放り投げると、そのまま端へと放り投げ、場所を広げる。

 うつ伏せになる前に、運転席へと顔を振り向かせ、大声で叫んだ。

「今から撃つ! 耳栓は!?」

 その言葉から数秒して、運転席に座っていた男は見せつけるように大きく折り曲げた左肘を見せ、指先で耳を叩いた。

「用意がいいわね」

 それを確認した後、篠宮はスカートのポケットから取り出した耳栓を付け、銃身に付けられた三脚と同じく床に伏せ、銃を構えた。

 右肩に銃底を当て、左手でカーペットを擦る。

「ウール……毛が邪魔ね」

 ひとり愚痴を呟き、左手で右腕を押さえ、銃身の横にあるボルトを引いた。

 覗くスコープの先、そこには両手いっぱいにひし形の紙を広げては、頭上に赤の丸を見せつける龍麻がいた。

 篠宮が右肩を引き締め、引き金に掛けられた指に力を――入れる。

 ドン! っと音と同時に下がる右肩。

 撃ち出された弾丸は白の線を走らせ、龍麻より遥かに右へとずれ、空を切る。

「――!? う、撃った!? ど、どこ!?」

 音と同時に揺れる紙。龍麻が自身の体と辺りを見回す。

「……ずれた。頭部を狙ったのに……」

  一度眼を離し、一人あわてふためく龍麻を一瞬見た後、再びスコープを覗く。

 スコープの中心、上部と左右に付けられたノブをそれぞれ回し調整し、そして構える。

 覗き見える十字の線。上下左右には幾つもの横線が走り、台形の型を組むと、まるで山から十字の太陽が上がるような型を作る。

 龍麻の額を台形に重ね、十字の中心に赤の丸を合わせ――撃つ。

 揺れる車内に舞う硝煙。運転手は窓を開け、風を流す。

 二度目に撃ち出された弾丸は、紙を握り締める右手の横を逸れ、線を走らせた。

「――!? ま、またかよ! どこ撃ってんだ!」

 大声を出す龍麻を余所に、篠宮は同じ体勢を保ったままボルトを引き、スコープのノブを数箇所ひねり――撃つ。

「痛ッ!?」

 音と同時に紙が裂け、龍麻の両腕が勢いよく開かれた。

「つつ……」

 左右の手で交互の腕を掴み、まるで寒さに耐えるように顔を下へと向ける。

 なみだ浮かべる顔を上げ、車の荷台で銃を弄る篠宮を見た後、足元をふらつかせながら前へと歩き出した。

 何も言わず前に立つ龍麻に、篠宮が一言かける。

「ごくろうさま」

 その言葉に、龍麻は振るえる両手を出し、それに目を向けた。

「し、死ぬかと……お、俺……撃たれて……」

「何言ってるのよ、生きてるじゃ――!?」

 突然聞こえる破裂音。その音に合わせるように、二人の首が山へと向いた。

 篠宮がバッグドアから顔を出し、目を細める。

「今のは……」

「――来るわよ」

 頭を急ぎ下げ、銃から弾倉を抜くと、端に投げ捨てていたバッグから弾丸を取り出し、詰め始めた。

「来るって……またあれが!?」

「さあ、どうでしょうね。同じのが来るとは限らないけど、多分……」

「それじゃ麻祁は今……」

 再び山へと顔を向ける龍麻に、篠宮はうつ伏せになり銃を構えた。

「追いかけられているわね」

「それって……だから銃声が……」

「あれは合図よ、前も聞いたでしょ? 追いかけられているのに、わざわざ振り返って撃つやつなんていないわよ。心配しなくても、前と同じなら問題なく合流できる、それより……」

 篠宮が少しだけ上に銃を動かし、音を出す。

 その音に反応し、龍麻が篠宮の方へと顔を向ける。

「邪魔なんだけど?」

 その言葉に、龍麻の目が見開いた。

 体と重なる射線。真っ直ぐと伸びる銃身にある引き金を、人差し指が触れる。

 龍麻は急ぎ体を横へとずらした。

「そんな所で突っ立ってても一緒よ。ほら、早く乗って、そろそろ来るわよ」

 慌てた様子で龍麻が荷台に上がり、窓から見える山を覗こうと近づいた。しかし、うつ伏せになる篠宮の体が道を遮り、道路しか見えない。

 上を跨ごうと一度篠宮に目を向けるが――首を振り、その場で少しだけ腰を屈めては、首を何度も動かせる。

「さっきから横でなにしてるのよ? 見たければ近くで見ればいいでしょ?」

 その言葉に龍麻は軽く頭を下げ、吸い付くように体を窓に寄せ眺めた。

「――!?」

 その瞬間、発砲音が遠くから鳴り響いた。

 肩を上げ驚く龍麻が少しバランスを崩しそうになり、うつ伏せのままの篠宮が呟く。、

「そろそろね……」

 右腕を押さえていた左手を一度離し、軽く広げてはすぐに左腕を掴み、グッと力を入れた。

 姿勢を戻した龍麻が再び窓から覗く。

「あ、麻祁!」

 焦った表情など一切見せず、淡々として車に向かい麻祁走ってくる。

 車のバッグドアへと回り、荷台へ飛び乗る。

「相手は!?」

「同じ!」

 右手に銃を持ったまま、運転席へと走り、男の左肩を数回叩く。

 その瞬間、エンジン音が響き、車が走り出した。

 ぽっかりと大口の開いたバッグドアから覗き見える後方へと流れて行く景色。

 車内のグリップを両手で必死に掴む龍麻が、麻祁に向かい叫んだ。

「おい! どうなってんだ!」

 車内に響く声に、麻祁は答えず、龍麻の足元を指差した。

「そこのザックをこっちへ」

 その言葉に龍麻は、篠宮の足の横にあるザックを手に取り、差し出す。

 それを受け取った麻祁は中から耳栓を取り出し、龍麻に渡した。

「これを付けろ! 鼓膜が裂けるぞ!」

「鼓膜が裂ける? なんで!?」

「銃声で裂けるんだよ! それでもいいなら付けなくていい!」

 麻祁の言葉に、龍麻はすぐさま耳栓を手に取った。

「後、こっちへ来い! そんな所にいて、もし踏んだら後で頭を吹き飛ばされるぞ!」

 声と同時にさす指が篠宮の足から麻祁への頭へと、その意味をより具体的に想像させるかのように動く。

 その動きを追い続けていた龍麻の目が、麻祁の頭へと向けられた時、急いで近くへと移った。

 耳栓を付けようとする麻祁に、龍麻が問い掛ける。

「これからどうすればいいんだ!?」

「何もしなくていい! 後、耳栓をしている状態だと音が聞こえづらい、だから終わるまで何もするな!」

 麻祁の言葉に、龍麻は一瞬戸惑いを見せるも、真っ直ぐとした目線で頷いた。

 運転席の後ろへと移動する龍麻に、麻祁はザックを持ったまま、篠宮の横で立ち、開けられたバッグドアに目を向けた。

 下を流れる道路の奥から、地面を蹴り上げて走ってくるイノシシの群れ。それは一度目にした事のある光景。

 それを眺めていた麻祁は運転席へと向かい、肩を二度叩いた。

 徐々に落ちていく速度、追いかけて来るイノシシとの距離が少しばかり縮まっていく。

 麻祁が道路へと近づき、手にしていたザックの底を地面に付ける。

 摩擦で底の擦れる音を二回鳴らし、そして手を離した。

 道路と共に流れるザックが、押しかけるイノシシの群れの足元へと消え――。

 「――!?」

 突然鳴り響く発砲音に、龍麻が釣られるように篠宮の方へと顔を向けた。

 撃ち出された弾丸が地面に転がるザックの頭を貫いた。

 その瞬間、ポンッ! という空気の弾ける様な音と共にザックが爆発し、辺りに鮮やかな色の液体を撒き散らした。

 走るイノシシの足や毛に色がこびり付き、奇妙な模様を作り出す。

 篠宮が変わらぬ姿勢のままで銃を構え、そして――撃つ。

 破裂音と共に硝煙を車内に吹かせた弾丸は、風に急かされるように真っ直ぐと突き進み、迫り来る赤と緑の色をしたイノシシの目へと命中した。

 走る意思を無くした肉塊は、他のイノシシを巻き込んでいく。

 続けざまに篠宮が引き金に力を入れ、今度は緑と青のイノシシの目を貫いた。

 硝煙が漂うたびに一匹ずつ消えていくイノシシ。その光景を遠くで見ていた龍麻が、ある事に気付いた。

――色の付いたイノシシだけを狙っている。

 ザックから飛び散った液体は乱雑に走るイノシシの群れに色を付けた。しかし、足元や毛に色を付けたイノシシは全てではなく、黄色の横を走る一匹には何も付いておらず、更に、その後方にいる青の左右にいる二匹にも色は付いていなかった。

 型を成し一斉に走る疎らな模様。篠宮は色のあるモノだけを狙い、確実に足を止めさせていく。そして、ある一匹の背を撃ち抜いた時、その状況は一変した。

 麻祁がそれに気付き、急ぎ運転手の元まで行くと、肩を三度叩いた。

 車は止まり、龍麻がバックドアに近づく。

 広がる景色。真っ直ぐ伸びる道路の奥に、ある一匹のイノシシが倒れていた。

 それは他のイノシシとは違う、青や赤の色に染まった白の体毛。その周りを数匹の色付いたイノシシが鼻を鳴らしながらウロウロと動いていた。

 白毛のイノシシは何度も足元を崩しながらも、立ち上がろうとしていた。そして――。

「――ッ!!?」

 見入る龍麻の横で発砲音が響き、肩を跳ね上がらせる。

 弾丸は白毛の目を貫き、その場に体を沈ませた。

 左目を赤く染め、隻眼となった白毛の周りをウロついていた数匹のイノシシがその体を押し始める。

 茫然といる龍麻の横を通りすぎ、耳栓を外しながら篠宮と麻祁がバンを降りた。

「回収はどうするの?」

 篠宮の言葉に、麻祁は真っ直ぐと前を見つめたまま答える。

「あいつらが今やってるさ。手を出せるわけないだろ?」

 その言葉に、篠宮はふんっと鼻を鳴らし、イノシシの方へと目を向ける。

 頭に降り注ぐ血が押すイノシシの目元と鼻先から流れ落ち、地面に赤く、擦る跡をつける。

 次第にその跡は歪み、そして森へと消えていった。

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