五節:普通の基準

「この学校、どう思う?」

 その言葉に俺は首を傾げた。

 次の目的地も分からないまま廊下を歩く最中に、麻祁から質問をされた。しかも、まだ来て間もないって言うのに、どう思うと聞かれても……。俺は自分の思ったそのままを言葉にした。

「普通の……学校?」

 その言葉に麻祁は背中を向けたまま歩き続ける。

「普通……そう、見た目は普通の学校だ。それじゃ、ここにいる生徒は普通だと思うか?」

「えっ……」

 その質問に、俺はすぐには答えられなかった。さっきから目にしていた姿、それはどこにでもいる生徒の一人なのは間違い。

 しかし、麻祁の事からも、そしてその質問の意図を考えると、普通じゃない、という気持ちの方が強くなっていた。俺は少しだけ間をあけ、答える。

「普通じゃない……のか?」

 麻祁が立ち止まる。俺もそれに合わせ立ち止まると、そのまま振り返ってきた。

「普通とはなんだ?」

 麻祁が目が少しだけ細まる。その目はまるで怒っているようではなく、ただ聞いている、そんな感じがした。

「え、えっと……」

 俺は言葉を詰まらせるも、出来るだけ自分の言葉で答えた。

「普通ってのは……その、当たり前というか常識みたいなことで……」

 出来るだけ分かりやすく伝えようと思い言葉にするも、俺の思っているような事が上手く言葉にできず、たどたどしく表現として出されるだけだった。

 麻祁はジッと俺の目を見続け、

「……何を基準にして、その対象を普通と区別しているか分からないが、もし、この学校にいる生徒が自分の周りにいる生徒と一緒じゃないと思っているなら、それは間違いだ。お前の学校にいる生徒や他の学校で通う生徒と変わりはないよ。ただ……一つを除いてはだがな」

そう言っては振り返り、また歩き始める。

「一つを除く……?」

「この学校に関して、何か噂で聞いたことはないか?」

「噂……確か、受験してもほとんどが落とされるって聞いた事があるな。俺が天渡高に入学する時に聞かされたことがある」

「どうして受験しても受からないと思う?」

「どうしてって……んー、それが分かるなら誰も受けないと思うけど……」

「答えは簡単だよ。そいつらに何も特別なことがないからさ」

「特別って?」

 角を曲がり、また真っ直ぐと伸びる廊下を歩く。

「両親が生まれた時、もしくは途中からいなくなったとか、何かしらの精神が肉体に衝撃が起きたとか、はたまた、他の人にはない力が使えるとか」

「力?」

「人間が既に持っている押えられた力だよ」

 廊下の途中、左にある道から外へと出る。目の前に端が見えないほど広大な運動場が現れた。そこには、その競技にあった服装に着替えて運動をする、何人もの生徒達がいた。

「私達人間は無意識の内にそれぞれの力を抑えている。それは無理をすれば体が確実に壊れるから、自然とそうなっているんだ。しかし、中にはそのリミッターが外れてしまった人間だっている」

 そう言いながら麻祁は中へと入り、元の場所へと戻った。

「それじゃ、ここにいる生徒にはその力が使えると?」

「ああ少なからずな。だが、ここにいる生徒のほぼ全員は他の学校にいる生徒と同じだ。元々能力が無くても、環境が影響してここで通う生徒もいる。この高校が全寮制な理由はそこにもある。それを含め、ここを一種の病院と捉える人もいる」

 麻祁が小さな息を吐く音が聞こえた。それは、どこか呆れたようなため息の感じだった。

「さっきこの場所が特定の生徒を受け入れる理由として例としてあげたが、ここにいる生徒は何かしらのトラウマ、精神的外傷や肉体的外傷を受けてきた者達が集まっている。ただ人それぞれ度合が違う為、先生は一人一人の状態を見て、その子にあったカウンセリングなどを個人的に行っているんだ。その光景が部外者から見れば病院のように見えるんだと――滑稽そのものだろ」

 ふん、と麻祁が鼻で笑った。

「ここを見たこと無いからそう言える。実際にそれを体験したことが無いからそう思える。ここに来て、生徒の姿を見たお前はそう感じたか?」

 その言葉に俺は首を横に振り答えた。

「そう、ここにいる生徒は他と変わりはない。ただ、少し別の理由としての悩みがあるだけでな。ちなみにそこが保健室。以前お前が寝て起きた場所だ。そこでカウンセリングなどを行ってる」

 麻祁が親指を横に向けある部屋を指さした。俺は通り過ぎる際、その部屋に目を向けた。

 開かれたドアから見えてきたのは、自身の腕を枕にして、その中に顔を埋める長髪の乱れた白衣を着た人だった。

「カウンセリングに来る生徒は限られている。そうそう多くはないし、それに何よりも生活面の事だけではなく、当然学校での事に関してもある」

 近くの階段を上がり、二階の廊下を歩く。近くの部屋から、いくつもの楽器が交じり合った音が耳に入ってくる。

「ちなみに、さっきの質問で、他の人にもそういった催眠などを掛けたことがあるのか、と聞いていただろ? その質問の答えとしては――ある。と言っておこう。ただし、こちらの強制ではない。催眠のリスクに関しては話しただろ?」

「……確か、記憶が消えても、後からまた思い出すとか……」

「そうだ。いくら催眠を掛けても、一度覚えた記憶は消えはしない。それは、催眠での効果は記憶を消すものではなく、記憶された出来事を脳を奥に押し込む事だからだ。故に消せることは絶対に出来ない」

「それじゃ、俺が見たような出来事をした体験した人は……?」

「基本は放置、放って置いても問題はない。大体、大きいカマキリや大きい蜘蛛を見た人間が他の人に対して、見たんだよー! なんて言っても、信じてくれるわけないだろ? そんな奴わざわざ連れ出して、記憶の奥にそれを押し込ませるなんて手間がかかる。消すのは自ら望んでの事だ」

「望むって……」

「理由はいくつでもある。目の前で両親、もしくは友人が残忍な方法で殺害される現場を間近で見た。自分の思い描いていた真実とは違う、もっと捻じ曲がったものを目にしたとか、色々ある。一応、全てのケースは資料として収めてある――見てみる?」

 麻祁が立ち止まり、顔半分だけをこちらに向け問いかけてくる。俺はすぐに首を振った。

 話を聞く中で、一瞬だけ頭に浮かんだ。それは俺の家族が目の前で殺される映像だった。すぐそれを振り払ったが、嫌な気分だけが心に残っている。

「そうか。読みたければいつでも言え、暇な時見せてやる」

 そう言いながら、麻祁が歩き出した。

「……まあ、読んでも、とてもいい気にはなれないがな。それぐらい酷い内容だ。毎回寝る度に、悪夢としてその光景が浮かんでくるらしい。だから、奥に押し込めたくなるのさ」

 横にある部屋から生徒が数人出てくる。明るく声を出し、時たま笑い声をその場に響かせながら、俺達の横を過ぎていく。

「しかし、催眠はあくまでの一時凌ぎのようなもの。より濃い記憶は印象として火傷のように焼き付けられ、そして大地に大きく生える老樹のように根を深く張り、死ぬまでその瞬間は朽ちることはない。そこに堂々と存在し、ふとした拍子に底からまた溢れ出し、そして苦しみ出すのさ。一度蘇った記憶は、二度と埋める事は出来ない」

「……それはつらいな」

「ああ、だが、消せなくとも別の方法でそれを押えようと私達はしている」

「どうやるんだ?」

「――別の記憶を埋めるんだよ」

「別の記憶を?」

「一度埋めた記憶を再び掘り出さないように、別の記憶でまた埋める。そうだな、例えば楽しい記憶とか、嬉しいとかそういったものだ。コミュニケーションや出会いなどを優先して、少しずつそれを積み重ねて二度出ないようにするのさ。ただ、これはかなり難しい。カウンセリングなので少しずつその人を理解していく事も大事だが、最終的には本人の性格にも関る事だから、私達に出来るのはそういった環境を作る事だけだ。後はその人次第になる」

「…………」

 思っている以上に重たい内容に、俺は自然と掛ける言葉を失っていた。消したい記憶なんていくつでもある。それはさっきあった出来事でもそう、学校での事、過去での事でもそうだ。だが、そんな悩みなんて、その人達に比べると些細な事なんだと思えてくる。

 その時だ、頭の中にある疑問が一つ生まれた。――麻祁にも消したい過去、そういった事があったのだろうか?

 直接聞くのは少し気まずいと思いつつも、言葉として先に口走っていた。

「あ、麻祁は何かあったのか? そういう消したい記憶みたいなのって……」

 俺の言葉に合わせ麻祁が立ち止まる。背中を向けたまま、何も言わない。もしかして怒らせたのか? まずい……。

 そう思い焦っていると、ふとある音に気付いた。さっきまで聞こえていた楽器や、生徒の笑い声は今は消え、無音の中、横の部屋から布をバサバサと扇ぐような音が聞こえてきた。それに合わせ、少し開かれたドアから風が通る。

 麻祁は横の部屋へと入り、そしてその原因となる場所に向かった。

 誰も居ない教室の中、開かれた窓からは風が入り込み、少し紅くなるカーテンを揺らしては存在を示すように音を出す。

 広がるカーテンを端で包み、そして麻祁は窓に手を掛け、外に顔を向けた。俺もそれに釣られ、目を向ける。そこには、夕焼けの色に染まる木々に囲まれた、いくつもの寮が立ち並んでいた。あれが、ここに居る生徒が住んでいる場所なんだろう。

 しばらく見た後、麻祁は窓の鍵を閉め、ドアへと向かい歩き出した。

「消したい記憶なんていくつでもあるさ。だが、残したい体験だっていくつでもある。私が私として今生き残っているのは、それを記録し、そして糧としているからだ。もし、それを忘れてしまうなら、私が存在とする価値はココにはない」

 麻祁の白い背中が部屋を抜け、

「……まあ、今のお前には分からないだろうけどな」 

左へと消える。

 耳に残る声、その言葉にどこか違和感を覚えた。それは今まで説明してくれた時にはない、まるでそう語る自分自身を嘲笑うような感じだった。

 一人部屋に残された俺は、すぐにあの背中を追った。

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