終節:下校

 廊下を歩く二人の姿。外から射し込む夕日により、白の体はオレンジ色に染まっていた。

「いてて……」

 麻祁の横にいる龍麻が、左腕の肘裏を何度も親指で擦り、声を出していた。

「そんなに痛いか? あれでも的確にやってるからそう痛みはないはずだぞ?」

 呆れたような麻祁の言い方に、龍麻がすぐに言葉を返す。

「的確って、常にあんな事してるのか!? あいつらの目的は何なんだよ!?」

「だから、それだよ」

 麻祁が指さす方向。それは擦る左手に握りしめたペットボトルだった。龍麻はそのペットボトルの蓋の部分を持ち、張られたラベルに目を向けた。

 中で揺れる白く濁った液体に、その容器を取り巻く青のラベル。そしてそこには、黒の長髪に白衣を着た少女の絵が描かれていた。

 少し崩したようなアニメ調。目の中にはキラキラとした星が輝き、口元からは小さな舌を覗かせていた。突き立てられた親指は、持つ人にへと向けられ、その横にはポップ体の文字でこう書かれていた。

『献血、ご協力に感謝します!』

――――――――――――

 教室を出た二人はその後、階段を上がり三階の廊下を歩いた。そして――それはすぐに起きた。

 突如落雷のような音を上げ扉が開かれ、白衣の集団が現れた。

「な、なんだ!! おい、誰なんだよ!!?」

 白衣の集団は、猪の突進であるかの如く龍麻に向かい突っ込んできた。

「両手両足を押えろ!! 運べー! 運べー!」

 聞こえる小さな女の子の声に、さらに白衣の集団はその勢いを増し、龍麻の手足を掴んでは、まるで胴上げをするかのように天井へと掲げ、運び始める。 

「うわわ!! やめっ、麻祁ー!! なんなんだ!!」

 慌てふためき、龍麻が手足に力を入れ抵抗する。しかし、、

「うるさい黙れ!! 佐藤貸せ! 食らえ!!」

少女がスタンガンを手に取り、その横腹に一撃を食らわせた。

「――いてっ!!!」

 バチッ! と弾ける音と重なる声。

 まるで祭りで見る神輿のような状態で、龍麻の体は抵抗することも出来ず揺さぶられながら、教室へとその姿を消した。

「どけ吉田! 邪魔だ!」

 開かれたままのドアから聞こえる声の後、メガネを掛けた女がそのドアを閉める。

 その光景を無表情で見送った麻祁は何も言わず、ドアにある小さなガラスから中を覗いた。

 連れ去られた龍麻は、部屋の奥にある椅子に縛り付けられていた。椅子の周りには何かの器具や道具が取り囲み、それと一緒に交じるチューブは座る人間の肘裏へと伸びている。

 訳も分からず突然の事に怯え、辺りをキョロキョロと忙しく首を動かす龍麻を余所に、白衣の集団は手に持つレポートに何かを書いては、装置に目を向けたりとそれぞれの役割をこなしていた。一方少女は、右端にある机で焼かれているスルメに手を伸ばし、それを至福の笑みで噛み締める。

――数分後、龍麻は解放された。

 男二人に左右肩を持たれ、そのまま教室の外へとゴミのように放り出された。龍麻は声を出し、うつ伏せに倒れる。

 今度は教室から一人の女が現れ、両手を震わせながらも起き上がる龍麻の前にペットポトルを置いた。

 龍麻は目の前に置かれたペットボトルを手に取り、女に向かい目を向ける。そこには閉められたドアしかなかった。

―――――――――――

「献血……」

「血には色々な情報が組み込まれているからな。もしケガをした場合はすぐに応急が利く。ここの生徒にも入学の時に健康診断として献血はしてもらっている。まあ、目的は別にあるんだが……」

 二つの靴音を廊下に響かせながら、階段を上がる。たどり着いた場所、そこは他とは違いドアのある薄暗い部屋だった。

 麻祁がドアノブに手を当て、開ける。隙間から広がる光に、龍麻は右腕を出し遮った。風が二人の背中を通り過ぎる。

 広がる空間。いくつもの風が通り抜け、空から射し込む夕日が辺りをオレンジ色に包んでいた。

 前には灰色の道が真っ直ぐと伸び、腰ぐらいの高さのあるフェンスに挟まれたその先は四角の大きな広場があった。

 広場には英語のエイチという字が大きく書かれている。

「ここが屋上だ。前にあるのがヘリが止まる場所。あの坑道の後、お前は寝ていたから知らないだろうが、ヘリで運んで、ここから降りて中に入ったんだぞ? 意識の無い人間を運ぶのがどれだけ大変だったか……」

 ため息を吐き、麻祁が歩く。

「屋上……」

 龍麻は目を見開かせ、辺りを見回した。灰色の道は前だけではなく、左にも伸び、それは四角を作るようにしてぐるりと回り繋がっていた。左側、校舎の奥は山になっており、生える木々で緑一色に覆われている。

「お前の所の屋上とは違うだろ。ここはヘリを使用するだけの為にある場所だ。特別な用事な無い限りどの生徒も入ってくることは出来ない。ちなみにあそこに見えるのが天渡三枝、ここと比べると小さいものだろ?」

 麻祁が右側を顎で指す。そこには住宅街に囲まれ、まるで山に築かれた城のように立つ学校があった。

「以上がこの学校での説明だ。大体回ってきたから分かっただろ? ここがどういう場所なのか、どういう構造なのか。……っと、そういえば、まだ説明してなかった事が一つあったな」

 ふと麻祁が龍麻に手を伸ばす。

 その行動に一瞬戸惑うも、その意図を龍麻は読み、手にしていたペットボトルを渡した。

 麻祁はそれを手に取ると、すぐに足下に置いた。

「――私達が何者なのか? 今までの説明を聞いてるなら簡単な話だ。私達は特殊な力を持った人間だ」

 麻祁はジッと龍麻の目を見据えた。風が吹き紅く染まる髪が靡く。

「あの時の光景を覚えているなら分かるだろ? 刀で刺されたはずなのに、刺された様子はない。この力のおかげさ」

 腹部を擦り、離した手のひらを龍麻に向け見せる。

「訳あってその能力に目覚め、そして訳あってその力を使いながら活動をする。ここにいる生徒の数人がそれに当てはまる。椚はそんな私達に仕事を与える役割をしている」

「仕事……カマキリやクモを倒すことか……?」

「それ以外にもまだまだ沢山あるさ。とても簡単なものから、とてもめんどくさいものまで。これからそれに付き合ってもらうからな。この世の中の常識がひっくり返る素敵な日々の始まりだ」

 表情を動かさない龍麻の横を、麻祁が通り過ぎる時、

「……いたっ!」

腹部に拳を入れた。涙を浮かべ表情が崩れる。

「もう聞きたい事はないだろ? まだあるなら後は家に帰ってじっくり教えてやるよ。さあ、もう下校の時間だ。今日は帰ろう」

 二人は下の階に戻るためドアを抜ける。

 灰色の通路にはペットボトルが一つ取り残された。吹き抜ける風に煽られ、そして――弾け吹き飛んだ。

 底を少しだけ浮かし、音を上げ倒れる。

 少女の描かれた絵の額部分には焦げたような穴が空き、そこからは中身があふれで――続けざまに飛ぶ身。数回その場に跳ねた後、降り立つ時には目と舌の辺りに新たな穴が空いていた。

 中にある液体をさらに激しく溢れ出させたまま、風に吹かれ、下へと消えいく。

 二人が一階へと降りる途中、二階の廊下に足を踏み入れた時、

「……そうだった、少し用事がある。そこで待っていろ」

突然、麻祁がそう言って、龍麻を残しどこかへ去っていった。

 その背中を追いかけようと龍麻は手を伸ばし呼び止めるが、麻祁の言葉を思い出し、その場で待つことにした。

 近くにある窓に向かい、中庭を眺めていると、

「あら、貴方は?」

龍麻の横から一人の女子生徒が近づいてきた。

 黒のセミロング。龍麻の前に立つと、上から下へと目を動かす。

「……新入生の方かと思ったのですが、どうやらその制服、ここの生徒ではありませんわね。……どこの方かしら? まさか不法侵入?」

 その言葉と視線に、龍麻はすぐに首を振り、慌てて答えた。

「えっ、いやいや、違う違う! 俺はその……」

 何と答えようかと言葉を詰まらせたとき、女子生徒の黒目が左下にあるホクロの近くまで動いた。それに合わせ龍麻が振り向くと、そこには麻祁の姿があった。

「こいつは私の荷物持ちだよ」

 麻祁の言葉に、女子生徒は頷いた。

「……ああ、そうでしたか。カレがその方なんですね」

 再び女子生徒が龍麻に目を向ける。しかし、次に向けられた目は、先程とは違い、睨む様に細められた視線だった。

 その視線に気付いた龍麻の体は自然と怯む。それはまるで、蛇に睨まれたカエルのように――。

 静寂の空気の中、先に女子生徒が口を開いた。

「お姉様、この後の予定は?」

「もう今日は遅いから帰るよ」

「一緒にですか? ……こちらで寝られる予定はないのですね?」

「ああ、一応寝る場所は見つけたしな。それにあっちの方が何かと都合がいい。これからの事を考えると」

 麻祁の言葉に、女子生徒の声と目線が少しばかり落ちる。

「……そうですか」

「それじゃ、そろそろ帰るぞ。もう下校時間だ。良い子は帰らないとな」

 麻祁は振り返り階段へと向かう。その後に続こうと龍麻が振り返った時、突然女子生徒が右手を掴んだ。

「お姉様、申し訳ありませんが、この方とお話させていただいてもよろしいでしょうか?」

 女子生徒の言葉に、麻祁は振り返ることも無く軽く返事をした。

「ああいいよ、先に私は下にいるから」

 戸惑う龍麻を余所に、麻祁はそのまま階段下へと消えていく。

「え、え、あの……俺に何か……」

 どうしていいのか分からず、右手を掴まれたままただ立っていると、今度は右肩を左手で押され、壁へと押し付けられた。

 距離が一気に迫り、泣きボクロの視線が震える瞳を捕らえる。そして、その言葉は唐突に突きつけられた。

「もし、お姉様に何かあったら……わかってますよね?」

 先程のトーンとは違い、暗く重たい声。まるで脅し――いや、脅すようにして龍麻の耳元で女子生徒が喋った。

「え、いや、あの……」

 どうしていいのか、どう答えていいのか分からず、戸惑う龍麻。徐々に額から汗が浮かんでくる。

 女子生徒は顔と掴んでいた手を離し、スカートのポケットからカッターを出しては、自分の親指を切った。

 傷口は浅くも、そこからは微かに赤い鮮血が溢れ出て、溜まり始める。女子生徒はその血を龍麻の下唇に擦り付けた。

「これ、私の本気です」

 そう言った後、女子生徒はそのまま龍麻から離れ、廊下の奥へと歩いていった。

 一体彼女は何なのか? そう理解する間もなく、唖然としたままの龍麻はその後ろ姿を見続け、そして場に崩れた落ちた。

―――――――――――

「遅かったじゃないか」

 一階に下りると、横の壁に麻祁は居た。

「ああ……」

 精一杯出せる言葉で、俺は返事をした。

 今だ心臓がバクバクと悲鳴を上げ、頭の中ではさっきの映像が何度も繰り返されていた。

 まるでナイフを首元に突き付けられ、刺されたような気分だ……。

 背中は汗で冷たくなり、気持ちが悪い。

「口に何か付いているぞ?」

「えっ?」

 麻祁に言われ、すぐさま親指で下唇を触り、確認した。

 震える親指には薄く血が付いている。

 その瞬間、あの声と映像がまた浮かび上がった。俺はすぐさま首を振るい、あの生徒の事を麻祁に聞いてみた。

「さ、さっきの奴はなんなんだ……? 相当やばいぞあれは……お姉様とか言ってたけど、妹なのか……?」

「いや、赤の他人だよ。向こうがそう呼んでるだけさ」

 麻祁が歩き出す。俺は震える足で確かめるように数回足踏みを繰り返し、後に続いた。

「他人でお姉様って……」

「勝手に呼んでるから理由は分からないよ。ちなみに名前は、ハヅキシキ。葉っぱの葉に、月曜日の月と織物の織で、葉月織。覚えただろ?」

「ああ、もう絶対に忘れないと思う……」

「今日会えて良かったよ、説明する手間が省けた。これからは毎日会うかもしれないしな」

「え、毎日って……」

 思わず足が止まった。

――毎日会う。そう考えただけで気が重たくなる。出来れば二度と会いたくない。

「あっ、それはそうと、一度、校長室に寄るから」

 思い出すかのように麻祁は立ち止まり、そしてまた歩き出した。

「校長室? 椚さんに何かあるのか?」

「いや、椚は今あそこには居ない。リュックの取り忘れだ」

 麻祁がそう言いながら、背中で手を振った。

 そう言われれば、確かに昼間に背負っていたリュックが見えない。それと腰に巻いていたあのポーチも。

「校長室で外したのか?」

「そうだよ。あんな重たいもの持って学校内を動き回れない。肩と腰がただ痛むだけ」

 しばらく歩き、他の場所にはない茶色のドアを開け部屋に入る。

 中は最初来た時とは雰囲気が大きく異なり、まるで時が止まったかのように静寂だけが支配していた。

 麻祁は部屋の右端に置かれた机の上にあるリュックとポーチを身に付けていく。

「どうしてそんなもの持ってきたんだ? 今日は全く使わなかったのに」

「いやー、本当なら私の部屋に行って、道具を取って来ようかと思ったんだけど、思ったより時間がなくてな。本当にただの荷物になった」

「部屋って……あるのか、自分の部屋が?」

「あるに決まってるだろ? 私もここの生徒だぞ。寮の方に自分の部屋がある。まあ、ほとんど寝泊りしてないから、道具以外の生活品はないけどな。ただ一泊するだけのお部屋みたいなものさ。……って、そういえば、私には荷物持ちがいたじゃないか。ほら、持ってみろ」

 投げられるポーチ。俺はすぐに手を伸ばし、それを取った。

「お、おお、ぐっ! おもっ!?」

 手にした右手に一気に重みがかかる。その重さはあの手足に巻いていたリストバンドのようだった。

「こんなに重たいのかコレ!?」

「重たいよ。だから腰が痛むって言っただろ、ほら、まだ一つある」

「ぐっ!!」

 二つの重量が両手に圧し掛かる。俺は愚図りながらもそれを腰に巻きつけた。

「これは……キツイな……」

 あまりの重さに腰が起こせず、中腰のまま固定され動かせない。

「それぐらいで弱気になってどうする。本命はこっちだぞ」

 麻祁が俺の後ろに回りこみ、左手を無理矢理伸ばしては、そこからリュックの持ち手の部分を通してきた。

「ちょ、ま、待ってって! なんだソレは!?」

「え、ザックだよ。ザック」

 今度は右手を無理矢理伸ばし、背中へと完全に背負わす。一気に重量が増し、背骨に直接重量が伝わってきた。

「グッ……お、重い。……一体何が入ってるんだ」

「道具だよ、道具。重たい? これでも軽い方なんだぞ……ああ、悪かった。今日はコレが加重の原因だ」

 麻祁が前に回りこみ、ザックと呼んだリュックの口を開け、中から何かを取り出した。

「ほら、軽くなった」

 言葉とは違い、全く重みの変わらないザック。なんとか腰を上げ、麻祁の取り出した物に目を向ける。

 その手には、昼間に俺が学校で買ったあのペットボトルだった。

「それが重みの原因じゃ絶対にないだろ!? 大体、そのペットボトル昼間のやつだろ! 何で今持ってるんだ!?」

「まだほとんど飲んでないから当たり前だろ、もったいない。帰りに持っていたの気付かなかったのか?」

 麻祁はペットボトルの蓋を開け、口に付ける。

「んっ……ヌルイ……」

 俺の様子なんぞ気にもせず、そのまま外へと出る。

「くそっ……」

 俺は悪態をつきながらも、一度ザックの底を持ち上げては同時に腰を起こし、ドアを出た。

 靴箱の近くまで着き、それぞれが靴を履こうと向かった時、近くで携帯の音が鳴った。それは最近耳にする音――麻祁の携帯だ。

「……なんだ?」

 麻祁が電話に出る。そして、

「――なんだと?」

一瞬で空気を変えた。

 その電話の内容を聞かず、傍から見ていても変化が分かった。何か――緊急の事態が起きている。

「……それはいつの事だ? ……つまりもう来ると? 中身は? ……そうか、分かり次第連絡を。それと、一応校内に放送を、私は別の奴に電話して協力を求めてみる」

 電話を切るや否や、すぐさま別の場所に電話を掛け始めた。その間に、俺は麻祁に聞いてみた。一体何が起きたのか? と。

「ここを通る搬送のやつらがトラブルに巻き込まれたらしい。通信でここに不時着したいと伝えてきたんだ。……今どこにいる? 寮か? それなら都合がいい。そこの上から学校を見ていてくれ。どうやらヘリが来るらしい、どういう動きをするか伝えてくれ。……私にも分からない。黙って運んでいる品物だ、ロクな物じゃないのは確かだろう。それじゃ頼むぞ」

 電話を切り、再びどこかに掛け始める。

「……今どこにいるんだ? 校内? それは都合がいい。今から来客が来るかもしれない。……ああ、屋上からだ。何が来るかは分からない、もしもの時は頼む。……構わない、好きに暴れていい、保証はあいつらがしてくれる。……それと誰かが残ってるかもしれない、一応見回ってく――」

『校内にいる生徒はすぐに寮へと帰宅してください。校内にいる生徒はすぐに寮へと帰宅してください』

 突如響くスピーカからの声。無機質な女性のその声は麻祁の声と重なり、同じ言葉を何度も伝えてきた。

「おいおい、一体何が来るんだよ……?」

「わかれば楽でいい。はい、これ持って」

 差し出されるペットボトル。俺は言われるがままそれを手に取った。

「少し腰を屈めろ」

 すぐさま腰を曲げ、ザックを上に向ける。麻祁はその口を開き中から何かを取り出し、

「次はポーチ」

今度は腰を上げると、ポーチから黒の長方形の物を取り出した。

 二つを組み合わせ、銃を作りスライドを引く。

「私達も時間のある限り各部屋を見回るぞ。一人でも生徒がいたら面倒だからな」

「いるのか誰か?」

「それを確認するって言ってるだろ?」

 麻祁が前に向かって進む。その瞬間、呼び止めるようにして携帯が鳴り出した。ポケットから取り出し、名前を確認した後、すぐに出る。

「……何か分かったか? ……何? それだけか? チッ、だから嫌いなんだよ、隠し事ばっかりで。まあいい、処理すれば情報はこっちに手に入るんだ、文句一つ言う筋合いはないだろ? 後、学校内での損失は向こう側につけるように……処理班じゃないんだからな」

 電話を切るや、再び舌打ちをす――。

 突如、鳴る電話。それと同時に、妙な音が別の場所から響いた。それは空気を断続的に切る音、そして――轟音。

 窓が振るえ、地面が揺れる。自然と頭が天井を向くが、ただ蛍光灯が見えるだけで他に変わりは無い。中庭に目を向けると、パラパラとガラスの破片が落ちてくる。

 すぐに前へと目を向けると、麻祁は電話をしていた。

「……そうか、すぐ校内へ頼む。……私達で対処できるとは限らないからな、手を貸してくれ。……ああ、頼む」

 携帯を切り、ポケットに入れる。

「何がどうなってんだ!? 今の音は!?」

「ヘリが墜落したらしい。ちょうど屋上へと出るドアの場所でだ。その場で炎上しているが、黒い何かが下に降りるのを見たらしい」

「黒い何かって!?」

「さあな、心配せずとももう少しで会える」

 麻祁が正面に目を向ける。その瞬間、上からガラスの割れる音が響いた。まるで誰かがバットを持って叩き割っているかのように、何度も何度もその音が響く。

 音に反応し見上げるが、やはり蛍光灯しか目に入らない。一体何が起きているんだ? 頭の中が一瞬でパニックになるも、どうしていいのかも分からず、ただ麻祁と同じく前を見るしかなかった。

 長く真っ直ぐと伸びる廊下、その奥の左端に見える階段。それは変わりが無い風景。しかし、それは現れた。

 激しい衝突音を上げ、階段の踊り場に黒い何かが滑り込むように突っ込んできた。そのまま壁に埋めた後、勢いのまま階段を転がるようにして一階の廊下に落ちてきた。

 黒く蠢く体。毛のようなものが体中で揺らめき動いている。それはよろめきながらも二本の足で立ち上がった。

 その動きに、俺はそれが何なのかはすぐに分かった。オレンジ色のズボン、それだけで人であると伝えていた。ただ、その上半身を見れば、それがそうなのだと確証を持てない。まるで上半身を取り巻く黒い物体が、重りのようにオレンジの足はふらふらとよろめいているだけだった。

 黒い物体はダンスを踊るかのように、その場でふらついた後、音を上げて何かを吐き出した。

――ウゲッ、ブゲッ。

 人が吐く様にして、黒い何かが足下に向かい液体の溜まり場を作り出す。そこにはガラス破片やカッター、そして人の足など色々のものが入り混じっていた。足下でそれが広がるたびに、血のような嫌な臭いがこちらに漂ってくる。

 その臭いにやられ、俺も吐きそうになるが、必死で押えた。目に涙が自然と浮かび、視界を曇らす。

「吐いているのか……うっ……」

「食べすぎなんだろ? それを貸せ」

 差し出す手。俺は腰にあるポーチを渡そうと手を伸ばした。しかし、麻祁がそれをすぐに止めた。

「ポーチじゃない。そのペットボトルでいい」

 麻祁はペットボトルを奪うようにして取り、そのまま一歩踏み出した。

 手にしたペットボトルを台にして、銃を構え、撃つ。

 空気が破裂する音。黒い何かの動きが瞬時に止まり――走った。

 音に釣られる様に、麻祁に向かい黒い塊が一直線に突っ込んでくる。吐き続けたせいか、上半身を覆う黒い部分は先程よりも小さくなるも、廊下にはピチャピチャと液体を散らしていく。

 麻祁との距離が狭まる前、今度は別の音が校内に響いた。

 それは先程聞こえた銃声よりも遥かに大きな破裂音。間隔を空けて聞こえるその音が響く度、横のガラスが割れ、黒い何かの走る足取りを一瞬ふらつかせる。

 それでもなお、すがりつくようにして迫り来る黒い何かに対し、麻祁は手にしたペットボトルを思いっきり投げつけた。

 ペットボトルは頭部の部分に直撃し、全身が一瞬揺らぐ。すかさず麻祁は銃口を下に向け、そいつの足を撃った。

 黒い何かは撃たれた衝撃と、落ちていたペットボトルにバランスを崩し、麻祁の横を滑る様にして倒れた。

 もがくようにして足をバタつかせ、辺りに黒い液体を飛び散らせる。

 俺はその液体に目を向けた。そこにはミミズのような小さな生物がいくつも蠢いていた。

 麻祁は振り返り、黒い何かに向かい何回も引き金をひく。しばらくし、バタつく足は動きを止め、痙攣みたいに小刻みに動き出した。

 小さく溜め息を吐いた後、弾倉を抜いたとき、何を思い出したか、麻祁が突然声を出した。

「あっ、言い忘れてた」

 呆然とする俺に対し、麻祁は振り向き、ジッと目を見て言葉を続ける。

「ようこそ、このくだらない世界へ」

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