星降り 05



星を、探している。







三日後に、『星降り』が来る―


ヴァレリはその言葉だけを頼りに、

星が降る場所を、探していた。


隣には彼の妹が、決して彼のそばを離れないように、歩いている。


「もう少しだ、がんばれ」


「……うん」


この平原をもう三キロも進むと、

星が降ると言われているポータル『グラッド』にたどり着く。


彼らはどんな交通手段を使うでもなく、

ただ歩いて、そこに向かっていた。


首に巻かれたマフラーは皺くちゃになって、

それは彼の手、足、首、顔、それらは長い旅の証だというほかにない、

彼の生きざまを体現していた。


噂を聞くと、彼らは必ずそこに向かって、星を探している。


それがどれだけ遠い場所でも、探しに行く。だって、行ってみなければわからない。

たどり着いてみなければ、「そこに星はなかった」なんて誰にも証明することはできないから。それを証明するために、ただ、そのまだ強くなっていくはずの手足で、大地を踏みしめていく。


さながらそれは、寿命をまっとうしようと、いや、本当はもうどのような良い結果も生み出すことができないと分かっていながら、ただ死を待つのではなく、破れかけた羽で懸命に空を飛ぼうとする、蛍のようだ。

それが美しいか、それとも滑稽かなんて、

きっと羽の生えていない人間には、決めつけることはできないだろう。


「大丈夫か、シア」


「…うん、大丈夫」


ここから見る、平原の向こう。

空と海が交わる地平は遥か彼方に見える。


「遠い」という言葉では足りないくらいの距離で、何度振り返ってみても、そこがついさっきいた場所からどのくらい歩いたかなんて、たとえ地図を持っていても分かりやしないほどに。

そしてそれを、彼の皺くちゃになったマフラーとは違う、

しっかりした足どりで進む。


草木の生えた大地を踏みしめるたびに、体のどこかに亀裂が入るような感覚。


ヒビの入った、もう元のように立ってはいられない建造物を、大地の地殻変動が追い打ちをかけるように、長旅で疲労した彼らの身体も、とっくに限界を迎えていながら、歩き続けるのだ。やはりそんな姿を、誰が美しいとか、滑稽だとか、決めつけられるのだろうか。


「まだ、歩けるか」


「……うん、歩けるよ」


彼が何のために、誰のために。


「星が降る」とされているポータルに歩いているのだろうか、なんてことは、きっと当事者以外には理解できない。誰かに説明したところで、頭のおかしい人だ、と一笑に付されて終わりか、はたまたどこかの慈善団体が、彼をかわいそうな人だと決めつけて、食料や水を押し付けるか、のどちらかだ。


もちろん彼はそのどちらも、たとえそれが好意だとしても、受け取ることはないだろう。


風がより一層強く、吹く。

まわりにそびえたつ、頑丈な岩肌にどれだけ強くぶつかってもそれらはびくともしないが、彼にとってその風は、強すぎる波が、それを短時間で風化させようとする、その勢いに感じられる。


今は大地を光が照らしておらず、かろうじて、どこかから少しだけ顔をのぞかせているであろう太陽の輝きと、それことどこからもたらされているかわからない光を頼りに歩いている。彼の顔に、強い風が吹いて、無意識のうちに顔をそむける。

隣を歩く彼女が、風にさらわれてしまわないように、その肩を、強く支え続ける。


「――――――――あれは―――!」


「あ…………!」


二人は顔をあげて、かすかに光のさす方へ。


それは、太陽が照らしているのではなく、

きっと、その地に落ちている星が照らしているのだと信じて。


少年と少女が重たい鞄をその小さい肩に掛け直すかのように、

彼らは一つか弱いはずの息をついて、もう一歩、もう一歩、と、彼の身体を確実に蝕んでいくはずの大地を踏みしめる。

雨風にさらされて、生きている心地のしない緑の草木を、文字通りすでに生きている心地のしない彼の足が、その命を踏み潰していく。


やがて、前方にかすかに見えていた光が、徐々にその強さを増す。

今まではそれが暗闇の中にかすかに見える目印のような希望だった。

しかし今ではそれが、暗闇の中に確かに見て取れる。

それはまさに、この目で一度も見たことが無い「星」のようだ、と彼は思った。


ときどき耳をそばだてて、星が降ってくる音が聞こえないかどうか、確かめてみる。

聞こえるのは風の音と、それに混じる彼の息遣い。その、少しも温かくない風量の風が、大気中の風に、ただ溶け込んでいく。


やがて、今まで一辺倒だった視界が完全に開けた。


青いはずの空と並行に連なっていた大地が、

ちょうどここから約百メートル程先の地点で、突然眼上へと隆起している。


そしてそこには、半径何キロにも及ぶかわからないほどの半球がある。

ドーム状になったそれは、形が半球状と言っても、球のうち三分の一くらいが、地面から飛び出ているように見える。


確かにそこは「星が降ってくる」特別な場所であることを目視で証明、証言するのには事足りるほどの景色だった。直径何メートルにもなる楕円のスプーンで、神様が地面の下から大地をくりぬいたようだ、と彼は思った。


やがて、大地が眼上へ隆起している、ちょうどその淵のあたりへたどり着く。

ここから下は、半球の中心部までほぼまっすぐに伸びており、

その地面はかなりの急激な傾斜で上昇していた。


もちろん、その途中で足を踏み外せば、二人ともそのまま滑り落ちていって、頂上に達することはできないだろう。


ここから見える、半球の頂上付近には、なにやら光るいくつもの細かい粒子が付着しているのが見える。

もしかしてあれが、過去に降った『星』の痕跡なのかもしれない。


光の痕跡を見ると、この急角度の斜面を、上から粒子の元となる物質が滑り落ちてきたようにも見えるし、中心部に向かって放射状に星が降ってきたようにも見える。


そうだ、確かにここが、「星の落ちた場所」だ、と彼は確信した。


―今までどれだけ多くの人に騙されたのだろう。


『ヴァレリ、ここに星が落ちてくるよ』


彼の手に渡される、目的地を示す赤い丸が書かれた、大きな地図。

そこには確かに「星が落ちてくる」と言われて。


歩いて、そして寿命を削りながら何日もかけて行ったのにもかかわらず、

机上に置いた大きな地図に、目隠しをしながら目的地に丸をつけたような、

まったく意味のない、まったく何の結果も得られない場所ばかりだった。


彼は、自分が騙されやすい人間なのか、と思った。

同時に、自分がこんな人間だから、人から騙されるのかとも。

でもようやく、今日、彼はたどり着くことができた、そう安堵した。


―肝心の、星はどこだ。


彼は、その巨大な隆起物と、その中心部である頂上を見やって、一つ息をつく。

それを見なければ、本当にこの旅の目的が達成されたことにはならない。


滑り落ちてしまわないように、握った彼女の手を決して離さないようにしながら、

懸命に巨大な半円型の隆起物の淵から、頂上部を仰ぎ見る。


もう何センチか前に踏み出してしまえば、もう後戻りはできない。


彼が途中で足を踏み外した瞬間、きっと彼は星でも何でもない存在として、永遠の無へと落ちてていくだろう。そして彼女も、それに巻き込まれる。

彼もそれを分かっていたからこそ、もどかしい気持ちでいっぱいだった。


彼はとても慎重になって、その半球の回り、ちょうど円周となっている部分を歩いてみることにした。


円周がどれだけあるかを測るために、まず目的地に端末のAR機能でしるしをつけて、そこから円の外側を歩いてみる。


しるしをつけた場所から、どのくらいで同じ場所に戻ってくるか、だいたいの時間が分かれば、円周がおおよそどれくらいかが分かる。彼はそう考えた通りにして、粒子の付着した、円の中心を横目で見ながら、慎重に歩いた。


やがて彼は、階段状になっているくぼみが、

円の淵から、半球の中心に向かって続いているのを見つけた。


それは何かの浸食の後にも見えるが、それにしては明らかに人工的で、作為的だ。

これは、なんだろう。彼の好奇心を刺激した。


明らかにそれは、誰かがそこから半球の中心に向かって、その足で昇りやすいように作られたものに見えた。そうでなければ、神様がその指先、ほんの爪先でなぞって階段状の跡を付けたに違いない。


これなら、自分でも昇れる。

ヴァレリはその腕に刻み込まれた、彼の名前を指先でなぞりながら、

そうつぶやいた。


『ヴァレリ(Valeri )』

腕に黒くそう刻まれた印を、―決して神様のものではない指でなぞって、自分を落ち着かせるように一つ息をつく。


その弱々しい息は、たった何ミリグラムかの成分を大気中に溶け込ませて、広大な大地に消えていく。


彼の灰色の首に掛けられているのは、

小さい彼の手のひらほどの銀色のペンダント。

そのペンダントの中には、小さい少年と、それよりも小さい少女、二人の姿が写った写真が貼り付けられている。


彼は乾ききった唇で、そのペンダントにキスをした。


それは今まで誰も見ていない、

誰にも見せていないはずの、彼なりの約束事だったに違いない。







「なあ、シア」


「うん」


「とうとう、見つけたな」


「うん」


「がんばったな」


「…うん!」


彼女はそう言って、

そこから頂上に向かって階段になっている部分のふもとに走って行く。


「昇ろう、お兄ちゃん。きっと、すごいものが見られるよ」


「ああ…そうだな」


彼は、掌をつよく握り、奥歯をぐっとかみしめたまま、

笑顔でそれに応える。


彼女に、決して悟られないように。


大切な妹に、最期まで笑っていられるように。


「なあ、シア」


「うん?」


彼女が、笑いながら首をかしげる。


「お兄ちゃんが、先に昇ってもいいか?」


「うん、もちろん!」


「……そうか、ありがとう」


ありがとう、本当に。


そして、本当に―


「一人で、昇ってこられるよな」


「うん。道も細いし、大丈夫だよ」


「ありがとう」


「…うん」


遠くで、鳥が泣いている。

悲しそうに。涙を流すように。


やがて、立ち止まっていたはずの右足が、

階段の一段目に触れる。


それを合図にするように、

後ろ手で確かに繋いでいたはずの手を、離す。


「ごめん」


彼女から離したはずの手を、夜空へ向かって。

天に向かって、ゆっくり伸ばす。


その言葉が彼女に聞こえたか聞こえないかのうちに、

空から放射状に伸びて、

オーロラのような七色の光が降ってくるのが見える。

それはまさに、光のカーテン。


やがてその光は、瞬きもしないうちに、

彼の背中と、彼女を遮るようにして、降ってくる。


「え………」


彼女がその言葉を発するか発しないかのうちに、

空からまっすぐに降ってきた光のカーテンが、

彼女が今昇ろうとしていた階段の、進む道を塞ぐ。


もう、離してしまったのに。


彼女が光に触れてみると、それは柔らかな光のはずなのに。

何重にも重なった鋼鉄の壁のように、びくとも動かない。

その手は一ミリも、光の向こう側へ伸ばすことができない。


もう、その手は繋がれてはいないのに。


「……おにい、ちゃん……?」


彼女は、呼びかける。

光のカーテンの、向こう側の人物に。


彼は、振り向かない。

今まで、何度も自分を支えてくれたはずの笑顔が、温もりが。

その大きい背中と、七色の光で遮られて、見えない。


「……いや…だ……」


その背中は、振り返らない。

声は、聞こえているはずなのに。

こんなにも、近いから。

確かに、届いているはずなのに。


「…待っ…てよ……お…兄…ちゃん……」


それでも、こんなに遠い。

近いはずなのに、決して届きそうにないほど。

それは、まるで。


「待ってよ!お兄ちゃん!!」


いつの間にか、母親の姿が見えなくなった子どもが、

自分だけ、置いて行かれたと思って。


もう、二度と会えないと思って、

泣き叫ぶように。


「い、いやだあああ!お兄ちゃああん!待って、待って…」


懸命に、光の壁を叩く。

でもそれは、びくともしない。


「あああ…うわああああああああああああああああああああああああああ!!」


やがて光の壁は、半球の円周を囲んでいき、

もうどこからも、上に向かって昇っていくことはできなくなった。


空へと消えていく、

愛する人を呼ぶその泣き声は、

決して届かない、地平へと消えていく。


海を眼下に飛んでいく鳥は、

やがてたどり着いてしまう、水平線へと消えていく。





























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