星降り 02
「お兄ちゃん、今日はここに泊まるの?」
「ああ、そうだ。ちょっと待ってな。今受付してくるから」
空からすっかり明るさが消えてから。
今はもう輝くだけの星しか見えていない夜の中で、
目前のこじんまりとした建物に取り付けてあるネオンは、
夜の暗さと相まって、より一層へんぴなイメージを醸し出していた。
「お兄ちゃん、はやく戻ってきてね」
「分かってるって」
まだ自分の半分くらいしかない、体の小さい妹を
さびれた建物のすぐ前に取り付けてあるベンチに座らせ、
自分は建物の玄関らしき場所をくぐって、中へと入っていく。
できるだけ、平静を装って。
できるだけ、いつもと同じように。
「…いらっしゃい」
築何年なのか分からないくらい古めかしい木造造りになっている内部を一瞥してから、
カウンターにぬっと出てきた老人に「どーも」といって笑いかける。
女性だろうが、あまりにも皺や肌の黒ずみが目立っており、何歳なのかも分からない。
「ふたり。一人は10歳で、外に待たせてある。俺は……見ての通り付き添いだけど、
一応数には入れてもらおうかな」
老人はその言葉を聞いているのか聞いていないのか分からないくらいに、
すぐに手をこちらに寄せてきた。
「…ん」
「?」
「早くしな。その端末だよ」
「お、おお!そうだった。ごめんよバアさん」
バアさん、が気に食わなかったのか、
彼女はこちらのことを狐を射るかのような目で睨んでから、
おそるおそる渡した端末を操作し、カウンターに据え付けてある装置の方で、
出てきた画面を読みとっていく。
「…あ、あのさぁ。こ、ここ、まあまあ良い場所っすねぇ。なんというか、空気が、きれいで?」
自分の緊張が表情によって相手に伝わらないように、そんなことを口にしてごまかす。
ああ、時間よ早く過ぎてくれ。
そうやって端末を操作していた彼女はしばらくすると、
一瞬だけ手をとめ、こちらのことを睨んできた。
ヴァレリはその視線に気づき、できるだけ普通を装って目をそらす。
心臓が早く脈打っていた。
「……アンタ……」
「は、はい?」
もう、普通でもなんでもないかもしれない。
「どこから来たんだい」
「へ?」
もしかしてバレてしまったかと体を硬直させていると、
なぜだか、そんな的はずれなことを彼女は聞いてきた。
「どこからって……『エレガル』だけど…」
「そうかい」
そういうのと同時に彼女は、預かっていた端末をこちらに向かって投げ返してくる。何様だよ、コイツ。
あやうく落っことしそうになったので、あわててそれを掴みなおす。
「一番奥の6号室だよ。早くしな」
「お、おう!」
それこそ何様だか分からないような返事をして、
彼は部屋へ真っ先に行こうと思ったところで、外に忘れ物をしていることを思い出した。
「えへへ、ちょっと忘れ物、じゃなくて人を…」
カウンターの老婆が横目で睨んでくる。おお怖。
出てみると、外のベンチでは、シアが大人しく空を見上げながら座っていた。
星でも見ているのだろうか。
彼女の口元からは、少しだけ白くなった吐息が見える。
「シア、待たせたな。行くぞ」
「お兄ちゃん……うん」
シアはそれだけ口にして、座っていたベンチから立ち上がる。
彼女が背負っているお気に入りの鞄が、立った勢いで少しだけ揺れる。
中に入るやいなや、
「もたもたしてんじゃないよ」
という声が聞こえて、
シアの手をとって足早に奥の部屋へと駆け込む。
―来るときあの婆さんシアのことを睨んでいたみたいだが、何なんだ。
まあ、無事泊めてもらえることになっただけで、恩の字ではあるが。
シアと二人で部屋の中に入ってみると、
そこは意外と小ぎれいにされており、
ソファもベッドも綺麗に掃除され、ちょっとばかり狭いが二人が泊まるには何の問題もなさそうだった。
「良かったね、泊まるところが見つかって」
彼女が、背負っていた荷物を部屋の隅に置きながらそう言う。
「ホントだな。もう少しで野宿になるとこだった」
「お兄ちゃん、野宿、いや?」
「いや……じゃないけど、お前がいるしな」
「そう……」
彼女はそう言って、鞄を置いた方の反対側、
また部屋の隅の方へ歩いていく。
そこで、彼女は壁の方を見ながら、着ていた厚手の服を脱ぎだす。
彼も荷物を置き、その後ろ姿を見ている。
もしかすると、少し身長が伸びたかもしれない。
それはとても良いことだ。
だけれど、ほとんど肉付きが変わっていないように思える。
本当はもう少し良いものを食べさせてあげたいのに、それが叶わない。
もちろん、全てがうまく行くなんて思っていない。
だけれど、厚い服を脱いでいまだに薄い服の下に見える背中は、
その身体が100%…いや80%でも健康体である、と確信を持って言うことなど、
彼にはできなかった。
なあ、シア。
こんなお兄ちゃんで、ごめんな。
「…ねえ、お兄ちゃん」
「うん、どうした?」
彼女は、壁の方を見ながらではあるが、
首だけを、少しだけ後ろに回していた。
今は着替えているので、
上半身はブラウスのようなものしか身に着けていない。
「………」
「?」
彼女は、何か言いたそうにしながらも何も言わない。
ただ、こちらと今入ってきた扉の方を交互に見やっている。
彼は首をかしげた。
なぜかこちらから少しだけ見える部分の頬は、紅潮していた。
風邪でもひいたか?
まだ薬は持っていただろうか。それならば体を冷やすといけない。
彼は彼女の体温を測ろうとして立ち上がり、さらに近づこうとすると
薄着の彼女は顔を赤くしたまま俯いてしまってああそういうことかあオーノーわしは理解したナニもシナイヨーハンズアップ!
「………し、しんでくださ……で、でもやっぱりだめ……へんたい……」
「す、すまんすぐ出ていくから。終わったら呼ぶんだぞ」
そのまま彼はどこかの国の紳士のように広げた両手をそのままにして
玄関へと横歩きをした。危うく紳士が変態になるところだった。
その様子を、彼女が首だけをこちらに向けて見ている。
やはりその顔は、少しだけ紅潮していた。
彼はそそくさと部屋から出て、扉を閉める。
彼女の、少しだけ紅潮した頬が忘れられない。
「昔は、あんなこと言われなかったのになぁ」
それは確かに、その体に血が通っている証拠で。
そして確かに、彼女が生きているという証拠で。
彼はドアノブを閉めた左手を掴んだままにしている。
その向こうには、確かに血の通った生きてくれている妹がいる。
「ごめん」
彼はドアノブを握った左手をそのままにしたまま。
「―本当に、ごめんな」
やがて目から勝手にあふれ出てくる涙を抑えきれずに、
その場にしゃがんで、声も出さずに泣き続けた。
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