星降り

星降り 01

三日後、『星が落ちてくる』―

その知らせを聞いたとき、彼は飛び上がって喜んだという。


生きているうちに見られるかどうか分からないと思っていたその現象を、

こんなに若いうちに見られるのだから。


UFO?UMA?

そんな御大層なものでもないけれど。それでいて確かに誰しもの話題にはなるもので。

各自が持つ端末に送られてきたその「号外」にも、

「それ」が到来する知らせが仰々しい文字で書かれているのと、

その日時と、予測時間と、予測到来エリアが記載されていた。


繰り返しになるが、皆その『星が落ちてくる』時の到来を、とても喜んだ。

その中でもとりわけ彼は、その時を心待ちにしていたうちの一人であった。


今そんな彼は、コロニー第二区画、A39エリア―通称『エレガル』と呼ばれる場所で、暇を持て余していた。

もし時間をもっと早く過ぎ去らせる方法があるのならば、

きっとその装置を、何の躊躇もせずに使用していたことだろう。


「ええ、ええ。今日も確かに、その通りにしますよ。もちろん」


彼は、端末に浮かび上がった、ホログラムの向こう側に見える人物と話している。

彼の声はよく通るので、その向こう側の人物も、少しだけ五月蠅そうにそれを聞いている。


「……それで、今日の報酬はいかほどで?」


彼が手の人差し指と親指で輪っかを作る。

そしてそれを見た向こう側の人物は、さらにうんざりしたような、それでいて憂いているような顔になる。


『うん、いや、それが悪いとは言わないのだけれどね。それに、君の状況は確かにこっちも理解しているつもりだよ。

ただ、本当に君はそれしか頭にないのかね』


「うん。ないッス」


『はああ……まあ良いけどさあ。ほら、このくらいだよ』


ホログラムに映る人物が、片手、そして両手のいくつかの指を立てる。

それを見た彼が、うーん、と唸りながら、しかめっ面をする。


「え、それだけ?」


『あのねえヴァレリ君。今このご時世に、これだけもらえるだけでも良しとしなさい。

全く…本当にあなたは私の知る誰かに似てきてしまったようだねぇ』


「へへ、それは承知の上で」


『で、どうするんだい』


「いやいや、やりますよ。やりますってば。どっちにしろやらされるんだし」


『はいな。じゃあ今日の7刻ごろ、うちにいらっしゃい』


「りょうかーい」


通信が切れ、端末から光を形成したホログラムが消える。

その消失に伴って、彼は深々とため息をする。


「………ねえお兄ちゃん、またどっか行っちゃうの?」


隣から、そう言って彼の袖口をきゅっと掴む感触がある。

その目は、今にもどこかへ行ってしまいそうな、兄のことを心配しているのか。

それとも、自分が一人になってしまうかもしれないことを、心配しているのか。

結局、そのどちらであっても、彼にとっては関係が無かった。


「ああ、ちょっと夜出かけてくるから、大人しくしてるんだぞ」


そういうと、綺麗な澄んだ目をしている彼女が少し首を振って、


「……分かった」


と答える。

彼はその大きい手でーこれからまだ大きくなっていくであろう手で、

隣にいるまだ小さい彼女の頭をくしゃくしゃにして撫でる。


「よし、それでこそ俺の妹だ」


「…子どもあつかい、しないで」


彼女は少しだけ顔を赤らめながら、頭の上に置かれた手をどけようとする。

しかしその手の持ち主である彼は上手くそれをかわして、

さらにくしゃくしゃにしようとする。


「何言ってんだ、お前はいつまでたっても子どもだよ」


そう言いながら、今はまだ星の出ていない空を見上げてみる。 

そこに浮かんでいるのは、いくつもの風船のような物体と、

遠近法によってその風船のような物体と同じくらいのスピードで空中をただよっているように見える、雲と。


雲は時間によっていくつもの形に変化していくけれど、

最終的に、どのような形に落ち着くか、なんてことを自分で決められやしない。


ただ、漂っていくうちに形成されていくその形に、身を任せるしかない。

自分でその終着地点を決められないし、決めることすら許されていない。

それはまるで自分のようだと、ヴァレリは思った。


「…お兄ちゃん、寒い…」


「はいよ」


ただ、流れに身を任せて漂っていく雲と、

ほぼ同じ速度で吹きさらしているであろう風が、冷たい。

どれだけ集合して身を寄せ合っていても風化していく岩石のように、

確実に体感温度よりももっと冷たいはずの風が、彼らの体温を奪っていく。


「ほら、これで寒くないだろ?」


彼は懐から、ぼろぼろになった一枚の毛布を取り出して、

横にちょこんと座っている彼女の肩にそれをかける。

きちんと背中を覆うように、寒い部分がなくなるように。


『……お兄ちゃんも一緒じゃないと、だめ』


彼女一人だけを温めようとしていた彼は、

横からそっと握られる手と、

その肩だけに掛けられていたはずの毛布が、

彼女のまだ小さい肩から、雲のように少しだけ引き伸ばされて

自分の両肩にもそれが、半ば無理やり覆いかぶされる感触を、確かに感じる。


「俺は、寒くないから、良いって」


「……だめ。寒い」


彼は、ため息をつく。確かに、とても寒い。

横にいる彼女が、寒い思いをしていると、知っている限り。


「ごめんな、シア。こんなお兄ちゃんで」


「…いきなり、どうしたの」


「いや、やっぱり寒いなって、思ってさ」


単純にそれは、外気だけじゃない。心が、寒い。凍りつくほど、寒い。

どれだけ気丈に振る舞っていても。

どれだけ熱い奴を演じていても。

まるで温かい水が瞬時に凍らされていくときのように、

内側が、寒い。


でも辛うじて外側だけは、彼女がいるから、温かい。

こんなにも強い風が吹いているのに。

こんなにも汚れた空気が世界を汚染しているのに。


それに、もしこの心臓をちくちく刺すような嫌な予感が当たっているのならば、

今にもその「声」は聞こえてくるはずだ、と彼は思った。

そして、その予想は図らずも、当たってしまうことになる。


―ああ、面倒くせぇなあ。


突然、サイレンのような甲高くて不快な音が空に鳴り、

その指揮者不在の音が、今はもう灰色になってしまった空に響き渡る。

それを聞いた彼女が、さらに身を寄せながら、上目づかいに聞いてくる。


「お兄ちゃん、今日はどこかに泊まれる…?」


「…ああ、そうだなあ、ちょっと待ってくれ」


彼は毛布がずり落ちてしまわないように、ゆっくり懐から端末を取り出し、

とある操作をして特定の画面を開く。

隣にいる彼女に見えないように、敢えてホログラムで出現させずに、

「それ」を確認する。


そこには確かに、『-256,000』と表示されている。


「うん、大丈夫だ。ちゃんと―」


「なんでいつもそれだけは見せてくれないの?」


「はっ、個人情報だよ、そう、個人情報。今の時代、うるさいんだ。マジで、うん。

あれだ、ほら。シアも、気をつけなきゃ、ダメだぞ。そうだな、例えば、どこかの知らないおっさんに、

いや別にバアさんにでも良いんだけど、いつの間にか、シアの、そうだな、

お風呂に入っているところが、見られてしまう、かも、しれないぞ」


何言ってんだ、俺。


「…なっ……………!」


予想通り、握られていたはずの手に爪を思いっきり立てられる。

めり込んで痛いはずなのに、なぜか気持ちいい。

もちろん、変な意味ではなくて。


「…し、しんじゃえ……いや…だめ、やっぱりしなないで」


「あのなあ、いつも言ってるけど、お前はそんなこと心配しなくていいんだよ。

ほら見ろ、『お兄ちゃんにぃ、まっかせーなさーい☆』」


毛布から少しだけはみ出している方の腕で、無理やり力こぶをつくって見せる。

それによって風に当たってしまっている部分が、寒くて、ひどく冷たい。


「…なに…?それ……」


ああ、死のうかな。


「いや、お兄ちゃんの知り合いがな。いっつもやってたんだ、これ。

何の真似事なのかは、知らないけどな」


そんな他愛もない話をしているうちに、

やがてその声をかき消すかのように、先ほどから聞こえているサイレンのような音が徐々に大きくなる。

やがていつか、耳をつんざくような音になる前に。

彼は、両手を毛布から出して、隣にいる彼女の耳をふさぐ。


「お兄ちゃん、何も聞こえないよ」


「おう、それで良い。これも『こじんじょうほう』だからな」


そしてその音は次第にまわりの空気を揺らすほどまでになり、

彼はその音を、否応なしにブスブスと柔らかい脳へ耳から刺し込まれる。

自分自身の両耳を塞ぐはずの両手は、

大切な人の耳で、塞がれてしまっているから。


やがてその音が、全てを覆い尽くしてしまう前に、

彼は抱えていた膝の中に、自分の顔をうずめる。


「何て言ってるの、お兄ちゃん」


「さあ、何だろうな」


きっとそれも、『こじんじょーほー』だから。


流れ込んでくるその『声』は、ゆっくりと、何日もかけて彼の精神を蝕んでいく。

浸食されて、ところどころか虫食いのように欠けていく心は、

人の手で破られてしまった絵画のように、元に戻すことなんてできない。



――緊急警報。緊急警報。

住民の皆さんにお知らせします。

3日後の夜12刻頃、『星降り』が到来します。

繰り返します。

3日後の夜12刻頃、『星降り』が到来します。

まだ避難していない住民の皆さんは、

速やかに、指定された都市へ避難してください。

繰り返します。

まだ避難していない住民の皆さんは、

速やかに、指定された都市へ避難してください。

何らかの事情で避難できない方は、

即、個人の端末から『登録』を行ってください。

繰り返します。

何らかの事情で避難できない方は、

即、個人の端末から『登録』を行ってください

『登録』を行えない方は――



そうだ。

これも繰り返しになるが、皆その『星が落ちてくる』時の到来を、とても喜んだ。

その中でもとりわけ自分は、その時を心待ちにしていたうちの一人であったはずだ。


だから。

もし、時間をもっと早く過ぎ去らせる方法があるとしたら、

きっとその装置を、何の躊躇もせずに使用していたことだろう。


繰り返される『声』の中で。

ひざの中にうずめた頭の中で、

彼は繰り返し、そう思わずにはいられなかった。

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