それぞれの、空と海 05




どこかから、悲しげな歌が聞こえる。

それは、この世界にはとても似つかわしくないように思えて、本当は最高に似合っている。


そんな歌声を聴いていると、あたかも自分がこの世界のすべてを知ってしまって、

全ての宝の地図を暴いてしまったから、もうどこにも宝が隠されていないことを知って、

一人で、勝手に悲しくなっている時のようだ、とも思った。


もちろん、きっとそんな瞬間は訪れるはずがない。

どれだけ自分たちがそれを望んでいても、世界がそれを許さない。


やがて目前のモニターから聞こえてくる歌は、

その悲しげな曲調を保ったまま、モニターの目前にいる人物に語りかけてくる。

このままでいいのか、本当にこのままで良いのか、と。


「…良いわけ、ないだろ」


アレン・フランツは狭い部屋でひとりごちて、

きっとまだまだ寿命がある、新品の椅子の上でふんぞり返る。


彼は周りを見渡してから、少しだけモニターの音量を大きくする。

彼の耳に、さらに多くの声が入ってくる。


     遥かな、時を超えるはずの   

君を 見上げている。     


時の流れに立ち向かうよう   

僕らは 手を取り合った    


まっすぐ光る 夕暮れを    

曲がって見える 青空を    


眺めていたのは        

それは本当に         

「僕ら」だったのだろうか   


君が、手を伸ばした      

僕が、手を伸ばした


二度と 届かないはずの    

手のひらを 掴みつづけていた 


彼の耳に洪水のように入ってくるのは、さらに説得力を増した、「彼女」の曲。

その音が鼓膜で反響して、そのままぽっかりと空いた心に沁みこんでいく。

アレンは、彼女が歌うその唇に合わせて、自分の唇を開く。

その歌に、感化するように。

その歌に、同調するように。


     地平を境界に 

     空と海はつながっている

     地平を境界に 

     空と海は永遠に 分かたれている

     

「こちら側」で 海に触れることはできるけれど

     あなたのいる 空に触れることはできない

     確かに、つながっているはずなのに


     「あちら側」で 空に触れることはできるけれど 

     海に触れることは 決してできない

     確かに つながって見えるのに

     

     私たちは 記憶の中で大切な人に、

     いつでも会えるけれど、

     

     決して触れることはできない

     確かに そこにいるのに。


     記憶の中の人は 私たちに

     いつでも会えるけれど

     

     それに決して触れることはできない

     確かに そこにいたのに。


彼女の歌に合わせて歌う自分の声が、なんだかとても震えているような気がして。

彼女の歌うそれとは全く異なった感情を持っているような気がして、嫌になる。


だからこそきっと自分は、彼女と全く同じ歌を歌うことはできないのだろう。

なぜなら、自分は歌にこめられるだけの感情を、心を持っていないから。

それだけの、思い出も、景色も持っていないから。


もし、自分に持っているものがあるとするなら、ありもしない思い出なのではないだろうか。

ありもしない思い出の中で、誰かと触れ合ったところで、それはまがい物でしかないから。


きっといつか、それを思い出して、悲しくなるか、恥ずかしくなるか。

たとえばちょうど12歳ぐらいのときに、若さゆえに犯してしまった、

いろいろなあやまちを、後になって思い出す時のように。


「…もう、やめた」


アレンは目前のモニターの電源を切り、体重による負荷でほんの少しだけ寿命が縮まった椅子に深く座りなおす。

目の前に山積みになった本に辟易しながら、

一番上に積まれた分厚い本を手に取って、ゆっくりめくっていく。


ふと目が止まったページには、

大きな黄土色の地図と、方角を示す印が印刷されている。

そしてその方角を示すような形で、一機のいびつな形をした機体が描かれている。


「…飛空艇」


飛空艇には一人の飛空士がおり、大きい看板から身を乗り出して、

こちらに手を振っている。

自分がそこにいることを、下界の人間に誇示するように。


「馬鹿みたいだ」


そんなことをつぶやいて、手にとったはずの本を床に投げ捨てる。

めくられたページが勢いよく閉じて、

手を振っていた飛空士は閉じたページに勢いよく顔面を打ち付けられる。


彼はその勢いで椅子からベッドに飛び移り、

小さいベッドが勢いよくミシッ、という音を鳴らす。

何もない天井を見上げながら、深々とため息を漏らす。

そのため息は、彼の重苦しい感情とともに、空へと消えていく。


「俺は、何を、してるんだろう」


ふいにそんなことを口にしてしまう。

本当に、何をしてるんだろう。


さっきから鳴り止まない、

本と一緒に投げ捨てられた端末が、ブルブルと震えている。

ベッドの上からかろうじて見えるその画面には、

彼女の顔写真と一緒に、「リラ」という文字が浮かんで見える。


本当に、

何を、

してるんだろう。


やがて窓の外から、地響きのような音が聞こえてくる。

段々と大きくなっていくその耳障りな音から逃げるように、枕で両耳を塞ぐ。


それでも入ってくる、空が泣いているようなその音に辟易しながら、少しだけ開きっ放しになっている木枠の窓を閉めるために仕方なく立ち上がる。


少しだけ目に捉えた視界には、まだ小さい姿ではあるが、はっきりとしたその「形」が見える。


こちらに近づくに連れて空を覆うほどの大きさになっていくそれは、きっと誰かにとっては「希望」で。また他の誰かにとっては「絶望」で。


その二つが存在し観測することのできるこの場所は、

きっとここに住む人たちによって姿を変えるのだと

空を覆っていくその姿を見ながら考えた思考は、

やがて意識という空を覆っていく、

睡魔という雲によって、打ち消されていった。






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