それぞれの、空と海 02
『カイツ、ここにいたの。』
コツコツと、味気ない鉄の床を踏みしめる音が聞こえる。
それは彼女の性格通り、と彼女に言っても差し支えないのだろうか。
いや、きっと差し支えはあるだろう。
『時間よ。いつまで何してるの。』
「いやちょっとね、カメラを見てた」
『カメラ?』
彼女の長い黒髪が、私の後ろからのぞかせた顔から少しだけ肩にあたってこそばゆい。
その息遣いが耳に当たり、私は少し(わなわなと)体を震わせる。
『ほら、ここに映ったものを見てくれよ、傑作だ』
「ほら、ここにうつ…いや勘弁してくれや。真面目な話なんだ」
『で?』
「こいつらが例の…あの二人かもしれない。ほら、この真ん中から二番目の席にいるのと…この一番後ろの席にいるの」
『ああ…この子達』
「似てるだろ?」
『確かに…言われてみれば、似ているような気もするわね』
「まあ、確証はないがな」
彼はカメラの背面に映し出された写真をスライドしていき、やがて次の写真を映し出す。
『これも…彼ら?』
「たぶん、そうだろう。」
『ふーん』
「なんだよその関心なさそうな態度は」
『だって、100%じゃないもの。
それが100%彼らであるという確証が無ければ、私は何もできない』
「ハァ…まあそういうやつだったよな、お前は。」
別に、この写真がどのような意味を持っていようと、きっと彼女には関係ないだろう。
ここに写っている二人、いや対象を絞らなければもっと多くの人がいるのだが、
彼女と彼が興味を持つのは、その二人だけだ。
「それで…こいつらは、『あっち』だと思うか?それとも、『こっち』だと思うか?」
『…』
「おい、メル」
『だからそれは―』
「確証が無ければ分からない、か」
『…』
「だよなぁ…」
彼は大きいため息をついて、もうずいぶん年季の入った椅子をギシギシと揺らす。
彼の体重が増えていくのに合わせて、椅子の接合部の寿命が少しずつ減っていく。
「でもまあ、言ってみればこいつらだけじゃない。ほかに座ってる連中も、きっとそうだ。」
彼はさらに体重を椅子に預けて、それが悲痛な鉄の悲鳴を漏らす。
「どいつでも、いつかは、空を目指すようになっちまう。そうならなければ、きっとそいつは、
途中で夢をあきらめたか、見失ったか。それとも、ほかの何かか。」
『あなたは、どういう風にお考えで?カイツ。』
わざと彼女は挑戦するような態度で、彼に語りかける。
「特別なことは何もない。やっぱりこいつらは、俺たちとは違って、子どもなんだ。
ありもしない、叶いもしない夢を追い続けている。
俺からすれば、滑稽な夢見どもだ。」
『もしそうだとすると、私たちは「大人」であると?』
「もちろん、俺も昔は子どもだった。でも、今は違う。違ってしまった。
もうきっと、二度と『子ども』には戻れないんだろうな。
俺と同じく、『大人』になってしまった連中は。」
『それは…そうかもしれないけれど』
「誰だって、道を間違えることはあるさ」
彼はすっかり寿命の縮まった椅子から腰を上げ、
しっかりと施錠された扉に向かって歩いていく。
『もしかすると私達も、これから「道を間違える」ことがあるのかしら。
こんなに大人になってしまっても』
「…」
彼女の独りごとのような問いかけに、彼は、答えない。
そのよれよれになって、しまいにはところどころ黒ずんだ白衣を背中に向けて歩いていく。
その背中は、確かに彼の生きてきた―
「子ども」から「大人」になってしまった彼の生涯を投影している。
「―ある、かもな」
彼は独りごとのようにそう答えて、扉に設置された端末に認証コードを打ち込んでいく。
1・1・3・7・2・5…
ようやく認証を終えた扉が、ゆっくりと機械仕掛けによって開いていく。
その背中を見送ったところで、
彼女は彼の座っていた、もう寿命のほとんど残っていない椅子に、
深く、座りなおした。
「……ひっどい汚れ。彼、服洗ってないのかしら。」
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