それぞれの、空と海 01
今ここに、
空を駆け抜ける「物体X」がある。
それは、この世界では誰もが見てきた
いわゆる『飛空艇』とは似ても似つかないものだけれど、
「空を飛んでいる」という点では確かに似ているとも言えるのかもしれない。
それは風に少し煽られて、ぐらっと少しバランスを少し崩すが、
なんとか体勢を立て直して、機体半分を風に乗せるようにして目的地へと向かっている。
今日の風はいつもより弱いから、きっと何事もなく目的地にたどり着くだろう。
そんな期待をしていた。
もちろんそれは、確かな自信、確かな信頼に基づいたものだけれど。
空を鳥のように浮遊しているかのように見えたそれは、やがて風に乗ったまま、
とある建物の窓に、その機体を反射させる。
やがて見えてくるのは、その窓の向こうにいくつもある、人影。
その人影たちは一つだけではなく、いくつもの列を形成して、
その視線は一つの方向だけを向いている。
そんな表現をすると、それらがあたかも操り人形のように聞こえるかもしれないが、
決してそんなことはない。
その一つひとつは、確かに、別々の夢、希望を持っている。いつ叶うのか、分からない漠然とした希望を。
ふらふらと風に乗ってきた機体は、やがてその窓の向こうの人影からは、
ちょうど死角になるような場所に隠れて、その窓の向こう側の様子を映し出す。
少しだけ開いた窓から、いくつもの人影と、その人影たちが向いている方向にいる、
もう一つの人影が話している、その話声を拾う。
―えー、確かに、それは一概には言えません。え、ほら、あなたが言ったことへの回答ですよ、フランツ君。
そうそう、『人はなぜ空を飛ぶのか』という質問への回答です。
もちろん私たち人間は……え、きみなら飛べるの?嘘おっしゃい、良いからファルディナ君は話を聞いていなさい。
ええと、どこからだっけ、話を戻すわね。
確かに私たちこの世界の人間は、生まれてからこの方「空を飛ぶ」ということに関して異常な執着心を持っているかのように思えます。
きっとあなたたちのお母さんも、お父さんも、「空を飛ぶ」ということを特別なこと、としてあなたたちに教えてきたことでしょう。
そしてそれは確かに、特別なこと、です。
「鳥がなぜ空を飛ぶのか」、
「雲はなぜ浮かんでいるのか」、
この二つの質問と、
人間にはなぜ空を飛ぶための翼が生えていないか、
という質問を一緒くたにして考えるのは、きっとファルディナ君、あなたみたいな子のことですよ。
…さあ、また脱線してしまいましたけど、話を大筋に戻すとして…
この世界にあるすべてのものは、『記憶』を有している、というところまでは話したわね。
そう、それは人間だけではなく、草も、花も、虫も、鳥も、自然界すべて。
なぜそう考えられてきたか、なんてことを今更考えるのは、きっと無粋なことなのかもしれません。
それは、私たち人間が「歩き」、「呼吸する」ものだ、と教えられてきた、ことぐらいに当たり前のことですから。
でも、それらのものは記憶を共有することができない。
私達人間のように、いついつにこんなことがあった、とか、
あそこでこんなことを経験したとか、あの時はすごくうれしかった、悲しかった、ということを
他の生命体に共有することはできません。
そして、それが可能な一つの事象があります。さあ、復習です、アレン君。
それは何?
―そう、正解
あの大きな海が発生させる、『レイン』です。
人の記憶は、海という巨大な貯蔵庫に、一定期間保存されます。
海の水は、少しずつ蒸発することにより空へと昇り、それが雲を形成します。
雲となった記憶のかたまり…いいえ、それは塊ともいえないばらばらなものだけれど、
やがてばらばらになった記憶たちは、雨となって、地上に降り注ぎます。
そうやって、水は循環していきます。
今は晴れていますが、―うん、その通りですね、確かに昨日は大雨が降っていました。
あれは、既にばらばらになってしまった、記憶の断片です。
それを寄せ集めて、元の記憶のかたまりにすることは、実質、いえ、多分不可能です。
ですから、そうなってしまう前に。
大切な記憶たちが、元の形を成さなくなってしまう前に、救い出しに行くのが、
『空を飛ぶ』人たちの役目―いいえ、それが彼らに与えられた、使命です。
私達はその人たちのことを、
―うんそうね、覚えているのは偉いけれどちゃんと手を挙げてから答えてね。
私達はその人たちのことを―
教室内の様子を映し出していた小ぶりの機体は、
やがて使命を終えたかのようにサッと踵を返して、もとの場所へ音も立てずに戻っていく。
さすが最新盤。やはり消音性能はばっちりだ。
機体はまた、当てもなく飛んでいるように、風に乗っているだけのように見えて。
確かに目的地、スタート地点へと戻っていく。
ふらふらと、翼の一部を失って、あてもなくさまよう鳥のように。
「…彼と、彼女、か。」
確かに、その窓の向こうには、『彼』と『彼女』が映っていた。
その姿は、あの時の姿と、幾分も変わらないようにも見えたし、全く変わってしまったようにも見える。
ふらふらと、だけれど確かに手元に戻ってきた小型の【ドローン】を指先でキャッチし、その電源を切る。お務めご苦労さま。
あとでたっぷり充電してあげるからね。
その場で空を仰いで、今は蒼いはずの虚空を見上げてみる。
一つの形容しがたい形を形成した雲は、時間の流れによって、その形を変えていく。
どの雲も、いつまでも同じ形をしていることは決してない。
いや、一秒、0.1秒、もっと短い間隔ごとに、その形を変化させているのだろう。
きっと、人間の『記憶』もそんな風に。
作られては消え、作られては消え、それはただの塊になり、
ばらばらの雨になって降ってくるようなものでしかないのかもしれない。
今しがた見た雲が、さっきとは全く異なった形で、頭上を漂っている。
その下を鳥が、いつもと全く同じかたちで、頭上を滑降している。
太陽の方角に合わせて沈んでいく、どの人間もが言う「限りある時間」と同じように。
その白い翼を持った姿が、はるか彼方の地平へと消えていく。
地平へ消えていく鳥は、地平へと近づくにつれて空だけではなく、海と一体になっていく。
いつかやがて、地と空の真ん中を飛んでいくことになる、鳥。
それの目的地は、決してたどり着くことのできない、地平線。
そこは、ここからは遠すぎて、近すぎる場所。
そこは、空と、海が交じり合う場所。
そこは、多くの『飛空士』が、永遠に目指してやまない場所。
そこは
消えてしまったはずの大切な『記憶』に、もう一度会える場所。
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