8話 男鹿半島の一幕


「ではルートを説明する。まずは西へ向かい、海へ向かって欲しい。今日は奥尻までだ。翌日の目標は男鹿半島。3日目は佐渡。4日目には琵琶湖へ。次に土佐清水へ向かい、種子島が最後だ。マップデータは送ってあるから場所を間違えないように」


 翌朝発表された、『杭』までの1週間のルートだ。速度だけで換算するならば5時間ほどで行くことができる。しかし『虫』を回避しつつ癖の強いフェルミオンを操るとなると、着く前に力尽きる。この作戦は失敗できないため、少しでも不安要素は取り除きたい。

 そのため種子島では1日完全に自由な時間を設けている。最後の休息だ。


 説明を受け、全員フェルミオンに乗り込もうとしたとき、兵太の横に得出博士があくびをしながらやって来た。



「待て兵太」

「どうしたよじっちゃん。老人なのに朝おせぇな」

「うっさいわ。ちょっと作ってたんじゃ。これを持ってけ」

「これは?」


 得出博士が渡したのは、ペンほどのサイズの棒数本と、ハンドグリップのようなものだった。


「金属をほんの一瞬だけフォトン化させて撃てる銃と弾じゃ。他の密集原子に接近することで質量を取り戻し……」

「よくわかんねぇけど、銃ってんだから武器だな。まるでペンみたいだけど、銃なら反動あるんじゃねぇの?」

「反動はないわい。懐中電灯を点けるようなものだと思えばいい」

「まあいいや。ありがとよ、じっちゃん!」


 無反動の光速弾だ。質量のある原子を光子フォトン化させることにより光速で打ち出すことができ、着弾前に実体化するため、そこで減速され破壊力を生み出す。

 ゴム弾で威力を殺さず打ち込むには至近距離でなくてはならない。だがこれならば500メートルほど離れていても撃つことができる。少しでも早く脱出するにはあったほうがいい。

 兵太はそれを5本、ありがたく受け取り、上空で待っているチームへと合流した。



「よぉし、じゃあ奥尻まで競争しようぜ!」

『ちょっと、勝手なことしないでちょうだい!』

『ワタシは負けないヨー』

『ルーも行くね!』


 莉瑠の叫びも虚しく、兵太とデボラ、ルーリィが飛び出して行った。昨日決めたフォーメーションなんてなかったかのようだ。


『ちょっ、あなたたち!』

『あはは、諦めたほうがいいよー奧分さん』


 それだけ伝えると美理も一気に加速し、兵太たちを追う。

 莉瑠はぎりりと歯を噛み締め、4人を追って行った。





「────で、私たちは一体なにをしているのかわかってるの?」


 莉瑠はキレていた。

 出発してから2日後、彼らは男鹿半島までやって来ていた。本日もまた兵太の提案で競争を始めていた。フォーメーションもなにもあったものではない。


「世界の平和のためだろ? わーってるって」

「遊んでいるじゃない! いい加減になさい!」


 兵太の態度に腹を立て、莉瑠の声が荒くなる。


「まーまー、いいじゃなイそれくらイー」

「そーね。ずっとなにもせず飛んでたらつまらないね」


 兵太を守るかのように、デボラとルーリィが口を挟む。それに対して莉瑠が信じられないものを見るかのような目を向ける。


「あ、あなたたちは日本人じゃないから! 日本がどうなってもいいんでしょ!」


 つい余計なことを言ってしまう。それに対して兵太は少し真面目な顔を向けた。


「あのな奧分。デボラは向こうの作戦に参加したうえで、わざわざこっちにまで来てくれたんだぞ。それにルーリィだって当事者だ。そういうことを言うべきじゃない」


 デボラもルーリィも命がけで参加しているのだ。それは日本がどうなってもいいという気持ちでできることではない。特にデボラはあちらでの作戦でたくさんの仲間を亡くしている。現実的な恐怖を知っているのだ。

 ついとはいえ、とんでもないことを口走ってしまったことに気付いた莉瑠は、部屋から飛び出してしまった。

 その姿を見送りつつ、兵太はため息をつきつつ頭を軽くかいた。


「真面目だなぁ。姉とはえらい違いだ」

「そういえばヘータ、奧分博士とは知り合いなノ?」

「知り合いっつーか、じっちゃんの弟子みたいなもんらしい」

「へー」


 聞く気があるのかないのかわかりにくい返事をデボラが返す。


「そんなことよりさ、奥分さん放っておかないほうがいいよね?」

「ん……、頼めるか?」

「任せて。なんとかしてみるよ」


 美理は大きく手をあげると廊下を走って行った。




「やあやあ奧分さん。……もしかして、泣いてた?」

「なっ、泣いてなんかないわよ!」


 目の周りを真っ赤にさせ、誤魔化しの利かない顔で莉瑠は叫ぶ。美理はそんな莉瑠を面白い子だなと興味ありげな顔で見る。

 と、彼女はここへ観察しに来たわけではない。莉瑠の隣に座り、顔を覗き込む。


「飛び出したっきり戻ってこないからさ、見に来たんだよ。どしたの?」

「……なんであいつら、あんなに不真面目なの……」


「うんうん、不真面目っていうかさ、奧分さんが真面目過ぎるだけなんじゃないかな」

「どういうことよ!」


 喰らいつきそうな勢いの莉瑠を、美理は苦笑しながらもなだめようとする。


「なんとなく思ってたんだけど、奧分さんってレースに出場したことないでしょ」

「えっ? それがどうしたっていうのよ」


 美理は『やっぱりなぁ』といった顔をした。


 レースというのは他の勝負ごとと異なる点がいくつかある。それは相手に対する信頼だ。

 このコースでこのカーブなら、前を走っている相手は確実に踏んでくる。それがわかっているからこそ、クラッシュしたら死ぬかもしれないところでもスレスレまで寄せられる。

 フェルミオンのレースは上下にも行けるため、同じコーナリングでもぶつかることはない。だがそれも相手が同じ高度で飛んでこないと信頼しているからこそ安心して飛ばせるのだ。

 だからレースのライバルは敵よりも、親友や恋人に近い。


 それと兵太たちも別に気楽なわけじゃない。米軍の戦力は8割近くを消失。ほぼ再起不能に近い状態になってしまった。中韓軍も同様だ。

 一般人も世界中で何百万、何千万と亡くなっている。兵太たちはそれを背負っていることになるのだ。

 そして兵太たちも命がけだ。明日明後日に死ぬかもしれない。それだけのことを今やっている。


 だから今、『虫』たちの動きが少ない今でしか好きにできない。昨日今日やった他愛もないレースごっこ。それが自分たちの最後のレースになるかもしれない。


 彼らは軍人などではない。生粋のレーシングドライバーだ。

 悔いなく死ぬなんてできないが、できるだけ悔いを減らすことはできる。


 そこに莉瑠との違いがある。彼女はずっとテストドライバーで、常にライバルはタイムであった。

 対して兵太たちは、互いに意識し、切磋琢磨することで高めあった仲であり、いつも彼らと勝負することを望んでいた。

 そんな連中と最後くらい競い合いたい。彼らのレースはお遊びではなく、覚悟の現れである。


 美理がそんな話をすると、莉瑠はいつしか興味深そうな顔で聞いていた。


「まあまあ私たちなんてそんなもんなんだよ。特に兵太君なんてほんとフェルミオン馬鹿って感じだし」

「フェルミオン馬鹿、ねぇ」

「それに、兵太君がいつも先頭なのには別の意味もあるんだよ」

「どんな?」


「私たちの後ろを飛ぶの、恥ずかしいんだよ」

「それって男女差別? 男が女より遅れるのが恥だって? 呆れたものね」

「いやいや違う違う、そうじゃないんだよ。ほら、私たちのスーツって水着みたいじゃない? そんで、スカートみたいにフリル巻いてんじゃん。あれ、飛んでると結構ぴらぴらめくれるんだよねぇ」

「……あー……」

「それで兵太君、テスト走行とかでわざと前方でおしり振ったりするとそっぽ向いちゃうんだよ。かわいーっしょ」

「……それでレースできるの?」

「それは大丈夫。レース始まっちゃうと兵太君、おっそろしいくらい集中しちゃうからねぇ。目の前で脱いだって気付かないよきっと」

「えっ!? ぬ、脱ぐって、そんなことしたの!?」

「し、しないしない! 例えだって。そうそう、初めて会ったときのレースなんかねぇ……」



 美理は兵太のことを色々と話し始めた。その少し嬉しそうな表情に、莉瑠はなんとなくであるが、なにかを感じ取った。


「ひょっとしてあなた、加瀬戸君のこと……その……」


 それを言われた途端、美理のよく回る口がピタリと止まる。


「そ、そんなことよりさ! 奧分さんもレース、やろうよ!」

「えっ」


 いくら話を聞いたところで理解できないこともたくさんある。百聞は一見に如かず。いや、見てもわからないことだってある。

 やはり体験することが一番だ。聞くだけでも、見るだけでも不十分だ。五感全てで情報を受け取り、感じることより優れた知識はない。


「でも……」

「あれだけガミガミ言って、今さら仲間に入れてって言いづらい? 大丈夫、誰も気にしてないよ。むしろ奧分さんが入ってくれたら嬉しいと思うよ!」

「そ、そうかな……」

「それでも入りづらいなら、自分から巻き込んじゃえばいいよ。兵太君だってそうだったでしょ?」

「ん、まあ……」


 兵太だって考えなしにやっていたわけではないのだが、自分から言い出しにくいことを代わりに兵太がやってくれたのだ。それに乗らない手はない。

 このことが問題になったらもちろん兵太が全部の責任を被る。それだけの覚悟くらいは持ってやっている。


 といったところでここでの話を終え、ふたりは宿へ戻っていった。





「────さぁて、今日は琵琶湖だっけか。陸を通過するからそろそろ慎重に……っておい!」


 朝食を済ませ、軽く運動をしたところでマシンに乗ろうとする兵太たちを尻目に莉瑠はさっさと飛び去ってしまった。

 昨日あれだけ怒っていたのだ。流石に見捨てられたのか。兵太は少しやりすぎたかと反省する。


『ぐずぐずしてないで。今日負けた人は種子島で罰ゲームだからっ』

「え? え?」

『よぉし私も行くよーっ! 負けた兵太君には女子用のスーツ着せよっかな!』

「えええっ!?」


『勝ったらヘータを好きにできるノ!? じゃあ首輪を着けさせて一緒に散歩するヨ!』

「ちょっ、お前ら……」


『ルーは兵太にルーの足を舐めさせるね!』



 突然来た莉瑠の提案、そして女子たちの連携に一瞬なんのことか理解できなかった兵太は、慌ててマシンへ飛び乗った。

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