3話 『杭』の到達

 昼でもまだ肌寒い5月の北海道、稚内。今年の日本代表戦はここで行われる。

 ノシャップ岬からスタートし、利尻と礼文をぐるりと回るレース。スタートを除くとチェックポイントが3か所しかないハイスピードコースだ。

 昨年は長崎の佐世保沖にある島を周るハイテクニカルコースであったため、温度と共にえらい違いである。

 

「寒っ! ……ちょっと早く来すぎたんじゃないか?」

「そう言うな。これから世にも珍しい光景が見れるかもしれんのじゃからな」


 兵太が言う通り、レースにはまだ早い。

 それでも何故か他のチームもかなり前乗りしていた。


 今回出場は辞退を除く各県代表に加え海外枠の46台あるのだが、今現在来ているのは42チーム。レースは来週末だというのに気が早すぎる。



 得出博士や他チームが北海道へ早着した理由は別にあった。


 今から1年ほど前、歴史上類を見ないほど巨大な隕石────いや、もはや小惑星といってもいいくらいのものが地球付近へ向けて飛来してくるのが観測された。

 しかも3つ。発表によると全長は凡そ135キロ、直径20キロほどの杭型の隕石だ。距離は3.5光時。1年で到達するとなれば凡そ時速40万キロ。直撃すれば確実に地球は滅ぶ。

 それほどのものが地球と火星軌道の間を抜けるという話だったのだが、木星軌道辺りから急激に減速し地球に接近。ひょっとしたら肉眼でもその姿が見えるかもしれないそうだ。


 博士としては世紀の──いや、この先ないかもしれないほどの天体ショーは見ておきたいらしい。ならばロクに星の見えない東京なんぞよりも空気の澄んだ北海道へ行ったほうがよく見えるのではないか。そう思っての前乗りである。

 といっても皆がそれを見るため早く来ているわけではない。地球最接近まであと3日あるのだが、どんな影響があるかわからぬため、前日辺りから航空機の飛行や電車の運行といった公共交通機関が制限される。他のチームはそれを考慮して前乗りしているところが大半だ。



 だがそれから半日ほどで、話は大きく変わる。



 超巨大隕石群は更に減速しつつ方向を変えた。その進路は地球を直撃するコースだと天文学者は気付く。

 そんなもの公表できるはずなく、政府としては伏せることしかできない。だが口封じの通用しない相手とはどこにでもいるものだ。

 発表したのは天文系のサイトで少し名が知れてはいるが、素人の自称天文学者だった。

 この手の人物は、やたらと声がでかい。つぶやき系からSNS、動画投稿サイトまで、あらゆるものへ自らの得た情報を配信した。



 超巨大隕石が地球と衝突するらしい。そんなニュースが世界中を駆け回るのにそれほど時間はかからなかった。これにより人々はパニックを起こす。

 犯罪に走る者、大切な家族と過ごそうとする者、きっと大丈夫だと普段通りの生活をする者、それぞれであった。


 そしてそれは、人々の予想と全く異なる事態を引き起こした。




 隕石は地球に衝突する。それが確実になった辺りから、科学者たちの理解できない現象が起きた。


 地球の大気圏へ差し掛かったところで、3つの隕石が更なる減速をし始めたのだ。

 太陽系外から中心────太陽の方向へ飛来しているのだから、通常ならば太陽の引力により加速するはずだ。それなのに火星軌道を越えたところで減速したことに、おかしいとは思っていた。

 そのうえで地球へ向かう、つまり地球の重力で加速するはずなのに、それらはどんどん速度を落としている。


 神の仕業か、人々の願いが届いたのか、その隕石は地球へゆっくりと降り立った。被害としてはそこそこの揺れに少しの津波程度だ。


 ひとつは、アメリカのミシガン湖に。

 ひとつは、ヨーロッパのバルト海に。

 そして残りのひとつは、東シナ海に。


 垂直に突き刺さったそれは、海面から凡そ120キロほどの高さまでその姿を見せていた。かなり離れたところからでもその姿は確認でき、近くから見るとまるで空を支える柱のようだった。

 一体何故このようなことが起こったのか。科学者の興味は尽きない。国としても早急に把握したいため、大がかりな調査許可を出した。これにより、様々なジャンルの研究所が我先と向かって行った。




★★★★★★★★★★



 アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ沖


「へっ。全く驚かせやがってよ。この世の終わりだと思ってハメを外し過ぎたぜ。これで浮気がバレたら俺が地球を滅ぼしちまうかもな。おい、もっと速度出せねえのか!」

「無茶言うな! これはただの漁船だぞ! しかも旧型の!」

「くっそ! 機材持って来んのに時間かかりすぎちまった! これじゃ他の研究所に手柄取られちまう!」


 いち早く反応したアメリカの各種研究所は、手柄を奪い合うように慌てて調査員を派遣した。この男は準備に手惑ったうえ急いで船を借りたため、足の遅い漁船に乗ってしまった、恨めしそうに先行する10艘以上の船を見ながら男は叫ぶ。

 しかし世の中はなにが幸いするかわからない。なにせ逃げられるのは彼の乗っている漁船だけなのだから。



「な、なんだあ!?」


 彼は叫んだ。漁船の遥か先を進んでいたプレジャーボートが水面と共に空へと飛び上がったのを目の当たりにしたからだ。

 先へ進むのは危険と判断した船長は、大きく舵を取って急いで戻る。

 その間も船や水面はどんどん上空へ向かう。そしてその範囲が徐々に拡大してきている。


「は、早く逃げろ! 急げ!」


 とてつもなく嫌な予感しかしない。後方では水や船が浮いており、その形状は球体になりつつある。まるで────いや、そのまま無重力なのだろう。

 無重力状態で水は物体にへばりつく。プレジャーボートは周囲の水を吸着するように集め、水の塊の中へスノードームのように閉じ込められてしまった。


「わかっとるわ! これでも全開なんだよ!」


 罵り合っても加速するわけではない。船長はエンジンが壊れるのを覚悟でフルスロットル。そのまま減速もせず岸へ乗り上げ、転げながらも船から飛び降り逃げ去った。



「おいフラッシュ、そんなに慌ててどうした? 浮気がかみさんにバレでもしたのか?」

「そんなこと言ってる場合じゃねえ! 逃げろ! 逃げないならせめて建物に入るか木にしがみついとけ!」


 逃げ走る研究員、フラッシュは船長と共に周囲の知人などへこのままでは危険だと訴える。しかし説明している余裕は全くないから理由がわからない。なにをそんなに慌てているんだと少し馬鹿にした表情でフラッシュが来た方向、湖へ目を向ける友人。

 その途端、フラッシュと同じ方向へ逃げ走る。彼も見てしまったのだ。様々なものが浮上していく様を。


「く、車の中ならきっと……」

「馬鹿、車で逃げんならいいが、中に逃げ込むのだけはやめろ! 一番危険だ!」


 地上が突然無重力になった場合、車は確実に浮く。それならばじっと立っていたほうがマシというものだ。

 だがそれでも移動速度は必要だ。フラッシュは船長と共に友人の車へ飛び乗る。


 クヮカカカ クヮカカカカ


「カモンカモンカモン……」


 ピンチのときほどエンジンがかからないのがアメ車の特徴だ。そんなお約束どうでもいいから早くかかってくれ。フラッシュは背後の浮いていく車たちを見ながら焦っていく。

 そして直前になりようやくエンジンが始動。一気に加速し町から脱出できた。



 暫くすると空にあったものが一気に落下していく。バケツをひっくり返したような雨という表現があるが、それどころではない。湖をひっくり返したような水がシカゴやその周辺の町を襲った。

 もちろん水だけではない。船や車、それに人々。ハリケーンのほうがマシなのではと思えるくらいの被害を被ってしまった。


 終わったかと思ったところで、また再浮上。しかもまだ拡大している。息をつく暇もない。



 それから1日経過すると、隕石から半径500キロほどが立ち入り禁止地帯になった。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 政府は柱のような隕石を仮に『パイル』と呼び、これを中心に半径500キロが不定期な無重力地帯になっていると説明。ミシガン州やイリノイ州などから人々は避難していった。

 これをこのままにしているのは危険だ。アメリカ大統領はそう決断する。宇宙から来た謎の物体で貴重なサンプルとはいえど、人命優先。危険物は排除する必要がある。人が住んでいる場所から考え、ミシガンとバルト海の『杭』を排除。研究対象を東シナ海と指定する。

 その決定に異を唱え、反発するのは中韓2国。アメリカ・カナダ軍のミシガン攻撃に合わせ、東シナ海の『杭』へ向け全軍を投入する。


 結果、全ての軍が大敗した。


 戦闘機やミサイルは細かい回避ができない。無重力状態でそこらじゅうに漂っている物質や水の塊をかわしきれず、ほとんどが大破。

 ヘリに関しては重力があって成り立つものであり、重力がなければ下降する術がない。そのほとんどが宇宙まで飛んでしまうか、逆さまになって強引に下降しようとして方向を失い墜落した。


 つまり、ほぼ自滅という結果になったのだ。



 辛うじて存在する軍の生き残りが撤退していくなか、同じタイミングで『杭』から大量の塊が放出される。通称『バグ』と名付けられたそれは、足のない巨大なカナブンのようなものであった。

 小さな外羽のようなものを体の上下から開くと、なにかを噴出してもの凄い速度で飛んでくる。そしてそれらは無重力地帯を飛び出し、動くものへと襲い掛かっていく。

 空を飛ぶものは軍だけでなく、旅客機や報道ヘリ、セスナなど。

 陸はバスやトラック、電車などに。

 海も船はほとんど襲われ、世界中の物流や交通が麻痺してしまった。

 アメリカではニューヨークやワシントンDCにまで襲い掛かり、ヨーロッパだと東はロシアのモスクワ、東はロンドンやパリ。ドイツは全域に渡って『虫』が蹂躙している。

 アジアも中国なら北京、上海など。

 それに日本は、福岡や大阪はもちろんのこと、東京、更に札幌などまで『虫』の被害を受けている。それは世界中の主要都市が『虫』によって支配されているかのようであった。


 これが『杭』が地球に降りて僅か3日間の出来ごとである。そしてどういった理由かわからぬが、国内外各方面から自衛隊が責められていた。





「あーあ、グランプリ中止かぁ」

「そんなこと言っている場合ではないじゃろ。案外余裕あるようじゃな」

「帰れないってだけだからな。最北の地つっても普通の町だしさ、飯は美味いし特に不自由もないから実感わかないんだよ」

「まあ確かにな」


 事件から数日後、兵太と博士はだれていた。なんでもかんでも禁止されており、やることがないのだ。

 稚内は駅から南へ向かうと、思った以上に町として整っている。それに港町であるため新鮮な魚介類が豊富であり、冬場でなければ問題はない。

 どうやらここまでは『虫』もやってこないらしく、兵太たちは報道されている事態を飲み込めないでいる。まるで遠い世界の出来ごとみたいに。


「それよりトレーラー暮らしもそろそろうんざりなんだけどさ」

「仕方なかろう。宿は埋まっておるし、いつ『虫』に襲われるかもしれんからトレーラーを動かすわけにも……おや?」


 兵太たちがぐだぐだしていたところ、他のチームで動きがあった。ドライバーたちがぞろぞろとどこかへ向かっているようだ。

 それに興味を持った兵太は、ドライバーを見送り残されたエンジニアへ話しかけてみることにした。


「なあ、なにかあるのか?」

「アメリカの『杭』が破壊できたらしい。それを成功させたのが新型エンジンを積んだフェルミオンだってんで、自衛隊が使えるマシンとドライバーを募集しているそうだ」

「へぇ」


 機動性や速度がそれなりであり、元々宇宙での作業を目的に作られていたため、無重力だろうと操作できるようになっている。そのための揚力利用の禁止なのだから。

 つまり今をどうにかできるのはフェルミオンしかないらしい。本来国民を守る立場のはずの自衛隊にとっては苦しい決断だっただろう。


「どうするじっちゃん」

「どうするもこうするも、お前が決めりゃいいじゃろ」


 兵太は考えた。どうせこのまま予選もグランプリも中止だし、家に帰ることすらできない。だがその作戦に乗れば少なくとも飛ぶことはできる。

 それに『杭』を破壊したフェルミオンマシンとして世界に名前を轟かせることができれば、町工場のみんなも喜ぶだろう。グランプリに出られなくとも、これはチャンスだ。


「んじゃ、ちょっくら地球を救いに行ってくるか」


 兵太は軽く手を振り、他のドライバーたちが向かう先へ歩いて行った。

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