2話 奧分博士


「よっしゃぁ、飛ばすぞー!」 


 翌日、早速伊豆の弓ヶ浜へ来た兵太は、海に向かって叫んだ。ここは兵太たちがマシンテストのためよく使う場所で、先にある無人島、神子元島を周って戻ってくるのだ。


「わかってると思うが、まずは馴らしを数周行えよ。それから徐々にスロットルを──」

「だからわーってるって」


 兵太は話半分に発射台ローンチパッド上のマシンへ乗り込む。慣れない着座式といっても兵太にはレーシングカートの経験がある。最初は戸惑ってもすぐ馴染むだろう。

 データパネルに手を乗せ、起動。グリップを握り体内へ微弱な電流を流す。生体情報が読み取られ、細かな情報が目の前のバイザーゴーグルへ映し出される。全てクリアされると前後のスラスターから放出圧が発生。

 そこでゆっくりとスロットルを開けると、甲高い音と共に出力が上昇。漆黒のフェルミオンはそろそろと宙へ浮いていった。


 ローンチパッドから完全に離れたのを確認した兵太はスロットルを半分パーシャルまで開ける。するとマシンはゆっくりと加速していった。


「うん?」


 兵太は小首を傾げつつ、神子元島へ向かって行った。




「──おい兵太、いつまで遊んでる? そろそろ慣らしを終えていいんじゃぞ」


 博士は戻って来た兵太に向かい、ため息交じりに言った。

 兵太はもうかれこれ2時間は低速で飛んでいる。馴らしなんて3周も回れば充分なのに、いつまで経っても加速しなかった。


「そうじゃない。どうしようじっちゃん。このマシン、遅い」

「なんじゃと?」


 機体を見ても問題はない。左右バランスはしっかり調整されているため、例え時速500キロで飛んだとしても誤差程度のぶれしか生じないはずだ。


「そんなことあるまいて。全開で回せば──」

「俺は5周前から全開だったんだよ。これじゃあ前のエンジンのほうがいいくらいだ」


 博士は飛行情報端末データロガーから兵太の操作を確認。すると確かにほとんどがスロットル全開になっていた。

 更に解析すると、様々なところでエラーが表示されていたことがわかる。これではまともに動くわけがない。 

 兵太は飛び出した時点でなんとなく感じていた。半開でもそれなりの加速をするはずなのに、このエンジンはかなりもっさりとしていたからだ。


 博士は顔を曇らせた。


「とりあえず今日はこれで終わりじゃ。帰って調べ直さにゃならん」

「ああ。なんか疲れたよ」


 精神的な負荷は肉体にも多大に影響が出るものだ。

 こうして兵太は納得のいかないまま東京へ戻っていった。




 だがそれは兵太たちだけではなかった。世界中で同じ事象が発生。オープンチャーム01は欠陥品として叩かれた。

 それでもちゃんと期待値通りの結果を得られたチームもいくつかあった。調べるまでもなく理由が判明。それらのチームのドライバーは全て女性だったのだ。


 検証のため、駄目だったチームもドライバーを女性に変えたところ、やはり女性であれば欲しいままの性能が得られることが判明。

 理由は不明だが、女性でないとまともに動かせない。だからといってコントロールユニットは通常のコンピュータとは根本から異なるらしく、解析することが不可能だった。


 ただひとり、得出博士以外は。




 それから数日後、やたらと高級そうな黒塗りの車が工場前へやって来た。


「ええーん、じいちゃーんっ」

「やはり来おったかバカ姉妹め。ええいしがみつくな鬱陶しい」


 車のドアが開くなり飛び出してきたのは、一見少女のような小さい2人の女性であった。博士に飛びつき、文字通り泣きついている。


「じっちゃん、孫か?」

「違わい。これに見覚えないのか?」


 博士がしがみつく女性を引き剥がし、猫のように摘まみ兵太へ見せる。

 それは天才学者奧分姉妹、オープンチャーム01を開発した博士であった。



「────で、用件はなんとなくわかっとるが、なにしに来た」

「オープンチャーム01のプログラム直すの手伝ってよ!」

「断る」

「なんで! 3基もあげたじゃん!」


 世界中に200基しかないエンジンを3基も差し出すとはかなりのことだ。WGP出場チームでさえ2基がやっとだというのに、一体なにがあったというのか。


「じっちゃん。奧分博士と知り合いなのか?」

「このバカ姉妹はワシが大学で教授をしていたころ、学校に忍び込んで授業を覗いていたんじゃ」


 最初のころはこっそりと覗いていたのだが、そのうち堂々と教室の席に座るようになっていた。大学教授を辞め研究所へ移ったあともその研究所で他の職員と混じっていたのだ。付き合いとしては10年以上ある。

 当時小学生だった彼女らは当然大学の学費など払っていなかったし、研究所でも勝手に職員カードを作って出入りしていた生粋のこまったちゃんたちなのだ。


「でさ、どうしてもじいちゃんじゃないと……」

「退数コンピュータに生体プログラムじゃろ? 手を抜いた結果じゃから自業自得じゃ」


 得出博士が開発した、セキュリティ対策用コンピュータだ。2進数の0と1にマイナスを加えた、通常のコンピュータとは全く異なる形式である。そのため通常のコンピュータではデータを解析どころか読み込むことすら不可能になっている。滅電素粒子という電子の逆の性質を持つ素粒子を発見、研究の第一人者となった得出博士ならではの発明であった。


 そのうえで生体プログラムという、脳のニューロンだけではなく肉体電気からデータを拾い組み上げていくプログラムを用いられている。これは定まった形式のプログラム言語とは異なるため、解析は困難である。そのせいで現在、この新型エンジンのデータを書き換えられるのは得出博士と奧分姉妹だけだ。


「なにが悪かったのかなぁ」

「聞かぬでもわかるじゃろ。お前らは開発用テストドライバーに女しか使わなかったからじゃ。データのそこかしこにその断片が残っちょったわ」

「ぐぬぬ……完全に取り除いたつもりだったのになぁ……」


 奧分博士は恨めしそうな顔をする。男性の肉体の違いが生体プログラムのデータに不具合を生じさせていたため、その性能の半分くらいしか出せなかったというわけである。

 その結果、来季へ向けて各チームの男性ドライバーの契約はほぼ白紙。代わりに女性ドライバーへの契約続出。男性ドライバーたちから相当な不評を買ってしまった。流石に殺人予告まではないが、悲痛なメールがたくさん届いている。


「普通そういうのって複数のテストドライバーを使うんだろ? それが全員女だったってのか?」

「いや、ひとりしか使ってなかったんじゃろ。まあ事情は知っとるから深くは追及せんがな」

「ふぅん」


 なにやら特別な事情があるのだろうが、本人を前に聞くのもどうかと思った兵太は、その先を聞かないでおく。


「話を戻すぞ。そもそも生体プログラムはワシでも修正するのに時間がかかる。早くても半年……つまり、次のグランプリ開催には間に合わんじゃろうな」

「ええーっ」

「ええーではない。仕方ないから儂がまっさらなデータ作ってやる。大人しく待っとれ」

「あーい」


 奧分姉妹は項垂れるようにとぼとぼと帰っていった。



 車が走り去ったのを見届けてから、兵太は博士に訊ねた。


「んで、どんな事情なんだよ」

「あのバカ姉妹の下にな、少しはまともな妹がおるんじゃよ。テストドライバーはそいつじゃ」


 天才姉妹と呼ばれた2人には、少し歳の離れた末妹がいる。

 2人はその妹を溺愛していた。そして世間から言われる『天才姉妹』という言葉が気に食わなかった。


 だがそれは仕方ないことだった。なにせその末妹はどちらかと言えば凡才だったからだ。

 それでも2人は、呼ばれるならばせめて「天才3姉妹」がいいと、末妹をフェルミオンドライバーへの道に進ませた。無名から突然現れた天才ドライバーという風に仕立てる予定だったのだろう。


 オープンチャーム01は、そんな彼女のために作った傑作だ。これで来季のグランプリを制する予定だったのだ。若年層に優先したのも、少しでも勝てる可能性を上げるためだと推測される。身内びいきも度が過ぎている。



「まあ細かいことはいいや、んで、どうするよじっちゃん」

「どうもこうも来季はお前が出て優勝じゃ」

「あん? どうやって出るんだよ」


 オープンチャーム01は女性しかまともに使えないことが実証されている。だから当然兵太にも扱うことができない。

 だからといって旧型エンジンでは確実に選抜で予選落ちし、グランプリなど出場できない。新プログラムも半年かかると先ほど博士本人が言ったばかりだ。

 フェルミオン協会は世界10か国にあり、それぞれの国から規定人数までのワールドグランプリ出場者を選出する。日本の出場枠は2つ。つまり2位までに入らなくてはならない。それは兵太以外が全員リタイヤでもしない限り駄目だ。


 フェルミオンのレースにも規定タイムがある。1位とのタイム差が107%以内でなければ2位だろうと予選落ちになる。

 特にグランプリ直前の枠争奪レースは、そのレースへ出場するための予備予選まで存在し、毎年海外からの招待選手を合わせて50機も集まる大所帯なのだ。オープンチャーム01を搭載しているマシンがどれだけ出場するか不明だが、その全員がリタイアするなど有り得ない。


「お前のデータは数年かけて蓄積してあるじゃろ。もちろん生体プログラムもその中にある。それを丸々書き換えればお前でも扱えるはずじゃ」

「マジか! ……だったらさ、それをベースに書き換えれば男でも乗れるんじゃないか?」

「すぐには無理であるがそうじゃろうな。だがそれをするつもりはない」


 兵太の意見をばっさりと博士は切り捨てた。


「なんでだよ。それじゃあレースが面白くならないだろ」


 そう言う兵太を博士は睨み、ため息をつく。


「ワシらはお前やレースファンを楽しませるためにレースをやるのではないわい。みんな必死で瀬戸際なんじゃ。相手より少しでも有利になるならそれで結構。イコールコンディションなんて望んでもないわ」


 町工場の皆は苦しいなか、少しでも仕事を得ようと頑張っている。フォーミュラ・フェルミオンで活躍することで名を上げて世界中から仕事をもらおうという魂胆なのだから、ライバルたちとの激しい勝負などというものに興味などない。

 求めるのは圧倒的な勝利。それをもたらす圧倒的な技術力のアピール。レース競技はスポーツではない。ビジネスなのだ。


「あー、うん。まあそりゃあわかってるけど」

「だったら余計なこと考えるな。徹底的に差を見せつけることだけ考えておれ」



 それからマシンテストで多忙かつ充実した日々を送った兵太は、なんとか日本代表選まで間に合わせられた。

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