恋愛感情を抱いても色々ありまして⑧

「……あ? 何故その本が、ここに?」


 その本はアガリアレプトにとって、もっとも見慣れた本だった。全ての本が同じ外見の書庫に棲まうからだ。


「……何故、何故だ!?」

「ぁ……ダメ」

「何が、ダメだ!?」


 目が見開かれ、そう叫んだ。だが、真心がダメと言ったのは、彼にではない。


「リアちゃん!」

「……おい……待てよ。え、どうして、どうしてそれがここにあるんだ!?」


 蘇らせたんだ。だから彼女の歴史がここに有るはずが無い。彼女の歴史が存在するはずがないんだ!


「答えろ……答えろよ、真心!」

『んー?』

「っ!?」

「リアちゃん!?」

『ウツロイ……? ん、なんじゃそりゃ』

「クロ!?」


 あり得ない。何故彼女の声が聞こえるんだ。何故その本は浮いているんだ。何故その本は、真心を庇うように浮いているんだ。


「……なんで」

『ウツロイ、どうして書庫に帰ってこないのさ!』

「んがっ!?」


 鼻っ柱に本が叩き込まれた。さらに続けて、床に倒れたアガリアレプトの顔面に本が載った。そのまま飛び跳ねて


『この馬鹿! どんだけ寂しい思いをしたと思っているのさ!?』

「……嘘だろ……」

『本当に決まっているじゃん!』


 涙混じりの絶叫。本から聞こえるそれに、虚偉の心が掻き乱される。アガリアレプトの心が掻き乱される。


「クロ……クロォ……」

『はいはい。本当にウツロイは泣き虫だねぇ』

「五月蠅い……」


 滂沱の涙を流しながら、虚偉はその本を抱きしめる。愛しい相手のように抱きしめる。そして


「クロ……生きているのか?」

『生憎だけど死んでいるねぇ……歴史に意識を宿せたのは幸運だったよ』

「そうか……良かった……本当に、良かった」


 真心は複雑な面持ちでそれを眺めていた。好きな人が、好きな相手と再会したことに涙を流している。それは良いことのはずなのに、真心の心を傷つける。


「虚偉くん……」

「……真心……クロ、どうしてお前は真心と一緒にいたんだ?」

『そりゃウツロイが書庫に帰ってこないからさ、一人寂しくてマゴコッちゃんのところに転移しただけだよ』

「軽々言うな……そうか、書庫にいたんだな」

『どうして帰ってこなかったの? 驚かせようと思っていたのに!』


 それで俺が責められるのか、と虚偉は苦笑した。そして


「悪かった、真心……あの二人にも、伝えてくれ」

「え?」

『あ、っと』


 そうして虚偉は、書庫に久々に足を踏み入れた。


*****


「どうして俺たちはここに……書庫にいるんだ?」

「確か俺たちは東の王国に行ったんだよな?」

「えっとね、リアちゃんが連れてきてくれたの」


 二人は目を覚ますなり、周囲の状態に疑問を口にした。それに真心が答えると、二人は少し表情を歪めて


「虚偉の奴、あんなに強くなっていたんだな」

「あいつ、どうしてあんなことをしたんだ……」

「虚偉くんに聞いたら良いんじゃないの?」

「なんだよ真心、お前、何か知っているのか?」

「……知っていても、言いたくない」


 どういうことだ、と隆人が聞こうとした瞬間だった。扉が開かれ、そこに話題の人物が立っていたのは。

 彼は困ったような顔で、本に頭を叩かれながら歩いて


「……よぉ」

『よぉ、じゃない! まずは謝る!』

「……ごめん」

『私にじゃない! もー!』

「……すいませんでした」


 虚偉が素直に頭を下げている。それを眺めていると


「良かったな、リアちゃん」

『ありがとよ、タケトのおにーさん』

「それで虚偉、正気に戻ったか?」

「――さぁな。俺はクロを生き返らせるのに狂ったりなんてしていない。俺は正気でクロを蘇らそうとしていただけだ」

『嬉しいけど……あんな人形に愛を囁いている虚偉はぶっちゃけ狂っていたと思う』

「クロ!?」


 虚偉の言葉に本が嬉しそうに笑って


『それでさ、ウツロイ。ちょっとお願いがあるんだけど、良いかな?』

「ん、なんだ? お前のお願いならなんだって叶えてやるよ」

『マジか!? すっげーなウツロイ!』

「お前の頼みだ、なんだって喜んでやるさ」

『マジかー、愛されてンなぁ、私』


 本は嬉しそうにくるくると回転して、


『ウツロイと私の子を、お願いしたいんだ』

「「「「……?」」」」


 誰もが何も言えなかった。誰もが動揺していた。誰もが戸惑っていた。そしていち早く、我に返ったのは――


「虚偉くんとリアちゃんの子供!?」

『そうともさ! 私とウツロイの愛の結晶!』

「……ええええええ!? 俺が!? 俺と!? 俺で!?」

「おい、動揺しすぎて日本語がおかしいぞ」

「おかしいって言うか考えを纏めてから言えよ」


 二人の言葉にも反応できない。今、クロは何と言った? 確か、子供と聞こえた。確かクロのこと聞こえた。確か、俺の名前も聞こえた。俺の子、とも聞こえた。それはつまり――


「俺の子供!?」

『そうだよ、ウツロイ……ううん、お父さん』

「お父さん……だと!?」


 思った以上に、すんなり来てしまった。


「で、虚偉が何故か意識を失ったんだがどうする? クロちゃん」

『んー、ベッドに運んであげてもらえると助かるなぁ』

「ああ、分かったぜ。クロちゃんは自分で移動できるか?」

『応ともさ』


*****


「俺の子……俺の子か……」


 悪くない。むしろ、かなり嬉しい。俺みたいな人間に、何かが残せるなんて思わなかった。だが、だからこそ


「俺に似ないようにしないと」

『いやー、お父さん似にて欲しいんだけどねぇ』

「え? いや、俺に似てもらっても困るんだが……」

『なんでだい、お父さん』

「……俺に似たら、きっと困る。俺みたいに捻くれた奴に育つと、お母さんが困るじゃないか」

『気遣ってくれるのかい? 優しいねぇ』


 クロは俺の前でふわふわ、と浮きながら笑って


『だからさ、ちょぉっと我らが娘様を迎えに行こうよ』

「ああ……娘!?」

『どうしたんだい、いきなり素っ頓狂な声を出して』

「娘……娘……娘かぁ。きっとクロに似て可愛いんだろうなぁ」

『お!? お父さんってば私を可愛いと想っていてくれたの!?』

「そりゃもちろん」


 愛している、と言う言葉を口にするのは恥ずかしい。そう思っていた過去の俺は馬鹿だ。それを伝えずに彼女は死んでしまったのだから。


「クロ」

『なんだい?』

「愛しているよ、クロ」

『……そんな風に真顔で言われると、心から嬉しく思う反面、恥ずかしいなぁ。キスしたい』

「……どこにキスしたら良い? 表紙か? 背表紙か?」

『……それはちょっと、難しい質問だねぇ。どこが唇なんて分からないからねぇ』

「なら全身にキスしようか? お前のどこであろうとキスしてやるぞ」

『足の裏とか?』

「余裕だ」


 マジか、と戦慄するクロ。それに笑っていると


『それとお父さん。私のことはクロの書と呼んで欲しいな』

「え? クロの書?」


 かっけぇ、と思った。だが


「ちなみになんで?」

『ちゃんと切り替えておきたいからねぇ』


 悪魔では無くなった、と切り替えたいんだ。クロはそう言った。それはつまり、


「親になりたくないということなのか?」

『ううん、違うさ。むしろ、親になったっていうのは光栄な事態だよ』

「え?」

『愛する人の子を産めたんだ。嬉しいさ』

「そうか……ん?」


 そう言えば、我が娘様はどこにいるんだ?


「クロの書、我らが娘様はどこにいるんだ?」

『どこだと思う?』

「ん?」

『いやさ、単純な予想だけでも聞いておきたいなって思って』

「お前、まさか……知らないのか?」

『良いや、知っているし、載っているさ。でも、これから行かないといけない場所を覚えているかなって試験でもあるよ』


 行かないといけない場所……?


『そう、m「魔王に会いに行かないといけないって言っていたな」

『言おうとしたのに!?』

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