ギルドに登録しても色々ありまして⑧

 熊の群れが迫っている、表情をがらりと変えたアガリアレプトはそう言った。


「迎え撃つか?」

「森の中で獣と殺し合うのは無理だと思うなー、攻めて広い場所に行こーよ」


 アガリアレプトは極めて冷静な判断を下す。それに頷いて森から逃げだそうとしたが


「意外と熊って走るのが速いんだな!?」

「おにーさんが遅いだけじゃないかな?」

「五月蠅い、俺は帰宅部だったんだ!」

「なにそれ」


 趣味の方が大事だったから、という理由で部活には入らなかった。だがそれを思い出している余裕はない。


「アガリアレプト! アレ全部どうにかできないか!?」

「無茶言うなよおにーさん! むしろおにーさんの魔法でバーンとぉ!」

「無理だ!」


 背後で木が倒れる音が鳴り止まない。熊が邪魔な木をめきめき、と体当たりや手で殴り倒しているのだろうか。振り返るのすら怖いので確認できない。


「アガリアレプト! お前さっき殴り合っていたからやれるだろ! 一体ずつで良いから減らせ!」

「あ、おにーさんの布に付いた仲間の血に反応しているのかもね」

「なんでいきなりそんなことを言うんだ!?」


 動揺しながらポケットからハンカチを取り出し、あらぬ方向へと投げる。血が固まったのか、ボール状になっていたが


「まだ追ってきているぞ!?」

「そりゃー、獲物が目の前で気を逸らそうとしたって獲物優先が普通じゃないの?」

「それもそうだなぁ!?」


 あ、やばい。そう思った時はすでに手遅れだった。すでに爪先が根っこに躓いている。


「おにーさん!?」

「っ!?」


 森の中なんか走ったことねーし、と虚偉は内心で愚痴を吐きながら地面に手を突く。間違いなく、走る速度は落ちて、熊は距離を詰めているだろう。

 そんな風に呆れ混じりの息を吐いた瞬間、


「おにーさん、ごめん!」

「は!?」


 ぶん投げられた。地面から10メートルは離れている、と冷静に思っていると、次第に高度が下がっていた。


「っ、風の球よ、撃て《ウィンドボール》!」


 風の球を地面に向けて放つ。その反動と地面に激突した風の奔流が落下速度を多少、落とすが


「風よ《ウィンド》! 風よ《ウィンド》!」


 風を連続して地面に放ち続け、何とか無事に、と言っても地面を何度か転がる程度で着地した。気のせいか、鼻から何か垂れている。痛みで涙や、鼻水が出ているかもしれない。だが――


(助かった……のか?)


 周囲には木が無い。あの森から、出られたに違いない……逃げられたに、違いないはずなんだ。だがどうしてだろう、胸が苦しい。苦しいほどに、心臓が高鳴っている。


「なんだよ……なんなんだよ!」


 アガリアレプトに助けられたのだ。そしてアガリアレプトはまだ、森の中にいるのだ。だからなんだって言うんだ。俺と彼女の関係は、奴隷とその主人のはずなんだ。だから、助ける必要なんて無いはずなんだ。

 アガリアレプトが俺をどうして逃がしたのは分からない。でも俺は、彼女にとって良い主人じゃなかったはずだ。どうして……


「どうしてこんなに……苦しいんだよ……」


 分からなくて、分からなかった。胸を強く、叩いても心臓は高鳴りを止めることはなかった。


*****


(おにーさん、無事かなぁ)


 力加減を誤って、ぶん投げてしまった彼の身を案じる。正直に言えば、やばい。


「おにーさんみたいに省略魔法が使えるわけでもないからなぁ……おにーさんに学んでおくんだった」


 教えるばっかりで、彼からは学んでいない。そう思うとかなり尽くしたなぁ、と諦め混じりに思う。

 相手の狩り場で、数の優位性を取られ、一対一ならば殴り合いで勝てたとしても、相手は群れを成して狩りをする《軍隊熊アーミーベアー》。確実に、私は死ぬだろう。


「はぁ……おにーさんなら逃げてくれるよね」


 最後にしたことがそれで良いのか、と思う。でも不思議と後悔はなかった。


(あぁ、書庫を引き継ぐことも出来なかったなぁ……おにーさんに託そうかな)


 例え距離が離れていても、唇を重ね、書庫に招き入れた。そして信頼しており、多少は好きだ。だからこそ、書庫を引き継ぐ権利がおにーさんにはある。本来の引き継ぐための行為をしてはいないが……


「あーぁ、なんだか分かんねーなぁ」


 なんであんなに固執してしまうんだろう……それが分からない。そう思いながら逃げるのを止める。もう、逃げ切れないだろう。そう思いながら息を吐いて


「良いよ、もう逃げない。ここで食い止めるから」


 何も考えずに、そして自分でも気付かずに食い止めると言い放った。アガリアレプトは無意識下で、彼を護ろうとしていた。そして――


「闇よ、我が右腕に宿り、投槍と化せ《ダークジャベリン》!」


 右腕に収束する闇を細く長い槍と化して、全力で投擲する。それは先頭を走っている《軍隊熊アーミーベアー》の額を刺し貫くが


「まだまだいるんだよね……」


 熊の一撃でも受ければ、確実に怪我をする。そして、軍隊の名の通り、統率の取れた動きで取り囲み、一方的な惨殺をする。だからこそ、森の奥に入るのは危険なのだ。そういう意味で言えば、虚偉を危険に招き入れたのはアガリアレプト自身だ。


「は、笑えねー」


 熊は減るどころか、増えている。しかも統率者なのか、一体だけ色が違う熊がいる。絶望的な状況下で、アガリアレプトは頬を歪めた。それは笑み混じりの諦め。そして――


「闇よ、我が身を包んで衣となれ《ダークアーマー》!」


 熊の一撃を耐えられるはずがない。だが少しでも、生き残る可能性を――っ!?


「っ!? げぶっ」


 殴られた? その程度なのか? この腹部が弾け飛んだような衝撃と痛みはその程度なのか?

 痛みの中、口から何かが出る。食べた物かも知れない、胃液かもしれない。血かもしれない。吐く。吐いた。げーげー、と吐いた。そしてその間にも熊は距離を詰めてきている。包囲している。


「うぇぷ……まだ吐きそう」


 悪魔だから新陳代謝は良い。そして痛みが引くのも早い。だから立つ。生きて


(生きて――何をするの? このままずっと書庫と共に、託せる者が現れるまで生きるの? まだ、そんな風に生きて……存在しない希望を抱き続けるの?)


 今までのアガリアレプトは全て、悪魔だった。だから次代も悪魔、そうしないといけない。先代のアガリアレプトはそう言っていた。


(おにーさん……人間だもんなぁ、そんな人生、棒に振らせらんないなぁ)


 熊の拳を避け、顎を殴りつける。そのまま、腹部に肘を叩き込むが


(体硬いなぁ……どんな筋肉してんだよ……何食ってんの?)


 もう、何も感じない。もう、絶望しかしていない。アガリアレプトは当代で終わりだ。


「……嫌だなぁ……こんな死に方、嫌だよ……」


 深い、深くて不快なため息を吐いて、拳を解く。血で濡れている手を見下ろして、おにーさんなら嫌がりそうだなぁ、と目を閉じて、死を迎えながら思っているが――


「……ふぇ?」

「……」


 いつまで立ってもその瞬間は訪れなかった。そして目を開くと――そこには


「汚い顔してんなぁ」

「お前の力加減のせいだ」


 額を切っているのか頬に血が伝い、鼻血は出して、涙も出している。そしてぐしゃぐしゃに歪んだ顔で、彼が立っていた。


「おにーさん……何しに戻ってきたのさ?」

「――俺が知るか。俺だって分からねぇんだよ」

「は、はは」


 笑い、腹部の痛みで上手く笑えなかった。だが、大きな声で笑いたかった。すると


「え……あ、書庫?」

「ああ……そうだ」

「そういや戻って来りゃ良かったのか……」


 完全に思いつかなかったなぁ、とアガリアレプトは安堵しながら思っていると……虚偉が床に倒れた。そしてその右肩から先が、無かった。


「おにーさん!?」


 返事も、無かった。

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