第6話 懐かしい訪問者


 朝起きて、普通にご飯を食べて、決められた時間に自主的に勉強をして、昼間になったら公園のベンチに座り、鳩にエサをやる。

 もう、五月になっていた。

 日差しもちょうど良く気持ち良い。

 このままこの場で昼寝をしてしまいそうな陽気だったが、ユメはちゃんと自分が女の子だという自覚はあるので、こんな場所での昼寝はしてしまわないようになんとか眠気をこらえ、ベンチの背もたれに背を預けて、頭上にある緑の木々を眺めていた。

 ただ、ぼんやりと。

 特に何も考えないで。

 それだけで、楽な気分になれる。

 もう何も考えなくていいのではと思いたくなるくらいの心地よさだった。


 ふと、ユメの視線の先が暗くなった。

 日差しがあたらなくなったのだ。

 誰だろうかとじっと見ていると、一人の女性の影。

 ベンチの背もたれに背を預けるのをやめて上体を起こすと、ペットボトルを片手に、膝丈の青いプリーツのスカートをはいて、染めたのかどうかはわからないが薄く明るめの茶色の髪を肩までたらした女性が立っていた。

 背丈はユメよりかなり高い。

 ユメの身長は親戚が入院した時に行った病院の控え室に設置されていた身長を測定する機械で調べた時に百六十二センチくらいだったが、この女性はモデルのように背が高い。

 足も長いので、どこかでモデルでもしているのかと思えるほどだった。

「久しぶりっ」

 そんな女性に久しぶりと言われ、ユメは何が何やら分からなかった。

 自分に声をかけるはずがないと思い、辺りを見回してみる。

 今、公園の敷地内にいるのは、エサを求めてきた鳩。

 ベンチに座っている上野ユメ。

 そして、目の前のモデル体系の女性。

 他には人がいない。

 平日の昼間だから、元から人があまりいないのだが、今日は本当に人をみかけない。

 そんな日もあるのだなとぼんやりと考えた後、ならば、この女性が声をかけたのは自分なのだとユメは自覚したが、こんなモデル体系の知り合いがいたかどうか。

 実家に帰ってからずっと学校へも通っていなかったのだから、知り合いがいないのだ。

 なぜ、この女性は声をかけたのだろう。

 ユメが不思議に思っていると、女性は頭をかるくかきながら少しだけ笑った。

 おや、とユメは思う。

 この笑顔には見覚えがあるような気がする。

 それはいつなのか。

 アイドルグループ・プチラブリーにいた時なのか。

 いや、違う。

 その時にこんな笑い方をする人はいなかった。

 なのに、見覚えがあるのだ。

 それはいつなのか。

 思い出せそうで思い出せない。

 まだ学校へ通っていた頃、クラスにいたのかどうか。

 いない。

 ではどこで。

 ユメの眉間にシワがどんどんよってきた時、モデル体系の女性は己の指をユメの眉間に軽くあてた。

「駄目だよ癖になったらシワが取れなくなっちゃう」

「す、すみません」

 なぜか謝ってしまった。

 ユメは眉間にシワがよらないように自分の指を眉間にあてる。

 その間も、モデル体系の女性は笑顔のままだった。

「本当に覚えてないの?これ見ても?」

 女性はそう言うと、持っていた小さな鞄から白い布を取り出した。

 どうやら包帯のようだった。

 それを、ぐるぐると、顔の上半分に巻きだした。

 そして、巻き終わった後、口の端を思いっきりあげて笑って見せたのだ。

 目は、包帯によって隠れている。

 でもこれは、見覚えがある。

 まさか、そんなはずは…

 ユメは瞬きを何度も何度もした。

 この姿には見覚えがあるのだ。

 あれは、ユメの心の中が希望に満ち溢れていた頃。

 六歳の頃。

 歌が年齢のわりに上手だと言われ、皆に褒められていた頃。

 そして、それがきっかけで舞台でロングラン上演されていた作品のテレビドラマ版に出演が決まり、出演した時に一緒にいた子。


 薄い茶色の髪の毛で。


 目の前にいる女性も薄い茶色…少し明るくなっているが茶色の髪の毛。


 あの頃も笑顔が素敵で。


 今も、あの時の笑顔のまま。


 信じられるのか。

 本当に本人なのか。

 でも、この笑顔は、彼女のもの。

 おぼろげだった六歳の頃のユメの思い出が、はっきりと、くっきりと鮮明に浮き上がっていく。


「園崎…絵美里ちゃんなの?」

 ユメが六歳の時、一緒にテレビドラマに出演した時、絵美里は七歳で、今ユメは十五歳なのだから…


「そうよ?もう十七歳になっちゃった」

 誕生日が五月で昨日だったからと、絵美里は付け加えた。

「お誕生日おめでとう…」

 ユメがそう言うと、絵美里は顔に巻いた包帯を取りながらまた笑顔になった。

「ありがとう」


 絵美里の言葉に、ユメは、今の自分の姿を思い出した。

 髪の毛は後ろに大雑把にまとめただけ。

 服装はとても地味。

 きっと、顔も、表情も変な状態になっているはず。


 一方絵美里は、髪の毛も綺麗に整えられている。

 服装はオシャレに絵美里の体系にあっている。

 顔も、きちんと自然な化粧をしていて、肌のケアもばっちりしている。


 ユメは、過去の知り合いに会えた喜びよりも、今、自分がどれだけ情けない姿になっているか思い出し恥かしさを覚えた。

 何もしてこなかった。

 自分と同じ年代の子が磨きをかけていた頃、ユメは何もせず、ぼんやりと過ごしていた。

 輝いているかつての知り合いに出会い、急に羞恥心がこみあげてきたのだ。

 こんなひどい姿で、外に出ていた。

 恥かしい。

 どこかへ逃げなくては。

 家に帰ろう。

 そう思った瞬間、ユメは何も言わずに座っていたベンチから離れ、公園の出口へと自然に足が向かい、そのまま走り出していた。

「え、ちょっとユメちゃん?」

 絵美里の言葉が背中に突き刺さるが、振り向くなんてできなくて、家までひたすら走り続けた。

 十五分後、ユメは自宅に到着し、そのまま自分の部屋にこもった。

 自分の部屋の中にある鏡を見て、絵美里の姿を思い出す。

 本当に違いすぎる。

 実家に戻って何もしていなかったツケが、如実に今のユメの姿に表現されている。

 恥かしくて、その日は何を食べたか記憶に残らなかった。


 翌日になって、いつも通りの行動を家の中でした後、いつも通り公園へ行こうと、足が自然に玄関の前へと向かっていた。

 ユメは意識を取り戻す。

 なんとなく、無意識で公園まで行こうとしていたのだ。

 今日は駄目だと思った。

 昨日、絵美里に会ったのだ。

 また、出会うかもしれない。

 それが怖い。

 いつかまた会おうとは言ったけど、いきなり出てこられては、絵美里は何の為にユメの前に現れたのか。

 落ちぶれたユメを見て笑いに来たのか?

 いや、絵美里はそんな子じゃない。

 自分のせいでみんなが仲たがいしたのを悲しんでいた絵美里が、笑う為に来たとは思えない。

 思いたくない。

 ユメはそう思うが、公園には行きたくない。

 今の、自分の情けない姿を、また見せたくは無いのだ。

 そう思って、今日は外に出るのを止めようと決意し、自室へ戻ろうとした時、インターホンが鳴り響いた。

 モニターを確認すると、絵美里が立っていた。


「なんで、来たの?」

 ユメが恐る恐るたずねると、絵美里は笑顔になった。

「良かった出てくれた!」

「だからなんで家知ってるの?」

 ユメの叫びに絵美里はしれっと答えた。

「私ね、足けっこう速いんだ…追いかけて家確認したの」

 だから家に入れてよと絵美里に言われ、家の前でモデル体系の絵美里が立っていたら目立ちすぎると思ったユメは、家の中に入れる事にし、玄関の扉をあけた。

「ありがとう!今日は親御さんいないの?」

 絵美里の言葉に、ユメは頷いた。

「今日から夫婦水入らずの旅行で海外へ」

 そうなのだ。

 二回目の芸能デビューが失敗に終わり、ユメが学校へも行かなくなってから、両親はユメを気にかけなくなったのだ。

 だから、旅行へ出かける時もユメは家でお留守番なのだ。

 それを伝えると、絵美里は両手に持っていた荷物を廊下に置いて驚きの声をあげた。

「え!ユメちゃん置いて?薄情だなぁ」

 絵美里は大きな鞄を二つかかえていて、それが何なのか分からなくてユメの視線は右へ左へと移動がせわしない。

 思えば、自宅に自分への来客が来たのは久しぶりで。

 小学生の頃に学校の友人が来て以来だから、何年ぶりだろうかと、ユメは少しだけ思い出して笑顔を見せた。

 何年ぶりかの笑顔。

 少しぎこちないが、笑顔にする時の筋肉を使ったのは久しぶりなので、顔がひきつるような感覚をユメは覚えた。

「そう!それよそれ!私が見たかったのそれ!」

 絵美里は、ユメを指差した。

 見たかったもの。

 それはユメの笑顔だという。

「公園で見た時はさぁ、もう顔に生気が無いからどうしようかと思ってたんだけど…ちゃんと笑えるからまだ大丈夫だよね!」

 絵美里はそう言うと、スマホを取り出して電話をかけだした。

 誰かへとつながったらしく、絵美里はつながった先の人への通話を開始する。

「社長?大丈夫でしたよぉ、いけます」

「しゃちょう?いけます?」

 絵美里の言葉に、ユメはついて行けない。

 何が大丈夫なのか。

 社長とは誰なのか。

 いきなりすぎてわけがわからない。

 絵美里に会ったのは昨日で、まだ、昨日なのだ。

 二十四時間も経過していないのに。

 絵美里に会った途端、時間が急激に早く進んでいるような感覚をユメは感じていた。


「社長って…誰?」

 ユメの問いかけに、電話がちょうど終わった絵美里は答えず、鞄を開けた。

 そこには、メイク道具が入っていた。

「ユメちゃん、今から私が所属している社長に会いに行くから、少し整えよう?」

「え、何で会いに行くの?絵美里ちゃんのとこに…」

 いきなりで意味がわからないユメは、思ったままの事を口に出してしまう。

 絵美里は、笑顔になった。

「ユメちゃんの顔に生気がみなぎってきたわぁ」

 そう言うと、メイク道具から必要な基礎化粧品を取り出した。

「顔は洗ってるよね?」

「ついさっき、五分くらい前に洗ったところ…」

 ユメの返事に気を良くした絵美里は、化粧水を取り出して、ユメに手渡した。

「自分で化粧できるよね?」

 絵美里の問いに、ユメは静かに頷いた。


 鏡の前でちゃんと化粧をするのはいつ以来だろうか。

 アイドルグループ・プチラブリーに入っていた頃は毎日ちゃんとかかさず肌のケアもばっちりとしていた。

 化粧も忘れずしていた。

 化粧をしなくなったのは、アイドルを辞めて、事務所を辞めて、実家に戻って、学校へ行くのを拒否した日、からだったような気がする。

 何もかもしたくなくて、無気力になって、気がつけば肌のケアをするのも忘れていた。

 オシャレをするという気持ちもどこかへ行って、適当に服を着て生活を続けていたのだ。

 ただ、ご飯を食べて、のんびり時間が過ぎるのを待つ。

 それだけの時間がすぎるだけの無駄な生活をして、十五歳を迎えた。

 このまま、何も起こらないまま時間はすぎると思っていた。

 しかし、絵美里と公園で再会した。

 絵美里が会いに来てくれたのだ。

 絵美里の所属する事務所の社長に会いに行く。

 この意味は、ユメでも分かる。

 でも、まさかそんなという気持ちもある。

 もう忘れてしまったこの気持ち。

 確認しないと、信じられない。

 もう信じる気持ちもほとんどなくなっていたのに、急に時間が急いで流れるので、確認しないといけない。

「ねえ、絵美里ちゃん、なんで社長さんに会う必要があるの?」

 ユメの疑問に、絵美里は笑顔になる。

 そして、ユメが欲しかった言葉をその口から告げた。

「ユメちゃんの再デビューの為に、社長に会うの」


再デビューできる。

これほど嬉しい言葉は無い。

アイドル活動が駄目になった時、愛菜もリオも奈子も必要とされる場所があった。

でも、自分には無かった。

だから完全に辞めるしか無かった。

まさか、本当に自分を引き取ってくれる事務所があったなんてと、ユメは信じられないという表情になっていた。

「信じられないよね?」

 絵美里はずっと笑顔のまま。

「私もね、社長に事務所に入らないかって誘われたの去年なんだ」

 ユメの知らない過去の話を、絵美里はポツポツを話し出した。

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