第3話 決意のその先
親元から離れ、事務所が用意した寮の三階の一室にユメと愛菜はいた。
これから、ユメと愛菜が同室で、奈子とリオが同室となる。
部屋の中は思った以上に広く、自分用の寝室がちゃんとあって、そこには勉強机も置いてある。
リビングとトイレと洗面所やお風呂は二人共同で使う事になるが、プライベート空間もしっかりしている。
食事は、寮の一階に食堂があって、毎日三食栄養バランスの良い食事を作ってくれる人がいるらしく、自分で作る心配は無いらしい。二階はレッスン室になっていて、別棟に暮らす先輩グループのラブリッシュも練習する事があるらしく、レッスン室は二部屋用意されている。
何か買い物が必要ならば、寮の中にコンビニのような店があり、そこで必要な物を購入すればいいという話だった。
ユメ達にとっては何もかもが初めての事で、ドキドキが止まらなかった。
「緊張するね」
愛菜は言った。
「上手くいかなかったら辞めるしかないものね」
ユメも言う。
「わたしは最後まであがく」
奈子はそう言って笑う。
「最後のチャンス…」
リオは目を閉じた。
奈子とリオは、ユメと愛菜の部屋のリビングに来ていた。
ソファーに座り、用意されたジュースを飲む。
レッスンがはじまる前の日に必要な荷物も全て、事務所が用意した寮に運び込めたのだ。
明日から、新しくデビューするアイドルグループ、プチラブリーのレッスンがはじまる。
事務所の公式サイトにも、一ヵ月後にラブリッシュの妹グループが誕生すると告知されている。
新しくデビューするグループは四人だと、シルエットだけ掲載されている。
今日到着した時に事務所専用の撮影所にて撮影した四人のシルエットだ。
まだ衣装はできてない。
だから、素の状態の服装でシルエットを撮影するという話で、それぞれ普通にその場に立って撮影したのだ。
公式サイトにはこう書かれている。
1ヶ月で新しいアイドルとして生まれ変わるプチラブリー。
このシルエットは、彼女達がオーディションに合格して間もなく撮影された。
今、何も持っていない彼女達四人は一ヵ月後どうなるのか楽しみにしていてください。
【何も持っていない】
そこがユメの心にひっかかった。
何も持っていないはずはない。
ユメには大好きな歌があった。
歌声を、もっていた。
日本一とはいわなくても、ある程度上手だと思われる歌声を持っていた。
愛菜にも、リオにも、奈子にもそれぞれ特技は一応ある。
けれど、ユメはそれをこれから失くす。
【何も持っていない】という言葉は、間違ってないのだろう。
ユメには歌以外、何もないのだから。
外見は、すごく可愛いわけでもない。
かといって普通でもなく。
普通より少し上くらいの可愛さのユメ。
プロデューサーの山野が言うには、世の中にはたくさんの化粧品があるのだから、それを駆使すれば誰でも実際の顔のレベルよりも可愛くなれるとの事で。
書類を見て選んだ基準の一つは顔のレベルだと山野は言っていた。
ダンス担当のユメと奈子は普通よりも少し可愛いくらい。
他人の歌で真ん中で活動する愛菜とリオはちょっと可愛い。
それを化粧で、ワンランク上にあげる。
彼はそう言っていた。
先輩グループのラブリッシュもその手法で人気が上昇しているのだから、今回もその方法を利用して行くと。
はっきりと、そう言われたので、ユメは自分の顔に自信があるわけでは無い。
実際に、家庭内でも、歌は良いと言われても外見が飛びぬけて可愛いとかほめられた事は無いから、自分が可愛いと思った事は無い。
幼い頃に可愛いと言われた覚えがあるが、それは幼かったから。
六歳の少女だったから。
誰でも可愛いと言える年頃だったからほめられただけだとユメは感じている。
現実をしっかり見ようと、芸能活動を休止した頃から心に決めていた事だ。
今回も、アイドルのオーディションなのだから、自分が合格するとは思っていなくて書類を出したのだ。
合格しただけでありがたいと思わねばならないという気持ちがある。
自分の歌声じゃなくなっても、歌は歌える。
歌うのが大好きなユメはそれで十分なのではないのかと思えるようになってきていた。
【何も持っていない】という言葉にはひっかかる気持ちがある。
何かがないと、アイドルには、芸能人にはなれない。
ユメは今もそう思っている。
六歳の時に参加できたドラマにいた人達は、すごい所がたくさんあった。
ほとんど顔も思い出せないけれども、その時に感じた感動ははっきりと今でも思い出せるのだ。
でも、そんな疑問について言及する暇などあるはずがなく。
本当に時間が無いのだ。
デビューまでに残された時間が少ない。
これからはただひたすらにレッスンに励むしかない。
弱音なんかはいている暇は無いのだ。
ユメ達は、これからたった一ヵ月でプロデューサー山野大志の脳内に描かれている4人組アイドルグループ・プチラブリーにならなければいけないのだ。
一ヵ月は、長いようで短い。
四週間しかないととるか、四週間もあるととるか。
ユメには、四週間しかないとしか思えなかった。
食堂で毎日ご飯を作ってくれるおばさんの名前は文乃さんで、今年で五十歳になる人。
とても親切な人で、ちょうど良い感じの分量でご飯を作ってくれる優しい人。
文乃さんも、昔少しだけ芸能活動をしていた時代があったらしいが、当時付き合っていた人の家庭の事情で結婚するには芸能活動を辞める事と言われ、すっぱりと辞めてしまったらしい。
現在は食堂でご飯を作る仕事についた理由は、自分の娘がこの事務所にスカウトされて芸能活動を開始した為なのだそうな。
今から十年くらい前に文乃さんの娘はデビューしたそうなのだが、寮生活になると聞き、心配になって寮の食堂で料理を作る人になったのだという。
娘さんは今も芸能界で女優の仕事を頑張っていて、主に映画や舞台などに出ているらしい。
もうこの寮には文乃さんの娘は住んではいないが、作ったご飯が寮生活をしている子達に好評だったので、そのまま仕事を辞めないですごし、現在に至るらしい。
だから、少し前に解散させられたグループの子達の事も少しは知っていると食事の時に文乃さんは教えてくれたのだ。
デビューしたての頃は山野プロデューサーも何度もその子達に声をかけたりなど色々していたが、解散が決定する三ヵ月前には声をほとんどかけなくなったという話。
自分達の人気がどうなったのかを図るには山野さんが声をかけてくれるかどうかかなと、文乃さんは分析していた。
「あの人は、お金をもたらしてくれる子が大好きだからねぇ…」
うちの子も仕事がなんとか続いてて良かったわとしみじみと言う文乃さんに、ご飯を食べながら聞いていたユメ達は嫌な汗が額から流れていた。
文乃さんは、そうやって芸能活動を辞めて行く子を何度も見ているから、単なる世間話の一つとして喋ったのだろうが、これからアイドルとしてデビューし、人気が出るかどうか分からない段階のユメ達四人にとってはとても心臓の悪い話だった。
プロデューサーの山野が声をかけてこなくなったら、終わり。
それだけが、ユメ、愛菜、奈子、リオの心に深く突き刺さった。
毎日のレッスンの日々は大変だった。
学校は、事務所が手配して芸能活動を禁止していない私学の学校へと編入する事になった。
そこは、ほとんど芸能人としてデビューしている子ばかりのクラスで、ユメと愛菜は同じクラスに編入する事になった。
リオは同じ学校の中学に編入。
奈子は高校へ編入と、それぞれ手続きを取られた。
ユメと愛菜は編入早々、クラスの子にどこの事務所かと聞かれ、名前を言うと、そのクラスの子達の態度は急変した。
少し冷たくなったのだ。
それほど大きくは無い事務所。
中堅くらいなのだが、まわりにいた子達はユメ達の事務所より大きなところばかりだった。
その中で、芸能活動を盛んにしている子がいった言葉が心にささった。
「あなた達さぁ、知らないと思うから教えてあげるけど、そこのプロデューサーさんけっこうシビアで、切る時すぱっと切られるから、覚悟していたほうが良いよ?私の親戚のお姉ちゃん、前にそこの事務所にいて、解散したグループの一人でさ、解散した後、二年くらい他の事務所に行かないって条件の契約書交わしてたから、まだ二年たってないから芸能活動復帰できないって言って悔しがってたもん」
この言葉は、ユメと愛菜の心にささった。
あまりにも顔が青ざめていたので、それを言った子が心配して保健室に連れて行くほどであった。
保健室について、水を飲んで落ち着いた二人に、その子は謝罪をした。
「ごめんね!まだデビュー前なのにショックな事言って…でもまだデビュー前に知っていた方が何かあった時に心の準備できるかと思って…、私の名前は田中秋乃っていうの!あなたたち何か光る物感じるし、事務所で何かあったら私の事務所紹介してあげるから!大事にこれ取ってて」
秋乃はそう言うと、鞄から名刺を取り出し、ユメと愛菜にそれぞれわたした。
事務所は結構大きな所で、学校で気になる子がいたら渡すように事務所から言われているらしい。
「…ありがとう」
愛菜とユメは素直に言う。
少しでも気にかけてもらえて、嬉しかったのだ。
その後、秋乃と少しずつだが仲良くなるユメと愛菜だった。
秋乃は、アイドルでは無く、最初から女優として演技の勉強を続けているのだという。
「方向性が違うから気軽に喋れるのかも」
秋乃は昼休みになって一緒にお弁当を食べながらしみじみと言った。
「そうなの?」
ユメの言葉に、秋乃はため息をつく。
「そうだよ…ここのクラス女優志望が多くてさ、私がこのクラスの中で一番仕事もらえてるから、居心地悪いの…みんなライバルだもん」
秋乃の言葉に、はっとした。
クラスの中で、秋乃が会話できてるのは、女優志望ではない子ばかりだった。
学校でも戦いはあるのだ。
「隣のクラスはさ、あなた達の先輩グループの最年少コンビがいるから、隣のクラスでなくて良かったね…体育も別だよ」
先輩グループラブリッシュは、メンバーのほとんどが高校生だが、途中で加入した子が三人いて、一人は中学生、その内の二人が、ユメと愛菜と同じ十二歳。
事務所の寮でラブリッシュの人達には会って挨拶をしたのだが、高校生と中学生のメンバーは優しく対応してくれたが、同じ年齢の二人には睨まれたのを思い出した。
「もしかして、同学年だからライバル視されてる?」
愛菜が言った事について、秋乃は多分そうだろうねって笑い声をあげた。
秋乃が楽しく笑っている。
それを見た、クラス内の秋乃と仲の良い子達が、ユメと愛菜に声をかけてくれるようになり、秋乃のおかげで、学校の教室内では、なんとか平和にすごせそうだなと思うユメと愛菜だった。
アイドルになる為のレッスンは、学校から帰ってからなので、四週間あるといっても時間は限られているのだ。
通っている学校は宿題が出ないのがありがたい所だった。
レッスン中、リオにも、奈子にも学校でどうだったかを聞いたら、リオのクラスに先輩グループの人がいたが、リオの活発な性格のせいか、意外となじめてしまったらしい。
理由は、先輩グループといっても、加入してからまだ半年しか経過してないので、まだ十分ラブリッシュに馴染めていなくて苦労しているという話だった。
奈子の方は、隣のクラスにラブリッシュのメンバーがいるらしく、奈子の場合は体育を一緒にする事になったが、会話する事は無かったらしい。
「あれはライバル視してるな」
奈子はふふんと分析した。
「デビューしても泣かず飛ばずかもしれないのにね?」
リオの言葉に、他の三人も笑い声をあげた。
本当は笑っている場合では無いのだが、休憩中のひと時、何か笑いたかったのだ。
先輩グループのラブリッシュのメンバーは全員自分の声で歌えている。
全部、自分の物で。
顔も可愛い子達をそろえてるのだ。
化粧で誤魔化さなくてもいける子達だと山野プロデューサーは言っていた。
もう人気が出ていて、プロデューサーに気に入られている。
自分達とはもう走っている場所が違うのにと、四人は思う。
笑っているけれども、本当は嬉しくとも楽しくもない。
それには理由があった。
ユメは学校から寮へ帰ってきた後、両親が事務所との契約書に判を押したのを知っている。
両親の承諾が無ければ、この寮へ入る事もできなかったのだからと、契約書の控えを引越しの時に持たされていたので、その箱を開いてちゃんと確認した。
プロデューサーから説明を受けた内容とほぼ一緒だったが、最後の行を見て、動きが止まる。
事務所を辞めた場合の事が書かれていたのだ。
【上野ユメは事務所を辞めた日から三年はその歌声を使ったCD、音楽配信などで商売しない事】
と、書かれていたのだ。
これはちゃんと読んでいなかったけれども、両親に電話して聞いたら、事務所を辞めなければ大丈夫でしょ?というさらっとした返事が返ってきた。
ユメは思うのだ。
デビューして上手い事いかなくて、解散になった後、事務所を解雇されたら。
歌しかないユメからしたら悲しい契約だった。
でも、今からはすぐ悲しい事が待っているのだが。
自分の歌声が他人の物として発表されるのはつらい。
歌しかないのに。
それは奈子も一緒なのだが。
愛菜とリオは、他人の歌声を自分の物として偽らないといけない。
いつまで?
デビューして人気がでなかったらすぐ終われる。
でも、すぐ終わったらその先はどうしたらいいのか分からない。
もし、人気が少しでも出て活動を続けられたら?
長く続けば続くほど、四人全員の苦悩は続くのだ。
他にチャンスが無くて、選んでしまった四人。
あのオーディションの日。
面接をして怒って出て行った二人は正しい判断だったのかもしれない。
けれど、もう走り出してしまったのだ。
告知も出されている。
面接の日、自分達で出してしまった決断。
もう、やり通すしか無いのだ。
色々考えている間に休憩の時間は終わった。
レッスンが始まってから一週間が経過していた。
歌の収録は、来週からだ。
歌の収録は日曜日だった。
一日じっくりと収録する為だと山野プロデューサーは言った。
ユメと奈子は、デビューライブで歌う曲を数曲収録した。
やはり、歌うのは楽しい。
子供の頃から、歌っている間だけは楽しくて嫌な気持ちも全て忘れてしまえた。
歌は、ユメにとって夢の世界で、現実から日々のつらい事をわすれさせてくれるもの。
収録された歌声を聴いて、ユメと愛菜はある事に気づいた。
歌っている時のユメの声の感じが、愛菜の普段の声色に少し似ている気がするのだ。
愛菜もそう感じていたらしい。
それは、奈子の歌声を聴いてもそうだった。
奈子の歌声が、リオの普段の声に少し似ていたのだ。
歌の収録が無事終了した時に、奈子は山野プロデューサーに思っていた事を聞いてみる事にした。
「山野さん、もしかして、歌声と普通の時の声が似ている子を選んだのですか?」
これは、他の三人も知りたかった事だった。
山野プロデューサーはずっとサングラスをかけているので彼の目がどんな色をしているのかは分からない。
しばらく黙った後、彼は口を開いた。
「…そうだよ、書類選考の時に過去のデータを調べて君達を選んだんだ。だから、過去に芸能活動してても構わないと告知したのさ」
山野プロデューサーはそう言うと、他に用意しないといけない仕事があるといって、サポート係の江田を連れて収録室から退室した。
四人からは言葉が出なかった。
そこまで、最初から全て計算されていたのだ。
きっと、四人がデビュー拒否したら拒否したで、残った書類からまだ選ばれてない子から選んでいたに違いない。
そう感じ取れた。
別に自分達でなくても良かったのだ。
それがとても四人を寂しい気持ちにさせた。
その日の夕食は、誰も会話せず、静かな時間がすぎていく。
「どうしたの?今日は元気無いねぇ?」
文乃さんは心配して声をかける。
それに返事したのは四人の中で一番の年長者の奈子。
「歌の収録で神経使いました…アイドルになるって大変ですよね」
「そうねぇ…デビュー前はどんな結果になるか分からないから緊張するわよねぇ」
奈子の返事に気を良くした文乃さんは、その後は自分の世間話をひたすら話していた。
四人は、それに相槌をてきとうにうって進まない食事をなんとか終わらせようと箸を動かしていた。
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