第2話 新たな試練
それから普通の小学生の時間を平和にすごしたユメ。
友達も数人できて、のんびりと学園生活をすごしていたが、約束の日が来てしまったのだ。
十二歳の春、親が薦めてきたアイドルのオーディションを数件受ける事になった。
現在通っている私学の学校は芸能活動の禁止はしていない。
両親は将来を考えてこの学校に転校させていたのである。
はたしてオーディションに合格できるのかどうか。
応募したオーディションは五件ほどだったが、そのうちの四件は書類審査で落ちてしまい、あと一件残っているが、はたして書類審査が通るのかどうか。
歌のレッスンは毎週かかさず受けて歌声に磨きをかけていたユメは六歳の頃の自分を少しだけ思い出す。
あの頃は、運が良かっただけ。
ユメと同じく歌の上手い子はたくさんいたのは確かだ。
そこで選ばれたのはその時、その場にいた審査員の評価が一番高かったのがユメだっただけで、他の審査員ならば勝ち残れたかどうか分からない。
この世界は運がものをいう。
タイミングがものをいう。
それは六歳の時に十分思い知り、怖さも理解している。
今回はどうなのだろうか。
あの頃とは全く違う世界なので、どうなるか分からない。
四件ほど書類審査で落ちたが、あと一件は残っている。
返事はまだなくて、書類審査が通ったのかどうか毎日ドキドキしていた。
眠れない日々も続く。
返事がまだ来ていない芸能事務所の規模は中くらいで、昨年そこの事務所所属のアイドルグループの人気が少し出て、ファンも増えた。
少しだけそこの事務所の知名度も上がってきている。
春になって、そのグループより少し年下の子達を集め、妹ポジションという設定のアイドルを結成すべく募集が開始されたのだ。
応募期間は告知されてからとても短い期間で締め切られていた。
条件は特になく、過去に芸能界での活動経験有りでも応募できると募集要項には書かれていた。
理由は、即戦力がほしい為で、合格後すぐ活動を開始するグループなので、過去に芸能活動があっても気にしないという事だった。
こういう時はコネでもう合格する子が決まってるのではないかと、芸能活動を別の事務所で少しだけしているクラスメイトの女子が噂していた。
だからユメに、期待はそんなにしないほうがいいのではと、アドバイスしてくれていたのだ。
だが、両親が言うには、過去に芸能活動経験があっても申し込めるオーディションは少ないから、申し込んでみるしかないという話なので、ユメは駄目もとで出してみたのである。
駄目だったら書類選考で落ちるだろうと思って申し込んだオーディション。
申し込んでから二ヶ月後、書類選考は合格したという通知を事務所から郵送してもらった時は、本当に書類審査が合格したのだろうかと、何度も通知書を確認した。
驚きを隠せなかったのだ。
事務所に出す応募書類には、芸能活動を過去にしていた場合はその詳細を書く項目があり、ユメは正直に過去にあった事を、六歳の時に少しだけした芸能活動の事を包み隠さず書いて送ったのだ。
経歴を偽っても仕方が無いから。
いつかバレる事なのだから。
駄目なら駄目でいいだろう。
両親は諦めないでまた別のオーディションに挑戦しろと言うだけなのだ。
ユメは、ただ歌を歌うのが好きだから、歌える場所があればそれでいいと思っていた。
書類選考の合格通知には、面接会場の案内が地図も同封されて詳細が書かれていた。
面接会場で何を聞かれるのか気になったが、日曜日の午前と指定されている。
当日はちゃんとした格好で行くようにと両親に言われ、可愛らしい服を選び行く事にする。
書類審査が通る子はたくさんいたのだろう。
書類審査は通っても、面接で多分落選するだろうなとユメは思っていた。
人生はそんなに甘くないのだから。
書類審査が通ったのは、書類に六歳の時の芸能活動について書いて、きっと興味を持たれただけなのだ。
当時の当事者の一人なのだから、興味本位で書類審査が通り、来るように言われただけだと。
審査員が知りたい事を言えば、終わりなのかもしれない。
ユメの気持ちは六歳の時に挫折を味わったまま、落ち込んだ状態なのだ。
どうせ無理だと決め込んでいたのだ。
予定されていたオーディションの面接の日が、日曜日がやってきた。
ユメの髪の毛は黒いまま。
長さは胸のあたりまでで切りそろえ、昔と違うのは、前髪を少し長くしているところだ。
どうしても髪の毛は別の色に染める気にはなれなかった。
少し長めのスカートをはいて、薄い赤色のスパッツをはいて、歩きやすいシューズをはく。
少しだけ可愛らしいと思われる格好にしている。
かわいらしい格好をと親に言われたが、気張って特別可愛い姿になるのは、今のユメには無理だった。
自分の魅力が分からないのだ。
服装だけ可愛くなってもと思うのだ。
六歳の時に言われた事は、歌が上手いと褒められただけだった。
ユメの外見について言及する人はいなかったので、ユメ自身、自分はそんなに外見は良いほうではないと思っている。
だから、書類は合格しても、面接になると実際に近くで会うのだから、写真とイメージが違うと思われて、落とされる可能性が高い。
不安になりながも、電車に乗り、面接会場へと向かうユメ。
こういう時、思うのだ。
絵美里は元気にしているだろうかと。
テレビやファッション雑誌など色々チェックはしているが、絵美里を見かける事は無いので、まだ彼女は芸能活動を再開してないらしい事はわかる。
あの頃、ユメが六歳で、絵美里が七歳だった頃、悩んでいたことも、絵美里と話せば悩みも消えるような安心感があった。
今はどこにいるか分からない絵美里。
会いたいなあと思っても、会えない。
どこに住んでいるか場所を聞いていなかったので、今彼女がどこに住んでいるかはユメは知らない。
通っている私立の学校には友人はいることはいるのだが、どれも軽い友人ですごく仲が良いわけではない。
ユメの方から一線引いてるのだ。
全ては六歳のあの時から、時間は停止している。
色々思考がめぐるうちに、目的の停車駅に電車は到着していた。
ユメは面接会場について、不思議な事に気がついた。
書類選考に受かった子がたくさんいると思った現場なのに、人をほとんど見かけない。
ユメに書類審査に合格したと通知が出たのはもしかして騙されたのではと思うほど人がいなかったのだ。
それとも、早く来すぎたのだろうかと思ったのだが、予定の時間の約三十分前に到着したのだからそれほど早くはないはずなのだ。
面接会場の前で不安になって立ち尽くしていると、背後から見知らぬ少女の声が聞こえてきた。
「面接なの?私も」
振り向いた先には薄い茶色の髪の毛を後ろで軽くまとめた少女が立っていた。
優しそうな面立ちで、とても可愛らしい少女だった。
「うん、私も面接で…あなたも?」
ユメより少しだけ背の低い少女は、同じ面接を受けると知った途端、喜んで握手を求めてきた。
その手を恐る恐る取るユメに、少女はまた笑顔になった。
オーディションに合格するかどうかわからないのに、この子の余裕な表情は一体なんなのだろうかという気持ちがユメの中にわきおこる。
やはり、学校でクラスメイトが噂していたように、コネのある子しか合格しないのではという話は本当だったのではないかなど、悪い感情が浮かんでしまう。
そんな不安な気持ちを気づいたのかどうかは知らないが、目の前に立つ少女は笑顔のままで言い放ったのだ。
「私聞いてるの。今日面接に来た子は全員合格なんだよ?だから緊張しなくていいんだよ」
「…え?合格?」
今、この子は何と言ったのだろうか。
今日この場に来た子は全員合格。
本当に?
ユメの頭の中は混乱でいっぱいだった。
それに気づいているのか、目の前の少女は言葉を続ける。
「そう!過去に芸能活動してても構わないって告知に書いたら〆切が早すぎて応募者少なくて、応募してきた子が全員芸能活動経験者だったから、その中から選んだ子達で集めて、面接審査はしないでもう合格させようって話になったんだって」
告知してから〆切までの期間が一週間しかなかったせいで、応募者も少なかったらしい。
それを聞いたユメは、本当にそうなのかどうかが気になって仕方が無かった。
「なんであなたが知ってるの?」
ユメの言葉に、少女は笑顔になった。
「私、田舎から出てきてて、今から二時間も前にここに到着して、面接会場の入り口でしばらく待ってたら、面接官の人に今日面接に来る六人の子は全員合格だって言われて、私も合格だよって教えてもらったの!だから…」
少女に手をひかれるまま、ユメは面接会場の中へと入った。
会場内のロビーにはユメと少女以外のオーディションの面接を受ける予定で来ていたらしき少女達が涙を浮かべて立っていた。
壁の張り紙には、オーディション合格者の名前が記載されている。
その中に、あったのだ。
ユメの、上野ユメの名前が記載されていた。
オーディションに無事、合格する事ができたのだ。
「合格…?私が…?」
本当に合格できたのかと、壁に張り出された紙をまじまじと見る。
何度見ても、自分の名前がある。
これは嘘では無い。
ぼんやりと張り紙を見ていると、廊下の端から男性の靴の音が聞こえた。
全員、その方向へ振り向くと、丸いサングラスをかけた四十代くらいの背の高い男性が立っていた。
ユメは、この人をテレビで何度か見た事があると思った。
目の前に立つ男はこのオーディションを開催すると宣言したプロデューサーの山野大志。
「…おめでとう!君達は今日からうちの事務所の先輩アイドルラブリッシュの妹グループの、プチラブリーになったよ!」
その場にいた六人が歓喜の声をあげた。
無事合格したのだ。
自分も合格できたと、ユメは信じられない想いでいっぱいだった。
「今日ここに呼んだのは、デビューに当たっての面談なんだよ」
一人ずつ呼んで面談するという話だったので、順番に面談は開始された。
ユメは最後の六番目だった。
まずは、一人目の子が面談室へと入っていった。
「どんな面談なんだろうね…あ、私の名前は太野愛菜っていうの」
ユメが面接会場に来た時に声をかけてきた少女の名は太野愛菜。
年齢はユメと同じ十二歳。
過去に一度だけ子供向けアニメのおもちゃの宣伝のCMに出た事があるという。
出れたのはその時だけで、その後はどのオーディションに出ても不合格続きだったという話をユメは聞いた。
だから、このオーディションに合格できてとても嬉しいと愛菜の顔はほころんでいた。
「私は…上野」
「知ってるよ、上野ユメでしょ?同じ年齢で歌がすごい上手いって有名だったから覚えてるもん」
自分から自己紹介をしようとしたら、愛菜はユメの事を知っていたらしい。
愛菜に覚えられていた事をユメは恥かしいと感じていた。
「覚えてるの?」
「覚えてるよ、あの頃すごいたくさん出てたじゃん!それに、私一回会った事あるんだよ」
一度会った事があるといわれ、ユメは当時を思い出そうとしたが、中々思い出せない。
「やっぱ覚えてないかぁ、私ね、あなたと同じ地方の歌の大会に出てたんだけど落選しちゃって、親に怒られて泣いてたらあなたが来て、お腹空いてるのって言われて、お菓子を一緒に食べたんだよ」
愛菜に言われて、ユメは思い出した。
少しだけだが思い出せたのだ。
地方の大会に出て、ユメは優勝し、表彰される前に少し時間があり、舞台の裏の控え室で待っていた時の事。
大泣きしている子を見つけたのだ。
その時に、なんとなくだが、両親に渡されたお菓子をその子にあげてしまったのである。
「私ね、もらったお菓子がとても美味しくて嬉しくて食べてたら、あなたはお菓子を自分で食べなかったって怒られてたからそれで忘れられなくて…あの時はありがとう」
そうなのだ。
大泣きしている愛菜にお菓子をあげたら、せっかく高いお菓子だったのに他人にあげるだなんてと両親に怒られたのだ。
あの時は、両親がお金に厳しい人だとは知らなかったので、自分が悪いと完全にユメは思っていた。
今考えたらおかしな事なのだが。
「どうも…」
ありがとうという言葉はここ数年あまり聞いた事が無かったユメは少し照れてしまった。
このオーディションを受けて本当に良かったと思えるほどだった。
これから、愛菜と同じグループになれるのだ。
全く知らない人ばかりではない。
それがどんなに心強いか。
どうにか上手くやっていけそうだと思った。
ユメの心の中は温かくなっていた。
それから十五分の時間が経過した後、面接室の扉が勢いよく開いた。
一人目の面談が終わったらしい。
ユメを含めて待っている子が出てきた子をいっせいに見た。
出てきた子は、怒りの表情をあらわにしていた。
「どうしたの?」
ユメが声をかけると、面談室から出てきた子は怒りの表情のまま、ユメを睨み付けた。
なぜ睨まれたのか分からないユメは次の言葉をかける事ができなかった。
「睨まなくてもいいじゃない?」
愛菜が声をかけると、その子は愛菜の方も睨みつけ、他の子達も一人ずつ睨みつけた。
「やってられないわ!」
その子は肩にたらされた三つ編みを片手でさわりながら、このグループで私はデビューするのはやめるとその場で宣言したのだ。
まだ面談をすませていない少女達は驚きを隠せないでいた。
「なんで?せっかく合格したんだよ?」
二番目に面談をする予定の子が、声をかけた。
そうなのだ。
アイドルのオーディションは何回も面談する事が多いのだ。
それが、今回書類審査だけで合格となったのだから、こんな楽な条件のオーディションはそうそうない。
それなのに、合格したのに、即デビューなのに。
それを自ら破棄するなど、なぜなのかと、他の人達や、そして、ユメも愛菜も信じられないという表情になっていた。
混乱する最中、二番目に面談する子の名前が呼ばれた。
「呼ばれたから行くけど…考え直した方がいいんじゃないの?」
二番目に名前を呼ばれた子は、デビューするのを辞めると言った子をなだめるような声かけをしながら、面談室へと入って行った。
「とにかく私は、ここからデビューなんてしないわ…他を探すから」
最初に面談した子はそう言うと、荷物を全て持って、面接会場から出て行ってしまった。
「どうしたんだろうね?」
ユメの言葉に、別の子が声をあげた。
「多分、用意されたキャラが気に食わなかったんだよ…わたしは雪野奈子、十五歳」
赤っぽい髪の色を持ち、ショートヘアの子がスマホをいじりながら出て行った子の怒った理由を予測した。
「キャラ?」
愛菜が良く分からないという表情を見せた。
「わたしね、別の地元アイドル少ししててさぁ、人気無くて、二年で解散したけどね。その時もキャラ設定ガチガチに決められてたし?わたしは何があってもすぐキレるキャラ設定だったかなぁ…ここの事務所もさ、先輩グループのラブリッシュの人達だってキャラ設定ガッチリ決めてるじゃない?」
確かにとユメも思う。
テレビで見たラブリッシュの人達は、キャラ設定もそれぞれ全く違う三人で、髪形も、がっちりと決められていた。
事務所の方針なのだろう。
すると、もう一人が喋りだした。
「最初の子って、それが嫌だったのかな?でもぉ…あ、ワタシはぁ…中野リオ!十四歳」
少し個性的な喋り方のリオは、横にたらした髪の毛をいじりながらさらに続けた。
「でもぉ…アイドルってぇ、そういうものじゃないの?」
「確かにそうだよな」
リオと奈子は、納得したように頷いた。
「ワタシは無茶なキャラ設定言われても、せっかく合格したんだから、やりきるけどねぇ」
リオはそう言うと、面談室の扉の方を見た。
あれからもうそろそろ十五分経過しそうで、もうじき二番目に面談した子が出てきそうだなとリオは思ったのだ。
リオが扉の方を見て、奈子も愛菜もユメも扉の方を見た。
四人が完全に扉の方を見た途端、扉はゆっくりと開いた。
中から出てきた子は、泣きはらしていた。
「ごめん、私には無理だ」
そう言うと、その子は荷物を持って走ってその場からいなくなった。
四人の内の誰も、声をかける暇など無かった。
次は、誰が呼ばれるのかと思った時、面談室から女性が一人出てきた。
先ほど、プロデューサーの背後に何も言わず立っていた女性だった。
髪の毛はきれいに後頭部にまとめあげられ、黄色のスーツを着ていた。
「私はプロデューサーのサポート係の江田と申します…もうあなた達全員面談室へいらっしゃいな」
「えええ?」
プロデューサーのサポート係だと名乗った江田という女性の言葉に驚きの言葉をあげたのはショートヘアの奈子だった。
「一人ずつじゃなかったんですか?」
ユメも声をあげた。
すると江田は、細長いメガネに指をあてた。
「山野さんのご意向ですから…一人ずつだと去ってしまわれたのでね」
江田のメガネが少しだけ光った。
確かに二番目に面談をした子も、一番目に面談をした子も、デビューしたくないと出て行ってしまったのだ。
残った四人はどうしても必要なのだろうか。
四人は顔を見合わせ、面談室の中へと入った。
面談室の中は特に広くも無く、狭くも無い場所だった。
奥に、机が一つ。
そこに、椅子に座って待つプロデューサーの山野大志が待っていた。
「やあ、いらっしゃい…」
静かに語る男に、ユメ達四人はこれから言われる事が何なのかと、緊張した気持ちで面談室の中に置かれた椅子の前に立った。
「自由にかけてくれ…説明に入るから」
山野に言われ、四人は椅子に座った。
サポート係だと言った江田が扉を閉めた。
「最近の若い子は、最後まで説明を聞かないんだから」
江田のぼやきが聞こえるがユメは聞いてない事にして、目の前の山野に集中した。
山野は、ペットボトルに残っている緑茶を一口飲むと、面談を開始した。
「さて、君達が芸能界経験者だというのは書類でもう知っている…太野愛菜くん、現在十二歳だね…君は子供向けアニメのおもちゃCMに一度だけ出演した事があるね?」
応募してきた時の書類を見ながら、山野は愛菜の芸能界の活動経歴について言及した。
愛菜は、それについて静かに頷いた。
そして、次は奈子について。
「雪野奈子くん、現在十五歳…君は二年ほど地方アイドルをしていたが解散したから応募した…」
「はい」
奈子は元気良く返事をした。
「中野リオくん、現在十四歳…君は地元のテレビ局の子供向け番組に三年程出ていたけれども番組が打ち切りに終わり応募してきたと…」
「そうですねぇ」
リオはそう言うと笑顔になっていた。
すごく前向きでユメは少し羨ましいと思うくらいの笑顔だった。
「そして最後に上野ユメくん、現在十二歳…君は歌が年齢のわりに上手いという評判で芸能界入りして、舞台でロングラン上演されていた作品の連続テレビドラマに出演し、その後の活躍を期待されるも、同じ子役の家族の不祥事でまきぞえで芸能界を休止したと…」
「…はい」
思い出すのがつらい出来事だが、それは仕方の無い事なのだ。
ひととおりユメと愛菜とリオと奈子の芸能界の活動内容について確認した山野は、サングラスをかけたまま口の端を上げた。
「君達は、芸能界に入るも、今までぱっとしなかった子達だ…そうだね?」
山野のはっきりと言いわたされた言葉に、四人は何も言葉が出なかった。
実際そうなのだ。
チャンスはもらったけれども、それを生かす事ができずにきてしまった四人なのだ。
「怒って帰った二人も似たような経歴だったんだけどね、活動内容を説明したら怒って帰っちゃったね…短気は損をするのにね」
山野の言葉に、四人は返す言葉も無かった。
「で、君達が今回デビューしたらしてもらうこと…プチラブリーはね、先輩グループのラブリッシュとは違う方向で行きたいんだ…」
山野はそう言うと、再びペットボトルの緑茶を一口飲み干した。
サポート係の江田が、山野の後ろに設置されたホワイトボードに大きな紙をはりつけた。
そこには、こう記されていた。
プリラブリーのコンセプトについて。
グループの歌唱担当と、全く歌わないでダンスだけする担当に分ける。
歌唱担当の歌声は、歌わない設定の二人の歌声を割り当てる。
トークの時も、ダンス担当は一切会話しない。
そう書かれていたのだ。
それを見て、一番活発な奈子が立ち上がり驚きの声をあげた。
「ちょっと待ってください!」
「何だね奈子くん」
「誰が歌わないのですか?歌うのは?」
「良い質問だ…ダンスをする担当は奈子くんとユメくん、歌唱といっても自分の歌声じゃないんだけど歌唱担当は愛菜くんとリオくんになるね」
山野のさらっと言い放った言葉に、奈子は座り込んだ。
愛菜も、リオも意味が分からず黙り込んでいた。
面談室内に沈黙が走る。
あまりにも静かすぎて、生きた心地がしない。
山野は何を言ったのか。
他人の歌声を、自分の声としてアイドル活動をする。
ダンスをしてる者は一切喋ってはいけない。
奈子も、次の言葉が出てこない。
どうしたらいいのか分からないくらいの、長く感じるが、実際はほんの数分の沈黙を破ったのは、ユメだった。
「私の歌声が、他人の歌声として、世に出るのですか?」
ユメは、心臓が激しく鳴り響くのをどうにかしたかった。
だから、声を出した。
この条件を受け入れたら、もう芸能活動をしている間は言葉を話せないのだ。
今の間に、喋っておきたい。
そんな気持ちが、ユメにこの重苦しい沈黙の世界を破らせたのだ。
「そうだよ、君は六歳の頃に歌が上手いと言われていたが、年齢と共に声も変化しているから、他人の歌声として紹介しても誰も気づかないだろう?」
山野の言葉に、ユメは確かにと思った。
両親はいつかまた歌手にしたいと思っていたから、学校にそれを説明して、音楽の時間に歌わないようにしていたので、ユメの現在の歌声を知る者は学校にいない。
だから、他人の歌声として世に出しても、誰もユメの歌声だと気づかないのだ。
ユメの気持ちはぐらついた。
ここで、この条件を飲んだら、ユメの歌声は他人の、愛菜のモノとして世に出るのだ。
先ほど怒って出て行った子達はこの条件が嫌で出て行ったのだろう。
ユメは、どうするのか。
頭の中が混乱していた。
ここに応募する前に何件か別のオーディションに書類を送った事は実はあった。
けれど、書類選考すら通らなかった。
ここの条件が嫌で出て行って、別のオーディションへ申し込み、はたして自分が合格するのか?
ユメはそこまで考えて、涙が出そうになった。
この目の前にいるプロデューサーの山野は、そこまで計算していたのだ。
今、ここにいる四人は、他のオーディションに合格しそうに無い者たち。
ユメはやっと理解した。
わざと書類の内容を見て選んだのだ。
他の方法でデビューの可能性が無い子達を選んだのだ。
「名前は…どうするんですかぁ?」
やっと、状況を把握したリオが冷静なフリをしながら声を出す。
しかし、彼女の膝の上に置かれた手は、硬く握り締められていた。
「下の名前をそのまま使用するよ?幸い君達は過去にした芸能活動では芸名を使用していたからね、本名を使用した方が気づかれないから」
ユメの隣に座った愛菜は、うつむいて肩をふるわせていた。
奈子は、もう何も言えなくなっていた。
ユメは目をつぶる。
これから先どうするのか。
考えても考えても、答えは一つだった。
「私は、プチラブリーでデビュー…したい、です」
奥からひり出すような声でやっと出た言葉は、デビューしたいという言葉だった。
「ユメちゃん?いいの?」
愛菜は顔をあげた。
リオも震えていた。
「うん…せっかくのチャンスなんだし、デビューできるなら、したいかな」
精一杯の笑顔を見せた。
そんなユメを見て、奈子は泣きそうな表情で言った。
「わたしも、デビューしたいです…」
愛菜とリオは言葉を失くしていた。
恐ろしい決断をしたと思ったのだ。
何年続くか分からないアイドルグループ。
人気が出なかったらすぐ解散になるかもしれない。
実際に、この事務所で人気が少し出た先輩のアイドルグループのラブリッシュは五年続いてはいるが、同じ時期にデビューさせたグループは人気が全く出なかったので、二年で解散させている。
これは一つの賭けなのだ。
人気が出なければ、すぐ終わる。
芸能界という世界は厳しい世界なのだ。
人気が出れば、続けられる。
顔は売れるが、声は別の人のものになる。
それで良いのかとユメの頭の中に疑問符がたくさん飛び交ったが、ここ以外にデビューできる道が見つからないのだ。
両親は書類選考に受かったらもう合格だと家で喜んでいた。
この条件を受け入れないで帰宅したら、せっかく合格確定だったのにと、両親になじられるのは必至だった。
何か、結果を残したい。
ユメの頭にはそれだけだった。
奈子もユメと同じ気持ちだったらしい。
地元のアイドルが解散して仕事が無い。
後が無いのだ。
ユメと奈子がデビューすると言った事により、愛菜とリオもプチラブリーでのデビューを承諾したのはこれから六分後の話だった。
「快諾してくれて良かったよ…これで君達はプチラブリーとしてデビューが決まったね」
山野はサングラスを外すことなく口だけで笑っていた。
「デビュー曲は作ってあるし、デビューの日も決まっているから、それに向けてのレッスンをこれからしないといけない。明後日からレッスンは開始するから、必要な荷物を自宅からうちの事務所が用意した寮に送るように」
そう言うと、山野は椅子から立ち上がり、面談室から出て行った。
「山野さんはあなた達の先輩グループラブリッシュのメンバーとのお仕事がありますから、多忙なのです」
メガネの端を指でくいっと押し上げながら、江田は言う。
だから、サポート係としての自分がいるのだと。
江田はファイルを開き、その中にあった書類を四枚抜き出し、ユメ、愛菜、奈子、リオにそれぞれ手渡しした。
「あの、これは…?」
リオの言葉に、江田は簡単に説明した。
「レッスン開始してから必要になる物と、事務所が用意する寮の住所などが記載されてます。アイドルグループのプチラブリーは少し謎があるというコンセプトで売り出しますから、事務所の目の届く場所で生活してもらいます」
親元から離れての初めての生活だとユメは気づいた。
両親にどう伝えれば良いのか分からない。
そんな悩んでいるユメを気にしないように、江田は話を続ける。
「先輩グループのラブリッシュのメンバーにもしている事ですが、これから先、あなた達が持つ連絡の道具として使うスマートフォンは事務所が用意した物を使用してもらいます」
「え、そこまでですか?」
リオは驚きの声をあげた。
奈子も驚いていた。
「ええ、アイドルとして頑張ってもらう間は恋愛禁止ですから、徹底しますよそこはね」
江田は感情の無い表情でスラスラと必要な事を話していく。
ユメは、目の前で言われている事が現実なのかどうか分からないくらいになっていた。
それほど混乱しているのだ。
六歳の時も、何かが決まった時、駄目になった時は一瞬だった。
心が落ち着かないまま物事はいつも進む。
今回もだ。
目の前で江田は淡々と話を続けていく。
地に足がついていない感覚で、最後まで黙って聞き続けていた。
「ユメちゃん、本当に良いの?」
面談が終了し、ロビーに戻ったユメに一番に声をかけたのは愛菜だった。
目には涙が浮かんでいた。
「私、小さい頃に一回だけしかお仕事もらえなくて、今回デビュー決まって最初は嬉しかったけど、条件が…ユメちゃんの声でデビューなんだよ?」
「うん…」
「奈子ちゃんもいいの?」
「わたしは良いよ…このグループが解散した後に笑い話にするから」
奈子はふっきれたのか、もう前を向いていた。
目は少しだけ赤い。
ユメの知らない所で涙を浮かべていたのかもしれない。
リオは、うつむいたままだった。
「ワタシ、このオーディション受からなかったら、完全に辞めろって親に言われてて…」
これを拒否して帰宅すれば、リオの芸能界への道は完全に閉ざされる。
「良いじゃん!みんなデビューしたい理由があるんだからさ!頑張ろうよ」
それを知った奈子は、泣きそうな表情になったリオの頭を優しくなでながら声をはりあげた。
そして、四人で頑張ろうと、この中で一番の年長者の奈子は皆を励ます。
人気が出なかったら諦める覚悟で頑張ると奈子は言った。
ユメは、そんな三人の言葉をぼんやりと聞いていた。
家に帰って、どう説明しようかと思ったのだ。
デビューはできるが、歌声は別の人のモノとして紹介される。
両親はどう思うのだろうかと。
ユメにはそれが怖かったのだが、心配する必要などなかった。
デビューに必要なレッスンは明後日から。
必要な荷物を自宅から事務所が用意した部屋に送らないといけないので、四人は一旦帰宅を許された。
ユメは両親にどう言われるのかどうか心配で仕方が無い状態での帰宅。
心臓がまだ早鐘のように激しく鳴り響いている感触がある。
電車を乗り継いで帰宅すると、笑顔の両親がユメを迎えた。
「プロデューサーの山野さんから電話があったの!デビューできて良かったわ!」
母親はそう言うと、ユメを抱きしめた。
「ママ、条件は聞いてるの?」
「ええ、聞いてるわよ?デビューできたらそれでいいじゃない?」
母親の言葉に、己の瞳がだんだんと黒ずんでいく気配をユメ自身感じていた。
芸能界に入って、お金が手に入れば良かったんだやっぱりと、気持ちが暗くなっていく。
娘の歌声が他人のモノとして発表されるのを気にしていない。
デビューさえできれば、気にならないと言い放ったのだ。
「ママ、私の声が他の子の声として紹介されるんだけど、気にならないの?」
ユメが恐る恐る聞いてみると、ユメを抱きしめていた母親はキョトンとした表情になった。
「今さら何言ってるのユメ?」
母親の瞳の奥が何も見えない。
間近で見ているのに瞳に光が見えない。
どす黒く濁っている。
今まで、母親をこんなに近くでユメは見たことがあっただろうかと思い出す。
幼い頃から、両親は、母親はどんな表情だったのか。
ユメが歌で良い成績をとると、笑っていた。
確かに笑顔だったのだ。
思い出すと、必ずといっていいほど目は細められていた。
褒められた事が嬉しくて、両親の笑顔に喜んでいたのをたくさん見た幼い頃。
もしかして、もしかしてだが、母親の目はいつもこんな感じだったのだろうか。
自分の子供をお金儲けの対象としか見ていなかったのだろうか。
お金さえもうかれば良いのだから、ユメの歌声が他人の物として発表されても問題無いのだろうか…
そう思わせる物が今の母親の目にはあった。
「あなたの歌だけじゃあ、デビューが難しいのなら、なんでも利用できるものは利用しなくちゃいけないじゃない?」
それとも、せっかくのデビューをふいにするのと言った瞬間、母親から笑顔が消え、すごく冷たい目つきになったのを、ユメは見逃さなかった。
「うん、今さら…だよね」
「そうでしょう?ユメは良い子ね」
そう言うと、母親はまた笑顔になり、ユメを優しく抱きしめた。
【良い子】
それは、母親にとっての都合の良い子で、ユメの都合は考えてはいない。
ユメの気持ちも関係無い。
それが、ユメにとっては悲しい、知りたくない真実だった。
アイドル活動をするにあたって、自宅から離れるけれども、かえってすっきりできたのかもしれない。
悔いはないといったら嘘になるだろうけど、ここにはもういたくない。
ユメはそう思いながら必要な荷物を鞄につめていた。
連絡に必要で母親から持たされていたスマホもこの家に置いて行こうとユメは思う。
事務所が新しく用意してくれるのだから、もうこれはいらないのだ。
何もかも新しく。
明後日から新しい生活が始まる。
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