夢の扉~天使の歌声~

M.Maria

第1話 楽しかったあの頃。


 夕暮れの日差しが差し込む窓辺に一人立つ少女がいた。

 少しだけ風が部屋へと流れ込む。

 もう夏の厳しい日差しも無くなり、涼しい風が部屋の中を満たす。

 肩にかかる程度の綺麗に整えられた黒い髪が涼しく、優しく流れる風によって少しだけ揺れる。

 ただ無言で外を眺める。

 窓にかけた指は静かにリズムを刻むかのようにトントンと軽く鳴らしている。

 表情は少し悲しげだった。


 少女の悲しい気持ちには理由があった。

 目標が無いのだ。

 これからどうすればいいのか、分からないのだ。

 今までがむしゃらに生きてきた。

 精一杯頑張った。

 努力した。

 努力したつもりだった。

 でも、少女の周囲はそれを努力とは認めていなかったのだ。

 ならば頑張っていたつもりの少女の気持ちは。

 その努力は一体なんだったのだろうか。

 名前を知りたくても、教えてくれる人は今はいない。

 今はこの部屋に少女は一人なのだ。

 涙が一粒、頬を流れた。

 報われる努力をしたかった。

 皆に認められたかった。

 ただ、それだけだったのに。


 自分の進む道が、定まっていないまま、時間はすぎ、もう夕暮れの時間。

 これから先どうしたら良いのだろうかと少女は悩む。

 悩む時間くらいあっていいだろう。

 しばらくまた、暇になるのだから。

 こうして沈みゆく夕日を眺めていたら、幼かったあの頃、すごく楽しかった頃を思い出す。



 少女は今よりずっとまだ幼い頃、天才だと言われていた。






 物心ついた頃にはすでにまわりに大人しかいなかった。

 日本人形のような漆黒の黒い髪に、前髪を眉毛のあたりで切りそろえ、髪の長さは胸のあたりまで伸ばしていて、まわりの大人に可愛い、可愛いともてはやされる中。

 常に疑問が頭の中に回る。


 なぜ、まわりに大人しかいないのか、当時の少女は理解できていなかった。

 なぜ、同じ年齢の子がいないのか。

 なぜ、常に自分にまぶしい光が当てられているのか。

 なぜ、自分は歌っているのか。


 最後の疑問は、多分当時から歌を歌うのが好きだったのだろうと少女は思う。

 当時は六歳にしてはとても上手な歌声だとはやしたてられ、少女も親が、親戚が手放しで褒めてくれるから有頂天になっていたのだ。

 皆が喜ぶ顔が見たいと思ったのは、この時だった。

 この瞬間にはじまったのだ。


 最初は、親戚達が集まる宴会の場で歌っているだけだったのに。

それから舞台が変わり、次は幼稚園のお遊戯会ので。

そして、子供だけが集まる歌を歌う地元の大会の会場と、舞台がどんどん大きくなっていく。

気がつけば都会のど真ん中の大きな会場にいた。

 たった一人。

 背後には少女が歌を歌う為に必要な音楽を奏でるピアノ伴奏者が一人。

 知り合いでは無いピアノ伴奏者。

 初めて出会った人で、こういう大会で色々な音楽を奏でているのだと言っていた記憶がある。

 その人は、伴奏が終わった後、少女に笑顔で言った。

「テレビに出たいと思わない?」

 この言葉は、少女の親を喜ばせた。

 いわゆるスカウトなのだ。

 少女の両親は、この為に、芸能界から声をかけられる事を期待して、歌を歌う大会に少女を出させていたのだ。

 誰かの目に止まらないか。

 そして、芸能界に入れないか。

 少女の歌を歌いたいという純粋な気持ちを両親は利用していたのである。


 気がつけば、まわりにたくさんの大人がいる場所に少女は投げ出されていたのだ。

 親は、たくさんお金が欲しいと毎日言っていた。

 そのために少女が大切で、大事で、とても必要なのだとも言っていた。

 歌が上手いという特技を生かして、何かできないか。

 夜になると両親は相談していた。

 地方の大会を勝ちあがり、そしてとうとう、チャンスを手にする。

 芸能界への入り口に、少女は入ったのだ。

 厳しい芸能の世界へ。


 少女の名前は上野ユメ。

 六歳にして子供とは思えぬ歌の歌い方で、歌の天才少女として有名になり、テレビでもてはやされる存在になっていた。

 あの大きな大会でピアノの伴奏をしていた人は、とある劇団に所属している人で、ピアノを弾くのは幼い頃からの趣味で、何か才能のある子がいたら事務所の依頼でスカウトの仕事もしていたらしい。


 その人の見る目はすごいらしく、彼がスカウトした人は人気が出る。

 両親はその噂も聞いていたので、ユメが誘われた時は激しく喜んでいたのだ。

 今回は、ユメがスカウトされた。

 そして、芸能界への道が開いて、事務所にも所属が決まった。

ユメは芸能人になれたのだ。


 六歳という年齢のわりに歌が上手い。

 そして、外見も日本人形のように可愛い。

 当時、他に似たような子役がいなかったのもユメにとってはチャンスだった。

ユメはもてはやされた。


 世の中にはタイミングというものが必要で、芸能界はその時に無いものが必要とされる。

 微妙にキャラが被っている人は、先に人気が出た人の影でひっそりとしている事が多い。


 ユメはその、芸能界で有名になれるタイミングが六歳のこの時に見事にハマったのだ。

 両親の計画では、歌の大会で少し知られてからどこかの芸能事務所のオーディションを受けさせ、十歳前後で事務所所属になり…と考えていた。

少し予定が早まるが、結果的に良かったので喜んでいた。

 ユメは、普段笑顔を見せない両親が、喜んでいるのが嬉しくて。

 それだけで良くて。

ただ目の前に用意される仕事を一生懸命に頑張る事で、さらに両親が笑顔になるのを楽しみにしていた。

もっと両親が笑ってくれる姿を見たかったのだ。


 歌が上手いという事で色々なテレビ番組に呼ばれ、ユメは様々な場所で歌を歌い、トーク番組にも出演した。

たくさんの番組に出尽くした後、ある仕事が舞い込んできた。

 連続テレビドラマに出演しないかという依頼だった。


 ロングランで人気の舞台演劇があって、その舞台を収録した映像ディスクの売り上げもそこそこ良い。

ならば、テレビでもその作品をしてみようかという話になったのだ。

昼間に放送される連続ドラマになる事が決定し、ドラマ用に追加されたキャラクターの一人として出演しないかという話がユメの元に舞い込んだ。

 元々、ユメをスカウトしたのも、その作品に出てくるキャラクターのイメージが一致していたからという話からで。

 歌の上手な子としてテレビに出て知られてから、この作品のドラマに出演するとなったら、よりたくさんの人が見るだろうと計画されていたらしい。


 連続テレビドラマの出演依頼に両親は当然喜んだ。

 歌が上手いという話で色々なテレビ番組に呼ばれはした。

しかし、それ以外に特に話題も無いとしだいに飽きられて仕事が減る。

 次の新しいネタが無いとテレビの世界は飽きられる事が多い。

 どうしたらいいのかと両親が悩んでいた所に新しい仕事の話。


 歌の上手い六歳の少女ユメ。

小学生になると、普通の小学生と見られてしまう。

小学生で歌の上手い子はたくさんいるのだ。

ユメがその他大勢の一人になってしまうと両親は心配していた矢先に、そんな微妙な時期に舞い込んだ仕事。

テレビドラマの仕事。

両親の笑顔は素晴らしいほどだった。


仕事をたくさん入れれば大好きな両親は喜んでくれると覚えてしまったユメは、親の提示したこの仕事に二つ返事で了承したのだ。

 この作品に出る事によって、ユメの運命は後々大きく変化する事になる。

だが、そんな事は当時のユメには思いもよらない話で。


ただ目の前にある仕事を頑張って、両親の笑顔を見たい。

一緒に楽しい気持ちになりたい。

そうしたら私も嬉しい。

だから頑張る。


 それだけしかユメの頭の中には無かった。



 ドラマの撮影は今までした事が一切無く、何もかもが始めての世界だった。

 そこには、ユメ以外の子供もいた。

 彼らは、ユメの年齢よりももっと幼い頃から芸能界の仕事をしていたらしい。

 仕事もたくさんこなして、ある程度もう有名になっている子達。

 ユメからしたら大先輩になるのだ。


 テレビのコマーシャルでよく見かけるいつも笑顔の園崎絵美里。

 色素の薄い髪の毛が印象に残っている。

 そして、笑顔がとても素敵だ。


 他のテレビドラマの子役で見かける活発な少年、雪原勇次。

 真っ黒な髪の毛を短く切りそろえ、少し釣り目だが、見た目ほど怖い子ではない。


 二人とも、ユメより一つ年齢が上の七歳。

 小学生なので、ランドセルを背負って仕事現場に来る事も多い。

 自分よりも芸能活動が長い子供達。

ユメは緊張しながら挨拶をしにいったのだが、それも最初だけだった。

子供の順応力は素晴らしい。

三日後には絵美里と勇次とユメの三人は仲良くなっていた。


 ドラマのメインとなる俳優達は舞台の時のオリジナルキャストのまま。

ユメ達は、オリジナルキャストの人達と、ドラマ用に用意された新キャストの人達とも会話を交わしていた。

作品の内容についてよく教えてもらっていたのだ。

 当時子供だったユメは仲良くしてくれる親切な人達だと思っていたけれども、その人達なりに、新しくキャストが増えた事で抵抗感があるファンの気持ちを少しでも抑えようとして、作品についての理解を深めてもらおうと努力していたのではと後にこの時のことを思い出したユメは感じていた。


 当時六歳で、芸能活動の期間もまだまだ浅かったユメには理解できない世界がそこにはあったのだ。

 様々な人がいる。

 ファンにも様々な人がいて、それぞれ違った意見がある事も、ユメはまだ知らなかった。


 その舞台の背景は時代劇。

少しファンタジー要素もまぜていたので、着物を着るにしても、普通の着物とは違う形になっていた。

 ユメは通常とは違う形状になっている着物の様子が面白くて、用意された着物を着ては辺りを走り回っていた。

 そんなユメを、いつも元気だねと言って微笑む人がいた。

 その人は、ユメが芸能界に入るきっかけをくれた人。

 まだ芸能界に入る前の、大きな大会で歌を歌った時にピアノ伴奏をしてくれた人だった。

 バイトで芸能事務所のスカウトの仕事もして、ユメをスカウトしてくれた人。

 その人の名前は立原アヤトで、年齢は三十一歳だと本人は言っていた。

しかし、他の役者が言うには、この作品を舞台でする為に劇団を立ち上げた頃に出会った十年前から三十一歳だと自称しているので本当は何歳か分からないらしい。

 年齢不詳な所が不思議な人だなとユメは感じていた。


 立原は新キャストとして入ってきた内の子役のユメ、絵美里、勇次によく声をかけてくれた。

 他のキャストが、子供に対してどう声をかけたらいいのか分からないで戸惑っていた中、立原は進んで三人の相手をしてくれていたのだ。

声をかけるついでに立原はお菓子をくれたりしていたので、三人はこの人が大好きだった。


 役者の中には、舞台でずっとこの作品を演じていたかったという考えの役者さんも当然いる。

連続テレビドラマの放映の為に、スポンサーや事務所の力関係など色々な事情で追加された新しいキャスト達に声をかけるのをためらっている人もいる中、立原はユメ達以外にも追加された新しいキャストに選ばれた俳優に気さくに声をかけていた。

そして、オリジナルキャストと追加キャストとの間をとりもってくれていた。

子供のユメ達が参加する事は無かったが、立原主催の飲み会が何度か開催され、交流を深めていったらしい。


 立原が立ち回ったおかげか、一ヶ月もすればオリジナルキャストの人達も全員、追加キャストの人達と仲良く会話を交わす事ができるところまでになっていた。

撮影もスムーズに進むようになり、監督も、スタッフも立原の行動に関心していた。


 彼のおかげで、オリジナルキャストと、追加キャストのわだかまりが減った。

 あの人は昔から気遣いが上手い人で感謝している。

 気まずくなっても立原さんの笑顔を見てたらどうでも良くなるね。

 本当に助かっている。


 と、撮影現場での立原の印象がとても良いのだ。


 ある日の事、ドラマの収録も中盤にさしかかった頃。

テレビでも第一話が放送された頃、立原がぽつりとユメ達三人に過去の事を話し出した。

「この作品はね、最初は小さな劇場でスタートしてね…最初のお客は三人しかいなくて、それがだんだん見た人の口コミで面白かったって評判を呼んで、十人、三十人、百人とお客さんが増えてね、演劇する為の劇場も少しずつ大きくなっていったんだよ」


 立原とユメ達三人は同じ場面での登場が多かった。

だから待っている時間も一緒。

他の俳優が撮影に出ている間の長い待ち時間の間、この作品についての話を詳しく聞く機会が多くなっていた。

「人気が出てきて連続テレビドラマにもなるけど、僕は舞台の時のチームも大事で、新しくこの作品に風を吹かせてくれるだろうスタッフさんや、君たちも大事なんだ」

 立原はいつもそう言って目じりにしわをたくさん作り笑っていた。

 君達にまだ分からないかなと、立原はよく笑っていた。


 子供だけれど、この作品に対しての立原の愛情がよく分かったのだ。

三人はお菓子を食べながら立原がいなくなった後、何度も頷いていた。

「台詞間違わないように頑張ろうね」

「うん!」

 絵美里の言葉にユメも頷いた。

 勇次は、お菓子を食べながら絵美里の隣で静かに頷いていた。


 用意されたひらがなだらけの台本をボロボロになるまで。

紙の色が手垢で変色するまで。

はじめての演技にユメも集中していた。


 ユメの役どころは、その作品の中で立原が演技する祠にいる主の傍にいる使いの子供達という設定だった。

 祠のシーンは毎回入るが、出番の時間はとても少ない。

 彼らは祠から出る事は無いという設定で、他の役者よりも演技する時間は少なくなっている。

その少ない出番でも、作品の世界を壊さないように努力しようと三人は決意したのだ。


 絵美里の役は顔半分包帯に巻かれた状態でその場に座る。

一切話さず仕草だけで物事を訴える。


 勇次の役はそれを言葉で伝える通訳係。


 ユメの役は、祠の主である立原が何が祈祷をする時に隣で歌を歌う。

 ドラマの中では、五分程度の場面だが、三人は一生懸命努力して演技していた。

 少ない出番の中で、この世界を壊さない演技をしようと、精一杯努力していた。


 実は、どうして子供がキャストに加わったのかと、昔からこの作品を舞台で見ていたファンは疑問視していた。

 大人しか出てこない作品なのだ。

 人間関係が複雑で、舞台では長い会話のシーンがすごい大反響を呼んでいる。

 そんな作品に、子供が入って大丈夫なのかと、不安だと言われていたのだ。


だが、第一話が無事放送され、子役達の出番が、ストーリーに邪魔にならない程度の出番だと発覚してからは、批判は少しずつ減少する事になる。

 子役で選ばれた絵美里と勇次は天才子役と噂されていただけあって、演技に曇りも無く、本当に子供なのかと疑問に思うほどの動きをしていたのだ。

 その事も、批判が減少した原因でもある。


 絵美里は顔の半分を包帯で隠しているのにもかかわらず仕草だけで、彼女の目線がどこへ向かっているのが十分に分かる。


 勇次は声と演技がもう子供のそれとは違ったのだ。

 舞台作品からテレビドラマになる時に追加された新しいキャストの人達は、皆演技が上手だった。


 キャストを追加する時に、演技が上手い人をと、この作品の舞台を演出していた人が懇願した結果だと後にユメは知るのだが、この時は知らなかった。


 ユメは、歌声が普通の子供とは逸脱しているという理由から選ばれていた。

 ドラマが放送されてからは、やはり原作の舞台の方が良かったと言う人が大部分なのは確かだが、テレビという映像媒体での表現もこれもまた有りではないのだろうかという意見も出始めた。

 日々、話題になるドラマの評価。

その評価を調べたユメの両親は、また笑顔になっていた。

 こんな素敵な作品に出れるなんてと両親は喜んだのだ。

 ユメの顔もこれでもっと有名になるだろう。

 どんどん知られれば、仕事も増える。

 これを機に、どんどんユメは良い仕事につける。

 両親の喜ぶ顔が見たいと思っていたユメは歌の稽古も頑張るようになっていた。

 こうして、仕事を楽しいと感じ暮らす日々が続いた。


 みんなが真剣だったのだ。


 ドラマで追加されたキャストの人達も、この作品の世界観を深く知り、演技に対して真剣に取り組んでいる。

 監督も、撮影スタッフも、最高の作品になるように努力している。

 この真剣な空気が、緊張した世界がユメは大好きだった。

 ずっと、ずっとこの環境が続いてほしいと願っていた。

 続くと思っていた。

 だが、その願いは届かない日が来たのである。


 全12話のドラマも終盤へとさしかかった頃、事件は起きた。


 ある週刊誌がドラマの出演キャストの親族についての記事を掲載したのだ。

 内容は2頁くらいで、追加されたキャストの親族が世間に対して迷惑行為を行っているという内容だった。

そのキャストは、追加キャストそして作品に加入していた絵美里の事。

今年で高校生になる彼女の兄の事についてだった。

 絵美里の兄の経歴についても簡単に書かれていた。

幼い頃に今の絵美里と同じくテレビのコマーシャルに何度か起用された事がある。

だが、それ以降仕事は無く、何度オーディションを受けても不合格続き。

親が仕事を得る事ができない兄を見捨て、全寮制の学校に入れたという。

その後、絵美里にだけ愛情を注いだ結果、兄はグレてしまって不良になってしまった。

夜になると友達を引き連れて学生寮を抜け出し、夜の街を徘徊し遊びほうけ、喧嘩などそしているという内容だった。


 この記事は大きな問題として取りざたされた。

 喧嘩もしているという話だったので、いつ取り返しのつかない大事件が起こるかわからないという不安がある。

 その週刊誌には、絵美里の兄は目の部分は黒く隠されているが友人と共に街を歩く姿の写真が掲載されていた。

 その情報を仕入れたドラマのファンは、そんな問題がある家族がいるキャストをこの作品に出していいのかという疑問を叫び、毎日激論がなされ、放送しているテレビ局にも苦情がたくさん来るようになった。


 ドラマはあと三話で終わる。

 スタッフとオリジナルキャストは長時間話し合いを続けた。


 元々、子役の事務所からの依頼で無理やり子供が出れる場面を作ったのだから、必要のない役割だ。


最後の三話分は、絵美里だけ出番をカットして放送したらどうか。

 いや、それではこれまで頑張ってきた子達がかわいそうだ。

そのまま流すべきだ。

 絵美里だけを出さないのはかえって不自然だ。

三人の出番を全く失くしたらどうだろうか。

 シナリオを変更して祠の場面を完全に無しにしたらどうか。


 話し合いは夜中にまでおよんだ。


 そんな中、立原はずっと黙っていたらしい。

 翌日も、何かを考え込んでいる様子で、黙っていた。

 子供達三人の収録の場面は一個だけ残していたが、結論が出ない為、撮影に入る事ができない。


 いつも元気な絵美里は何も言葉を発する事も無く黙ってお菓子を食べていた。

 立原がいつも渡してくれているお菓子。

 今日は何も言わないで立原はお菓子だけをユメ達にわたしていた。

 静かに控え室のすみで待つ三人。

会議室でいつか出される結論を待つというのは、時間が普段よりも長く感じ、苦しいものだった。


「絵美里ちゃん、大丈夫大丈夫…」

 ユメはなんとか絵美里を元気にさせようとして声をかけていた。

しかし、どうにもする事ができなかった。

子供なのだから、何もする事ができない。

ユメは自分の無力を感じ、悲しんでいた。


 そして、少しずつだが絵美里は自分の事を話し出した。

 絵美里に兄がいたのは絵美里本人は知らなかったのだという。

「生まれた時からお兄ちゃんがいたなんてパパもママも教えてくれなくて、ずっと一人っ子だって聞いてたの…」

 これだけを言うと、絵美里は目から大粒の涙をポロポロとこぼした。

 親にどうしているはずの兄がいなかった事にされていたのか絵美里は聞いたらしい。

 兄については、芸能人にする為に育てたのに失敗したから自分達の子じゃない。

 だから見放した。

 勝手に全寮制の学校に編入し、そこで問題を起こしたのだから私たちの責任じゃない。

 と、言い放ったのだ。


「このドラマが最後まで無事に放送されるなら、出番なんかもう無くていい」

 手で、目から大量に流れた涙をぬぐいながら絵美里は静かに嗚咽をもらす。

 ユメは、ハンカチを差し出すしかできなかった。

 絵美里はもらったハンカチで涙をぬぐうが、すぐぐっしょりとしてしまう。


「別に、出なくていいよな」

 隣で今までずっとだまって聞いていた勇次も、うつむいたまま。

 肩は震えていたので、泣いていたのかもしれない。


「…うん」

 ユメも、悲しくなった。

 子供にだって、大変な状況になっているのは理解できている。

 でも、子供だから会議に加わる事はできない。

 それもじゅうぶん三人は理解していた。

 子供は無力な存在だ。

 何もできない状態で待っているのがとてもつらい。

 どうして今、自分達は子供なのだろうか。

 早く大人になりたいとこの時ばかりは願っていた。


 大人達は今、自分達の出番をどうするかで激論を交わしている。

会議室からは時たま怒号も聞こえる。

撮影の間にあれだけ仲が良くなっていたスタッフと俳優が敵対していがみあっている。

それが、絵美里の兄のせいで。

絵美里にはたえられなくなっていた。

その結果の、今までずっと我慢していた涙。

涙が止まらないのだ。

しばらくして、控え室の隅っこでしくしくと泣く子供達の上に、大きな影が一つ見えた。

ユメが涙を腕でこすって顔をあげると、その影は見慣れた人の影だった。

立原が立っていたのだ。


表情は立原の背後にライトがあって影になって見えない。

泣いている三人の姿をしばらく見ていた立原。

表情は影で見えないが、口の端を少しだけあげて言った。

 三人を安心させようとする為の笑顔。


「もう、泣かなくていいよ、答えは出たから」


 そう言うと、立原はユメと絵美里と勇次の三人を抱き寄せた。

 大人の大きな体。

 力強い体。

 立原の匂いは、香水なのだろうか、何か優しい香りがした。

 気がつけば、絵美里も勇次も涙が止まっていた。

 ユメも、止まっていた。

 三人の肩をポンポンとあやすように優しくたたき、立原は言った。

「君達はこれからしばらく大変だと思うけど、いつかまた、チャンスが必ずできるから、その時にまた会おうね」

 立原の言葉に、子供達三人は、詳しく言われなくても理解したのだ。

 あの作品から、自分達の出番が、これから先は全く無くなると。

 ユメも、絵美里も勇次も、この時立原がどのような表情で言ったのかは知る事は無かった。

 知りたくても、知る方法が無かった。

 彼は三人から離れた後、ずっと背中だけを向けていて、何も語らなかったから。

 微動だにしない背中を見送って、親の迎えが来るまで、涙一つ見せず三人は椅子に座っていた。



 あと三話残したテレビドラマの内容には、祠の主の立原は出番はあったものの、祠から急遽出てきて、そこで会話するという話に変更されていた。

 祠にしか存在しないという設定にされていた絵美里の役と、勇次の役、ユメの役の出番は祠の主の立原が祠から出てきた事により出番が無いという内容に変更したのだ。

 出番が無かったら無かったで異を唱える人はいたが、それは少数で、舞台でこの作品を見続けていたファンからすれば、その子供達には罪はなくてかわいそうだが、家族に問題のある子が出なければドラマは続く。

それで大丈夫だろうという意見が大多数だった。


 その結果、視聴率は最後まで好評に終わった。

 最終回放送直後に第二期の製作が報じられたが、予告に流れたキャストの情報には当然のごとくユメ達三人の名前は全く無く、追加キャストも新たに定められていた。

 祠の主の部下の子供達の役にかわって、新しく用意された役者は、当時有名だったアイドルグループから二人ほど選ばれ、彼女達の名前が記載されていた。

 後に発売されたドラマの映像ディスクには、一話からユメ達三人の出番が消去されて、祠のシーンも少し内容が変更されていた。

 再放送されても、ユメ達の出番は無い状態のドラマが放送されているため、本放送時のドラマの録画は貴重とされ、たまにネット上にあげられたりする事もある。


 絵美里の兄の問題によって出番が無くなったユメ達三人がどうなったのか。


 子役として、これから俳優として花が開きそうだった絵美里は、仕事を辞めざるをえない状況に追い込まれた。

 兄の印象がすこぶる悪く、絵美里にも影響をおよぼしていた。

 事務所は絵美里の印象が悪くなった事について考えた結果、他にも才能のある子はいるからという理由であっさりと解雇したのだ。

 他の事務所も、あの事件の影響のせいで、絵美里を引き取ってくれないという。

 その結果、絵美里は仕事を辞めて、普通の小学生に半ば無理やり戻る形になった。

「ずっと忙しくて、本当は遊びたかったからちょうどいいや」

 最後に会った時、ユメに対して強がって絵美里はそう言ったのだ。

 演技のお仕事が楽しいと、会う度ユメにお菓子を食べながら語っていた絵美里。


「ねえ、本当に?」

 ユメが心配して声をかけると、絵美里は精一杯の笑顔で答える。

「うん!」

 嘘だというのはユメにも理解できていた。

 でも、今ここで嘘だと言っても、絵美里は本当の事など言わないだろう。

 演技が上手な絵美里は、ユメの前で素の姿を見せず、演技をするようになってしまった。

 心は傷ついていたが、どうする事もできないユメは、それ以上は何も言えなかった。


 勇次は、特に問題は無かったので今までどおり子役の仕事を続けるという。

 ただ、目立った仕事は事務所の意向でしばらく控えるという話だった。

 ただ、勇次は言っていた。

「しばらく控えるって言ってるけど、僕の契約は今年いっぱいだから、来年から事務所の所属から外れて子役の仕事辞めてるかもしれない」

 絵美里と一緒で、結局は辞めるだろうと勇次は自分の未来を予測していた。

 勇次の予測は当たっていた。

 それから数年、テレビなどで勇次の姿を見る事は無くなったのだから。


 そしてユメは…

 立原がスカウトして事務所に入ったユメは、絵美里と同じく仕事が無くなり、両親の意向で事務所を辞める事になった。

 両親からすれば計画がめちゃくちゃになったのだという。

 こんな小さな事務所では駄目だと、もっと大きな事務所にいつか入ろうと親は言った。

 立原がバイトで依頼されてスカウトの仕事をしていた事務所は、それほど規模は大きくはなかったが、舞台関係の仕事が多く、将来もっとユメが大きく成長したら、今は仕事が無くても、学校生活を楽しみながらここで演技について学習し、十八歳くらいになったら次第に仕事は増えるとマネージャーは言っていた。

すぐお金を儲けたいと思っていた両親は、そんなの待ってられないと言い、ユメを辞めさせたのである。

 両親は、ユメの歌に賭けていた。

 こんなに歌が上手いのだから、歌手を、アイドルを目指したらどうかと言い出したのだ。

 そうしたら、お金がもっとたくさん入るはずよと。


 ユメはここで、気づいてしまったのだ。

 両親がユメに仕事が舞い込んで来るたびに笑顔になっていたのは、ユメが仕事をした時に入ってきたお金が嬉しかったのだという事に。

 それに気づきたくは無かった。

 いや今気づくべきだったのか。

 当時六歳のユメは激しく混乱した。

 仕事が無くなって事務所も辞めて普通の小学生に戻ったユメに両親は興味が無いのだ。

 芸能人として名声を得た自分の子供だから愛せる。

 そういう人だとユメは気づいたのだ。


 あれだけユメが歌うと上手だねと笑顔になっていた両親。

 金のなる木だと思って笑顔になっていたのだ。

 それを知ってしまったユメの心はどんどんと薄暗い闇の中へと落ちて行った。

 六歳の時、楽しくて仕方が無かった歌を歌うという事。

 両親にとっては、ユメの楽しい気持ちも何もいらなかったのだ。

 お金が必要なだけだったのだから。

 両親は、少し時間を置こうと提案した。

 今すぐ事務所を探すのは無理だから、十二歳くらいになった頃に、もう一度チャレンジしようという考えで。

 その頃には、ユメの事を皆忘れているだろうと、両親は考えたのだ。

 ユメはまだ子供。

 一人では何もする事ができない。

 両親の意見に委ねるしかない状況だ。

 お金にしか興味の無い両親の言葉に、頷くしかない。

 まだ独り立ちできない子供なのだから仕方が無い話で。

 時期が来るまで、私立の学校にユキは通う事になった。

 あのドラマの騒動が原因で、近所の学校に通えなくなったのだ。

 自宅から少し離れた私立の学校に通うのは仕方が無いだろうと両親も言っていたし、ユメもそれは納得していた。

 転校した先の私学の学校では平和な日々が続いた。

 あのドラマについての問題を知っている人もいたが、ユメは共演者の問題に巻き添えをくって出れなくなっただけだという認識だったので、学校生活を送るには特に問題は無かったのだ。

 こうして、平穏な日々がすぎていく。

 そして、ふと絵美里の事を思い出す。

 絵美里は事件の当事者になっているのだから、どんな生活を送っているのだろうかと心配になっていた。

いじめられはないだろうか。

大丈夫だろうか。

連絡先も教えられず別れたので、連絡を取る術はユメには何も無かった。

 多分、親に聞いてもユメが芸能活動を休むきっかけになった絵美里の連絡先は絶対教えてくれないだろうと思ったのだ。

 だから、両親には聞く事は一切しなかった。

 なるべく余計な事はしない。

 そう心に決めて、ユメは自分の今の生活を守る。

 絵美里も何かの方法で、いつかまた芸能界に帰ってくるのではと、ユメは信じていた。

 いつか会えると、信じていたかった。


 マスコミも、最初はドラマの事について騒ぎ立てていたが、ドラマが終了した後、次の新しい話題にどんどん内容は変更されて行った。

 週刊誌でも絵美里の兄の事について騒いでいたのだが、芸能人の新しいスキャンダルを見つけて、そちらの話題を盛り込んだ内容が増えていった。

 あれほど騒がれたのが嘘のように、誰も話題にしなくなったのは、半年ほど時間が経過してからだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る