幸福な日々

ねぎしそ

幸福な日々

男の子はひとりぼっちでした。

男の子のほんの一握りの人生は、辛いことでいっぱいでした。

これからも頑張って生きていれば、きっといいことがある。

そう信じて今まで頑張ってきました。

しかし、もう男の子は辛くなってしまいました。


男の子はあまり賢くありませんでした。

みんながわかることが、あまりよくわかりませんでした。

みんなができることが、あまりよくできませんでした。

そして、笑われ、馬鹿にされ、時には蹴られました。

先生は、見て見ぬ振りをしました。

お父さんは居ませんでした。

お母さんは、いつも泣いていました。

たまに、殴られました。

でも、男の子はお母さんが大好きでした。


男の子は、お母さんと二人でご飯を食べていました。静かで、何も話すことはありませんでしたが、男の子にとっては、その時間が1番好きでした。


ですが最近、お母さんはご飯を作ってくれなくなりました。お金が置いてあり、近くのコンビニでおにぎりとパンを買う生活になりました。


コンビニまでの道は少し暗くて、風が少し吹いていました。


帰ってくると、お母さんは泣いていました。

お父さんがいないぶん、自分がお母さんを支えてあげないと。

男の子は泣いているお母さんの側にそっと近づいて、ぎゅっと手を握るのですが、お母さんはその手を振り払い、怒鳴り、そして男の子を殴りました。


男の子は、家の中ではトイレにこもることが多くなってきました。

トイレの中なのに強い風が吹き込んできて、男の子は何度も咳き込みました。


学校は辛くて、家でも辛くて。

男の子は、外に出ることにしました。


外に出ても、一緒に遊ぶ人間の友達はいません。

しかし、外には木や、草や、虫や、車や、街がありました。


外は穏やかな風で、男の子はすっかり気に入りました。

男の子はいろんな場所に行こうと思いました。

変なところにあるマンホールの上に乗ると、どこかにワープできるかもと思いました。

たまにある行き止まりの壁に手を触れれば、きっと異世界に行けると思いました。

ずっと遠くに見える工場は、きっと何かのラストステージだとおもいました。


でも、男の子はマンホールの上にも乗らず、壁にも触れず、工場に背を向けて歩き始めました。

男の子は好きなものは最後まで残しておくタイプでした。

今までその性格で何度か嫌な目にも会いましたが、それは直りませんでした。


家に帰ろうとして、男の子は周りを見渡しましたが、全く帰り道が分かりませんでした。


男の子はすっかり寂しくなって、びゅうっと風が吹きました。


男の子はすっかりダメで、もうなんだか悲しくなってワァワァ泣いていると、おじいさんに呼び止められました。


そこからお巡りさんがやってきて、交番に連れて行かれて、しばらくしてからお母さんがやってきました。

お母さんは何度もなんどもお巡りさんに謝って、男の子も頭を何度も下げさせられました。


帰りの車の中はとても静かでした。

男の子はお母さんが迎えに来てくれたことがとても嬉しかったのですが、お母さんはずっとイライラしていました。


家に帰ると、何度も叩かれました。

他所様に迷惑を掛けるんじゃない。

どうしてじっとできないんだ。

こんな子に育てた覚えはない。

あんたなんかうちの子じゃない。


お前なんて、産まなきゃよかった。


男の子はそれきり、ずっと家の中では強い風の吹くトイレにいるようになりました。


朝になって学校に行かないと、お母さんは家の中で嫌いな男の子を見てイライラしてしまうので、男の子は学校に行くふりをしました。


男の子はあの日見つけたマンホール目指して駆け出しました。

道は分かりませんでしたが、なんとなく呼ばれている気がしました。

男の子はなんとかマンホールを見つけました。あの日のまま、何も変わらない普通のマンホールでしたが、男の子にとってはどこかにワープできる特別なものでした。


男の子は勢いよくマンホールの上に乗りました。


静かに時間だけが経ちました。

何も、起きませんでした。


男の子は何度もマンホールを踏みつけましたが、マンホールはうんともすんとも言いませんでした。


男の子は急いで行き止まりまで駆け抜けました。壁に手を触れれば、きっとあたりに光が満ちて、異世界に行けるはずでした。


いざ壁を目の前にすると、怖くなって、気持ち悪くなって、それでも男の子は手を伸ばしました。

そして、壁に手が触れた時、あまりにも変化のない世界に、男の子はしばらくぼんやりとしていました。


びゅう、ぴゅるるっと風が吹きました。


行き止まりの壁から振り返れば、遠くに工場が見えました。


男の子は、もう何も考えず、ただひたすらそこを目指しました。


本当に、何も考えませんでした。


気がつけば工場の近くに来ていました。あたりはもう真っ赤になっていて、はやく帰らないと怒られそうです。


しかし、男の子は帰る道を知りません。気がつけばここにいたのですから当然です。そして、工場へも入ることができません。残念ながら、大きなトラックしか入れないようなのです。


男の子は大きなトラックになりたいと思いました。

すると、みるみるうちに身体が大きなトラックになりました。

こんなことは初めてですから、男の子は驚きましたが、なれたのだから深くは考えませんでした。男の子はウキウキしながら工場に入り込みました。


そこは不思議な工場でした。

よくわからない黒い機械や灰色の部品が、パレードのように踊り歩いていました。


大きなトラックはいつのまにかどこかへ消えて、あたりはぐにゃぐにゃ歪んでは伸び、ぐわぐわ笑っては、くしゃくしゃに悲しみました。


男の子は気がつけば元の姿に戻っていて、辺りの不思議な空間にたまらなくドキドキして、そして思い切って1番奥の倉庫の中に入ってみました。


すると、その中には火を噴く黒いドラゴンがいました。トカゲが何十倍にもなって、かっこよくなった姿です。


きっと、こいつを倒せば、世界は輝くんだ。

ドラゴンはグフフと笑いました。

男の子は、今までの辛いことの全ては、こいつのせいだったんだと気がつきました。

みんながいじめるのも、お母さんが怖くなったのも、全てドラゴンに操られていたからなのです。

そう、そうなんです。

こいつさえ倒せれば、男の子の辛い世界も、楽しくなるに違いありません。


右手には伝説の剣、左手には伝説の盾。男の子は、やはり選ばれし勇者でした。

意地の悪いドラゴンがすかさず吐いてきた炎も、男の子の持つ伝説の盾には全く効きません。


ドラゴンは、まさかと驚いた顔をして、一瞬ひるみました。

男の子は、そこを狙って一撃、伝説の剣でドラゴンを真っ二つに切り込んでやりました。


ドラゴンはグエエと腹の底に響くような低い声を絞り出しながら、皮膚にも負けないどす黒い血をぶしゃぶしゃこぼしながら倒れ込みました。


それきり、ドラゴンは二度と動きませんでした。


男の子はドラゴンに勝ちました。

男の子はやはり勇者でした。

男の子は急いで工場から出ました。


工場の門を出ると、そこはもう男の子の家でした。

中では昔のような優しいお母さんが待っているはずです。

男の子はただいま!と元気な声でお家に入りました。

おかえりなさい、と優しい声がしました。

男の子は久しぶりに見たお母さんの笑顔がたまらなく嬉しくて、思わず抱きついてしまいました。

お母さんはそっと、男の子を抱きしめてくれました。



幸せな家族。

幸せな日々。

幸せな、一人の少年。


おしまい

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幸福な日々 ねぎしそ @kinudohu

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