Chapter1 ,ヴェルとアリーナ

相変わらず灰色の分厚い放射性物質の雲は、私達に光をよこす気など、ないらしくどんよりとした空気が流れている。

そんな科学汚染物質で肥えた雲に蓋をされた陰気な世界で今日もまた、何処からともなく銃声が、散発し、響き渡っていた。


そんな世界の中で私とヴェルは、廃校になった名も知れぬ学校の教室を一つ借りて暮らしている。


『ヴェル…ッ…朝だよもうそろそろ起きて。』

私は、いつもの通り相棒を揺さぶり起こそうと試みる。

しかし頑固な私の相棒は、そう簡単には、起きてくれない。

結局いつも30分ほど遅れて彼女は、起きる。

起きるときは決まって、私のスカートの裾をつかみ、そしてゆったりと重々しく私の身体のあちこちをつかみながら、登ってきて私の顔の前に来たところで『アーリナ、おはよう…。』と言って寝ぼけ眼をこするのだ。

『やっぱり駄目か…。』

私は、乱れたお下げ髪を綺麗に直しながら、気持ちよさそうに寝ている彼女の寝顔を睨んだ。

本当に戦闘音鳴り響く中どうしてこんなによく眠れるのだろうか。


彼女を見た最初の印象は、綺麗なお人形だった。

ミルクのように白い髪と白い肌…

短く切り揃えられた白い髪は、雪を連想させ、

柔らかそうな白い柔肌は、マシュマロを連想させた。

そして今は閉じているが、その蒼の瞳は、かつての空を連想させるのだ。

純アジア人の私には、ない人間離れした美しさがそこにあった。


そうこうしていると、例にもよって30分経ったほどに彼女は、私のスカートの裾をくいっと掴んだ。

それからいつも通りよいしょよいしょと私の身体を登って『おはよう、アーリナ…』と言った。

『おはようヴェル。』

私は、寝坊助にいつもの通りの罰としてパチンとデコピンを浴びせた。


生徒会室と書かれた隣の部屋に移動して、先日市場で手に入れた米軍のクラッシュチョコレートとミルクだけの簡単な朝ごはんを始める。

『アーリナは、厳しいよ、何もこんな朝に起こさなくても…。』

ヴェルは、ワイルドストライクスと書かれた塩化ビニールの包装紙をビリビリと破きながら頬を膨らませた。

『今日は、新しい雇い主と会う日だったでしょ。

ヴェルは、昼間にあの市街地を通るつもりなのかしら』

私の言葉を聞くとチョコレートにがっついていたヴェルは『うっ…』と呻いた。

『それは、死ぬ。』ヴェルは、パンパンという銃声の鳴り響く窓の外を見ながら、そう付け加えた。

『ねえ今度の雇い主さんって、どんな人。』

少し間を空けて、ミルクを飲みながらヴェルが、言った。

『ひとことでいうと、変人。

エリカ•ブラックス。

ご存知アメリカの探偵企業ピンカートンから独立した、民間軍事企業PMCホワイトウォーター社のCEO。』

私がそういうとヴェルは、目を丸くした。

『女の人でPMCのボスなんて…。』

『まぁ、私達も…女で軍人だったんだけれどね。

で、そのブラックス氏の一番の変人な所はというと、なんと彼女の私兵部隊は、全員女なんだって。』

私は、目をまん丸くしているヴェルを見て、ニヤニヤが止まらなかった。

驚いているヴェルの顔を見るのは、本当に気分がいい。

共産党青年部コムソモールのプロパガンダみたいだね…、もしかして相当なレズビアンなのかも。

大丈夫なのそんな人…ちょっと危ないよ。』

ヴェルは、呆れたのか感心してのか分からない様子で言った。

『ふふふ、ブラックス氏が大の女好きで私が堕とされちゃったら、どうする。』

私は、少し意地悪な質問をした。

ヴェルは、私がそういうと即座に顔を真っ赤にして『モシンナガンで700メートルヘッドショットしてやるから安心して。』

と鼻息を上げて叫んだ。

可愛い奴め。

『それでこそ、私の彼女だ。

しっかり私を守ってよ。』

私は、そういうとさらなる意地悪で、ヴェルの唇の淵に付いたクラッシュチョコレートの欠片を舌で舐め取った。

ヴェルは、すっかりよりいっそう顔を真っ赤にして過呼吸になっていた。


オリーブドラフの野戦服ルパシカ、SVT40セミオートライフル、マガジンパウチ、折り畳み式のナイフとバックパック、双眼鏡、塹壕掘削用シャベル、

この組み合わせが何かというと私が外に出るときの必需品だ。

ヴェルは、狙撃担当だから戦闘服は、アメーバ 迷彩カモフラージュ柄だったり、銃がボルトアクション式のモシンナガンだったりするけれど、基本的には、大して変わらない。

私とヴェルは、校舎を出ると直ぐさま運動場の端にある体育用具倉庫に入り中に隠しておいたバギーに乗り込んだ。

民間用に転用されたものだから、官給品のように機関銃がくっ付いていないのが惜しい所だが、車両のスペックは軍用品と変わらないため、迷彩柄に塗るだけの改装で済んだ分お買い得品だったといえる。

エンジンを入れるとガシャガシャという荒々しいエンジン駆動音が響き渡った。

『ヴェル、しっかりつかまっててね。それと、怪しい奴がいたら射殺して…でも対戦車擲弾砲RPG_2とか撃つ時は、一度声かけてよ、分かった…。』

運転席に座った私は、後部シートに居るヴェルに言った。

『わかってる…。』

ヴェルは、ライフルが手から落ちないようにくるくるとサポートハンドである左手(引き金を引く手ではない方の手)に革製のライフルスリングを巻き付けていた。

『発車っ。』ババンという戦闘機の機関砲のような重低音と共にバギーが、とんでもないスピードで倉庫を飛び出した。

『ひいぃっ。』ヴェルが間抜けな声を上げる。

ヴェルのことは、無視したままさらにアクセルを上げる。

とにかく、この区画を向けなければならない。

市街戦に巻き込まれないことを願いながら私は校門を抜け、旧国道へとハンドルをきった。


待ち合わせ場所の店は、中華街の中心にあった。

中華街の入り口には、石で造られた昔の関所を模したアーチがありそこには、この辺りの治安維持をしのぎにしている傭兵企業の戦車や自走砲の陣地があり、周りの民兵組織に対しここに『入ってくるな。』という無言の威圧をしていた。

私とヴェルは、関所の前にバギーを止め、戦闘の意思がないことを伝え、両手を上げながら街に入った。

(ライフルと拳銃は、護身武器として認められているが、車両や爆破物は、テロの要因になりかねないため、置いて行かないといけない。)


赤、黄、と極彩色のわざとらしい建物が並び、灰にまみれた仏や神の像や、発癌性ネオン看板の風俗広告が通りを歩く人々を見下ろしている。

立ち込めるのは、人々の熱気と排気ガスの煙。


『ふう…中華街まできたらもう安心だね。』

ヴェルは、ライフルのスリングをかけていたせいで緊張していた腕を揉みながら言った。

右も左も紛争紛争の閑散とした世界で、これだけ人が密集している街は、そう多くない。

人が多いことは、平和である証拠なのだ。

(とは、言っても街ごと空爆されたらひとたまりもないし、カウンターテロの標的になる可能性も否定できないが…。)

『待ち合わせ場所の道楽亭とかいう中華料理店は、銃砲店の近くだ。

まだ約束の時刻まで時間あることだし、覗いてみるかい。』

私が、そうヴェルに話しかけていたその時だった。

『いやああああ。』というか細い女の子の叫び声が聞こえた。

私は、無視して過ごそうとしたが、ヴェルは、どうやら興味を持ってしまったらしく声のする方向に向かって行ってしまった。

『ちょっと、ヴェル。』

私の声は、もはやヴェルには、届いていない。


叫び声の主は、薄いキャミソール姿の金髪で、十代半ばの少女だった。

おそらく路上で客引きをしていた娼婦だろう。

髪はブリーチして染めた感がある。

ヴェルは、少女の前におどおどと突っ立って、

よろしく、という意思の顔を私に見せた。

自分から、近づいて行っておいて人見知りだから喋りかけられないで立ち尽くしているなんて相変わらず一体全体ヴェルは、何歳なんだか。

『大丈夫、どうしたの。』

私は、仕方なくヴェルの代わりに女の子に喋りかけた。

『ああッあうあーあ。』

ところが、女の子は、口をパクパクさせるだけで何も話さない。

『いやっあうあーあ。』

女の子は、何かを訴えかけようしているが…何をしたいのかさっぱりわからなかった。

『はっきりしゃべってよ、ロシア語か英語なら分かるからさ。』

女の子は、私の足にしがみついてきたが、一向にまともに話す気は、ない。

『悪いな兵隊のネェちゃん達よ。』

すると道の奥から、鞭を持った大男が現れ私達に話しかけた。

温和な口調で喋りかけてはいるものの、その体の動きといい顔付きといい纏うオーラといい、野蛮なやくざ者であることを隠して切れていない。

男は、私の足にしがみついた女の子を強引に引き剥がし、自分の肩の上に抱きかかえた。

完全なる物理的拘束、男は商品の扱いに手馴れてるようだ。

ヴェルが、『あっ。』と何かを言いたそうに口を開いたが私は、ハンドサインでヴェルを黙らせた。

『お構いなく…、私達も面倒事は嫌なので、余計な詮索は、しません。』

私は、優しく丁寧にかつ明確な敵意が相手に伝わるように受け答えた。

私は、ヴェルの首根っこをつかんでさっさとこの場を立ち去ろうとした。

その時だった…。

『いやああああああああああああああああああああああああ。』

断末魔の叫び声が、通りを包み込んだ。

直後、バシンという鞭の音が響いたかと思うと水を差したかのように女の子は黙り、通りは、再び車両や人々の雑音に満ち溢れた。

『かわいそう…。

助けないと。』

ヴェルは、モシンナガンを構えようとした。

私は、ヴェルの腕を強く押さえつけてヴェルを停止させた。

『誰もが、誰かを犠牲にして生きているんだよ、ヴェル。

私がモスクワで人を血祭りにあげたようにヴェルが、ナチの青年を狙撃していったように、あの男だって…そうなんだよ。

だから、私達に彼のいのちを摂る権利なんてない。わかった、ヴェル。』

ヴェルは、私の声を聞くなりおとなしく銃を降ろした。

『でも、言葉を教えないのは、あんまりだよ…言葉は、故郷なんだよ。』

人は、国に住むのではなく、国語に住むのだ。

国語こそが、我々の祖国。

エミール・シオランの名言だ。

人は思考する時、言葉を用いる。

それを奪うことは、すなわち思考を喪う事になる。

それが、いかに残酷なことか…祖国の赤い言葉プロパガンダだけを頼りに生きてきたヴェルには、わかっていた。

しかし、人間を人間たらしめたまま商品として扱うことは、できない。

酪農家やペットショップの店員が、アウシュビッツで人間相手に同じ業務ができないようにだ。

『ごめん、アリーナ…。

分かってるよ。』


私とヴェルは、再び通りを歩き出した。

『時間がなくなっちゃたね。

銃砲店によるのは、キャンセルだ。

よし、その変人傭兵会社社長に会いに行こう。面白い人だぞ、ヴェル。』


『そうだね、アリーナ。』
































































































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